語りたい人達について

その都度語りたい特定の人について色々くっちゃべります。全部個人のイメージなので、あしからず。

櫻井翔の話


ふとTwitterで音楽番組でラップを歌う櫻井翔を見たのが悪かった。10年近く考えないようにしていた櫻井翔のことを一気に考えてしまって、これはもうだめだと思ったので勢いのままに言葉に吐き出します。

 

櫻井翔は私の生まれてはじめての""推し""でした。花男で嵐がブレイクして学校では皆が嵐の話をしていた頃です。私もその流れで嵐を知って、好きになったのが櫻井翔でした。考えれば考えるほど沼なんですよ。みなさん櫻井翔のことをどう思いますか?櫻井翔、何を考えて何を感じて生きていると思います?櫻井翔にとっての幸福とか納得できる生き方って何なんだと思いますか?彼はどうしてジャニーズに留まっているんですか?

 

櫻井翔が背負っているもの、櫻井翔の変化のこと考えるとなんとも言えず胸が苦しくなります。彼はこうなりたかったんだろうか、彼は何を諦めて何を選んで今と向き合っているんだろうか、そんなことを考え出すと止まらないし、本当にしんどいです。一言でいうと私は、バカなのです。考える必要もないのに。ただかっこいい、好きだと叫んで疑問も持たず推しを全肯定するのが正しいファンの在り方だと私は、思っています。ごちゃごちゃ言うならファンでなくなればいいのです。

 

 


そんな訳で私は櫻井翔のファンをやめました。

 

 

子供ながらに私は「あっ私はこの人に対して平常心ではいられない」と気付き、その日から自分の精神の余裕のために櫻井翔のことを考えないようにしてきました。繰り返し言います。私は本当にバカなのです。バカな上に臆病です。


私の目に映る00年代の櫻井翔は、ずっと肩に力が入り過ぎているような歌い方、踊りをしていたイメージがありました。すごく「アイドルの自分」を一生懸命模索しているように感じました。12年くらいから肩の力が抜けるようになって、その頃からありのままの自分を楽しんでいるように見えてきました。それがなんだか嬉しくて櫻井翔は何を考えているんだろう?どうしてその変化があったんだろう?彼のことが気になって仕方がない、追えるだけの彼の情報、発言を全部追いたい。そう思っていました。でもそうする勇気はなかった。実在する遠い世界の他人、簡単に言うと芸能人にそんなに深く情を感じるのが怖かったからです。彼のことを知れば知るほど私は彼を身近に感じてしまう。私はこんなに彼のことが好きで人間として理解して彼のために何かがしたくて堪らない、のに、世界が違う。私達は対等に一人の人として関わることができない。私はただひたすら彼を全肯定する1ファンとして彼にお金を落とし見守る、というのが一番正しくて彼のためになるということを理解しながら、その役に徹する覚悟がなかった。だって彼は本当に同じ世界に実在して生きて、何処かの誰かに悩みを吐露して愛し合っている。そこに入っていくことはできない。入ろうとしてはいけない。


実在するアイドルのファンに向いてないです、私は。間違いない。芸能人と好きな友達(恋人、友人、知り合い?)との区別がつけられていないんですね………


彼と向き合うほど傲慢になるであろう自分が怖かった。バラエティもほとんど見ない私はそうして彼を避け続けていました。でももう来年には嵐が活動を停止してしまう。ジャニー喜多川さんが倒れた。そんな時期だからか櫻井翔のことを一度考えだしたらブワッと長年のこじらせが溢れてきて、ひとりでは処理しきれなくなったのでこうして産まれて初めて櫻井翔へのこじらせを言葉という形にしてしまいました…

 


櫻井翔をこじらせて、ファンでいるという道を選ばなかったことを後悔してはいません。後悔してないんだろうか?していないと思います。ファンでいたとしてもどこかでやっぱり私には無理だ、となっていた気がします。でも少しやっぱり勿体ないことをしたなとも思います。櫻井翔のファンでいたら私は今の私には想像つかないくらいめちゃくちゃな感情を経験して、死んでもいいと思えるくらいの幸福な瞬間も味わえていたのかもしれません。でもその道は私にとってはリスキーすぎた。ここまで読んでくれた人皆が思っているでしょうが、本当に私はバカなのです。最初からずっと何を喋っているんだ?という感じですね。全く意味がわからない。私は櫻井翔にとってなんでもないし、なんだと言うつもりもありません。櫻井翔に対して何かを成したわけではないけど、私にとって櫻井翔はずっと特別だというだけの話です。

 

 

二宮和也と彼の距離感について

 

あぁもうなんだかな本当遠いなこの人。

 

と思ったのが2017年12月31日に放送された第68回紅白歌合戦の司会を見たときで。SNSでもそつなく安定した司会っぷりが絶賛されていて話題にもなった。

 

総合司会の内村さんが居なくなった時も落ち着いた微笑みで有村架純ちゃんを見守ったり、芸人の適当な台詞もやんわり流したり、ぜんぶ拾って、ぜんぶやわらかに纏めて、次に繋ぐ。

 

あの空気を、初のソロ司会で、紅白という場で出せるのはちょっと努力だけでできるもんじゃないと思う。

 

彼が努力の人じゃないという話をしたい訳では勿論ないのだけれど、その司会っぷりから彼の「他人との距離の取り方」を感じ取ってしまって、あぁなんだか遠いなと思ってしまったのだ。

 

他人、だけではないかもしれない。他のもの。自分以外のもの。例えば、「紅白という一大イベントの場であること」「今話している相手が大物アーティストであること」「失敗やハプニングが許されない場であること」「生放送であること」とか、そういった事象全てとの距離の取り方が絶妙だと思った。

 

大抵の人はそこに入りすぎてガチガチに緊張したり、思い切ったことが言えなくなったりしてしまう。そして、それをイメージトレーニングとか経験とかいった努力でなんとかしていくのが普通だ。

 

でも二宮和也にはどこか先天性の、そういったものと自分との距離をとって物事に向き合う才能がある気がして。

 

ただ冷めている訳じゃない。あの見事な回しっぷりは勿論アーティスト、観客、その場の空気をよく見て居ないとできない。本当によく見ているんだと思う。その上で、その見えているものに対してじゃあ自分がする最善は何か、というのを落ち着いて、そして優しく判断できるんじゃないかな。

 

前述した緊張したり思い切ったことが言えなくなるというのはどこか自分と他の事象を繋げているから起きることだと思う。「今話している相手が大物アーティストである」という事象が、「大物アーティストに対して何か失礼なことがあったら自分が叩かれてしまう」という自分に繋がって、「緊張」という結果になる。


二宮和也の場合は「今話している相手が大物アーティストである」という事象は「大物アーティストだから失礼のないよう丁寧に対応するべきだ」というこれまた事象に繋がって、「丁寧に対応する」というシンプルな結果になったりしているんじゃないかなと思う。

 

勿論完全にそうだとは思わないし二宮和也だって緊張はするだろうよ。でも、少しだけ、他人よりそういう感覚が薄い気がしてしまったのだ。

 

繰り返し言うけど二宮和也が冷めているとか冷たい人だという話をしたい訳じゃないし、寧ろそれだけ他人をよく見て他人のために最善の判断を下せるのだから優しい人なんだと思う。

 

私の話になるけど、欅坂46のファンである私はあの2度目の内村さんと一緒に踊った不協和音の最後にメンバーの1人である鈴本美愉ちゃんが失神して倒れたとき、息が止まりそうだったのだ。


平手友梨奈ちゃんもずっと苦しそうで、パフォーマンス中も内村さんが気遣うシーンも見えて、そんな中での失神だったのでどうしようどうしようとめちゃくちゃに焦っていたのだ。

 

そんな中、二宮和也の「夢が叶ってよかったですね」の「棒読みじゃねえか!」という内村さんのツッコミに繋がるコメントと、ゲストが心配そうな顔をを見せる中でも笑顔で次に繋げる落ち着いた司会っぷりを見て、

 

めちゃくちゃに救われてしまったのだ。

 

そりゃそうだ。天下のNHK紅白歌合戦なのだ、少しハプニングがあって女の子が数人倒れたってすぐに対処できる。大事ではない、そして今他者である倒れた本人以外の私達にできる見守り、待つこと以外のことは無いから焦ったりせず落ち着いていて大丈夫なのだ。

 

そういったことを見ているこちらが感じ取れるような事象との絶妙な距離感にめちゃくちゃに救われた。
(あと欅ちゃん体調面ではニュース見る限り本当に大事ではなかったようでよかった…)

 

落ち着いた人間がいる、というのは何か大事が起きたときそれだけで救われるものだし二宮和也にはその才能があるのかなとも感じた瞬間だった。

 


というわけで纏めると二宮和也すげえなあ、になる訳だけども最初に書いた通り「遠いなあ」もあって。

 

色々ごちゃごちゃと書いてきたけど全部私個人が思っただけのことで本当のところの二宮和也がどうなのかは私には勿論わからない。でも、とりあえず二宮和也くらい有名で芸歴も長いと情報量も増えるし大体見ている人たちはメディアからの情報を受け取る中で自分なりに「この人こんな人間なんだろうな」というなんとなくのイメージは掴めるようになっているんじゃ無いかと思う。

 

大体そうやってイメージが掴めると芸能人である分元々遠く感じていたその人を近く感じるものだと思うけど、私にとっての彼の場合雑誌のインタビューを読んだり自身作曲の曲を聴いたりバラエティでの様子を見たり紅白の司会に救われたりした結果掴んだイメージの結果が「他者との距離が遠い」なので逆にリアルな遠さを感じてしまったのだ、という訳です。

 

遠いなあ。めちゃくちゃ優しくて才能ある男なのにすげえ遠いなあ。

 

でもこのリアルな手の届かなさが二宮和也の魅力でもあって、うーん悩ましい。

 

とにかく、最高の大晦日をありがとう。