「勝者なし」に関して

エコノミストの記事を翻訳してみた。

コメントが20個以上ついていて、どれも興味深かった。

記事の中で気になったのは、次の三点。



1.管総理によって国民の怒り爆発

2.自民党への批判

3.日本がこの災害を通して強くなるというのは幻想



1.に関して、国民の目線で考えて見ると、

管総理が仮に辞めたとしても、国民の怒りは爆発しない。

よく一年持ったなーという感じ。

日本人は、もっともっと忍耐強いと思う。

では、いつ爆発するか???

これを考えて見るのも面白い。



2.に関して、日本の記事にはまずない。

ほとんどが、民主党、管政権の愚痴を書いているだけ。

一方通行で、かつゴシップとしてしか捉えていない。

もっと、自民党の動きにもスポットライトを当ててもいいのに。



3.に関して、痛いとこつくなーという感じ。

震災前と震災後で、何が変わったのか?

日本という国のシステムが変わるようなことは起きていない。

あるのは、「修正論」

だから、本質的には変わらない。

日本のこの風潮の中、このような記事はまず書けないので

村八分にされる、被国民みたいな扱いを受けるのではという恐怖がある)

非常に新鮮で、考えさせられる。


あと、コメントで面白かったのは、

・麻生さんをもう一度首相に

リーマンショックに対する迅速な対応の評価が高いのか?)

・経済連の中から日本のリーダーを

(経済1流、政治3流を反映してるのか?)

・鳩山さんは無能、小沢さんは賄賂

(鳩山さんは米軍基地問題アメリカの記事でこっぴどく書かれたからその影響

か?小沢さんについての評価の根拠はわからないが、選挙に強いからとコメントに

あったような)


翻訳、続けて見ようかな。

勝者なし

エコノミスト、2011年6月2日

3月11日の地震津波への反応は日本社会が最も忍耐強いことを明らかにした。6月2日の国会、つまり議会での完全な失敗は政治が最悪な状況を示した。管直人は、彼は特徴のない、しかし、全体的に害のない首相であるが、彼は管政権の転覆を狙った内閣不信任案から逃れたのだが、それは彼が危機が和らいだ時に首相から退くというあいまいな提案をした直後のことだった。これは国家的な危機の最中での任期終了前の数カ月のための段階に至らせている。もし何か日本人の禅のような忍耐強さを擦り切れされるのであれば、まさしく彼の退任がそうであろう。

究極的には管総理は簡単に生き残った。彼は決議を否決するために232表必要であり、293票を確実にしたのだが、その票は参議院日本民主党の305席のほとんどから来ている。しかし、ほんの数時間前まで彼を脅かしていた何十人かの民主党議員による反乱を抑えるために、彼は高い代償を払った。

管は彼の執念深い前任者である鳩山幸雄にすべての人々を保障したのだが、それは彼がいずれは退くという事であった。これは鳩山氏を説得してきたように見え、鳩山氏自身は一年前に首相の地位から追い出されていたのだが、管氏に対する鳩山氏のふらふらしている民主党の派閥の票を約束するためだった。小沢一郎は、党内における管氏の他の主要な敵であるが、彼もまた票を放棄した。彼は棄権したのだが、彼は100名の勝敗を決定づける彼の派閥のメンバーに首相を支持することを止めさせはしなかった。

この浅ましい出来事から期待の持てるものは現れなかったのだが、特に内閣不信任案の主な発起人の中からは出てこなかったのだが、その発起人は自由民主党だった。仮に管政権が空前の災害に立ち向かったとしても、その災害では約23,000人が死者あるいは行方不明者であり、100,000人が津波によって家を失い、福祉原子力発電所メルトダウンが起こったのだが、自由民主党衆議院で復興運動に影響を与えうる予算に関連する法案を妨害する権利を使うと脅してきていた。

自由民主党は管総理の核問題への対処について攻撃してきたが、2009年以前の50年間の自民党時代における原子力産業への怠慢な管理の責任があるのにも関わらずにである。この不信任案のタイミングは管総理のエネルギー産業の規制緩和原子力発電の重要性を低下される最近の要請に関連しているかもしれないと疑う者もいる。

官僚によると、電力会社は、例えば東京電力であるが、自由民主党に多大な寄付をしてきた。寄付金は支持と呼ばれているかもしれない。“東京電力は国会議員達を訪れてきており、彼らは電力産業全体に対する脅威と損害を制限しようと本気になっている” と東京ソフィア大学のナカノ・コウイチ氏は言っている。

管総理の問題は民主党がどれくらい分裂しているのかをさらした投票に先立った土壇場の論争である。しかし、管総理ははもし彼が今年の夏の重要な法律制定に対する反対に打ち勝つためには民主党の全面的な支持を必要とするが、例えばその法律は損害を受けた地域の復興のための特別予算や法案に融資する予算である。彼はまた大規模な清掃費用を埋め合わせるために消費税を上げるかどうかを検討している。

東京のテンプル大学のジェフ・キングストン氏は全体の進展は政治的麻痺を付け加えるが、その麻痺が政治システムに対する信頼をさらに蝕む。特に投票に先立ち日本中、特に被害に襲われた地域の人々は彼らの憤激を政治家に向けており、政治家ががあまりに自己陶酔しているためにはなはだしく無意味な迷惑を彼らが引き越しているのを気づいていないと考えている。

おそらく最も理解できない事の一つはなぜ管総理はこれを彼のアドバンテージに変える機知を持っていないのかということである。この災害が起こってから、民衆は大胆な戦略に対して良く反応してきている。彼は彼自身の政党の内外の古い監視をあるもののために明確に説明してきたのだが、それは取るに足らず、現実とかけ離れており、負け犬の塊であるのだが、彼はこの厳しい試練からより強くなって現れてきたのかもしれない。彼は強くなっていない。残念なことには、日本もまた強くなっていない。

孫氏の兵法

百回戦って百回勝つよりも、戦いを避けるほうがよい。だっけ?

そりゃ、そうだよね。

当たり前の話。

同じ土俵に立って、自分も、相手も一生懸命になって戦うと、

どちらもダメージを受ける。

たとえ勝ったとしても、ねぇ。

逆に、違う土俵で成長すれば、無駄なコストが減るよね。


例えば、パソコン市場。


季節の変わり目新モデル→値下げ→新モデル→値下げ

このサイクルの中で、

多額の広告費を費やすことになる。

技術的にも容量アップとか、Windowsのバージョンアップくらいしかわからん。




他の分野に出てってもいいんじゃないか?

そしたらR&Dだっけ?に費やすお金をもっと増やせるんじゃない?

革新的な技術ができるかもしれない。

そして、それはその会社の売り上げ、利益率の上昇になる。



では、他の分野に出ていけない理由は?

たぶん、怖いから。

今のまま、売り上げは上がらないけど、

このままいけば、食っていける。

あのライバル会社には負けたくない。

そんな感じだろう。

もしくは、

ある程度、形が決まってしまっているので、

革新的な技術が生まれる要素がない。



例えば、

「タオル」で考える。

タオルは素材、大きさ、形、デザインによって決まる。

芸術性は置いておくと、これ以上進化する必要性がない。

(ように思える。)

つまり、タオルには、技術的な革新が限りなく起こりにくい。

それに、タオルは生活必需品かつ消耗する。

だから、ほっといてもお金が入ってくるシステムを持っている。

なんで、海外に行かなきゃならんと感じている。



競合する会社がある場合の基本的な戦略とは?

それは、差別化を図ること。

タオルを決定づける4つの要素、+コストで競う。

その枠組みを超えることはない。


しかし、いくらタオルの種類を増やしたところで、

お客さんは何十枚ものタオルを使う必要性がない。

せいぜい、トイレやキッチン、風呂場で使う程度。

贈答用タオルだって、用途は同じ。

だから、そのフィールドで戦うのは良くない。将来性がない。


それよりも、戦わなくてよい場所にすみ分ければいい。

タオルで、人形を作ってみては?

タオルを外国に輸出してもよい。

吸水の技術を使って、なにか面白い事を考えてみたら?

保水性抜群のタオルで、砂漠でもそのタオルの上なら

植物育ちます。とか。



ではでは、わが身の事を振り返ってみましょう。


銀行に就職した場合、

優秀な社員(少なくとも僕と同レベル)と

昇進というすくなーい椅子をめぐって戦うことになる。

僕の強み?

英語ができる帰国子女もいるから差別化できないし、

勉強はもっとデキルやつがうようよいるでしょう。

公認会計士、税理士の資格もちもいるかも。

生かせるとしたら、ハングリー精神か?

だけど、精神論は嫌い。

理不尽な命令は、大っきらい。

体育系じゃないし。Мでもない。

まず、僕を雇わないといけない理由がない。

代替可能だ。簡単に。

そんな会社が、僕を本当に必要としているのか???

疑問がふつふつと湧いてくる。



商社に就職した場合、

銀行と同じく、優秀な同期、上司、後輩の中から、

とびぬけた成績を収めないと、彼らの中から僕を選ぶ根拠がない。

私の強みは、英語。

みんなTOEIC高得点。帰国子女うじゃうじゃ。

僕を雇わなければならない理由は、本当にどこにもない。

リーダーシップ??

いったいいくつの部活、サークルの代表が日本の大学生にいるだろうか?

万単位だろう。そして、人事の人は、そんな話聞きあきている。



じゃあ、あえて選ばれるためには??


本番の営業力、実績、コネ、外見。


1)実績、コネ
  
  これはない。実績というと、学歴、交換留学、国費、奨学金、GPAか。ひょっと

  して、いやしなくても、学業を押すほうが正しいのかも?


2)本番の営業力、外見

  外見は、髪切る。大丈夫。本番の営業力は練習するのみ。ここが弱いな。



僕を欲しい会社の視点で言うと、

本気で海外に行きたい会社。

海外に行かないと会社が立ち行かなくなるレベル。

かつ、会社内にそのような人材がいない状況。

そんな会社は僕を欲しいだろうな。



僕が行きたい会社は、

海外と強い結びつきをつくろうとしてて、

個人の裁量が大きく、

将来独立しやすい環境を持ち、

給料が高い。

あと、僕に期待している会社。

これは、単純に期待されたり、ほめられると頑張るので。





しっかり考えていきましょう

今日の面接の反省

さっそく、昨日決めた計画が頓挫。




それはともかく、面接

もうひとりの方が非常に印象的。

自分の過去を客観的に、かつわかりやすく話していた。

こりゃ、練習してるな、って感じ。

ポイントは、過去の自分を突き放す話し方。

例えば、小学校、中学校の話。

勉強に自信を持っており、なんでもできると思い込んでいた。

要は、井戸の中の蛙だと。

しかし、高校の時に始めたハンドボールでの挫折で意識が変わった。

それからは、努力することの大事さを学んだと。



話し方にも工夫がある。

ハンドボールで努力したと。

面接官から、じゃあ、どんな結果が得られたのか時に、

優秀選手に選ばれたと。



あとは、自分の強み、弱みについて。

周りの人から、どんな人物と思われているか。

そして、それについて、自分はどのように考えているか。



自分の面接の良い点。

強さ、実績は示せた。


悪い点。

話が長い!!!
抑揚なし。
間の取り方考えてない。
餌をまいたほうがいいような気がする。



自分に自信があるかと聞かれた時。

あると答えた。

僕の中では、自身があるというよりは、やりとげるという覚悟があるという事だ。

もしくは、責任感がある。あるいは、使命感がある。

それは、どこからきているのか。

これを、分解しよう。

一つは、家庭環境。常に、長男として、あるいは、サッカーでも中心プレイヤーとしての役割を求められた。




あと、参考になったのは、自分が成長したいという意欲を持つ事。

ただ、僕の場合の成長は、他人が考える成長とは視点がちょっと異なります。




僕が感じる他人が思い描く成長とは、何かできなかったことができるようになること。

私の成長とは、困難な状況にもがきながら、乗り越える、逃げる。それを通して得た考えかたを吸収して、次に生かせる状況にすること。


国語辞典を引いてみる。

すると、

成長とは、

1、人や動植物が育って大きくなること。おとなになること。

2、物事の規模が大きくなること。拡大。

自分が成長したいと思う場合、身体的には大きくなることはないので、おとなになることとみなせる。

では、おとなになるとは?

あるいは、人が育って大きくなるとは?

3点あると思う。

1点は、体がそだつ。単純明快。

2点目は、技術を習得して、扱える物の数、量が増える。

3点目は、心。これは難しい。

僕が思うのは、自分の価値観を形作る事。

物事の善悪、善し悪しに対して、明確な判断基準を得ることが心の成長。

2点目と3点目については、相関がつよい。

例えば、医者としてのスキルを磨くことは、

医者としての判断基準を得ることである。

なぜなら、医者としての技術というのは、

患者の症状を判断するために作られている技術の集合だからだ。

会計についてのスキルを身につけるとする。

すると、必然的にコストについての判断基準を持つようになる。

つまり、良いコストと、悪いコスト、あるいは、良い収益、悪い収益などです。

例えば、ある会社があります。

当期は収益がたくさん出る。しかし、来期は確実に赤字だという状況があります。

そして、当期、車を買いました。そのコストは1000万です。

減価償却費を計上する際、会計の基本的な知識さえあれば、

当期にその費用を出来るだけかけて、税金を減らすようにします。

他の人から見れば、同じコストです。

でも、見る世界が違う。

心理学の世界では、

「人は自分が見たい世界を見る」

これが、前提となっている。

いわゆる井戸の中の蛙。そして、井戸の外の変化を見ようとせずにゆでガエルになる。


英語もそうだ。コミュニケーションとしての技術を通して、考え方(価値観)を学ぶ。



技術というのは、マニュアルの集合だと思う。

先人の知恵で、(1)Aであれば、Bと対応する。

(2)Cであれば、Dと対応する。が、わかったとする。

これの集まりが、技術となる。

しかし、ここで問題がある。

(1)、(2)を結ぶつながりがなければならない。

そこに登場するのが、考え方(価値観、論理)である。


面白い事実があります。

私たちが真実だと考えている

ダーウィンの進化論は、実は証明されていない。

だから、私たちは、「神が人を作り出した」

というインチキくさい説を否定することはできない。


事実と事実をつなげる考え方は多様であって、

もし、「神が人を作り出した」

という説が真実であった場合、

それは、進化論を崇拝する私たちにとって

多大な損失を生んでいることになる。



誤った考え方のこっけいさやそれが引き起こした悲劇は

魔女狩り」、「天動説」、「錬金術

など、歴史が証明している。



僕は、成長というニュアンスは好きだが、その言葉自体は好きではない。

その言葉が持つ、大人になるという意味に含まれる

ネガティブなイメージが好きでないからだ。

ネガティブなイメージとは、

考え方が凝り固まり、自分の見たい世界を見る

という性質を指す。


僕にとっての大人とは、子供の対義語である。
1、20歳以上
2、独立して生活している(出来る)
3、考え方が凝り固まっている(分類する軸を持っている)
4、知的好奇心が低い


では、子供とは、
1、20歳未満
2、被独立
3、考えがふらふらしている(分類する軸を持っていない、が軸が奇抜)
4、知的好奇心が高い



ちなみに国語辞典によると、

大人とは、

1、成長して一人前になった人
  a.一人前の年齢に達した人
  b.一人前の人間として、思慮分別があり、社会的な責任を負える人。
  c.昔は、元服後の男子、裳着を済ませた女子
2、一族、集団の長や、年配で、主だった人。長。頭。

現在から捉えると、ある年齢に達しているという意味では正しいが、

「思慮分別がある」

「社会的な責任を負える人」

ここに納得がいかない。

そもそも、思慮分別がなく、社会的な責任が負えない大人は存在する。

しかも、その思慮分別があるという判断はどうやってくだすのか?



僕が思うに、社会には許容される判断基準がある。

その枠に入り切れれば、思慮分別がある。つまり、大人。

入りきれなければ、思慮分別がない。つまり、大人じゃない(子供)


以上の事から推測すると、

ようは、子供の時に持っていた判断基準を捨てて

社会的責任を果たすための判断基準を得た人が大人だとみなされる。

のではないだろうか。

社会とは、家族、会社、コミュニティなどであり、それぞれに判断基準がある。


社会不適合者と呼ばれる人は、彼らの持つ判断基準が、

社会的責任を果たすための判断基準に矛盾しているからなのだろう。


他にも、「一人前って何?」

「他の言語で成長とはどう解釈されているの?」


など、疑問はたくさん。


おもしろい。

書きたくなったので

今の心境はもやもやしている。

感覚で言うと、高校三年生から浪人していた時期と同じ。

ESを書かないといけないのに、締め切りまでゆったりしていて書かない。

OBの方から連絡があったのに、電話取らない。

ゼミを休む連絡も遅い。

家の手伝いも中途半端。

家の財布を無くす。

ネガティブな考えが頭の中をめぐる。

そして、それから短期的に逃れようと、いましなくてはいけないことから逃げてばかりいる。

プライドが高く、他人に相談することができない。

かといって、自分で積極的に解決しようという堅い意志がない。

今現在、7時までに第一回、卒論発表があるが、準備も、構想すらない。

僕は、頑張り屋だと思っている。

しかし、その強みが全く生かせていない。

環境を変えなければならないのか?

それは、ある意味簡単だが、環境を変えられない場面にもこれからは直面する。

じゃあ、そんな時はどうしようか?

誰かが言っていたけど、マインドセットが大事なんだろう。

自分の感情をどうやってコントロールするのか。

どうやったらうまくいくのか。

いっぱいいっぱいになって、ようやく走り出すのでは、遅い。効率的でない。

仮に出来たとしても、完成度が低い。

これは、留学中にも気づいていたことだ。

どうやって、自分を変えるか。

どうやって、コントロールするのか。

逃げたくないし、妥協したくない。

でも、自分から目の前にあるチャンスを逃している。

なぜ?

本当はしたくないから?働きたくないのか?

そうではないと思うが、

自分の深層心理を知りたい。

とりあえず、

久しぶりに思った事を書いてみた。

マネマネ作戦

内定を得るには、

1、ES
2、Webテスト
3、若手社員(各部門)面接
4、人事面接
5、役員面接

この過程をクリアすることが求められる。

1,2,3は、ほぼクリアするとして、

僕の現在のボトルネックは、4と5。

その出来を左右するのがプレゼンだと仮定する。

要は、プレゼンがうまくなれば、内定ゲットに多いに近づくと考える。


そこで、「マネマネ作戦」を実行する。


1、面接練習ビデオ撮影

2、プレゼンがうまい人との比較、調整、改善(要は、マネる)

を面接の練習で研究してみることにする。

1については、以前、英語で経験済みだ。

ただ、自分の姿がめちゃくちゃ恥ずかしくなるほど、


挙動不審、

目が泳ぐ、

ドモル、

手ぶりが意味不明、

かつ、常に薄気味悪い笑みを浮かべている。


1分もしないうちに、毎回ビデオを止めている。

いまもはっきりいってみたくない。



が、その姿を他人に見せていることになる。

これは恥ずかしすぎる。

これでは、内定をいただけないのも納得だ。



勇気を持って自分のパフォーマンスを確認し、

客観的に見て、どこを修正すればよいのか、

どうふるまえば、魅力的に映るのかを

研究する。


これを6月までの目標にする。

方法は、

設問ごとに録画。パターンは1分、3分。

それを見直しながら、改善する。

研究するのは、日本人だと、孫正義大前研一
外国人だと、オバマ大統領、スティーブジョブス、キング牧師

手元にある面接の設問は50個。

50÷10で5日とする。

1設問取るのに10分、見るのに10分、改善点を書き出し練習するのに10分、
再び撮るのに10分、計40分

40分×10個=400分。つまり、6時間。

では、5W1H

いつ→朝の5時から7時まで(2H)、昼間10時から2時まで(4H)

   これで足りなければ、夜オール(?H)

どこで→河原(朝)、家(昼)、夜(カラオケ)

なにを→面接練習

どのように→達人のマネ(態度、顔つき、喋り方、声、雰囲気、抑揚、カツゼツ)

持ち物→時計、カメラ、本、原稿、気合い、リポビタン?


考えられる問題点。

1、続かない
2、改善しない
3、時間がない


問題点への対策

1、アメとムチ作戦

1日のノルマ達成ごとに、その時一番食べたいおやつを食べる。(1000円まで)
5日後、映画館で映画を見ながら爆睡する。

2、物まね作戦

達人プレゼンをYoutubeで見て、項目ごとに特徴を書き出す。それを自分に当てはめる。

3、短期集中作戦

5日なので、頑張ろう!!!具体的には、


1)練習に費やす時間を作る。
   
  単に、カレンダーを作る

2)練習時間の短縮を図る。

  慣れれば、速くなるハズ!!!

3)ビタミン剤を飲む


とりあえず、5日間、頑張ってみて、その経過を分析する。

効果が出ているようであれば、継続+改善。(多少の軌道修正)

あるいは、根本的な作戦変更を行う。(効果が見られない場合)


あと、Webテストの問題をさぼらずに解く。これも作戦を作るべき。

大学受験でのカンニングとWebテストでのカンニング

カンニングはいけないことなのか?


これは文脈で異なる。


学生だとアウト。


なぜならみな同じ条件で勝負しないといけないから。道徳の授業でもずるはいけませんと教えられている。カンニングがバレれば、高校生であれば他の教科も零点になるケースもある。大学生だって同じ。


社会人だと、おおむねオーケー。


なぜなら、みな競合他社と同じ条件で勝負したくないから。つまり、自分が相手よりも優位に立ち、勝負に勝てるぞ!と見込んで仕掛けるから。孫子がいうところの、「敵を知り己れを知らば、百戦して危うからず」とはまさにそのこと。例えば、海外進出しようと図る会社の社員が海外での事例を調べたり、識者に話を聞きに行ったり、現地で実際に需要があるのかどうかを調査する。もちろん自社の財務状況なども考慮する。そこでは競合他社が「知らない」「知ることができない」情報が高い価値をカンニングする。そして、「いける!!」と確信してから勝負するのが鉄則だ。



では、就活生では???



就職活動には「Webテスト」という大学受験で言うところの足きりに当たるテストを「オンライン上で」受験する。就活生を見張る目はどこにもない。


「一緒にWebテストを受けよーよ!!」


私の友達は知り合いからそういって誘われた。彼女は断ったそうだが、友達同士で「カンニング」してWebテストを受ける人がかなりいるそうだ。


今回、京大カンニング事件を知って、カンニングをしている就活生は人事ではないと感じたのだろうか?あるいは、見つかるなんてあほだなーと思ったのか。というか、そもそも自分がカンニングをしているという自覚があるのだろうか。


今回、多くのメディアがこの問題を取り上げ、識者がそれぞれの意見を述べるのは、「カンニング」という行為が私たちにとって身近であるにもかかわらず、多くの人が自分がカンニングをしているという自覚すらないことに警鐘を鳴らしたかったのではないか。


自分のことを棚に上げるな!!と。


僕自身もカンニングをしていないといえば、うそになる。もちろん、テストでは一度もそんなことを考えたことはなかった。しかし、留学制度に申し込む前に、希望する留学経験者の方から授業や大学生活についてかなり教えていただいた。そのため、志望理由をかなり具体的に書くことができた。結果的に面接も通過し、留学が決定した。何も知らない人(つまり、自分から希望大学の情報をカンニングしようとしなかった人)よりは、選考において有利に立てていたのではないかと思う。


私はカンニングをした学生の肩を持つわけではない。彼には、自分は学生なんだという自覚を持ってほしい。そしてなにより、一生懸命がんばった人が報われてるような受験のシステムにするべきだ。


そのカンニングをする能力は社会に出てから生かしてほしい。実際に実行するかどうかは別として、私には、このようなカンニングを全く思いつかなかった。世の中の99.99%の人がそうだろうし、だからこそ、大きな話題になった。



私は社会に出て、99.99%の人が思いつかないようなカンニング方法を見つけたい。そして多くの人がそう願っているだろう。


ただ、社会人であっても最低限のルールは守るべきだと思う。他人を傷つけるような方法で自分だけが一時だけいい思いをしてもそれはむなしいことだ。



なぜなら、そのカンニング方法が非常に有効だとわかれば、みんなに広まるからである。その方法が社会に良い影響を与えるのであれば広まるべきだが、それが悪い影響を与えるのであれば、有害でしかないからだ。


最後に一言。

Webテストでずるしていい点とろうとしているやつなんかに負けてたまるか!!
満点取ってやる!!!ふんっ!!