セーラー服の一生

杏南15さいの人生

神様のキャンディ

神様の味がするキャンディ、チャオ

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半透明のアメがチョコレートを包んだキャンディ

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口に入れると水飴の独特の香りと、大粒キャンディ特有のすこし粉っぽい香りが鼻に抜ける。

この香りを嗅ぐと小さい頃に引き戻される。センチマンタリスム

しばらく口の中で楕円形のキャンディを転がして口中を甘く染めてゆく。

 

そして唐突に噛む

 

中から溶け出してきたチョコレートとアメのカケラが混ざるチャリチャリを耳で楽しむ。

周りのアメが溶けきってからチョコレートを向かい入れるなど、それほどの邪道があろうか

 

溶けるアメのカケラを味わってうるとき、それはそれは幸せなキブンになる。

 

 

冬の朝に食べたいキャンディ

2017.8.25

16さい

16歳になりました。


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自分への誕生日プレゼントは、向日葵とリンドウの花束。
本当は青の金魚草と向日葵にしたかったけど、贔屓のお花やさんが閉まっていたのでやむなくリンドウにしてみた。おめでとう私

黄色とブルーの組み合わせは普段はそんなに好きでもないんだけど、なぜか今年の春頃から
自分への誕生日プレゼントは向日葵と金魚草の黄色とブルーにするって決めてた。

 

誕生日は8月なかばだったから向日葵はもう枯れちゃいました。

縁日に風情などなかった

ロックバンドが演奏を披露し、ケバブの移動販売やフォトジェニックな飲み物を売るテントが連なり、ナチュラル系雑貨屋がキャンドルや骨董を売っている。

そんなのどこのフェスだよ。アラサーのインスタグラマーが好んで写真撮りそうなやつ。

近所の神社の縁日の様子がこのサマなのだ。

ここの神社の縁日(正しくは夏祭りか?)が悪い方向に現代的になっていったのはわたしが小学校高学年の頃くらいからだったと思う。つまり4-5年まえのこと。

それ以前は、ドラえもんのカステラやたこ焼き、ヨーヨーつりなどの一般的な屋台が並んでいた。しかし、ある年を境にだんだんと車の移動販売の食べ物が増えていった。今思えば、それが現在の有様になる兆候だったのだろう。ある人が言うには、テキ屋との関係が面倒なことになり、神社にそれは不適切だということで飲食物は移動販売のみになったといううわさだが…

祭りの様式が変わっても、変わる前と同じく祭りにいる人がなかなか少ないのがこの神社の魅力だった。花火大会のような圧迫感はなく、境内に並んだたくさんの黄色い提灯を眺めては夏が終わりに近づいていることを憂うというのは非常に風情があると子供ながらに思ったものだ。

だが、今年は、冒頭に記した通りに完全に"インスタ世代寄り"の祭りになってしまっていた。

この祭りは本来ならば、盆に帰ってきた魂のためにあるはずだ。今年に身内が亡くなった家からは灯篭を出すのがこの祭りの伝統である。

それが、ただ人が楽しむだけのものになっていた。だから境内にいる人は少なく、鳥居を入ってから境内の下までにものすごい人がごった返して、レモネードやらおしゃれなカクテルやらを飲んでいる。人口密度は去年までの比ではなく、身動きが全く取れない。まるで有名な画家の展覧会の最終日みたいだ。

神社の関係者はそれでいいのか?使者たちもそれでいいと思ってるのか?

おそらく今年の祭りの企画には、おそらくイベント会社が一枚噛んでいるだろう。とにかく今年の祭りには風情など何もなく、ただうるさい、おしゃれ、インスタ映え、というものばかりの浅はかすぎるものだった。来年からもこんな様子ならば、二度とあの神社の祭りには行かないだろう。
わたしはまだ15の若造だから昔の祭りなど無論経験していないし、盆踊りに懐かしさを覚えることもない世代だけれどもこういう祭りはおかしい。わたしですらおかしいと思うんだから、近所のおじいちゃんおばあちゃんはどう思ったのだろうか。
伝統が廃れていくことに憤慨しつつ、それを哀しいと思わない人が大多数であろうことを悲しく思っている。



あなたの愛する祭りに、そういう予兆はないだろうか?

野ばら少女

イチゴ味の朝、ミルク色の空…


私が人生で一番衝撃を受けた映画『下妻物語

この映画を見る前にどんなものを素敵と思って、どんな服を選んでいたのか。なんにも思い出せないくらい、下妻物語は私の価値観を数時間にして構築していった。

朝起きたら Super shomin car を爆音で流しながらミックスジュースを飲む。髪を三つ編みにする。

授業中はひたすら「かわいい」について考察して造詣を深める。

ホットミルクを飲んでからベッドに入って A Place for me and you を聴きながら眠る。

そういう日常が、全部下妻物語をきっかけに始まった。私の「かわいい」は、SNOWで顔を動物にしたりすることではなくて、日常の空気感を楽しむことで満たされていっている。
私の他にもきっと、映画をきっかけに世界が変わったひと、多いのではないだろうか。

また、例のその映画は私に、嶽本野ばらに傾倒するきっかけを与えてくれたものでもあった。
元から私の周りには、嶽本野ばらを病的に崇拝している人がちらほらいたのだが、多少ではあるが、まさか自分も彼女らと分かり合えるようになるとは思ってはいなかった…
学校では、最近は「それいぬ-正しい乙女になるために-」をよんでいる。
「それいぬ」には、野ばら氏の想う理想の少女像や、女学生の処女性についての多くの記述がある。
「冬に野暮ったい大柄のコートに身を包んだ女学生にこそ色気がある」という意見には、私も心から賛同したものだ。
長いスカートの下に隠された脚にこそ、女子の神秘がある。私はそう思っているから、自身のスカート丈を極端に短くしようと思ったことはない。

私には私の美学があるから、「それいぬ」のなかで野ばら氏に一切賛同できない局面もある。それもあって、崇拝している、というわけでは決してないのだが、嶽本野ばら氏、好きです。青く澄んだ空気の中に住んでいそうだ

しばらくしたら、私の想う理想の女子高生像について書こうと思う。自分がまるっきりそうであるわけではないけど、いくつか思うところがあるから

夢の彼女

今週のお題「ちょっとコワい話」

夢に出てきた女の子に恋をした。
私も女なんだけど、その子のことが大好きになっちゃった。

私は夢で、学校の講堂でバドミントンの試合をしてた。ふと隣のコートを見ると、二人の男に肩車(騎馬戦を想像してほしい)されながら試合をしてる女の子がいる。その子は転校生だと聞いた。
高い位置からスマッシュを決められるせいで、女の子の相手はぼろ負けしていた。そんなの卑怯だろう。
堪え切れなくなった私が「それはルール違反でしょう」と注意すると、二人の男はその女の子にメロメロなようで私にひたすら文句を言ってきた。
私は呆れて、食堂にご飯を食べに行くと、その女の子がどうやら怪我をしていた。反則をしていた子だとはいえ、怪我をしている子を放って置くわけにはいかないので手当てをしてあげた。ありがとう、と微笑まれたとき、わたしははじめてその子の顔を直視した。
サラサラの真っ黒い髪を、肩にギリギリつかないくらいの位置で切りそろえたボブヘアに白い肌、おおきいわけではないけど綺麗な形をした目。男二人がメロメロになるのも納得なほどに魅力的な雰囲気。

私は完全に恋に落ちていた。
夕方、家に帰ろうするとき、その子もいた。一緒に帰ることになった。

並んで歩いているとき、その子に「私と一緒の世界においでよ」と言われた。

「でもそしたら、もう私の家族には会えないの?」
「会えないね」

私はもう家族や学校のことなんてどうだって良くて、 どうしてもその子と一緒に居たかった。ずっと一緒に居たかった。だけど、理性が働いたのかどうなのか、いつの間にか私は断っていた。

断ったけど、私はそこでその子に告白した。

「一緒には行けないけど、私、あなたのこと、何よりも大好きだから、それは忘れないで」

「じゃあ、私の家の場所教えてあげる。今度遊びに来てよ」

教えてもらった家の場所は、私の家から20分くらい歩いたところにある通りの一角だった。

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夢から覚めても、まだ胸がドキドキしている。
ちょうどその日は用事があって、出かけることになっていた。

用事が終わってもなお、私はその子が忘れられていなかった。外出したついでに、その子の家を尋ねてみようと思った。

その子の家がある通りのバス停で降りて、通りをキョロキョロしながら歩いた。場所の目星は大体付いていたからそこを目指しつつ歩く。夢の中で見た、その子の家は黄土色の壁の二階建てのアパートだったからとにかくアパートを探す。

10分くらい通りを直進していると、前方に ピン ときた。「あそこだ!」と。

そこまで早歩きで向かう。あそこだ、絶対あそこだ
外壁は黄土色。アパートではなく、高層のマンションのようだ。だけど、絶対にそこなんだ。


その建物の前についたとき、私はあまりの驚きに立ち尽くした。だが、一瞬の間を置いて怯えるとともに心の片隅で納得した。



そのマンションの一階、稲荷神社だった。



私、呼ばれたのかな。私に、伝えたいことがあったんだろうか。ちなみに私の家は稲荷信仰ではない。

ちょっと怖かったけど、何もないよりマシかもしれないと思っている。会いたくなったら、そこに行けばいいんだから。
一緒の世界に行っていたら、どうなっていたの?


ちなみに一昨日の話です。

荒削りかき氷

氷がふわふわで最高!1時間待ち大行列!1000円!


最近のかき氷には氷がふわふわであればあるほどいい、といったような風潮があると思う。

氷に1000円払って画角にこだわる人々もいるし、いまは空前のふわふわ氷ブームなのである

ふわふわ氷はうまい。口に入れるとほろりと溶け、上にゴロゴロフルーツが乗っていて、すぐ溶けるからすぐ食べ終わる。儚い。お祭りでかき氷を買ったとき、友人は「ここの氷、荒いじゃん、やだ」と言った。

以前の私も、友人と全く同じような考えの持ち主だった。「ふわふわな氷は正義、荒い氷は悪ーーー」
だが、今日喫茶店で食べたある氷をきっかけに私は荒い氷に目覚めてしまったのだ


これが、私の考えを一変させた張本人

ソフトクリームかき氷イチゴ味(税込680円)

ここの喫茶店の氷はとにかく荒い。長径3〜5mmあろうかという氷。口に含むとチャリチャリと鳴る。

この氷をひとくち口に入れた瞬間、脳の中でパチパチ音がした気がした。そのくらいおいしかった
氷の径がおおきいのでイチゴ味の冷たいキャンディを舐めているような気分になる。これが、思いの外幸せだった。
冷たさで痺れた舌の上を、鼻に抜けていくイチゴシロップの香りは夏の香りだと思う。
氷が荒くて丸いとキャンディのように楽しめるなんて今まで知らなかった。祭りのとはまた違った食感
それに、溶けにくいので長く美味しさを楽しめる。お腹もいっぱいになる。そして、なんか夏の味がする。
素晴らしい事実を教えてくれた喫茶店に感謝…

今の日本ではふわふわ氷党支持者が圧倒的多数だと思う。だけど、機会があったら粒が荒い氷のかき氷を食べて見てほしい。お祭りで、じゃなくて喫茶店など落ち着いて味わえる場所で。

ふわふわのかき氷にはマンゴージャムが合う。だけど、イチゴのシロップが合うのは荒削りかき氷だけ。

葉月ちゃん

葉月ちゃんの名前の由来って、なんなんだろう?
8月生まれだからなのかな。

 

この前、(8月入ってから)ある食事会に行った。その食事会は毎月行われているもので、私はたまに参加するだけ。参加者は数百人規模
しばらくして、「お誕生日の方のお祝いを致します。〇〇様、〇〇様、…」
ちなみに私の誕生日は8月なのだが、そこで私の名前が呼ばれることはなかった。まあ呼ばれないだろうとタカをくくっていた私は、聞き流しつつ真顔でババロアをたべていたわけだが

 

ここで、私の名前がもしも「葉月」だったら、私が誕生日を祝われなかったことが周りの人間に筒抜けだったのである。
私含め、大概の人間の頭の中では
8月=葉月=葉月ちゃん=八月生まれ
という方程式が成り立っている。
世の中の葉月ちゃんたちは、8月に誕生日を祝ってもらえなかった時に、ハッピーバースデーしてもらえなかったこと即バレ、というつらい日々を送っているのだろうか…名前からわかるから、忘れられることなさそうだけど

 

8月生まれじゃない葉月ちゃんっている?

 

とりあえず、世の中8月生まれの葉月ちゃん、お誕生日おめでとう。先に(後かな?)お祝いしておきます