24/7

獅子の一瞥を喰らいたい。

長野くん結婚おめでとう。

まさか月に2回も長い文章を書くことになろうとは。

でも、確実に9年前よりも落ち着いて画面に向きあっている自分が居るので「私もそれなりには『大人』になったんだなぁ」と思う次第です。

 

探したら、当時のブログのデータがまだPCに残っていたので薄目で読みました(笑)

とんでもない熱量で…若いって本当に恐ろしい。分別をもって成長してきたつもりでも、あの「私が!!私が書いているんだ!!」という「前へ前へ感」は我ながら気持ち悪いなと思いました。

 

V6で二人目に結婚を決めるのがまさか長野くんになろうとは。

11月29日の朝、まだベッドの中に居た私に飛び込んできたニュースは寝ぼけた頭にそのまま頭上の天井が落ちてきたような感覚すらありました。

 

 

ただ、朝9時くらいの時点では真偽の判断ができず、もう一般の社会人の皆様の出勤時間は過ぎていたので私のTLにもこの事実に気づき始める人はまだまばらでした。

 

 

それが、情報番組で速報が入り、各ニュースサイトがお相手も込みで取り上げ始め、昼過ぎくらいにはTL上も驚き・祝福・ネタ・情報ツイートが入り乱れる感じでざわざわし始め、なおかつFCからの立派で真っ白な封書もチラホラ確認され始め、私も漸くこのあたりで「確情か…」と郵便受けとリビングを行ったり来たりでソワソワしておりました。

 

 

 

真っ白な、本当に結婚式にでも参加した人がもらう、上質なプログラムのようなその手紙を長野くんが自分で選定したのかと思うと、こみあげるものがありました。

 

私はまーくんファンを名乗ってもう約18年になりますが、長野くんはまーくんの「唯一無二の戦友」だと常々思っています。

似たようなプロセスで、似たようなチャンスに出会い、同じグループになり、その中で更に隣に置かれることも多く、同じ景色もたくさん共有してきたでしょう。

友達以上、仲間以上、家族以上、「メンバー」という言葉にでさえ溢れてしまうくらいの色んな思いのつまった唯一無二の人。

「優しいのは井ノ原の方」と言ってしまうくらいに優しくて、誠実。そんな人だと思っています。

V6にとっても、長野くんの包むような「優しさ」と、時には現実主義な一面があって本当に良かったと思います。

 

 

 

そんな日に、6人揃って「ベストアーティスト」に出演したわけですが。

9年前のアレコレを見直し、極限までソフトな感じに切り詰め、それでいて盛大に祝福するということは、恐らく6人だけでは実現できなかったことだと思います。

あの場に、長年の苦楽を分かちあってきたTOKIO。信頼できる真面目な後輩の嵐。場を盛り上げるためクレバーにいてくれる関ジャニエイト。

そして今年唯一のCDシングル『Beautiful World』の歌詞

 

ほら 今 君となら世界はこんなに美しい

 

このたったワンフレーズの素晴らしさに、胴上げされる長野くんを見て泣かずにはいられなかったです。

でもそれが、悲しみなのか嬉しさなのかはわからないのです。

9年前も思った「あぁこの人たちなら大丈夫だ。これからも何も変わらない」という安堵の涙だったのかもしれません。

 

人間は生きていく間でたくさんたくさん変化していくのに「V6」には何も変わらないでいてほしいと「不変」を願ってしまいます。

『結婚』という大きな節目とアイドルが巡りあった時に、私がファンとして揺らいでしまうのは「変化」を恐れるからだと思います。

それは、彼らの「変化」も私たちの「変化」も含めて、です。

きっとこれで、ファンを卒業していく人も少なからずいるでしょう。距離を置く人もいるでしょう。

それでも、今日も明日も明後日も私は「ファン」として生活を送っていくのでしょう。

それが寂しくてたまらないのです。

 

進んできた道は皆同じはずだったのに、また一人また一人、あの時出逢った人が立ち止まり、その道を歩くことを止めてしまう瞬間に立ち会うのも、それを置いて進んでいく自分が居るという事実も、全てが寂しい。

 

「アイドルのファン」とはなんとも面倒くさい生き物だと常々自負していますが、

その面倒くささを強く実感するのはこの時ばかりを置いて他にありませんね。

 

V6が好きな人みんなが幸せならそれでいい、なんて私の驕りでしかないのでしょうけれど、昨日太一くんが「長野くんの幸せはジャニーズ事務所の幸せ」と言ってくれたので今回ばかりはあながち間違った感情でもないようです。

 

なにはともあれ、長野博さんご結婚おめでとうございます。末永くお幸せに。

まーくんさんのこと最初に「最後の砦」って言った奴は数日悪夢に魘されればいいなぁと切に願います(笑)

青春の光を。

久しぶりに「twitterの140字じゃ書ききれない!!」と思い、最近連打してなかったキーボードの練習も含めてKinki Kidsが出演した第400回記念の「SONGS」を見た雑感を書こうと思う。

 

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私がそもそも「ジャニオタ」という生き方を選んだのは、小学生の時に堂本剛くん演じる金田一一とドラマ版「金田一少年の事件簿*1との出会いに遡る。

 

パッチリ二重のベビーフェイス。関西出身の明るいキャラクターにバスケ少年でオシャレ好き。歌も上手く、笑った顔が本当にかわいい。

当時の私にはまさに「少女漫画の王子様」に出会ったような気持ちで剛くんを応援していた。

 

CDやVHSをお店で予約して買う術を知らなかった私は、関東に住まう母の妹に頼みCDを予約してもらったり、こちらでは放送のないテレビ番組を録画して送ってもらったり、人生初めてのコンサートになる98年の山形公演*2に一緒に付き添ってもらったりもした。

その時にお年玉をつぎ込んで買った双眼鏡は、お守り代わりに今も現役で使っている。同じく会場で買ったハート形の青いペンライト*3も未だ現役の大切なお守りである。

 

友達の多くは光一くんに「王子様」を感じていたようだが、私は断然剛くんの方が好みだった。この頃から「私は周りとどうやら違う人間になれたようだ」と中二病よろしくこじらせ始めたのは言うまでもない。

 

堂本剛という人間を知っていくうちに、私は「岡田准一」という合宿所時代に同じ部屋だった関西人に触れてしまってからまた違う道*4を転がり落ちるのだが、そこに関しては割愛する。

 

要するに、投資先が変わった後もKinki Kidsは私の傍にずっといたということに改めて気づかされる「SONGS」だったということだ。

 

最後に買ったシングルは「カナシミ・ブルー」アルバムは「e」が最後で、剛くんの最初のソロアルバム*5も買った記憶がある。

二人一緒のKinki Kidsが大好きだった私にとって、剛くんがソロで活動するというのはかなりの衝撃だった。「私の好きなキンキじゃなくなる」と中学生の私はショックを受けた。今思えばなんてことはない。活動の幅が広がる素晴らしいことなのだが、まだまだアイドルに夢見ていた私には耐えがたい事実だったのだろう。

 

なので、私はKinki Kidsの全部を知っているわけじゃない。剛くんのことは常に好きな顔だったけれどドラマを演れば見るくらいで、その後のソロ活動のこととかはさしてよく知らない。

高校の時に出会った友達が剛くんが好きだったので色々話を聞いたりもしていたが、そのくらいだ。光一くんの方はさっぱり。

でも新曲を出せば必然的にテレビに出るので、シングルの表題曲くらいはなんとなく知っている。その程度のキンキファンだ。

 

それでも、この「SONGS」は最初から泣いて見ていた。

幼い私の目に映った「アイドルとしての2人のKinki Kids」はちゃんと今も二人の中に生きていたのだ。キンキという場所を大切にしてきたからこそ、一人の時は真逆の道を選ぶことができた。そしてその世界を徹底的に極めて、また二人に戻るからこそ、Kinki Kidsは何をしてもキンキになれる、チャレンジできる場所で在り続ける、二人だからこそ素晴らしい楽曲を生み出せる確信になる。

 

「硝子の少年」で歌う、若さゆえの脆さや危なっかしさも

「薔薇と太陽」で歌う、お互いの長所を最大限に引き出しあう術も

「愛のかたまり」で歌う、二人にしか生み出せない絶対的な世界観も

 

私が幼い時に憧れたKinki Kidsのままで、ここまでずっとKinki Kidsで居てくれたのだと思うと、歌を口ずさみながら泣いていた。

 

V6が、私が自分で選んで建てた私の中心を支える『柱』だとしたら

Kinki Kidsは、私が時代を生きていくうえでそっと周りを包んでいくれていた寄り添いもたれる『壁』だったのだろう。

その二つを軸に、ジャニーズに支えられた頑丈な『家』のお陰で私は今日までなんとか『私』として生きていられるのだろう。

 

急にアニメの話題になるが、現在放映中の『ユーリ!!!on ICE』でレオデラ・イグレシア*6

というキャラクターが

 

『一つだけ言えることは、音楽に出会ってなかったら、どうやってこの魂を勇気づけることができただろう』

 

という台詞を、自身が滑るSP用楽曲『Still Alive』にのせて回想するシーンがあるのだけれど、これは全てのジャニオタに言える台詞だと思う。

まだ生きている、今日も生きているのは、Kinki KidsやV6の『音楽』に出逢えたから。

 

出逢わなければ、おそらく私は今よりももっと根性が捻じ曲がっていて、素直に感動する心やエンターテイメントを楽しむ感性も何も持たずに、ただただ腐り落ちていくだけの人生だったと確信している。ありがとうジャニーズ。ありがとうジャニーさん。*7

私と同じ時代にキンキとぶいちゃんを生み出してくれて本当にありがとう!!!

 

そして改めてそう思わせてくれた「SONGS」さんには本当に『素敵な番組を作ってくれてありがとう』と誠心誠意をこめてお伝えしたい。是非とも再放送して頂いて、*8もっと多くの、私と同世代のジャニオタや一般の皆様にも見てほしいと願ってやまない。

*1:初回放送は95年4月8日…もう生まれて四半世紀ジャニオタになるのが近い。

*2:電話受付の立ち見チケットだった

*3:高校生になってから出会う井ノ原くんファンのAちゃんも同じペンライトを未だに現役で使い、大人になった今も私たちは二人でコンサートに参戦しているのだから人生ってスゴイ。

*4:V6ファン歴18年という深い業

*5:2002年8月7日発売『ROSSO E AZZURRO

*6:中国大会の時の主人公のライバル達がトニセンに似ている!とtwitterでRTされていたが私は認めていない(笑)ちなみにレオくんはいのはらくんだそうだ

*7:私たちの絶対神。長生きしてほしい。

*8:NHKオンラインのマイ番組表から再放送ウォッチへ登録可能とのこと。以前のキンキの『SONGS』は未見なのでそちらも是非再放送してほしい。

自担部門:坂本昌行【楽曲大賞の話】

V6楽曲大賞1995-2015

 

 

「楽曲大賞」様の存在は、以前から知ってはいたが、普段こういったものは「自分が投稿した所で…」感がある人間なので「見ているだけ」に徹してきた。

でもまぁ今回は…20周年だし…お祭りには余すことなく参加していきたいし…と、ギリギリまで迷ったものの…投票期間を延長されたこと、それと偶々シフトの変更で休みになったことで時間があったので、やってみることにした…のが運の尽き!

明確な文字数制限は明記されていなかったものの、どうやら私のキモチワルイ愛情は受け止めきれなかったようだ。本当にご迷惑をおかけしてすみません。なんという自己責任。

「こんな気持ち悪いコメント、他人様に晒されなかった方が世の中の為なんじゃ…」とも思いましたが、せっかく半日かけて悩んで書いたので、動かしてなくてほったらかしだった(他にもほったらかしているものはあるけれど)はてなブログの方に改めて投稿してみる。改めて読むと本当に気持ち悪い。夜中に書いた手紙がダメなのと一緒だね。感情に任せてしまうと碌なことにならない。

逆に、みんな的確な長さにコメントできてすごいな…「まとめる」という能力が欲しいです。未だに長く書けばいいと思っていやがるぜコイツ。

 

 

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