ただの日記

日記帳

好きなことを否定されると泣きそうになる

興味なさそうにされるだけでもキツイ

別にこっちが好きなことが必ずそっちも好きなわけはないし、何なら興味が無いどころかひどければもう、聞くのも嫌になるくらいの話題なのかもしれないけど。でも何も俺が自分の好きなことへの熱弁を奮っているときにソシャゲやることある?
あーもう完全に聞く体勢がないっちゅうか、ここでガチャ回すの〜。。。?それは流石にやめてもらいたいよ。まあ割とマイナーなジャンルのお話だし、こっちのわけがわからん熱弁を聞く理由もない。別にスマホいじりながら話すくらいはいいけどさ、それくらいはまあ三千里くらい譲って目をつぶるよ。

いやでも、ガチャかあ。いま回すかあ。それ、あとじゃだめ?5分くらいは相槌打ってなんとなくでもいいから俺の話聞くポーズ取るくらいしてくれない?あとオレが言うことを「でも。。。」みたいに否定するのはやめてもらっていい?なんで好きなこと喋ってるのに、俺はそれをいちいち否定されなきゃならんの?
あんまり聞いてないのに、どうして否定だけはしっかりするの?適当に流す感じでいいから。お前の嫌いな話でもない限りは、たまには俺の好きなことを語ることくらい、気ままにやらせてくれよ。普段声帯を震わす機会が少ない俺が饒舌になれる数少ない機会くらいは、楽しくおしゃべりさせておくれ。

10分、いや5分でいいんだ。5分でいいから、その無料のログインボーナスでためた石でガチャを回す手を止めてくれ。あと、お前も好きなものにはちゃんとお金を使ったほうがいい。そういう姿勢はきっと、とっても大切だよ。
俺が好きなゲームを応援するつもりで、グッズを買ったり、オモシロイと思ったコンテンツには課金をしたりしたのを冷たい目で見てたよな。でもお前はどうしてそんなにやりこんでいるそのゲームに、一切課金しないんだ?

「課金とかするわけねーじゃんww」

ってお前のやっているそのゲームはどうやって収支を成り立たせていると思う?廃課金者か?それだけじゃないよな。ちゃんとそのゲームを好きになって、お金を出している人たちがあって初めて成立している商売なんだ。お前はただのフリーライダーだぞ。
広告動画を見ている?それが制作している人の励みになるのか?
レビューはしたか?別に星5じゃなくてもいい。自分が思った通りの評価でいい。でももし不満点があるなら。簡単な言葉でもいいから、こう思いました、でいいからちゃんとレビューしてくれ。1分で終わる。いいと思ったなら、素直に星5評価つけておけ。お前が黙ってプレイしていてもそれは伝わらない。

なんか途中からゲームアプリの話になったけど、やっぱり「好き」を意識するのは大切なことだと思った。気づけばどうしてもネガティブな方向に意識が向かいがちだけど、自分の中の好きなものは、ポジティブな気持ちを思い出させてくれる。そういうのがいい。

野菜炒めとやきそばと

水分のコントロールができない

料理のこととかいろいろ

普段あんまり料理をしない。大してうまくもないし向上心もないから、たまに必要にかられてやったり、ごくごく稀に気分的に料理がしたくなってする日があるくらいだ。そもそも実家ぐらしなので、基本的には母親の作った料理か、出先で適当に済ませるだけだったりする。でも母親不在のときは料理当番が回ってくるな。父は昭和生まれの男なので、あんまり料理とかしないし、まあ順当なんだけど。そういうときはなぜかは知らないけど、焼きそばが多い。それか精々ラーメンとかね。麺類は楽だ。市販の麺を茹でればいい。スープとかの味付けは付属のものを使えばいいし、具材なんかも適当に炒めて投入するか、カット野菜を使うとすぐできる。しかも洗い物だって鍋とフライパン、あとは食べるときに使うドンブリくらいなものだしね。カレーとセットで、料理初心者に最適な選択肢だと思う。それに栄養バランスだって、家で食べるなら、キャベツ、もやし、人参、ピーマン、きのこ類、、、あとはラーメンの場合には現代日本人に不足しがちなタンパク質を摂取できる完全栄養食のたまごとか、チャーシューなんかも簡単にトッピングできる。

私が一人暮らししていたときには、料理を作るのを面倒臭がって素ラーメンなんていう本当に人体に悪影響を及ぼす炭水化物の塊を食べていた。でもまあ、ちゃんと具材を用意すればけっこうきちんとした食事になるし、そこそこ美味しいから、麺類+野菜のトッピングというのは家庭においては結構活躍する代物なのかなあ、なんて思う。それこそカット野菜を買ったら調理時間なんて微々たるもんだし、外食と比べたらコスパだって抜群にいいはずだ。だからこれから一人暮らしをするひとで料理が好きじゃなくて、野菜たっぷりで安くて早くてうまい!!なんていう健康的な外食という奇跡の代物を知っている人以外は麺類の簡単調理とか、作りおきができる備蓄系料理とか、あとはご飯+具だくさん味噌汁、そこに適当な閉店間際の惣菜とかの一品を添えるとかの、食事のパッケージ管理システムを数パターン用意しておけばいざというときに結構役に立つかもしれない。しらんけど。

野菜炒めがべちゃべちゃになる

野菜炒め。そう、冷蔵庫の中に残った、切れっ端のキャベツ、微妙に余っているネギ、冷蔵庫じゃないけど買ってから時間が経って芽が出始めてしまったじゃがいもちゃん、玉ねぎくん。そういった代物をまとめて適当に塩コショウなんかで味付けして、ご飯のお供にすることができる魅惑の料理が、野菜炒めだ。野菜炒めは誰でも適当に作ってもそれなりに美味しくできる。ウェイパーとか味の素を使って作ったのならば、もう5分後には立派なおかずになる。ああ、でも辛いのが、どうしても野菜から出てくる水分でベチャベチャになるってことだ。この「ヤサイカラデルスイブン」とかいうなんだかよくわからないものが私を苦しめる。個別の野菜からどれくらいの分量の水分が出てくるのかわからないし、必死になって鍋を炒めて野菜を炒めていると、気がつけば、野菜炒めの中に入っている、野菜たちが水分の中に浸っている。なんで?その水は一体どこからでてきたの?火力の問題だとか、炒め方の技術だとかいろいろあるんだろうけど、どうしてもこれはうまくいかない。

なんでか知らないけど、びっちゃっびちゃになる。シャキシャキした野菜炒めにならずにしなしなした、残念な感じの野菜のブレンドに変貌を遂げていく。ま、こうなったらこうなったで、片栗粉を溶かした水をかけてちょいと洒落た野菜あんかけにすればなんの問題もないんですけどね。。。うん。まあそもそも野菜炒め作ってる最中にとろみを付けるための水溶き片栗粉なんか用意してないわ!なんでそんなもんがしれっと出てくるんだよ。そんなもんあるわけないから大体ウェイパーで味付けした野菜炒めをおかずにしてご飯かっこんでるわ!というような不満があったりする。こういうのは火力の問題なんですか?それとも私がとんでもなく料理が下手だったりするのかしら。まあどうでもいいけど。

やきそばの水分量が決まらない

やきそばへの適正な水分量

そうしてようやく焼そばの話題に入るわけだけど。焼そばは流石に素やきそばという狂気の代物は作ったことはなくて、大抵は野菜炒めを投入したちゃんとしたものを作っている。豚バラ肉を入れて、人参とか入れて、まああとはかさましにもやしとか、冷蔵庫にあるキャベツなんかを入れる。そしてそれを適当に炒めて、あとは麺を入れて付属の味付けの粉をドーンと投入する。まあこれで完成なわけだけど。。毎回麺を投入するタイミングで入れる水分量で迷う。大体は3人前で100mil〜150mil位を投入するんだろうけど、このへんの加減がいつもわからない。大体の分量じゃなくてきっちりと決めてくれないものかなあ。塩、適量とか言われてもよくわからない。結局状況によるからそのへんはある程度作る側に委ねるんだろうけど。このへんの落とし所が本当によくわからん。大体のシュフはこういう目分量っていうのか、こういう曖昧な加減を長年の経験で習得していくのだろうか。もう完全に職人技じゃない?

一応大体の加減

とりあえず最近は大体水分を少なめに設定している。なぜかっていうと、自分が思っている以上に野菜からの水分が出ているからだ。そもそも私自身結構慎重な性格だ。なので物事を控えめに見積もってその後から実際の結果を見て調整していくというスタイルで過ごしているわけだから、この辺も最初はちょっと控えめにして、あとから調整するというスタイルのほうが、あっている気がしている。やっぱり野菜だっていきているんだなあ。とかどうでもいいことを野菜を炒めている工程で思う。これだけの水分量を持っているってことは、自分の中に水を蓄えて生存のためにいろんな努力をしているって言うことだ。まあ、だからやきそばをつくるときには野菜たちの持つ、つよーい生命力に感謝しながら、美味しく食べることが大事だなあと思ったりした。

何を書いているんだ、よくわからなくなってきた。 もう寝ます。

米津玄師とかヨルシカのMVを英語字幕で見ると妙にカッコいい

米津玄師だとこうなる

普段部屋でなにか作業するときはラジオとか作業用のゲーム音楽とか適当に流しているんわけだけど、たまには気分転換したいなあ。と思っていたら英語字幕のMVを流すとかいうひどくどうでもいいことをやると結構それなりにオシャンティーな気分を味わえるという、とてもとてもどうでも良い事実を発見してしまいました。「どうでもいい」がいっぱい出てきたな。どうでもいいけど。

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やったれ死ぬまで猿芝居。これだけでもうカッコいいわー

↑この画像を見たらわかるけど、これが自分のPC画面に写っていたらどうでしょうか?かっこよくない?別に誰にも見せないけど。まあ洋楽流せばいいよね、それが一番かっこいいかもしれないなんて、分かってる。でも洋楽とか知らんし。。ボヘミアン・ラプソディ見たからクイーンは好きになった。ママーーーーー!!! 投げキッスなんて人生でやることあるのかな。キッスもしたことないから知らんけど。

まあ英語の勉強にもなるしね。英語勉強してないけど。英語喋れたらモテるかな?ああ、モテナイの?じゃあいいや。

ヨルシカだとこうなる

ヨルシカとかだと何故か10ヶ国語以上選択肢があっていろいろな異国情緒を体験できたりする。再生数で言えば米津玄師のほうが断然多いのに米津玄師の場合はあんまり選択肢がないのは不思議だ。YouTubeの字幕制作体制はどういうふうになっているんだろうか。後で調べてみようかな。多分やらないけど。

どうせ明日起きたら絶対に調べない。俺の人生はいつもそんなもんだ。大体あとで見る。とかでブックマークだのGoogleKeepだのPocketだの使ってみたけど、結局その時やらないとその後見返すこととかほぼないわ。あとでやるなんてのは結局やらないんだよな。いつやるの?今でしょ!って馬鹿にする人もいるかもだけど、結構大事だなあ。とか思う。

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これはスペイン語

まあたまには音楽もいいよ

あんまり音楽聞かないし、歌詞の意味とか糞ほどわからないけど、。つうか普段は結構歌詞のないゲーム音楽を主に聞いてるもんだから歌詞がある音楽聞いてるとついついそっちに意識が持っていかれちゃってなんだか、変な気持ちになる。大体大人だって何もしないでいきていたいわ。青い空、白い雲だけ見て生きていきたいよ。ニーチェ先生だってフロイト先生だって生きることの苦しさの答えを見つけたわけじゃないからね。俺なんかただ年齢重ねただけのフリーター、ってか国家の福祉制度に乗っかっただけのフリーライダーなんだからわかるわけ無いわ。 小さい頃は学者さんになりたいとかなんとかほざいてたけど、そんな、お前現実は厳しいんだからな!

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忘れたんじゃなくて生活が忙しい

まあそんな感じで

今日は珍しく画像が多い更新になった。正直そんなに青春とか、将来の夢的なところにはセンチメンタルな気持ちを抱くタイプではないんだけど、たま~にこういう感じのことを考えるときはある。まあ正直それより前に20すぎればただの人、目の前の生活だとか、かなり現実的で、色気のない生活費とか将来のこととかのほうが気にかかる。だからたまには青春っぽい漠然とした、けれどもとっても羨ましい悩みを感じることができる文化に触れてみるのもいいのかもなあなんて思った。久しぶりにお酒を結構飲んでいるので、かなり頭がフラフラするけど、まあいいや。

眠いので、もう寝よう、おやすみなさい

継続と変化と

中身のない単なる日記だと閲覧数はこんなもん

普段あんまり見ないはてなブログのトップページを開いてみたらこんな記事が

「知らない人にブログを読まれるのが不安です」ひっそり日記を書きたい人へ〔はてなブログお悩み相談室〕

なるほど。まあそういう気持ちはわかるし私も最初は恥ずかしい気持ちはありました。でも実際書いてみるとわかりますが、そもそも個人ブログなんて大して読まれません。だってはてなブログのトップページに出てくるような面白いものとか、有名な人が書いてるものとかくらいしか読まないでしょう。だって自分がそうだからね。そんな有象無象が書いているような中身のないブログという名のらくがき帳なんざ、人生の大事な時間浪費してまでよみませんわ!

大勢の人に注目される文章ってのは有用性があったり、話題性があったり、あるいは特に役に立たなくてもなんかもうエモい内容で涙ちょちょぎれるみたいな文才やらセンスが無いと書けません。それ以前に継続自体も難しいですしね。大抵の人はブログなんて書くのめんどくさくなってやめるでしょ。TwitterとかInstagramとかTikTokのほうがいいじゃん!そのほうが単純に楽しいと思います。有用性のある内容を書くにはいろんな文献とか用意して構成とかもいろいろ読みやすいように考えてとかで、多分クッソめんどいでしょう。3日と持たない自信がある。

1年でやっと1000超えるくらい

で、そんなめんどくさがりが気の向くままに書いているブログという名の日記帳のアクセス数はこちらです。久しぶりに見たら累計1000超えててちょっとびっくり。

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このブログの閲覧数。一年でこれですからね

それでも最近は月100くらいのアクセスは超えるようになってきまして。滞在時間はおそらく一瞬なんでしょうけど。でも逆に言えばなんだかんだ1年で50記事弱位書いてきても普通の人だとこれくらいなわけです。だもんで読み応えのある中身のぎっしり詰まった薄皮アンパンくらい重たい生地を量産しまくるとか、自分の文才に絶対的な自信があるという人だとか以外は、よっぽど個人情報特定されそうなことでも書かなければ大丈夫だと言えます。もしかしたら私のブログが異常なまでに見られていないとかであれば違うのかもしれないけど。。。そんな感じのことを思った次第でございます。

継続の先に

閑話休題。昨年末に書いたこの記事の中で、新しいことを始めて、継続してということが結構大事だなあ。でもそれだけじゃなくて、継続のさらに先にもう一歩なにかありそうだ。とかいうことを書いたわけだけど、ここ数日も時々そのことについていろいろと考えを巡らせていた。

最初は継続と挑戦、みたいなものかなあとか思っていた。でもなんかしっくりこないんだよなあ。挑戦して継続して、挑戦して継続して、、、うん確かにすごくいい感じだ。でもこれだとなんか一方向って感じがする。ちょっと単調な感じ。結局はただの言葉遊びなんだけど、挑戦というよりも変化という言葉のほうが個人的にすごくしっくり来た。まあ何でもいいんだけど。去年の秋頃からいろいろなことに挑戦してはそれを一定期間以上、具体的には最低2週間位は続けるようにしている。最初のうちは大変だったんだけど、こういうことを2,3ヶ月と続けていくにつれてかなり継続することにも慣れてきた。でもなんか物足りないと感じることも。

なんでだろう。多分、多分だけど挑戦する内容というかジャンルが結局は似たような内容ばかりで、実際は大した変化が得られていないんじゃないのか。 多分小手先だけ変えてちょっとした満足感を得ちゃってるんじゃないのかと。いや別に悪いことではなくて少しづつでも前進してるんだし、何もしないより100億万倍マシなんだけど。 それでもこの継続しきった先にもう一歩前に進んで行くために本当にぜんっぜんやったことのないことをやっていってさ、人生に変化を入れていきたいところだ。やっぱり変わるってのは怖いけど、でもずーーーっと同じようなとこにいてコンフォートゾーンだっけか、そういう場所に居続けるのはもう飽きたんや、たちばなくん。せらさん好きだわあ。桐谷健太ってあんな感じの演技もできるとは知らなかった。ずっと浦島太郎のイメージしかなかったし。まあ、そんな感じで。もうねよ

受け身だと死ぬ・Age is just a number

とりあえず座右の銘にしよう

「受け身だと死ぬ」
いいですね。これを忘れないようにしよう。多分インドア、内向型人間あるあるだと思うんだけど、なにか外出するイベントが有ったとして、いざその前日とかになると、どうしようもなくめんどくさくなっちゃう。楽しみは楽しみなんだが、どうも行くのがめんどい。。。わかってる、楽しいのはわかってる。実際そういう心持ちになっても重い腰を上げて行ってみたら、不思議と楽しくってあっという間に時間が過ぎたりするしね。分かってるんだけどなあ。
でもこの謎の現象は何なんだろうか。つい先日もそういう事があって、結局面倒くささに負けて、断ってしまった。今振り返るともったいないなー。せっかく誘ってくれたのに、すまん。こういうことの積み重ねで自分の世界が狭くなっていくし、人と関わりを持つ時間も減っていきそうだ。MOTTAINAI!!

ちょっと言い訳をすると最近やりたいことが結構あって、外出イベントよりもそちらを優先させてしまったので、単にめんどくさいという気持ちだけが理由だったわけじゃないけど。まあでもそういうことじゃないよな。やっぱり。人生受け身でいいことなんてほっとんどないよ。もう頼まれたら物理的に無理ってこと以外は断らないようにしようかな。理不尽なことには当然断固Noを突きつけるけど、やっぱしやりたいことだったり、誰かがせっかく自分に頼んでくれたことがあるのなら、もう全部受けよう。そうしよう。

正月にいろいろ思ったこととか

毎年恒例の駅伝をちょっとだけ見ていたわけだけど、こういうの日本人好きだよなあとかなんとか思った。駅伝だの甲子園だの。10代後半〜20代くらいの人間の「青春」が好きすぎじゃね?見ていて熱くなるのはすっごくわかるし、自分もこういうやつ好きだけども。年齢という意味での「若さ」が大事にされ過ぎなんじゃないか。
英語で好きな言葉にAge is just a number(年齢は単なる数字)というものがある。これは色んな意味ですごく素敵だと思うし、同時に結構シビアで、ある意味アメリカらしい文言だと感じる。日本の新卒一括採用文化と、海外(ここではアメリカ)の実力主義みたいな違いかなと。日本は若けりゃそれだけで大きなアドバンテージになるし、それこそ20歳前後の若者にはその時点での実力とか経験とか実績とかは求めずに、今後の伸びしろで判断する。逆に米の国はもうそんなンなくてお前に何ができるのか、どういう実績があるのかっていうのが何歳だろうが求められる。まあだから最初は無給でインターンとかして経験積んでから就職するんでしょ?それはそれで結構厳しさはある。

自分のことには自分自身で責任持ってやってこうぜ!という方がとても健全なんじゃないのかなあ。その分自分で思う通りの自分にしかなれないんでしょうけど、反対にお前の心はお前自身が決めてるんだぜ!って感じがしてとてもいい感じがする。ああなんかアメリカっぽいな。グレンラガンでいうカミナみたいなイメージ。。
なんていうのかな、自分の人生はもう年齢的にどうしようもなくて青春なんてもう来ないんだと決めつけちゃうと、人の青春見て盛り上がることが唯一の楽しみ、みたいになってしまうのだろうか。それはとても寂しい。だって人生平均で80年あるからね。100まで生きたらどうすんのよ。50歳でもあとまだうん十年あるわけだし、年齢を言い訳にするのは楽だけど楽しくないよ。そんなことを思った正月だったりした。

最近楽しい

ブログを始めて1年たった

とは言うものの結局余り書くこともできていないし、最近は普通に手元の日記帳を利用しているわけだけど。ただこの一年は今まで過ごしてきた中でも一番穏やかな時間だったと思う。何よりも外的なプレッシャーがなくなったことがこんなにも気持ちに変化をもたらすものだとは思わなかった。。。

物心ついたのは大体5歳位。幼稚園の頃はよくお漏らししていて幼稚園の先生にもいろいろご迷惑おかけしました。確か図体だけはでかくて、でもいじめられていたのでついたあだ名が「ウドの大木」。卒園アルバムの将来の夢は学者さんだったか。

小学校の頃はとにかく運動が嫌いになった時代だったと思う。ドッジボールとか親にやらされては半日でべそかいてやめ、スイミングスクールもなんだかよくわからないうちに気がつけば行かなくなり。意を決して自分から始めてみたミニバスは確か数日でギブアップした、これは自分のメンタルの弱さゆえですね。そもそも学者さんになりたい子供にいろいろと運動させようとした親にもあんまり先見の明はなかったのかもしれんが、、まあでも両親はどちらかといえば運動できるタイプだったから自分の息子も同じように運動ガンガンしようぜしてもらいたかったに違いない。でもムリなものはムリ!!反面勉強は割と好きだった。本を読むのとかも好きで結構図書室にはこもっていたと記憶している。それはそれで楽しかった。

中学はなんだかんだ楽しかった。気の合う友達もいたし、勉強も割とうまく行っていた。自分自身の恋愛とかは皆無でしたが、たしかこの頃クラスの誰それがもう初体験を済ませただのという噂があったなあ。今考えても中2とかでそれは早くないか・・・?現実はこんなもんなんですかね?この頃はこんなんなるとは夢にも思わず、自分の将来はいわゆる普通のレールに乗っかていけるもんだと薄らぼんやり考えていた。現実は無情だ、ほんとに。

高校は割と進学校だったのでひたすらに勉強していた思い出が、、それでも結構楽しかったけど。今思えばいろいろなイベントもあったし、あれはあれで充実した学生生活というやつだった。大学受験には失敗して滑り止めの私立に行くことになったわけだが、それもまあ。。そんなに辛くはなかったかな。あのとき浪人していたらどうなっていなんだろうか。

大学は、、、うーん、楽しかったは楽しかったけど意外と自由には慣れなかった。多分最後までそうだ。多分このあたりからなんだよなあ。特に20歳になったあたりから自分の人生をちゃんと謳歌してない感じになっていたんだ。多分与えられた枠の範囲内でなんだかんだブツクサ文句を言いながらそこそこ楽しむという事はできていたんだけど、なまじ真面目というか融通がきかない性格だから大学生という時間的に一番自由になれる空間に馴染めなかったんだ。主体性を持って何かをやるってことをやってこなかったもんだから、いきなり真っ白い空間に放り投げられて適応できなくなっていた。いわゆる普通の人だったらそういうことは難なくこなしちゃうんだろうか。自分はそれができなかった。就職活動でもどうにもこの気持にケリがつけられなくって、一年お休みして。渋々就職したところでやっぱりすぐやめちゃったし。その頃から5年かあ。長かったのか短かったのかはわからんけど。やっと生きてる実感を感じ始めている。気がする。わかんないけど。

今年を振り返って

去年は正直一言で言うと「停滞」という感じだった。なーんにもない。ダタひたすらなんにもせずにぼんやりしていた。寝転んだ一年。まあそれも大事なことだったのかもしれないけどさ。今年は思いっきり屈んだ一年だった。膝を曲げて力を溜めているというイメージ、これが多分「充電」いうやつなのかな。まあそういう実感を持ち始めたのも本格的には12月入ってからだけど。でもきっかけはなにかといえば多分このブログを始めたことだったのかもしれない。あんまり書けてないけど、大事なのはそういうことじゃなくてなんでもいいから新しいことを始めてみようっていう姿勢や行動だった。 一つが動き出すと次もゆっくりだけど多分ちゃんと動いていく。それが一時の3日坊主みたいなものでもいい。何かをやっていくことが大事なんだ。そうそう、始めることと同じくらい「継続」することも大事だと思う。それがまた難しいわけだけど。10月くらいからかなんとか、、始めては続けることができるようになった。で、つい先日までは続けることがメタクソ大事で「継続」さえできれば上位10%位には入るんだから、それさえ続けていればなんとかなるかもしれないと思っていた。でもそれもなんか違うような気がする。というか方向性はあっているんだけど何かもっと突き詰めていける何かがありそうな感じ。始めて、続けて、、、なんだろうなんかもっとあるんじゃないかな。まだわかんないけど、きっとそのうち分かるかもしれない。そうだといいな。 来年は小さな目標が早速1月にある。自分にとってはめちゃくちゃ大きいけど、それができたらもっと次に行けるだろうか。どうかな。本当に最近楽しい。無理してる感じじゃなくて自然に楽しい。

これが来年も続くといい

何も書いていないのにちょっとアクセスがあって驚く

とはいえ、一日10とかそんなもんなんですが。一応生活の上では順調に行ってるのかな?という感じです。結局ガチの日記というか、単純にその日食べたものを記録したり、何があったか何も隠さずに書くようなもんだったり、3行くらいしかないようなものを手元のノートに綴っているところなわけです。むしろそっちのほうが楽にかけていいですね。こういうブログというのも悪くはないですが、結局こういう何でもないブログには特に読者もつかないですし、自分も直接何か誰かの役に立つことをかけるわけでもないので。そしてどうでもいいことに気づいたんですが、さっきからめちゃくちゃ誤字が多い。書いては消し、書いては消し。やっぱり飲酒はマジで人間の集中力奪いますね。あと、はてなブログでリアルタイムプレビュー見れるの本当にいいなあ。すごい楽。 もう寝よう、また明日からがんばって生きます。まあ誰も見てないけどさ。。。