目に見えないもの
我が家には7才と2才の男の子がいる。
7才の息子は、初めての育児で、数年前のことなのに、どう育てたのか覚えていない。
でも、何となく育ってはいる。
最近の悩みは2才の次男。
まだ、理屈こねてもわからない年齢。
例えば、
「なんで寝ないといけないの?」
夜になるとホルモンが分泌されて、成長するんだよ!
「なんでご飯をたべないといけないの?」
5つの栄養素を体に取り入れて、身体の調子を整えるんだよ!お菓子じゃ無理なのよ!
「なんで裸じゃだめなの?」
人間は進化の途中で毛がなくなったから、体温調節が苦手だし、みんなと同じように服をきてないと恥ずかしいでしょ!
と言っても全然わからない。
そんな時に役立つのが、こわーい存在。
特に信仰がないわたしは、こわーい存在が曖昧。
神さまから始まり、警察、悪魔、鬼、吸血鬼、おばけ、幽霊、デビル、ゾンビ、とありとあらゆる怖いものを並び立てる。
「デビルがくる?」「鬼がくる?」「逮捕される?」
と息子も混乱しているもよう。
信仰って、こういう時に必要なんだな、と思う。
小さい時から、教会に祈りに行ったり、毎日仏壇で先祖に祈る習慣がないと、私のような大人ができる。科学の力は信じているけれど、目に見えないものを無条件に信じられない。
宗教の問題は気安く語れるものではないけれど、見えないものを、信じる心はやはり大切だと思った。
転機がないわたし
赤ちゃんから子供に
子供から少女に
少女から女性に
女性から母親に
母親から???
成長期、思春期、成熟期を経て、何も苦労なく生きてきたけれど、
そういえば、私に決定的な転機はなかった。
転機とは
ヘレンケラーの転機はサリヴァン先生との出会い。
野口英世の転機は左手の火傷。
彼らは、自身の障害を糧にして、自らの人生を歩んで、成功した
しかし、このように、 転機は必ずしも好転するだけではない。
暗転する場合もある。
例えば、恐竜の転機は隕石の落下。
隕石が落下しなければ、今なお地球は恐竜の時代だったかもしれない。
夏目漱石著のあまりにも有名な「こころ」における先生の転機は
おそらく、Kがお嬢さんへの思いを先生に告白した時だろう。
セミの転機は地上にでた瞬間。
まさか自分が2週間の命だともすらずに土からでてくる。
2週間生きれたらいい。
セミがよじ登る穴の上でカラスが待ち構えているときもある。
暗転か好転か分からない転機もある。
我が人類にとっての転機は、火の発見、火薬の発見、大航海時代、産業革命、戦争、IT革命などなどあげればきりがない。
現代はAIの台頭によって、少なくない数の人類が退化していく道なかばにある。気がする。
転機とは、好転するか、暗転するか分からないが、状況が変わるきっかけのことだ。明から暗へ。暗から明へ。
平凡な人生
私には転機はない。
それはそれで幸せな人生なのだろう。
それでも、喪失感、空虚感は私の周りをただよう。
私は本当に平凡な主婦だ。
進学校の高校に進み、公立の大学に進み、自分の望んでいた旅行会社に就職し、
仕事も苦労しつつも充実感を得ながら難なくこなし、結婚して、子供を2人産んだ。
金銭的にも人並み、学力的にも人並み、家族にも恵まれている。
国家間の戦争に巻き込まれることもないし、職もある。
徒歩5分以内に病院もあるし、コンビニもある。
闘病中の親族もいない。
食べるものも豊富にある。
自然災害も今のところはない。
悩みと言えば、子供が風呂上りに服をすぐ着ないとか、字がきたないとか、はやく寝ない、とか些細なことで、生命を脅かすようなことはない。
インターネットで買い物をして、物をひたすら消化し、好きな映画をみて、好きな本を読んで、子供と眠る毎日。
”暗”がないから”明”がないのか。
”暗”はできればいらない。こんな人並みな私に暗は耐えられそうもない。 明らかな成功があると保証されていても。
だから、
私はこのブログを転機にしたい。
平和な日本の平凡な私がみた、感じた日々のことを綴ろうと思う。
近所の公園でママ友と話すような気分で、だれかに私のブログを読んでほしい。
ちょっとした”すきまじかん”に。