ミレニアル世代のキャリアデザイン

現役コンサルタント(26)がキャリアを考えます

【BEYOND MILLENNIALS】Business Insiderのイベントに参加してきた

2019年1月17日、もう1か月以上の前のことになってしまうけれど、

Business Insiderのイベント、【BEYOND MILLENNIALS】に参加してきた。

結構面白かったので、当日の様子などをご紹介する。

 

↓ BAKEのタルトなどのお土産付き。すばらしい!

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その前に、ちょっと「ミレニアル」について。

このブログのタイトルにも入っている「ミレニアル」。

いわゆる「ミレニアルズ」とか「ミレニアル世代」っていうのは、1980年~2000年代初頭までに生まれた人のことをいい、(自分含め)インターネットが当たり前の世界で生きてきた世代だ。

一般に、以下のような特徴があると言われるらしい。

  • 自己中心的だが、他者の多様な価値観を受け入れる
  • 仲間とのつながりを大事にする

 

学生だった頃は、「ミレニアル世代」という言葉も知らなかったし、もちろん「自分たちはミレニアル世代なんだー」といった自覚もなかった。

でも、会社に入ると違う。

10個、20個歳の離れた上司と話すと、その価値観の違いに驚いた。そして、自分は「ザ・ミレニアル世代」なのだ、と実感する。

例えば、よく違いを実感するのは以下のようなパターン。

 

プリンシパル 「俺たちが若かったころは、男はみんな車を買うことを目標にしてさ~。じゃないと全くモテないんだよね。」

自分 (心の中)「え、車とか別になくてもよくない?レンタカーでいいし、シェアリングカーとかもあるし。」

 

30代後半マネージャー 「ここ最近ずっと帰りが遅いから、家族にまったく会ってない。」

自分 (心の中)「え、仕事は頑張りたいけど、仕事だけは嫌だ。仕事でそこまでプライベートを犠牲にしたくない…。」

 

M世代友人 「結婚、って必ずしなくてもいいよね。苗字変えたくないし、役所手続きとか面倒くさそうだし。」

 

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BEYOND MILLENNIALSは、そんな20~30代の活躍している人たちの取り組みを表彰するイベント。

なんと今年が記念すべき第一回だ。

 

ビヨンド・ミレニアルズとは

20〜30代のミレニアル世代について、
米Business Insider記者のShana Lebowitzはこう書いている。
「ナプキンからダイヤモンドの指輪まで、さまざまな産業がミレニアル世代によって潰されている。彼らは親世代よりも遅く結婚し、従来とは異なった家庭を築いている。いろんな面で、型破りな世代だ」
日本のミレニアル世代も、型破りさでは引けを取らない。
生き方に強いポリシーを持ち、個性的で、幸せを人と比べない、
過去の成功者とは異なる新たな価値観を持っている世代。
そしていま、時代は型破りを求めている。
少子高齢化による社会保障費の増大、労働力不足、地方の疲弊、テクノロジーの発展による社会構造の変化、さらには自然災害の多発……。
私たちを取り巻くさまざまな問題を打破するには、彼ら彼女らが秘めた可能性、創造力が必要だ。
高い壁を乗り越える才能、発想、それを現実に変える技術。
さらには、壁を壁ですらなくする「ゲームチェンジ」の力。
型破りなミレニアル世代のイメージの、さらにその先へ、いまこそ目を向けよう。
2019年1月、Business Insider Japanはミレニアル世代の飛躍を後押しする
新たなアワード「Beyond Millennials」を発表する。

(公式サイトより)

BEYOND MILLENNIALS(ビヨンド・ミレニアルズ) | BUSINESS INSIDER JAPAN

 

イベント当日は、「Business 」「Global」「Technology」「Social」「Local」「Career」「Leadership」、そして読者投票でグランプリが決まる「Readers」の合計8部門から、それぞれ1~2人ずつが表彰された。

 

それぞれ表彰されたのは、以下の方々。

【Business】稲川琢磨(株式会社WAKAZE 代表取締役CEO)/米重克洋(株式会社JX通信社 代表取締役

【Global】慎泰俊(五常・アンド・カンパニー株式会社代表取締役社長)

【Technology】粕谷昌宏(株式会社メルティンMMI 代表取締役 Ph.D.

【Social】玄正 慎(Coaido株式会社 代表取締役CEO/一般社団法人ファストエイド 代表理事

川口加奈(認定NPO法人Homedoor理事長)

【Local】矢田明子(Community Nurse Company株式会社 代表取締役NPO法人おっちラボ 副代表理事

【Career】田中章愛(ソニー株式会社)

東松寛文(リーマントラベラー)

【Leadership】三浦孝文(オイシックス・ラ・大地株式会社 人材企画室人材紹介スカウトセクション マネージャー)

【Readers】東松寛文(リーマントラベラー)

 

どの方もすごく素敵だったけど、今回はリーマントラベラーの東松さんについて、少しだけ。

東松さんは大手広告代理店に勤めるサラリーマンで、あるとき思い立って世界一周をしようと決めたそう。日本で働いている時間を「トランジット」ととらえ、3カ月間、毎週末海外へ行き5大陸18か国の世界一周を達成する。

まず、その体力がすごいなと思うけど、日本で働いている時間を「トランジット」ととらえる考え方も面白い。

そして、小さいころから抱いていた「本を出版したい」という淡い夢を、「リーマントラベラー」いう肩書で達成することになる。

夢っていうのはどういう風に叶うかわからないものなんだな、と感じた。

 

また、東松さんはこんなことも言っていた。

「会社で自信を持てなかった自分が、世界に行きいろんな人の価値観や生き方に触れることでぶれない軸を手に入れた。自信を持てるようになった。」

「休み方を変えるだけで、生き方が変わる」

休み方を変えて生き方が変わるって、どういうことだろう。なんとなく、わかるようなわからないような。


同じ日本という国で生まれ育ち、

ましてや同じ会社で働く人は、バックグラウンドが似ていることが多い。

そんな均質な環境にいると、自分と人とを必要以上に比較して、

落ち込んだり、自分に自信がなくなったりするのかもしれない。


でも世界に出れば、そこで使われる言語も、

カルチャーも、考え方も全く異なる。

そんな圧倒的な違いに直面すると、

「自分らしくいるしかない」と、諦めなのか、自信なのか

そういう気持ちが生じるんだろうな、と想像した。


私も、もっと色んなところに行ってみたいな。

 

東松さんの本があります。読んでみたらブログにも感想を書くつもり。

https://www.amazon.co.jp/gp/product/4309026761/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4309026761&linkCode=as2&tag=rymantravel08-22&linkId=d4b183d9b3a0793447996257f02ba578

 

 

 

 

 

プロフィール

 

生まれてから幼稚園まで

 厳格な父とふわふわした母のもとに産まれる。

幼少期の記憶はほとんどない。


父親の血を引いてスポーツが得意で、幼稚園時代は気づいたら男の子に囲まれて、サッカーをする少女になっていた。

 

水泳との出会い

 自分の性格のほとんどは、水泳経験を通して作られたと言っても過言ではない。

 

小1のときにいとこの影響でスイミングスクールに通い始め、小2からは選手コースに所属し、週6日の練習に励んだ。

練習辛くてしんどいし、テレビも見れず、周りの子たちの会話についていけなかった。

水泳は小学校までにしよう。と思いながら日々練習をしていた。


しかし毎日必死に練習していたら、小5のとき、たまたま全国大会へ出場することができた。

全国大会に行ってみたら、当たり前だけど全国からものすごく速い選手が集まっていた。すごく刺激的な経験で、このとき初めて「水泳ってこんなに楽しいんだ」と感じた。

 

努力して結果を出せることの幸せは、この経験から初めて学んだ。

 

優等生から反抗的な生徒へ

 とにかく外面をよく気にする性格の母に育てられた私は、自然と学校では先生の言うことをよく聞く「良い子」を演じていた。
勉強も得意だったため、すぐに優等生キャラを確立。

 

しかし、演じることに疲れたのか、先生との相性が悪かったのか、小5〜6は先生に反抗しまくっていた。
私が先生に文句を言ったり、大声で喋って授業の進行を妨げるたびに、廊下の雑巾がけを命じられ、たぶん1日に廊下を50往復くらいしていた。 

それでも、毎日が楽しかった。

 

水泳が私のすべて

 中学校に入学し、気づいたら先生に反抗するのはやめていた。やっぱりここでも、運動も勉強もできる優等生キャラを確立。

仲のいい男子から呼ばれていたあだ名は「サイボーグ」。きっと悪口じゃないと信じているけど、今考えてもその真意はよくわからない。

 

 勉強も楽しかったけれど、この頃私の人生の中心は水泳になっていた。

全国大会に出場した経験をきっかけに、私は目標を見つけた。目標を達成するために、毎日、自分を極限まで追い込んだ練習をした。

 

常に最高の結果が出たわけじゃない。長くて辛いスランプも経験した。

でも、これ以上できないくらい自分を追い込んだ練習ができたときの充実感は、半端じゃなかった。

大会で自信を持ってスタート台に上がることができる、あの感覚は今でもよく思い出す。

 

大好きだった水泳を諦める

高校は、希望していた県内の女子校に行けることになった。

高校入学後も、相変わらずハードな練習に取り組んでいた。朝5:30からの練習を終えてから高校に行くこともあったが、だんだんと水泳と学業の両立に難しさを感じ始めていた。

授業中は寝てしまい、成績は下から数えたほうが早くなっていた。

 

水泳は一生懸命やってきたが、ずっとどこか頭の中で「上には上がいる」ことを知っている、冷静な自分もいた。
小学生から一緒に練習をしていた知人は、その頃全国大会で優勝し、世界大会でもメダルを獲っていた。

 

水泳の道では生きていけない。長期的に考えたら、私は勉強で頑張ったほうがいいのかも。このままでは、水泳も勉強もどちらも中途半端になってしまう。
そう思った私は、約10年続けたスイミングスクールを辞める苦渋の決断をした。

 

辞めるとき、水泳の代わりに一生懸命になれるものを絶対に見つけよう。とりあえず勉強を頑張ろう。と心に誓った。

その誓いどおり努力した結果、成績はぐんぐん上昇した。

 

「自分のため」から「仲間のため」に

スイミングスクールを辞めた喪失感は大きかったが、水泳自体は部活で続けていた。

しかし、大会に出ても結果は散々。日に日に落ちていくタイムに、どのようにモチベーションを保ったら良いのかがわからなかった。

 

そんなとき、同期がかけてくれた「(私)がいると頑張らなきゃ、って思える」という言葉が私を救ってくれた。

今度は水泳部の仲間のために、頑張ってみよう。

そう考え、部員の練習メニューを改善したり、フォームを教えることに努めるようになった。

 

同期や後輩から必要としてもらえたことは、自信になったし、喜びも大きかった。


先生、生物学との出会い

 高校3年生のとき、生物の授業で細胞内でDNAが複製される映像を見たときに衝撃が走った。

 

(こんな感じ↓)

 

自分の身体の、1つ1つの細胞でそんなことが起こっていると想像すると、とてつもなくワクワクした。

教えてくれる先生も魅力的だった。教科書に当たり前のように載っていることだけでなく、「まだ明らかになっていないこと」も教えてくれた。

また、なんでも実物を見せてくれようとする先生だった。例えば、豚の心臓や肺、腎臓とか。

肺ってこんなに膨らむんだ!とか、全身に血液を送るから、心臓は右側より左側の壁の方が厚いのね~。とか、自分の身体を知っていくことが楽しかった。

 

大学では生物学を学びたい。私の心が決まった。


大学生時代

 大学というところは、自分に合っていた。

「やらされること」が大嫌いな自分にとって、「好きなこと・自分が必要だと思うこと」だけを自発的に学ぶことができる環境はとても楽しかった。

大学以外にも、理化学研究所でアルバイトをしたり、臨海実験所で他大学の学生と一緒に実験をしたり。充実した日々を送った。

 

一時は研究者になることも考えた。

ただ、修士課程に進んで研究をしていたところ。世の中で活躍している研究者ほど、研究だけに熱を注ぐことはできないかもしれないと思った。

 自分は何があったら踏ん張れるんだろうと考えたとき、「人が必要としてくれること・喜んでくれること」が支えになるかもしれないと思った。

そういう意味で自分がやっていた研究は、結果が出るのに時間がかかるし、成果を喜んでくれる人も限られる。

そして何より、研究は個人プレーが多い。

 

研究室にはその気になれば戻れる。一度社会に出てみようと思った。

 

社会人になる

研究を離れて社会に出ようと思ったとき、自分がどんなことをやりたいのかは全く検討がつかなかった。

「人をサポートし、必要とされていることが実感しやすい仕事」、そして以前から興味があった「海外勤務のチャンスがある」の2点から、縁のあった今の会社に入社することになった。

もう少し色々な業界や業者、企業を見てみればよかったという思いもあるが、当時の選択に今は悔いはない。

 

ブログを始めた経緯

 「仕事」は人生の大部分を占めるもの。ここ最近、少しずつ働き方を選択できるようにはなってきてはいるものの、それでもほとんどの人は、人生の大半の時間を仕事に費やすことになる。

そして、その仕事を愛せるかどうか、仕事をしていて幸福感を得られるかどうかは、とても重要な問題だと思っている。

 

愛せる仕事を見つけてほしい、キャリア選択を妥協してほしくないといった想いで、ゆる~く発信していく予定。

どうかよろしくお願いします。