Ending

今まで、私の苦しい思いが沢山つまったこのブログですが、

新しい人生に進むことにしました。

もしかしたら双極性障害なんて、病名だけで
昔からこのような人はいて、「人生とはこういうもの」と歩んでいたのだと思います。

それがいつの間にか、病気と言うカテゴリになって
薬漬けになって、本当に人生を投げ出すようになってしまう。

もちろん、苦しみながら亡くなっていった人は無数にいると思います。

いつかやってくる死に向けて誰もが歩んでいる。

そう考えたら、一日一日を慈しみながら生きて行けそうな気がして...。

苦しみも悲しみも自分の人生の一部分。
もちろん、薬を飲んだり病院に行ったりするけれども。

一旦、私はここからサヨナラ出来そうです。

また戻ってくるかも知れないけれど、今は日々を淡々と

そして自分を大切にすることは
過去を振り返ることではなく、今このときを大切に生きること。

まだまだ人間関係に戻る勇気は無いのだけれど
自分らしく歩きます。
ゆっくりと胸を張って。

皆さんが幸せになれる世の中が来ますように。
微力でも自分が世界の人達の苦しみを感じて、
役に立てるような信念と強さが持てますように!。

私の場所は無くなった

ものすごく久しぶりの投稿です。
去年の秋以来、だんだん具合が悪くなり12月からずっと寝んだり起きたり、医者通いの毎日でした。

パートナーとは破局しました。

詳しいことはそのうち書くかも知れない。
今は、私にとって人生が変わる時期なのかも。

今までやっていた音楽は止めています。ってか出来ないよね。
SNSもやってはダメって医者から言われました。
他人との接触も極力避けるように...って事です。

先生に怒られると凹むし、本当に頭に来る。
こんなにコントロールが大変で努力しているのに、なんでいつも怒られて五分診療なの?
1時間もかけて通っているのに。
いつもと同じ薬でいいですよね。
って。

障害年金の診断書を書いてもらう為だけにそこに行くんだよ。

もう本当にやだやだ!

このブログは唯一、私のほかに知っている人はいない秘密の場所。
これを読んでくれている人はきっと、同じような思いをしているんだろうな。

この社会に私の場所はとうとう無くなりました。
しがみついていた今までが馬鹿みたいに思えて来た。

悲しい...

半年が過ぎて

相棒が出て行ってから半年以上が経ちました。
出て行ってからしばらくは良かった関係でしたが、
6月にすごい喧嘩をして、本当に落ち込みました。

やっと最近関係が修復出来て来れた感じです。

調子が良いので続けていたエビリファイですが、何といきなり体重が増えてしまい、医師に相談したところ「糖耐性」が出来るとのことで、
本当に辛い時だけに限定して、しばらくダイエットすることにしました。
いくら食べても太れなかったのに!
甘いものが異常に欲しくなり、夏から秋にかけてずっと食べてしまっていました。
エビリファイを止めてからは不思議なほど、甘いものへの欲求が無くなったので、あぁやっぱり、と思いました。

まだ何とか、病前の体重までは行っていないので、早いうちに軽い身体になりたいです。

というわけで、基本的に鬱気味の双極性二型の自分は
鬱な毎日を過ごしています。

夏は色々ありました。すこし躁気味だったのかも知れません。
そのツケが回って来たのかな、台風や低気圧に伴って本当にきつい日々が戻って来ました。

鬱の中で考えること
躁の中で考えること

どちらを信じて身を任せて良いのか、自分でも判断が付きません。
じっとその場に立ち尽くしている

そういう障害なのだな、と実感しています。

何かを決断し、行動することが今はとても怖いです。
そして、自分は障害者で他人のお世話にならねば生きて行けない、と言う現実にも改めて気づきます。
マイナスに考えている訳ではなく、他人から観た場合の私、と言うことです。
一見普通に見えても、家族には現実の私がわかっています。

誰かを愛してもそばにいることは出来ないのかも知れません。

そもそも幸福自体が瞬間的であって
持続するものではない

と今は感じています。

全てを乗り越えて

長いこと、このブログの更新をしていない間に、50,000アクセスを超えていて驚きました。
読んで下さっていた皆さん、ありがとう。
私はちゃんと生きています。

3年半の間の苦しみを忘れそうなくらいに、今はとても楽に生きられるようになりました。

何度も死のうと思いつめる程、苦しい時間があったなんて想像出来ない。
人間って忘れる生き物なんだなぁと実感しました。

大きい変化は相棒が独立して、我が家を出て行ったことです。
昨年末までは酷い状態でした。
毎日、彼の顔色を伺い、暴言が少しでもあると心が傷つき泣いてしまう。
そんな日々を繰り返していました。

あちらも、同じように良かった頃の二人を忘れてしまうほど、私に対して気持ちが無くなって行きました。
私は彼がいつだって大切だったけれど、
彼はいつだって、自分が一番。そう思っていました。

けれど、人って誰もが「自分が一番」なんですよね。それが当然なのです。

先日、主治医に言われました。

「絶対に『すみません』『ごめんなさい』って言わないこと。何か悪いことをしたなら謝るけれど、普通に生きていてそんなに人に謝るネタがある訳無いでしょう、そんな時に自分を貶めては駄目だ」

と。

私は今まで物事を丸く治めるために、自分が自尊心が低いために
いつだって「すみません」「ごめんなさい」を言い続けて来ました。自分が悪いわけではなくても。

それを他人にも当てはめていたのだと思いました。

だから、今はなるべく言わないようにしてる。
でもやっぱり「あ、ごめん」とか、すぐ言ってしまうんだけど(^^ゞ

お薬を変えて、エビリファイを追加したとき、不眠に悩まされましたが
眠れなくても動ける方がずっといい。
眠かったら寝ればいいし。

そう思ったら楽になって。自分の適量を飲んで生活をコントロールできるようになりました。
薬が切れると当然鬱になって、本当に動けなくなります。
その前に飲む。

最近は筋肉がついて体重も増え、代謝が良くなったから薬を飲む間隔が短くなりました。

もちろん完治すればいいけれど、双極性障害は一生、病気と付き合いながら生きて行く。

ニャんこ2匹の死も乗り越えて、お金は使いつつ(汗)新しい生活を楽しみ始めた私です。

気付きその2

カウンセリングを3年ほど続け、先生に疑問を持ったり怒ったりしながら、最近やっと色んな事に気付き始めています。

私が一番自分に没頭し、好きな事を一生懸命やっていた多感な頃(12-16歳)の記憶がすっぽりと抜け落ちています。

大好きだった音楽、数え切れないほど読んだリルケゲーテ、日本の詩人の言葉、聴いたラジオやアーティストの事。
それは私が今やりたい事の原点になっているのに、何故だか不思議にディテイルを思い出す事が出来ません。

高校に入ってから好きな音楽を始めたけれど、それは皆で出来る音楽であって、自分が愛した音楽ではなかった。
悪いとは思わないけれど、私の妥協と他人に合わせる、と言うのはここからスタートしたような気がします。

それから20年以上も自分の気持ちは内に置いて、他人のしたい事や親の希望や夢、社会の規範に自分を押し込んで生きて来た結果、この病気が発症したような気がします。

こんなことがありました。
学校でも家でも独り遊びが好きで、本人はちっとも気にしていなかったのに、母親と担任が「友達がいない」事が問題だ、と私に友達をあてがったのです。たまたま彼女とは気が合い、仲良くなり大人になっても親交は続いたので結果オーライですが、

別に私は寂しくなかったし、友達?へっ?どうして? と感じたのを覚えています。
友達が居ないのが私の個性なのです。

今、それに気付いても遅いかな。
本当は独りで黙々と好きな事をするのが何よりも楽でした。友達と遊ぶより独りでいたかった。
飲み会は苦手なのに盛り上げ役でした。人混みも苦手でお出かけは嫌い。人のお世話をして姉御肌を演じ続けて、もうそれは終わりにします。

したくてもパニック発作が出てしまうから、人混みに行けないし
子供の頃から出かけるのが嫌いで疲れやすかったから、きっと無理が出来ない身体なのだと思います。

自然の自分を見失い、強くなり、社会に合わせ、誰からも評価されて上手くやれる人間になろうと、無理で空回りな努力を続けた結果がこれだった。
でもそれは無駄ではないと思うけれど。

もう他人に合わせることもありません。
嫌なら会わなければいい、それだけだったのです。
家が好きならトコトン家に居て好きな事をすればいい。
それが私だったのに。

回り道をしました。
でも今気付いた。

だから良かった、と心から感じています。
自分の心がクリアに見える、それは一番の幸せです。

気付き

2月からエビリファイが追加になり、かなり動けるようになって来た。
鬱状態を通り抜けて軽躁まで行ってしまったので、まずは1/2錠に減らし、今月に入ってからエビリファイの服用を止めて、鬱に戻してみた。

3日目くらいから身体が動かなくなり、「あぁ、やっぱりまだ本質は鬱なんだなぁ」と実感したが、軽躁中はとにかく眠れなかったので、心行くまで寝まくった。

薬で動かされ、追いたてられているようで
買い物も連日行ったりして、何だかばかばかしく、苦しくなって来たのだった。

主治医が言っていた「やや鬱」が一番良いと心から実感した。
しかし、急に断薬するのも良くないと思ったので、主治医に相談。
必要時に1/4だけ服用することにした。
それでも充分に利き目があるので、出かける日などに限定して飲むのだが、睡眠障害が酷く、睡眠薬を飲んでも3時間位しか続けて眠れないし、便秘もひどくなってしまった。

薬って難しい。

結局、この病気(今は病気と思わないが)と一生付き合うためには、薬の助けも必要だけれど、生き方を根本的に変えるしかないのだ。

私は気付いてしまった。
子供の頃、したいようにしていた頃の事を思い出して。

あの頃病気だったか?
そんなことは無く、自分の心の赴くままに、本を読んだり一人遊びをしていた。
教育の中でしたくない事を次第に強要されるようになり、叱られるのが怖い自分は、周りの空気を読み、合わせるという技術を使うようになり、いつしかそれが自分になってしまったのだった。

自分でない自分を長年続ければ
こうなってしまうのは当然で、私は狂人でも何でもなく、
適応障害、と言われる雅子様が可哀想でならない。

主治医に「刺激の少ない生活を」と言われ、なるべく瞑想や深呼吸、リラックスを生活に取り入れるようになった。
何かをやらねば、と思うことを辞めた。
とにかく、したい事だけをして自分の心を中心に考え、生きる事にしたのだ。
それはわがままでも何でもない。

私は人混みが苦手=行かなければよい
私は独りが好き=独りでのんびりすればよい
静けさが好き=家が安心出来る場所だから、必要以外でかけない

ひきこもりも悪くないのだ。
社会に出なければいけない、誰かとつながらなければイケないなんて誰が決めたのだろう。

ゆえに、パソコンもしたい時だけ。

別にコメントしたりイイネしたり、気を使う必要もなく、
今までの友達も必要ない。

猫が死んで寂しくなったけれど、私は独りで過ごした子供の頃に戻って、本を読んだり、映画を観たり、疲れたらしっかり横になって眠る。
何が出来ない、やらなければ、付き合わないと、
「しなければならない事」「空気を読むこと」「必要以外に人に会うこと」を辞めたら、もの凄く楽になった。

世間の常識

それは人間の自然の状態とは異なるから
自分なりに生きればいいのだ。
死なない程度に。

得か損か

昨日、私は爆発した。

一昨日のカウンセリングで答えが得られなくて、もどかしかったからかも知れない。

パートナーの経済的な問題、精神的なコミュニケーションが出来にくいと気付いたショック。

未来の希望、治って新しい人生を生きるための指標。
そのために今、何をすべきか、そしてどう考えたらいいのか、
どうやってパートナーに対応したらいいのか。

その答えを求めて病院に行ったけれど、たった50分、されど50分で分かったのは「自分が途方に暮れている」と言う事だけ。

それが分かってよかったですねー。
と言われたけれど、私はちっとも良いと感じられなかった。

共感を求めて通うのだけれど、上っ面な気がしてしまう。
一通り話しても「で、あなたはどう思うの?」と聞かれるのが苦痛になって来た。

他人は自分の思う通りにならない、と一喝された事がまだ
心に引っかかっていて、
その言葉ばかり反芻してしまう。

「自分にとって損か得か、を考えて判断すればいい」と言われたけれど、そんな計算もなかなか難しい。
人との関係はグレーゾーン。

もやもやした気持ちを抱えながら、それでも色んな事を
家で出来ることを少しずつして行く
どこが最終地点なのか分からないし、
自分が正しいのか、間違っているのか

変化しているのか、それともまた元に戻ってしまうのか

何もかも見えないままだけど