実家。

 年明け、いつも何かが変わるような気がするけれど、1月1日の朝に早起きしてみても、特に変化のない自分の体と人生に気がついて、そうだよなと思う。

 それでも何となく区切りをつける事が、また少しだけ頑張るためには必要で、そのためには年末年始って最高だな~と思いながらテレビで永遠に流れ続けるお笑いを観ている。

 芸人さんっていつ年末年始のおやすみ取るのかなと考えてみるけれど、娘さんはがんばるお父さんをテレビで見て応援するけれど、少し寂しかったりするんだろなと考えてみるけれど。

 今年のお雑煮は、お餅が少し焦げていて、それが香ばしくて美味しい。

空中浮遊。

 昔から休憩時間が苦手だ。さらにその時間が長ければ長いほど。たった5分でも嫌だが20分よりはずっとましだ。誰からも連絡のないことが分かりきっているスマホを取り出して時代の最先端を走っているふりをしながらSNSをチェックしていく。また芸能人が1人不倫現場を撮られて大変らしい。どんまい。
 小学校の頃、休み時間といえば友達と外でドッチボールをしたりサッカーをしたり、教室で掃除道具野球をやったりした。授業の間の10分休みは当時はまっていた遊戯王デュエルマスターズコロコロコミックの話でもちきりだった。今思い出そうとしても具体的にはその様子を思い返せないが多分そんな感じだ。意味もなく友達と教室を走り回ったりもした。そのまま廊下に出て端までふざけて走り抜ける。”廊下は走らない!”という張り紙があった事も思い出してきた。そういえばあの張り紙を書いたのは学級委員だったぼくだ。
 中学生になると話の内容はもっぱら恋愛のことばかりになった。人はなぜか中学生になると恋について考え始めるようにDNAでコードされているらしい。A組の田中とC組の櫻井さんが付き合い始めたらしいぞ、うちのクラスの吉田はD組の伊達ちゃんに告白しようとしたが町田(うちのクラスの女子リーダー)がその前に言いふらしたせいで伊達ちゃんに逃げられているらしい。確かにそんな事されちゃ付き合えるわけない。町田は何でそんなことしたんだ。普段、吉田といくら仲がいいからってそんな事しちゃ…あ…そういう事か。普段はバレー部でキャプテンを務めカマキリを平気で手で掴むような男気溢れる町田ですらそうなのだから、中学生はやはり恋をしないといけないらしい。
 人間、はい休み時間ですよといきなり言われても特にする事がない。家ならともかく、そうでない場所で気の抜けたふにゃふにゃの僕を周りに見せびらかす訳にもいかない。意味もなくふ〜と息を長く吐いてみるが別にどうってことはない。椅子にもたれかかって背中を伸ばしてみる。体がふわりと、まるで空中浮遊したように時間が止まる。僕の心が重力から解放され、体から浮いて出て行ってしまいそうで怖くなってやめる。でも、これはなんだか休憩っぽくていい感じだ。20分も休みがあるならトイレにも行く。もちろん、みんなが同じことを考えているので混む。用をたすために並ぶのもなんだかバカバカしくなって戻るまでがいつもの流れだ。こんな時にタバコの1つでも吸う習慣があれば何も考えずに喫煙所に行くんだろうな。休憩時間に何をしようなんて悩むことはない。そうか、タバコは時間を消費するためのツールなのか。喫煙所に行って、タバコに火をつけて1、2本の煙を燻らせて帰る。よく考えてみれば休憩時間にこれ以上ぴったりな暇つぶしもないのかもしれないな。そんな事を考えながら無意識に動いた右手はポケットからスマホを取り出していた。
 僕たちの世代は高校生ごろから、先見の明があった人たちは中学生の終わり頃からスマホを使い始めていた記憶がある。僕が初めてスマホを持ったのは高校一年生のことだった。スマホが世の中に普及し始めてから休憩時間の過ごし方は大きく変わった。それまでは文庫や新書を休憩のために持ち歩いていたり、任天堂から出ている携帯ゲーム機(DSとか)を持ち寄ったりしていた。でもスマホにはそれ自体にゲーム機としての機能も備わってしまっている。人は自分の視線がスマホ以外に向いていると不安になるのかと思ってしまうくらい、電車や待ち合わせ場所、そして休憩時間にスマホをじっと見つめている。もし人間の目から見えないビームみたいなものが出ているなら世界中でスマホの真ん中に穴が空いて大変なことになってしまうだろう。僕も今、こうしてスマホを見つめている。ビームは出ていないらしくスマホに穴が空きそうな気配はない。 
 休憩時間は何をしてもいい。何をしても。休憩時間なのだから。でも何をしたらいいか分からない。小学生の頃から変わらず、友達とダラダラ話して過ぎて行く休憩時間たち。時計の針は13時55分を指していた。もうすぐ休憩も終わりみたいだ。

コーヒーとドーナツ。

 直近に控えていた大切なテストもほとんどが終わり、やっと生活が落ち着いてきた。最近は時間ができれば読書でもしようかなと机の上に高々と積まれている文庫たちの中から毎日一冊を持って学校に行き、読み終えたら帰るという貴族のような日々を送っている。

 医学生に限ったことではないが、世の中にはあまりにもテストが多い。僕はどうもテストというシステムが昔から苦手で、テストの重要性が高いほど前日の夜は眠れず最悪のコンディションで試験に望まなければならないことも少なくない。医学的にも証明されているが睡眠不足は確実に認知能力を低下させる。今、自分が何について考えているのかふと分からなくなる瞬間があったりすると「今日のテストはもうダメかもな」なんて思ってしまうものだ。そんな時はいつも、少し時間を食ってしまうことを承知で九九を頭の中でやってみる。簡単すぎるので1の段は飛ばす。2の段から、にいちがに、にさんがろく、とやってみる。どうして九九なのか?それは小学二年生の時に「これは知的だ」と初めて認識した、友達とできるゲームだったからだ。ルールは簡単でいかに早く、正確に九九を言えるか。小学校二年生だった僕はどれだけ九九を早く言えるかが賢いことだと思っていたし、友達よりも正確に素早く7の段を言えた時は嬉しいと素直に思っていた。そう言えば、友達に負けたくないと家で母親と練習したりもした。母親はうんうんとなんども繰り返す僕の7の段を聞いてくれた。(たまには2の段も聞きたかったろうに僕は苦手な7の段ばかりを練習していた。)それ以来自分の脳みそコンディションチェッカーとなった九九は今も健在で、しっかり9の段まで言えると、まだ大丈夫そうか、と再びテストの文字を追うのだ。

 しかしどうして眠れないほどに感情が揺れ動いてしまうのだろうか。その理由の1つには、きっと僕が自分の能力を実際よりももう少し上なはずだと心の何処かで思っていることがあるのだと思う。テスト前なのだからもちろん勉強はそれなりにしているし、あとはもう受けるだけなので悩んでも仕方ないのだけれど、結果が出なかったらどうしよう、くだらないミスを連発してしまったらどうしようなどと考えることをやめられないのだ。

 これは僕が試験に落ちることや、成績が振るわないことが僕自身に起こることを恐れているからでその魂胆には「落ちるような人間ではない」というような、ある種驕りのような感情があるのだと思う。もし自分自身に全く期待していなければ、落ちてもともとと悟りの境地に達しているかのような振る舞いになることは容易に想像できるし、自分はもう少しできる人間なはずだと自分を一番追い詰めているのはきっと自分なのだ。

 では自分に一切期待せず、自己否定を受け入れるべきか。ぼくはそうは思わない。小さい時、自転車の後ろを持ってもらいながら練習していたあの時、僕は「もう乗れるから大丈夫!」と強がってペダルを大きく踏み込んだ。誰の手も繋がっていない自転車はグイッと前に大きく進み、僕は初めて1人で自転車に乗った。僕は1人でも乗れると思ったから乗れたのだ。怖くなかったわけではない。でも踏み込んだ。

 大好きだったあの子に告白したのは、ただ気持ちを伝えたかっただけなんかじゃない。きっと付き合えるはずだと思っていたからだ。怖くなかったわけではない。振られたらどうしようと考えるだけで唇は、手は、足はガクガクと震えた。それでも僕は告白した。(結果は大成功!)

 自分はきっとできるはず、そう思えば思うほど叶わなかったときの事が怖くなって、気持ちは不安定になる。ダメだったらどうしよう、そう思えば思うほど前日は眠れないし、その場へ向かう足取りは思いなんてものじゃない、震えて使い物にならない。それでも自分に期待しなければ、1つ上のステージになんて挑戦できない。自分のなりたい自分になれる自分に期待して、僕たちはこれからも震える手と足を必死に抑えながら立ち向かって行くほかないのだ。

 テストが終わり生活が落ち着き、合格の結果も出て心は穏やか、家で濃いめのホットコーヒーと砂糖で真っ白のドーナツが手元にあるというこれ以上落ち着きようのない状況のもと、全く震えることのない手でパソコンに打ち込んできたこの文章に説得力があるかどうかはさておいて。

3.6.

ねむらずに朝が来て ふらつきながら帰る
誰もいない電車の中を 朝日が白昼夢色に染める
ああ制服の少女よ 気が狂いそうな青空と朝日の
せいで白くまぶしい
俺はうすく目を開けて 閉じてそしてまた開く
現実と残像は繰り返し 気がつくとそこに
ポケットに手を突っ込んで センチメンタル通りを
練り歩く 17歳の俺がいた
朝日は いまだ白くまぶしくて
俺がおれを取り戻すのをじっと待ってる
だんだんクリアになってゆく 頭の中の想い出が遠ざかる
さあもう目を開けて 感傷のうずまきに沈んでゆく俺を
まぼろしに とりつかれた俺を
突き飛ばせ そしてどこかに 捨てちまえ

OMOIDE IN MY HEAD -NUMBER GIRL-

 


 今日はいつもより薄いコートで外に出ることができた。春がきている事を肯定したいがためにここ数日寒い思いをしながら薄手のコートを羽織っていたけれどやっと報われた。街ゆく人々は暖かい日差しを浴びてどこか嬉しそうでその足取りも軽い。
 卒業シーズンがやってきた。出会いは別れとともにあって僕も例外ではなくたくさんの出会いと別れを繰り返してきた。自分が数ヶ月、数年と身を置いてきた環境に別れを告げるのはやはり寂しいもので、それがどこのだれかも分からない人に訪れていると感じるだけで少し胸が苦しくなる。しかし当事者にとって別れというのは実際にその瞬間が訪れるまでほとんど実感はないもので、やれ先輩だやれ後輩だかがこぞって、おめでとうございます、これからも頑張ってくださいなどと伝えてくるばかりだ。卒業はめでたいのことなのか、言われてもイマイチ実感のないまま卒業したその翌日にどこへ行く気力も対して起こらず家で午前中をだらだらと食いつぶして初めてなんとなく感じたものだった。
 大学というのは極めて特殊な環境だ。例えば義務教育では年齢こそ同じではあるもののいろんな価値観を持ち多様な家庭環境を抱えた人間が同等の教育を受けているにも関わらずそれを学問の道として選択して人生を歩む人間もいれば手に職をつけて強く逞しく生きていく人間もいる。同じ年齢というだけの人間が一堂に教室という箱におさめられる。一方で大学はその道を志した人間が集まる。年齢もバラバラでバックグラウンドに差があるために多様な環境であるように見えるかもしれないが、本質的には似た人間が多いように感じる。専門性が高まれば高まるほど、特にその傾向は強い。
 大学でも友達ができた。彼らはきっとこれからの人生でもそれなりにつながりを持ってお互いの人生を見守ることになるのだと思う。信頼できる。人間関係に絶対はないけれど。
 想い出は人に力を与え、心の支えとなり、人を苦しめ、人を殺し人を生かす。忘れてしまった想い出もきっとまだ心の中のどこかで時々僕にちょっかいを出しているのだろう。友達と街を練り歩き朝まで美味しいお酒を飲み明かせばひどく痛む頭でぼーっと乗った朝の電車も、大好きな人に告白した道に生えていた草の匂いも、初めてギターを手にして鳴らしたGコードも、みんなで鳴らしたあの曲も、ぜんぶ今の自分だ。
 先輩の卒業に際して追いコンが開催されることになり、友達とバンドで出演することになった。ぼくはまだ数年学生でいられる。想い出を作ってかき集めている真っ最中だ。想い出は人を生かし、人を殺す。卒業することは、人や環境との別れは、その想い出と別れることと共にあるのかもしれない。想い出は心を癒し支え、力を与える。センチメンタルな心は逃げ出そうとするその足を引き止めてくれるかもしれない。でもそれだけじゃ。
 自分が卒業するときには、きっとこんなこと考えられないのかなって思います。
 どうか感傷のうずまきに沈むことなく、全部突き飛ばして進んでください。いつかはその想い出があったことすら忘れてしまうくらいに。
 ご卒業おめでとうございます。

2.13. エブリデイ ナイト モーニング

2/1(木)
こんなに頭がぼーっとするのはたった今テストが終わった解放感が全身の血管を拡張させて血液が一気に流れたせいで脳みそに行き届いてないからなのかそれとも単にきのう徹夜したからなのか、それともせっかく徹夜したのに大した成果も残せなかったうえ再試験になる可能性さえある結果だったからなのか。
今なら、九九も7の段くらいなら半分は間違えてしまいそうだななんて考えながら帰る。いつもの友達たちと、いつものように、いつもの定食屋さんに集合しいつものようにテストがダメだったとか、明日の授業はどうだとか週末はどこに行く予定だとか明日は雪だとか、ホッカホカのあっつあつのカツ丼に七味をかけてあったかいお茶で流し込んだ僕たちはそれぞれの帰路につく。午後1時28分。

あれ。もう暗い。
真っ暗な部屋はお昼のままの姿で僕を見つめる。カツ丼にエネルギーを吸い取られた僕はそのまま寝てしまったみたいだった。
適当につけたテレビから流れるバラエティではいつもように芸人たちが熱いお湯にリアクションしたりそんな面白いこと現実で起こるかよ、みたいはトークを繰り広げたりしていた。しかも宅配ピザはついに20分で届くようになったらしい。家かよ。朝飯作るだけでももっとかかんぞ。テレビから離れてキッチンに立つ。水道から直接注いだ水の温度がコップの壁を通して手に伝わる。つめてー。冬の寒さが染み込んだその水が一気に喉を通る時、僕は確かに生きていた。

 

2/2(金)
酒、タバコ、女。身を崩しかねない。やばい。
でももっとやばい。ずる休み。やばい。やめられない。
小学生の頃初めて、特に感じてなかった腹痛を理由に早退したあの瞬間から僕はずる休み中毒なのかもしれない。まず名前がやばい。ずる休み。他の誰かにとってはずるい理由で休む。しかもそれがずるいということは休むこと自体は特に批難の対象ではないという状況。ずる休み。ただ、今は、ただ勝手に休むことをずる休みと自分で言ってるだけであり、これは普通に休んでるだけなんですけどね。失敬失敬。ずるくないです。普通の休み。ふつ休み。いや、休みというかサボり。普通のサボり。ふつサボり。

金曜日なので彼女と2人で贔屓にしている居酒屋さんに足を伸ばします。
彼女と2人で居心地のいいお店で大好きな日本酒とかビールとか、それにお刺身とかちょっとした揚げ物とかあったりするともうはっはっはーってなりますよね。はっはっはー。
隣でウーロン茶を飲みながら会社の愚痴や今週大変だったことをひとしきり話せばすっかり話すのに疲れてしまった様子で、一転して僕の話をうんうんと聞いてくれる彼女は甘辛く煮付けられたメバルをつつきながら、次に頼むものを探すためにメニューを旅していた。終わりなき旅。幸せの旅。

 

2/3(土)
バスに乗ろうと目標を立ててスーパーに行く。
バスは楽しい。窓がでかいから。みんなより少し高い位置で街を進むことができるから。大きな箱に乗って揺られて進む。
信号で歩みを止めたその箱はいつもは見えない街の息づかいを見せてくれる。隣で停車したワンボックスの中でおじさんも外を眺めている。一歩立ち止まって、今自分のいる道を確認して、また一歩踏み出して。

一緒に暮らし始めたあの頃はスーパーでの買い物も苦手で、いらないものといるものの区別もできない僕らは伸びすぎたレシートに苦笑いしながら、でもそれがやけに嬉しかったり。今はずっとずっと短くなったレシートもレシート箱には捨てられず、こっそりポケットに忍ばせる。理由なんてないけど。
帰りのバスはまた220円。でもあの頃よりずっとレシートが短いから、バス代2人分なんてまだまだ余裕だ。

1.27.

----1/27----

日曜日。サンデイ。イッツビューティフルサンデイ。

 

テストを1週間以内に控えた僕ら学生のすることといえばもちろん教科書を開き授業でもらったプリントを理解し過去問を印刷しそれを解き、教科書を確認し、プリントを理解し...

この過程をこなせばきっと大丈夫と取らぬ狸の皮算用そのままの思考で僕はpcの電源をつけ最近ハマってるポーカーのソフトを立ち上げた。

だって過去問やればいいし。

「時間がなければないほど人は目の前のことよりも何の意味もなさないようなことに時間を費やしてしまうよね」

「そうそう」

「わかる〜」

口々に足並みを揃え、例えそれが建前の虚構であっても自分がこの世界の基準からそう離れていないことを確認し安心する日々。

 

今週は学校の行事として学年の生徒全員で旅館に宿泊し、様々に用意された課題をコミュニケーションしながら進めていく、いわゆるオリエンテーションみたいな普通入学の時点でやるでしょ、みたいなことを大学3年生なのにしてきました。

普通に楽しかった。

今まで普通に話したこともあったし、それなりに知ってるつもりだったクラスの男の子が入学してからもう2桁の国家資格を取得したって聞いて本当に驚いた。彼は確かに真面目だし変わってるけど、もう放射線を取り扱う人を管理できて、さらにはガソリンまで取り扱えるらしい。彼は放射線を取り扱う人を管理できるタイプの人間で、僕はそうでないタイプの人間。彼はガソリンを取り扱えるタイプの人間で、僕はそうでないタイプの人間。

でも僕は、そういう友達を持ってるタイプの人間。

何したくてとってるのって聞いては見たけど、多分なんの意味もないんだろうなってことは僕もわかってて。

「何でだろうね。分かんないけどなんかしてないと。」

まるで純米大吟醸飲んでるみたいに心にすっと染み入ってきた彼の言葉は、その翌日帰りのバスに乗るまでずっと残ってました。

ちなみにちゃんと、その夜は友達と朝まで純米大吟醸飲んで、余興ではしゃぎ過ぎてた友達の動画見ながらずっと笑ってました。

 

いつも一緒にいる友達といてもそこが学校でもない、誰の家でもない、いつもとは違う旅館という場所だからなのか、それとも美味しい大吟醸(ちなみに"爾今"って言います)が血液を走り回ってるからなのか、話すのも恥ずかしいような未来の話もしちゃったり。

いつも何にも考えてないように過ごしてるだけでみんなちゃんと考えてるなって思いながら、でもそんなきっと上手くいくことばっかりでもないよな、って笑い合う時間は特別だなって今更ながら思うわけです。

 

---1/28---

時計をまたいでこんな時間にまた暇を持て余したような過ごし方をしているわけにはいかないこと、理解してはいます。ごめんなさい。

頑張ります。

今週も精一杯やり過ごして生きていきましょう。

 

1.17.

 この前テレビで、”「肉」も「魚」も寝かせるのが美味しい。だから物事も良く考えた方がいい。”みたいなことが言われてました。まぁ確かに。でも、思い切って特に考えずに足を突っ込んだことが今だに良かったな〜なんて思うことも多いのも事実で。最近、友達と本当にノリで始めた作曲だけどDAW(音楽を作るソフト)まで買って、作った曲聴かせ合ったりして、楽しいな〜なんて思う日々が続いているわけです。プラグインのシンセ買いたいです。MIDI鍵も。
 
 先週末もなんとなく、ただなんとなく見たいなって思って観た松岡茉優さんの初主演作 ”勝手にふるえてろ” がすごい良くて。どれくらい良かったかというと、その帰りの足ですぐ本屋行って綿矢りささんの原作即買いしちゃうくらい。これは良い映画だったって意味ですが、あの映画見てまるで自分を見せられている様な気がして気分悪くなっちゃう人もいるんじゃないかなって思ったり思わなかったりしました。ただ僕はもう一回くらいは足を運んで見てこようかなって思ってます。一人映画。大学入るまで近くに映画館がなかったから一人では全然いけなかったけど、もう映画館ってすごいいいですよね。住みたい。だってまず匂いがいい。甘くて美味しそうなポップコーンの匂い、あの独特なカーペットの匂い、席についたときのあの匂い。それに、ただ映画を見るために映画館に行く、と言うその事実そのものが何よりいい。僕はただ映画を観に映画館にいくのがかなり好きです。彼女と二人で行く映画館はもっと好きです。

 

 自分のくだらない近況から始まってますが今日は何より今年の目標について記しておかねばならないと強く感じたので書きます。気がつけば2019年も2週間がすぎたそうで。他人事みたいに言ってますが、僕的には2週間もすぎたと言うことはもう次のテストまで2週間を切ったということでして、日々迫り来るテストとレポートの波に今年も頭を悩ませるのかと考えるだけでズキズキと頭痛がします。この頭痛は美味しいお酒を飲めば全く感じなくなります。

 

<目標>
・週に一度は文章のアウトプットとしてここに来る。
・去年破滅的に継続できなかった英会話に取り組む。
・読もうと思った本は必ず買う、読む。

 

まるで英文科に在籍しているのかと疑いたくなる様な目標ですが頑張ります。 

 

あと、お酒は飲み過ぎない…も…。