弱者の理論

場所と空間、重力とポップカルチャー。


只今、アーカイブ更新中…

MCU『アントマン』が偉大だった理由を振り返る

2017年もマーベル映画が絶好調でしたね。

アントマン (字幕版)

アントマン (字幕版)

 

シリーズ全体としては今『インフィニティ・ウォー(IW)』への準備段階、ということなのですが、(ドクター・ストレンジは日本公開が遅れたとはいえ)1年間に4本公開するって、いくらなんでもマーベルスタジオ稼ぎすぎやろ。しかも全部良く出来てるって。

DC勢の加勢もあってますますテンションが上っていくアメコミ映画だが、その中でもあなたが注目すべきヒーローが、「アントマン」である。実際にぼくは『アベンジャーズ』でも『アイアンマン』でもなく、映画『アントマン』からMCUに入っていったファンのひとりなのである。


「アントマン」MovieNEX予告編


まず最初に知っておいてほしいのは、大人、そして「ヒーロー映画って…」と心理的な距離を感じている人。そんなあなたほど、『アントマン』を観るべきだ

その理由、本日のアジェンダは以下の3つです。

1.ヒーロー映画に対する大人の“一歩引いた”視線の内在化

2.個人レベルの“小さい物語”でヒーロー映画を成立させた

3.シリーズ全体でのコメディーリリーフとしての存在価値


さあ、今日は長くなるぞ。

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カラスは真っ白と「レイヤー」の話――〈踊れるロック〉の終わり? part.3

 久しぶりにライブレポート欲に駆られるライブを観た。

 

 だいぶ前の事になってしまうのですが、TWEEDEESとカラスは真っ白の対バンライブに足を運んできました。アット渋谷WWW。

 まあ楽しかったですよ。TWEEDEES/沖井礼二については以前の記事でも言及したので、今回はもう片方のカラスは真っ白。そう、カラスは真っ白ですよ。変わったバンド名だけに、なにについて書いてるのかわけわかんないっすね。

ヒアリズム

ヒアリズム

 

 

 時は遡って約2年前。ぼくは「踊れるロックの終わり?」という記事を書いたわけですよ。当時は「4つ打ち」という言葉が徐々に認知され、叩かれだした時期で、ぼくはその記事で「もう縦ノリロックの踊れる要素は蒸留・抽出が済んでしまっているから、これからもっと流行ることは無いだろう」的なことを考えていたわけですが、まあそうそうイメージ通りに行くはずもなく。まだまだそういうトレンドはありますよ。ブームを創りだしたテレフォンズは活動休止、オカモトズもまだまだブレイクスルーを起こせていない。

boshios.hatenablog.com

(なんか妙に読まれてるんだよね、この記事)

 

 でも10代が4つ打ちでワオワオ言っている一方でそのノリに着いていけない大人は何を聴けばいいのか、という中で「シティー・ポップ」という言葉がまた持ち上げられだして。恐らく「ニュー・ミュージック」という言葉と一緒に使われていた時期とは全く違う意味で語られているのだけれど、それってドリーム・ポップなんじゃね、というツッコミが入ることもあるようですね。まあそもそも「シティー」ポップ、街の音楽なんて一体どういう音楽かわけわかんない言葉なんで、もっとこう、適当に使っていけばいい言葉なような気もしますけどね。もう「渋谷系」に続くバズワードですよ。いっそ、漠然と「都市」を感じたら、もうシティー・ポップでええやんみんなが好きなお散歩音楽、全部シティー・ポップでええやん、とも思います。

 ともかく、Jポップという言葉が生まれる以前の日本の音楽を上手に解釈して、それに別ルートからのダンス・ミュージック/ブラック・ミュージックを調合して、「もうライブで汗だくになる歳じゃないしね…」っていう大人に向けた音楽にして流行っているものもある、という。まあ面白い話です。

 

 昨今の4つ打ちの流行が叩かれているのも、ざっくり言ってしまえば「音楽がひとりで楽しむものでなくなっている」、それが「文脈が浅く、すべてが同じようなものになっている」、そしてなによりもその2つが「大人にウケていない」というのが問題なんですよね。

 この文章はハロウィーンの喧騒の最中に書き進められているわけですが、要するに10月31日に仮装して渋谷に繰り出すような、日常を上書きする「非日常感」と、その「共有」が音楽にも求められるようになっている、というだけで。

 うんうん、10代はそういう発散の場所とお祭りが欲しいんだよね。酒を飲んでバカ騒ぎすれば腹の虫が収まるおっさんとおばさん方は引っ込んでましょうよ。ね。 

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〈97年組〉とCymbals ――時代の終わりのショービジネス

 先日、身近にいる方々が行っている、おすすめのCD交換会に参加したんですね。

そして、持ってきたCDの出品理由を書くことになったわけですが、それが妙に長くなっちゃったんですよ。なので、久しぶりにブログの記事としてドロップすることにしました。ここに飛んで頂ければ全部説明できるように、こちらの方が便利だと思いましたので。

まあ、よく読んでみればいつもと同じようなことしか書いていませんが、お付き合い頂ければと思います。

anthology

anthology

 
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2014年個人的ベストトラック10

 と、いうことでこちらのブログからはお久しぶりです。元気じゃないですけど、元気のフリをしています。
 最近はブログのほかにnoteで定期的にエッセイのようなものを書いています。こっちよりも軽い内容を軽めの量で書いているので、だいぶ軽い気持ちで読めると思います。軽いこと尽くしの勝手に連載『邪なひと』、よろしくお願いします。リンクから読めますよ。

 

 まあ、年末ですよ、年末。この間はとても楽しいクリスマスパーティーにお誘いいただきまして、美味しいケーキを頂きました。追加予算で買った京月をガバガバ飲み、最終的にはワインをボトルでラッパ飲みするというパフォーマンスに打って出ましたが、まあ酷いことを言ったりやったりもせず、なかなか楽しくお喋りができたんじゃないかと思っています。

 

 どうでもいい挨拶はこのくらいにして。今年もやりたいと思います。年末。2014年の楽曲ベスト10です。今回はきちんと順位もつけたので、カウントダウン方式で発表していきたいと思います。

 

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「自分語り」、「閉塞感」とロックバンド【番外編】 ――Base Ball Bear『二十九歳』再び

 前回は「閉鎖的」という要素に注目しながら赤い公園のパフォーマンス体制を見てみたわけなんですが、こういった「閉鎖的」という言葉は、基本的にはパフォーマンスでは無く、その楽曲そのものに対して使われる言葉ですよね。例えば、深夜ひとりの部屋で鬱々とするスガシカオの楽曲は、音楽的にも、楽曲の内容を見ても「閉鎖的」な曲ですよね。

二十九歳(初回限定盤)(DVD付)

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(弊ブログ、二度目の登場) 

 

 こういった楽曲が「閉鎖的かそうでないか」の違いは、様々な要素があると思いますが、一番の要素として楽曲の中に「他者」がいるか、そしてその他者との「対話」は生まれているか、ということにあると思うんですよ。たとえばスガシカオの楽曲でも、自分になにかひとことバーンとぶつけて鬱々とした現状を打破してしまう「他者」の存在があれば、その閉塞感はある程度は打破できるかもしれない(まあ、その存在がいないことこそがスガシカオの楽曲の特徴であるわけですが)(そしてそのスタイルもここ数年で変わりつつあるのですが)。

 川谷絵音ゲスの極み乙女。で歌っている曲は、その多くが「自分では無い存在(=他者)にぶっ潰される」ことが物語のスタートになっていますよね(「ノーマルアタマ」とか)。「キラーボール」なんて、「ライブで楽しそうに踊ってるうちはひとつになった気になれるかもしれないけど、ぼくらは結局わかりあえない」「他者は結局のところ他者」っていう相当エグいテーマの曲ですよ。斉藤和義の「やさしくなりたい」や「月光」では、ひとつの悩みにドはまりしてぐるぐる同じところを永遠にまわっていたところ(閉鎖的な世界)に、どこからともなく女性(他者)が現れて、悩みをバーンと蹴り飛ばして帰っていく(対話)

 そんな、「自分では無い存在」といかに「対話」をしながら世界を広げていくか、というのが「閉鎖的なもの」の特徴としてあると思うんです。閉鎖的ということは、どうにかしてその閉じた世界に聴き手を引き込むか、ということが重要ですから。そして、今までさんざん語っているような「分業体制のロックバンド」は、こういった「対話」や「他者」の問題を、「自分では無い人間が曲を歌う」という、他者を内在化させる回路を通すことによって巧みに回避する訳です。

 

 そもそも、個人の悩みや葛藤、コンプレックスをテーマにしたよくありそうな曲なんて、言ってしまえば音楽や歌詞を通して一種の自慰・自傷行為を見せるようなものですからねそれが「楽曲」というフィルターを通すことによって「何故だか」ある程度は許されてしまう、というだけで

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赤い公園が回避する「アバンギャルドの回路」

 今回の乃木坂46さゆりんご事件、ぼくらにはふたつの選択肢が用意されている

 ひとつはもちろん、本人の弁明を信じること。もうひとつは、彼女の弁明は嘘で、いろいろ問題があるけど本当はガチな関係だったんだろうと考えること。前者は彼女がナンパされた知らないおじさんにホイホイ付いて行って路チューするタイプの、多少なり軽率なところがある女性であることを認めることになり、恋愛禁止を破ったことにはならなくてもイメージ的にそれとはまた違う形でマイナス点が付くことになってしまう。後者は彼女が男性や交際についてある程度は真っ当な感覚を持っている(稀なケースではありますが、ハタチそこそこの女の子がおじさんと付き合う、ということは無いわけではありません)というエスケープはできるものの、ファンに向けて嘘をつきながら身を守ろうとしていることと、何よりも自分たちが彼女の言葉を信じることができなかったことを認めることになってしまう。さっしーの時とはちょっと違う、やきもきして、どっちに向かっても違うジャンルのダメージを受ける感じのヤツです。

 事実がどこにあるかはわかりませんが、ある程度の人望があれば恋愛スキャンダルくらいはファンがなんとか飲み込んでくれることを先人が証明してしまった以上、「交際は事実」「でも家庭持ちというのは知らなかった」の一点張りで通すのが、切れ味のいい刃物でひと突きされるぶんトータルのダメージが1番少く済んだような気がします。魅力的な人は本当に魅力的なもんです。そこに交際経験のある・無しは彼女がアイドルである以上は重要なのだけれど、本質ではない。もちろん突き詰めて人間不信になるなら第3、第4の選択肢もあるのですが、これを考え出すと本当に悲しい気持ちになっちゃうのでここでは内緒。

 

 下世話な話はこれくらいにして。

猛烈リトミック(初回限定盤)(DVD付)

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 いきなり脇道に入ってやりたい放題でしたが、まずはtofubeatsですよトーフビーツ

 tofubeats代官山UNITオールナイトイベントに行ってきました。まあ楽しかったこと楽しかったこと。今までDJがメインのイベントに行った事って無かったんですが、ある一定の決まりに寄り添いながら音楽がかかるってあんなにも気持ちがいいんですね。そして、そのイベントのゲストとしてtofubeatsが「ディスコの神様」でコラボレーションした藤井隆(気持ちはさん付けですけど、泣く泣く敬称略。これ以降も登場する人名は全て敬称略)が来ていたんですよ。tofubeatsとのステージが終わってから、DJと藤井隆のステージがはじまりまして、藤井隆が自分の曲に合わせて歌って踊ってました。曲はほとんど02年にリリースされた『ロミオ道行』からの選曲だったと思います。

 こうやって書いてしまうとただのカラオケのように見えてしまって、そして実際のところ本当にカラオケなのですが藤井隆のスター性も相まって滅茶苦茶楽しいステージでした。前編では歌い手と作り手の関係を歌い手の側から考えたのですが、この藤井隆のステージも歌い手について考えるいいきっかけになったと思います。

(「ナンダカンダ」もいいですが、こちらもどうぞ)

 

 極論、歌い手がスターだったらただのカラオケでも楽しい。みなさん身に覚えがあるのでは。

 

 そして、tofubeatsの最新作『First Album』も目茶苦茶喋りたくなる傑作なのですが、それはまた別の機会に。

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「役者」としての歌い手と、男性・女性イメージ ――SMAP『Mr.S』など

 SMAP『Mr.S』を聴いています。

Mr.S(初回限定盤)[2CD+DVD]

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(今まで気にしてなかったんですけど、SMAPってYoutube公式チャンネルとか無いんですね)

 

 いやね、今までSMAPの音楽ってノータッチだったんですよ。しかし作家としてTRICERATOPS和田唱が参加しているとなれば、もうどうしても気になっちゃいますよね。そしてとくに最近気になっている赤い公園のソングライターでもある津野米咲の曲も聴かなあかん、と思ったんですよ。

 僕の周囲で『Mr.S』は、和田唱、津野米咲、川谷絵音みたいな作家陣のチョイスから話題になるわけですが、以前にもSMAPはROYや志磨遼平、山口一郎、みたいな若手作家とコラボレーションしているんですよね。ジャパニーズ・ポップスの体現者たるSMAPの音楽に、ポップス畑ではなくロック畑、メインストリームでは無くどちらかというとオルタナティブな音楽活動をしている(語弊がありますが、メインストリームにいない人、ということです)作家を起用するという姿勢に、我々はアガってしまう訳ですよ。

 そして重要なのが、提供されたのがどんな楽曲であっても、川谷絵音が提供した曲がどんなにゲス乙女の曲のまんまでも、それをSMAPが歌ったら全部がポップスになるんですよね。以前にヒャダインこと前山田健一SMAPに楽曲提供した時の体験談として「じっとりした曲でもさらっと歌ってしまう」人間力のなせる業」と言っていたんですが、ああまさにこういうことか、と。

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