❖女子体操着の歴史
ブルマの最大の特徴は、現代の体操着では絶対にありえない極めて高い露出度である。それはまさしく『運動用の見せパン』とでも言うべき代物だった。以下では、まず改めて当時の様子を振り返ることから始めたい。
上の写真は、左側が現在最も一般的と思われる女子の体操着(ハーフパンツ)である。近年の体操着は昔よりも肌の露出を抑え、身体のラインを強調し過ぎない中性的なパンツスタイルが一般的になっている。これは、昨今、学校教育でもジェンダーレス化が進み、「性別に関係なく各々の個性を尊重する」という考え方が普及したためである。いまや、大半の学校では女子だけではなく、男女共通でこの様なユニセックス型のハーフパンツを着用していることも多い。
一方、右側が昭和から平成初期(1960~90年代)にかけて、女子体操着の定番であったブルマである。この時代は、「男は男らしく女は女らしく」がモットーとされていたため、学校教育でも性別に基づく露骨な差別が行われていた。もちろん体操着も例外ではなく、男女で明確に区別されていたのだが、女子生徒に与えられたブルマは男子の短パンよりも布面積が異常に小さく、圧倒的にセクシーな見た目となっていたのだ。
❖犠牲になった少女たち
改めて下の写真をよく見てほしい。かつての女子生徒たちが、どれだけあられもない姿で運動させられていたか、よく分かるだろう。
これは決して水泳の授業などではない。年間を通して、日常的に見られた光景である。少し前までの教育現場では、年頃の少女たちに対し、このような『学校公認のセクハラ』とも言える行為が堂々と行われていたのだ。
彼女たちは体育の時間がやって来るたびに、スカートやズボンといった人間的な衣服を奪われ、事実上パンティ1枚で人前に出るよう強要された。そして、無防備にむき出しにされた肢体へと群がる視線によって、青春時代を通じて延々と辱められるという、哀れな運命を背負っていたのである。
ちなみに、男子の短パンは下の写真のようなものだったが、丈が短かったので、男でもかなり抵抗感があった。だが、ブルマの露出度はそれとは比べ物にならず、男子で例えるなら、短パンすらも脱がされてブリーフ1丁にされたような状態だったのだ。
❖ブルマの着用感とは
今まで述べたように、思春期を迎えて身も心もオンナになり始めた少女たちにとって、ブルマの強制着用とは、まさに悪夢のような経験だったと言える。彼女たちが、ブルマとそれをしつこく押し付けてくる教師、学校、教育制度を憎んでいたことは疑いようがない事実である。
だが、当時の女子生徒たちがそこまでブルマを嫌っていたのは、決して単純な露出度の高さだけが原因ではなかった。そこで、以下では改めて、ブルマの着用感とは具体的にどのようなものだったのかを振り返り、主な特徴を整理してみよう。
『運動時の動きやすさ』や『女性的な健康美』などを徹底的に追求したことで、布面積が極めて小さくなり、太ももやⅤラインまで脚全体が丸出しになる。
フィット感のある生地が腰回りにピッタリ張りつくので、お尻の形や下着のラインなどが分かる。また、運動するほど、生地がお尻や股間に食い込んで、内側のシルエットが一層くっきりと浮き出る。
裾から頻繫に本物の下着(パンツ)がはみ出る。いわゆる「はみパン」。これを男子などから指摘されてしまうことは、女子生徒にとって死刑宣告にも等しい大恥だった。
穿いている間に生地が段々とずり上がって、まるでビキニパンツのように、お尻の外側が露出してしまう。いわゆる「はみケツ」。
❖まとめ
以上をまとめると、当時の少女たちがブルマに嫌悪感を抱いた最大の理由は、もちろんその圧倒的な露出度ゆえに、下半身のスタイル全てを不特定多数の男に観賞されてしまうからというのが大きい。
それだけでも、思春期の女子生徒にとっては十分過ぎる屈辱だが、悪夢はこの程度では終わらない。なんと、その最低限の布面積で覆い隠された部分さえ、決して安全地帯とは言えず、パンティラインやデリケートゾーンの形状が浮き出てしまうのだ。
おまけに、いわゆる「見せパン」であるブルマを凝視されるだけでも、顔から火が出るくらい恥ずかしいのに、生のパンツやお尻の地肌までも見られるリスクがあるとなれば、もはや授業に集中するどころではない。
それでも、当時の学校側からすれば、「ブルマはあくまで体操着であり、女子生徒たちを辱めるような意図はない」という言い逃れをしたことだろう。決して、卑猥な目的など存在していないと..
だが、それは詭弁に過ぎない。実際のところ、ブルマとは当時の権力者たちが明らかに性的な下心をもって導入した「エロ目的の衣装」である。
そして、それを穿くということは、自らが性的関心の対象として利用されることを許し、飢えたオトコ達の目を喜ばせるために奉仕することを認めた、ということなのだ。