C4g2JIlb’s blog

「あなたの感情はどこから?」

久しぶりです。

 

 雨がやみません。気分まで暗くなりますね。

 

 久しぶりのブログです。昨日・今日と、ある(以下K氏)が出てくる夢を見てしまいました。

昨日は一緒に花火大会に行く夢、今日はうちに遊びに来ていました。

今日に限って彼氏ができたはずの彼に彼女ができていました。その彼女はなにも関係のない高校の同級生。

 なぜ彼がいるのか、しかも彼女ができている。K氏は寝ていたのですが、その人の顔や手に触れたいとその場面で強く思いました。彼女がいたので触れることはできませんでしたけど。

 現実の世界で、人の顔に触れたい触りたいと思うことは絶対にないし、持ったこともない感情でした。なぜこの夢の中で、しかも2年前に私の記憶から消してしまったK氏に抱いたのか。

 しかも、連絡先を全部消していたのに、K氏からメールも来て。あんな別れ方したのに、なぜ私の連絡先を消していないのか。なぞは深まるばかりです。だけど、嬉しかった気持ちは隠せませんでした。

 顔すらうまく思い出せないけど。なんでこのタイミングで夢になんて出てくるんだろう。どうしたんだろう。

 もしかしたらと思って、Facebookで探してしまい、、、もちろん連絡を取ったりはしてませんけど。

 生きてるのかな、元気かな。夢の中で会えるぐらいがちょうどいいのかもしれない。

 

カウンセリング

 

 私は、今年の2月から週に一回カウンセリングに通っている。最初に行き始めたきっかけは、どうしようもできないことが自分の中に多くて心のダムがいっぱいになっていたことや親友に勧められて、だ。何気ない気持ちで初めて見たものの、通い始めて多くのことが理解できたし、自分は強い子だと思って生きてきていたから、こんなに弱い存在だと思っていなかった。自分自身が自分の気持ちを理解してあげずに生きてきてしまっていた。一番印象に残っている言葉がある。「あなたには、感情がない。」

 なぜ感情・気持ちがうまれないのか、それは親子関係に始まる。私は一人っ子で世間的に見れば人並みではあるが幸せな家庭に育ってきた。いまだに、あなたを見てると幸せな家庭に育ってきたことが良く分かります。なんていわれることもある。そんなことを言われるたびに「本当にそうだろうか」と自分の中には疑問が残る。自分もついこの間まで、一般家庭よりも愛情を受けて育ててもらったと感じていた。し、そう見えるようにふるまってきていたかもしれない。私の両親は身体障害がある。その点では特別な家庭に育ってきた。親は私を守ってくれるものではなく、私が守らなければならなかった。そのように子どもながらに勝手に背負って生きてきたのだ。仕方ない、周りの人にも男の子でたくましくてよかったね、なんて言われてきたのだから。私は、誰かに愛されるという経験はあまりしてきていない。両親は愛情を一身に注いで育ててくれた。しかし、それは少し注ぎ方が違ったのかもしれない。結局は親のことを守るのは自分だった。親を喜ばせるのも悲しませるのも自分。だから、私は自分の気持ちを考えることよりも先に、相手のことを考えてしまう。相手ありきの存在なのだ。(だった。)カウンセリング先生には、ケアテイカ―はアイデンティティにはなりえないよと言われた。誰かのためにすることが私のアイデンティティとして育ってきていたのかもしれない。自分の気持ちを心の奥底に沈めてまでも。親子関係とは複雑で単純で。子どもにとって親は唯一無二の存在で、影響は少なからず大きい。

 このような関係の中で、私はいま愛されることを求めている。誰かに大切にされることを心の奥底で望んでいるのだろう。しかし、そのような経験をこれまでしてこなかったせいか、愛されることを拒んでしまう自分もいる。自分でもよくわからない。

でも、カウンセリングに通い始めてとてもよかったと思う。自分の心をさらけ出すことはとても苦しいしきつい。できれば自分の気持ちを考えずに生きた方が楽かもしれない。でもこうやって、あえて自分の感情を文字に起こしてみようと思えたのもカウンセリングを続けてきたからである。このブログは、リハビリであり訓練であり育て直しでもあり、まあ簡単に言えば自己満足の塊のようなものだ。でも、自分が手が動く限り続けようと思う。カウンセリングもまだまだ終わりそうにない(笑)

 

 両親のことに関してはとても尊敬しているし、五体満足な私よりも立派な生き方をしている。誰の力も借りずに、二人で子どもを育て上げ大学まで通わせている。頭は上がらない。しかし、私は両親の育て方が立派だったとは全く思わない。今はまだそれだけのことしか思えない。そんなもんである。

 

寄せては返す、波のように

前回の記事を踏まえて、親友に人と会うのをやめなさいと言われた。自業自得だからと。まさしくその通りなのである。だけどかまって欲しい気持ちはどうしたら?と伝えたら、かまって欲しい気持ちとはなにかと聞かれた。私自身もわからない。だが、自分に振り向いて欲しいのである。その反面、一身に愛情を注がれると腐ってしまう。無理なのだ、自分のまわいに入ってこられる感覚が許せないなのである。私の稚拙な文章では表現できないが。愛されることを1番に願っているのも自分であり、愛されることを1番に嫌っているのも私自身だ。
だから、表面上はみんな愛せても結局は誰も愛せていない。この時の愛とはなにかすらあやふやなものである。
今日は、今までの人生において1番好きだったかもしれない人に会ってきた。その人には最悪な別れ方をされ、私の方が怒っていいところだが、謝罪もあり私自身の中で仕方がないことと機械的に処理していた。しかし、また連絡を取るようになったが、あちらはまったく悪びれた様子もなく、自分を傷つけてしまうだけだと連絡をあまりとらないようにしていた。今日は、自分自身を確かめたくて好きという感情とは何か、その人に抱いていたなにかなのか、いまもそのなにかが自分の中にあるのか、決着をつけたかった。その人との決着というよりは自分自身との決着に近い。その人にこだわる理由としては、感情を表に出さない(出せない)、何を考えているかわからない、ある意味で私に似ているかもしれない。今回の決着?は負けたかもしれない。相手は絶対に私にスキを見せない。相手がどう私にどう思ってるかは絶対に言わない。そこに少なからず傷つきを覚えている私がいるのである。これが好きという気持ちなのか、でも自分から離れることを恐れているだけなのではないか。思いは入り混じる。その人とのLINEでも、絶対会おうとは来ず暇があれば遊びましょうとしか送られてきません。そのようなものでしょう。私は卒論提出間際で、その人の予定が都合がつかずに無理くり予定つけたのに。そんなこと相手には関係ないですよね。
今日みた海の波のように寄せては返す、人の心も寄せては返して変化していくの
か、と感じた横浜帰りの電車の中で。

感情を切る

 
  昨日は一週間に一回のカウンセリングの日。感情を表出しなければならず、とても大変な時間だが、自分にとっては大切な時間だ。
  月曜日の夜中は、ヤリモクの人の家に行ってしまい、30分ぼーっとして帰ってきた。なんかどうしてよいかわからず、相手は興味なさそうだったし帰ることにした。帰りながらそいつにLINEしたら、女の子なの?と聞かれた。久しぶりにきた、このパターン。まぁすぐにさよならをして全部ブロック。これまでの自分であれば、どうしてこんな女々しいのか、気持ち悪いのかと自分を責めていたが、今回は素直に相手に怒りを感じることができた。怒ることができるって素晴らしいと思う。
  また一昨日は、また違う人と会った。初めて会う人とはエッチなことはしない、と決めていたし、それはこの人にも伝えていた。しかし、うちに泊まりにきて結局そんなことになってしまった。相手から言われたら仕方なく相手の望むままに流れにのってしまった。その時に自分の中で明らかに感情を切っていた。なにも感じないのだ。作業そのものである。会ったらそれっきり、とはこの人とはならないと思う。たぶん、今回のことではっきり分かったのはいつもであれば親密になる人に対して嫌悪感を感じ、私の方から離れてしまう。連絡をとることする嫌になる。だが、今回はその嫌悪感を抱いていない。まだ日数も経っていないこともあるだろうが、嫌悪感を抱く時はまだ自分を守ろうとする防衛反応が自分の中に存在しているのだと思う。
  どれもこれもかまって欲しいという気持ちが自分を動かた結果である。明らかに愛着の問題が自分の中に残っている。私はいま自分で自分を育て直ししている。いまやっと子どもみたいに感情表出マシーンになる時が来ているかもしれない。そんな自分を受け入れて行かなければならないのである。
  キーワードは「ケアテイカーはアイデンティティにはなり得ない」だと思う。