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調和的でサスティナブルな社会・経済システムとは?変化の激しい世界で歩きながら考える。

風が吹けば桶屋が…地球が温暖化すれば…

ナショナルジオグラフィックのサイトに非常に興味深い記事が載っていた。
最新の研究から、地球温暖化により人間の暴力行為や紛争のリスクが増大することが示されたというのだ。

研究は、気候学、考古学、経済学、政治学、心理学といった分野から、気候、気温、紛争、暴力、犯罪などに関する研究を選び出すことから始められた。そして、それらのデータを同じ統計的な枠組が適用できるようにしてから、改めて分析をおこなったそうだ。これは、意味のある比較を行うための、いわば通貨換算のようなものらしい。

そして、変換したデータを比較した結果、気温や降水量が通常値からわずかに逸脱しただけでも、紛争のリスクが明らかに増大することがわっかのだという。この紛争には、殺人やレイプのような個人間の暴力行為から、国家レベルの政情不安、国際紛争までが含まれる。

今回の研究は、「なぜ」そうなるか?の解明は意図されていないが、研究を率いたプリンストン大学の経済学者ソロモン・ショーン氏によると、気候変動により大打撃を受けた過去の文明の多くは、周辺地域と比べても、地球レベルで見ても、当時最も進んだ社会だったそうだ。

氏の言うように、私たち現代人はもっと謙虚になって過去の歴史から学び、文明社会の脆弱さを認識すべきではないか。
東京都内に住んで、連日の豪雨や洪水、犯罪のニュースを目にしていると、そう思う。

参考サイト: ナショナルジオグラフィックニュース 『地球温暖化で紛争や殺人が増加?』August 2, 2013

収奪的経済制度とイノベーション

このところ、ブログを書く余裕がなくなってきた。

本だけは何かしらマイペースで読んでいるが、今読んでいる、『国家はなぜ衰退するのか:権力・繁栄・貧困の起源』がなかなか面白い。

歴史があまり得意でない私は、さしたる根拠もなく、技術革新はいつの時代も基本的には尊ばれ、その時代の権力者、エリート階層、商人などによって受け入れられてきたのだと、何となく思い込んでいた。だが、実際はとんでもなかった。

例えば、1589年にウィリアム・リーが「靴下編み機」を発明し、特許を得るためエリザベス女王に見せたとき、女王の反応は特許を与えるどころか、この発明が民の職を奪って物乞いに身を落とさせるであろうと、けんもほろろだったそうだ。
ハプスブルク家の皇帝フランツ一世は産業の発展に反対した。1802年、ウィーンに工場を新設することを禁じ、鉄道の敷設にも反対した。ロシアのニコライ一世も、同様にモスクワの工場の新設や鉄道の敷設、産業博覧会を禁じた。

1445年にドイツで発明された活版印刷機は、西欧ではその重要性がすぐに認識された。だがオスマン帝国では、イスラム教徒に対してアラビア語の印刷物の作成が禁じられ、1727年にようやく領土内での印刷機の設置許可が下りたときも、印刷物はすべて宗教と法の専門学者、カーディーの念入りな検閲を受けなければならなかったという。

なぜなら、技術革新は創造的破壊を引き起こし、収入や富だけでなく政治権力も再配分するからだと、著者たちは主張する。
収奪的な経済制度においては、エリートが自分たちの経済的特権や政治権力を維持するため、イノベーションをことごとく拒絶・排除してきたのだ。

参考文献: 『国家はなぜ衰退するのか:権力・繁栄・貧困の起源』 ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン・著

それは無くならないことを意味するのか?

ネットで聴いているBBCワールドニュースは、このところ毎日のようにトルコの反政府デモと内戦の続くシリア情勢を取り上げている。聞くたびに何とか早く解決しないものかと思うが、このような紛争や戦争・テロも、複雑性の研究においては、道路や市場での競争と同じように、多数の人々が限られた資源をめぐって繰り広げる一種の競争と見なすことができるそうだ。
戦争や武力衝突といった問題は、これまで主に政治・経済あるいは歴史やイデオロギー、地政学などの見地から研究・分析されてきたと思う。しかし、複雑性の研究は、紛争の背後にある、そうした個別の条件や思想、原因を超えて存在する、人間集団のパターンを浮き彫りにした。

正規軍か、あるいは反政府軍、ゲリラなのかに関わらず、関与する勢力の数が3つ以上になると、戦いは2つの勢力が争っているときよりも、はるかに複雑なダイナミクスと進化を見せる。そして複雑系は、市場の暴落や交通渋滞といった極端な事態がひとりでに生じてしまうという厄介な性質をもつ。
それに加えて、現代の内戦や武力衝突は、背後に麻薬売買などの非合法取引が絡んでいる場合も多い。武装勢力が、あたかも林床に生育する菌類や体内で増殖する癌のように、複数の養分供給網と栄養源によって養われているのだ。かなり堅固な構造をもつように自己組織化がなされ、菌や癌と同じように根絶するのがきわめて困難になる。

イギリスの数学者で気象学者のルイス・フライ・リチャードソンは、1820年から1945年までに勃発した戦争の犠牲者の総数を調べた。そしてデータをグラフ上にプロットしてみたところ、驚くべき分布パターンが現われたという。
身長や人口など多数のデータを集めたとき、通常その分布グラフは、「正規分布」と呼ばれるベル型曲線を描くことが多い。ところが、犠牲者Nの戦争が起きた回数は、Nが大きくなるにつれて減少していた。しかも、犠牲者数の分布は単純に減少していくのではなく、そこには「べき乗則」が成り立っていることがわかったのである。
ニール・ジョンソンによると、この事実から、かなり重要な結果が得られるという。まず好ましい面は、戦争の規模から見れば、最も頻繁に起きるのは犠牲者数が極めて少ない戦争だということだ。だが、その反面、めったに起きないとはいえ、非常に多くの犠牲者を伴う大規模な戦争や紛争が起きてもおかしくはない。この事実から、もし戦争を計画するならば、典型的な戦争ではなく、最悪のケースを考えて立案しなければならないことがわかると、氏は述べている。

また、ニューメキシコ大学のエアロン・クローゼットとマクスウェル・ヤングは、テロについて調査を行なった。テロ攻撃は、一般に戦争よりも時間的・空間的に広がりをもっている。にもかかわらず、犠牲者数Nの対数値に対して犠牲者がNの攻撃回数の対数値をプロットしてみると、やはりここでも、べき乗則が成立していることが明らかになったそうだ。

一方、ロンドン大学のマイケル・スパガットは、イラク戦争多国籍軍によるフセイン政権への攻撃だけでなく、その後の内戦期間も含む)やコロンビアの内戦をはじめ、いまなお継続している多数の戦いでの攻撃と、その犠牲者の詳細な分析を行なった。すると、犠牲者のデータにはパターンがあるだけでなく、一見関係無いように見えるイラク戦争とコロンビアの内戦の犠牲者のパターンが、近年はほぼ一致してきていることが明らかになったという。これは、戦争の背後にある原因やイデオロギーの違いに関わらず、どちらの反政府武装勢力も軍事行動の取り方は同じであること示唆しているのだという。

こうした研究がさらに進み、テロや戦争回避に役立つ日が早く来てほしいものだ。

参考文献: 『複雑で単純な世界―不確実なできごとを複雑系で予測する』 ニール・ジョンソン・著

競争の効用

以前、今時の小学校の運動会は、1位2位といった順位をつけないとか、かけっこでも、みんなで一緒に手をつないでゴールすると聞いてビックリしたことがある。「それって都市伝説じゃないの!?」と今でも半信半疑なのだが、確かに日本では過去の過剰な受験戦争に対する反省というか、反動に近いものがあったように思う。
また、大人の社会でも、高度成長期やバブル期と違い、頑張っても必ずしも努力が報われないことが多くなり、競争に疲れてしまった感があるのだろう。何となく「競争=悪」のような見方が良識と受け取られているように感じる。

確かに過度な競争は人間関係を殺伐としたものにするに違いない。しかし、「競争」という言葉に眉をひそめる人たちも、スポーツやゲームのような競争には、あまり抵抗が無さそうだ。それに、私たちが普段あまり意識していないだけで、世の中は競争で溢れている。人気コンサートのチケット、行列のできる店、ドライブのときの道路の選択などなど…本当に競争はすべてよくないことなのだろうか?

「複雑性」、「複雑システム」と呼ばれる研究分野からは、競争についての興味深い研究結果がいろいろと出ているようだ。
研究者のニール・ジョンソン氏は、一般向けに書いた書籍の中で、落とし物探しのたとえを使って分かりやすく説明している。
たとえば、大事な思い出の品をショッピングモールで落としてしまった場合、
(A)探してくれる人々を集めてチームをつくり、見つけてくれたら100ドルを全員で山分けにしてもらう。
(B)人々に、見つけてくれた人には100ドル進呈すると告げる。
この2つの方法のうち、落し物が見つかる可能性が高いのはどちらだろうか?
ジョンソン氏は説明する。(A)は参加する人数が多ければ、それぞれの人にどう行動してもらうか調整するのが非常に面倒になり、結果的に落し物は出てこないかもしれない。(B)は、みな欲に駆られて利己的になるから、すぐに見つかる可能性が高いだろうと。
さらに、この落とし物を惑星探査の岩石サンプルに置き換えれば、探査ロボットの制御に伴う厄介な問題を解決するのに利用できるという。利己的な多数の装置の集団をつくり、岩石という限られた資源をめぐって競争させるのだ。

金融市場や交通渋滞などの群衆行動においては、「群衆-反群衆現象」という創発現象が起きる。人びとの選択の結果が二極化し、2つのグループを形成する現象なのだが、これは人間をはじめ、限られた何らかの資源をめぐって競争しながら意思決定を行なっている要素の集団には、程度の差はあっても普遍的に現れる現象らしい。
複雑性の研究は、そのような複雑系が、コイン投げのようなランダムな選択に拠るよりも変動が小さくなるように自己組織化を成し遂げることを明らかにした。
つまり、系全体は競争によって変動にうまく対処することができ、これを応用すれば、個々の構成要素が競争している状態を作りだすだけで、潜在的に有害ないしは危険な変動を取り除くことが可能になるというのである。

もちろん、交通渋滞や市場の暴落など、複雑系はときに極端に秩序づけられた状態―「秩序ポケット」が出現することがある。このような競争の負の部分と見做されるような現象についても、最新の研究は、制御できる方法を解明しつつあるようだ。

参考文献: 『複雑で単純な世界―不確実なできごとを複雑系で予測する』 ニール・ジョンソン・著

ルフィが目指すのは女王陛下

このまえTVを見ていて、『パイレーツ・オブ・カリビアン』がディズニー映画だと改めて認識した。そういえば、漫画の『ワンピース』も海賊の話だし、なんで海賊なんだろう?山賊がヒーローの物語って聞いたことがない気がする。私が知らないだけ?と、急に疑問に思った。

どう考えても、山賊より海賊の方がカッコイイし、やってることは同じ略奪なのに、なぜかイメージははるかに良い。キャプテン・ハーロックも宇宙という海原をフィールドに活躍する海賊だ。海の方がロマンがあるから?
そうかもしれない。しかし、それだけでもなさそうだ。まず、海賊と山賊では略奪する対象が違う。山賊が襲うのは、その国の商人や村や旅人といった一般庶民だ。だが海賊が狙うのは、おもに他国の商船などなのだろう。そう、海賊は自国に利益をもたらす存在だからヒーローたりうるのだ。ドロボーなのに権力者側に利益をもたらす存在、そこが鍵のようだ。

そこまで考えて、ちょっとネットや本で調べてみたら、イギリスの海洋支配確立~大英帝国となる歴史が、あまりにまんまなので、開いた口がふさがらなくなってしまった。
竹田いさみ氏によると、ヨーロッパ諸国が貿易に主眼をおいていたのに対し、エリザベス1世時代のイギリスは、海賊行為に主眼をおいた国家戦略をとり、海賊を犯罪者ではなく英雄として扱い、海賊行為を合法化・正当化してきたというのである。
たとえば、16世紀にイギリス人初の世界一週航海に成功した海洋冒険家、フランシス・ドレークも、世界中から略奪の限りを尽くした海賊に他ならず、ドレークが略奪した金銀財宝は、世界の金融の中心地である「ザ・シティ」で換金されていたそうな。
そのザ・シティも、海賊一味の貿易商達の巣窟であり、貿易船(≒海賊船)の保険会社、「ロイズ」を設立したのも海賊、はては東インド会社さえも、地中海レヴァント地域で冒険商人と呼ばれた海賊達で運営されていたとは!

萱野稔人氏によれば、陸の法が通用しない海という空間において、軍事力による自由な略奪戦がおこなわれ、最終的にそれを制したイギリスが世界資本主義のヘゲモニーを獲得したのだという。
…てことは、海賊は資本主義社会のヒーローでもあるわけだ。ディズニー映画になっても当然、、、かぁ~。。。

参考文献: 『超マクロ展望―世界経済の真実』 水野 和夫・萱野 稔人・著
      『世界史をつくった海賊』 竹田 いさみ・著

雇用チーズを食べたのは誰?

ちょっと気になっていた本、『機械との競争』の著者、エリック・ブリニョルフソンMIT教授のインタビューがオンライン記事になっていた。ありがたい、これで読んだ気になれる(笑)。

インタビューによると、そもそものきっかけは、米国で2年前にイノベーションの停滞を懸念する声が出ていたことに端を発するらしい。それが完全な間違いであると思っていたブリニョルフソン氏は、共著者のアンドリュー・マカフィー氏とともに反論を書くべきだと考えたそうだ。
そして、技術の進化が停滞しているのではなく、逆に急速に前進していることを示すつもりが、取り組むうちにある重要な問いと格闘しなければならなくなったという。

それは、なぜ米国ではそんなにたくさんの人が職を失っているのか?イノベーションが進み生産性が向上したのに、なぜ賃金は低く、雇用は少なくなったのか?という問題だ。
その理由は、「デジタル技術の加速」は生産性の向上をもたらしたが、新しい技術についていけない人々を振り落としてしまったからだという。アメリカという国全体の富は増えたが、分け前は上位1%が取っていき、残りの多くの人の分け前は減ってしまったのである。
氏曰く、以前からこのような議論はされてはいたものの、技術の変化がいかに速いかが正しく認識されていなかったかららしい。以下、インタビューの内容を簡単にまとめると、

技術は常に雇用を破壊する。そして常に雇用を創出する。ただ、1990年代の終わりくらいまでは、古い仕事が姿を消すのと同じくらいの速さで新しい仕事も生まれたのでバランスが保たれていた。
ところがこの10年、技術による雇用破壊が雇用創出よりも速く進んでしまった。かつては生産性の伸びにしたがって雇用も伸びてきたのが、97年頃に雇用が置いていかれるようになった。
氏はそれを、「グレートデカップリング」という言葉で表現している。
つまり、今までは生産性の向上によって問題が解決すると考えられてきて、実際それは97年までは正しかった。だが、今や生産性の向上そのものが全員の利益を保証するものではなくなってしまった。

氏は「グレートデカップリング」をもたらしたデジタル技術の特徴として以下の3つを挙げている。

  1. 指数関数的に発展する。人類の歴史に登場したどんな技術よりも速く進化し、人びとはそれに追いついていけなくなっている。
  2. 以前の技術よりも、より多くの人に影響を与える。農業などにおける過去の技術進化は限られた集団だけに影響したが、今日のコンピューターの発展は、ほとんどの働き手に影響を与えている。
  3. 新たなテクノロジーが「デジタルであること」。ひとたび何かが発明されると、ほとんどコストなしでコピーができ、そのコピーを即座に世界のどこへでも送り、何百万人という人が同じものを手にすることができる。過去200年とは全く異なる影響を雇用にもたらす。

米国の製造業における雇用縮小の背景として、生産拠点の海外移転や中国の台頭が挙げられてきたが、調査の結果、中国では製造業で働く人が97年に比べ2000万人以上少なくなっているということが分かった。雇用は米国から中国に移ったのではなく、米国と中国からロボットに雇用が移ったというのが正しい。

このようなミスマッチに直面しているのに、組織や制度はいまだに20世紀にデザインされたもののままでいる。テクノロジーの変化に合わせて、それらも変えなければならないが、それは大きな挑戦になるだろう。
われわれは、デジタル技術と雇用を融合できる新たな道を考える必要がある。

著書の中では、解決策として19の項目が挙げられているそうだが、さすがにそれは「本買って読んでね!」ということらしい。当たり前だ(笑)。
でもその中でも特に重要なのが、教育改革と起業家精神、そして規制緩和だという。
コンピューターが雇用を減らしているからこそ、起業家を支援し、新産業を興して新たな雇用を生み出す次なるヘンリー・フォードスティーブ・ジョブズビル・ゲイツが必要なのだということらしい。

あー、結局そういうオチか、、、と、ちょっとガッカリ気味に納得。。。

参考サイト: 『「機械との競争」に人は完敗している―エリック・ブリニョルフソンMIT教授に聞く』 日経ビジネスオンライン 2013年4月18日(木)

社会も早期治療が肝心

完璧とはいかなくても、まともな法律があり、警察や裁判所がちゃんと機能しているのは素晴らしいことであり、けして当たり前のことではない。こういうニュースを見るとつくづくそう思う。


メキシコの村が自警団結成、拘置や裁判も - YouTube

日本人は治安の良さが当たり前になり過ぎて、その足元の平和がじわじわと崩壊へ向かっていても気づかない火宅の人となっていないだろうか?

この間、田舎(関東圏)へ帰った時に、親戚が車上荒らしや空き巣被害にあった話を聞かされた。子供の頃から地元でそうのような話を聞いたことがほとんど無かったので、驚くと同時に、日本もいよいよ全国的に治安が悪化してきているのかもしれないと思った。
私自身は都内に住んでいるが、まだ女性が夜遅く一人で電車や地下鉄で帰宅しても、ほとんどの場合、無事に家にたどり着くことができる。だが、駅から自宅まで深夜に徒歩で帰るのは、2~30年前と比べれば確実にリスクが高くなっている気がする。それでもまだ町内会の見回りで事足りる範囲で、メキシコの自警団とは程遠いが。

テロ事件のような大きな犯罪とは別に、窃盗や暴行事件、薬物・銃・性犯罪などの増加は、じわじわと社会を蝕み、気がついたときには改善が極めて難しい状態になっている。病気でも何でもそうだが、エントロピーは放っておいても増大するが、元の秩序ある状態に戻すのは多大なコストがかかり、場合によっては不可能に近くなる。
日本はもしかしたら今、着々と危険な水域に近づいているのかもしれない。そのような危機感は持っておいた方がよい気がする。