ぐらんぎにょーる

だれかの役に立てたらいいな

第二子出産記録③命懸けのお産ver2.0

 

vs麻酔

9:00頃あれよあれよと手術の準備が進んでいきます。

今回も横切り、局所麻酔で行いました。

脊髄くも膜下麻酔と術後もしばらく針を刺しっぱなしにして痛みを取る硬膜外麻酔の2種類の麻酔をします。

横を向いてエビのように背中を丸め、麻酔科医が処置をします。が、今回はなかなか入らず…見えてはいないのですが、おそらく針を入れているはずなのに入れられている感覚は押される感覚で、それも小さい積み木をぐぐぐっと背骨に入れるような…そんな感じでした。でも嫌な感じで背中を反ってしまうと処置できなくなるので、押される感覚に反発して背中を丸め続けなければならないのです。地味に痛い

なかなか入らず、苦しく、自然と涙が出てきてしまい、ずっと手を握ってくれていた美人助産師が涙を拭いてくれました。好❣️

 

麻酔が入ると仰向けになり、尿管カテーテルが入れられます。翌日まで抜去無し。

そして事件は起こる____

 

第一子の帝王切開中に麻酔が切れてしまう事件が起こったため、今回は少し強めの麻酔を使用したそうです。

それがわたしには合わなくて、足元から痺れて胸元まで麻酔が上がってきた瞬間、ものすごい吐き気が。

「吐きそう……」と全身が飛び上がるほどの胃痙攣を起こしそのまま連続嘔吐……首を横に向けるしかできず顔面輸液のゲロまみれ。麻酔科医が制吐剤を入れてくれ嘔吐はおさまりました。

全身寒く、意識が遠のく…気を10000%張っていないと目を閉じてしまう…局所麻酔なのに…雪山で「寝たら死ぬぞ!!!」ってこんな感じなのかなぁ…サチュレーション(血中酸素)も血圧もどんどん下がり、もはや何と戦っているのかと。頭上には麻酔科医がいるからいざという時はどうにかなるんでしょうけど、漠然とした恐怖感がありました。

酸素マスクをつけて手術スタート!血圧は2-3分ごとに自動計測されます。

 

手術中

目の前は不織布?でテント様にされ覆われて一面布でした。が、顔を右に向けると術野カメラ?ライトについていたカメラでお腹を映しているモニターが見えてしまい(笑)リアルタイムで自分のお腹が切られている様子を見ていました。結構グロ対策はある方なのですが、さすがに肌色が見えている状態を覗いて迷走神経反射でも起こしたらまずいのでほどほどにしていました。

体感10分くらい?したら「今から子宮を切りますね〜」と実況されました。サブの執刀医の先生が赤ちゃんの大きさにびっくりしていました。

そしてお腹から出す時にお神輿わっしょい!並にお腹をぎゅうぎゅう押されるんですよねオェエエ

 

9:28元気な産声が聞かれ、赤ちゃんが取り上げられました!!!すっごい元気なのと、出てきた瞬間おしっこしていたようで(笑)アプガースコア(新生児の生存能力評価)その他諸々の計測が行われます。

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9:29胎盤が出されます。そして一気にアトニン(子宮収縮剤)を投与。子宮内部も吸い出されます。

 

計測が終わった赤ちゃんがわたしのそばまでやってきました!第一子はそんな余地なくすぐさまNICUに入院だったので嬉しかったです。

新生児は胎脂というあぶらで身体が守られているのですが、それがついたままの小さいおててをぎゅっと握りました。ほやほや。そして顔を見て思ったのが

「息子と同じ顔すぎるw」

コピペかと思いましたよ。さすが同じ日の精子卵子だと。実質二卵性双生児。

 

アプガースコアの値もよかったようで助産師さんからは「NICUに行かなくても大丈夫そうである」旨を聞いてホッとしました。帝王切開の赤ちゃんはどうしても呼吸障害を持って生まれてくることが多いので。

赤ちゃんは先に手術室を出ました。

 

お腹からは内容物を吸う音が延々と聞こえてきます。さて弛緩出血はいかほどに。もう祈るしかない。なんだかホッとして疲れがどっと…疲れたな…終わったわ…そんなことを思いながら鎮静剤で寝かせてもらいました。どうか目が覚めますように。

 

そこから30分くらい?で目が覚めました。

生きてる〜!

とホッとして涙がボロボロ……子どもが生まれたときですら泣かなかったのに(「終わった…」の感情が強かった)無事意識が戻ったことに安心して涙が。

 

手術が終わり、病室に戻りました。

しばらく助産師さんが付きっきりで容態チェックをしてくれます。

心拍モニターとサチュレーション測る機械、酸素マスク、血圧計、背中には麻酔針、尿道にはカテーテル、輸液ルート、両脚には血栓予防のマッサージ機……

少しも動けない(笑)

麻酔の影響で自律神経がおかしくなり呼吸をするのを忘れてしまうようで(?)なかなかサチュレーション上がらず、深呼吸しても98には届かず…しばらく酸素マスクにお世話になっていました。

でも何より生きていてよかった、本当に。

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術後だから顔パンパンに浮腫んでいるんだけど許して(笑)まだ血栓が肺にとんで死ぬこともあったので表アカウント(しょんちゃん垢)では呟かないようにしていましたごめんね。

 

④に続く。

 

 

第二子出産記録②陣発!?

 

「三次救急の総合病院で助からなきゃそれはもう助からんのよ〜(cv心の中のノブ)」

ということで心配事はたくさんありましたが、慌てふためくことなく冷静ではいられました。

ただ、伝えたいことがある人には伝えたいことを伝えて(小泉進次郎)、遺したい言葉は人に託して、あとは家の中の身辺整理。わたしが仮に死んだとしても生活が回るように各書類は夫がぱっと見でわかるように整理しておきました。Twitterの身内アカウントにも何かあったら夫と息子をよろしく!なんて託したりなんだり。住所知っている人たちだからね。

 

それは突然嵐のように

月9風に(笑)

27日2:30頃、あまりの気持ち悪さにハッとして起きました。連日吐き気とは闘っていたのですが、なんとなく別の種類の…

そして定期的にお腹が張る…テニスボールでお尻をぐっと押したくなるような前駆陣痛(陣痛とは別の定期的なお腹の張り、陣痛の予行練習のようなもの)も連日あったのでそれかな?とも思っていたのですが…

思い出したのです!

この時の吐き気と似ている…!!!

お産が進むとその他の内臓も連動して動くため吐き気を催すのだそうです。

 

さて、本来の予定日より20日、予定帝王切開日まで11日…入院バッグの用意がまだだ(^q^)

 

定期的に立ち止まって呼吸でいなさなければならない痛みと闘いながらポイポイとボストンバックに荷物を詰めてました。みんなは臨月入ったらちゃんと用意しような!

 

陣痛カウンターはめんどくさくてつけないタイプなんですが、なんとなく5-6分で痛みがきている…これはきっとそう!でもお腹は下がってきている様子はなく、帰されたら帰されたでいいから病院に行こうと決心しました。

5:00陣痛のようだから病院に連絡して行くかもしれないと夫を起こす。病院に連絡をすると「入院の用意をして来てください」とのこと。寝ている息子を起こし、準備をして病院へGO!

息子が…とても…不機嫌で…大変でした。

夫も謎にテンパって運転下手くそなのにさらに下手くそになり、駐車場ではないところに止めて二度手間をしたり…

妊婦のわたしが一番しっかりしていました(笑)

 

6:15病院着。病棟の中には子どもは入れないので息子とはここで別れなければなりませんでした。ただもう空腹と眠気でひっくり返って泣きまくって(それはそう)、別れ際に渡した好きなキャラクターのぬいぐるみもぶん投げられました(笑)

 

夫と息子と別れ、診察です。

経膣エコーで頸管長を測るも十分な長さ、内診(指を膣に入れて子宮口がどれだけ開いているか)をしても1cmで熟化(お産が進むと柔らかくなる)無し…

この時点で前駆陣痛かもしれないとのこと。でも痛みはどんどん増していました。

次にモニターをつけて張りの様子を見ることになりました。やはり5-6分間隔で張りはあるようでした。

医師は悩みます。「前回下から産もうともしたことあるし、たとえ今帰したとしても1週間もつか否か…ちょっと相談してきます」

帝王切開といえど?立派な手術なので人員が必要で、できれば夜間や時間外など人手がないときは避けたいと第一子のときにも言われたので納得していました。個人的には今日やってくれ!

割とすぐ戻ってきてくれて「今日手術しましょう!今すぐ人を集めて朝イチで手術室に入ります」ヤッター!

陣痛かもしれないと思った時点で飲食をやめていて大正解でした。麻酔をする関係で絶飲食なんですよね。ルートを確保して輸液を開始します。久しぶりに点滴失敗されて青タン(笑)産科のゲージ太いものを使うので腕に刺したとしても痛いんですよね。めちゃくちゃ速く落とされてあっという間に500ml入りました。追加で2本。

夫に連絡し、息子は土曜日でしたが特別に登園させてもらい保育園へ。手術のため夫は病院待機になります。

 

8:00手術室へ移動が始まります。寝転がっているより座って陣痛の痛みをいなしている方が楽だったのでベッドにちょこんと座り移動待ち。麻酔科の先生待ちだったようで、助産師さん6人くらいと執刀の産科医とに囲まれながら陣痛耐え…手術室へ出発!

夫とは病棟エレベーターホールで少しだけ会話できました。

「わたしに何かあったら息子ちゃんと生まれてくる子よろしくね」

「おう!じゃあがんばって」

 

まさか4月生まれになるとはなぁ…

 

③に続く

第二子出産記録①懸念事項と臨月

 

まさかの!

 

ということで出産を終えました。以下備忘録。

(医師ではないので医療的なこと間違っているかもしれませんご了承ください)

 

懸念事項

 

第一子出産時に産科危機的出血(2500ml以上の出血)となり輸血処置をしました。

原因として考えられるのは誘発剤を使用したことで過強陣痛が起こり、子宮が疲弊し収縮がうまくできず弛緩出血が起きてしまったから。

何言っているかわからないですよね(笑)

 

風船で例えてみましょう。

風船を一度膨らませます。これが子宮の妊娠状態。これの空気を抜きます。これが陣痛です。さて最初と同じ形状でしょうか?ちょっと大きく、しわしわになりますよね。さてこれをもう一度膨らませます。そしてもう一度空気を抜く。どんどんゴムはびよんびよんになりますよね。

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こんな感じ(笑)

出産後赤ちゃんが子宮が出てきたあと、胎盤が剥がれます。胎盤というのは臓器で血管もありますから出血します。それを子宮が元の大きさに戻る力で止血するんです。が!何度も子宮収縮を繰り返していくと上記の風船のようになり、元に戻りにくくなるんです。そのときの出血を弛緩出血といいます。一般的に初産より経産の方が出血が多くなるとは言われています。

 

わたしは初産で弛緩出血がひどかったので、今回第二子出産するにあたり前回同様あるいはそれ以上出血する可能性がありました。

 

死んじゃう😇

 

そしてさらに癒着胎盤という懸念事項もありました。今回も自然妊娠ではなく凍結胚移植のため、その場合だと胎盤が子宮に癒着してしまい、これまた大出血を起こす可能性が高くなると言われています。幸いなことに今回の胎盤の位置は通常?(第一子は辺置胎盤でリスク↑)なことと、子宮頸管も長めとのことでその他のリスクは回避していました。癒着胎盤についてはお腹を開いてみないとわからないとのことでした。

 

健診にて

以上の懸念事項を引っ提げ、第一子出産病院で健診を受けてきました。

・前回帝王切開での出産だったので既往帝王切開後妊娠という病名?で今回も帝王切開

・陣痛や破水の可能性が低い38週5日で予定帝王切開をしましょう(本来の予定日は40週0日)

・出血に関しては適宜子宮収縮剤(アトニン)を使って最小限にしていきます。出血が止まらない場合子宮を摘出します

・癒着胎盤はその時対処します

・自己貯血(自分の血を貯めて輸血用に保管しておく)はとりあえず無しの方向で

・前回手術中に麻酔が切れてしまったのでちょっと強いお薬を使います

とのことでした。

わたしはバースプランで「母体優先で」と希望を書きました。息子遺して死ねないよ、せめて成人するまで見守りたい。第一子だったら子ども優先で、って書いただろうけど、ここは本当に心苦しかったです。

 

臨月以降

やはり今回も2-3w分大きい𝓑𝓘𝓖 𝓑𝓐𝓑𝓨ということで本当に苦しい妊婦生活でした…第一子のときよりはお腹が出やすかったですが、それでもお腹が出にくくその分お子は上の方に滞在(涙)息苦しいし、常に逆流性食道炎で気持ち悪いし、そして食べ悪阻はまだ残っているし…で毎日泣いていました。夕食は汁をすすりちょっとだけ固形物を食べ、夜は眠れず、気持ち悪いから夜な夜なゼリーを食べる日々…息子の保育園の送迎も寿命削って行っていました。あまりの具合悪さに担任の先生から「無理に9-16時じゃなくて大丈夫なので…!お大事にしてください…」と励まされ朝の送迎は夫にお願いしていました。思い出すだけで吐きそう…(笑)

しんどすぎて帝王切開の術前検査(レントゲン・心電図・採血+麻酔科受診)があった健診日「予定日早められないですか😭」とお願いしてみましたがもう手術室の空きがないとのことで却下でした…まぁ病気ではないのでそれはそう。ちなみに術前検査は7時間かかりましたしんどかった…

さて、この3日後事件が起こります。

 

 

守るためならわたしは鬼になる

 

そういえば自分の青春時代について何も遺していないなと思ったのでつらつらと書き連ねたいと思います。

 

踊って死ねたらいいな、そんな中高6年間を過ごしていました。ガッツリ身バレはしたくないので抽象的な場面も多くなると思いますがどうぞお付き合いください。

 

小学生時代

親の熱い希望により私立の学校に進学することになりました。志望校どうしよう…小学校のクラブ活動でバトントワリングを嗜み、自他共にセンスがあることが認められていたので、バトンに注力している学校に焦点を当ててどこの学校に行こうか悩んでいました。そこである学校がバトントワリングが強いと聞き、文化祭へ。しかしそこはポンポンメイン(チアリーディング)でわたしがやりたかったバトンではありませんでした。ガッカリしていたところ、次の演奏演技がマーチングバンドでした。ちなみに全国区。そこで見たカラーガードという旗や銃(ライフル)、剣(セーバー)を使い音楽に合わせて踊るパートに一目惚れ。「これがやりたい!!!!」と強く思うようになりました。他の学校のマーチングバンド部を何箇所か見学に行きましたが、やはり一目惚れした学校が一番印象に残りそこに入学することにしました。

 

中1-2

中高一貫校なので6学年、100人前後みんな高等学校の部に出場します。若干でありますが大会メンバーの選出も行われます。でもほとんどが大会メンバー。ついこの間までランドセルを背負っていた12歳と、身体が出来上がっている18歳同じことをします。つまり、中学生はお荷物なんですよね。特にカラーガードはその年齢差、経験差が顕著にでます。楽器隊はぶっちゃけ吹かずとも歩けていればバレないのでね。そりゃあもうゴミカス扱いでした。理不尽なことへの耐性はこの2年でついたのでは?(笑)人間扱いされていなかったと思います。今のご時世ではありえないと思います。

中1-2はフラッグメインで、中2の最後でライフル・セーバーを持たせてもらえるようになりました。フラッグよりも繊細かつ筋力がいるのでね。それも紆余曲折、いじわるな先輩の謎理論があってなかなか持たせてもらえず…(笑)わたしはこなくそ精神で練習に励みました。なぜならば来年度ライフルかセーバーメイン(高校生が中心)になれそうだったからです。指は突き指だらけテーピングだらけ、爪からは出血する日々、シャープペンを持つことがギリギリでした。よく合唱コンクールのピアノ伴奏できたなと思いますわ…。

 

中3

さて、大会の構成が組まれる時期になりました。ライフルorセーバーの踊れる枠があと1枠。正直同学年は敵ではなく、強いて敵というのであれば年功序列的な意味で高校から入部した高2の先輩でした。でも負けるわけもなく。見事オーディションを勝ち抜き、ライフルメインで踊ることに。ヤッター!

念願のポジションに就けたわけですが、甘かった…打ちのめされることになります。普通であれば高校生がなるポジション、そして基礎練とは異なり踊りながらトスをするために力加減を覚えなければならない…わたしは基礎練こそトスを落とすことはありませんでしたが振り付けの中で、何分も踊り続け腕疲労もある中でのコントロールが非常に苦手でした。

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↑イメージ図(笑)わたし32歳のトス

これを踊りながらこなすことがなかなか難しくて自分だけドロップする(落とす)ことも多々…情けなくて泣く日々でした。練習してもしてもしてもコントロールできず…

そして全国大会出場をかけた大会で大失敗をしました。ドロップしたライフルが楽器隊の足元に滑って後輩が踏んでしまい、リカバリーが遅くなってしまったのです。演技終了後、後輩が泣いて謝罪にきました。何も悪くない後輩を泣かせてしまったこと、自分のせいで全国大会に行けなかったらどうしようと自責の念にかられてもう涙が止まらず…意識が遠のき気が付いたときには表彰式でした。全国大会の推薦をもらえた旨を聞き心の底からホッとしたことを覚えています。15年間で一番泣いた日だと思います。全国大会まで死力を尽くし指がもげようが出血が止まらないでいようががむしゃらに練習しました。

全国大会___練習が実り、全てトスをキャッチすることができ、踊りに関しても今までの1番を出すことができました。幸せだったな。先輩方も自分のことのように喜んでくれて嬉しかったです。

 

高1

さて、ここから高校から入部するメンバーが同学年に加わることになります。そして中学から続けていたメンバーもライフルやセーバーメインで踊ることになりました。しっかしまぁ中2で受けた先輩からの謎の理不尽でなかなか練習できなかった同級生、中3のわたし並に悩むことになります。わたしなりに同級生に指導するも自分もいっぱいいっぱいでした。わたし自身はもうノードロップで踊りきることができるようになりました。しかし苦しむ同級生。彼女たちの涙を見てどうもしてあげられない、守ってあげられない自分がゴミカスのように感じてしまったのです。

学校自体も色々あり、同級生も倍以上になり、もうひっちゃかめっちゃかな1年で創部以来1番悪い成績でシーズンが終わりました。もちろん全国大会には進めませんでした。地獄のような1年でした。

 

高2

部活って1個上と1個下と険悪になりません?(笑)まぁ1個上はもう5年目のお付き合いなのでそりゃもう理不尽なお説教ばっかりですよー。でも当時は先輩の言うことは絶対!だったので耐えるしかなかったですハイ。特に高校から入ってきた3年目の先輩と、中学から続けている5年目の我々の軋轢はひどく…(笑)技術差が目に見えてあるのにね、偉そうなのムカつくじゃん?(笑)

高校から入部してきた同級生もライフルorセーバーメインになりました。よく頑張った!

スキルの面でもう同級生を泣かせない、そう心に誓い一緒に練習を重ねました。同級生のスキルが底上げされているのを実感していました。

わたしが少しでもいいポジションで踊るとブチギレる先輩…わたしがポジション決めているわけではないのでやめてください…コーチに言ってよ……

そんな理不尽すぎる先輩なので、後輩泣くんですよね。泣かなくていいことでも。だったら泣かせずちゃんとスキルを向上させられるようアドバイスしたらいいのにね。

そんなこんなでこの年も全国大会にコマをすすめることはできませんでした。もう全国大会にはいけないのかな、高すぎる壁になってしまったのかなそんなことを考えるようになりました。

 

高3

さぁ最終学年だ!理不尽な上下関係はなくそう、しめるところはしめるし上下関係のいいところは残してみんなが家族のように過ごす1年にしよう。そして後輩の前では泣かない、泣く時は全国大会推薦をもらったときだ___と誓い合いました。

わたしはというと、もう学校が進学校化してきて来年から高校からの入学をやめると聞いており、このまま例年がごとく理不尽なことばかりしていると人数も減るのに後輩のスキルが終わってしまうと感じ一大決心!後輩、特に中学生のスキルを底上げするぞ!と。

ちなみに技術面でのリーダーになりました✌︎

もうね2年連続全国にいけていないのでね、あとはないのですよ。やるしかない。

もう誰も泣かせない、もう誰も自分が足手纏いだとは思わせない、踊っている最中誰が中1で高3でかぱっと見ではわからないほどスキルをあげさせる、そのために、みんなを守るためにならわたしは

鬼になってやる……

理不尽には怒らないけどね(笑)

あ、ちなみに日頃の指導は高3が行ない、たまにコーチがいらしてブラッシュアップするという練習の流れです。

ものすごく厳しい先輩になりました。相手が中学生だろうが高校生だろうが関係ない。練習が激しすぎて同級生にさえゼェゼェハァハァされながら鬼!!!!って怒られましたわよえぇ。

このカラーガード、音楽がよくわからないお客さんにとっても一番優劣がわかりやすいパートなんですよね。振り付けがズレているか否かなんて一目瞭然なのでね。

ドロップしたらリカバリーしたらいいや〜なんて呑気なことは思わせませんでした。んな甘っちょろいことは言っていられないのですよ。ドロップすんな。そのためにできるまでアドバイスを重ねました。

でもわたし自身、部活と勉強と受験のバランスが取れなくてメンブレがひどい1年でシーズン中に休部したこともありました。ごめんなさい。

 

この頃身体ももうボロボロて両足疲労骨折、テーピングでぐるぐる巻きに固定、手もボロボロで関節を抜いてははめての治療で実際はペンを持つだけでしんどかったです。

 

でもなんとか戻ってこられて意地で勝ち取った全国大会への切符。我慢していた分死ぬほど泣いた。実は後輩がものすごい失敗をして審査員たちの審査テープが「あぁ…あぁ!!!」の呻き声になっていて(笑)落ちたと思いました。「わたしたちの6年間、これで終わっちゃうんだね」って高3は絶望していました。後輩は自⚪︎してしまうのでは?っていうくらい泣いていました。でも全国行けてよかった!!!

もうここまできたら次はグランプリを目指そう!と磨きに磨きを重ねました。後輩たちもドロップすることも減り、中学生も食らいついてきてくれてどーんと大きい塊になっていきました。

全国大会、わたしはゾーンに入りすぎてまさかのドロップ。数年振りn度目のドロップ。ざわつく観客席…わたしもびっくりした…(笑)学校の先生方もたくさん応援しにきてくれていて、わたしがドロップしたことでだいぶざわついたようでした、すみません………でも後輩たちはノードロップ。振り付けもほぼほぼ乱れなし、というか揃いすぎている!!!みんな笑顔で演技を終えました。金賞受賞、創部以来上位2位の成績____自分のことは遥か彼方の棚にあげるけど、みんな幸せそうでよかった…何よりだよ。みんな練習についてきてくれてありがとうね。

そして高校の卒業式が3/1にも関わらず、演奏会のため高校に通い続け3/24に引退しました。6年間大変お世話になりました。

 

後日談

翌年、演奏会スタッフになり後輩のお手伝いをすることになりました。で、後輩のシーズン演技を観ていたら嗚咽が止まらないくらい泣いてしまって。あぁもうここにはわたしの居場所はないんだって思ったら涙が止まらなくて。でもたしかにわたしが後輩たちに託したスキルはそこにあって嬉しくもありました。

時は流れ_____

去年創部⚪︎年記念の演奏会が行われることになり、OGOBが召集され育休中だったわたしは参加することにしました。カラーガードは自分が中1の時の高3の先輩、わたしたちの代、高校編入の3つ下の代(つまりわたしが大1年のときの高1なのでかぶっていない)から下の子たちが参加することになりました。自分が高3のときの中1が高3の時の中1もいて「しょんちゃんさんの代は目玉が飛び出るほど怖かったって聞いていました!!!」って言われて苦笑(笑)主にわたしが厳しかったんですけどね。素敵な先輩とかわいいかわいい後輩たちと何も気負うことなく楽しく踊ることができて幸せでした。やっぱり踊って死ねたらいいな。

もうさすがに年齢的に厳しいからもう人前で踊ることはないのでしょうが、自分が自分らしくいられるあの空間がたまらなく好きでした。

 

 

さて出産まで2週間ちょっと、

この記事が遺書にならないといいなぁ(涙)

立ち帰る場所として、

 

 

 

わたしは生きていく中で心がけたいこと(目標)が3つあります。

「会いたい人には会いたいと言う、好きな人には好きだと言う」

「やらない後悔はしない」

「できないことは『助けて』と言う」

そして、それを後押しするのが

「迷えば不安、決めれば自信」

 

小学生の文章みたいって言わないで(涙)

 

散々色々なところで話していますが、生育歴に難有りでアダルトチルドレンです。他人、特に親の顔色を窺って生きてきました。自分軸で生きてきませんでした。

自家中毒(現:周期性嘔吐症)を幼少期から発症、思春期には過換気症候群になり、社会人になれば発達障害が判明、その二次障害に苦しみ自殺未遂までする始末。希死念慮にかられる日々でした。

そんなわたしがどうして上記3つの目標を掲げるようになったのか。

 

わたしは中学受験をしたためにいわゆる「地元の友だち」がいませんでした。小学生の頃SNSなんてものはないし、わたしは携帯を持っていましたが周りはほぼゼロ。連絡先は家電のみしかわからず疎遠となりました。大学生になり地元でアルバイトを始め、そこで同世代と出会い、「地元の友だち」となりました。特に同い年と1つ下の女の子とは親しくさせてもらって今でも連絡を取り合っています。その友人はTwitterに常駐しているようなツイ廃(褒め言葉)で、改めて個人間のやり取りがなくてもお互いの動向は分かっていました。わたしが東京から仙台に移住したのち「そういえば同い年の友人、全然Twitterで見かけないぞ?ツイートもちょっと前から止まっている…鍵垢の方も止まっている…どうしたんだろう?」と心配になり、LINEで連絡をしてみました。するとなんと脳腫瘍で開頭手術までして生死を彷徨っていたとのこと……まだ20代半ばなのに…!?その時ドキッとしたんですよね。わたし自身自殺未遂までしておいてアレですが、死を身近に感じました。大切な人を失いそうになり胸が締め付けられました。(高校生のとき友人を事故で亡くしたときも散々泣いて泣いて泣いたのに喉元過ぎれば熱さ忘れる…というより家庭で必死すぎて)帰省した際に後遺症はあるものの退院した友人と一緒に遊ぶことに。すかさず「プリクラ撮ろう!!!」と提案しました。友人には「えーこんな年齢なのに〜!?」と言われてしまいましたが(笑)でも悔いなく生きたいと説得しまして撮りました。縁起でもないことですが、人と会う時にこれが最後だったら…を意識し始めたのはこの頃でした。

 

同時に、詳細は書けないんですが(笑)自分の想いを世間体やら何やらで蓋をし続けてしまった結果、呪いのような想いになってしまった事件がありまして。やらない後悔かやってから後悔か…分岐のところでひどく悩み、そのときは前者を選びました。そしてしばらく苦しみました。事情を知っていた友人に「棺桶パンパンでしょ!!!圧縮袋必要!!!」なんて言われるほど想いが増大して………その時やらない後悔はもう二度としたくないと思ったのです。

 

そして極めつけが第一子出産時の大量出血。弛緩出血がひどく身体の血液がほとんどすっからかんになってしまいました。よく生きていたな……輸血で命を繋いでもらいました。かけがえのない宝物を置いては死ねない!後悔する!と生きることに執着し始めたのはこの時です。人って変われるものですねぇ…。

 

好きにもlove.like.affection…など種類がありますが、どれをとっても「伝えなければ伝わらなくない?」と小泉構文。福山雅治も「はつ恋」の中で「どんなに大切でも言葉にもカタチにもできなけりゃ優しさなど無意味さ」と言っています。だから関わってくれる人みんなに先に謝ります。お節介だろうが余計なお世話だろうが、好きな人たちには幸せになってほしいので色々な形で助力させてください。そして好きだと言わせてください。

会いたいね、と言われたら飛んでいきます。もう子どもがいるのでどうしても瞬発力はなくなるけど、行けたら行くは100%行くを心がけて。

 

目標の3つ目に関しては発達障害が絡んできます。ADHD、わかってはいるけどできないことたくさんあります。でも、わたしが発達なことは他人には関係ないというか免罪符にはならないんですよね。ルーティンを確立してマイルールも設定して今のところなんとか生活しています。でも擬態していてもいつかはボロは出るし、その前に自分の心身が疲弊してしまいます。実際今までの上司は口を揃えて「頑張りすぎ、肩の力を抜いて、周りを頼って」と言ってきます。疲れます。なので努力ではどうにもできないこと、助けてほしいことは自分から「○○の状態になったときはこう助けてください」と頼るよう心がけています。なので助けてください(涙)

 

「迷えば不安、決めれば自信」いい言葉でしょ?中高時代の部活のコーチが教えてくれました。自分軸で生きるために自分が選択したと胸を張って行動できるように。迷っているときはウーンって感じだけれど、こうと決めたら大丈夫!自信を持つんだ!と自分に言い聞かせています。

 

といっても元々のメンタルがゴミ屑並みにボロボロの人間です。たまに死にそうになります。産後、睡眠不足も祟ってだいぶメンタルが落ちたときにカウンセリングを受けました。その時に「自己肯定感を上げる前に、自分の感情を否定しないことだよ。泣きたかったら泣けばいい、泣きたいのに泣かないのは自己否定だよ。楽しいときには思いっきり笑ってさ。自分の心に寄り添おうよ」と言ってもらいました。そして承認欲求から他者評価を得ることは卑しいことなのでは…?と自己卑下に陥ったときも「他者評価を得ることがお仕事の人(漫画家など)もたくさんいるからそれは卑しいことではないよ。」とも教えてもらいまして。自分の感情や欲求には自分が寄り添うのが一番なんですね。

 

難しいけれど。

 

何か思い出せばここに加筆していこうと思います。チラシの裏でしたがご静聴ありがとうございました。

 

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おいしすぎるお肉、載せておきます✌︎

 

嗚呼、マグロ漁船

ご無沙汰しております!

 

 

というわけで、この度第二子を妊娠しました。

…はい!また引きました

UR(全妊婦の1-2%)

 

今回は(も)本当にしんどかった…

息子の時よりもきつかったかもしれない…

備忘録としてここに残しておきます

 

悪阻の経過

 

※W=週数、D=日 ex)4W5D=4週5日

 

0W

自然妊娠ならば生理が始まる日です。

妊娠週数の数え方って不思議ですよね。

わたしは前週期にピルで生理日を調整したのですが、3日早く来てしまいました。

でも大丈夫だそうで!

この日から卵胞ホルモン剤貼付がスタートです。

 

1W

特に変わりなく、家族で日帰り旅行を楽しみました。

 

2W

この週に移植がありました。このあたりから黄体ホルモン膣坐薬を開始。

祖母が亡くなったと連絡があり、見送った翌日が移植日でした。「おばあちゃん見守っていてねよろしくね」とお願いしていました。

 

3W

まさかのコロナ罹患

息子もみなし陽性になり、高熱でうなされながら日中ワンオペしていました。死ぬかと思った。

嗅覚味覚が鈍くなりました。これは不幸中の幸いだったことが後々わかります。

 

4W

自然妊娠ならば生理予定日にあたる週です。生理が来なければアレ?となる週。

フライング検査で陽性✧

でも息子のときよりもなかなか濃くならなくて化学流産を見込んであまり期待せずに過ごしていました。

ヤツの足音が……

カリカリ梅・レモン飴を舐めながら研修と仕事をしていました。

 

 

5W

クリニックでの陽性判定✧

もうこの頃には気持ち悪さがやってきて「ああああ」しか呻けない病に罹りました。

かろうじて仕事に行っていましたが、早退ばかりでした。

 

6W

胎嚢確認。

もう仕事に行けません。母健カードを書いてもらい病休に入りました。

6W1D、突如吐きづわりがスタート。

もう何を飲んでも食べても即吐いてしまう。

しまいには血液胃液胆汁しか出てこなくなりました。

 

7W

嘔吐は止まらない。何も食べられない。

尿も少量で血尿か?と思うほど赤い。

入院になりました。息子を家に置いて入院することへの罪悪感が凄まじかったです。

 

8W

心拍確認。

入院継続中。1日6本の点滴を打ってもらい、嘔気は治り、つわり食を食べられるようになりました。

 

9W

退院はしましたが、2回ほど点滴通院しました。

 

10W

前半は調子が良くて、嘔吐せず食べられるものが増えこのまま軽快するかな!?と思った矢先後半無限嘔吐編……点滴通院時ケトン2だったのに、翌日ケトン3になった……歩けないどころか立てずほぼ這っていました。

 

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診察室入るや否や「入院しよう」と医師の診断。まさか…息子の時にはこの頃仕事に行けていたのに…と心が折れてしまって入院1-2日目は涙と嘔吐が止まらず。助産師さんたちにたくさん泣きつきました。初めて「この妊娠を諦めたら楽になれるんだろうな」とも考えました。そんなこと考えてしまって情緒不安定でした。

なんとか退院し、分娩でお世話になる総合病院に転院しました。

 

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総合病院、点滴通院を渋り(怒)こっちは辛いのに「ケトン1ならそんなに酷くないよ」って○すぞのお気持ちでした。吐き気止めをたっぷり処方してもらいました。

お腹の子は元気!キックパンチでお腹の中を満喫していました。

 

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無事?食べづわりになり、2時間おきに何かを食べなければ気持ち悪く、食べても吐き気がやってくるという連続嘔吐とはまた違う苦しさがやってきました。食前30分前に吐き気止めを飲んでなんとか吐かずに食べ物を摂ることができました。近所への散歩もスタート。

 

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相変わらず吐き気止めはマストですが、体力を戻すために毎日散歩に行きました。友人にも会うようにしていました。

 

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少し楽になってきた気がします。食べたいな、と思えるものが増えてきました。

健診で元気な姿を確認!1日3回だった吐き気止めは多くて1日2回でも大丈夫になってきました。

しかし、第一子の時と同様逆流性食道炎になり、無限げっぷ編へ…………産むまで解消されないので辛いんですよねコレ。

 

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今に至る____

 

今回の症状

 

辛かった順に、

吐きづわり

よだれづわり

食べづわり

匂いづわり

でした。超初期にコロナ罹患したことで嗅覚が鈍くなり不幸中の幸いにも匂いづわりは軽減されていました!やったね!

でも第一子で平気だったご飯が炊ける匂いがダメで「あぁみんなが言っていたのはこれね…」とようやくお気持ちがわかりました。

 

第一子で重症妊娠悪阻を経験しているので、あの頃のように「なんじゃこりゃぁぉあああああ!!!!!」と日々大号泣!驚愕!することはなく「あぁそうだよね…これだよね…あと2ヶ月続くよね……」と冷静だったと思います。それでも辛いもんは辛い。24時間ずっと、延々と、吐き気に襲われます。寝ている時だけはさすがに気持ち悪くないのですが、眠りが浅くなると「吐き気がぁ…」と嘔気に気がつき(空腹で気持ち悪くなる)吐き、何か口にすればするで即吐く。胃に何もないのに、溢れ出てくる何か。胃痙攣も激しくえづきは止まらず1回嘔吐のモーションに入ると5-10分オエオエ吐き続けました。それが1日に10数回。そりゃ1ヶ月で10kg体重減少しますよね。

死ぬかと思った。

やっぱり光の刺激もダメで、リビングに出向くだけでトイレに駆け込み…真っ暗な部屋でじっと息を吸って吐いて…の生活です。今もiPhoneは光度下げて使用しています。

 

息子がいるのでなるべくならば入院せず、通院でどうにかしたかったのですが、そんな悠長なことは言っておられず、夫にも入院しなと勧められました。

第一子の時よりも体調悪く、未だに仕事復帰できていません…もう色々諦めるしかない。

 

人生の何よりも辛いつわり……

乗り越えるコツとしては

頑張らない、抗わない、乗り越えようとしない

ですかね(笑)精神論ではどうにもならないんですよ。自力では無理。ならば時の流れに身を任せるしかない。生きているだけで偉い。

 

水分も摂れないようならば、早めに医療介入で点滴してもらいましょう。我慢しすぎると代謝性アシドーシスで多臓器不全を起こしたり、ウェルニッケ脳症になったり、血栓ができて死に直結したり……つわりは病気じゃないけど、病気だよアレ。ただ点滴しても全く吐き気がなくなるわけではないです。全身に水分が行き渡り、食事を取り込みやすくさせたり、ケトン代謝から糖代謝になることで倦怠感がなくなったり、その程度です。吐き気とはお友だちなのは変わりません……だからこそこの状況を打破しようとしないで生きましょうね。

 

ホントねしんどいです(現在進行形)

 

Apple Watchで育児がちょっっっと楽になった件について

 

タイトル長くね?

 

産後2ヶ月あたりにApple Watch SEを購入しまして、少しだけ楽に生活ができるようになり、今では必要不可欠なものになりました。

使いこなせている自信なんて全然ないのですが、そんなガジェットに弱いわたしの活用方法をお伝えしようと思います。

 

購入したきっかけ

生後2ヶ月、夫が育休を終え日中は一人で息子の育児をしていました。抱っこしていると電話を取り損ね、着信履歴を見ると役所から。「でもこの番号交換室のやん!どこから!?!?」と、何往復もの電話のやりとり……度重なるキャッチ…イライライライラ………

息子が泣く、はいはい今行きますよ〜とスマホを放り投げる。授乳と寝かしつけ終わって「はぁ…スマホ、どこだ…?」と大捜索。

ああもう!そしたらスマホのマナーモード解除だ!…ピコピコ♪…ピコピコ♪ピコピコ♪ピコピコ♪…

うるさーい!息子起きんでしょーが!って、公式アカウントからかい💢💢💢💢💢💢💢💢💢

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と直接育児に関わっていないことでだいぶイライラしていました。産後ボケもあって冷蔵庫からスマホを発掘することもしばしば……

 

そんなときに「通知を受け取るならスマートウォッチが便利!」と各所方面からチラホラと聞こえてきたので、「買ってみよう!」と決意しました。

安価なスマートウォッチもたくさんありましたが発火が怖くて(笑)「まぁ少し高いけどiPhoneユーザーだし間違いはないよな」ということでApple Watchの購入に至りました。

 

便利な点①(それなりに自由度がある)文字盤

それなりにですね。やっぱりAndroidには勝てません。

わたしの文字盤をご紹介します。Apple Watchの文字盤編集は本体でもできますが、iPhoneから操作を行う方が楽です。iPhone本体にある「Watch」アプリを開いて操作します。(やり方は割愛しますね)

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左からメイン(インフォグラフモジュラー)、息子の月齢フォト(写真)、息子の1歳の記念写真(写真)の3つを使用しています。

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Apple Watch側から見るとこんな感じ。

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文字盤の自由度はそこそこです。テンプレートに好きな機能(コンプリケーション)を入れていきます。文字盤の種類が豊富なので自分に合うものを探してみてください。コンプリケーションは大きさによって入れられるものそうでないものがあります。

 

Apple Watchの文字盤で左右スライドすると他の文字盤に移動できます。育児で心身共に疲れたな…と感じるときは左にスライドして月齢フォトを眺めて「かわいいなぁ…大きくなったなぁ…」としみじみして次への活力にしています。写真は1文字盤で24枚まで入れられます。

 

便利な点②通話ができる

電話の通知を受け取れるだけでなく、なんとそのまま通話ができてしまうのです!

ちょっとしたやりとりだろうな…というときにはApple Watchのまま通話ボタンを押しちゃいます✩わたしは消音モードにしているのでバイブレーションで教えてくれます。割と強めなので何をしていても気が付きます。

これで冒頭に出てきた謎の何往復もしなくて良くなりました!やった!

ちなみに通知だけでなく発信(履歴・電話帳・キーパッド)もできちゃいます!

ただLINE通話には対応していないので(残念…)LINE通話をする場合には一度チャットを飛ばしてもらったほうがいいでしょうね…わたしは何度か着信に気がつかなかったことがありました。

 

便利な点③LINEチェックができる

手元でチラッと確認して至急ではない要件は落ち着いてから返信できます✌︎通知オフにしているアカウントはもちろん通知はされません。

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このように表示されます。

返信をすることもできます。英語は手書き入力を認識してくれるのですが日本語は音声のみとなります。LINEアプリから10個までなら定型文を自分でアレンジすることができ、ポンと押すとそのメッセージが送られます。よく夫からの報告に「おけ」と返しています✌︎

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スタンプもプリセットされているもの限定になりますが送ることができます。

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Apple Watchで手元で確認するためには通知表示をしなければなりません。「新着メッセージがあります」表示のままだと「新着メッセージがあります」としか表示されないので注意です。Apple Watchで通知を受け取ってしまえば、iPhone本体には表示されないのでかくかくしかしかな理由で表示させたくない、でもすぐに確認したい…みたいな方にもおすすめな機能だと思います。

 

便利な点④ぴよログと連携

ぴよログとは子どものお世話記録ができるアプリで複数人で共有することもできます。たまったログは製本して記念に残すこともできます。

わたしはアナログで記録を取っていたのですが、外出先や手が離せないときなど入眠時間や排泄のメモを…と思いDLしました。

 

Apple Watchでできる機能は3つ。

まず授乳タイマーです。これは使ったことはないのですが、生まれたてのときに使っておけばよかったなと思いました。なぜならば…授乳しながらコックリコックリと眠りこけてしまって危うくパイ圧死させそうになったことが多々…これならば決めた時間をバイブで教えてくれます。

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次にお世話記録。

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マークを押すと入眠・起床・食事・授乳などが時間と共に記録されます。これはぴよログアプリで自由に組み合わせられます。Apple Watchでは時間はわずかしか遡れないですがアプリだと24h遡れるので記録忘れしても大丈夫です。

 

そして最後にお世話一覧。

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このようにいつ行ってどれくらい時間が経っているのか確認できます。寝る・起きるは1セットなようでどちらかを忘れてしまうと延々と寝ている赤ちゃんになってしまうので注意です!わたしはメモ程度に利用していたので80時間睡眠していることになることがしばしばありました(笑)製本する人はお気をつけて…!

 

便利な点⑤リマインダー

産後ボケが猛烈にひどくて買い物に行っても「何買うんだっけ…」となってしまい困っていました。リマインダーもアプリとApple Watchで同期できるのでiPhoneで一気にメモしてもいいですし、Apple Watchで音声入力しても◎

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右下のマイクマークを押すと音声入力できます。

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「GooNプラス(オムツ)」

リマインダー、使うのは自分だけです。わかればいいんです💪

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買ったものをチェックしていくと項目が消えます。生後半年くらいまでは必須なアプリでした…今も忘れてはいけないことはすぐメモしています。

 

便利な点⑥QUICPay

子どもを抱っこしていると財布を出してガサゴソ小銭を出して、おつり受け取って…がとてもしんどく少額ならばQUICPayで会計を済ませちゃいます◎Apple Watch購入後初めてQUICPayを導入したのですが、手持ちのクレジットカードでできるので便利だな〜と感心しました。Watch横のボタンをダブルクリックするだけでお会計ができます。QUICPay対応店も多いので重宝しています。

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便利な点⑦iPhoneを探せる…

とにかく子ども優先、特に1歳を過ぎてつたい歩きとハイハイでどこへでも行ってしまい自分のスマホなんて二の次。二の次すぎてどこか行った…どこに置いたんだっけ…そんなときに下からスワイプして右上のiPhoneが揺れているマークを押すとリンリンリーン♪と音でありかを教えてくれます。マーク長押しでライトも点滅してくれるので車の中やカバンの中で探すときも便利です✌︎

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さいごに

長くなり過ぎて端折ってしまった感。さらに端折ります。

・アラームタイマー類はバイブ

・ちょうどいい懐中電灯

・防水(何度も手を洗うしね…)(そのまま沐浴◎)

・無線機能あり(パパママで家庭内連携だ)

・外出時雨雲レーダー便利

 

低血圧なので寝起き爆音アラームで何度死にそうなったことか…手元でバイブで起こしてくれるのでスッと起きることができます。ありがたい✧

スマホをずっとチェックしていなくて良いので子どもと関わる時間が増えたと思います◎

 

なくても生活できるけれど、あると便利だなと。買って後悔はしていません!

 

今日も手元で息子の写真を眺めてマイナスイオンを全身に浴びています。