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ふるえるぞハート!燃えつきるほどヒート!

【028】人のせいにしない!(※あくまで個人の意見です)

私がTwitterで注目している「ある先生」がいます。

「若くしてそのレベルまでよくたどり着いているなあ!すごい!」

と思わせられるような方です。

(でもフォローはしていません。笑)

その方が先日、

「働き方のテクニック」的なものをつぶやいていました。

とても参考になりました。

私も、いくつか発信してみたいと思います。

 

さて、最初に断っておきますが、

もちろんこれは私見です。

「こうするべきだ」

「こうしなくてはいけない」

というものではなく、

「私はそうすることによって、うまくいってると思ってます」

ということを発信します。

 

第1回のテーマは、

「人のせいにしない!」です。

働いていると、他の先生のせいにしたり、

子どもや保護者のせいにしたりしてしまうことがよくあります。

気持ちは、すごくわかります。

 

例えば…

「伝達したことが正しく伝わっていなかった」

なんてことがあったとしましょう。

そのときに、

「何でちゃんと伝えたのにあの人はわかってくれないんだ?」

と、つい「人のせい」にしてしまいますよね。

でも、もう片方で、

「自分が違う伝え方をしていたら、ちゃんと伝わったかもしれない」と

「自分のやり方」を疑うことで「次は気をつけよう」と考えることができます。

「人のせい」にしているうちは、

多分自分のやり方を変えることはないでしょう。

そこに成長はないと思うんです。

 

この生き方は、はっきり言って辛いですよ。

何があっても、

「自分が悪い」「自分のせいだ」と

自分を責めることになりますから。

でも、その繰り返しをしてきたからこそ、

私はここまでやってこられたと思っています。

何しろ、人のことを責めずに済むのは、

最終的にはプラスな気がします。

 

「ONE PIECE」の尾田栄一郎氏は、

アシスタントなど周りの人がアイデアを出してきても、

漫画には全く取り入れないそうです。

何故かというと、

もし、そのアイデアを取り入れた結果コケたとしたら、

きっと「人のせい」にしてしまうだろうから、

それが嫌なのだそうです。

自分で全責任をもって漫画をかけば、

失敗した時にも人のせいにしないで済む、というわけです。

「成功も失敗も、全て自分の責任下におく」

ということですね。

 

この考え方、

人によって感じ方も違うと思いますが、

私は同感できます。

 

まあ、飲み会で愚痴るくらいは許容範囲だとしても、

人を変えるよりも自分が変わったほうが早いですよ。

ただ、「子どものせいにする先生」は、

申し訳ないですがあまり教員には向いていないかもしれませんね。

 

では、このへんで。

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【027】手段と、目的と。

 手段の目的

現場によくありませんか?

 

目的(なぜやるか)が既にわからなくなり、

手段(やっているという事実)のみが残ってしまう。

「目的を見失い、やっているという事実が発生すればよい」

という状態。

 

 

「何で、これやってるんですか?」

と周りに聞くと、

「さあ…?自分が来た時にはもうやってた」

みたいな返事が来ることがあります。

 

これ、非常によくないですよね。

無駄すぎる。

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「今までこうだったから」

「ずっとこの方法だったから」

「この地域の伝統だから」

こういう、

目的がよくわからなくなり、

形骸化しているもの

一掃していいと思うんですよね。

 

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私は今、現場を離れ、

「内地留学」というものに出かけています。

10月から3月までの後期6か月間、

大学に通い、自分が研究したいことを研究する期間を与えられています。

(※半年間の出張扱い。とてもありがたい制度です。

 

その研究で様々な本を読んでいる時も思うのですが、

学習指導においても同じだと思います。

スキルや実践だけを取り出しても、効果は半減です。

きちんとした理論(目的)に基づくスキル・実践(手段)だからこそ

意味があるのだと思います。

そこを履き違えないように気をつけたいです。

 

現場に戻ったら、

手段と目的をもう一度考え直したいと思ってます。

周りにもそれをどんどん訴え、広めていきたい。

 

2019年は、やりたいようにやります

もうちょっと尖っていきたい。

「何か学校っておかしいぞ?!」と毎日のように感じ、

尖っていた頃の気持ちを思い出してきました。

その感覚を尖らせていきたいですね。

(もちろん人を傷つけるためではないです。

 

そんなわけで、

あけましておめでとうございます。

【026】コストカッター

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「コストカッター」

コスト削減を推進する人、辣腕なコストカットの実践者、といった意味で用いられる表現。主に企業の経営者について用いられる。(weblio辞書より)

 

私は野球が好きなので、最近気になった話題。

福岡ソフトバンクホークスは、

柳田などの活躍した選手には年俸の大幅アップをしつつ、

全体としては10億円のカットを成し遂げたそうです。

非常に理想的ですよね。

きっと来年もホークスは強いでしょう。

news.livedoor.com

また、(逮捕されちゃいましたけど)カルロス・ゴーン

「コストカッター」として有名です。

ゴーンによって、日産は立ち直ったそうです。

(逮捕されちゃいましたけど)

 

さてさて、学校においては、

「無駄な労力を見直すことができる」という意味での

「コストカッター」が必要なのではないでしょうか。

 

先日、以下の記事内において、こんなことを書きました。

claris1020.hatenablog.com

「デキる教員」には2タイプある、
と私は思います。

タイプ①:
0から何かを生み出す、
「創造力」がある教員

タイプ②:
元々あるものを
スリム化したり効率化したりして、
クオリティを上げつつ(若しくは保ちつつ)
労力は減らすことのできる教員

 

このタイプ②の教員が

「コストカッター教員」に向いていると思います。

 

学校は、

一度始めたことをなかなかやめられない場所です。

始めるのは簡単。

でもやめるのは難しいんですよ。

なぜなら、

「去年はやっていたのに何でやめたんですか?」と言い出す保護者や、

「毎年やっているものだから今年もやらなくてはならない」と考えている教員が

あまりに多すぎるからです。

誰も、自分の代では、

そういった声や考えの矢面に立ちたくないんです。

だから、とにかく仕事は増える一方でなくならない。

そして、「免許更新が必要だ」とか、

「プログラミング学習が…」「英語教育が…」とか、

とにかく雪だるま式にやることは増えるばかり。

 

だから、思い切ってバッサリいくことが必要です。

そして、なぜそうする必要があるかを、

保護者や教員にきちんと論理だてて説明できれば最高です。

 

では、先ほどの、

「0から何かを生み出す」タイプ①の教員と、

「コストカッター」のタイプ②の教員は、

共存できないのでしょうか?

 

答えは「否」です。

 

その記事にも書きましたが、

先生として相応しいのは、タイプ①の教員だと私は思います。

教育には創造力が必要です。

タイプ①の教員の創造力から生み出されたものを、

タイプ②の教員が最適な形に精製する、

みたいなイメージを私はもっています。

 

watchaで登壇するような方は、

皆タイプ①の教員なのだと私は思っています。

私にはそういう創造力はありません。

でも、タイプ①の教員が生み出したものを、

一緒になって実現可能な形にすることは私にもできると思います。

新しいことをするのに生じる負担をいかに減らすか。

そんなことは割と得意です。

 

そうやって、自分の得意なことを持ち寄って、

よりよい教育が成されていくのではないかと

Twitterなどを眺めながら、最近よく考えてます。

【025】そもそも「アンチ」とは何なのか?

Twitterって、

自分にとって耳障りな言葉を

シャットアウトできるんですよね。

 

自分と口論(?)になった人、

暴言を吐いている人、

自分と考えが合わない人…

ミュート機能、ブロック機能を使って

みんなシャットアウトしてしまえばいいわけです。

 

さて、私が拝見しているブログを書かれている「ある先生」

よく「アンチ」のような方に批判、攻撃されているのを見ます。

(敢えて誰とは書きません。)

 

私は、その一連の流れを見て、

「アンチと称される方々は、暇なんだな」

いつも思っています。

 

その先生が活躍したり

人気者になったりすることによって、

自分に不利益が生じるわけでもないのに、

何が気に入らないのだろうか。

まあ人間なので、好き嫌いはあるでしょう。

だから、「他の人を気に入らなく思う」までは理解しますが、

自分にとって気に入らなければ、見なきゃいいだけの話。

ブロックやミュートをして

自分のTLに流れてこないようにできるのに、

それでもワザワザ見て、批判して、攻撃して、

そして本人から肩透かしを食らう、みたいな

一連の「お決まり」的な流れを

ここ最近何度も見ました。

 

正直、不思議だなと思って見ています。

大体、Twitter自体が匿名性が高い媒体なのに、

さらに匿名の質問箱という手段を使って

自分は安全なところから攻撃するあたり、

よく理解できません。

その先生はよく、

「自分の時間を生きてください」みたいなことを言っていますが

ほんと、ただそれだけのことだと思うんですよね。

同じ時間軸にいないのだから干渉のしようもないわけですし、

生き方を変えさせる必要なんて全くないわけです。

放っておけばいい。

でも何か気に食わないんでしょうね。不思議です。

 

私は、その先生のブログ記事がアップデートされると

必ず拝見しています。

自分の確固たる考えをもち、

熱心に毎日を過ごされている方です。

素晴らしいなとは思っていますが、

生き方をマネしたいとは別に思いません。

 

なぜなら、私は私で確固たる考えもありますし、

「自分は今のところこのやり方が合っている」

と思える方法も確立できているからです。

(多分私にはマネできないと思いますし。笑)

でもそれはそれで置いておいて

いろいろな先生方の考えを知りたいと思い、

他の先生方のtweetやブログを拝見しています。

自分の時間の中で、得たいものがあるから、

その先生の記事を読み、

「おおスゴイ!」とか、

「おおそれは私は同意しかねるな」とか、

自分の中で批評しています。

先日実際お会いしましたが、

とても面白い方でした。

(マネはできないと思いますが。笑)

 

だからこの記事は、

あまりにひどいアンチに怒っているわけでもなく、

その先生を助けたいと思っているわけでもなく、

ただただ単に、

「不思議だな」「理解に苦しむ」

と思って書いている記事に過ぎません。

 

だいたい、「アンチ」って、何なんでしょう?

一国の大統領や総理大臣のように

大多数の人に影響力のある人ならまだしも、

ただの一地方公務員ですよ?

一地方公務員に「アンチ」なんて存在するのでしょうかね?

昨日などは、

「すべての否定的意見をアンチとみなして、

真面目に取り合わないような真似をするのは

おかしいと思います。」

などという意見があったようですが、

だから、そもそも何故、

「一公務員がTwitterやブログで好きにやっていることの批判に対して、

いちいち取り合う必要があるのか?」って話ですよ。

「こういう批判や攻撃が来ました~」と

わざわざ紹介しているだけでもすごいと思いますよ。

(私がもしその先生の立場なら、批判や攻撃は無視します。)

 

彼女が、「調子にのってすいませんでした」とでも謝れば、

「アンチ」的には満足なのでしょうか?

何が目的なんでしょう…?さっぱりわからん。

 

まあ、かく言う私も、

こうやって一生懸命考えてブログ記事を書くことで

その先生のことを考えることに時間を使っているわけでして、

その先生の魅力に十分毒されている一人なのでしょう。

 

Twitterやブログ記事は、

同意できるところばかりなわけではないですし、

特に応援しているわけでもありませんが、

記事やTweetはこれからも楽しみにしています。

 

お互い、頑張りましょう。

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【024】ride on free

「神格化」

「絶対崇拝」

「絶対視」

 

みたいに、「極によった考え」は危険だと思います。

 

例えば、私はTwitter

全国津々浦々のいろんな先生の考えを見ます。

「おお、面白いなあ」と思うことが多いです。

Twitterは便利です。

でも、

完全に「Twitter寄り」になるのは危険だと思います。

Twitterでの会話や意見は、

自分が判断を下したり、

自分の行動を決定するうえでの、

1つの選択肢に過ぎません。

 

先日、watchaに参加しました。

本名も知らないたくさんの先生と話ができ、

刺激になりました。

参加してよかったと思っていますし、

タイミングが合えばまた何らかのかたちで参加したいと思っています。

でも、watchaもTwitterと同じです。

自分が判断を下したり、

自分の行動を決定するうえでの、

1つの選択肢に過ぎません。

 

Twitterを扱う」ことや「watchaに参加する」ことで

急にスゴい先生になるわけじゃないんですよ。

それを扱ったうえで、自分が目の前の子どもたちに

何ができるかが重要なんだと思います。

 

「自分の判断と行動は、

いつも自分の心が決める」

ということですね。

 

先日も書きましたが、

全員が、watchaの登壇者のような先生である必要はないと思います。

組織には、

ニュートラルな感覚で

オーソドックスな仕事の進め方をする人も必要です。

もちろん、

登壇された先生方は素晴らしいと思っています。

しかし、間違った影響の受け方をして

「自分らしさ」が失われたのでは意味がないと思います。

それが、よよよ先生のおっしゃってた

「自分の軸」ってやつなのではないでしょうか。

 

私は歳も歳なので、

いつも冷静な心持ちでいるつもりですが、

改めて、それを肝に銘じて

残りの教員生活を頑張っていきたいなと思っています。

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【023】BAD COMMUNICATION②

私は体育主任を

長いことしていました。


ある年の持久走大会のできごと。

途中で、校長が私に言いました。

「保護者にわかるように、

『次は○年生が走ります』的なアナウンスを入れるか」

と。

行事の途中から

私がアナウンスを入れました。

このことに関し、

「行事後の反省カード」にて

2人から意見が出ました。

意見①

「ゆうき先生がアナウンスをしてくれたおかげで

何年生が走るのかがよくわかってよかったです。

ありがとうございます。」

意見②

「何年生がいつ走るのかがわからなく、

途中までなあなあになってました。

もっとしっかりしてほしいです」

さて。

もしあなたが体育主任だとして、

イライラさせられる意見

どちらでしょーーーーーーーか??


はい、当然②ですよね、

どう考えても。


ここでのポイント。

最初の予定ではアナウンスは無かったが、

途中から善意で入れた」ってところです。

体育主任である私が、

最初から気づいてアナウンスしていれば

一番よかったとは思います。

しかし、元々の予定にないものを

途中から善意で入れたことは

「加点評価」されるべきです。

少なくとも

「減点評価」の対象ではないと、

私は思います。

こういうところが、

BAD COMMUNICATION」なんですよ。

 

もしかすると、①の意見だって、

「最初からアナウンス欲しかったな」の

意味なのかも知れないなと、私は思っています。

ただ、この言い方であれば、

相手に嫌な思いをさせることなく、

自分の意見を伝えられます

私も「次回は最初からアナウンスするか」と気付けます。

結果、行事はよりよくなります。

win-winの関係です。

 

しかし②は、相手に不快感を与えます。

イライラしか生まれません。

「なあなあでした」

「もっとしっかりしてほしい」だと…?

他に言い方があるだろう、と。

その後の人間関係にも悪影響です。

これでは、本当に言いたいこと以上に、

憎しみや悲しさが前面に出てきてしまいます。

それはよくありません。

 

 

様々な年齢層がいる学校社会において

実は、若手の考えのほうが正しかったり、

効率的だったり、

今の時代にマッチしてたりすることって、

割とよくあるんですよ。

しかし、その時、

先輩にそれを上手に伝えないと、

大けがのもとです。

 

「自分の思っていること」を

「いかに相手を傷つけないよう」に

「十分に理解してもらう」か。

これが、このTHE年功序列社会の学校で

生き抜いていく術の一つだと私は思います。

私もよく大けがしました。

 

各々で気を付けていきたいところですね。

では、今日はこの辺で。

 

ゆうき

 

※ちなみに、
意見①…50代の大ベテラン。学年主任。
意見②…新採5年目。20代。勿論私より遥か年下。
からの意見でした。

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【022】BAD COMMUNICATION

ベテランからも若手からも

学校をよくするための意見が

活発に出てくる学校がいいな

と私は思います。

 

しかしこれは、

「どういう言い方をしても構わない」

ということとは全く違います。

もうちょっと具体的に言うと、

攻撃したり、

意見だけでなく人間性まで否定したり、

「礼儀がなってないな」「単なる生意気なやつだな」

と思われてしまうような言い方をしたり…は、

あまり好ましくありませんよね。

 

これは、教師だけでなく、

人として必要な能力だと思いますし、

さらに言うならば、

老若男女関係なく身につけたい能力です。

しかしながら、

ここで失敗した時に、

より大きな損失を被るのは、

ベテランよりも若手です。

 

だから、分かりやすく建設的に意見を述べるテクニックだけでなく、

相手が気持ちよく聞いてくれるようなテクニックや、

和やかな雰囲気の中で議論できるような人間関係づくりにも

努めたいものです。

 

よい意見は、よい人間関係の中から

生まれてくると思いますよ。

 

では、どんな述べ方がいいのか。

どんな述べ方が悪いのか。

それは、次回の記事で。

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