原子力神話からの開放ー高木仁三郎氏の予見

原子力神話からの解放 -日本を滅ぼす九つの呪縛 (講談社+α文庫)

原子力神話からの解放 -日本を滅ぼす九つの呪縛 (講談社+α文庫)

は十一年前に刊行された書物であるが、現在読んでも全く古さを感じさせない。いや、現在再び読まれなければならない本であろう。
日本を滅ぼす九つの呪縛からの開放を著者は求めている。

(1)「原子力は無限のエネルギー源」という神話 (2)「原子力は石油危機を克服する」という神話 (3)「原子力の平和利用」という神話 
(4)「原子力は安全」という神話 (5)「原子力は安い電力を提供する」という神話 (6)「原子力は地域振興に寄与する」という神話
(7)「原子力はクリーンなエネルギー」という神話 (8)「核燃料はリサイクルできる」という神話 (9)「日本の原子力技術は優秀」という神話

原子力問題現在とこれから」、と題して著者は四つの問題点を挙げているが、これが十一年後の現在でも未解決であることを認めねばなるまい。

(1)原子炉の老朽化症候群 (2)原子力産業の斜陽化症候群 (3)廃炉の時代の諸問題 (4)放射性廃棄物と余剰プルトニウム問題

「安心科学アカデミー」というNPO法人ー放射能の「安心宣伝」が設立の趣旨とのこと

安心科学アカデミーなるNPO法人があって、そこのWEBで、弱い放射能は恐れるに足らないという「安心」の宣伝をしていることに気づいた。そこでは、このアカデミー委員会の理事である辻本氏が次のようなことが謂われている。

東京電力株式会社の柏崎刈羽発電所でのプルサーマル計画実施の是非を問う住民投票が2001年5月27日に刈羽村の住民(有権者数4,090人)に対して行われた。プルサーマル計画は国の核燃料サイクル政策の柱で、国のエネルギー政策に対して非常に重要である。そのため、政府、電力会社は必至になってプルサーマルの安全性について説明された事と思う。ところが、結果は反対派が多数を占めた。「安全でも安心出来ない」と言うのがその答えである。そこで、東京電力株式会社では「プルサーマル推進本部を早急に新設し、幅広い理解活動に取り組んでいく、経済産業省も「政府を挙げプルサーマル推進に向けた活動を目的に関係府省による連絡協議会を設け、実績などを示して地道に説得していく」などの考えを表明している。このように電力会社や政府はプルサーマルの技術的な安全性、実績などについて正しく伝え、エネルギー間題や原子力政策についての考えを解ってもらおうとしている。・・・
住民にエネルギー及び放射線についての知識を正しく理解して頂くために、国及び企業は常にマスコミを通じた記者発表、広報誌及び説明会等による説明を行なっている、さらに第3者機関やPR機関を通じてオピニオンリーダー等を育成して、住民の中にとけ込ませて、原子力放射線の理解に努めている。また、学協会は独自の立場で住民との接触を図り、原子力放射線の理解を深めようとしている。

つまり日本の原子力ロビーの宣伝活動の一環として、プルサーマルの安全性を説明し、放射能汚染への不安を取り除き、国の原子力政策を視診するための宣伝機関として、この「アカデミー」なるものが設立されたことを、理事長の辻本氏自身が明言しているのである。言論は自由であるから間違った言説を発表することも自由であるが、潤沢な宣伝資金をもつ原子力ロビーがバックにあるとなるとこれは問題である。
この設立趣旨を見る限り、原子力発電所の周辺に住む住民の安全のことなど、アカデミーの設立者は毫も考えていないのである。彼らは国策である原子力を推進し、プルトニウムを使うプルサーマル計画を推進するために、住民に主観的な「安心感」を与えるために、科学の装いを凝らした宣伝をやっているに過ぎない。近藤宗平氏をはじめとして、こんないかがわしい団体に協力している日本の大学の「先生」がたの見識を疑わざるを得なかった。

近藤宗平氏の 「人は放射線になぜ弱いかー少しの放射線は心配ご無用」(講談社ブルーバックス)への疑問

「近藤宗平氏の「人は放射線になぜ弱いかー少しの放射線は心配無用」(講談社ブルーバックス 1998年第一刷、2011年4月8日第七刷)を読んだ。この書物は、LNT仮説に対する反論を唱える著者の立場を一般大衆にも分かるように書き下したものであるが、フクシマ原発震災の後、増刷されて書店に並んでいるので、これを購入された読者も多いのではないかと思う。
まず、この書物のタイトルとサブタイトルは、そもそも矛盾しているのではないだろうか、というのが私の第一印象であった。
「人は放射線になぜ弱いかー少しの放射線にも気をつけて」
あるいは
「人は放射線になぜ強いかー少しの放射線は心配ご無用」
なら、その内容に反対するにせよ賛成するにせよ首尾一貫したものを感じるが
「人は放射線になぜ弱いかー少しの放射線は心配無用」
というのでは、何を言っているのか分からない。
しかし、近藤宗平氏講談社ブルーバックスから出版された啓蒙書(?)のタイトルは、まさしくそういうものであった。著者には申し訳ないがフクシマ原発震災のあとにマスコミに登場された多くの「専門家」たちの発言
放射能の強さが基準値の××倍となりました。しかし心配無用です」
というのを思い出してしまった。
それにしても、福島の小学校の校庭の放射能汚染度が二〇ミリシーベルトでも安全だということを文部科学省の役人が勝手に決めた時期に、この本が店頭に並ぶことに私は大きな違和感を覚えた。放射能健康被害に関する国際基準は、一ミリシーベルトであり、我が国の安全基準、法体系もすべてこの国際基準にしたがっている。もちろん学問の世界では多数派が常に正しいとは限らないから、LNT仮説にもとづき弱い放射線被曝も健康障害を引き起こすという世界的にスタンダードとなっている理論に異を唱えるのは著者のご自由である。
しかし、この「啓蒙書」(?)を読んだ私の感想を率直に言えば、著者の主張の前半「人はなぜ放射線に弱いか」には賛成であるが、それと明らかに矛盾する後半部分、「弱い放射線は恐れるに足らない」という説は、誤りであると考えざるを得なかった。著者は量子力学基本法則を忘れているのではないか。光にせよ放射線にせよ、一個の素粒子が遺伝子を傷つけるエネルギーは、その周波数とプランクの定数の積に等しいのであり、その一個あたりのエネルギーは弱い放射線でも強い放射線でも同じなのである。放射線の強さは、そういう素粒子の総数に比例するから、弱い放射能の場合でも、細胞を傷つける力は同じである。我々が宇宙の彼方から来る恒星を見ることが出来るのも、その恒星から来る極端に微弱な光に含まれる一個あたりの光子のエネルギーが非常に高いからである。たかだか数個の光子でも我々の視神経はその影響を受けるが故に、恒星を肉眼で見ることも可能になるのである。放射線についてもそれと同じで、微弱な放射能であっても、その一個あたりの破壊力は極めて大きいのである。

それにあたれば急性障害を起こして致死的となる8グレイの強い放射線と謂っても、身体に及ぼす総エネルギーは僅かなものであり、我々の体温をせいぜい一〇〇〇分の二度上昇させる程度であるが、それでも造血組織などに致命的な打撃を与えるのは、その放射線一個あたりのエネルギーが、身体の細胞を安定した状態に保つ電子の結合エネルギーと比較して、圧倒的に大きいからである。そしてその放射線一個あたりのエネルギーは、「弱い」放射線でも「強い」放射線でも基本的には変わりはない。我々の身体には傷ついた細胞を快復させる能力もあるから、放射能が弱ければ弱いほど、傷つけられる身体細胞の個数はそれに比例して少なくなるが故に、放射線被曝を主たる原因とするガンや白血病になる確率は減少するであろうが、決して零にはならないと考えるのが妥当である。

また、統計的比較によって発がん率の増加に有意の差が見出されるかどうかという危険性に関する確率判断の方法は、癌を引き起こす因果的メカニズムが全く不明の場合には参考とすべきであろうが、放射線が遺伝子を傷つけ、染色体の異常を引き起こすことが知られているという事実をまず考慮すべきである。二〇年三〇年後の長期に亘る統計を待って結論を下す以前に、我々は、予想させる危険に照らして、本来危険であるものを間違って安全と宣言する愚行を避けて、速やかな予防措置を講じなければならないことは言うまでもなかろう。

参議院の行政監視委員会の参考人意見と質疑応答を聴く

参議院行政監視委員会での小出裕章、後藤政志、石橋克彦、孫正義諸氏のご発言をインターネットを通じて聴くことが出来た。このネット中継はアクセスが殺到し、音声が途切れたり、画像が動かないなど不具合が目立ったが、現在でもYoutube で聴くことが出来る。

  

高速増殖炉計画の破綻の責任を誰もとっていないという小出氏の指摘は重要であるし、日本の各所に散在している「鯰付」原発の危険性を指摘した石橋氏の説明も説得力があった。放射能被曝の基準を事故後に勝手に改竄しないこと、内部被曝の実態を調査すべきこと、とくに大気中のガンマ線測定だけでは、深刻な放射能被害の状況が軽減されて報道されるだけだという孫正義さんのご指摘も重大である。被害状況を直視せずに、安全のための基準値を改訂して、国民を無知な状態にしたまま偽りの「安心」を与えようとしても、そういう政策は必ず破綻する。原子力安全神話の崩壊の後、心すべきは原子力「安心」神話である。ここは、放射能被曝の健康被害を科学的に認識するために、ガンマ線だけでなく、すべての放射線量を測定する体制を整備すべきである。

海水注水中断の政治責任を告発する大騒ぎは読売新聞のキャンペーンから始まったのであるが、西岡議長の「諫言」とタイミングを合わせた「菅おろし」の政治的駆け引きの文脈で捉えるべきだろう。外の新聞は比較的冷静に扱っている。こういう利権まみれの政治屋どものくだらない政治的駆け引き、コップの中の大騒動とくらべれば、昨日の参議院行政監視委員会の内容の方が国民にとっては遙かに重要な内容を含んでいた。
大手新聞の中では東京新聞が、原発報道ではしっかりとした報道をしていると思うが、この行政監視委員会のことを詳しく報道したのも、東京新聞だけのようだ。今日の朝刊にも
放射能汚染のいまとこれから 京大・今中助教に聞く」という長文の記事が掲載された。全文は東京新聞を購読していないと読めないが、見出しだけ 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2011052402000049.html に出ている。

ネットで公開されている今中氏のチェルノブイリレポートも必読である。

追記

小出裕章氏は行政監視委員会参考人としての意見陳述をガンジーの次の言葉の引用で締めくくった。
私も自戒の言葉として肝に銘じておこう。

理念なき政治    Politics without Principles
労働なき富     Wealth without Work
良心なき快楽     Pleasure without Conscience
人格なき学識    Knowledge without Character
道徳なき商業    Commerce without Morality
人間性なき科学   Science without Humanity
献身なき宗教    Worship without Sacrifice

京都医療科学大学学長の発言に苦言を呈す

首相官邸のWEBサイトに、「祖父母の幸せ−−放射性物質のもう一つの顔」 (平成23年5月12日) (遠藤 啓吾・京都医療科学大学 学長) という記事が掲載されている。短いものであるから、全文を引用しよう。

放射性物質ヨウ素-131」を、100億ベクレル以上。 これは今から26年前、甲状腺がんの手術と、肺への転移の治療のために、私がある女子高校生に3回にわたって投与した放射線量です。このヨウ素-131だけでなく、同様に今回の原発事故で大気中に放出されているセシウム-137、ストロンチウム-90などの放射性物質やその関連物質は、病院では患者の治療に使われているのです。当然、人体への影響もかなり研究されています。 特にヨウ素-131は、50年以上前からバセドウ病甲状腺がんを代表とした甲状腺などの病気の治療に、カプセル剤として投与されています。ヨウ素-131の出す放射線の作用で、狙った細胞に強く障害を与えようと、病気の部分にできるだけ多く集まるように工夫しながら大量に投与します。 (とは言え、放射線による障害はできるだけ少なく抑えた方がよいのは、当然のことです。そこで、病気の《診断》と《治療》では、異なる考え方に立ちます。昔は、甲状腺の《診断》にも少量のヨウ素-131が使われていたのですが、今では、それよりも放射線障害の少ないヨウ素-123などが使われるようになりました。) バセドウ病は、ヨウ素-131を服用して2ヶ月くらいで治ります。冒頭でご紹介した女子高校生のように、甲状腺がんの肺転移の治療の場合は、それよりもさらに大量の投与で、治癒を目指します。  −−−今回の事故以来、テレビで解説をする機会が増えた結果、先日思わぬお手紙をいただきました。まさにその、26年前の高校生の御両親からの近況報告でした。「テレビで、昔とお変わりないお姿を拝見しました。当時16才で高校生だった娘は、甲状腺がんの肺転移で、親にとって希望のない毎日でした。しかし、治療していただき、その後結婚、出産。このほど、その子供が高校生となりました。娘は、今も会社員として仕事しながら、幸せに暮らしています。」 がんを克服した自分達の娘が伴侶を得て、高校生になった孫と幸せに生活している祖父母の喜びが、目に浮かびます。このようなお手紙をいただくと、医者冥利につきます。
遠藤 啓吾 京都医療科学大学 学長

なぜ上のような記事が、原発事故によって大量に放出されたセシウム-137、ストロンチウム-90、ヨウ素131などの環境汚染が深刻化している時期に、首相官邸のHPに掲載されるのであろうか。

医学で放射線治療が行われるという事実から、放射線悪玉論は間違いで、善玉という「もうひとつの顔」を持つことを指摘するというのが遠藤啓吾氏の云いたいことのようであるが、それにしても上で引用した文は、社会的責任を有する大学の学長の発言とも思えぬ軽率さがある。氏は自分の発言がどのような政治的文脈で引用され、どのような政治的目的に利用されるかをよく認識した上で発言されたのであろうか。

放射線が医療に使われていることは事実である。たとえば、難治性白血病の標準的な治療法は、抗がん剤寛解させたあとで、再発防止のために放射線治療をする。放射線は細胞の新陳代謝機能・造血機能をだめにしてしまうので、大変に有害であるが、その有害性を逆用して、白血病にかかった細胞を完全に破壊し,患者の造血機能まですべてを破壊したのちに、無菌室に患者を入れて、血液だけでなく造血幹細胞や骨髄移植をするという荒療治である。どうしても普通のやり方では治癒せず、再発の危険が大きい難治性の患者に施すのが普通である。放射線障害の深刻な副作用があるが、患者の命を救う可能性がある場合だけに使われる治療である。言うまでもないことであるが、放射線が体に良いわけでは決してない。

放射線治療の前に使われる「抗がん剤」にしたところで、ドイツが第一次大戦で毒ガスを使ったときに、たまたまその毒で癌が治った兵士がいたことがきっかけになって発見されたものである。つまり、「毒を以て毒を制す」というのが抗がん剤による治療の考え方。 だから、抗がん剤白血病寛解したからといって、誰も普通の人に毒ガスと同じ成分を持つ抗がん剤を推奨したりはしない。放射性ヨウ素ストロンチウムが癌やパセドウ氏病治療に役立っているというのも、それとおなじである。それらは,健康な人に決して投与してはならないものある。

最近、政府もしくは官僚が、学術会議やがんセンターなどに働きかけ、「実は放射能なんてそれ程怖くない」という宣伝をしようとしているのではないか。そうだとすれば、学者たるもの、このような政治的要請に軽々しく応じるべきではなかろう。結果として曲学阿世の譏りを免れない。

吉井英勝議員の自由報道協会での記者会見を聴く

すでに 3月24日のブログ記事で、吉井英勝衆議院議委員の予見について言及したが、今日は、自由報道協会での記者会見を聴くことが出来た。

吉井英勝衆議院議員 主催:自由報道協会

原子力発電所が孕む問題点を3/11以前に、この人以上に明確に把握していた国会議員はいなかったのではないか。全電源喪失の可能性を指摘し、対策の有無を問いただした吉井議員の質問とそれに対する無責任な応答が議事録として残されているのだから、送電鉄塔の倒壊と津波による冷却機能喪失を想定すべきであったことは明らかである。「想定外」とは、損害賠償法の免責を意識して使われていたことは間違いないだろう。
吉井氏は外国の記者団からも取材を受けており、いわゆる原子力の利益共同体が形成している「原子力ロビー」の問題点を指摘したらしい。日本の電力会社を中心としていた国策民営事業について、外国の記者から、「それでは全く旧ソビエト連邦だ!」と言う指摘があったらしい。組織的な無責任体制ということか。

吉井氏は、原発反対派であるが、すでにある老朽化した原発が危機的な状況にならぬような具体的な提言もしていた。そしてその内容は、実に3/11の状況を先取りしていたのである。すでにこのブログでも言及したが、あえて再録しておこう。

○吉井委員 例えば志賀1号で、地すべりで高圧送電線の鉄塔が倒壊した、外部電源の負荷がなくなったから原発がとまったというのがありますね。原発がとまっても機器冷却系が働かなきゃいけませんが、外部電源からとれればそれからも行けるんですが、それも大規模地震のときはとれないわけですね。
 では、内部電源の方はどうなっているかというと、こちらの方は、実際には99年の志賀1号だとか、88年の志賀2号とか、99年2月や98年11月の敦賀の事故とか、実際に、バックアップ電源であるディーゼル発電機自身が事故をやって働かなくなった、あるいは、危ないところで見つけはしたけれども、もし大規模地震と遭遇しておれば働かなかったというふうに、配管の切断とか軸がだめになっていたものとかあるわけです。そういう中で、スウェーデンのフォルスマルク原発1号では、バックアップ電源が4系列あるんだけれども、同時に2系列だめになった、こういう事故があったことは御存じのとおりです。
 それで、日本の原発の約6割は、バックアップ電源は3系列、4系列じゃなくて2系列なんですね、6割は。そうすると、大規模地震等によって原発事故が起こったときに、本体が何とかもったとしても機器冷却系に、津波の方は何とかクリアできて、津波の話はことしの春やりましたけれどもクリアできたとしても、送電鉄塔の倒壊、あるいは外部電源が得られない中で内部電源も、海外で見られるように、事故に遭遇した場合、ディーゼル発電機もバッテリーも働かなくなったときに機器冷却系などが働かなくなるという問題が出てきますね。このときに原子炉はどういうことになっていくのか、この点についての原子力安全委員長の予測というものをお聞きしておきたいと思うんです。 それが一点と、もう一点は、機器冷却系が働かないと当然、崩壊熱の除去ができませんから、崩壊熱除去ができないことになったときに、核燃料棒のバーンアウトの問題、これは海外でそういう例もありますけれども、こちらの方はどうなっていくのかという原子炉の安全にかかわる問題について、この場合、どのように想定して、そして審査を進めておられるか、これを伺います。
○鈴木篤之参考人原子力安全委員会委員長) ありがとうございます。
 最初の点でございますが、いろいろな事態がもちろんあり得ると思っていまして、ただ、そういう事態になったとしてもできるだけ、先生が御心配のように、炉心が深刻な事態にならないようにというのが我々がとっている方針でありまして、そういう意味では、例えば非常用ディーゼルが万一動かなくなったという場合には、さらに直流のバッテリーを用意するとか……(吉井委員「いや、フォルスの方はそれもだめでしたからね、2系列」と呼ぶ)フォルスマルクの場合は4系列の2系列がさらにだめになったということですね。(吉井委員「バッテリーもだめでしたから」と呼ぶ)はい、2系列ですね。
 したがって、同じバックアップを多重に持つということと、多様に持つ、つまり、ディーゼルだけじゃなくて直流も持つとか、それからそれぞれを複数持つとか、そういう考え方をまず審査の段階で、設計の段階で確認しております。
 地震等においてさらにそういうものが使えなくなるという事態に対しては、もう一つは、私どもとしては、アクシデントマネジメント、非常事態における管理ということで、日本の場合は同じサイトに複数のプラントがあることが多いので、ほかのプラントと融通するとか、そういうような非常に多角的な対応を今事業者に求めているところでございます。
 それで、先生お尋ねの、そういう事態になったときにバーンアウト等で燃料が破損する、放射能が外部に放出されるというような事態に対してどう考えているかというお話でございますが、これにつきましては、まず、そういう事態になったときに大きな事故に至らないかどうかを設計の段階、最初の基本設計段階で安全評価をして、安全評価の結果、そういう事態に至らないようにまず確認するというのが一番の基本でございます。
 と同時に、しかし、さらに非常に、通常はあり得なくても理論的にはあり得るという事態に対してどう考えるかでございますが、これについては私ども、最近、耐震安全に係る指針を改定いたしました。そういうことで、さらに耐震設計を基本的には厳しくしていきたい、こう考えておりますが、そういう中でも、さらに、残余のリスクと称しておりますけれども、そういうような基準をさらに超えるような大変大きな地震が来たときには、では、どうなのかということも、これは事業者に、そういうことも評価してください、評価した結果、そういうことがまず起こらないことを数字で確認するか何らかの方法で確認してください、そういう方針で今考えております。
 ありがとうございました。
○吉井委員 時間になりましたから終わりますけれども、私が言いましたのは、要するに、フォルスマルク原発の場合も、ディーゼルとそれからバッテリーと両方一系列なんですよ。これは4系列あるうちの2系列がだめになったんです。外部電源もだめですから、ほかのところから引っ張ってくるというのも、もともとだめなんです。ですから、そういう場合にどういうふうに事故は発展していくものかということをやはり想定したことを考えておかないと、それは想定していらっしゃらないということが今のお話ではわかりましたので。あわせて、バーンアウトという問題は非常に深刻です、燃料棒自体が溶けてしまうわけですから。これについては海外でチェルノブイリその他にも例があるわけですから、バーンアウトというのは深刻な問題だということで、原子力安全審査というのはまだ発展途上といいますか、この例を言ったら、事務方の方はそれはまだ想定していませんというお話でしたから、きちんとこういうことを想定したものをやらない限り、原子力の安全というのは大丈夫とは言えないものだ、それが現実だということを指摘して、時間が参りましたので、また次の機会に質問したいと思います。

竹中平蔵氏の確率談義ー浜岡原発は慌てて停止する必要は無いか?

竹中平蔵氏は、最近のTwitter で次のような発言をしている。この一年間で浜岡原発が事故を起こす確率は、2.9パーセント、一ヶ月で事故を起こす確率は0.2パーセントで、非常に小さいから、菅首相のように慌てて停止する必要ななく、原発停止の様々な社会的コストを試算するために1ヶ月かけても、その間に地震が起こる確率は極めて低いというのである。

30年で大地震の確率は87%・・浜岡停止の最大の理由だ。確率計算のプロセスは不明だが、あえて単純計算すると、この1年で起こる確率は2.9%、この一カ月の確率は0.2%だ。原発停止の様々な社会経済的コストを試算するために1カ月かけても、その間に地震が起こる確率は極めて低いはずだ。

30年間で87パーセントだから、1年間ならその1/30で2.9パーセントというのであるが、この確率計算はおかしいと思った人が多いのではないか。たしかに可笑しいのである。竹中氏の計算方法の間違いは、つぎのように逆方向に考えるならすぐに分かるだろう。つまり、今後1年間に事故の起こる確率が、仮に竹中氏の言うように2.9パーセントとしたら、竹中氏の計算方法に由れば、30年後には87パーセントになるというのだが、その調子で40年後の場合を計算すると、2.9×40=116パーセントで、何と100パーセントを超えてしまうのである! だから、87パーセントを30で割ると言う安直な考え方は、端的に言って間違いなのである。正解が、2.9パーセントより大きいということは、次のように考えれば容易に分かるだろう。

たとえば2つのさいころを投げて共に1の目が出る確率が1/36 約2.9パーセントである。30回試行して(すくなくも一回)二つとも表の出る確率を計算すると、それは87パーセントではなく、1−(0.971^30)=0.586 で約59パーセントである。この計算方式ならば、36回以上試行して、確率が1を越えるという如き馬鹿げた結論にはならない。

ところで、実際よりも小さすぎるとはいえ、一年以内に浜岡原発が大地震にあう確率が2.9パーセントであるということを竹中氏と共に認めたとしてみよう。その場合でも、竹中氏のように安閑としていられるかどうかは疑問である。「危険」とか「安全」という言葉は、日常的な感覚を反映しているので、数値で厳密に表すのは難しいが、この2.9パーセントというのは、「二つのさいころを同時に投げてともに1の目が出る確率」にほぼ等しいのだから、直観的なわかりやすさがある。

たとえば、毎年、二つのさいころを同時に投げて共に1の目が出れば、時限爆弾が爆発するというようにセットされていたとする。30年までにその時限爆弾が爆発する確率は59パーセントという結果になる。40年迄だと69パーセントというように、年数が多くなればその確率は上昇していくだろう。
原発を時限爆弾に喩えたのは廣瀬隆氏であったが、私だったら、こんな「さいころ賭博」のような時限爆弾を自分の家の近くに置いておくことにはとても同意しかねるというものだ。