鴉の爪

noteに移行しました。https://note.com/crowclaw109

「トランスジェンダー治療の科学」全文和訳

f:id:CrowClaw:20220107042200j:plain


sciencebasedmedicine.org

 

アビゲイル・シュライアーの悪名高いアンチ-トランス本「不可逆的ダメージ」を元ネタにしたトランスジェンダー医療批判が日本語圏でも拡散されてきたので、Science-Based Medicineによる同書への批判記事を全文DeepLで翻訳してみました。

en.wikipedia.org

機械翻訳なので誤訳・誤解等あるかもしれません。確認には必ず元記事をチェックしてください。また、リンクは反映しておりません。

 

編集部注:現在は撤回となっている元の書評へのリンクはこちらにあります。ホール博士の書評は、マイケル・シャーマー氏がSkepticのここに再掲載しています。7月13日、ホール博士は自分のブログに書評の改訂版を再掲載しました。改訂版では、リサ・リットマンによるオリジナルの研究が優れた科学ではなかったことがより明確になっていますが、オリジナル版に見られた問題点や誤りのほとんどがまだ含まれています。

 

(訳註:SBMは当初、ハリエット・ホール博士による「不可逆的ダメージ」への好意的なレビューを掲載していたが、批判を受けてこれを撤回し、以下の書評を掲載した)

 

はじめに:アビゲイル・シュライアーの『不可逆的ダメージ』に対するハリエット・ホール博士の書評が撤回された理由 

 

哲学、ブログ、医療行為へのアプローチとしてのScience-Based Medicineは、主に科学と批判的思考の医療との関係を最適化し、肯定することを目的としています。私たちの基本理念の一つは、入手可能な最善のエビデンスが常に標準治療に反映されなければならないということであり、したがって、そのエビデンスを客観的かつ明確な目で見ることが重要であるということです。
 
当然のことながら、私たちは、議論を呼んでいる問題や、反科学、疑似科学、科学否定の意欲的なキャンペーンが行われている問題に最も注意を払う傾向があります。例えば、がんのヤラセ、反ワクチンの疑似科学、そしてこの16ヶ月間、COVID-19パンデミックとその拡大を抑えるために制定された公衆衛生対策に関する誤報や偽情報などがあります。SBMは非政治的ではありません。なぜなら、科学的根拠に基づいた効果的な医療関連の法規制を推進することは、本質的に政治的な活動だからです。しかし、私たちは超党派であることを目指しています。特定の政治的イデオロギーを推進することが私たちの仕事ではありませんが、政治的、社会的、個人的な意思決定が可能な限り最高の科学的情報に基づいて行われるように最善を尽くします。
 
なお、SBMブログに掲載されている記事は査読付きではありませんが、厳格な編集方針を持っています。外部から投稿された記事は、編集委員会の審査を受け、ほとんどが掲載前に却下されるか、修正が必要となります。しかし、私たちの編集者は、実績があるため、事前審査なしで記事を掲載する特権を得ています。彼らは記事を投稿しますが、多くの場合、ゴルスキー博士(訳註:本記事著者の一人)も私も、記事が公開されるまで記事を見ることはありません。しかし、だからといって、品質管理の仕組みがないわけではありません。
 
正確性、公平性、完全性について懸念が生じた場合は、さまざまな方法で対処しています。多くの場合、コメントで説明すれば十分です。また、記事の原文を修正することもあります。外部から苦情を受けた場合、著者ではない編集者の1人または複数(通常はデビッド・ゴルスキーまたは私)が元の記事を読み直し、私たちの見解ではそれが公正で適切であったかどうかを判断しますが、これはほとんどの場合に当てはまります。だからといって、その記事のすべてに同意しなければならないわけではありませんが、その記事が科学的根拠に基づいた正当な基準を遵守している限りにおいては、そのように判断します。
 
さらに、SBMの性質上、私たちはしばしば2つの視点から同時にテーマに取り組むことがあることにも留意する必要があります。私たちの記事は主に、様々なトピックをSBMの原則に基づいて批判的に分析したものです。また、SBMの原理そのものを論じたものもあります。多くの場合、疑似科学はかなり露骨なものであり、一般的な医学知識があっても、SBMを十分に理解し、関連文献を検討することで、関連する科学を把握することができます。しかし、中には科学的に複雑なテーマもあり、私たちの専門分野でなくても、その分野の専門家に頼らなければならないこともあります。また、編集者や寄稿者の職業や専門分野を考慮すると、科学的な専門知識に「穴」があることも承知しています。
 
だからこそ、自分の専門外のトピックを論じるときは、科学の専門家というよりも、科学コミュニケーターのように振る舞っているのです。私たちの専門分野はSBMそのものですが、それ以外の文献の技術的分析や関連する基礎科学については、専門家の意見の一致に従います。これは、科学ジャーナリストとして当たり前のことです。しかし、これは微妙なバランスでもあります。
 
2週間前、ある編集者が書評を掲載したのですが、掲載後すぐにゴルスキー博士と私、そして少なくとももう1人の編集者が懸念を抱きました。この書評を読んで、私たちは、この書評はおそらく証拠や専門家の意見を超えてしまっているので、しっかりとした対応が必要だと危惧しました。その書評とは、アビゲイル・シュライアー著の『Irreversible Damage - The Transgender Craze Seducing Our Daughters(不可逆的ダメージ - 娘たちを誘惑するトランスジェンダーブーム)』というタイトルの書評でした。この本は、複雑な医療分野を論じていますが、同時に激しい政治的議論に巻き込まれている分野でもあります。このような背景から、SBMは政治的に中立で信頼できる科学的情報源であると認識されることが特に重要であると考えました。しかし残念ながら、ホール博士の同僚編集者は、問題のレビューがこの目標を達成していないことを懸念していました。
 
私たちの最初のステップは、記事を慎重に検討し、解決策を見出すためにホール博士と直接話し合うことでした。ここでの課題は、レビューに深刻な問題があることをすぐに理解できるだけの背景知識はあったものの、私たちは誰もテーマの専門家ではないということでした。この分野の専門家によるSBM以外のレビューでは、シュライアー氏の著書に書かれた意見や主張を科学的に正しく批判しているように見えましたが、レビューはそれを鵜呑みにしていました。
 
明らかに私たちに必要だったのは、この複雑な論争をより深く掘り下げ、公表された証拠を頭の中で整理し、双方の主張を吟味する時間でした。本来であれば、出版前にこのような作業を行いたかったのですが、もはやその余裕はありませんでした。中途半端な分析結果をすぐに出すことは、SBMの読者にとって正義ではありません。最終的には、外部の専門家に相談したり、社内でレビューを行ったりする間、一時的にレビューを取りやめるという「ポーズ」ボタンを押すことにしました。ホール博士は別のサイトで論文を公開すると言っていたので(すぐに公開された)、レビュー中にSBMに論文を残す必要はないと考えたからです。
 
最低限必要なレビューを終えたので、ゴルスキーと私は、シュライアー氏の著書の核心的な主張を扱った一次文献に加えて、シュライアー氏の記事やインタビュー、このトピックに関する他のレビューやコメントを読んだ結果をまとめて発表します。ホール博士はすでにマイケル・シャーマー氏のウェブサイトにレビューを再掲載しているため、ここではその記事へのリンクを掲載するとともに、彼女の記事がSBMに掲載された場所へのリンクも掲載しています(現在、最初の撤回声明が掲載されています)。また、外部の専門家によるレビューも募集しており、編集部の審査を経て、SBMの掲載基準を満たしていると判断した場合には掲載しています。
 
私たちは、SBMに関連するあらゆるトピックについて、オープンで十分な科学的議論を行うことを推奨します。SBMのエディターは全員、このプロジェクトに情熱を注いでいます。それは、すべての患者が可能な限り最高の医療を受けられるようにしたいと考えているからです。そのためには、医療が科学的根拠に基づくものであるだけでなく、政治的・イデオロギー的な改ざんのない、オープンで透明性の高い医療科学・医療行為の議論が求められます。私たちは、SBM以外の多くの人々が、根拠や正当な理由もなく、私たちの行動がオープンな議論を検閲したいという願望に基づくものであると単純に考えていることを残念に思います。しかし、それは真実ではありません。私たちが数年間にわたり、物議を醸すようなテーマに取り組み、多くの場合で不人気な立場を取ってきたことが、その証拠です。
 
さらに、ホール博士は現在もSBMの編集者として活躍されていることをお伝えします。彼女は2008年以来、SBMの普及のために精力的に活動し、700本以上の記事をSBMに寄稿してきましたが、これらはすべて、報酬や公共サービス以上の報酬の可能性はありませんでした。しかし、SBMでは品質を第一に考えており、必要に応じて訂正する姿勢を貫いています。
 
アビゲイル・シュライアーの主張とトランスジェンダーケア

 

シュライアー氏は著書の中で、非常に具体的なストーリーを展開しています。この20年間で、トランスジェンダーであることを公言し、ジェンダーを肯定する介入を求める若者の数が劇的に増加しています。この観察は議論の余地がありません。議論の的になっているのは、トランスであることを「カミングアウト」する若者の数が増えているのは、社会的な伝染が原因である可能性が高いというシュライアー氏の主張です。つまり、ソーシャルメディアインフルエンサーたちが、実際にはトランスではないのにトランスであると若者に信じ込ませ、その結果、後になって後悔することになる不可逆的な移行医療処置に彼らを駆り立て、科学よりもイデオロギーに基づいて治療を行う医師たちがそれを手助けしているのだ、というストーリーです。しかし、この物語は何の根拠もなく、科学的根拠を著しく誤読して作られたものです。残念なことに、ホール博士はシュライアー氏の著書にある数々の科学的な誤りを論じず、証拠の多くが「逸話的」であることを認識していたにもかかわらず、シュライアー氏の物語を額面通りに受け入れてしまいました。
 
まず、トランスジェンダーのケアについて、どのような研究がなされているのかを見てみましょう。ホール博士のレビューに引用されているように、シュライアー氏は著書の中で、トランスジェンダーケアの現状を、拒食症に対処するかのように「自分が太っていると思うなら、そうなのだ」と例えています。また、「脂肪吸引や減量プログラムについて話しましょう」と述べています。ホール博士は、「DNAを無視して、8歳の子供の言葉にならない感情を受け入れることを求められている」と強調して書いています。
 
この例えは適切ではありません。摂食障害は明らかに障害であり、現在では確立された診断基準と医学的リスクがあります。この例えの背後にある仮定は、自分が生まれたときに割り当てられたものとは異なる性別であるかのように感じることもまた、「治す」べき有害な障害であるということです。この仮定は妥当ではなく、それ自体が有害である可能性が高いものです。実際、シュライアー氏は、DSM-IVの時代遅れの定義に基づいてこのケースを説明しています。DSM-Vでは、生まれたときに割り当てられた性別とは異なる性自認を持つことは障害ではないと認められています。しかし、その事実と社会的要因が組み合わさって生じた違和感を持つことは障害であるとしています。
 
さらに、性的指向性自認に関しては、DNAは明らかに決定打にはなりません。例えば、発達上の要因があります。また、ホール博士は、男性の体に女性の脳を持つことができるという考え方を「生物学的に意味がない」と評していますが、これも明らかに事実とは異なります。遺伝的、ホルモン的、発達的な要因により、ある性別の第二次性徴を持ちながら、別の性別のアイデンティティを持つことは絶対に可能です。
 
さらに、公表されている基準や実践者への数え切れないほどのインタビューを見ると、ジェンダーケアに携わる人々がベストプラクティスではなくポリティカル・コレクトネスに屈しているという考え方は、科学や医学よりもイデオロギーが動機となっていることが明らかな不当な風刺画です。例えば、World Professional Association for Transgender Health(世界トランスジェンダー医療専門家協会)は、広く受け入れられている治療ガイドラインを発表しています。まずは、トランスジェンダーの子ども(思春期前)と思春期の子ども(シュライアー氏はよく混同して混乱を招いている)を区別しなければなりません。子どもの場合は、ホルモン剤や手術などの医療介入を一切行わないのが標準的な治療法です。彼らの治療は、心理学的評価と心理社会的介入に完全に限定されています。医学的な治療は、子どもが思春期を迎えてから始まります(正確な時期は国によって異なります)。思春期になると、ある基準が適用されます。
 
思春期の子どもに思春期抑制ホルモン剤を投与するためには、以下の最低基準を満たす必要があります。
 
1.思春期の子どもが、性別不適合または性別違和感(抑圧されているか、発現しているかを問わない)の長期的かつ強烈なパターンを示している。
2.思春期の開始とともに性別違和感が生じた、または悪化した。
3.治療を妨げる可能性のある(例えば、治療の服薬遵守規則を損なう可能性のある)心理的、医学的、または社会的な問題が併存している場合は、青年の状況と機能が治療を開始するのに十分なほど安定しているように対処されている。
4.思春期の子どもがインフォームド・コンセントを得ており、特に思春期の子どもが医学的な同意を得られる年齢に達していない場合は、両親やその他の養育者、保護者が治療に同意し、治療の過程で思春期の子どものサポートに関わっていること。

 

興味のある方は、この文書全体を読む価値があります。文献をかなり簡潔にレビューしています。
 
この基準は、完全に可逆的な介入に関するものです。クロスセックス-ホルモン療法を含む部分的に可逆的な介入には、評価とインフォームドコンセントに関するより厳しい基準があります。不可逆的な外科的介入については、以下を満たさなければなりません。
 
性器手術は、(i)患者がその国で医療行為に同意できる法定成人年齢に達するまで、また(ii)患者が自分の性自認に合致した性別の役割で少なくとも12ヶ月間継続して生活するまで、実施してはなりません。年齢の基準は、最低限の基準であり、それ自体が積極的な介入の指標ではないと考えるべきです。
 
言い換えれば、外科的介入は、十分な成熟度を示し、少なくとも12ヶ月間、一致した性自認のもとで生活している成人に限られます。
 
他の発表された基準も同様に厳格です。内分泌学会の臨床実践ガイドラインでは、「精神医学的評価を受け、持続的なトランスジェンダーアイデンティティを維持している」人にのみ、性別違和感に対するホルモン療法を推奨しています。
 
もちろん、これらは「基準」であり、すべての医師が医療のあらゆる面で標準的な治療を完璧に守るわけではありません。しかし、私たちは例外的なケースを取り上げて、その基準を批判したり、典型的、一般的であるかのように装うことはしません。トランスジェンダーのケアに携わる人たちへのインタビューによると、上記のような厳格な基準を守ることが当たり前になっています。
 
トランスジェンダーであることを認識している人は、大人になっても続くとは思えないという主張についてはどうでしょうか?これも誤りであり、誤解を招く恐れがあります。ホール博士はこう書いています。
 
歴史的に見て、自分の性別が解剖学的な性別と一致しないという確信は、通常2~4歳頃に始まりました。それは0.01%の子供にしか当てはまらず、ほとんどが男の子でした。そして、70%のケースでは、最終的に「卒業」しています。2012年以前には、11歳から21歳の少女が性別違和感を発症したという科学的な文献は全くありませんでした。
 
上記の「子ども」という言葉は曖昧であり、また重要です。ホール博士は、トランス現象に関する文献では、特に子どもを「思春期前」と「思春期」に分けていることをどこにも明確に説明していません。というのも、ホール博士が引用している統計の中には、「思春期前の子ども」にのみ適用されるものがあるからです。後者の点は誇張されています。データによると、思春期前にトランスと認識しているAMAB(生まれたときに男性と割り当てられた人)とAFAB(生まれたときに女性と割り当てられた人)の比率は、6:1から3:1で、男の子の方が女の子よりも多いのですが、「ほとんどが男の子」ではありません。
 
さらに、幼い子どもたちが成長するにつれて自分のアイデンティティを変える可能性があるという事実は、非常に欠陥のある研究に基づいており、その研究は方法に致命的な欠陥があるため、結果は事実として引用することはもちろん、信頼することもできません。しかし、仮にこの統計が信頼できるものであったとしても、議論にはあまり関係ありません。上述したように、このグループの子どもたちには医学的な介入はありません。医学的な性別確認のための介入は、思春期以上に限られています。思春期のデータは非常に異なっています。より多くのデータが必要なのは確かですが、私たちが持っている統計によると、トランスであることを認識している青年のほぼ全員が、大人になってもそのアイデンティティを維持していることがわかっています。
 
したがって、シュライアー氏、ひいてはホール博士が行っていることは、誤解を招くような幼児向けの(欠陥のある)統計を用いて、その統計を共有していない青年・成人向けの介入を批判しているのです。公平を期すために、シュライアー氏はこれらの統計を用いて、幼い子どもは性自認を肯定する社会的介入さえ受けるべきではないと主張していますが、ホール博士はこれらの年齢層を混同しています。トランスジェンダーの若者が、トランスジェンダーアイデンティティが永続する可能性が高い年齢になるまで、医療的な介入は行われません。このことは、公表されているケアの基準に従った広範な評価によってさらに裏付けられています。
 
トランスを名乗る人が急増していると言われていることや、主にAMABよりもAFABが増えていることについてはどうでしょう? これも誤解を招く恐れがあります。男女比の変化の一部は、統計を異なる年齢層に移しただけです。歴史的に見て幼い子供はAMAB:AFAB比は6:1から3:1であるのに対し、思春期や大人では常に2:1から1:1です。この20年間でその比率は変化していますが、1:1のパリティにより近づいています。
さらに、有病率の統計についても掘り下げてみましょう。
 
繰り返しになりますが、過去20年間でトランスジェンダーの見かけ上の有病率が増加していることは間違いありません。しかし、すぐに疑問に思うのは、これは根本的な現象が実際に増加しているのか、それとも単にカウントされた数が増加しているだけなのかということです。これは医学の世界ではよくあることです。この状況に最も類似しているのは、1990年代初頭から2010年代にかけて、自閉症と診断される数が劇的に増加したことでしょう。この件についてはSBMでも長く議論してきました。この増加のほとんどは、認知度の向上、サービスの利用可能性、診断基準の変化、診断の代替などによるものであることは、データから明らかです。また、スクリーニングも重要な役割を果たします。ゴルスキー博士がよく言うように、より集中的に何かを探せば、より多くのものが見つかるでしょう。これらの要因を考慮しても、わずかな実数の増加を否定することは困難ですが、それが現象の核心ではないことは確かです。
 
自閉症のように、心理的な障害や神経発達障害ではなく、診断基準ががんのような「難しい」診断に比べて主観的になりやすい例もあるのです。実際に、がんの話をしましょう。乳管癌(Ductal Carcinoma in situ:DCIS)と呼ばれる現象がありますが、これは乳癌に進行することが多い前悪性病変です。1970年以前は、非常に珍しい、稀な診断名でした。しかし、1970年代以降、DCISの発生率は16倍に増加しています。これはどうしてでしょうか?これは「難しい」病理診断であることを忘れてはいけません。DCISの診断基準は変わっていません。診断には、乳管内で成長する特徴的な病変を示す生検が必要なのです。では、何が変わったのでしょうか?ここで何度も取り上げているように、検診です。DCISの発生率の増加は、1970年代後半に導入されたマンモグラフィースクリーニングプログラムと非常によく一致しています。前立腺がんについても、PSA検診の導入後に同様の増加が見られます。
 
私たちがここで言いたいのは、がん検診をめぐる論争や、過剰な検診によって引き起こされる過剰診断の可能性を再検討することではありません。これらについては、ゴルスキー博士によるものだけでなく、SBMで何度も議論されてきました。ホール博士も過剰診断について書いています。私は、自閉症やDCISの例を持ち出すことで、ある病状や疾患の発生率が、その病状の根本的な有病率の変化とは無関係に、スクリーニングや受容、診断基準の変更などの要因によって、時には劇的に増加することは決して珍しいことではないということを強調したいのです。さらに、このような現象は、自閉症やその他の神経発達症、精神疾患のような「ソフト」な診断だけでなく、「ハード」とされる診断でも観察されています。このような症状の増加が確認されれば、科学者や一般の人々が原因を探るのは当然のことです。しかし、残念なことに、既存の信念に最も合致した原因を探したくなる人もいるでしょう。ワクチンのせいにされた自閉症がそうでした。今、トランス・ユースに起こっていることは、科学的な裏付けのない数多くの原因のせいにされています。
 
基本的に、トランスジェンダーを名乗る若者の増加の背景にあるものは、自閉症の有病率の増加の背景にあるものと似ています。この20年の間に、文化が変化し、トランスの人たちが受け入れられるようになり、ジェンダーに対するノンバイナリーアプローチにも寛容になってきました。また、トランスの人のためのサポートサービスや、ジェンダーを肯定するような介入の利用可能性や認知度も高まってきています。さらに、文化的な変化が起こる前の歴史的な数字は、アメリカでは0.1%程度と非常に低く、これはほぼ間違いなく大幅な過少申告でした。そのため、もちろん数字は大幅に増加していますが、最近の調査では約0.4%とされており、これは4倍の数字です。
 
本当の問題は、受け入れの増加やリソースの利用可能性といった既知の要因だけで、トランスと名乗る人の増加を説明できるのか、それとも、シュライアー氏が「社会的伝染病が、トランスではないのに子供にトランスだと信じ込ませている」という説を支持しているように、新しい現象を呼び起こす必要があるのか、ということです。この疑問に答えるためには、より多くの優れた証拠が必要なのは明らかですが、現在ある証拠は前者を強く支持しており、特にシュライアー氏の見解を支持する証拠はありません。
 
例えば、2019年のレビューでは、人口統計が判明しています。
Floresらは、米国におけるトランスジェンダーを認識する成人の割合の2016年の推定値が、2011年の推定値の2倍になっており、これは調査方法の改善によるものだとしています(11)。また、Arcelusらは、ヨーロッパでは調査期間中にTGNB(トランスジェンダー・ノンバイナリー)の人が全般的に増加したと述べています。TGNBの認知度と受容度が高まり、その結果、TGNBであることを自認し、移行を求める意欲が高まっていることが、こうした傾向につながっているのかもしれません。
 
USTSの調査結果によると、20歳までにトランスジェンダーの94%が自分の性別が生まれたときに割り当てられた性別とは違うと感じ始め、73%が自分はトランスジェンダーだと思うようになり、52%が自分がトランスジェンダーであることを他人に伝えるようになりました。これらの結果は、回答者の年齢層を問わず一貫しています。このことから、TGNBの有病率が増加しているという報告は、実際の有病率の増加よりも、若い世代の間でTGNBのアイデンティティに対する認識や受け入れ、自己申告が増えていることに起因すると考えられます。
 
また、有病率のデータは、ほとんどが診療所に来院した人に基づいていることにも注意が必要です。これは自分で(来院を)選んだ人口であり、トランス人口全体の一部であることは確かです。私たちが目にしているのは、「クリニックに来院する人たちの増加」であって、総人口が増加していると考える根拠はありません。
 
シュライアー氏は、主に若い女性が自分はトランスであると信じ込まされていると語り、その証拠として、AMABとAFABのトランス人口の比率が変化しているという事実を提示しています。しかし、先に述べたように、AFABがAMABを上回ってあふれているわけではなく、むしろ1対1のパリティに近づいているか、それに近い状態になっています。最も妥当な説明は、これまでAFABが過少に報告されていたことであり、この場合、最も正確な説明は、より多くのAFABが性別を確認するための介入を希望してクリニックを訪れているということです。これには2つの明らかな原因があると考えられます。1つは、AFABの人たちが性器の手術よりも安価に受けられる「トップ・サージェリー」(訳註:所謂乳房の外科手術)が利用できるようになったこと。もう1つは、男女比の変化により、AFABのサービスに対する需要が滞っていた可能性があるということです。
 
トランスであることを表明し、性別を確認するための介入を求める人が増えた原因について、これらの二者択一の物語を区別する一つの方法は、医療介入を受けたトランスの人たちが、後に後悔や離脱を表明する割合を見ることです。もしシュライアー氏の懸念が正しいのであれば、すでに後悔や離脱の発生率が増加しているはずです。
 
これについて、ホール博士はこう書いています。
 
デシスター(トランスジェンダーであることをやめる人)やデトランスシター(医療行為を受けた後、後悔して軌道修正しようとする人)が見られるようになってきました。どのくらいの頻度でこのようなことが起こるのか、統計はありません。
 
これは誤解を招く恐れがあります。まず、統計がないというのは事実ではありません。もしそれが事実であれば、発生率が増加していることをどうやって知ることができるでしょうか?この2つの主張は、シュライアー氏の著書から引用したものと思われますが、互いに矛盾しています。結局、どちらも間違っています。
 
27件の研究と7,928人のトランスジェンダー患者を組み合わせた、性別適合手術後の後悔に関する2021年のメタアナリシスでは、プールされた有病率は1%です。
 
2018年に外科医を対象に、自身の患者の統計について調査したところ、GASを受けた22,725人の患者のうち、後に後悔を表明したのは62人だけで、そのうち性自認が変わったからと答えたのは22人だけでした。残りの理由は、家族との衝突や手術結果への不満などが挙げられています。
 
他のレビューでも、後悔の割合は0.3%から3.8%と非常に低くなっています。さらに、どちらかというと、社会的サポートや手術方法の改善に伴い、後悔の割合は時間とともに減少しています。
 
要するに、「後悔」は稀であり、減少しているということです。これは、後悔が著しく増加しているというシュライアー氏の説(すべて逸話的証拠に基づく)を説得的に否定するものです。実際、これはシュライアー氏の「社会的伝染」という物語全体に対する強力な証拠となります。
 
「社会的伝染」仮説を補強するために、ホール博士は「Rapid Onset Gender Dysphoria(ROGD:急速発症性同一性障害)」をめぐる論争を引き合いに出しています。このアイデアは2016年に、ホール博士も今では悪質な科学だったと認めている1つの研究に基づいて提唱されました。同誌はその後、主に研究の予備的性質について適切な議論を加えた「訂正」を発表しました。この時点で、社会的伝染病仮説を支持するためにROGDを引用することは妥当ではありませんし、それを除外する証明責任があると示唆することも、医療行為に何らかの形で影響を与えるべきだと示唆することも妥当ではありません。この仮説は、粗悪な科学に基づいた根拠の薄い仮説であり、同質の研究がワクチン接種プログラムに影響を与えるのと同様に、医療行為に影響を与えるべきではありません。
 
さらに、ホール博士のレビューは、ジェンダーを肯定する介入がリスクや有害であるかのような印象を与えますが、その物語を裏付けるために、彼女は証拠を歪曲しています。彼女は次のように述べています。
 
自殺はよくあることですが、性同一性障害以外の要因が自殺念慮の原因となっている可能性があり、肯定することで精神衛生上の問題が改善されるわけではないという証拠があります。成人のトランスセクシャルを対象としたある研究では、性転換手術後に自殺念慮の上昇が見られました。
 
私たちは、これがエビデンスの公正な評価であるとは考えていません。性別を肯定する介入後の心理的幸福に関する2016年のシステマティックレビューでは、次のように述べられています。
 
2つの研究では、ホルモン療法を開始した後、ベースラインと比較して3~6カ月および12カ月の時点で、心理的機能の有意な改善が認められました。3つ目の研究では、FTMおよびMTFの参加者において、ホルモン療法開始後12カ月間のQOL(生活の質)の改善が認められましたが、MTFの参加者のみが、ホルモン療法開始後に一般的なQOLが統計的に有意に増加しました。
 
2021年には、性別を肯定する手術に関するシステマティックレビューが具体的に見つかりました。
このレビューから得られた知見は、GAS(性別を肯定する手術)が心理的機能の複数の有意な改善につながることを示しています。
 
2020年に行われた10代のトランスジェンダーを対象としたホルモン療法の研究では、自殺念慮が減少し、生活の質が向上することがわかりました。思春期ブロッカーと自殺念慮に関する2020年の研究では、次のことがわかりました。
本研究は、思春期抑制剤へのアクセスと自殺念慮との関連を調べた初めての研究です。この治療法を希望したことのあるトランスジェンダーの成人において、思春期における思春期抑制剤による治療と生涯にわたる自殺念慮との間には、有意な逆相関が認められました。これらの結果は、過去の文献と一致しており、この治療を希望するトランスジェンダーの青年に対する恥骨抑制は、精神衛生上の良好な転帰と関連していることを示唆しています。
 
他にも多くの研究がありますが、要約すると、長年の研究で、性別を肯定する介入がトランス患者のメンタルヘルスを改善し、自殺のリスクを減らすことが一貫して示されています。
私たちがホール博士に同意するのは、この証拠の現状が理想的とは程遠いということです。主に実用的な理由から、これらの研究のほとんどは盲検化されておらず、コントロールされていません。しかし、この点を考慮すると、ほとんどの外科的介入は盲検化された試験ではなく、偽の外科的介入はまれです。トランスジェンダーの人が性別を肯定する介入を受けたかどうかを盲検化することはできません。
 
しかし、このような現実を考えると、このような介入を医学的、心理学的な結果について研究し、モニタリングし続ける必要があることには同意します。ここでは、研究の限界を考慮した上で介入のリスクとベネフィットのバランスを取りながら、十分な情報に基づいた医学的・倫理的な議論が行われるべきです。また、適切な同意年齢と、ジェンダーを肯定する介入のリスクと利益のバランスについても、意味のある倫理的な話し合いが必要となります。
 

結論:トランスジェンダーケアを支える科学がある

 

アビゲイル・シュライアーのシナリオと、残念なホール博士のレビューは、科学とケアの基準を大きく誤解しており、トランスジェンダー・ケアに対する科学的根拠に基づいたアプローチについての有意義な議論を混乱させています。彼らは主に、逸話、異常値、政治的な議論、そしてチェリーピッキング的な科学に頼っていますが、その議論は有効ではありません。
 
最も重要な点は、子供への医療介入について警告していることです。主な理由として、子供はそのような若い年齢ではそのような選択をすることができず、また、性自認がまだ発達していないため、その決定を後悔して気が変わる可能性が高いという考えを挙げています。しかし、彼らが(致命的な欠陥のある)統計を引用している年齢層は、医療介入を受けておらず、対象となる年齢層は、性自認を変える可能性はありません。これは、統計的な「おとり捜査」です。
 
標準的な治療法は、子どもたちの性自認が一般的に固定される年齢になるまで待ち、その後、しっかりとした心理的評価と組み合わせて、最も可逆的なものからそうでないものへと段階的に介入していきます。さらに、これらの介入を後悔することは極めて稀であり、社会的伝染仮説を支持するものではありません。
 
現時点では、性別を肯定する介入のメリットがリスクを上回るという結論を支持する多くの証拠がありますが、より広範で質の高い研究が必要であることは間違いありません。今のところ、リスクとベネフィットの分析は、考慮すべき多くの要因があるため、個別に行われるべきです。現在のところ、合理的な評価を下すのに十分な証拠があり、また、性別を肯定するケアを拒否することが最もリスクの高い選択肢であることは明らかです。

 

ティーブン・ノヴェラ(医学博士)SBM創刊編集者
デビッド・ゴルスキー(医学博士)SBM編集長

 

rationalwiki.or

サムネ画像の引用元。このコラを作った人はシュライアー支持派によってネットから追い出されてしまったらしい。気の毒。

私の主張「トランスジェンダリズムは存在しない」について補足

こちらのエントリーの補足的な内容になります。

 

crowclaw-2.hatenadiary.org

 

 

このツイートにて、私がブログで述べたような「TRAやトランスジェンダリズムは存在しない」という主張を繰り返したところ、TERFや一部のフォロワーさんから批判を受ける事態になりました。それへの応答として、以下のような補足ツイートをしています。

 

 

これに対して、更に以下のブログエントリーにてご批判を受けました。

 

ameblo.jp

 

このエントリーはそれへのご返信となります。

 

 たとえば、「TERF」という言葉は、現在では「radfem」の部分を無視した意味で流通していますね。私が仮に「TERF」である云々の批判を受けたとして、自分は「radfem」ではないと言って、相手の主張の全てを頭から切って捨てたら、どんな意味のある応酬の可能性もそこで終ってしまいます。反トランスの意味で(それもここ日本で)人を「TERF」呼ばわりするのは、確かに少々軽薄かもしれませんが、それはそれとしておいて、相手の言わんとするところに応答することは可能です。

 

最初のツイートをもう一度読み返していただきたいのですが、私は「トランスジェンダリズム」を「陰謀説」だと述べ、「それを認めよ」とも言いました。

その根拠は、ツイートでも示したように、当該タームが「ジェンダーイデオロギー」の一分派として作られた造語であり、反LGBT派が作ったストローマン論法であった、という事実を根拠としています。

ここで言う「ストローマン論法」とは、実体の無いものにさも実体があるかのようなレトリックを用いて、「火のない所に煙を立てる」方法を批判的に表す意味で用いています。

 

ハッキリと申し上げますが、私は日本のほぼ全ての「TERF」と他称されるようなトランスフォビックな人たちとの間に、「意味のある応酬(ができる)可能性」はほぼないと考えています。前回エントリーのタイトル「なぜ対話が不可能なのか」にも示したとおりです。

ストローマン論法をベタに受け止めて、「行きすぎたLGBTイデオロギー運動」のような実体の無いものを、さも実体があるかのように非難・誹謗されても、こちらとしては「少数派の人権に配慮しましょう」というごく当たり前の常識を述べることしか出来ず、「意味のある応酬」は発生しようがありません。

 

SatoshiさんはTwitter上でよく「ピルとのつきあい方」氏に(好意的もしくは批判的に)言及されていますが、何度も批判しているようにトランスジェンダーに関する彼女の論説にはまともな科学的・医学的・実証的根拠が何も無く、単なる妄想や陰謀説を垂れ流しているだけだと私は認知しています。リプライを頂いた「Ken」氏も同様です。

ブログを読むと、Satoshiさんはむしろ一部フェミニストの反科学的・反実証的な論理を批判なさっている方に見えるのですが(ジョン・マネーの実験は、トランスジェンダーに生物学的根拠がある説の代表的な例でしょう)、この二人のような典型的陰謀論者に何らかのシンパシーや説得性を感じているなら、ご自身の考えを疑って掛かった方が良いように思います。

 

陰謀論者への反撃を行うために、陰謀論者が無根拠に前提としている陰謀史観(「ディープ・ステート」、「国際的製薬会社」、「TRAのトランスジェンダリズム」etc……)を一切認めない態度を明確に示すことは、相手の土俵に乗らず、科学的で実証的な態度を(私は)取るというstatementも兼ねています。

 

 烏丸さんの過去ツイートをすべて確認してはいないので、もうかしたら違っているかもしれませんが、経産省職員の裁判にはあまり関心をお持ちではないのでしょうか。私は、どちらの立場をとっているかは問わず、トランスについて様々なことを言っている人たちが、この問題を具体的に論じるのがあまりにも少な過ぎると思っています。

 

経産省の彼女とは相互フォローです。

私は彼女を応援していますが、当該裁判については既にプロ同士が法廷で激しく議論を戦わせているわけで、正直私のような法学素人は立ち入る隙が無いな、と感じているところはあります。

もしも世論のトランスフォビックな傾向が裁判官の心証に悪影響を与えかねないならば、そうした世論に反対していくことが一番彼女のためになるのではないでしょうか。

彼女が争っているトイレの使用権については、ブログにもリンクしたこちらにまとめてあります。

togetter.com

トランスジェンダリズム=陰謀説」の別の根拠も示してあります。

 

 あれを読んで、(私同様に)「TGism」に批判的な人たちが、それらを妥当な感想だというツイートをしていました。あんなものを読んで、何の嫌悪感も抱かないような人の考えなどを信用できるだろうか、という感想を私は持ちました。
 同時に、現実に被害を被っている人がいるという問題に積極的に関わっていこうとしないトランス支持者というのは何だろうか、とも思った次第。

 

丁度滝本弁護士を批判したのですが、実際に当事者が女性用スペースをどう利用するかなど、プラクティカルな議論がしたいのならば、神原弁護士のように明確に差別や差別主義者に反対し、一切譲歩しませんとハッキリ打ち出した上で、具体的に現状の何が問題で、当事者の方々がどう考えてるのか聞き取りを綿密に行いつつ、話を詰めてかないと駄目だと思います。そうしないと当事者の方々は警戒して、本音を言ってくれないからです。

そしてTwitterやYahooの現状は、あまりに苛烈なヘイトのために、そうした議論が出来る状態にない、というのが私の認識です。

 

 TGについては、今の段階では「よく分かっていない」のが事実ではないか、と私は考えています。それを前提にした上での議論であるべきではないのか、というのが私の現在の認識です。

 

まとめやブログに何度も示したように、トランスジェンダーに対する科学的・医学的・精神医療的根拠は日夜更新されており、例えばオートガイネフィリア概念なども研究の根本的な部分に疑義が呈されています

私たちに出来ることは、プロフェッショナルが続けている研究の進捗を追いつつ、デマ情報を非難し、差別に断固として反対し、当事者の方々の手助けになるような具体的な方法論を打ち出していくことではないでしょうか。

 

――――――――――――――――

 

【ここから2022年1月5日追記分】

 

さらなるお返事を頂いたので、以下追記させて頂きます。

 

ameblo.jp

 

 だいたい、「プロ」なんて言っても、あんなとんでもない判決(二審)を下すような者をどうして、無条件に信頼できるでしょうか。これまでの日本の司法を振り返っても、完全に後退したお粗末な判決でした。

 例えば、民間企業なら先進的な対応も可能だが、公的な機関である経産省に今の段階でそれを求めるのは無理だ、というようなことを言っていますが、これはまったく逆です。公的な機関こそが先頭に立って範を示すようにしなければならない訳で、そうした主旨の判決がずっと以前に出ていることは、少々本気になって調べればすぐにわかる筈です。

 

言い訳を致しますと、あの判決についてSatoshiさんが批判的な立場にあるとは思っておらず、不当性については私も全く同意見です。しかしあの判決を受容出来るような方とは、正直言ってまともな議論が成立するとは思っていませんでしたので、故意に回答を避けてしまった部分があります。申し訳ありませんでした。

私もこの問題を本格的に勉強しだしたのは昨年9月頃からで、一審・二審判決ともにリアルタイムで追っていたわけではありませんでした。不勉強を理由に普段のツイートであまり言及していなかったことを重ねて謝罪申し上げます。

ただ、二本目の記事の、

 

 まあ、いい例が経産省職員の裁判に対しての、呆れるほどの無関心です。紛れもない事実がそこにあるのを肝に銘じていただきたいと思います。

 

これは事実に即していないのではないかと思います。私のフォローしている人限定で10分程度検索したところ、すぐに以下のようなツイート群が出てきました。

 

 

より探せばもっと見つかることでしょう。何れもRT・いいねともに多く、「TRA」とよく呼称される主要な人々がこのように一斉に批判的に言及していましたので、「呆れるほどに無関心」はいくら何でも言いすぎではないかと思います。

世論から圧力をかける必要性については理解出来ますが、現状裁判が進行中であり、新たな報道も無い以上、METIさんのツイートを拡散・言及しつつ最高裁判決での逆転勝訴を応援する以上に、Twitterの「TRA」が何か有益なことを出来るかは疑問です。

 

 前にも書いたように、某カカシさんなどが主張されるのとは逆に、男女含めたトランスジェンダーの人たちの方がずっと犯罪被害にあいやすいのが現実です。

 男たちがウヨウヨしているような場所に、トランス女性が入っていくのですか? トランス男性が入っていくのですか?

 それは、まさに恐怖そのものなのではないかと私には思われるのですが、そうした受け取り方は非常に特殊で稀なものなのでしょうか。

 烏丸さんの想像力の働き具合が、私にはまったく理解できません。

 

所謂オールジェンダートイレについて誤解なさっているのではないかと思います。私や他のトランスアライ派の主張するオールジェンダートイレは西欧諸国で現在施設が進んでいる、単なる男女混合の所謂「共同トイレ」とは似て非なるものです。ブログでもリンクした岡田育さんのこちらのツリーがわかりやすいと思います。

 

 

このように、構造・設置ともに防犯性や使いやすさに気を配ったものが「オールジェンダートイレ」であり、「男もウロウロしている危険なトイレ」というのは実態に即していないと思います。シス女性もインクルージョン出来なければ設置自体が無意味ですので。

 

 「オートガイネフィリア概念」のどこがオカシイのか、お聞きしたいところです。

 

以下はリンクしたWikipediaから、「オートガイネフィリア」概念がDSMでどのように扱われてきたのかの記述を翻訳したものです。

 

1980年に発表されたDSM-IIIでは、「その他の精神性障害」の下に「302.5 性転換症」という新しい診断が導入された。これは性同一性障害の診断カテゴリーを提供する試みであった[50]。診断カテゴリーである性転換症は、身体的および社会的な性の状態を変化させることに少なくとも2年間の継続的な関心を示した性同一性障害者のためのものであった[51]。 サブタイプは、無性愛者、同性愛者(同一の「生物学的性」)、異性愛者(他の「生物学的性」)、および不詳であった[50]。以前の分類法(カテゴリー化のシステム)では、クラシック・トランスセクシャルやトゥルー・トランスセクシャルという用語が使われており、かつては鑑別診断に使われていた[52]。

DSM-IV-TRは、性同一性障害の「関連する特徴」[17]として、また異性装フェティシズム障害における一般的な出来事としてオートガイネフィリアを含んでいたが、オートガイネフィリアそれ自体を障害として分類してはいない[53]。

モーザーは、臨床的な性同一性障害の兆候としてオートガイネフィリアを含めることに疑問を呈する3つの理由を提唱している。(1)オートガイネフィリアに焦点を当てることで、性同一性障害に関わる他の要因が影を潜め、性転換を求める患者が従わなければならない「新しいステレオタイプ」を生み出している可能性があること、(2)理論の支持者の中には、理論に基づくタイプ分けと一致する性的関心を報告しないトランス女性は、勘違いしているか「否定している」と示唆する人がいるが、これは失礼であり、潜在的に有害であること、(3)理論は「すべてのジェンダーの表れは(性的指向にとって)二次的なものである」ことを示唆する可能性があること[25]。

レイ・ブランチャードが議長を務めるDSM-5のパラフィリア作業部会は、2010年10月のDSM-5のドラフトにおいて、異性装フェティシズム障害の仕様として、オートガイネフィリアを伴うものとオートアンドロフィリアを伴うものの両方を含めた。この提案には、世界トランスジェンダー健康専門家協会(WPATH)が、これらの特定のサブタイプに関する経験的な証拠が不足していることを理由に反対した[11][12][10]: オートアンドロフィリアはマニュアルの最終草案から削除された。ブランチャードは後に、当初は性差別との批判を避けるためにこの項目を入れたと述べている。2013年に出版されたDSM-5では、302.3 Transvestic disorder(異性装の空想、衝動または行動からの強い性的興奮)の指定子として、With autogynephilia(女性としての自分の考えやイメージによる性的興奮)が含まれており、もう1つの指定子はWith fetishism(布地、素材または衣服への性的興奮)である[55]。

 

要するに、現在の最新版のDSM-5では「オートガイネフィリア」は「性同一性障害(性別不合)の要因」ではなく「異性装フェティシズム」の一種として扱われるのが適切である旨の批判が行われ、その通りになった、ということです。DSMに従い、現在の標準的なトランスジェンダー医療において「オートガイネフィリア」は診断基準から除外されています。

よって、当概念があくまでも「トランスジェンダー」の説明として理論化されたもの、という主張を続けるのならば、現状は「根本的に疑義が呈されている」と言って過言ではないと思います。

 

 一つの思想ですから、それを批判するためには内容について検討する必要があります。その考え方のどの点が問題なのか、どこが差別的だと思われるのか、そうしたところを論じなければなりません。
 頭から「差別主義」だと決めつけて、そのラベルを貼り付けることですべてを終えたように思うのでは、批判ではなくただの罵倒になるだけです。

 ともかく、ジェンダー・クリティカルな人たちは「差別主義」なるものを奉じているわけではありません。「差別主義者」というのは「差別主義」を奉じる人たちを意味するのですから、つまりは、そんなものは存在しないということにならざるを得ないのです。

 

ジェンダー・クリティカルはその根源が(無自覚な)シスセクシズムに基づいていますから、彼らは全員シスセクシスト=トランスジェンダー差別主義者です。これはErinさんが過去にブログでも書いています。

 

 

誰かのジェンダーアイデンティティを否定することはミソジニーと密接に結び付いています。

誰が「男性」や「女性」であるかを決めるのは貴方ではありません。

もし貴方がトランス女性を「本物の」女性だと思えないなら、貴方は何が「女性らしく」て何がそうでないかをコントロールする家父長的な価値観に捉われているからなのです。

あのですね。私にはあごひげがありますし、足を広げて座りますし、船乗り並に言葉使いが悪いです。絶対に「女性らしい」とは言えないことばかりですよね。だからといってあなたはお前は女性じゃないと私に言うんですか?

その人が自分は女性であると言ったら女性なんです。貴方には女性性について云々言う権限なんてないんです。それ以上ごたごた言わないでください。

それにですね、ジェンダーは二つしかないと主張すること自体がミソジニスティックなんです。Gender binary(個々の人間がもつ多様性を「男性」か「女性」の二つにカテゴライズすること)は家父長制のメイン武器です。全ての人は二つのうちのどちらかのジェンダーに属するべきだという考え方は、多くの人に疎外感を抱かせ、不可視化されたと感じさせ、不安にさせます。

「差別的な思想を奉じる人」は、現代の民主主義社会では「差別主義者」は「悪」だと広く教育されていますので、いたとしてもネオナチ等、極少数の特殊な人々に留まるかとは思いますが、上のブログに紹介されているような「セクシズム(性差別主義)」は男女問わずあらゆる人間が無自覚に内面化しているものであり、殆どの場合彼ら彼女らはまさか自分が「差別主義者」だとは思っていないものです。

現在のすっかりジェンダークリティカルにハマってしまったErinさんが最も分かりやすい例ですね。

 

「こんなに嫌われているフェミニスト!」などという反フェミニズム言説が昨今流行していますが、そりゃ「自分が悪だと思っていない最もドス黒い悪党」を「お前は悪」と名指してしまう人たちはいつの世の中でも嫌われてしまうものだと思います。問題は、アンチフェミニストが自分のことを「フェミニスト」だと「自認」してしまうことです。

 

 

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【ここから2022年1月7日追記分】

 

更なるエントリーにお返事します。

ameblo.jp

「トイレ問題について」は意見に然程相違が無いようですので省略します。

 

アビゲイル・シュライアー(シュリアーではありません)さんの本を評価する書評を、リサ・リットマン(ライトマンではありません)

 

お名前の間違いをご指摘頂き有り難うございます。文章訂正致しました。

 

この人たちの書いているのは「こういう対応をすることになっている」です。実際に、少女たちがクロスホルモンやら何やらを手に入れているかどうかは、保証の限りではない。そして、そもそも統計が圧倒的に不足しているのですが、アビゲイルさんを否定する統計だけはあると言っている。
また、手術に至らないホルモン治療だけならreversibleみたいなことを言ってるのも無責任です。人間の成長には、自然に設定されたタイミングというものがあります。それを一時的にストップして何の害もないと考える方がおかしい。

 

これは当該論文の内容に対するものとして、あまりに粗雑で誤った批判だと思いました。

まず、「アビゲイルさんを否定する統計だけはあると言っている」のではありません。文中では、

まず、統計がないというのは事実ではありません。もしそれが事実であれば、発生率が増加していることをどうやって知ることができるでしょうか?この2つの主張は、シュライアー氏の著書から引用したものと思われますが、互いに矛盾しています。結局、どちらも間違っています。

とあります。この記述が正しければ、アビゲイル・シュライアーは互いに相矛盾する二つの主張を同時に自著で展開しており、客観的な証拠に基づいて確認すると、その両方が誤りであると判明した、ということです。

さらに、「手術に至らないホルモン治療だけならreversibleみたいなこと」も言ってませんよね。本文では、

この基準は、完全に可逆的な介入に関するものです。クロスセックス-ホルモン療法を含む部分的に可逆的な介入には、評価とインフォームドコンセントに関するより厳しい基準があります

とあります。つまりホルモン治療は「リバーシブル」ではなく、「部分的に可逆的な介入」と見なされるからこそ、厳しい基準が要求されると言うことです。

人間の成長には、自然に設定されたタイミングというものがあります。それを一時的にストップして何の害もないと考える方がおかしい

本文には記載がありませんが、二次性徴抑制剤として一般的に使われるGnRHアゴニストは、思春期早発症の治療薬として臨床的に使用されてきた歴史があります。

そもそもプロの医師が安全と認識しているものについて「何の害もないと考える方がおかしい」と無根拠に断言する方がおかしいと思いますが、Satoshiさんは具体的にどのような「治療」が行われていると想像していたのでしょうか。

 

バック・エンジェル(いちおうカタカナでも結果が出てきました)が語っていた(という)ところによると、エストロゲンの不足によって(更年期が急激にやってきたようなものでしょう)子宮萎縮を起こして、殆ど死にかけたことがあるそうです。子宮が子宮頸と癒着して、痙攣を起こし、死の寸前の状態で病院に運び込まれたということなのですが、お医者さんはそんな可能性については一言も言ってなかったとか。

 

これは典型的な「逸話」ですね。n=1でトランス医療全般を否定するのはあまりに無理のある強引な議論です。

 

私たちは、結局のところ、二次、三次の情報しか入手できないわけです(エピソード的な事実をほんの少し経験することが出来ても、その事実の全体的な位置付けができないと、かえって偏った信念に凝り固まってしまうことにもつながります)。
で、いくつかの互いに矛盾する(敵対しあうといってもいい)情報があったとき、どのような判断のもとにそれを受け取っていくかです。

そこに関係するのは、蓋然性の概念ですね。
単純に言ってみるならば、利害関係者の言葉と、直接の利害関係を持たない者の言葉のどちらをより信用できるか、です。

 

その考え方は間違っていると思います。そのような恣意的な相対主義に基づくと、全てが利害関係者かどうか≒党派性として「どっちにつくか」の問題になってしまい、結局政治的問題として議論が回収されてしまいます。ネットで繰り広げられている「トランスジェンダー問題」について、私が「陰謀論」「偽の議論」「ストローマン論法」と言いまくっているのはこういう傾向に対してです。

 

Satoshiさんは経産省トイレ裁判の高裁判決について「素人でも分かる明白な不当判決である」と判断していました。そのご判断は正しいと思いますが、それは国と原告の「利害関係」を見比べてみて出した結論でしょうか? 違うでしょう。法学的にどちらが正しいかの価値判断がまずあったはずです。トランスメディカルについても同様に、まずは医学的・科学的にどちらが正しいかを我々自身が判断し、「利害関係」についてはその後で議論すればいい話です。

そして、私が翻訳した文章において、「医学的・科学的に正しい主張」がどちらの側であるかは、「利害関係」を顧みずとも明白であるように思います。そこに党派性は関係ありません。そして文章が誤っていると証明したいならば、同レベルのエビデンスと科学的提言を反証としてぶつける必要があります。シュライアーは現時点でそれを行っていません。

 

Satoshiさんに限った話ではないのですが、「トランスジェンダー問題」について議論する人々には、顕著な科学不信・医学不信・社会不信の傾向が見られることがあります。個人の信念として科学や医学を否定するのは勝手ですが、医師でも無いのにそれを他人に押しつけるのならば、反ワクチン等と同様に反社会的で危険な主張として、「出版差し止め」のような緊急的な措置が取られる場合もあるのではないでしょうか。

 

 訳のわからないジャーゴンを羅列しただけではありませんか。
 意味がわかりますか、こんなの?

ミソジニー 家父長制(的) ジェンダー・バイナリー 「女性らしく」

 

どれもフェミニズムにおいては初歩的な用語で、全然難しくないと思いますけど。「家父長制」の言葉の振れ幅が大きいのは事実ですが、ここではパターナリズムと読み替えて良いでしょう。「出生時に確認した性のみが「正しい性」である(性別二元論)」という主張は、出生した赤ちゃんの自由意志を無視している点で明白なパターナリズムです。

むしろ私はSatoshiさんの挙げた「スーパー・フェミニン」などの用語の方が聞き覚えがありませんでした。誰がそのような主張をしているのでしょうか。

 

パターナリスティックな態度が即ち父権的で女性蔑視的であることが「分からない」「納得出来ない」というのであれば、確かにErinさんのブログは理解不能かも知れませんね。私はラカンの「父の名」という言葉を知っていたので、すんなりと受け入れる事が出来ましたが。

まあ、フェミニズム的・精神分析学的な議論をせずとも、翻訳した文章にあったとおり、医療的・科学的に「人間の性別は男女2パターンしかない」のは明らかに誤りなので、その認識を訂正出来ない人は私の基準からすると「自分が「正しい性」だと思っている」人、つまりは性差別主義者です。

 

 

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【ここから2022年1月8日追記分】

 

結局陰謀論的な方向に行ってしまわれたようで残念です。

ameblo.jp

 

????です。
 だから、その数も含めて、実態を把握しようと努めたのが、アビゲイルさんの本そのものなのではないですか。
 評価しようとする本の、そもそものテーマ自体が分かっていない唐変木が弁明文を書いた人たちなのです。

 烏丸さんは、そんなエラーイ人たちの言葉を鵜呑みにして、「よく分かってないシモジモ」に対して警告を発したりしたのです。

 

偉い人たち(シュライアーやホール博士)の言い分を鵜呑みにして、まともに再検討すらしてないのは貴方の方でしょ。だから私のコメントの意味が分からないんですよ。申し訳ないのですが、科学的思考の基礎が身についていないんだな、と思わざるを得ません。

 

いいですか、ノヴェラとゴルスキーが、ホール博士への反論として持ち出しているデータは以下のようなものです。

 

27件の研究と7,928人のトランスジェンダー患者を組み合わせた、性別適合手術後の後悔に関する2021年のメタアナリシスでは、プールされた有病率は1%です。
 
2018年に外科医を対象に、自身の患者の統計について調査したところ、GASを受けた22,725人の患者のうち、後に後悔を表明したのは62人だけで、そのうち性自認が変わったからと答えたのは22人だけでした。残りの理由は、家族との衝突や手術結果への不満などが挙げられています。

 

トランスジェンダーの人がどれくらい存在するのかは諸説ありますが、大体全人口の1%程度だと言われています。アメリカ合衆国の人口は3.2億人程度ですので、トランスジェンダーアメリカ人は320万人ということになります。結構いますね。そして上記の22,725人という数字をこれに当てはめると、アメリカ人トランスジェンダーのうちの0.68%ということになります。一見少ない数値に見えますが、総人口へ単純に当てはめるなら、3.2億×0.68%=約217万人です。

よってこのデータは、アメリカ人全体に対する何らかのアンケート調査を取る場合、「アメリカ人217万人に聞きました!」と同程度の信頼性を持つことになります。

もちろん、トランスジェンダーという特異な少数派についての調査ですから、人種・富裕度・政治的左右等にかなりのバイアスが掛かっているかもしれません。しかし、これほどの大規模調査を「誤診の可能性」を持ち出すなどして、「ヘ理屈」「まったく状況を把握していないし、その意欲もないことを示しているばかり」と「切って捨てて」しまうのは、全くもって科学的な態度ではないと私は思います。

ノヴェラとゴルスキーが、トランスメディカルに関してどれほどの知識を持っているかは、ここでは関係ありません。統計は単に科学的エビデンスの強度を示しているからです。

 

よって、ホール博士やシュライアーがノヴェラとゴルスキーを論破するためには、以下の二つの方法しか残されていません。

 

①統計調査そのものがウソや改竄されたものであると客観的に証明する。
②別途独自の統計を取り、数値が誤っていることを立証する。 

 

私はホール博士の文章も読みましたが、今のところ、①も②も試みられている形跡はありません。

「後悔」の度合いを高く見積もって(別の統計では3.8%が後悔しているとありましたから、それらの人々に聞けば多数の「逸話」が集まることでしょう)失敗や後悔の事例をいくつ定量的にかき集めたところで、それが「治療を受けたトランスジェンダー全般に対する調査」でなければ、統計として意味のあるものにはなりません。

 

反トランス派は、こうした反科学的な手法によってセンセーショナルに一部の失敗事例を騒ぎ立て、96%以上の治療に満足しているトランス当事者を侮辱し、間接的に医療へのアクセスを妨害しています。その反社会性は、「公共の福祉」の観点に立てば、「表現の自由」の制限を検討するに足る十分な理由であると私は思います。結局、シュライアーの本は「検閲」されず、貴方のような人に信じ込まれるに至ったわけですが。

 

ついでに。

薬害エイズ事件について、事件当時非加熱製剤の危険性に関する確固たるエビデンスが確立されていなかったのは事実です。しかし1984年にはHIVウイルスが同定され、同年9月には加熱によってウイルスが死滅することを立証する論文が発表されています。にもかかわらず、安部英はじめとする医学者や厚生省は、非加熱製剤に関する利権を守るため、最新の科学知見を取り入れることを拒否し、古い理論に基づいて80年代後半まで非加熱製剤を使い続けました。業務上過失致死事案は85年と86年に発生しています。84年の時点で非加熱製剤の使用を直ちに取りやめていれば、悲劇が起きずに済んだのです。

同事件を本件に当てはめた場合、自分がどちらの側に立っているのか、今一度よく考えてみることをお勧め致します。

 

 

 

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【ここから2022年1月9日追記分】

 

キリがないのでこれで終了と致します。

 


先に敬意を表しておきたいのですが、私はSatoshiさんの優しさを否定しません。どんなに少数派であっても、トランス医療の「被害」を受けた当事者がいる以上は、言を重く捉えて、伝えようとする人も社会には必要なのかも知れません。

でも、その上で申し上げれば、貴方の議論は全て「木を見て森を見ず」「針小棒大」の視野狭窄に陥っていると思います。一人一人のトランジションの経験を重視することと、トランス医療の総合的な「信頼性」を推し量ることは両立可能です。私が言ってるのは後者の話であって、Satoshiさんは前者です。そして、前者を用いて後者を否定することは原理的に不可能です。

 

 要するに、彼らの言っているのは、トランジションする必要のない人たちが介入を受けているのは問題だということです。社会的な移行についても言えるのですが、特にホルモンや手術を経験した人たちに、逆行不可能な変化があったのは明白です。それを可能な限り防ぎたいというのが、上述の人たちの言い分なのです。

 

統計的に4%弱の人々の経験を持って「危険」だと言えるなら、外科的介入を伴うほぼ全ての医療は「危険」でしょう。ワクチンだって「危険」ですよ。

そして貴方は善意で言っているのかもしれませんが、シュライアーを含む殆どの反トランス派は明白な悪意を持ってそうした話を広めています。彼らがトランジションを「可能な限り防ぎたい」のは当事者のためを思っているからではありません。

 

 烏丸さんにとって、人間は身体をもった具体的な存在ではなく、ただの数字に過ぎないのではないかと、私は疑います。どんな被害も、膨大な数字を立証しない限り、ただの「逸話」に過ぎないとしているからです。私の受け取り方は間違っていますか?

 

はい、間違っています。人間は個別具体的に尊重されるべき存在ですが、科学や医学は学問ですから、その妥当性や信頼性を総合的に検討することは、数字の問題です。個人的な感情の問題ではありません。幼いトランス当事者がいくら要望しようとも、ジェンダーアイデンティティが決定する思春期前の医療介入が正当化出来ないのと一緒です。

 

 当たり前に考えることができませんか?
 トランスジェンダーの人たちの多数派は、医療的介入を受けていない層でしょう。ホルモン投与も手術も、まったく念頭においてない人もいるでしょうし、迷っている人もいるでしょう。
 この人たちに対してできることは何か。
 正確な情報を提供して、彼らの判断を補助することです。

 

そのために実際に多数の患者に接してきた医療従事者の言では無く、悪意剥き出しのジャーナリストの本を薦めるのですか。ひどい冗談です。シュライアーはこういう人だと分かってて言ってます?

 

ジェンダーイデオロギーを考える方法は、批判的人種理論の兄弟だということです。批判的人種理論は学校に行って、白人の子供たちに肌の色の原罪を背負っていると説得します。ジェンダーイデオロギーは、同じ学校に行進し、幼稚園児に(そう、私の住むカリフォルニア州の公立学校ではずっとそうしています)、性別にはたくさんの種類があり、誰かが自分は女の子か男の子だと推測したとしても、自分の本当の性別を知っているのは自分だけだと伝えます。

なぜ先生は幼稚園児のクラスに、自分の本当の性別は自分しか知らないと言うのでしょうか?小さな男の子に「本当は女の子かもしれない」と言い、小さな女の子に「本当は男の子かもしれない」と言うことを正当化する理由は何でしょうか?

その答えの最大のヒントとなったのは、医学的移行を受けて後悔した若い女性たち、つまりデトランジショナーの存在でした。彼女たちは何度も何度も、移行中は怒りっぽく、不機嫌で、政治的に過激だったと話してくれました。

彼女らは、家族との関係を断ち切り、LINEでトランスジェンダーインフルエンサーから指導を受けて、新しい "キラキラした家族 "に向かって突進していくことが非常に多いのです。アンティファやブラック・ライヴズ・マターの集会では、ジェンダー的に混乱した人々をよく見かけます。生まれ育った家族に反旗を翻した彼らは、革命家を募る人々の格好の餌食となっています。

別の言い方をすれば、「混沌としていることが重要」なのです。批判的人種理論の目的がアメリカ国民を互いに敵対させることであるように、ジェンダーイデオロギーの目的は、アメリカ生活の構成要素である安定した家族の形成を阻止することです。何度も言いますが、これはトランスジェンダーの人たちの目標ではありません。しかし、それはジェンダーイデオロギートランスジェンダー運動の目標であり、すなわち、革命に参加することを熱望する新たな被害者層の創出なのです。

 

彼女の思想は、私がずっと批判し続けてきたキリスト教右翼そのものです。

私がKen氏を信用しないのも、宗教差別がしたいわけではなく、明らかにキリスト教右翼に近しい思想を持っていながら、自身の信仰を明確にせず、反「ジェンダーイデオロギー」を繰り返し主張し続けているからです。

 

当たり前の話ですが、イデオロギー性自認性的指向は変わりません。その事実は科学的に立証されています。ノヴェラとゴルスキーの語っていたとおりです。本当にトランスがイデオロギー的な問題なら、世の趨勢を受けて「(医療を受けるか否かに関わらず)トランスジェンダーをやめる」人が続出することでしょう。「検閲」が行われなかったにも関わらず、如何なる国でもそんな事態は起きていません。ヘレン・ジョイスの「Trans」がベストセラーとなり、JKローリングが英雄視されるイギリスでも、トランスジェンダー当事者の数は減っていません。

 

「右翼」と言いましたが、私がシュライアーやJKRやKen氏を批判するのは、党派性やイデオロギーや信仰の問題ではありません。(JKRはリベラル派です)

彼らが、自らの党派性やイデオロギーや信仰を正当化するために、偽の科学をばら撒き、医療への信頼を毀損し、当事者を侮辱し、世界中にトランスフォビアを蔓延させているからです。

その事実と向き合えない方とはこれ以上お話しすることはありません。

「トランスフォーブ」の方との対話

crowclaw-2.hatenadiary.org

 

前回のブログに「トランスフォーブ」を自称する方から丁寧なご感想が来たので、お答えしようと思います。ありがとうございます。

 

 

はい、そうではありません。実際的には「外見」で男女を区分けしているに過ぎず、性同一性は関係ありません。よって、性同一性が女性で「外見」も女性の人物は女性用トイレを利用する権利を有しており、実際に使っているケースもあると思われます。

 

 

はい。所謂GID特例法の制定は2003年で、今から18年前には日本でもそうした人々が公的に認められていたことになりますね。

ja.wikipedia.org

 

 

それは事実に反します。「どうやって線引きするのがいいか」は当事者の方が03年以前からずっと社会に向き合って考えていたことで、また当事者を知るフェミニスト達も、長らくこの問題に取り組んでいました。一般市民が知らなかったのは事実かと思いますが。

そもそも、他人の性に「線を引く」権利は誰にもありません。「線引き」を行うとすれば、当事者が自分で行うしかないのです。それが性的自己決定権です。

childrights.world.coocan.jp

 

 

残念ながら貴方も含めて「リベラル派」が「TERF」に多いのは事実だと思います。そうした意味では「チェリーピッキング」という批判は当たらずも遠からずかも知れません。

ただ、私が取り上げた人物は、2019年3月のウィメンズマーチの時点で「代表的なトランスフォーブ」として取り上げられており、現在でも5000人以上のフォロワーを誇る人物です。発言内容も反トランス派内部での存在感も、「異端」でも「小物」でもありません。あえて言えば、ブログに引用したような保守派特有のストレートに差別的な物言いが「異端」だとは思いますが。

nokaze0411.hatenablog.com

 

 

はい、左派内部でのジェンダーギャップは確かに深刻です。しかしトランス差別はそうした現状の(悪しき)反映でこそあれ、「反トランス派こそジェンダーギャップ解消に取り組む左派だ」とは言えないのではないでしょうか。

それはネットでしばしば見られる右翼男性の反トランス言説(内容的には左派男性と一緒)が、完全なセクシズムそのものであることからも明白だと思いますが。

典型的な例です。一見常識的な意見に見えますが、こういう人には「女性が身体能力で男性を上回る場面もある」という想定が一切ありません。先日のオリンピックでは卓球をはじめ、男女混合種目が増えたことで話題になりましたね。

 

 

女性専用車両を引き合いに出すまでもなく、全ての性別分けは性差別でしょう。問題は、差別をするに足る合理的理由があるか・ないかです。

 

 

後天的習得技能である運転免許の問題、国会の防犯の問題、男女トイレの区分けの問題は、各々全く別のレイヤーの話で一緒くたにして語ることは出来ないと思います。

免許は端的に言って差別とは無関係ですし、国会を防犯しても犯罪者が「合理的差別」を受けていることにはなりません。ドライバーや犯罪者はその行動で判断をされているのであって、本人の「属性」は無関係だからです。その人の「属性」が問題となるのは男女別トイレだけです。そして、属性と犯罪性を結びつけるあらゆる理論は差別です。

 

 

性の要素が多様であることは事実ですが、性差別をあまりに単純に考えすぎだと思います。精神性と身体性をパーツのように単純に切り分け出来れば、だれも「性自認」で悩みません。そして、シス女性とトランス女性の受ける差別は同じものではありません。インターセクショナリティの観点に立てば、より強い複合差別に立たされる側が社会的に「マイノリティ」であることは明白です。

ja.wikipedia.org

 

 

はい、それには異論はありません。

 

 

トイレと風呂をごっちゃにして語る事は出来ません。否応なく裸にならざるを得ない風呂を身体的特性で分割することはただちに差別には該当しませんが、トイレでは通常、他人の性器を目にする機会はありません。

そして「性的差異を無視しろ」などとは誰も言っていませんし、当事者こそ強固なバイナリー規範と差別のために(外見上の「パス度」に不安がある場合は)多目的トイレを使用せざるを得ない状況があります。これは社会のバイナリー規範を弱めること≒男女のジェンダーレス化推進でしか解決出来ません。

 

 

ブログにも書いたはずなのですが、「今までのルールだと私たちは入れないから入れて」などとは誰も言っていません。上述したように、当事者個々人が微妙な「線引き」のうえで、己の外見と性同一性上の性別を勘案し、適切な性別のトイレ、もしくは多目的トイレを使用しているのが現状なのです。

 

実は、(多目的トイレ増設を除けば)「現状を変えるな」と主張してるのは我々「TRA」の方で、貴方がたが「現状だと悪い人も一緒に入ってきちゃうから何とかしろ」と要求しているのです。そして、それが科学的根拠に基づかない不当な要求である事は、前回の記事で書いたとおりです。「差別をするに足る合理的理由があるか・ないか」で言えば、バイナリー規範に沿わない男女を男女別トイレから追放する「合理的理由」は存在しません。

更に、インターセクショナリティの観点を踏まえれば、この男女二元論的な世界で最も「不当な目に合」いつづけてきたのはトランスジェンダーやノンバイナリーやクィアの人々であり、バイナリーの男女は社会的多数派としてかれら(they)に配慮する義務があります。

その義務を果たそうとせず、己の安心感のために不当な要求をしてくるから「差別だ」と批判しているのです。

何故トランスフォーブとの対話は不可能なのか?

f:id:CrowClaw:20211018182848j:plain

 

最初に答えを書いてしまうと、彼らが議論の前提を認めないからです。

 

※トランス差別的な内容が多分に含まれます。閲覧にはご注意ください。

トランスジェンダー問題とかよくわからん! という方はとりあえず↓こちらのまとめをご覧下さい。このエントリーではトランスに関する知識について詳しくは解説しません。

togetter.com

これは「イデオロギー闘争」ではない

一ヶ月ほど、Twitter上でのトランスフォーブ(トランスジェンダー差別主義者*1)と論争を繰り返していたのですが、彼ら彼女らは自分たちの主張を「政治運動」や「イデオロギー闘争」の一種と考えており、自らが正義側だと信じていました。典型的な例として、以下のようなツイートが挙げられます。

彼ら彼女らの論理では、日本は現在欧米発の思想「トランスジェンダリズム」とその推進者である「TRA(trans rights activist)」*2の思想汚染を受けており、それは男女の差異を無化し、結果的に女性スペースへの侵入など、女性差別に加担するものであるため、反対しなくてはならない、と主張します。

 

しかしながら、このような発言は幾重にも事実に反しています。

 

まず、トランスジェンダリズム」なる思想は存在しません。誰もそんな「主義、思想、イデオロギー」を持っていません。

イデオロギーを成立させるためには、某かの哲学やテーゼが必要です。例えば「フェミニズム」は「女性の地位向上、権利拡張」をテーゼとしており、広く女性からの支持を得ているため、イデオロギーとしての要件を満たしています。

ここで、「トランスジェンダーの地位向上、権利拡張」をテーゼとしているのだから「トランスジェンダリズム」も成立するではないか、と批判が来るかも知れません。しかし、それは事実に反します。「トランスジェンダーの地位向上、権利拡張」は「トランスジェンダリズム」の結果にすぎず、目的ではないからです。

 

例えば、フェミニズムが運動の成果として、女性参政権を獲得したとしましょう。次に彼女らは、「男性と同様の議員数」等を求め、更なる「女性の地位向上、権利拡張」を進めるでしょう。これは「フェミニズム」のテーゼ上、当然の成り行きです。何も間違ってはいません。

対して、「トランスジェンダリズム」や「TRA」が求めているのは、現状通り「外見が男性/女性であるなら、逮捕されずに「性同一性」の性のトイレを利用する権利(これは法律上も認められています)」だとか、「外見が男性/女性であるなら、外見と「性同一性」に沿った脱衣所*3を利用する権利」、「外見が男性/女性であるなら、性暴力に遭った場合に外見と「性同一性」に沿った性暴力センターを利用する権利」等々、どれも「トランスジェンダーでなければ何の問題もなく、当然認められているはずの権利」です。そして、トランスジェンダー個人の多くが既にこれらの権利を(自身の外見や社会的性別移行度合いと相談して)行使しつつ、参政権などを得ている以上、それ以上の「権利拡張」は行いようがありません。他のLGBTQ当事者と同じく、就職や結婚で性的少数派であることを理由に差別されないよう求めるくらいでしょう。それはリベラリズムであって、「LGBTQイズム」と括られるようなものではない、広い意味での人権運動です。*4

 

勿論、当事者支援の立場からは、現在多くが自費診療で行われているジェンダークリニックの診断や性ホルモン療法、性別適合手術の保険適用や、性別変更時の「子供無し」要件の撤廃、よりスムーズで正確な医療プロセスの充実等を求めていくことは、非常に重要な政治的課題です。ですが、これらの権利が「トランスジェンダリズムの問題」とされることは殆どありません*5。これらの方針に賛同しない「TRA」はほぼ居ないにも関わらずです。「トランスジェンダリズム」の反対者にとっては自分と関係が無く、無関心だからでしょう。

 

繰り返しますが、これらの「権利」はトランスジェンダリズム」によって勝ち取られたものではなく、当事者達が既に行使している権利に過ぎません。これらに反対することは、即ち「トランスジェンダーの権利剥奪」を意味します。先日テキサス州で可決されたHB25法案は、トランスジェンダーと診断された男女の学校でのスポーツ参加を事実上禁止するものですが(どうしても参加したい場合は、「生まれたときの性別」で参加する事が求められています)、これは「反対派が勝利した結果」の典型的な例でしょう。

 

何と何が対立しているのか?

↑を考察する前に、トランスフォーブ達の本音を見たいと思います。彼ら彼女らは、理屈を駆使して自分の本音を覆い隠そうとする傾向が「何故か」とても強いのですが、下記ブログの人物は「保守右派」を自認しており、その論理は非常に簡潔で単純明快です。

実際の統計を出すならば、性犯罪の90%以上が男性によるものでその被害者は女性か女児または男児である。繰り返すが女性が女性を加害する率は限りなくゼロに近いのだ。これについては拙ブログでも何度も取り上げて来た。

性犯罪者=男性という構図は偏見でもなんでもない統計上の事実なのである。

誰も男性を女子施設から排除したからといって性犯罪を根絶できるとは言っていない。しかし性犯罪を防ぐための最低限の方法として男性と女性の施設を分けることが得策であると我々常識人はずっと主張してきたし、これまで往々にそれは成功してきた。

著者が完全に無視している点は、現法では男性が女子施設に立ち入る行為そのものが犯罪だということだ。その犯罪行為を犯罪ではないとしてしまえば、その後に起きるもっと深刻な犯罪を防ぐことができなくなる。

ロサンゼルスの女湯に侵入した露出狂男*6はこれまでにも公衆わいせつ罪で何度もつかまっていた常習犯だった。だが、女性を自認するだけで女子施設への立ち入りが許されれば、こういうわいせつ行為をする性犯罪者も犯罪者として扱われなくなるのだ。「犯罪を犯したものが犯罪者」だと言うが、既存の犯罪を犯罪ではないとしてしまえば犯罪者も犯罪者ではないということになるのだ。

トランス女性は女性ではない、彼らはただの女装男性だ。そんな男が自分らは女性だと主張し、それを認めろと女性に要求する行為そのものが男尊女卑以外のなにものでもない。

もしトランス女性が自分らが本当に女性だと思っているなら、男性が女子専用施設に入りやすくなる法律を歓迎するはずがない。

biglizards.net

要するに、彼ら彼女らが求めているのは「風紀を撹乱する性犯罪者の取り締まり」に近いものであり、女性への性犯罪対策であるから、当然に議論の余地無く「正義」であると確信していることがわかります。念のため書いておきますが、筆者も性犯罪対策は議論の余地無く正義だと思っています。

 

当たり前ですが、このような論理は二重三重に事実に反しており、完全に誤っています。

 

第一に、性犯罪者の90%以上が男性なのは事実ですが、このような議論は「全男性の何%が性犯罪者であるか」を(意図してかしないでか)無視しています。こちらの記事によれば、2019年に検挙された男性性犯罪者は約6000名であり、これは日本の総成人男性人口(約5000万人)の0.012%に当たります。仮に暗数が膨大で、実数がこの10倍あったとしても、0.12%です。これは貴方が男性で、1000回ランダムなトイレに入ったら、一度顔を合わせるか合わせないか程度の確率ということです。

「実感と合わない」「何故痴漢などの被害が止まないのか」という声もあるかも知れません。こちらの記事に寄れば、性犯罪は再犯の確率が高く、一人の性犯罪者が2名以上の犠牲者を出すことも少なくないということです。単純な話、一年あたり6000人の性犯罪者が一人平均2回犯罪を犯せば、1.2万人の女性を毒牙に掛けることが出来るということです。対策として必要なのは、徹底した検挙と厳罰・精神医療による再発防止、そして何よりも、性犯罪者が犯罪を犯しにくい社会環境を整備することでしょう。勿論、トランスを排除しても解決出来ません。

 

第二に、トイレなどの施設をトランスジェンダー男女が利用出来るように開放したところで、犯罪が増加したエビデンスはないと言うことです。

こちらの記事では、アメリカのファクトチェック機関MediaMattersによる、「トランスジェンダーのトイレ利用を許可すると(シスジェンダー男性のものも含む)性犯罪が増加し、治安が悪化する」という「神話」が偽りであり、実際に法施行したアメリカではそのような事態になっていないことが明らかとなっています。

また、「トランスジェンダリズム反対派」は世界中に存在しますが、彼ら彼女らから「恐ろしく高いトランスジェンダー女性の性犯罪率!」などのデータが示されたことは過去一度もありません。最初のツイート主が言うように、実際に多数の性犯罪が起きているならば、その増加がデータとして表れるはずですが、そういった報道は一度も無く、代わりにTwitterでの真偽不明な痴漢発生事例などが何度も何度もピックアップされ、限られたクラスターの中でのみ繰り返し流通しています。

ちなみに先程のブログを書かれた人にこのデータを示したところ、「プロパガンダ」と一蹴されてしまいました。都合の悪いデータはとにかく見ない姿勢が窺えます。

勿論、出生時男性に割り当てられた人の0.3%程度と言われるトランスジェンダー女性のうちに、0.012%の確率*7で性犯罪加害者が潜んでいることは否定出来ません。しかし、そんな超レアケースの心配をするなら、素直にシスジェンダー男性の防犯対策に力を入れた方が良いのではないでしょうか? フェミニストの岡田育氏は、他国のオールジェンダートイレを紹介し、これらの設置が防犯対策にもなっていると述べられています。

 

第三に、トランスジェンダー生物学的にも脳の一部は「性自認通りの性別」であると言われています。

脳科学研究によれば、不安やストレスなどに関係する脳の分界条床核という部位は、男女で有意な大きさの差があり、トランスジェンダー男女ではそれが逆転している場合が確認されています。また、マウスの実験により、生殖器の形成後に脳が性ホルモンに晒された際、性ホルモン受容を阻害したりすると、マウスの行動が雌雄逆転することが判明しています。*8

勿論、「トランス現象」それ自体を全て科学的・器質的原因に帰そうとするのは、大変に危うい議論であり、当人の自己決定権やジェンダー・生育環境の問題が無視出来ないのは言うまでもないことです。しかし、「トランスジェンダー」の言葉の響きから、社会的・構築主義的な「ジェンダー」の問題のみが「トランスジェンダー」を構成するはずだというのは思い込みであり、科学的にも誤りです。

彼ら彼女らは、単なる「男装者/女装者」ではなく、歴史的にも極少数ながら常に存在し、いつも我々の隣人でした。悪魔でもなければ、空想上のキャラクターでもなく、変態性欲者でもないし、殆どは犯罪者でもありません。しかし、あまりに過酷な差別のために、自らを偽って生きなければいけなかっただけなのです。

 

即ち、「TRA対トランスフォーブ」とは、こうした科学的エビデンスを元に現実に基づいて人道的支援と差別の撤廃を求める人々と、誤ったアイディアに固執し、現実や科学を認めず、差別を続ける人々の争いです。

例えるなら、ワクチン推奨派対反ワクチン派のようなものでしょうか。コロナワクチンに複数の有害事象や重篤な副作用があるのは事実ですが、それをもって「ワクチンは打たない方が良い」などと述べるのは、科学的に誤っているだけではなく、他者が正しい情報にアクセスする権利を侵害し、命を奪いかねない極めて危険な行為であり、絶対に反対しなければいけません。

トランスの権利を「争点」と呼び、あたかも有効な議論があるかのような言い方をするのはやめてもらえませんか。ジェンダー・クリティカルやTERFは、道徳的、科学的、論理的に何の根拠もない単なるトランスフォビアです。

- ジェイミー・レインズ*9

 

何故対話が不可能なのか

繰り返しになりますが、上記したような前提を「トランスフォーブ」が決して認めないからです。

当然ですが、特にトランス男女の手術要件の撤廃には当事者の間ですら賛否両論があり、拙速な議論は避けねばなりません。当事者団体の一つである「日本性同一性障害・性別違和と共に生きる人々の会」は、政治保守的な観点から性別変更における手術要件の撤廃に明確な反対意見を表明しています。当事者団体や一般市民にも反対の感情が強いようであれば、世界的な潮流に逆行する形であれ、例えば全面保険適用や専用の任意保険を作る、手術が難しい場合は内服的措置による男性/女性機能喪失のみで可とする等、身体・経済的な負担軽減を行う事で「セルフID制」の代替とする、といった方法も考えられるでしょう。「トランスジェンダー問題」について、本来行わなければいけないのは、こうした当事者の立場に立った医学的・経済的な議論であるはずです。トイレに関しては、以下のように「女性の権利を侵害しない」アイディアもあるでしょう。

しかしトランスフォーブ達は、自分たちのやっていることを「正義の政治運動」だと誤認しているので、こうした「マトモな議論」が行えず、当事者をよってたかって攻撃したり、トランスの「性自認」を否定することを目的に、執拗に「トランスジェンダーの定義付け」を迫るなどの行為を繰り返し行っています。勿論、日常的な差別発言やトランス蔑視とセットです。

 

こうした彼ら彼女らの姿勢から窺えるのは、トランス当事者への蔑視感情は無論のこと、その背後に横たわる男性全般への激しい憎悪、憎しみに基づいた政治を「正義」と呼んで憚らない傲慢さ、そして社会への破壊衝動です。

 

過去、WANにトランスジェンダー差別エッセイを載せた事で有名になったフェミニスト政治活動家の石上卯乃は現在、市民団体「No!セルフID 女性の人権と安全を求める会」を率いています。インタビューに答える形で、自分の「目的」をこう述べています。

組織の目的は3つあります。トランスジェンダーが「セルフID」を広めるのを阻止すること、女性の性に基づく権利を守ること、そして権威に挑戦した人が不当に攻撃されないように、言論の自由がある社会を求めることです。

私たちは、次の国会に注目しています。また、「セルフID」の考え方が法的な分野以外にも広がっていることを非常に懸念しています。私たちの闘いは長いものになるでしょう。私たちは、国内外の他の団体やグループと協力して、「セルフID」システムを阻止していきます。私たちの声を政党やメディア、公的機関に届けることが急務です。

「女性の人権と安全を求める」んじゃなかったんですか? という感じですが、とにかく何が何でも法的性別変更の緩和を防ぎたいこと、「性自認」の概念そのものを否定したいこと、ネット上での「トランスフォーブ」を「権威への挑戦」「言論の自由」として守っていきたいことが伝わってきます。

とにかく分かるのは、このようにトランスジェンダーの存在そのものを否定している人々に対しては、「差別をやめろ」と声を上げていく以外、他に対処のしようが無いということです。個人の生命は最後の防衛ラインですから、これは当然のことです。

 

トランス差別が吹き荒れるイギリスでは、欧州最大のLGBTQ団体Stonewallへの批判として、英BBCが「LGBTQ活動家の影響を受けすぎている」などと自己批判するレポートが掲載されました。万一Stonewallが支持を失って空中分解すると、ヨーロッパでのトランスジェンダーの権利が脅かされることは勿論のこと、他の性的少数派の権利もまた侵害されることに繋がりかねません。事実、イギリスで「憎悪団体」と噂される「LGB「のみ」の権利を守る会」LGB Allianceのサポーター達は、「次はバイセクシャルを運動から分離する」とコメントしているようです。

はっきり言いますが、これらの運動は極右的であり、シスジェンダーの性別二元主義を固定化することによって、結局現在の家父長制システムから恩恵を受けている一部の強者男女*10を保護するものです。トランス排除にかまけて碌な防犯対策もしないのですから、犯罪は減らず、女性差別は解消されず、LGBTQの支援を失ったリベラル派は退潮することでしょう。全ての性差別の根源である家父長制と、それを支援する保守派男性の罪を、性的マイノリティであるトランスジェンダーに転嫁するのは詐術であり、許されざる不正義です。

石上のようなトランスフォーブは、誰にも否定出来ない「女性差別反対」のテーゼを盾に、自らの保守的な性的道徳観をあらゆる女性達に押しつけようとしているだけです。シス女性はトランス女性と連帯し、男性に対して現状のシステム改革を迫るべきなのです。「女性のトイレを潰すな」ではなく、「男性のトイレを潰して私たちに寄越せ」くらい言えないものでしょうか。

 

私は、こんな運動の一部が「フェミニズム」の美名の下に進められていることに、強い憤りを覚えます。

 

「女性スペースを守る会」は石上の団体とは別団体で、滝本太郎が弁護士を務めています。

 

ウィリアムズ:ジェフリーズ*11道徳観では、トランス女性を「彼女」と呼ぶことは不名誉なこととされています。ジェフリーズ曰く、

『生物学的な意味を持つ代名詞にこだわる理由は、フェミニストとして、女性の代名詞は「尊敬の念を表す言葉」だと考えているからです。尊敬は、従属を生き抜いてきた性的カーストのメンバーとしての女性に与えられるものであり、名誉を持って呼ばれるに値するものです』

トランス・ピープルの存在について、貴方は道徳的な立場をとっていますか?

マッキノン:私は道徳的な立場を取りません。私は政治的・法律的な理論家であって、道徳的な理論家ではありませんし、道徳的な理論化は基本的に独りよがりの大げさなものだと考えています。上記のような発言は、この考えを強化するものです。セクシャル・ポリティクスの政治的分析の観点からは、自然の中に道徳を基づかせることは、フェミニズムが達成してきたすべてのことに反していることを指摘しておきます。

www.transadvocate.com

 

 

続編となる記事を書きました。本稿の補足的な内容となります。

crowclaw-2.hatenadiary.org

 

参考リンク集:

英国のレズビアン議員マリ・ブラック氏の解説。右翼がフェミニスト等を利用してトランスフォビアを広めていると主張されています。


www.youtube.com

note.com

所謂「アンブレラターム」についての解説。「トランス女性は女装しただけの男性を含む」などの定義が誤りだと分かります。

rationalwiki.org

RationalWikiによるTERFの解説記事。カテゴリーは「疑似科学」「陰謀説」など。

www.nhk.jp

ja.wikipedia.org

goatskin.hatenablog.com

goatskin.hatenablog.com

www.vox.com

トランスジェンダーによくある10の誤解のまとめ。

style.nikkei.com

news.mynavi.jp

bsd.neuroinf.jp

sciencebasedmedicine.org

トランスジェンダーへのホルモン治療等のヘルスケア批判への医学者からの反論。全文和訳はこちら↓。

crowclaw-2.hatenadiary.org

www.politifact.com

「バスルーム神話」についてPolitiFactによるファクトチェック。

juliaserano.medium.com

トイレ問題について更に包括的な解説。

switch-news.com

シスジェンダー女性二人組による性的暴行事件。

www.stonewall.org.uk

トランスジェンダー女性の性暴力センター利用によって問題が生じたケースはないとの調査記事。

 

*1:彼ら彼女らを所謂TERF(トランス排除的ラディカルフェミニスト)と呼ぶ向きもあり、上記したまとめではそう記載しているが、実際問題としてTwitter上には男性も多数おり、フェミニズムに反対する右派なども混じっているため、単に「トランスジェンダー差別主義者」と呼ぶのが適切であると考えた

*2:これ自体反対派のつけた蔑称であり、筆者も含めてそう自称する人間はいない

*3:性器を見られる可能性がある場合は個々人の事情に合わせて考える必要はある

*4:最近、スーパーマンバイセクシャル設定となったことが一部で話題となったが、所謂ポリティカルコレクトネスも「少数派の平等」を求めるリベラリズムイデオロギーであって、「トランスジェンダリズム」とは無関係である

*5:まとめにあるように、海外では特に子供向けのトランス医療について一部に論争がある

*6:筆者注:Wi Spa事件のことだと思われる

*7:単純に掛け算すると0.0036%

*8:この辺りの議論は英語版Wikipediaに良く纏まっているのだが、トランスフォーブに提示したところ、「疑似科学」「Wikipediaソース」「全員に検査でもする気か!」と散々な言われようであった

*9:サムネ画像の人物。人気YouTuberでトランス当事者。トランスジェンダー研究により心理学の博士号を取得している

*10:男性批判を飯の種にしている一部の自称「フェミニスト」を含む

*11:シーラ・ジェフリーズ。イギリスのラディカルフェミニストであり、石上も所属するトランスヘイト団体「Women’s Human Rights Campaign」の運営者

推しを感染させないためにどうしたら良いか――本間ひまわりさんのケースから

先日、新型コロナウイルス感染を発表していたVtuberグループにじさんじ所属のバーチャルYouTuber、本間ひまわりさんが久しぶりの復帰配信で、当時の体験を詳細に語りました。

 

 

1.本間さんの体験談から見る、コロナウイルス感染症

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【にじさんじ 切り抜き】本間ひまわりのコロナになって辛かった事」のワンシーン。

感染発覚直後、本間さんは「過去一週間で出会った人を思い返して(誰にも接触していないので)大丈夫だと思った」と語っていますが、自分よりもまず他人を案ずる優しさも然る事ながら、これはコロナ感染時の対応として極めて的確です。

コロナウイルスの厄介な特徴として、症状が発現しない、所謂潜伏期間と感染能力のズレがあります。

平均して、感染者は感染後、5日程度で発熱等の症状が出て、発症後5日ほどで悪化のピークを迎え、その後更に5~7日程度で回復します(重症化した場合はさらに長く症状が続きます)。しかし、コロナが最大の感染力を発揮するのは発症の直後であり、その後は急速に感染力を失っていきます。この時間差のため、無症状である潜伏期間が長ければ長いほど、気付かないうちに他人に移してしまっている可能性は大きくなります。本間さんのように、若年者であれば平均以上に症状が顕在化しにくい場合もあります。それ故、発症一週間前までの接触履歴は大変重要になります。

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英国の医学誌ブリティッシュ・メディカル・ジャーナルによる感染力(viral genome)と症状(illness)悪化のグラフ。感染力が潜伏期間を経て発症直後ピークに達し、以降は症状の悪化度合いに関わらず減衰していくことがわかる。

また本間さんは、発症2日後(?)にどうしても休みたくない収録が有り、自宅で録ったと語られていますが、上のグラフの通り、発症2日前後ではまだ症状悪化のピークではなかった(体力があった)と推測されます。しかしながら、その後の悪化はほぼ確定的であるため、体力維持のためにもピークまでは絶対安静にすべきだったと言えるでしょう。勿論、そのプロ意識は立派であり、彼女を責める意図はありません。

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パルスオキシメータについて ~酸素飽和度ってなに?~ | 医師ブログ」より

症状のピーク時には、パルスオキシメーターの酸素飽和度が95以下まで下がったと言われていますが、上のグラフの通り、95は高齢者の平均値で、93以下になると一気に危険な状態となります。救急隊員の「息を深く吸って95以上を保ってください」という指導は、医療崩壊下の自宅療養としてはやむを得ないものですが、普通であれば即時入院相当であり、いかに当時の東京が異常な状態であったかわかります。

本間さんは、コロナウイルス感染症の代表的な後遺症の一つである味覚障害に悩まされていると語っています。これは耳鼻口腔内部で増殖したウイルスが神経細胞を破壊したためであると推定されており、20~30代感染者の7割に症状が見られ、改善に1~2年かかるケースもあるとの報道もあります。仮に軽症で済んだとしても、種々の後遺症に苦しむ可能性は否定出来ないのです。

何れにせよ、自分がコロナに感染しないため、そして大切な推しを守るためにも、感染症対策は絶対に行わなくてはいけません。でも、具体的にどうすればいいのでしょうか。

 

2.ワクチンの接種とそのリスク

現在猛スピードで接種が進むコロナウイルスワクチンについては、所謂反ワクチン派による悪質なデマが大量に拡散されており、SNSは勿論、ウェブサイトや書籍ですら専門家の解説にスムーズにアクセスするのが難しい状況にあります。金儲けの為に人命を奪いかねないデマを流す人物の下劣さには文字通り付ける薬がありませんが、特に「コロナに感染しても重症化しにくい」にもかかわらず「ワクチンの副作用が強く出やすい」、相対的に「ワクチン接種のメリットが薄い」若年者は、専門家による正しい情報へアクセスすることが大事です。

なお、20代以下の若年者であっても、副作用などワクチンによるデメリットが、ワクチン接種のメリットを上回ってしまうケースはほとんどありません。ワクチンによる一時的な発熱や倦怠感は、コロナウイルスに感染した場合、より重篤な症状が出ていたであろうことを示すものであり、キツめの副作用が出た場合でも「感染しなくてラッキー」と前向きに考えるべきでしょう。

ワクチンの効能及び副作用の解説については、専門家が作成する解説サイト「こびナビ」の解説が、日本語では最も正確で詳細です*1。運営組織(政府関係者?)の不透明さについて一部で批判もありますが、記述自体に誤りはなく、特にワクチンQ&Aは(やや小難しい部分はあるものの)よくある疑問点を詳細に回答しており、有用と言えるでしょう。

自分がワクチンを打てる状況になったら、「ワクチンQ&A」で詳細を調べ、それでも不安や疑問点があれば動画コーナーで知りたい内容の動画を探してみると良いと思います。

ワクチンを打った後は、数日間出来るだけ安静にし、激しい運動などは控えるようにしましょう。若年者が一番怖いワクチンの副作用は、10万人に4人程度の確立で発生する心筋炎で、これは運動により急激に悪化する可能性があります。部活のトレーニングなども休んだ方が賢明です。

 

3.最強の盾、不織布マスク

しかし、特ににじさんじファンの方は「まだ10代だし、ワクチンをいつ打てるか分からない」「来年まで打てないかも知れない」という状況の人も多いでしょう。加えて、所謂コロナウイルスデルタ変異体の驚異的な感染力により、ワクチンだけでは感染症の終息は難しいと報道されています。では、今まで通りに出来るだけの外出自粛を続けるしかないのでしょうか?

コロナウイルス感染の有効な防御策は、とにかくウイルスを体内に入れないことです。その為には、外出時は常に不織布マスクを着用し、特に人混みなどでは絶対に外さないことがとても大切です。もちろん、外食もダメです。

WHOがデルタが所謂エアロゾル感染によって異常な感染力を獲得していると認めたにも関わらず、頑なにその事実を認めないばかりか、正しいマスクの選び方についても国民へ啓蒙しないのは政府の怠慢であり、「ワクチン一本槍」と揶揄されるのは当然と言えます。エアロゾルはウレタンマスクや布マスクを容易に貫通しますので、これらのマスクを着用することはほとんど無意味です。特に若年者には、お洒落の観点からウレタンマスクを愛用している人が未だに多く見られますが、唾などによる飛沫感染がメインだった初期のウイルスならともかく、デルタに対しては不織布以外に感染を防止する効果はないとハッキリ言うべきでしょう。

当たり前ですが、布すら貫通する微粒子ですので、フェイスガードやパーテーションも全く意味がありません。常時不織布マスクを付け、鼻や顎からの空気漏れがないように気を付けながら、外す際などはよく手を洗い、口内へのウイルスの付着を防ぐことが大事です。マスクは直接ゴミ袋などに捨て、二度と触らないようにしましょう。

一部のYouTuberが「マスク無意味説」等を唱えていますが、以下のグラフにある通り、少なくとも不織布マスクは相当程度感染を防止出来るエビデンスがあります。無意味なのは布とウレタンだけです。不勉強な大人の言うことではなく、専門家の意見に耳を傾けましょう。

実験で新事実「ウレタンマスク」の本当のヤバさ」より、感染症専門家・西村博士の実験データ。微粒子に対してはウレタンマスクが感染予防に全く無意味であるとわかる

 

しかし、そうはいっても「常に白いマスクはイヤ」「折角買ったウレタンマスクが勿体ない」という声もあるでしょう。そういう人にお勧めしたいのが二重マスク(ダブルマスク)です。

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アメリカ疾病予防管理センターマスクガイド」より。不織布マスクの上にマスクフィッターや布マスクの着用を推奨している

不織布マスクは感染予防に適切ですが、どうしても「空気漏れ」が発生しやすく、漏れた隙間からエアロゾルを吸い込んだ場合、マスクを付けていても感染してしまう恐れがあります。マスクをより強く顔に密着させるためには、不織布マスクの上から布マスクやウレタンマスクを付けることが効果的であり、ルックスも改善されます。当然ですが、「ウレタンマスクの上に不織布マスクを付ける」または「二重に不織布マスクをつける」などの行為は無意味なのでやめましょう。息苦しいだけです。

女性など、口紅や化粧がマスクについてしまうことを気にする場合は、立体型の不織布マスクを着用することをオススメします。9月8日に、シャープが新製品「シャープクリスタルマスク」を発売しています。お値段は少々高いですが、国産品であり、防御性能も問題ないと思われます。普通の不織布マスクと違い密着しないため、息苦しさも改善されます。

 

4.日常を取り戻すために

現在、コロナウイルス感染症のためにエンタメ業界は深刻なダメージを受けており、現状が続けば、以前に行われていたような大規模ライブは開催が難しくなっていくでしょう。

一刻も早く日常を取り戻すためにも、ウイルスへの感染と拡散を食い止め、簡易で適切な治療法の確立まで時間を稼ぐほかありません。エアロゾル感染についての研究はまだ発展途上にありますが、米国や英国はいち早く大規模音楽フェスの実験的開催に踏み切るなど、コロナ対策への知見を日々積み重ねています。

ワクチン接種とマスク着用の徹底によって、来年は皆で推しのライブを見に行けるようにしましょう。

 

参考文献コロナウイルス感染力シミュレーション、マスク着用方法等)

 

*1:念のため記載しておきますが、新型コロナウイルス感染症については未だ研究の途上にあり謎が多く、こびナビにある最新の研究が今後更に訂正・修正される可能性は大いにあります

【全編ネタバレ注意】幼子の見る夢と呪われた眼差し―映画「白爪草」について

著名なバーチャルYoutuber電脳少女シロ主演の映画「白爪草」を見に行った。

 


映画『白爪草』予告【2020年9月19日(土)公開】

 

「世界初のVtuber主演映画」などと謳われた本作は、一見すると単なるファン向けのアイドル映画にしか見えないのだが、9/19の公開後、口コミで反響を呼び、上映わずか二館で観客動員数の全国ランキングに入るなどの快挙を成し遂げている。


一体「白爪草」はどのような映画なのか。ネットを見ると「ワンシチュエーションサスペンス」「サイコスリラー」「ミステリーホラー」等の評判が断片的に見えてくるが、物語の内容に触れない限りは、このカルト的傑作に隠された仕掛けは何も見えてこないだろう。よって本レビューでは物語の核心に触れる内容をガシガシ述べていくので、未見の方はお読みになる前にぜひ映画館に足を運んでいただきたい(10/2で上映終了予定とのこと)。

 

21/1/30追記:チケットぴあでのオンライン上映が開始しています。下記のツイートを参照。

 

 

1.鏡写しの双子


レビューを行うために、物語のあらすじを簡単に追っていこうと思う。

 

物語の主人公は、電脳少女シロが演じる*1白椿蒼という女性。推定年齢19~21歳の彼女は、高校卒業後、花屋の店員として働きながら生計を立てつつ、桔梗なる女性医師からのカウンセリングを受けていた。桔梗の助言もあり、彼女はある理由により6年間服役していた一卵性双生児の姉、白椿紅と再会することを決意する。

 

蒼は紅と取り留めのない会話をしながら、まるで鏡写しのように同じ仕草で紅茶を飲み、菓子を摘まんでいくのだが、二人の間には大きな花飾りが鎮座しており、お互いの姿を視認することが出来ない。そんな状態の中、会話は紅が6年前に行った犯罪について触れていく。

 

紅は、6年前(作中の情報から推定すると、彼女が中学生の頃と思われる)に両親を毒殺した罪で少年刑務所に服役し、最近になって社会復帰したのだった。蒼は紅に、両親を殺害した動機について問い詰めるも、紅は記憶にないと回答する。蒼はその回答に怒り、紅に「私の重荷を降ろしてくれないの?」と詰め寄るが、唐突に意識を失いその場に倒れこむ。

 

意識を取り戻すと、蒼は紅の格好で縛られており、紅は蒼の格好になっていた。紅の目的は、蒼に成りすまして自身の犯罪歴を消し去り新たな人生を歩むことであり、その理由は、蒼が両親殺しの罪を自分に擦り付けたからだと語る。蒼は両親殺害の真犯人が自身であると認めつつ、自身を殺そうとする紅に、殺したところで死体の始末はどうするのか、どうやって警察から逃げ切ろうというのかと逆に問い詰める。「待っているのは結局地獄だよ」。蒼の説得に応じた紅は、ではどうすればいいのかと蒼に尋ねると、蒼は罪滅ぼしの為に自ら紅と入れ替わり、自身は適当な時間を過ごしてから紅として自殺すると宣言する。

 

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こうして目論見通り蒼との入れ替わりを果たした紅だが、実はそれはカウンセラーの桔梗と仕組んだ策略であり、蒼にカウンセリングを介して両親殺害の犯人が自分であると思い込ませ、罪を擦り付けた上で人生を丸ごと奪おうとしていたと明かす。計画の成功を確信した紅は、花弁が舞い落ちる夢想的な光景の中で高笑いをしながら踊る。両親を殺害した本当の動機は、蒼を不幸にしたかったから。紅は蒼によって奪われてきた自身の幸福がようやく取り戻せたと語る。

 

三か月後、蒼の遺品のブローチと日記が紅のもとに届く。日記を読むと、蒼が生前、紅と同じ罪を背負うために無差別連続殺人を犯していたことが書かれており、さらにその死体の一部は花に隠す形で処理したと述べられている。ハーバリウムに残された人間の「爪」で日記が真実と確信した紅は、鏡の中の自分を見て、恐怖のあまり絶叫する。

 

エンドクレジット後、花屋で作業をする紅のもとに何者かが来訪してくる。カメラは花冠の隙間から覗き込む紅の姿を映し、物語は終わる。

 


2.鏡像の二人、そしてファリック・ガールとしての蒼≒電脳少女シロ

 

フランスの精神分析家、ジャック・ラカンの理論に「鏡像段階論」というものがある。これは(哲学素人である筆者の観点で)非常にざっくり述べると、精神分析の見地から、人間の幼児が発育過程において、いかに自我を獲得するのかをラカン流に考察したものである。

http://www.ne.jp/asahi/village/good/lacan.htm
鏡像段階は一次的ナルシシズムの到来であり、しかもこれはまったく神話の意味でのナルシシズムである。というのは、鏡像段階は死、つまりこの時期に先行する期間における生の不全という限りでの死を指し示しているからだ。

幼児は、前鏡像期においては寸断されたものとして生きている。たとえば自分の身体と母の身体との間、あるいは自身と外界との間に、なんらの差異も設けない。ところが母に抱かれた幼児は、自分の像を認めることになる。実際、幼児が鏡の中の自分を観察し、鏡に映った周囲を見ようと振り向くのを見ることができる(これは最初期の知性である)。そこでこの幼児の身振りとはしゃぎぶりから、鏡の中にある自分の像に対しある種の認知がなされているのがわかる。そして彼は、自分の動きが鏡に映し出された自分の像や周囲ともつ関係を、遊びながら試し出す。

互いに向かい合った幼少の子供にみられる転嫁現象にはじつに驚かされるが、そこでは文字通り他者の像にだましとられている。ぶった子がぶたれたと言い、そちらの子の方が泣き出してしまう。ここに認められるのは、想像的審級つまり双数的関係、自身と他者の混同であって、人間存在の構造にかかわる両価性と攻撃性である。

 

http://kagurakanon.sakura.ne.jp/10200.html
ではこうしたイライラはなぜ起きるのか?よくよく胸に手を当てて考えてみると、案外と自身の隠れた理想が反転した形であることが実に多かったりもする。我々はまさに自身の理想を他者に奪われているからこそ、双数関係的にイライラするのである。

けれど、こうした感情はむしろ人として自然なことであろう。何をやっても上手くいかない時はある。人はそんなに強くはできていないし、世の中努力は必ずしも報われない。「あいつさえいなければ」と、誰かを恨みつらむことでしか心の平衡を保てない時期もあると思う。

もちろんこれは本質的な解決ではない。結局のところ、人は自らの理想と対決していかなければならない。

 


非常によく似た双子である紅と蒼は、互いに理想の自我を投影し合っており、想像的な次元において、互いを鏡に映った他者=自分自身であると捉えている節がある。紅の蒼に対する(端から見ると筋違いな)憎悪と、蒼の紅に対する(ナルシスティックで歪んだ)深い愛情は、年齢不相応に未熟な自我を保ち続けている二人が、互いを文字通り他者の像として騙し合っているからこそ発生した感情なのではないか。

 

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上記引用サイトに書かれているとおり、通常はこうした鏡像的関係を承認する位置に第三者としての他者=両親がおり、子は親との関係性≒社会性を徐々に形成していく段階において、幼児的万能感から脱し、「大人」として社会のルール(象徴界)に従って生きるようになっていく。

 

しかし、物語の開始前に両親は既に紅によって殺されており、前科者として社会から爪弾きにされてきた紅は勿論、蒼もまた一人前の大人になる前に社会に放り出されてしまったように見える。未熟な彼女たちは、少女としての理想*2を色濃く残した自我と酷薄な社会とのギャップに耐えられず、「生きているのか死んでいるのか」さえもよく分からなくなってしまっている。そして、狂言回しのカウンセラーが彼女らの心を外部から弄くったことにより、二人の狂気は大きく加速していくことになるのである。

 

想像的な理想を夢見ながらも、社会からの仕打ちを前に苦しみ、運命を変えるために足掻いているのが紅なら、自ら作り出した想像的世界*3に安住し、誰も傷つけたくないと願うばかりに正反対の攻撃的狂気に陥っていくのが蒼であるとも言えるだろう。そしてこの蒼の立ち位置は、普段バーチャルアイドルとして活動している主演女優・電脳少女シロの存在ともある意味でダブっている。

 

どこまでも「想像的な」世界であるバーチャル空間にいながら、彼女は声優やタレント・MC業もこなせる卓越した知性と演技力を備えたプロ中のプロである(と、一ファンの私は思っている)。バーチャルYoutuberとしてはキズナアイに次ぐ活動キャリアを誇り、誰よりもバーチャルの可能性と限界を知り尽くした彼女が、心から楽しそうにはしゃいでみせるのは、ゲームで敵を次々とブッ殺している最中である。
知らない人から見れば少々荒唐無稽にも見える蒼の連続殺人は、彼女が象徴界に「去勢」されなかった想像的ファルスを駆使するバーチャルアイドル*4である事実を持ってメタ的に補完されている。映画「リング」松嶋菜々子が最後に生き残る展開に説得力を持たせているのは、彼女の演技力では無くスター性であるのと同じように、バーチャルアイドルが「女優」として出演していることに、明確な意味を付与した脚本だからこそ許される力業と言うべきだろう。

 


3.「現実界」からの眼差しと恐怖、紅の「対象a

 


ラカンの有名な理論として、鏡像段階論の他に、先ほども少し述べた「現実界・象徴界・想像界」「対象a」と言ったものがある(順番が前後して申し訳ありませんが、詳しくはリンク先を参照してください)。「対象a」の方は、名作アニメ「ひぐらしのなく頃に」シリーズでもそのものズバリなタイトルのテーマソングがあるくらいなので、サブカル好きなら聞いたことがあるかもしれない(そういえばあの作品にも、物語上重要な立ち位置に双子の美人姉妹が登場する)。

 

「白爪草」の物語を俯瞰的に眺めたとき、紅にとっての「対象a」は蒼であるように見える。2.で述べた論理に従うなら、蒼は紅にとって最初の他者であるから、これはある意味で当然だ。しかし、対象aの恐ろしいところは、それが想像的な他者に止まらず、現実界象徴界の間を揺れ動く点にある。

 

ホラー映画としての本作の白眉は、なんと言っても紅が蒼の日記を黙読し、恐るべき真実を目の当たりにする一連のシーンだろう。紅は激しく狼狽しながら花屋の室内を彷徨い、鏡に映った己の姿を見て恐怖のあまり叫び声を上げてしまうのだ。

 

鏡の何が彼女を恐怖させたのか。恐るべき妹、蒼の姿が、鏡に映った自身にそっくりだったから。あるいは、自分自身が蒼になってしまったと改めて自覚したから。王道の解釈は差し詰めそんなところだろう。しかし、私は少し違う考えを持っている。

 

蒼と紅は、そっくりな双子という設定ではあるが、よくよく見ると少しずつ違う。髪型も違うし、声の感じも違うし、顔つきも微妙に異なっている。紅にとって、蒼が自分にそっくりなのは生まれたときから知っている事実である。鏡に「蒼」の姿が映ったくらいで、今更そんなに恐怖するだろうか。

 

しかし、姉妹ではっきりと同じ部分がひとつある。眼だ。

 

恐らく意図的だと思うが、眉や眼つきで区別は出来るものの、姉妹の眼は同じ3Dパーツが使われているように見える。それが蒼のものか紅のものか、髪型などの情報が無ければ判断できない。その特性はラストシーンにも最大限生かされている。

 

ラカン理論における「現実界」とは、お母さんが言う「Vtuberなんか見てないで現実を見なさい!」の「現実」のことではない*5。それはトラウマであり、語り得ないが確かに存在するものであり、触れることで人を狂気に陥れてしまう恐るべき何かである*6。紅はあの鏡から、現実界を示す対象a、つまり蒼の眼差しを見てしまったのではないか。自分自身の内側と外側にあった、空虚なる欲望の対象。対象aの代表的存在として、ラカンは「乳房、声、糞便、眼差し」の四つを挙げている*7

 

 http://www.suiseisha.net/blog/?page_id=12693
飛躍を恐れずにいうと、今日のまなざし論は、じつはみなさんがよくご存じの物語と同じ構図をもっています。賢治の『注文の多い料理店』です。キアスムというのは、自分がまなざしていると思っている主体が、じつは他者からまなざされていたのだと気づく契機を含んでいます。賢治の世界ですよね。賢治の物語では、自分が食べるつもりで「山猫亭」に入ってきた人間たちが、じつはいままさに食べられつつあることに気づいて恐怖する。

 

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蒼に眼差され、精神的にも社会的にも蒼に同一化してしまった紅は、蒼の残したものを背負いながら、何を見つめようとしているのだろうか。それは劇中の「真実」を越えた、バーチャルYoutuber達と同じく想像的な「現実」を生きる、我々観客に対する眼差しであったのかもしれない。

*1:バーチャルYoutuberなので、声はもちろん、3Dモデルも彼女自身のものを流用している。さながらVtuberによる演劇である

*2:お花屋さんになるのが夢とか、彼氏を作ろうとしないとか

*3:花が満ちあふれた映画のビジュアルは、少女の夢想を越えて最早悪夢的でさえある

*4:斉藤環風に古い言い方をするなら「戦闘美少女」

*5:このように日常的な意味での「現実」は、ラカン理論では人間の認識できる世界の一部=想像界に属する

*6:ラカンは、人は死ぬ時にだけ「現実界」に触れられるとも語っている

*7:恐ろしいことに、(貴方がファンなら知っているだろうが)これらは全て「電脳少女シロ」を象徴するキーワード達である

彼女らの魂に安らぎあれ

バーチャルYoutuberキズナアイをめぐる一連の議論は、何の教訓も引き出せずに擁護・批判する両陣営が傷つけあうような、個人的に大変残念な方向に着地しつつあります。以下、そうなった理由を自分なりに考えて書いていきます。
尚、本件ではフェミニズム的観点に問題を局限するため、既に多数が活躍している男性バーチャルYoutuberについては、その大半を意図的に無視していることを付言しておきます。ごめんなさい。


1.キズナアイの主体性に関する誤解
太田弁護士をはじめとするフェミニスト論客たちが誤ったのは、「キズナアイが性的表象であるか否か」の点ではなく、「キズナアイに(女性としての)主体性が存在するか否か」であると考えます。結論から言うと、キズナアイには明白な自我と主体性が存在しており、そこが既存の所謂「萌え絵」との唯一にして最大の相違点でもあります。しかし、殆どのフェミニストたちはバーチャルYoutuberに対して無知であったために、既存の「萌え絵」とキズナアイの区別がついていませんでした。

キズナアイは、Activ8株式会社が2016年に開発した3Dモデルであり、「人工知能」を自称し、普通のYoutuberと同じように企画などをこなしていくというスタイルが過去にない*1ものと受け止められ、局地的な人気を博すに至りました。
2017年12月には後発のバーチャルYoutuberである「輝夜月」や「ミライアカリ」が登場し、VRChatなどお手軽に3Dアバターを利用できるツールの普及も相まって、アマチュアも巻き込み爆発的なブームを引き起こしていきます。

キズナアイの動画は、既存Youtuberの「〜をやってみた」ような企画ものと、ゲーム実況ものに大きく分けられており、チャンネルも動画の傾向に合わせて分割されていますが、いずれの動画にせよ、既存Youtuberが用いる程度の「脚本」は存在すると推定されているものの、基本的にはキズナアイのアドリブで成立しており、キズナアイの「中の人」は実質的にキズナアイ本人とイコールであると見なされています。幾つかの動画においては、脚本を無視し当人のアドリブのままに暴走するようなシーンすら見られます。

アニメキャラを主人公として利用した既存の動画類では、アニメ絵を設置し合成音声に喋らせる(ゆっくり実況など)、音声はなく文字のみで解説を行うなどの手法が一般的でしたが、キズナアイの最も画期的な点として、声優や演者の情報を徹底的に秘匿することにより、演者を≒キズナアイ本人とし、イベントでのトークや生放送での雑談、Twitter等のSNSによるファンとのコミュニケーションを、動画上の「キャラクター性」を損ねることなくシームレスに結合することに成功したことが挙げられます。単なる「アニメキャラ」ではない、自我を持つAIとしての「キズナアイ」のアイデンティティは、日を追うごとに強固なものとして成立していきました。

故に、「キズナアイ」は碧志摩メグのような「萌えアニメキャラ」とも初音ミクとも異なる、所謂「アイドル声優」などに近い存在としてファンに受け入れられており、その前提を無視したことが炎上の第一の原因となっているように思います。


2.フィクションとバーチャルYoutuberの微妙な距離
バーチャルYoutuberブームを受けて、数多くのバーチャルYoutuberが企業や個人の手によって生み出されていくことになりますが、彼女ら彼らはキズナアイの作った基本路線を概ね踏襲しつつも、独自の方向性を打ち立てていくことになります。

フィクション性の高いバーチャルYoutuberとしては、「鳩羽つぐ」や「げんげん」が挙げられるでしょう。前者は(恐らく)幼児誘拐をテーマとした不穏なストーリーの「登場人物」として動画を投稿しており、声優は存在するものの、アドリブや演者のキャラクター性などは極力抑えられています。後者に至っては声優が存在せず合成音声での表現となっており、既存のゆっくり実況などに近いスタンスだと言えます。また、作品も一話完結型のコメディ(?)が多いです。これらのバーチャルYoutuberは、既存の「アニメキャラ」に限りなく近い存在であり、声優は存在していても、主体的な意思などは特に感じられません。

もう少しフィクションの濃度を下げた位置に、キャラとしての「基本設定」を守りつつ演者オリジナルの振る舞いをする一群があり、キズナアイもここら辺に含まれると考えられます。記憶喪失という設定の「ミライアカリ」、月のお姫様を自称する「輝夜月」など、アニメ的な企画動画も実況もこなせる点が大きな強みです。

さらにフィクション濃度を下げ、普通のYoutuberやストリーマーに近い一群には、「バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん」や「月ノ美兎」が含まれるでしょう。前者については、現実的には技術者の男性であることを明かしつつも、ギャップによる笑いを誘う要素として美少女のアバターを利用している例であり、後者については、「真面目な委員長」というアニメ的な設定がありつつも、それを半ば無視して演者の個性を前面に押し出すことでストリーマーとしての人気を博した例です。ここまでくると、「キャラとしての主体性」に疑問を差し挟む余地はほとんどなく、むしろ「普通のYoutuberと何が違うのか?」と(フィクション性の高い)Vtuberのファンから批判されるほどです。

このように、一言で「バーチャルYoutuber」といっても、その在り方は多種多様であり、十把一絡げに「こうだ」と規定できる理路は何もありません。ましてや詳しく知らないならば猶更のことです。


3.バーチャルYoutuberの「主体的意思」について
ようやく本題です。
第一項で私は、「キズナアイには明白な自我と主体性がある」と(あえて)断言しましたが、当然ながら彼女が「AI」であるというのはアニメ的なフィクションに過ぎず、実際にはプロの声優が「キズナアイ」を演じ、その自我を形作っています。*2

そして、バーチャルYoutuberがブームとなり、GREEなどの大手も参画するメディア産業として成長していく過程で、キズナアイのような存在に憧れる女性たちが数多く出現してきます。
彼女らの出自は、ゲーム実況者であったり、ストリーマーであったり、声優の卵であったりと様々ですが、自らの意志で美少女のアバターを利用することを選択したという点ではキズナアイと共通しています。
アバターを利用するメリットとしては、外見的な可愛らしさ以上に、ルッキズムで評価されないというメリットがあります。特に女性のストリーマーの場合、トーク力やゲームの腕前よりもまず外見で評価されてしまう傾向が強かったのですが、バーチャルアバターの登場によりそれが解消され、「(美少女が求められるという)ルッキズム的要請に配慮しつつ、ルッキズムを半ば無視する」というアクロバットが可能になりました。
バーチャルYoutuberには、中の人の顔写真が公開される所謂「顔バレ」をしてしまい炎上した例もいくつかありますが、そうした批判は概ねファンにとっては「無粋」で「心ない」ものと見なされ、顔バレした演者も「美少女キャラ」として引き続き受け入れられているケースも見られます。

女性としての外見的な美しさを問われず、好きなゲームや好みの話題を語ることで、多くのファンの支持を得ることが出来るバーチャルYoutuberは、例えそれが既存の女性Youtuber達の既得権を幾らか侵害するものだったとしても、広範な支持を受けるのが自然ですし、これらが女性の主体的な自己実現の手段ではないと断ずるのは、フェミニズム的な観点から言っても相当に無理があると思います。


4.キズナアイ欅坂46
では、バーチャルYoutuber産業は女性の自己実現のために役立っており、そこにフェミニストの言う「女性性の搾取」の問題など存在せず、批判は全く的外れなものなのでしょうか。

キズナアイは、ことあるごとにアイドルグループ「欅坂46」の大ファンであることを公言しており、関連する動画もいくつか出しています。中には本気でけやき坂46のオーディションを受けるような内容のものもありますが、生放送で脚本を無視してでも欅坂について熱く語ったなどの逸話を見る限り、キズナアイの「中の人」が、アイドルに憧れてエンタテイメント業界に入った人物であることは容易に推定できる事実だと思います。

私の個人的な意見ですが、欅坂を含めて秋元康プロデュースの女性アイドルグループは、「恋愛禁止」が暗黙の了解とされているなど少女への人権侵害的な側面が目立つため、全く好きになれません。
翻って、バーチャルYoutuberであるキズナアイにとっては「恋愛禁止」はさしたる問題ではなく、例え中の人が密かに結婚していようが、それを隠し通すことは容易であると考えられます。何しろバーチャルなので、年も取りませんし、永久に「美しい少女」のままでいられるのです。

しかしながら、それは同時に「キズナアイ」がキズナアイを辞めることが出来ないということも意味します。
欅坂46のような「アイドル」は、アイドルをやめれば単なる女性に戻ることが出来ます。女優として華々しく再デビューすることもできますし、強硬なフェミニストとしてかつての自己を否定することもできるでしょう(アグネス・チャンがそうしたように)。それは本人の女性としての自己決定によるものであり、自由です。
しかし「キズナアイ」は、演者の自我とキャラクター性を強固に結び付けられ続ける限り、キズナアイであることを途中で放棄したり、「普通の女の子」に戻ることはできません。自らの外見が、女性的な魅力を都合よくデフォルメした「アニメ美少女」そのものであると指弾されても、姿かたちを変えることもできませんし、大人になることもできません。そして、強引に「キズナアイ」であることをやめた時点で、それが中の人のセカンドキャリアの形成に役立つとも思えません。

故に、フェミニストキズナアイを批判するとすれば、アイドルに憧れ、都合の良い「アニメ美少女」の表象を身に纏ったはいいが、まさに自分自身が(男性中心の顧客の要望に応えることを中心とした)性搾取的な構造の中に取り込まれ、身動きが取れなくなっているという、まさにその一点を突くしかなかったと思います。
おそらくそのように批判されたとき、キズナアイ(とその製作者たち)は何も言い返せなかったはずです(何しろそれが生業だから)。ただ、一方でアイドル文化もYoutuber文化も、女性が主体的に参加しうるコンテンツである以上は、「性搾取だからやめちまえ」と強引に処断できるような類のものではなく、ならば何らかの形で「中の人」の交代やセカンドキャリアを考える道筋を(女性たちのために!)作っていくことこそが必要だとも言えたのではないでしょうか。


5.おわりに代えて
今回の論争では、批判者同士、お互いがお互いの文化的背景を全く理解せず、一方的な偏見に基づいて処断し、バーチャルYoutuber産業が抱える新しい構造的問題や、既存のアイドル文化を含めた女性差別の問題については、殆ど何も語られることなく、ただ不毛な煽りあいだけが継続するという状況になってしまいました。
ポリコレに違反していようが、誰かを差別していようが、それが文化であり誰かの生きる糧である以上は、その在り方に真摯に向き合い、あるべき方向性を探るのが文化批評の役割ではないかと感じるのですが、そういったことを真剣に語る論者は皆無でした。別に愚かしいなら愚かしいで構わないのですが、真面目にやる気がないなら何も言わずに放っておいてくれたほうがまだマシではないかと思います。既に言い尽くされていることではありますが、文化的摩擦の存在に配慮せず、単に「クールジャパン」のような浅薄な文脈に乗って今回の起用を決めたと思われるNHKにも、大きな問題があるでしょうが、本題ではないので省略しました。

バーチャルYoutuberを目指し、あるいは既に活動している全ての人々の魂に安らぎがあることを望みます。

*1:Ami Yamatoなどの先駆者は居ましたが、日本国内では無名でした

*2:声優が誰なのか、ファンは当然全員知ってるのですが、ここでは特に記述の必要がないので省略します