東京の話

東京、平成29年9月1日現在で1300万人を抱え世界の都市別でGDPを見たときには1位にランクイン、更には日本のGDPの1/3を支える大都市である。23の区と26の市、5つの町と8つの村で構成されており、日本の政治から経済に至るまでのシステムの中心として君臨している。また23区が災害などの有事の際に内閣府の対策本部を設置できるように指定されている立川広域防災基地もここ東京である。

 

 

私は5歳の頃に父親の仕事の都合で東京に引っ越してきてから今の今までずっと東京住まいであるが未だにこの喧騒とした街に慣れない。朝8時の都心へ向かう電車はいつだって混んでいるし昼食を取ろうにもコンビニ、飲食店はどこも行列。やっと一日が終わり帰ろうにもまたあの混雑した電車に乗らなければいけない。夜中の3時を過ぎたとしても道路には絶え間なく車両が通り街には明かりが灯りつづける。西新宿の高層ビル群は漠然とした恐怖を感じるし渋谷のスクランブル交差点を渡る人々がなぜか全員敵に見えることだってある、夜の池袋が見せるあの二面性には嫌忌すら感じる。

 

 

おそらくこの街に住んでいる限り自分を消費続けるだろう。そして自分の生活、東京の景観はまたほかの誰かの消費によって成り立っているのだ。でも終電間際の東京駅のカップルは嫌いじゃないし人の仄かな温かみや優しさに触れられるところや思いもしなかった人や物事に出会えたりする。人の無関心さに救われることだってあるし色んな人がいるおかげで自分のアイデンティティが確立できることもある。東京の人は冷たいとよく言われるけれど案外それが居心地いいこともある。逆に関西のノリが本当に苦手で関西人はあまり得意ではないというのが本音だ。東京にもいろいろな街があるけれど新宿と渋谷と原宿と池袋、みんな顔が違って日々その様相を変える。渋谷の工事だっていつまでたっても終わらないし新宿には気づいたら新しいバスステーションができていた。原宿の駅舎は新しくなるらしいし池袋はサブカルの最先端の地としてどんどん進化している。この街にいる限りは小学校から会っていない初恋の女の子に会えるかもしれないし中学から連絡が取れない引っ越した彼とまた顔を合わせられるかもしれない。紛れもなく大好きな人、大好きだった人が住んでいるのが東京なのだ。煩くてなぜか冷たいような感じがするこの街だけどまだ嫌いになるには早そう。

 

と、朝7時の九段下のスタバで書いてるエントリーでした。

男の恋は「名前をつけて保存」。女の恋は「上書き保存」。

誰が言ったかは知らないが実に言い得て妙だと思う。随分前に「男は元カノで構成されている」みたいな記事が物議を醸した。いや物議を醸したかすら覚えてないしタイトルもほぼ覚えてないから多分こんな感じぐらいの適当さで書いてるんだけど。まあ少なくとも自分には当てはまっていると思う、それは俺が女々しいからかどうかは知らない。いや多分世の中の全ての男はそうだ、きっとそう。野田洋次郎だってそうだし椎木知仁も。横山健は知らん。

 

 

片思いで終わった恋は存外覚えていなかったりするが一時でも成就した恋は昨日のことのように覚えている。誕生日、記念日、よく行った場所、好きだった曲、嫌いな言葉。何をしたら喜ばれるかを元カノから学び、何をしたら嫌われるか元カノから学んだ。多分、いや確実に好きな音楽とか食べ物、趣味趣向は今まで出会った人に影響を受けるんだろうけど人生に影響を与えるほどデカイ存在なんてそこまで多くはない。新宿のカフェの前を通るたび、テレビふと流れてきた新譜のCM、車の4桁のナンバーから連想される日付、そんなくだらないことでも男はふと過去の女を思い出したりする。そして毎回のように気持ち悪い自分に辟易する。

 

まあでも別に寄りを戻したりもう一度会いたい訳じゃない。Cまでいった女にもう一回会いたくないかって言われたら素直に横に首を振る自信はないけど…。でも過去の女は所詮過去だし振り返っても立ち止まるつもりはないしそういう意固地なところ全部含めて男なんだから許してくれ。ちゃんと前に進んでるアピールをしたりもうお前に気はないっていっちゃうところも含めて笑って欲しいし、元カノに「元気?笑」って急に送る男はやばいからやめておけって全ての女性に言いたい。そういう男は大体池袋でサシ飲みしようとするしホテル街を歩きたがる。

 

 

 

 

まあ何を言いたいかっていうと秋の深夜に奥華子を聴くのはやめとけ。

 

秋深き 隣は何を する人ぞ

気づけば既に10月。October。神無月。出雲では神在月っていうらしい。よくよく考えれば2017年も3/4も終わったことになる。旧暦だと秋は終わりもう冬に入ったことになるが東京はやっと秋の気配を見せ始めた頃だ。

 

 

朝、家を出るとふと空気の冷たさに気付く。10月5日の新宿の日の出は5:39らしい。夏至の日の出が4:24だから単純計算でも1時間近く遅く朝が来ていることになる。夕暮れ時、茜色の空に鰯雲が浮かぶ。夕飯、どこかから秋刀魚の焼ける匂い、大根をおろす音が聞こえてくる。夜、外から虫の鳴き声がする。最寄り駅に向かうまでにも金木犀の独特の香気や銀杏の芳烈、道に落ちた紅葉。こう書いてみただけでも日本語の奥ゆかしさ、表現方法はとても独特であるとともに美しくあると思う。昨今「ヤバイ」や「超」、「インスタ映え」「フォトジェニック」など色々な言葉が煩雑としているがたまにはよく考えて言葉を使うのも面白いなと最近よく考える。まぁ昔の日本人も「あなや」や「をかし」など使っていたことを鑑みると今の状況とあんまり変わらないのだろうけど。

秋と云えば日本以外にも四季はあるらしいが日本ほど五感を刺激される四季を持った国はあるのかな。夏を例に出すと視覚は空。セミの鳴き声は聴覚。海水浴は触覚。スイカで味覚を感じて、プール独特の塩素臭や花火の残り香で嗅覚を刺激される。五感を刺激されることで人は季節を実感し、過ぎた季節を思い出す。記憶より五感のほうが記憶を引き出しやすいってこういうことなんだろうな。過去の恋人、好きだった音楽、嫌いになってしまった友人。人生は短い。春夏秋冬、今の平均寿命が凡そ80歳だから人生でそれぞれの季節は80回ずつしか来ないことになる。しかも6歳の春と22歳の春と50歳の春と70歳の春の感じ方は当たり前だけど違うだろう。そう考えると尚更今過ごしているこの時間、人を大切にしなきゃなと再認識する。

 

 

来年の夏はどうなっているかな 誰と過ごしているのかな 
今年の秋はどうなるかな    誰と過ごすのかな

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「ムリしてね」

「頑張れ」 「まだやれる」 「みんな耐えている」

 

自分がまだまだ甘えてるだけなのかもしれないけれどこの言葉をかけられるたびに辛くなる。もう頑張っている。お前が言うな。うるさい関係ないだろ。そんな言葉にならない言葉たちが喉の奥へと沈んでいく。おそらくこれからもずっとこの言葉をかけ続けられるのだろう。

 

話はまったく違う方向に転換するが私が大学受験で滅入っていたときに一つだけ気が楽になるものがあった。漫画である。ただ一言に漫画と言っても全般というわけではなく「宇宙兄弟」。兄弟のムッタとヒビトが宇宙へと目指すアレだ。現在既に31巻が世に出ており2017年6月現在で累計1900万部を超えているらしい。換算すると都民一人1冊以上は持っている計算になるらしい。凄い。

 

話を戻すとこの宇宙兄弟16巻に「ムリしてね」という言葉がある。大枠は省くが主人公ムッタの親友ケンジが娘風佳に言われるセリフだ。「頑張れ」でもなく「ムリしないでね」でもなく「ムリしてね」。父親への期待、心配、あらゆる気持ちを率直に伝えた結果がこの「ムリしてね」だったのだろう。鬱の人に「頑張れ」といった言葉をかけていけないように言葉にはその時、場所に合った使い方があるものだがここでの風佳の一言は正に父ケンジに合ったものだった。頑張らなきゃ踏ん張らなければいけない場面で娘から発破をかけられる。

私も言葉のTPOを考えその人に合った言葉をかけられる人間になりたい。

こんな眠れない夜には

朝起きて学校に行き友達と他愛もない会話を交わしサークルに顔を出し授業を受けて時たまに飲み会に出る。

 

 

正直不安で仕方ない。

 

明日も見えない自分に数年後なんて見えるわけがない。ただ毎日を浪費していくことに何の意味があるのかわからなくなり焦燥感が増していく。

 

でも音楽を聴いてギター鳴らし、小説の世界に溺れる。これだけで見たくもない現実から逃避できる。

今はそれだけでいいんじゃないか。