戯言砂漠

雑文の死にゆく場所です

夜よ

不安が不安を呼んでくる夜

そういう夜を何度も過ごした


定期的と言っていいほどにことあるごとにやってきて

慣れたともいつだって言い切れないから悩んで悩んで悩み倒して

もうイヤだって夢の世界に逃げ込む


変えるために動かなきゃダメで

思考だけじゃどうにもならなくて

思考パターンを変えるために行動あるのみで

行動しながら修正していくのが最善で

夜はやっぱり寝るもので

起きてしっかりと動くことで改善してく日々ってやつ


変えられることから変えていく

変えたくないものは守っていく

耐えて生き抜く

攻めて勝ち取る

増やすのが全てではなくて

減らすべきものも確かにあって


リセット

リスタート

リトライ

リピート


何度でも何度でも

何度も何度も

繰り返し繰り返し

リニューアル


明日は明日

迎えられる喜び

まだ試せる

また試せる

やれる


そう思えたんなら

全然マシ

断然マシ


返しきれない恩

それでも背負い続けるのが報い

渡せるものを渡していこう

僕があなたに出来ることを模索するよ


不甲斐なくとも

みっともなくとも

足りないものだらけでも


それでも

それでもね

続く言葉はまた今度ね

生涯願望

勝負するからには勝ちたい

負けたくない

認めなければ負けじゃない

が、負けを認めなければ成長がない

先がない

悔しさしかない

悔しさがあるんなら勝負の対象が何であろうと構わない

自分でも誰でも

このままじゃ終われない

だから終わらせない

終わるわけにはいかない

止まるわけにはいかない

一筋縄じゃいかない

そんなの知ってる

全部やるし

納得するためにやってやるし

生きてこそ

ずっと実家に暮らしている。


祖父(父方)は10年くらい前に亡くなってしまったが

今現在は母、兄、祖母(父方)と自分の4人で生活している。


ずっといっしょに暮らしているからこそ分かるそれぞれの性格の違いってやつ。

それを踏まえた上で上手くやるってのも大人なんだろが、ギクシャクすることも多々ある。


自分が正しい。あなたは間違ってる。その理屈で他をただただ変えようと試みる。

やってみたら分かるけどそうそう上手くはいかない。否定だけでイイ方向に転がってくことなんてほぼほぼないんだ。


相性は悪い。改善もされてない。仲は良くない。凄く悪いとも言い切れないが。

仲良くなれるとも思えないと同時に仲良くなりたいわけでもない。

したくてする喧嘩なんてものも存在しない。結果的にぶつかる他ないって事実があるだけだ。


ただただそこにいる。そこに居続けた。それだけの存在。それは互いに各自にとって。

特別な存在とも言えるし、何をもって特別というかが曖昧だとも思える。


たまたま家族だった。たまたま血が繋がっていて、縁あって、理由あって、目的あって一緒に暮らしたりしてる。


いいこともわるいことも各自生きてりゃ遭遇するだろう。

各自好き勝手に生きてる以上、大体が自己責任ってやつだろうとも。


幸せになれよなんて思わないけど、もちろん不幸を願うこともない。

イヤな思いしてたらこっちもイヤな思いになるのは知ってる。


腹が立っても くたばれ! 死んじまえ! なんてことは思わない。思ったことはない。


情というものが確かにあるとしてこれが愛情である保証もなければ、実感もなく、ただただこっちがイヤな気持ちになる。


ちゃんと生きてよ最後まで。元気で健康でいた方がいいよ。心配しなくていいから。


どうでもいいっちゃどうでもいい存在。おはようの挨拶すら別にかわさないし。それがうちらの普通だし。


もうちょっと上手く関係築けたかもなって後で思うかもしんない。後悔が待ってるかもしんない。

でも現状はこれがうちらの最善かつ限界。


婆ちゃんが死にかけた時は内心すげぇ焦ってた。すげぇ不安だった。悲しさに襲われた。


でも絶対それは外には出せなかった。出さなかった。


じいちゃんが亡くなった時。葬式当日まで現実逃避して誤魔化して誤魔化して過ごして、いざ式になった時に結局ワンワン泣いた。

どうしようもなく泣いた。兄もそういや泣いてた。言葉かわすことなくうちらは泣いてた。


祖父と喧嘩ばかりしていた祖母も放心状態だった。気の抜け方からして、婆ちゃんもポックリそのままいくんじゃないかと当時不安だった。


それぞれの本心は他者には決して分からず、日々は誤魔化して生きてんのかもしんない。自覚すらしてないのかもしんない。


思い出の数だけ別れは辛い。ただそんだけのことで、家族でなくてもそれは変わんないんだとは思う。

一緒に過ごしていたからこそ思うこと多々。エピソード多々。迷惑な話、最後にきっちり襲われる。


じいちゃんと特別何かしたことはないし、深い話をしたこともない。良く分からないままだった。

だけどいなくなった時の喪失感は相当だった。それは一過性のものだったとしても。


特別を無理に特別としなくても、特別なものは既に特別なんだ。

分かってても、分かっていなくても、失ってからようやく解き放たれるものがあって、変化だって生じる。


オレも必死に自分なりに生き続けるから、そっちも頼むわ。勝手ながらそう思うわ。

そんな気持ちと共にこの家での生活を続けるわ。


泣いたり、泣かせたり、それはもういつかきっと味わうことだから。

四月は君の嘘

というアニメのOPがこちら↓

光るなら/Goose house: http://youtu.be/SnXkhkEvNIM



2クールで完結までやるらしいんだけど気づくとハマってた。


原作既刊分をKindleで全部揃えてみたり。次刊11巻で完結だとか。


Kindleで漫画買うのも地味にハマってるけど、大人になったもんだなぁ。


面白いもんに出会う度にこの世に生まれてきたことに感謝してるよ。

休日日記

itoi_shigesato (糸井 重里)

たぶん、壇蜜のおもしろさを知ってる人は、ちゃんと知ってるとは思うのです。ただ、『壇蜜日記』を読むと、そんなもんじゃなかったなぁ、と謝っちゃう感じになるのです。じぶんは、そうでした。

12月10日 1時36分 Twitter Web Clientから
http://twitter.com/itoi_shigesato/status/542357239613255681

itoi_shigesato (糸井 重里)


たとえば「空っぽの水槽からは水の流れる音がする。私はそれを聞きながら、別れた男の置いて行ったすこし大きいパーカーを羽織って梨をほおばる。どうせ置いていかれるなら、もう少しいいものを買ってあげればよかった。パーカー、ハイイロ、ナシ、アマイ。」(壇蜜日記より)

12月10日 1時40分 Twitter Web Clientから
http://twitter.com/itoi_shigesato/status/542358220623192064


itoi_shigesato (糸井 重里)

(昔の雑誌の、アラン・ドロンの記事を読み)「参加者の乙女の一人は、彼の一番の魅力は何かと記者に聞かれ『眉間のシワ』と答えていた。シワで稼ぐ人生もあるなら、スジで稼ぐ人生もあったってよいではないか」(壇蜜日記より)

12月10日 1時44分 Twitter Web Clientから
http://twitter.com/itoi_shigesato/status/542359154484994048

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久し振りにTwitterのTLをマジマジと眺めるとそこにはやはり情報が溢れていた。


結局は自分好みかつ自分がチョイスした人々の偏ったものではあるんだけど、他者の思考や嗜好に簡単に知れる、触れられるという点では面白い。


ゴチャゴチャしてるなぁと改めて思うと同時に気になるとこ除いてはざーっとスクロールさせてく作業。こなれたもんだ。


ゴチャゴチャしたTLなのも自分の脳内が反映されてるだけだども。


久々にこのタイミングで指走らせてるのは確実に壇蜜の影響。壇蜜壇蜜日記の影響。


文章にやられた。文章力に嫉妬した。久々に思い出したよこの感覚。


最近ふとしたきっかけで昔の記憶を辿りたくなり、いつぶりか分からないがmixiの日記を軽く掘ってみたんだ。


懐かしさよりもまず先に文章構成や内容に吐き気がしたんだった。こんなもの書いていたのかと眩暈がした。


こういう事例が多く過去を残しておくというのは弊害でしかないのではないかという結論に達しがちなのも事実とはいえ、懐かしさというものは貴重だなとも思ったりもして。


写真をもっと残しておけば良かったかなと思う機会も最近多くて。文章は書く機会かホントに減り、今後生きてく中でもまぁ別にそれでいいかと思ってたりもしたのですが、前述する壇蜜日記なるものに出会い、ちゃんと残すということの価値を実感したり。


そもそも人が書く物が好きだった。プロアマ問わず。文章が好きだった。好きな文章に出会う度に高揚、歓喜した。


ブログが流行っていた時期なんかたまらなかった。皆が皆色んなことを書き綴っていた。読み漁っていた。そんな中自分もせっせと何かある度に書き残していた。


狂っていたように何かにとり憑かれたかのように、文にひたすら自分の内にある消化しきれないものを込めていたあの頃も今じゃイイ思い出です。


厳密に言えば良く思い出せないんだけど。他人事のような感覚さえ。どうかしてたんだなぁと。


自分にはないもの、出来ないことに憧れや羨望するのは昔から。その度に影響を受けに受けて自分の中にあるもので自分なりに何か構築、模索しての日々。


自分の中にあるもの全部誰かしらの影響を受けているといっても過言じゃない。あっちいったりこっちいったり、そんなこんなを繰り返して変わったり、固くなったり、元に戻ってみたり。


それでも精錬され、研ぎ澄まされて、いらんものその都度削ぎ落として、身軽にフットワーク軽くいけたらと。


あぁ、シンプルに言葉数少なく綺麗に文にを作れる人が素敵だ。


冒頭の糸井重里氏の呟きに即座に反応しAmazonを開いた数時間前の私。


壇蜜日記は現在在庫切れ。いてもたってもいられず思考をその先へ。引き続き即座にKindleのストアを確認。電子書籍版を購入するまでの流れの鮮やかさ。


寒い寒いとベッドで布団にくるまりながらの作業とはいえ全力だした感ある。


休日の本気ってそんなでもいいよね。壇蜜日記を眺めながら横になってたら案の定ウトウト。気を失うこと数回。


これも冬の休日の醍醐味かもしれない。布団から出る気は全くしない。出る理由が見当たらないのだ。


読書の秋とは良くいったもので冬は本読むのも大変ですよ。暖房でもつければ布団から出られますけどね。


壇蜜日記を読むキッカケをくれた糸井重里氏の新刊も購入したまま眠ってるわけで。感謝の気持ち込めて後ほどそちらも読ませて頂こうかと。


現在BGMは「宇多田ヒカルのうた」なるトリビュート?カバー?的なアルバム。iTunesで買いましたん。とても良いですよ。面食らう楽曲もありましたが。それもまた良し。


次くらいからはもっと内容コンパクトに記していけたらと思う私でした。


出来た試しないんだけど。

午前2時の彷徨い人

見えないものすら見えた気がした夜

きっと錯覚

と思い込ませるのが得策


見てはいけないものだったのかもしれない

気づかない方が幸せなことだったのかもしれない

全て憶測 思い込みってやつかもしれない

得体の知れないのそんなものと対峙する


開けた!と思いきや更にもひとつ壁だったり

あるいは迷路の始まりだったり

しまった!と思うことばかり


感情が透明になっても

実際空を飛べるわけでもないし

気楽だとかそういうのとも違う


今この瞬間

今夜でしか味わえない感覚が確実に今ここにあるし

寝てしまえば消えてしまうのも確実


惜しい惜しくないでもなく

それはそれ1日を終えるってそういうこと

それは素直に思える


今日一日の採点なんかも今夜はやめだ

そういう日もある

そんな夜がある


特別何かあったわけでもなく

唐突に訪れたこの夜と感情に

またいつか会いましょうと願いを込めて


寝ましょう

なかったことにしましょう

夢のようなひとときだ


夢に逃げ込む人1人

溶けていく溶けていく

この夜は溶けていく


この夜に溶けていく

Androidアプリでブログ記事上げれるようになってる!

というわけでスマホ族の私は久々にブログを書く習慣も取り戻してやりたいなんて。


前回の記事から余裕で半年経ってるけど仕切り直しでいざ行かん!!!


mixiアメブロ時代の鬼更新はもう出来ないにしろ思ってることや日常のことはやっぱりアウトプットして整理していきたいざーます。


ある程度記事貯めてからTwitterとかにもその都度upしてこうかねーー。


今日はまぁさくっとね、さくっと。


こないだの金スマ高田純次の特集回だったんだけども、彼が自伝出してるの知らんくてすぐさまAmazonで買ってみたよね。


彼の書籍は結構揃えてるんだけど、内容ダブるとこも多くなってて全部コンプリートはいいかなぁと思ってたとこ久しぶりに入手。


今までので一番真面目だったね。これ読むとイメージがめっちゃ変わるんだろね、自分はもう過去作で十分感じてたけど。


苦労や不幸を決して感じさせないし、負のオーラなんて絶対出さない人だけど、彼なりにスゴく考えた上での生き様なんだよね。


やっぱ大好きだなぁと思いました。


「こころが燃える仕事を選びなさいよ。失敗しても大丈夫だ。いくつになってもやり直しはきく。君がその気になりさえすれば、道はあるから」


高田純次のチンケな自伝より