徒然夜

孤独にあるのにまかせて、夜にPCと向かい合って、心に浮かんでは消える他愛のない事柄を、とりとめもなく書きつけてみる

夢で会えたら

 汗で髪が張り付く程、じめじめと湿っぽい熱を帯びた頬に、七月の訃報はいっそう冷たく届いた。

 今日が何の日なのかは深く考えずとも、カレンダーで日付を確認しただけですぐに理解できる。あれから一年、今日は祖父の命日だ。

 

 赤や黄色に葉が色づき、枝は白色の服を身に纏い、やがて薄桃色の花が咲き乱れる。あれから一年。相も変わらず、ほぼ例年通りの早さで移ろう季節は、私を何だか憂鬱な気分にさせた。「例年通り」というのに、時に胸をぎゅっと締め付けられる気がした。それに対する憧れからだろうか、それとも憎悪からだろうか。理由なんて分からなかったし、考える気にもならなかった。

 そんな中で心の救いとなったのは、私が見る夢だった。安らかなる夜、寂しさに震える夜……どんな夜かは関係なしに、眠りにつくと私は定期的に、夢の中で祖父に会うことができた。そういうことができるのは、家族や身内で私だけだった。私がいつまでも立ち直れずにいるからなのだろうか。理由なんか、どうでも良かった。祖父に会えるのなら。

 「夢で会えたらどこへ行こうか 考えすぎて眠れない夜」

モンゴル800の曲に、確かこんな一節があった気がする。夢で会えたら、私たちは必ず祖父の家か私の家のどちらかで雑談をしていた。きっと他愛もない、些細な会話だった。結局私が欲しているのはもう訪れなることのない、何気ない日常なのだろう。私には考えすぎて眠れない夜は無かったが、喪失感と虚無の境地から、とっくに夢から醒めているのに起きたくない朝はあった。歌詞に準え、そんなことを思い返す。

 

 頑張ろう。前を向こう。そんな言葉をいくら発してみたところで、それは何とも言えぬ空虚さに蝕まれた眼前を、力無しにただぷかぷかと泳ぐだけだった。私にとってそれは願掛けでも決意でも何でもなく、お荷物に過ぎなかったのだ。吐き捨てた所で、初めて分かった。

 実際、祖父のことを思うと、後悔や未練、また楽しかった思い出ばかりが延々と浮かんできて、自然と頬が濡れている。そんなことが未だに少なくも無いというのが、現状だ。ブログでは祖父について多々触れてきたが、私にとっての祖父の存在というのはここだけでは語り切れない程に大きすぎる。

 あれから一年たった今、祖父に対し何を語ろうか。前向きな思いを述べて安心させたい、とも思った。しかし無理して着飾る方が、心配をかけるかもしれない。迷った末、落ちもまとまりも無いこのブログを今抱いている祖父への素直な思い出締めくくりたいと願う。

 今まで本当にありがとう、大好きだよ。

今度はこれを、祖父に直接伝えたい。

CAN’T SLEEP FANTASY NIGHT

 あと2分、1分……0分‼……あれ?

公演開始時間の17:00を過ぎても、演奏が始まるどころか、客席の照明さえ、未だ落とされない。待ち遠しい気持ちが募り、時計を見る頻度が増える。今か、今かと焦らされる。

 その時だ。遂に辺りが暗くなったかと思うと、聞き覚えのあるギターの音で、前奏がスタートする。ステージのみに、薄明りが灯る。周りの歓声と共に、自分の中から興奮が込み上げてくる。ギターに続き、アップテンポのピアノの音が聞こえてきたかと思うと、続けて、耳に心地いい歌声が広い会場に響く。

「君に神はいない 所謂無神論者……」

すぐに曲名が脳裏を過る。一曲目は、“Death Disco”。

 CDや音楽プレイヤーで何度も聞いてきたその曲だが、伝わってき方が全く違う。音が耳に入ってくるのではなく、体全体に入ってくる。音というより、振動として。体が、心が揺さぶられる。体に走る振動が、私に、まるで自分自身が楽器になったかのような錯覚さえもたらす。

 すごい……‼

体全体で覚える、初めての臨場感。私の興奮は一気に頂点へと達する。それに伴って高鳴る鼓動は、全く苦ではなく、むしろ妙に心地いい。自然と、上げている右手の振りが大きくなる。

もっと感じたい……‼

私は目を輝かせて、少し前で演奏する彼らを、じっと見つめた。

 

 “Death Disco”から始まり、“スターライトパレード”で一旦終わる。そしてそこから、“スターライトパレード”のサビを観客全員で何度も口ずさみながら、アンコールを待つ。少ししてから、衣装を着替えたメンバーが、観客席の方までやってきて、再び曲が始まる。アンコールは、“Dragon Night”、“RPG” “すべてが壊れた夜に”という、通常よりも多い3曲で幕を閉じた。

 演奏された曲は全て知っていて、きちんとリズムに乗ったり、「歌える?」と振りをされたときは、きちんと歌ったりすることができた。

 すべての曲が終わると、意外なことに私の心は喪失感ではなく、満足感で溢れていた。そのことが、このライブを全力で楽しむことができたという、何よりの証拠なのだと思う。

 演奏された全20曲のうち、最も印象に残ったのは、3曲目に演奏された“眠り姫”。私がセカオワを好きになったきっかけは、中一のある日の美術の時間にかけられていた曲に陶酔し、授業後に先生にその曲について聞きに行くと、

SEKAI NO OWARIだよ」

と教えて貰ったことだった。自分で言うのには若干の抵抗があるが、私とセカオワの出会いは些か運命的だった。その時に聞いていた曲、つまり初めて出会ったセカオワの曲が、紛れもない“眠り姫”だったのだ。こんなに大好きなアーティストに出会えた幸せを改めて噛み締め、感極まった私の目からは、思わず涙が溢れた。ただただ、ありがとうと、何度も心の中で呟いた。

 

 学校に行きたくなかったときや、高専中退直後の苦しかったとき。気分がいいときや、楽しいことがあったとき。苦しいときは私を助け、楽しいときは私に寄り添ってくれた、SEKAI NO OWARI

 私にとってかけがえのない、大切な存在の彼らは、私にまた一つ、生きる希望をプレゼントしてくれた。上手くはいかない日々の中にも、楽しいこと、心躍ること、こんなにも心から笑えることがあるのだということを、私は彼らに教えてもらった。

 ライブが終わり、こんなにも好きでいられたことに幸せを感じられたのは、初めてだと思った。私にプレゼントをくれた彼らの為にも、私はこれからも頑張りたいと思う。苦しいときはまた、彼らの創る音楽に支えてもらいながら。

 最後に。ライブが行われた昨日、4月7日は、セカオワがファーストアルバムの“EARTH”を出してから、ちょうど9周年の日らしい。おめでとう、と心からお祝いしたい。彼らと同じ時代に生きられることを、私は心から誇りに思う。

 

 

 

生き残ったら、死にたくなった

 袖を通る風に、まだ少し寒さを覚える頃。季節の変わり目。目に映るのは、いつもと何ら変わりのない、ありふれた景色。脳裏に焼き付くような特別な記憶もこれと言ってないような、そんな日常が、一瞬にして、忘れられぬ日と化した。それが、あの日だった。

 

 8年前の今日、福島県いわき市に住んでいた当時10歳の私は、東日本大震災を経験した。

 帰りの会の時間に最初の地震が起き、姉弟と共に、祖父に連れられて家に帰宅した私はすぐに、ついていたテレビの画面に釘付けになった。

 波に運ばれる、瓦礫や人。同県の見慣れた町が、海に沈んでいるようにも見えた。非日常のようなその光景が、現実だということ。それを理解するのが、中々難しかった。なんて言ったらいいか分からず、言葉を失った。声に出せない言葉や感情が喉につっかえて、気持ち悪かった。

 自分が今抱いている感情さえも分からぬまま、時間だけが過ぎていった。

 

 震災の翌日から、私の家に、祖父母や叔母が集まり、狭い部屋でみんなで揃って寝食を共にした。

 これから、どうしようか?どうするべきなのか?そんなの、誰も分からなかった。食料もいつまで持つかわからないという状況下で、そんなのを考えられる余裕さえ無かった。 

 しかし、それからまた数日後。私達は遂に、今後の選択を迫られることになる。

 東日本大震災、福島、と聞いて、何かピント来るものは無いだろうか?

 そう、原発事故だ。それは震災から数日後に起こった。その事故により発生した放射能により、ガンや白血病になる恐れがある。特に子供にとって、それは良くないものだった。

 私は祖父母と母、姉弟と共に、知り合いのいる大阪へと避難した。

 

 大荷物を持った私達が被災者だということを、周りは何となく見て察したのだろう。大阪に行くと、駅などで腫れ物を見るような目で見られ、少し悔しかった。

 着いてすぐに、祖父のお兄さんの家で一緒に住まわせて貰った。その人は子供が好きでとても優しく接してくれ、USJ大阪城など、多くの観光地にも連れていってくれた。

 それはその人の素直な優しさだと分かっていながらも、私にはそれが少し心苦しかった。

 今は離れていても、自分達のいた福島、他の東北の人達は今もまだとても苦しい思いをしている。大切な人を亡くし、悲しみにくれている人もいる。それなのにどうして自分は、こんなにいい思いをしているのだろうか?

 それは、震災から1、2週間後くらいの事だと思う。その時私は震災後初めて、死にたいと思った。どうにかして償いたいような、そんな衝動に刈られた。

 思えばそれが、あの日以来初めて言葉にできた感情だった気がする。

 

 3.11。あれから8年がたっても、その数字を聞くと、あのときの事がどうしても脳裏をよぎる。きっとそれは、何年たっても変わらないだろう。変わらない方がいいんだと思う。忘れるべきではないだろうから。

 あれから4年後に、私は長野に引っ越し、福島から離れた。大阪に避難した、あのときと同じように。

 震災のニュースを見ると、やっぱりどうしても死にたくなる。でも、ちゃんと生きようと思う。犠牲者への償いは、生きることだと、その数が増える度に感じるから。

 

高専はくそ!

 気付けば、学校に行かなくなって、ニートになって... それからもう、5ヵ月程が過ぎていた。

 センター試験が終わってから少したったある日。もうずっと家にいるし、退学したつもりでいた私だったが、まだ退学届けを出していないということに気付いた。

 年度が変わる前に、出さなければ... 。そう思った私は一昨日退学届けをもらい、記入事項を書き、そして遂に今日、学生課に提出してきた。

 

 元々文系が得意で理系が苦手だった私。入るときは、めちゃくちゃ努力して入った。それなのに、やめるときは紙一枚でやめることができてしまう。薄い紙一枚を提出したあと、その事がふと頭に浮かび、なんだか切なくなった。

 学校行かなくなってからも、何かあったときはいつでも気軽に足を運ぶことができ、いることを許されていた、高専。しかしこれでもう、私は完全に部外者。自分がいてもいい場所が、なくなってしまった。

 居場所がないというか、なんというか。それを、寂しいというより、怖く感じる。

 

 やめたとはいえ、私は、高専が好きだった。今まで出会わなかったタイプの人間がここにはたくさんいて、その人たちと関わるのがとても楽しかった。

 流れに負けて入った部活も結局退学するまで続いたし、学生会もすぐやめちゃうと思っていたけど、同時期まで続いた。素直に、楽しかったからだけど

 素敵な人とも、いっぱい出会った。今まで関わってくれた全ての人に感謝したいと、心から思えるほど、私には色んな、大好きな人がいっぱいだ。

 こんなにも大好きな人たちで溢れているのに、どうしてやめないといけないんだろう?

 やめる理由は勿論あるのだが、本当はやめたくなかった。しかしやめないと、私はきっと壊れてしまう。

 やめたくないけど、どうしてもやめないといけない。それがなんか、悲しい。

 

 今までネタとして、「高専はくそ」「高専の闇」とか言ってきたが、そんなの、本当に思ってるわけがない。本当に思ってたら、言わないし。

 そういうことは在学者だから言えた、みたいなのもある。もうそんなことも言えないんだと思うと、なんというか、本当に色々な事が頭に浮かんできて、泣きたい。

 本当に泣きたいよ。だから最後にもう一度だけ言っとくか。

 高専はくそ!

 

 

17歳、サンタさんの正体を知る

 上は現在20、下は現在16の私達三姉弟。未だに全員、サンタさんの存在を信じていた訳である。この年齢になっても。

 昨日当然、私は、煙突そのまま抜けたらうちはストーブに繋がっているんだけどどこから来るのかな?などと気にしながらも、例年通りホットミルクとクッキーを用意して、弟と二人でサンタさんを待っていたのである。

 

 しかしその夜。私は3時間ほどお昼寝していたという事が影響し、全く眠れなかった。

 そして0:30頃。何やらクリスマスツリーのある一階が、少し騒がしい事に気が付いた。プレゼントは毎年、ツリーの下に置かれている。サンタさんだ!と、私は思った。

 地獄耳の私は日常から、一階で話している会話が二階の自分の部屋にいても8割ほど聞き取る事が出来る。特別耳を澄ませなくとも、一階の物音が聞こえてきた。

 何やら、ガサゴソと物を動かすような音。それは、いつもこの時間には聞こえない音。プレゼントを用意している音に違いない、と確信して、とてもわくわくした。

 しかし、少ししてその音が止まった後。直後に、誰かがトイレに入る音がして、私はショックを受けた。

 サンタさんは、他人の家で無断でトイレを借りるだろうか?そして、流す音が聞こえなかった。そこまでサンタさんは無礼じゃないと思い、親だと確信した。

 そしてスリッパを履いているようなあの足音と、トイレを流さないことから、その正体は恐らく父。プレゼントを置いたのも、恐らく父だろう。だってあんな直後にトイレに行ったなら、少なからずサンタさんを見て驚いていただろうが、その様子もなかったから。

 私が今までサンタさんの正体を疑ってならなかったのには、理由がある。それは、親は二人共早寝で、目覚ましもかけずに夜中に起きれないと思っていたから。しかしよく考えれば、父は度々トイレで夜中に起きる。トイレで起きたついでにプレゼントを置くなら、不自然ではない。むしろ、あまりに自然ではないか?

 

 朝起きると、用意したクッキーは二枚だったが、一枚減っていた。 しかしホットミルクは、あまり減っている様子が無かった。それは、毎年の事。

 しかしサンタさんの正体に疑念が生まれる今。よく考えると、それもそのはずだ。クッキーは恐らく、朝起きて母が食べたのだろう。父は違うが、母はクッキーが好きだから。しかし牛乳は二人共そんなに好きではない。減っていなくて、当たり前。

 私は17年間信じていたサンタさんの正体が親だと、確信してしまったのである。

 

 そんな私は、サンタさんがどこでプレゼントを購入したのかという推測をした。

 プレゼントの内容は、弟と私それぞれ、ヘアワックスと図書カード、腕時計と図書カードだ。

 まず図書カードは、中に平安堂の小さな広告が入っていた為、平安堂で購入したのだろう。次に、ヘアワックス。それは特に、ラッピングがされていなかった。恐らく、ウェルシアやマツキヨといった、薬局で購入したのだろう。最後に、腕時計。そのラッピング袋に、見覚えがあった。恐らくホームバザーという名の雑貨屋で購入したのだろう。

 そしてそれら、平安堂、薬局、雑貨屋が揃っている場所があったのだった。それは、上田のビッグあたり。あそこの敷地にはいろいろな店が存在しているが、それら三つも見事に揃っている。そしてここがスーパーの少ない村の為、週に一回、母は上田のビッグに買い出しに行くのである。

 毎週それなりに多くの量を買ってくる、母。その中に一度、こういうプレゼントが混ざっていても私達は気づかないだろう。

 ……こうして見事に、プレゼントの購入場所まで私は確信したのである。

 

 今まで17年間。周りに、小学生でもう既に信じなくなった子がいても、その存在をただただ信じていた私。まさかこの地獄耳のせいで、その状態を知ることになるとは、思ってもいなかった。

 誕生日には、両親が三千円くれていた。しかしサンタさんがくれる図書カードが、既に三千円。腕時計などを含めれば、更にお金がかかっているという事が分かる。どうして誕生日は、月のお小遣いよりもサンタさんよりも額が少ないのだろう?という疑問を、私は抱いていた。

 しかしクリスマスは、そこまでお金をかけてでも、親は私達子供に夢を持たせようとしてくれていたのではないか?と、今になって思う。

 サンタさんの正体を知ってしまった事もそうだが、そう配慮してくれていた親の優しさを裏切った気がして、それが何よりも悲しい。本当に、悲しい。

 現在海外にいる姉はまだ信じているだろうか?それは、分からない。しかしせめて、二つ下の弟にはまだ信じていてもらいたいし、信じさせてあげたい。あいつは早寝で耳も遠いし鈍感だから、よほどの事が無い限り、正体には気づかないだろう。

 だから大人になるまで、あいつには夢を持たせ続けてあげたい。

 私は弟に、「昨日、サンタさん来たタイミングに気付いちゃったかも!」と話しただけで、それ以上は何も言わなかった。あいつのキラキラした目を、私は忘れない。

 「来年も、一緒にホットミルクとクッキーを用意して待ってようね」

私はそう、弟に約束をした。あの無邪気な目の透き通る綺麗さが、何故か少し切なかった。

Painter

 三才までの切符を買うのなんて、合格発表後の物品購入で高専に行った中3の冬以来だった。あの日は雪が降っていて、とても寒かったのをよく覚えている。

 そして一昨日。僕はあの雪の日以来初めて、三才までの切符を買った。それは定期が切れて初めて、再び高専に行くということに等しかったのだ…。

 

 ゴンザレス伊藤、と友達が名付けた猫を探しながら歩く、歩き慣れた元通学路。メスかオスかは忘れたけれど、猫はいなかった。少し残念に思いながら、そういえば最後の方はあまり見なくなったのか、ということを思い出す。

 いつもより人が多く、賑やかな高専。門を抜けると、早速色んな知り合いの顔が目に入る。天文部、合唱同好会、学生会、工嶺祭広報係。色々なことをやっていた自分には、知り合いがかなり多かったと思う。つまりそれはその分、自分が急にいなくなったことで迷惑をかけた人が多いということを意味する。

 そしてそんな自分が、そういう人たちからどのように思われているのか…考えただけで、怖かった。ぞっとした。

 そんな思いの中、知り合いたちの横を通り過ぎるのは、本当に怖かった。しかし私は、何に関しても強がっていたい性質だから、一緒に歩く母にも、そういうのを全く気にしない素振りを見せた。

 

 着いてすぐ、担任との面談を終え、合唱の発表を見た。

 面談が長くて発表に五分遅れてしまい、二曲目の途中から聞いた。面談長いよ、と少し不満げに思いながらも、私の将来を真剣に考えてくれ、色々調べてくれていた担任の優しさがとても嬉しかった。そして何だか、少し安心した。

 合唱の発表では、自分がいたときとの完成度の違いや、演出の違いを見て、みんなの練習の成果がとても感じられた。

 また、セカオワのプレゼントという曲は、自分が指揮を振る予定でもあった事や、自分のパートを他のパートの男子が補助してくれていた事を思い、申し訳なさで胸がいっぱいになった。

 胸にこみあげてくるものが多すぎて、ずっと見ていると何だか涙が出そう。とてもじゃないけど、私は直視することができなかった。

 発表後、久々にみんなと会った。先程感じていた申し訳なさを引きずってはいたけれど、それよりも会えた嬉しさの方が大きかった。

 誰かが、

「まあでも一ヶ月しかたってないけどね」

と、言った。確かに、まだ部活をやめて一ヶ月しかたっていない。

 しかし、予定がいっぱいの人の一ヶ月と、毎日予定がほとんどない人の一ヶ月。私には、この一ヶ月が今までで、一番長く感じられた。

 “自由は孤独と半分ずつ”

セカオワのある曲の歌詞で、こういうフレーズが出てくる。その通りだった。何の肩書や枠にも囚われない、自由な身の上。生きやすくほっとするような生活での代償は、孤独。

 友達に会うのも、一ヶ月に数回。ネットで話すのと実際に会って話すのは違うし、毎日家族としか話さない。好きな友達になかなか会えないのは、寂しいし孤独感に襲われる。

 私にとっては、

「たかが一ヶ月が、こんなにも長かったよ」

と、泣きつきたいような気分だった。

 まあだからこそ、会えたのは嬉しかった。

 

 そのあとは天文部に行って、プラネタリウムを見てきた。

 受付の所にいたのが、後輩とかではなくて、話しやすい子で良かった。あまり気まずくならずに、

「久しぶり」

と、言ったら、驚きながらも

「久しぶり」

と、優しく返してくれた。嬉しかった。

 その時はちょうど上映中で、終わったら中から二年間クラスが同じだった友達と、仲良くしてくれた先輩が出てきた。嬉しかった。会いたいような人に、ちゃんと会えて。

 天文も一応副部長だったし、やめる時は申し訳なさでいっぱいだったが、LINEで友達が

「寂しいけどみんなで頑張るから気にしないでね。是非、後悔のない選択をしてね!」

と言ってくれていたので、申し訳なかったけど、本当に嬉しくて、その言葉に支えられていた。

 プラネタリウムは、目指していたエアドームで、綺麗な半球型。投影する星空も、プロセッシングで作ったみたいで、去年より明らかに完成度が上がっていた。流れ星も流れるようになっていて、それを見られて嬉しかった。

 プラネタリウムも、小さい頃は退屈であまり興味が無かったが、流れで天文部に入って自分達で作るうちに、大好きになった。これも何かの縁だったのかな、と今では思う。一年生から、一番長く続けた部活が、この部活だから。

 

 高専にいたのは、たった三時間ほど。その間に、色々な仲良くしてくれた人たちに会うことが出来て、嬉しかった。

 

 工嶺祭には、面談が予定されていたから来ることになったが、誰にも会わずに帰りたいとも思ったことが幾度となくあった。

 工嶺祭が終わると、もう本当にみんなに会う機会が無くなってしまう。

 昨日呼んでもらった合唱の打ち上げに参加している間も、私は楽しみながらも、心の底では震えていた。みんなと過ごせるこの楽しい時間も、明日からはまた一人の、孤独な時間へと戻ってしまう。ずっとこの時間が続けばいいのに、とさえ感じた。時間が流れるのが、怖かった。

 

 しかし、来て良かったな、と私は一人に戻った今、感じている。

 担任にせよ、部活の人達にせよ、友達にせよ…自分を応援してくれている人たちがたくさんいた。

 自分は、躓いたらすぐに体調も気持ちも崩れてしまう人間で、最近も、頑張り続けることが出来ていた勉強で、得意教科の勉強の仕方が分からなくて躓いて、頑張ることができなくなってしまていた。

 しかし、工嶺祭に来て、みんなと会ったことで、まだまだ頑張らないと、と心から思うことが出来た。

 応援してくれている人がいる限り、自分はいくら躓いたってまた立ち上がれる。そんな気がする。そう思えたのは、みんなに会えたから。

 それでも寂しいと思うのは、本当にいい友達や人に出会えて、私がその人たちに依存してしまっている部分があるからだと思う。それは寂しさを強めるが、それと同時に、そんな人たちにたくさん出会えた自分を幸せに感じる気持ちも強まる。

 

 普通に話すけど特別仲がいいわけではない、という後輩が、工嶺祭後に、

「また来年も来てくださいね」

と、わざわざLINEしてくれた。素直に、本当に嬉しかった。そして一人では工嶺祭は回りづらいが、来年は自分が案内してくれるとも言ってくれた。それは本当に嬉しいし、安心する。今年一緒に回ってくれた先輩も、ありがとう。

 だから、来年も行こうと思う。それまで何度躓いても、何回でも立ち上がって頑張り続けたい。

 

 そして来年の工嶺祭も、笑顔でみんなに会いたい。

 いい人たちに恵まれて幸せだと、改めてそう感じられた、忘れられない一日が、私の心に描かれた。そんな三年目の、工嶺祭。

スター

 1985年10月13日。33年前の今日、その日に、僕にとってのスターがこの世に生を預かった。

 SEKAI NO OWARIのボーカルの深瀬君、33歳のお誕生日おめでとうございます…!

 

 5年前。中1の美術の授業では、毎回必ず初めにクロッキーという、友達のとったポーズのデッサンなどを行っていた。時間は約5分。その為、その時間には毎回先生が好きな曲が流れていた。

 そんなある日だった。偶然選曲され、流れた一曲に私は今まで感じた事のないような感動を覚え、クロッキーなんか全く進まず、完全にその曲に心を奪われた。透き通るように美しく、でもどこか切ない歌声に、繊細なピアノの響き、そしてファンタジーな世界観の中に深い奥行きを持ったメロディーと歌詞…私はまさに、その曲に陶酔していた。

 もっとあの人の歌声を、あのグループの曲を聴きたい…!

そう強く思った私は、授業終了後。先生の所に急いだ。

 「すいません、さっきの曲って誰の、何て言う曲ですか?」

美術の授業に全く関係のない質問に、優しい先生は嫌な顔一つせず、快く答えてくれた。

「SEKAI NO OWARIっていうバンドの、眠り姫よ」

 今までネットで探してまで聴くほど好きな歌手がいなかった僕は、その日からセカオワの曲を貪るように聴き、クラスにセカオワ好きの友達が数人いた事も影響し、すっかりセカオワの虜となってしまった。

 これが、僕とセカオワとの出会いだった。

 

 セカオワの中でも特に好きになったのが、ボーカルの深瀬君。

 もちろんかわいらしいルックスも本当に大好きだが、それ以上に彼の書く詞が、とても心に響いた。

 ある時は戦争に対する意味について、またある時は死への恐怖や考え方について、またある時は、虫たちの命について…。

 色々な詞の中で謳われている、彼の弱者など、様々なものに対する優しさや思いやり、そして命や平和に対する深い思いに、強く心を惹かれた。

 そして今まで見てきた当たり前の光景にまで、深く事を読み、考える精神とその考え方にも、深い感銘を受けた。

 彼は私の中に新たな風を吹かせ、私の中に新たな世界をも作ってしまったかのように感じられた。

 その事は決して苦痛でなく、むしろとてもありがたく、嬉しい事だった。

 

 そんな彼を、私は今までずっと追いかけてばかりいた。大好きで憧れではあるけれど、私とはかけ離れた、決して交わる事のない存在。そう思っていた。

 しかし、出会って5年。僕には、それを変える出来事が起きたのであった。

 

 何度かブログでは扱っている内容だが、僕は最近を高専中退した。それに至る経緯や理由はいくつかあるが、その中の一つに、体調を崩したことが挙げられる。

 その当時僕は、本当に心から大切な人を亡くした直後でショックから生活や勉強、全てが手につかなくなり、その結果テストも最悪で授業に出る事さえ、学校へ行くことさえ億劫になった。しかしそうなると今後が危ういという不安は増えるばかり。

 僕は様々な事に対するショックや不安に押しつぶされ、軽い精神的な病気になったと言ってもいいような、それに等しいような状態となった。

 やりたいことは全てうまくいかず、自分の状態を人に理解してもらう事さえ難しく、僕はただ、出来るだけ部屋にこもって、毎日寝てばかりの生活を送っていた。

 そんな時には、何も分からない人からの同情や励ましの言葉は余計にきついものがあった。

 

 しかしそんな時に僕を助けてくれ、少しでも落ち着かせてくれたのは、セカオワの曲だった。

 銀河街の悪夢(歌詞→http://j-lyric.net/artist/a055790/l02fc09.html)や、白昼の夢(歌詞→http://j-lyric.net/artist/a053b33/l0205e8.html)は、特に共感をし、何度も何度も聴いた。

 実は深瀬君は生まれつき精神症状を患っていて、僕なんかよりもずっと重い病気で悩まされてきた。そして今も、それと闘っている。

 この2つの曲は、特に病気が重くて苦しんでいた時期に、深瀬君が書いたとされる詞の曲だった。

 いずれの曲も、詞のほとんどが病気と闘う様子や心境、苦しみについての内容だが、最後少しだけ希望を持とう、といった内容になっている。

 そういうどっちかというとマイナスな曲は余計聴いていて苦しくなるのではないか?と、思う人もいるかもしれない。

 しかし実際は、歌詞に強く共感し、僕は、自分のことを分かってくれる人がいる…!と、強い心の支えとして捉えることができた。

 

 そして、結果的に高専中退。結論は出したものの、不安だらけ。しかし深瀬君も偶然、同じように高校を中退している。その時僕は、ずっと追いかけてばかりいた、大好きで憧れという存在の深瀬君と、どこか交わり、繋がったようにさえ感じてしまった。

 そして、つらい事や不安なこともあるけれど、僕も大好きな深瀬君のように、どん底から努力して這い上がり、いつか誰かにとって輝かしい存在になりたいと思えた。

 大げさかもしれないが、僕は深瀬君に支えられて、より一層彼を好きになった。彼は、僕にとってのスターだ。

 

 体調を崩して、高専を中退し、僕の中で確実に何かが終わってしまった。しかしそこからいかに気持ちを切り替えて頑張れるかが、見せ場だと思う。

 「終わりから始めてみよう」

僕の大好きなバンドの名前の由来であるその言葉に自分を重ねて、僕はリスタートに向けて日々頑張りたい。つらいときは彼ら音楽を聞いて、励まされながら…。

 

 「Ah まだ見ぬ宝も僕ら二人で探しに行ったね

星が降る夜に船を出してさ

Ah このまま君がいなくなったらどうしよう

そんなこと思いながら君の寝顔を見ていたんだ」

 出会いの曲を聴きながら、この曲を作詞作曲した、僕の大好きなスターに思いをはせる。

 いつか星が降る夜に、僕も遭遇してみたいものでだ…なんてね笑

 CAN’T SLEEP FANTASY NIGHT

 僕にとって聖なる夜の今日は、きっと眠ることさえできない、素敵な夜になる事だろう。

 出会いに、誕生に、乾杯……!