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よく晴れた8月の朝に枯れたあの花のことを思い出して
リコーダーソナタ
リコーダーソナタ聴きながら活字を目で追っていたら頭がきつい帽子でもかぶってるかのように違和感がありそれは絶対ボスのブラックのせいだと思った、
人のせいにしちゃあかんよとコーヒーが言った。 またオレンジの蛇に噛まれたと通報があった
俺ん家のヒルが町民を襲ってそりゃ大惨事だった。
コーヒーは言った。 活字が読めないのは発達障害さ、と。 発達障害という言葉を覚えてから自分が発達障害だと思い込むガイジ増えましたね。と私はいうがコーヒーは聞く耳を持っていなかった。
紫陽花が死んでから、コーヒーと付き合って1ヶ月が経つ。俺らゲイカップルw キスだってセックスだって、付き合う前、そう、ひな祭りの時に2人で一緒に覚えたのよね。
「男一瞬ダチ一生」が座右の銘であった俺にとって、紫陽花が死んだあの日からピカピカの人生がひらけた(予測変換で今、平井堅って出た)。流しそうめんの装置のあの竹の部分ごしに俺たちは52回目のキスを交わしたんだっけか。あれは誰が見ても濃厚だったと言える。
しばらくしてムラムラした俺はコーヒーの首筋に接吻を…..
!?⁇⁈‼︎‼︎⁇
時間が一瞬で冷却されたみたいだった。 コーヒーの首筋にはヒルに噛まれた跡があった。おれはボロボロ泣いていた。コーヒー、コーヒーと喉に穴が空いたみたいに声がスースーすり抜けてるみたいな声を俺は出していた。
俺は泣いて泣いて泣いた。コーヒーはもう死んじゃっていた。聞く耳を持っていなかった以前に死んじゃっていた。悲しみ😿 俺の足元には涙の水たまりができていった。それは川になり、海になろうとしていた。どれくらい泣いたのかわからないが俺は泣くのをやめて空を見ていた。カラフルな鳥たちが黒いフンを落として鳴いていた。俺は飽きて俺が作った海を見た。水面には俺らしきものが映ってる。初めて己を見るのかもしれない。ん、?
オレンジ色の蛇が、俺が作った海に映っていた。 「これは、俺なのか」
しばらくして赤い光がチラチラと水面に映り込んだ。赤いサイレンの音が鋭く胸に突き刺さるみたいだ。俺は、俺は….
北朝鮮が核実験を強行したことに対し、国会で「抗議決議」が採択されました。その質疑のなかで取り沙汰されたのは、安倍総理大臣の「泊まり先」でした。それではこのへんで
終わりを見て
生活
怒りをぶつける先が 物しかないと気が付いた時、わたしは惨めだと思った。
私は怒りが発露することが滅多にない動物であった。つい最近までの話。
小学生の頃、生まれる前からきっと怒りの感情を与えられず生を受けたのだなと勝手に思い込んでいた。怒りという感情に鈍感すぎて一時期声を失ったことさえあったのに。
こう見えて言われたことはなんでも従っていた。成長の遅れを感じていたこともあり、みんなと足並みを揃えないとと焦りを感じていた。周りに認められるためには同じ土俵に立てないと意味がないなんて考えながら。そういう性格が長くは続かず、中学生の時に少々グレ始めた。言われたことをきっちりとキツいバドミントン部でこなしてはいたが、きつすぎるあまりヘコタレてわざと怪我をして部活動を見学ないし休んだり 用事があるといい寄り道をして、歩道橋から大通りを通る車の光の帯や、いそいそと公園に向かう小学生の群れ、すし詰めの電車を眺めたものだった。サボりぐせは高校まで引きずり、平日午前 珈琲店でミルクとガムシロップを二つずつとブレンドコーヒーを盆に乗せて二階のよく景色が見えるカウンター席で読書をしたり詩を書いたりした。そして私は従っていた性格から一変、反抗的な態度をとる動物になった。反抗心とは暴力的なもので、同時にわたしのなかのふつふつと燃える邪悪な何かを覚醒させた。怒りが生を受けた時期、怒ることにも慣れず、怒りを人にぶつけてもなと思い性格の悪いわたしは街路樹や他人の家の塀ブロッグを殴りつけたものだった。傷を見るとよく怒りやその時の匂いや記憶が鮮明に蘇るものでどうしようもなく落ち込む。冷静になったわたしは怒っていた自分に失望する。怒りはストレスの圧力とイコールだ。怒りを鎮める行為は、ガス抜きだ。自分を深く傷つけることでしかガス抜きができないくらい自分は不器用であった。それはとても不幸だ。周りを不幸にしてしまったことも少なからず四回程あった。数えきれないが。自分は傷ついていいと思っていたが、傷ついているわたしを見た人にも心の傷を負わせてしまった。自分を傷つける行為を控えるようになった今、近くにあるものを地面に叩きつける、足のつま先で地面を強く鳴らす。わたしの惨めな姿。誰にも見せることはない。
Lie
かつての私は目先の快楽を求めてただ猿のように行為をし、流されるがままによく嘘をついたものだ。
虚言が始まったのは幼稚園くらいの時からだ。完璧でないといけない、人に認めてもらわないと甘えることはできないし寂しい、誰かにずっと救いを求めていたのかもしれない。私がつく嘘は見破られていたのかそうでないのかはわからない。この間と言っても一年前の話だが、ある人が「お前って、よくしょうもない嘘つくよな」と言ってきたことがあった。その時は私は嘘なんかついていなくって、ずっと本当だよ、本当なんだよと必死になって言っていた。痛いところを突かれてのぼせた時みたいに頭がぼうっとしたのを覚えている。これがオオカミ少年の気持ちなのかと少し冷静になってみたりした。だがその日以降「しょうもない嘘」というワンフレーズが頭の中を何度も何度もリフレインしていた。あの時言った事実ももしかしたら嘘だったのだろうか。私は無意識に嘘をつくようになってしまったのだろうか。そんなことばかり考えて、とうとう私は人と話すときに自分のことをあまり話さないようになった。受け身が下手で、会話の切り返しがズレていて変になってしまうところが私にはある。そうして月日が流れていくうちに、話をする楽しさや話す意味を忘れていった。本当は自分のことを話すのが好きで、聞いてほしいし、受け入れてもらいたいという欲が強いタイプの人間なのだ。なのに、しょうもない虚言癖が壁となって私を塞ぎ込んで封印した。ストレスがかかるもので、独り言が増えたりもした。虚言をどうにか治したいと喋るときに意識するようにしたが、口から簡単に溢れてしまう場面がなくなることはない。意識し始めて2年の月日が経ち、今に至る。年上の人と話す機会が増えたり、インターネットでも様々な人との関わりが増えた。自分を大きく見せたいという欲がまだあるのかもしれないが、自分を偽ることは以前に比べて減ったというより、もうなくなった。ブログでも偽りなくこうして事実を述べるし、実際に人間と会話をする時も、受け身だけではなく自分の事実を語るようになった。事実を話すという行為は、様々な経験を経てできるということにも気付かされた。17才という年は私にとっては視野を広げることができた年だと思っている。嘘をついてまで自分を大きく見せるということすらできないくらい大きな出来事があったりと、自分が変わるきっかけがあったのだ。私は周りの人たち、環境に恵まれているということを実感した。私は私だけの力で生きていけるなんて思春期の頃は誰しも考えたことがあるだろう。だが、それが無理だと、人に支えられているんだよと気付いた時、私は少し大人になった気がした。