救急医療

救急施設に軽症患者が殺到していて、救急施設が機能しないという論調のニュース。
コンビニ受診」などと揶揄している。それはごく少数の非常識な人間ではないのか。
怪我や病気に営業時間など関係ない。
軽く見ていた病状が実は重篤な病気であって、診察が遅れて死に至った話も耳にする。
病院が患者を診て非常に軽かったとき、医師である彼らはなんと感じるんだろう。
「こんな症状で夜間救急を使わないでくれ」なんだろうか。
本来は「軽くて良かった」ではないのか。
先日娘が重病にかかって緊急入院した。
症状はただの風邪。数日熱が下がらなかったから地元の病院に行ったら「深刻な病気の疑いが強い。紹介状を書くからなるべく速やかに大病院に移動を」と言われた。
今ではすっかり元気になって後遺症も残らなかったが、それも早期発見してくれた地元の医師がいたからだ。
しかし症状はあくまでも風邪。
なんの病気かわからないから、不安だから病院に行くんじゃないのか。
それを「コンビニ受診」呼ばわりとは何事なんだろうか。

先日死ぬ事を禁止したどこかの国の村が話題になっていたが、この国はそれを笑えない。
「時間外には病気にならないで下さい。」
ということか。

セミナーや医療の番組では「早めの治療を」とか「症状が軽いからといって放っておくと大変な事になる」とかの発言も流していながらいざとなったらまるで反対の事を口にする。
医療業界は患者に何かを期待する場合ではなくて、診察時間まで含めた体制の見直しを真剣に議論すべきではないだろうか。

事が医療だけに何かバイアスがかかっているような気がするが、病気を犯罪、病院を警察に置き換えるとどうなるだろうか。

ふるさと

昨日の続き

家内は思ったほど疲労していない様子だった、あるいは彼女が気丈に振る舞っていただけなのかも知れない。

いずれにせよ、次女は重病で、家内は多大な負担を背負っている。

家内といろいろ話をした。ホテルを取れば良かったこと、動揺して冷静な判断が出来なくなっていること。
彼女は笑っていた。いつもの笑顔で陽気に笑っていた。


今日になって色々と気がついた。私も彼女も実家が近い。
私の母も(父は体調不良で伏せている)彼女の両親も、次女の見舞いに来てくれた。来てくれたのみならず、力を貸すから遠慮なぞするなと言ってくれる。
私は甘えることにした。彼女の負担を私だけで削ろうなどとは思い上がりだ。家内は時に私よりもタフだ。
私の実家までは車で10分。両親ともにリタイア組で、時間は自由だから気にするなと言う。


地元を選択して良かったとつくづく思った。
大学に進むときに私は全国の大学を調べ上げた結果、偶然地元の大学を選択し、そのまま地元に就職をした。
両親は「助かった」と冗談交じりに言っていたが、助かったのは今になって私だ。


最近最低6世代先まで渡せるような家が出来て、先祖とは、子孫とは何かを真剣に考えていた。
帰省する友人には全員に聞いている。
「なぜ故郷を離れたのか。あなたにとって故郷とは何か。今後故郷とどう向かい合うのか。」
明確な回答をする者は少ない。
私だってそうだ。故郷に残ると決めたのは偶然だ。しかし今になって強く、故郷を選んで正解だったと思っている。


それは今回の話ばかりではない。
いつだって心が折れそうになったときに笑い飛ばしてくれる友人の存在。
故郷では名の通った家のありがたさ。
生まれ育った気候風土。本音がスムーズに出てくる方言。
これらを捨てて、故郷を出なくて本当に良かったと私は思っている。


先日、卒業した大学で少し講話をした。
その時に学生から「地元に残るメリットは何ですか」と聞かれて
「私はこの土地の気候風土が実に体に馴染んでいるんです。だから私の話は参考になりませんね、すみません。」と答えた。
結局これだ。


体に馴染んでいるんだ。私にとって。
今回の6世代住宅も家内と夜を徹して話をした。
ここで良いのか。このプランでよいのか。この予算でよいのか。
結局二人にとって、この町は理想の土地だと言うことに気がついたんだ。


私たちは、今いるこの二人の娘と、まだ見ぬこの子等の子孫のために、この土地に家を造った。
翻ってそれが、次女の重病という大変な事態すら軽減してくれている。
なんということだ、故郷とは。こんなにありがたいものだったのか。
そして私一人の力なぞ、こんなに小さなものだったのかと。実感した。


家内はこんな状況ですら楽しんでいる。
私は何も出来ずにうろたえている。


しかしそれでも、私はこの家族を守っていくんだと強く思う。

家族の年の瀬

年の瀬に、今年もあと少しかと新年に向かって心新たにしようかというその時に、4歳になる次女が高熱で入院した。

4歳で、まだ天使から人間になりきっていない天真爛漫な娘は、親から離されて知らない白衣のおじさんおばさんに囲まれて恐怖していた。
彼女の言葉一つ一つが真剣に心に刺さる。「痛い」という娘の言葉がこんなに苦痛に響くとは。
そのまま緊急入院で、初日はろくに準備も出来ないまま家内が病院に泊まった。
翌日長女を連れて病院に戻ると家内は気丈にしながら疲れた様子がうかがえる。

検査設備が整っている病院に、ということで病院まで片道30分以上。往復では一時間。
疲れた家内にはきつかろう。「仮眠取っておいで」というも家内も娘が心配で気が気でない様子。
私も気を利かせておもちゃをたくさん持って行けば良かったものの、冷静に何か考えることが出来なくなっているのが自分でも解る。何も考えられない。

家内は長女を連れて身支度をしに一度家に戻った。

病に伏せる次女は、いじらしくて弱々しくて、いくら抱きしめても足りないほど愛おしかった。
「おかあさんにあいたい」「おうちにかえりたい」
「おかあさん、わたしにさよならしないで」
点滴のホースをつかみながら「これはずさないとかえれないの」
涙をこらえる術はいくらか身につけていたものの、同時に出てくる鼻水をこらえる術がない自分を知った。
端から見ると風邪引きのおっさんだったろうが、本人は必死だった。

そして家内が病室に入ってきたとき次女の感情が堰を切ってあふれ出た。
気がつけば三日、次女は殆ど何も食べられずにいる。かなり痩せてしまっていて、衰弱が見て取れる。
それでも母親に抱きしめられた彼女はみるみる元気になっていった。

感染予防で小児病棟には患者以外の児童が入れないため、長女は待合いで待っている。
長女はけなげに笑っている。おもちゃをいっぱい持ってきて、次女に渡してと小出しに出す。
そのたびに私は宅配便をする。そして次女はそのたびに元気を取り戻す。

その夜は家内の実家に長女を預け、私は自宅に戻ることにした。
考えれば寂しい年越しだ。今気が付いた。
帰り道、大きな神社の前を通って出店がたくさんあるのを見ながら、長女に「あれ、なんかお祭りだね」と口にして気がついた。今日は大晦日だった。

次女の病名は川崎病。主治医の判断が早かったおかげで、大病院で早期治療に当たれたのは幸いだが、まったく予断を許さない状況だ。

今娘を実家に預けて家に戻り、書斎でこれを書いている。

いろいろと自己嫌悪にはまっている。
娘を預けずに、意地でも二人で年を越せば良かった。
修理に出していたハンディカムも、さっさと取りに行っていれば良かった。
もっと病室にいて家内と次女とも話をすれば良かった。
近くにホテルでも取れば良かった。

冷静に判断すればまだいくらも良い策があるじゃないか。
こんな時に家長が取り乱して冷静になれずに大黒柱と呼べるのか。
いや、今回の件で大きく学んだ。俺はこの家族を、今よりもっと守っていく。

とりあえず次女と家内と長女。彼女たちの負担を全力で軽くしないと。
明日は早々に長女を迎えに行って、家内ともっと話をしないと。

古い友人と、思い出のクルマ

今日、旧友からふいにケータイが鳴った。
「今どこよ」と彼は問う。
彼とは古い付き合いで、昔は毎日のようにつるんでいた。
最近はお互いの生活時間がまったく違うためにあまり会えずに居たのだが
相変わらず私の心中ではいっしょにつるむダチのままだ。


「今仕事よ。どうした?」と私が返すと
「じゃぁ見せたいモンがあるから下りて来いよ」と彼。


楽しげな予感がして下りていくと
ほどなくして彼が綺麗な朱色の小さな旧いオープンカーに乗って現れた。
マルチェロ・ガンディーニの手による強烈なウェッジシェイプのミッドシップ
楽しげな予感が的中して心が躍った。


そのクルマは、私と彼の思い出のクルマ。
私はかつてそのクルマに恋焦がれ、なんとかやっと手に入れた。
当時のバイト代は全部そいつにつぎ込んだ。
しかしあまりにも低いその車体は長身の私の腰にはきつかった。
腰はだんだんひどくなって、長時間立っているのも出来なくなった。


乗れなくなった旧い愛車が、引き取り手も無く廃車されるのかと寂しく思っていたときに
彼が「俺に乗せてくれよ」と申し出てくれて、私は彼の自転車と交換した。


彼の背丈も私とほぼ同じであったのだが彼の腰はそれをものともしないで
彼はそのクルマを可愛がってくれた。


それから20年。


当時よりも程度の良い個体になんとも言えない感情がこみあげた。
嬉しいような、羨ましいような、悔しいような。
ボディもエンジンもミッションも電気系統も。全部当時の個体よりはるかに良くて
まるで20年間がそのクルマにとっては空白であるかのように感じた。


ほんのちょっとだけ走らせてもらって実感。
なにこの調子のいいエンジンは。


しかし彼は来週この街を出ると言う。
「またかよ。今度はどのくらい?」と私が聞くと
「今度は'移住'だからな。短かくはなさそうだ」と彼が応える。


いつもこうだ。


彼は強い自由を持っていて、そいつについてくる責任やリスクも笑って受け止める。
私も同じように自由でいるつもりだが、彼の自由さは別物だ。



またそのうちふらっと現れるだろ。
気長に待つとするか






(別ログより転載)

満天の星の下で

先日、俺の家が完成した。
4年にわたる計画の果てに、ようやっと。


ちょっとした仕掛けがあって、玄関を通らずに屋上に上がれるようになっている。


竣工のちょっと前の夜、工事を手伝ってくれた古くからの友人と、ふたりで屋上に上がった。


床に腰を下ろすと、全天空が見渡せる。


しばらく黙って星をながめた後、昔の話をどちらからともなくはじめた。
ガキの頃、たまり場で夜中まで色んな話をしたこと
悪さをしたこと、甘酸っぱい色恋話。
あっと言う間に時間は過ぎて、気がつけば夜中だった。


星以外何も見えないその場所で語るシチュエーションが
まるで20年前のたまり場のようだった。
誰からも邪魔されないでゆっくり馬鹿話を出来る場所。


二人して「ここが新しいたまり場だな」と笑った。


まだ引っ越して間もないために新しい家の中は散らかっていたので
「これが片付いたらあらためて、な」と言ってその夜は別れた。



その彼が急逝した。



昨晩サッカーの練習をしていて突然意識を失い、二度と戻らなかったと。


ゴツくてよく笑って機転の効く、いい男だった。
屋根の上で俺は彼に「お前に会えて俺は幸運だと思ってる。」と言った。
彼は笑って「’俺達は’だろ。」と言っていたのに。


まだ話し足りないんだ。
俺の大きな心の支えだったんだ。
当時俺よりずっとでかかった彼を、俺は心の中で兄のように慕っていた。
俺がでかくなってからもずっと、兄貴だったんだ。
電話で済む用事だって、わざわざ会いに行って直接話してたんだ。
俺たちのたまり場だって用意したんだ。
笑ってたじゃないか。来るって言ったじゃないか。
朝まで飲もうって約束したじゃないか。
じじぃになっても馬鹿話しようって言ったじゃないか。


頼むよ。
俺は屋根の上で待ってるから。


約束したじゃないか。





(別ログより転載)

駐車場

いつもより遅めに職場に着きいつもの駐車場(月極)に車を停めようとすると先客がいる。


はて。


月極に先客とはどういうことかと思い、とりあえず軽めにクラクションを鳴らし、おそらくちょっとだけのつもりで停めたであろう少しだけ迷惑な客人に移動を促した。
しかし反応がない。


外は雨。


とりあえずもう一度クラクションを鳴らすが反応がない。
さて困ったと車を降り、無礼な客人の車を観察する。
その白い車の中には封筒やカーグッズが乱雑に散らかっている。
車種から考えられるのは40代後半から50代前半程度だがこの雑然とした車内はどうだ。
父親の車を共有している若者だろうか。
若しくは子供と共有している父親だろうか。


考えていても埒があかないのでクラクションをもう一発。
やはり反応がない。
ひょっとして悪質な客人で、クラクションが届かない場所までいってるんだろうかと少し不安になる。
ラクションを短めにもう一発。
だめだ。


私の駐車スペースの横は車路になっていて、車を停められない。
しかしいつもそこに車を停めている少し困った福祉系の会社が駐車場の隣にあるので、ひょっとするとそこかなと思ってその会社の事務所を見てみると窓が開いている。
いくらなんでも窓が開いてこの距離でのクラクションは聞こえるだろうからどうやらこの会社の仕業ではない。
さあ本格的に困った。


近くのコインパークに停めても良いが癪に障る。
ここはひとつなんとか無礼な客人に文句の一つでも言ってやろうとしばらくうろうろするも何の反応もない。
とりあえず手当たり次第かなぁと思ってまずはその会社に入った。
「すみませーん、隣の白いクルマご存じないですかー?」




「あ、邪魔だってさ。動かして」




私は耳を疑った。居たのか?


そこで出てくる案の定50前後の白髪交じりの男。
今どかしますと気まずそうに脇を通り抜けようとするその男性に
「クラクション聞こえませんでした?」と聞いてみる。
「あぁすいません。今どかしますから」と男。
「私は聞こえたか聞こえなかったか聞いているんですよ。」
「あぁいえ向かいのクルマかと思って」と男。
「聞こえたんですね?」と私。
「聞こえましたすみません」と男。


この男の顔には見覚えがある。
2,3ヶ月前にも停めていた男とおそらく同じ。


こりゃちょっと言い聞かせないといかんと思い呼び止める。
私「なぜここに停めたんですか」
男「いやこの会社に用があって」
私「それは理由になりませんね」
男「いつもこのへんに停めていたので」
私「いつも私の車が停まっていますよね」
男「いや会社の人が」
私「会社の人が停めていいって言ったんですか?」
男「いや、あの」
私「会社の人が私の場所に停めろと言ったんですね?」
男「いや言ってません。すみません」
私「......」
男「......」
私「大人としてきちんとしましょうよ」
男「すみませんでした」


他人の場所と認識しながら停めたこと
ラクションを無視したこと
呼んだらすぐに出てきたものの、ごまかそうとしたこと
人に責任をなすろうとしたこと


どれもこれも間違ってる。
あなたはそんな姿を、胸を張って子供に見せられるのか。


胸が張れないようなことなら最初からするんじゃないよ。





 

あきらめない男

今日、愛車がパンクした。


ロックナットとホイールナットを外すがタイヤがびくともしない。
蹴っても引っ張っても頑として外れない。
こりゃ素人の手には負えないなと判断してロードサービスを呼んだ。


ほどなくしてふっとい腕を持ったやさしそうなおっさん到着。
おっさんがそのふっとい腕で猛烈に攻めるがやはりびくともしない。


だんだん日も暮れ辺りも暗く。


おっさんが「とりあえず空気入れて、スタンドまで自走させましょうか」と提案。
ナイスおっさん。


おっさんはエアを近くのスタンドから速攻借りてきた。
空気を入れるもなかなか圧が上がらない。
どうもリークが激しい。でもエアの圧が足りてないのかもしれない。


今度は私が「スタンドから出張修理してもらいましょうか」と提案。
おっさん再度スタンドへ。すぐに修理スタッフを連れて戻る。


スタッフが再度エアを注入。よく聞くと注入と同じ勢いでリークする音が聞こえる。
手持ちのLEDライトでタイヤを照らすと、なによバーストしてるじゃん。
スタッフも「こりゃ修理無理ですわ」と。そらそうだ。


三人に漂うお手上げムード。
私はもう諦めてレッカー呼ぶかとか考えてた。
そしたらスタッフがなにやら別のスタッフを電話で呼んでる。
直後に現れた軽トラ。勢いよく現れて通り過ぎかかってスキール音
ブイーーンとバックしてきてまたスキール。登場からハイテンション。
淀んでたムードが吹き飛ばされて少し気が楽に。


彼は再度ジャッキアップしてタイヤを観察。
「蹴っていいですか」と聞くので「既に蹴りまくってます。遠慮なくどうぞ」と返答。
彼はニヤリと笑ってドカンと蹴った。でもやっぱり動かない。
「さっきからびくともしないんですよ」と私。
彼はタイヤを眺めて何か思案している様子。


再度スタンプキック。ほんで両手でタイヤを抱いてぐっと引き寄せ。
それをものすごい勢いとリズムでやり始めた。
そしたら何度蹴った後だろうか、タイヤが少しずつ動き出した!
彼は足も手も止めずにピストン運動。もう汗だく。
蹴って、引いて、蹴って、引いて。


とうとうタイヤはがたんと外れた。


まいった。


ここに居る三人は諦めてたよ。
やるだけのこともやらずに次の事考えて。
彼は一人だけ諦めなかった。
私より10は若かろう彼は、息を切らせて「よかったですね」と笑う。
私が「兄さんむちゃくちゃカッコイイわ」て言ったら気持ちよく笑って「あざーす」。


思案していた彼は何を決意したんだろう。
いくら蹴ってもびくともしないタイヤを、彼はどうして蹴り続けられたんだろう。
どうして自分は蹴り続けなかったんだろう。


今日は彼から人生の大事な事を教えてもらった。


ありがとう。


(別のBLOGより転載)