自分を大切にする方法

一緒に探しませんか?

ありがとう、友達

あまりにたくさんの問題を引き起こしているために、夫との関係もかなりギクシャク( ;  ; )

 

ここ最近は

『上手くいかないことが続いて、とても辛いです。 消えてなくなりたい。 今日寝たら2度と目覚めませんように。朝心臓が止まっていますように。辛い明日に行かずに済みますように。 普通に生きるのがとても難しいです。』

なんてことを「死にたい」のネット検索で見つけた、カウンセラーさんが対応してくれる適当なチャットに衝動的に送るくらいにはキテます。笑笑

だいぶ疲れています。笑

 

こんな時でも、良いことをあげるとするなら

・親身になって、一緒に頭を悩ませ、仕事終わりに慰めに駆けつけてくれたお友達がいること

・こんな状態ではあるが、今のところ衣食住には困らなそうなこと

・ギリ健康なこと?

 

どれもありがたいことです。

特にお友達にお礼を。次の日仕事も早いのに、来てくれてありがとう。あなたの優しさは宝物だね。

こんなお友達がいることとても幸せです。自分のことのように考えてくれてありがとう。

 

夫へ

ガッカリさせて申し訳ない。でもこれが私だからごめんね。

 

 

身内にガッカリされることの辛さったらない。

自分で選んだ人だから尚更辛い。

 

今のところ何も解決できてないけど、ひとつずつどうにかしていくしかない。自分に無理をさせた代償がこんなに大きいとは。

上手くいくと思って、なるべく自分で自分を応援していく。

ごめんね、自分

さて、何から書けばいいのか。

最近また自分を責めまくって辛くなって死にたいのループに陥ってました。

でも、気が付いて抜け出してブログに戻ってきたから偉いし成長している!!!

自分、おつかれさま。ごめん!大切にしてあげられなくて!!!本当にごめんね。

 

更新頻度は少ないけれど、復活のヒントになるこのブログは細々続けていこう。

 

最後にセラピールーム・ソラの石原先生とお話したのは

2023年の5月

(結婚式の1週間後とかそれくらいに予約を入れていましたw一番ハッピーな時期じゃないのか?笑)

 

両家で改めてお食事しましょうという新郎側の有難い申し出に、自分の家族の対応が最低すぎて。。。夫とさっそく揉めて心がぐちゃぐちゃになっていました。機能不全家族ってほんとうに大変。ただみんなで食事しましょうってだけなのに上手くいかない。笑

そんな時に自分で立て直せなくてカウンセリングをお願いしたのが最後。

 

今もカウンセリングの予約を取ろうか迷っています。

でも予約を取る前に何とかドン底メンタルから3段くらい上がってこられたので、ブログを見返しに来ました。偉い。

一旦、最近の自分を振り返ろうと思います。

 

2019年の2月(なんと今から5年前!)に私は自分を生まれ変わらせると誓い、昨日までの自分は死んだことにして、0歳から人生を始めるつもりでスタートを切りました。

ということで今は5歳。じゃぁさ、たまに落ち込んでも失敗しても仕方ないよ。人生5年目なんて何にも分からないよ。これからまだまだ失敗するだろうけど、今までとは違う正しいやり直し方を少しずつ学んでいくんだよ。失敗してもいいよ。自分を愛そうと思ってやったことだって知っているよ。誰も知らないけど、私は知っているよ。頑張りたいと思ってその選択をしたこと知っているよ。間違っていなかったと思うよ。

 

2019年4月の自分

自分にダメだしするのがどんなに辛くて悲しいか 

心配事を数えるのがどんなに不安を煽るのか 

死にたい理由を頭に浮かべるのがどれだけ苦しいか 

疲弊した心に鞭打って頑張ることのどんなに可哀想なことか 

ぜんぶ ぜんぶ もう知ってる!もうたくさん! 

 そしてなにより、こんなことぜんぶ、辞めた!!! 

良いこと言ってるなぁ。

 

2020年12月の自分

どんなに考え方が変わっても

私の心の根本は、相変わらず傷つきやすくて優しいのだ

こんな大切なことを忘れてた( ;∀;)

ここ2年ほどめちゃくちゃ鞭打ってきました( ;∀;)だから仕事辞めたくなっちゃったのかなぁ( ;∀;)

 

結婚~現在まで、自分に目を向けてこなかったのかもしれません。だから今ドカッと不幸の波が来ている気がします。

吐きそう。

 

最近気が付いたことは、自分の心の声というか、本心が分からないってことです。

心の声がめちゃくちゃ小さいor黙っちゃっているタイプの自覚はありますが、何かを決めようとするときに困っています。

今起きているゴタゴタは、自分の心の声だと思って従った行動の結果ですが、実は無理させていた自分の心の声だったのではないかと思うのです。

よって今の自分にすべて不幸が降りかかっているというか。自業自得なんですけどまーじで辛い。

 

自分の心の声を聴こうとすると、家族がないがしろになってバランスがうまく取れません。

恐らく上手にできる方法があるだろうけど、私は習ってこなかったから知りません。涙

自分と家族の線引きが難しいのかも?

 

今までと違った方法で解決したいけどやり方が分かりません。

 

 

でも今日は何となく自分の心が見えたような気がする。一生懸命働くの嫌なんだよね。本当は興味ないことに、あるふりして取り組むのつらいよね。お金のためにやるの辛いよね。じゃぁ本当に好きなことって何?って聞かれても分からなくて困ってるよね。

こういうことに、今更気が付いてごめんね。事務職に戻してもらえばよかったね。辛いよね。ほんとうに。がんばったね。

花嫁の手紙 ~父親へ~

結婚式の感動ポイントといえば!花嫁が涙ながらに読む手紙を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?

残念ながら私には感謝の手紙を書きたくなるような両親はいないので。代わりにここで思いの丈を綴ります。

 

 

父親へ

 

こうして手紙を書くのは初めてですが、普段面と向かって言えないことも手紙なら伝えられると思い筆を執りました。

 

幼少期から学生時代までの家庭で過ごした時間を思い返すと、いつでも私にはあなたの怒鳴り声かイラついた態度、怒り顔が思い浮かびます。恐らく楽しい思い出もあったはずですが、何一つ浮かびません。何かする度に怒られ、何か言う度に怒鳴り返されていました。

私が初めてコロッケを作ったとき「パパも食べるの?」と聞いたら、「食べるにきまってるだろ!」とめちゃくちゃ怒鳴られました。子供の些細な言葉遣いの間違いが許せなかったのでしょうか。理由はいまだによく分かりませんが、初めての手作り料理に弾んでいた心はぶち壊しでした。

中学生の卒業遠足の前日、なんでか分からないけどものすごい怒鳴られました。「なんだその態度は」と言っていたような気がしています。はたから見れば怒り狂うあなたのほうがよっぽど酷い態度ではありますが、家庭内で起きたことなのでやはり力の強い者に従うしかありませんね。楽しみにしていた遠足は泣き腫らした目がひどく不細工で恥ずかしかった。

例をあげたらきりがない程こんなことばかりだったので、だんだんあなたの前で喋れなくなりました。黙れっていればイライラされるだけで済むけど、何か言えば怒鳴り声という暴力が待っていると知っているからです。どうせ嫌われているので、これ以上あなたにどう思われようとどうでもよかったです。

 

あなたから教わったことといえば、「お前は可愛くない。愛想がない。嫌な奴だな。お前は皆に変な子って言われている。そんなんだから嫌われているぞ。」ということでした。あなたがわざわざ「竹田家にも真下家にもお前は変な奴だって言われてるぞ」と教えてくれたので、自分は一体いままでどんな恥ずかしい振る舞いをしていたのだろう、楽しく過ごせていると思っていた時間は嘘だったのか、みんな隠れて私を嘲笑っていたのかと恐ろしくて集まりにも行けなくなりました。顔を出さなくなった私にあなたはさらに「行かないとますます変な子って言われるよ」と追い打ちをかけてくれたこともありましたね。

高校生くらいまではこれらの言葉を信じていましたが、今になってはこんなに酷い言葉を私に言ってきたのは後にも先にも世界中であなただけだったなと分かりました。

 

さて、私は中学生のときには「大学生になったらは絶対に家を出よう」と考えていたのでそれはもう必死に勉強しました。そしてなるべく家から遠い、寮に入れるような大学を推薦で選びました。この目論見はあっけなく否定されましたが。結果的には長い通学時間のおかげで、家にいる時間が短くなったので不幸中の幸いでした。

なるべく家にいなくて済むように、かつ、寂しくないように、休日遊んでくれるお友達をたくさん作りました。良い友達に恵まれたことも不幸中の幸いでした。

そして、この頃にやっと、家庭での私の評価と世間での私の評価がずいぶん違うことに気が付きました。私が心から好きだと思う人たちは、いつだって私自身を否定することはなく、むしろ認めてくれました。思うままに発言ができました。私がどんな態度でいようと怒鳴りつけてくる人もいません。これらは、今となってはいたって普通のことと思えますが、こう思えるようになるまでに何年もかかりました。自分の常識を変えていく作業を何度も繰り返しました。私が人生を楽しいかもしれないと思えるようになったのはごく最近の話です。

 

これを読んだからといって、私はあなたに謝罪されたいわけでもなく、後悔しろとも思っていません。今さら仲を深めようとも思っていません。

ではなぜ手紙を書いたのかといえば、あなたの周りにいる人があまりにも不憫だからです。これからもあなたと暮らすことになる人と犬は、あなたの怒りに振り回され続けるのが目に見えています。一度、自分の怒りと向き合ってください。

ここまで長くなりましたが、私が言いたかったのはこれだけです。「あなたの怒りは、あなた自身で解決してください。」

昨今ではアンガーマネジメントという手法もありますし、カウンセリングに頼るものいいかもしれません。恐らく一人で解決するのは難しいのでプロの力を借りてください。どうか、周りに当たり散らす以外の怒りの発散方法を見つけてください。きっとあなたも楽になります。

 

あなたの家族が今後私と同じような思いをしないことを願っています。

結婚するということ

年の瀬も迫ってきました。

振り返れば今年も怒涛の変化がありました。

 

まずは、結婚。

自分に訪れるなんて思ってもみなかったことです。

入籍を目前に控え、色々と準備が進んでいる状況ですが、、、正直にいうと結婚に良いイメージなんて微塵もありません。

両親の冷め切った仲と実家の殺伐とした関係性により、こう考えるようになったのも無理はない。その反面。温かな家庭にものすごい憧れがあります。もう執着・妄執とも言えるレベルです。

 

温かな家庭に憧れつつ

手に入るわけないよ(期待してダメだったときが怖い)と自分に言い聞かせてきました。

がっかりするくらいなら初めから求めないように。自分は一人で生きていくんだと心に固く誓っていた節があります。

今でも、ちょっとパートナーと上手くいかないことがあれば、一人でいるメリットばかりが浮かんできます。本当にこの人と、、、?なんて迷うこともしばしば。。。

 

どうしても 幸せから逃げたい自分 が悪いイメージばかり運んでくるのです。

 

どんなに周りに素敵な人がいようと 自分が自分を愛していなければ ずっと不幸なまま。

条件だけみれば私はとても恵まれています。それでも心が貧しければ満たされないんですよね。

 

ブランドバッグを持ったって、高級なディナーをしたって、パートナーに分かりやすく愛されたって、、、、

満足する瞬間がないんですよ。寂しさは残こります。

 

私が私を認めない限り ずっとこうです。

求めたい。そんな自分をなだめる。

久しぶりの投稿です。

 

春の香りがするこの時期になると

あぁセラピールーム・ソラに初めて行ってから、”自分を愛し 認め 幸せに生きよう”ともがきまくっていた頃を思い出します。

大嵐の中、なんの技術もない自分が良い船だけぽんと渡されて、なんとかこの嵐を抜けてやろうと奮闘する、そんな感じでした。

 

目的が ”生きよう” というものだったので頑張れた気がします。

 

「人生いつまで続くんだろう。長い辛い疲れたあと何日頑張ればいいの」

と思って生きるのとは全然違います(笑)

 

あれから3年経ちました。

だいぶ船の操縦も上手くなった気がします。

(がんばったなぁ~えらかったなぁ~おつかれさま。自分、ここまでありがとう。)

 

 

さて、新しい人生3年目の私はまだまだ分からないことも不慣れなこともたくさんあります。

しょうがないですよね。

人間はちょっとずつできていくものですから。

 

ここ最近は「相手にどう注意していいのか分からない。どこまで言っていいものか。そもそも価値観なんて人それぞれだし、言って喧嘩になるのも嫌だ。だいたい、相手の行動を注意するなんて自分の要求を押し付ける嫌なやつみたいじゃないか。」

 

みたいなことで悩んでいたんです。

 

今こうやって、落ち着いて記事を書いているとよく分かる

”他人を思い通りにしよう”としている心に。自分が本当に嫌だったこと(親にされてきたこと)をしっかり模倣しています。

 

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>相手の行動を注意するなんて自分の要求を押し付ける嫌なやつみたいじゃないか。

⇒その通り。私が親にされてきて嫌だったことです。自分でブレーキ掛けられてえらいね。程度にもよるけど、基本的にはその人の選択はその人のもの。それに、心配するほど自分に影響はでないものだよ。大丈夫だよ。自分に集中しよう。

 

>そもそも価値観なんて人それぞれだし、言って喧嘩になるのも嫌だ。

⇒そうだね。価値観なんて人それぞれって人と出会って学んできたよね。学びが生きているね。喧嘩を避けたいのは当たり前のことだよ。大事な人ならなおさらね。

でも、なんでも我慢する必要はないよ。喧嘩にならないような方法を試してみたらどうかな?

 

>相手にどう注意していいのか分からない。どこまで言っていいものか。

⇒今、注意しよと思っていることは、「相手が思い通りにならなくてイライラしてること」ではない?よく確認してね。

もしそうだとしたら、ごめんね、私はまだまだ自分を愛する余地があるみたい。人に要求する前に、自分で自分の願いを叶えてあげるよ。

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ここまで上手に整理できました。いい感じ。

 

他人に求めていることは

少なからず

自分が真っ先に叶えてあげるべきもの

である場合が多いように思います。

 

その場ではイライラしてしまいますが、幸せに生きると決めたのだから、イライラしてるなんて勿体ない!

少しずつでいいから、相手を認めよう。それ以上に自分を認めてあげよう。

振り返り・オンラインで石川先生に会った日

先月、久しぶりにお世話になりました。

 

結論から書くと、私、まだまだ自分を大切にする余地があります。

 

昔と比べたらとんでもなく自分を愛せるようにはなったけど

あくまでそれは過去比であって

自分自身が求めているレベルかというと、そうではなかった。

 

そんな感じでした。

 

今回、インナーチャイルドに会わせてもらいました。

幼稚園の制服を着た小さな私は、表情が硬く、喜びも悲しみも感じられない、まるで子供らしくない様子でした。

この感覚は身に覚えがあって。

いつからか忘れましたが自分にずっと言い聞かせてきた

「私は何も感じていない、だから他人の言動に傷ついたりしない、本心は絶対に明かさない、なにもかも感じない」

これらが具現化されたようでした。

 

 

無理なこと言うなぁ、、、(:_;)

 

 

これの後遺症みたいなものか

いまだに、自分の感情を他人事のように見ていることがあります。

喜びも悲しみも ぼんやり しているんです。

 

私はこんな風に自分を守らないと生きてこられなかったのかと思うとほんとーに悔しいです。ごめんね。もっと早く気がついて、自分をたくさん大切にしていたら、今はもっと幸せだったのかもしれない。

過去を悔やんでも仕方ないのは分かっているけど悔しい!!!

でも、頑張ってきた自分に心からありがとう。

もっともっと自分を愛すると誓います。こんな寂しい思いを大切な自分にさせたくないですよね。

 

 

石川先生には前回悩んでいた「怒り」について相談しました。

怒りの根本は「もっと愛して」ということ

そして「怒り」も「悲しみ」も元を辿れば同じだということを教わりました。

 

さて、誰に愛されればいいのか。

それは、もちろん自分にです。

 

私が怒る理由は自分が蔑ろにされたように感じて悲しいから

だと思っていましたが

それは少し間違っていて

愛が足りないと泣いているのは、誰のせいでもなく自分のせいでした。

他人にどう扱われようがどうでもいい くらいに自分に優しくするべきでした。

 

私が自分を愛したりなかったせいで危うく人に求めるところでした。。。

これをすると人間関係は破綻してしまう。。。。。

でも最近、これを大切な人にぶつけてしまった。。。

 

人を傷つける自分が怖いです。

 

 

 

ごめんね。まだまだ未熟な私だけど。

今の自分にできる限りでやっているよ。少しずつ変わっていこう。

 

もっと話を聞いてほしい と泣いていた 小さな私

ごめんね。ほんとそうだよね。一度聞いてくれなかったら、もう次も怖くて言い出せなくなるよね。それを自分で自分にやってしまったから、心の声もどんどん小さくなったよね。

窮屈な思いをさせました。ごめんね。

 

自分の心が美しいこと忘れないでね。

怒れない自分について

私って、怒れないんです。

 

人に話すと

「えー?!それ怒っていいことだよ!!」

なんて言われることもシバシバ。

 

怒れない代わりに、自分の中にため込んで具合が悪くなっていますw

自分かわいそうw

 

 

でも怒りは二次感情で、怒りの陰には本当の気持ちが隠れているって言いますよね。

確かにそうだなと思うのです。

怒りを感じるときって大抵の場合、自分が蔑ろにされたように思うときです。

そしてそれがとっても悲しい。

 

 

私はいつも悲しみを感じた時に怒りたくなるようです。

ここまで頭で理解しているのですが、まぁこの処理が上手くいってないのでしょうね。笑

 

好きな人に自分の傷つくことをされてガッカリした。

嫌なことを伝えたと思ったのに、全然伝わっていなくて虚しい、寂しい、悲しい。

信頼したい人に傷つけられたと思うと心の底からガッカリだ。残念だ。

一番の味方でいてほしい人なのに、後ろから切り付けられたような、裏切られたような気持ち。

 

 

 

でも

一番の味方でいてほしいっていうのは自分のわがままで

相手がそう在りたいかは別ですよね。

自分が勝手に期待した結果ですね。期待を裏切られたからと言って怒るのはなんだか違うなぁと思うのです。

 

 

私の父親は、いわゆる瞬間湯沸かし器でして。

もー突然キレて物にあたり、大きな声で人を威圧して、怒りをぶちまけて、場の空気を最悪にする天才でした。

年を取ったら丸くなるっていうのは嘘です。物心ついたころからずーーーーっと彼は怒り続けている。

 

そんなモデルケースが近くにいたものだから

私にとって怒りを表すことは、幼稚で、ずるくて、恐怖で人を縛る、心の底から恥ずかしい行為です。

絶対にあんなふうになりたくないです。

だから、私は、一律で怒れません。

怒りはどんなことも解決しないと20年以上かけて観察してきて知っています。

 

 

 

愛する人にはいつだって温かい気持ちを伝えたい。

これは私のプライドです。大切なものを当たり前に大切にしたい。

そして優しい自分に誇りを持ちたい。

今まで自分の優しさはコンプレックスでした。自分ばかり傷ついているようで。でもそうじゃなくて、誇りたいです。優しい自分を。

 

優しい、人の気持ちの分かる自分が大好きです。でも辛いなら、守ってあげないとね。