歩みを続けること、それが大事なのだ。

このブログはtwitter開始以前からあるものですが、
一般に公開はしておりませんでした。
特に書くべき内容も無かったからというのもあります。

記録を残す作業をしよう

人には優先順位というものがあり、仕事の勉強も、
それ以外の勉強も、プライベートの時間もあるわけであって。


その中でブログをやる時間は無いだろうと考えていたが、
おそらくこのままだと永遠に時間は無いだろうと思った、
どこでも時間を無理矢理捻出して、勉強したことなり、考えた事を書き起こすべきと考えた。


仕事でもそうなのだが、頭の中でもやもやしたものは、もやもやしながら空中分解する。
まずは書き出しをして整理するべきであり、
その書き出し作業を通じて次に繋がる考えを紡ぐ記録を作っていこうと考えたのだ。

書くべき内容について

実は特に決めていないが皆と同じ事を書いても仕方が無いので、
まずは日本の住宅の話とか公的サービスをいかに使い倒して住民税を回収するか。
その辺をやってみようかなと。あとはその時のフィーリングで他にやるかも。

書くべき内容について・住宅政策

コアとしたい問題の一つである。

日本には「社会住宅」という概念が存在しない。
売れもしない高層マンションの過剰供給の裏で公共住宅に殺到する人々がいる。

なぜだろうか。なぜこんなことになってしまっているのだろうか。

日本社会全体の所得が下がる中で、住宅は聖域足り得ない。
住宅版ユニクロが必要だ。過剰性能である100年住宅を買える人はそう多くないのだ。

書くべき内容について・公的サービスをいかに使い倒して住民税を回収するか

日本では、自分に恩恵をもたらす公的サービスは向こうから働きかけてこない。
そこを注意すべきであり、私なりにあれこれ調べていったことを書いていこうと思う。

漂流する住宅政策

切符

景気が悪化し、派遣をがんがん切る動きは止まらない。

彼らが直面するのは、金銭的問題ももちろんだが、寮を追われることにより、解雇→ホームレス化というルートに直行する危険を孕むものだ。はてなには格差社会や、貧困や、労働の問題を憂う記事が沢山あるけど、住宅に関する記事はあっても、賃貸と持ち家の比較ばかりだ。


衣食住は全ての基本です


衣食住足りて礼節を知る。という諺がある。

おいしいご飯を食べて、暖かい服を着て、暖かい布団で寝る。これを保障しない国家に何の存在価値があるのだろう。


「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」

日本国憲法第25条第一項 生存権


記憶が正しければ、中学校でやった内容だ。もっとも、プログラム規定説とかあって、その辺は専門家に譲るわけだけど。


日本の住宅政策はどうなっているのだろうか。


日本の住宅政策は終焉を迎えた。


これが遥の思う所。実は、住生活基本法案というのが新たな日本の住宅政策の主力を担いつつある。


どんな内容かというと、戦後直後の法案というのは、焼け野原からの復興に向け、多くの国民に優良な住宅を国の施策で提供していくのが目的だった。でも日本はまもなく人口減少社会を迎える。生めよ増やせよの時代は終わりつつある。
そこで、今のままではいけない、という理由で、出てきた法案だ。

中古の住宅を活用し、ストック重視の住宅政策を展開する。何世代も住める住宅にする。一人あたりの豊かな住宅のクォリティーを追求する。その為に、国の支援(例えば住宅ローンの減税とか、地方自治体の援護策とか)を推進していこう。量から質への転換を図る。

住宅基本法によって大きく変わること

その1.公営住宅の建設は、以前より少なくなるだろう(遥推定ではほとんど無くなると思う)

理由
住宅金融公庫や都市整備公団と言った、戦後の住宅政策に大きな寄与をはたしてきた組織は、
将来的に廃止されることは、今日までの「改革」で決定されているため。

以前は、住宅建設五ヵ年計画という計画があり、
公共住宅の設置に対する戸数目標が存在した。


だが、住宅基本法では公共住宅供給に関する目標設定は消滅した。
住宅基本法によれば、各自治体の裁量で建設を続けることは可能だが、
負債が増えることを良く思わない自治体でこれら廉価な住宅の供給を期待するのは難しいだろう。

これが大きく変わることの一つ。

小さな政府を目指す中で、住宅に関しても、官から民への委譲が始まっている。
民(=企業)にできることは民に、と言った首相がいたが、
住宅に関しても、これからは民主導で動いていくということだろう。



その2.オーバースペック住宅が沢山増える

住宅基本法に従い新たに策定された「住生活基本計画」

概要はhttp://www.mlit.go.jp/kisha/kisha06/07/070915_.htmlで見てねって話だけど。
とりあえず、まとめる。基本はストック重視・市場重視・福祉重視・街づくり調和重視

後半二つはよくわからんので省略する。ストック重視と市場重視。
これがおそらく、住宅基本法に基づくの大きな柱だ。


その1、良質な住宅ストックの形成及び将来世代への承継
その2、良好な居住環境の形成
その3、国民の多様な居住ニーズが適切に実現される住宅市場の環境整備
その4、住宅の確保に特に配慮を要する者の居住の安定の確保


その4以外の所は具体的数値目標でびっしりだ。何十年も住めて、災害にも強くて、しっかりした住宅性能の書かれた住宅。


それはそれは凄い立派な住宅なんだろうなぁ。と思う。で?いくらなのかな?と遥的には聞いてみたい。質ってのは、質は高いけど高価なんじゃねーのかと。誰が買うの?(200年安心住宅とか、100年安心年金プラン並の安っぽさを禁じえない)大体、これからもまた市場に任せるとか言ってるけどさ…。30年ローン組んで、毎日働いて、そして掴まされた家は数年でぼろぼろ。で、新200年住宅とか言っている始末でしょ。


どう考えても「市場の失敗」じゃないの?


今度はあれだな、防火住宅です!!と言って防火材に似て非なるもので家作ったり、
やっぱり、耐震偽装で、あっという間に家がおじゃんになったり、
省エネルギーとかいいつつ、作る部材の方が省エネじゃなかったりして、やっぱり売ったもんがち、売ってしまえばこっちのもん。


みたいないつかの構図が繰り広げられるのだろうか。


そんな不良住宅つかんで一生金払うなら公共住宅で住み続けるのもいいかもな。
都内の公営住宅は倍率が数十倍に跳ね上がってるけどね。



不動産屋は所得が毎年下方修正続ける国民に、
どうやって家を売りつけるか一生懸命考えた方がいいかもね。

所得と持ち家比率は比例してるけど、所得はこれから平均としては下に向かうと思うから。

住宅は民の力に任せるには余りにも「重要すぎる」問題ではないだろうか?


敷金礼金無し、賃料滞納、即強制退去住宅がありましたね、ニュースで。

これぞ民の力(笑)
家をブルドーザーで破壊して高速道路作る中国並の快挙。

公営住宅はなかなか人を追い出せないけど、民間は余裕でこれをやってのける、
おまけに居住者の荷物まで捨ててしまうクォリティ。


やっぱり民の力ってすごいや!!!!!!(笑)

民にできることは、民に!!

もうね、遥思うに、「商売向けの住宅」と人が最低限必要とする「生活基盤としての住宅」は分離すべきではないのかね。
何でもかんでも市場に委ねるのは危惧を覚える。買いたければ汐留のマンションでも買ってればいい。買いたければ立派な家に住めばいい。でも、そうではない選択肢も用意するべきだ。


因みに、欧米諸国の住宅政策の変遷を本で漁ったが、貧困者向け、低所得者向けの住宅は市場原理では供給されにくいことが過去50年の歴史により証明されている。理由は簡単だ、あなたが人に貸して収入を得るための家を建てた、定期的に収入の入る人、不定期で収入の低い人、どちらに家を貸したいか?


ということだ。市場は市場原理で動いている。上の結果は、当然過ぎる。

そうなると、民の力(笑)では低所得層向けの住宅の供給が難しい事になる。
でも、国の方針は前述の通りで、公営住宅の建設目標は消滅し、既存公営住宅の低所得層も市場化に伴い、近隣賃貸料金に近い価格まで負担を強いられる可能性がある。(なんかニュースであったよね、そんなの)


遥は思ったね、これから、きっと低所得者層は(政策上は)この世界から一層されるんじゃないか?って。

持ち家率の高い社会=豊かな社会だろうか?


ウサギ小屋なんて揶揄されるけど日本の持ち家率は高い。それが生活水準の高さを示すと言う人もいる。だが、経済的豊かさと持ち家率というのは必ずしも比例するものではない。


持ち家中心の社会は、公共住宅及び、借家が非常に貧弱である場合が多い。借家は仮の住まいであり、将来的には持ち家に住む。という事を前提に社会が組み立てられている。日本の住宅は賃貸が非常に貧弱であり、将来は持ち家にせざるを得ない状況が現実としてはある。

持ち家事態の面積は、欧米と肩を並べるが、賃貸に関する面積は欧米に遠く及ばない。もちろん、それは、各国の地理的状況にも依存するわけだけど、それにしても賃貸は狭い。


率直に申し上げて、今後の日本で住宅のスクラップアンドビルドを実現するのは無理な様に思える。住宅の着工も落ち込んでいるが、そもそも、そんな高価な家を購入できる層が限られているにもかかわらず、国民全体の所得はこの10年で下がったからだ。(富裕層除く)

大きな政策的な誘導がない限り、今後もこの傾向は続くだろう。政策からこぼれる人達はどうするのだろう。あまり、そういう想定がこの国の政策にはない。

市場主義に任せれば貧困者向けの住宅は供給されない。その理由は、儲けが少ないからだ。簡単なことだ。



ほんとどうすんのかね、この無策っぷり。
まー自分がつけ払わない様に願うわ。



他の人の住宅に関する諸政策への考えも聞いてみたい。
所詮ただのリーマンではこれが限界。

羅針盤の針の指す道

切符

休日は日頃の詰まっている物事の処理に充てられていった。

金曜日が少々飲み過ぎた様に思う。謎の韓国人と会話していた。残念ながら英語での意志疎通は大変過ぎて参った。
日々精進と言った所だろう。


しかし、大変な時代に生まれたと。思うこの頃。友人と話をしながら思った。
彼は彼で何か抱えている様だった。僕には詳しい事はわからない。今度遊びに行く約束だけして、部屋に戻った。


そういえば、ウィルコム携帯を解約してきた、思ったより使わなかったからだ。浮いた月額利用料金で、何をするか考えてた。前から検討してた、ビジネス誌を定期購読するべきだろうと思って、携帯を解約した秋津の本屋でありったけ六冊くらい買ってきた。


でもどうも、ぴんとこない。


数あるビジネス雑誌の一つ、ダイヤモンド社発行の週刊ダイヤモンドの今週の特集は「日本人の給料大公開」。だった。うちの会社は同業種内で下から数えた方が早くて、わかってはいたけどしょんぼりした。悪く言えば月並み、よくいえば普通の立ち位置の様だ。

確かな繁栄

夕闇の急行で帰路に着く。

日常は続いていく。


週末が近づく。
今週も終わり。

涼しい季節になった。

このまま冬まであっという間だろう。


そよ風は常に吹きすさぶ。仕組みを作れば楽なもの。


ある程度の努力は必須だが。なんでも工夫だなとは思う。


あとはひたすら未来へ貯金するのみ。


強いて言うならもっと強力な枠組みを編成するくらいだ。

そういう意味では考え事は多いとも言える。


今の住居をでる前にやっとかなきゃいけないこともありそうだ。

時間の存在

夕暮れの通準で帰路につく


なんと新しい携帯には、ベル打ち機能がついてましたとさ。素晴らしい。

かなり久々の機能なので、使い慣れてないけど、きちんと使いこなせれば今のもっさりなこの携帯でもそこそこ打てるかなとは思う。
予測変換が重いから全く使ってないけど。

つかベルうちだと、句読点がどう打つのわからない。説明書を読もう。かなと思う。


で。


だいぶ涼しくなってきた季節この頃。凄まじい勢いで四季が変遷する。時間に押し流される中で、ぼっとしているのは良くないなと思う。

未来に布石を打ちつつ、今を謳歌するのは我が儘だろうか。

日常螺旋

夕暮れの快速で帰路につく。


アイ酢
という広告が山手線に貼ってあった。

うまいのあれ?




1日の通勤時間は三時間が関東圏の許容範囲の様だ。



海の見える景色の暇つぶし

そういえば辞めた福田首相にそろそろ何か言っておくか。

部長か誰かが私の一票には力が無いと言っていたのを思い出した。
その通りだな。と思う。

私たちの一票には力がないのだ。
何故か。簡単な事だ。
人数が少ないから選挙で勝てないんだ。

だから上の世代に対抗するのは難しい。

増してや古き時代の同じ様な価値観で統一された彼らと、価値観が多様化された我らで勝てるわけがない。老人優位の政策は当面続くと私は推測している。

そら私も選挙がばからしくなりますわ。


でも間違えなく言えるのは、今の政治が悪いのは国民のせいです。
権利の上の胡座をかき奢侈に溺れる者は誰も保護しません。
むしろそういう輩を量産するのが日本の義務教育の成果だったのかも知れないが。

故にもっとも政治に無関心でその上に数も少ない若者が政治から庇護される訳がないんだな。

と再認識する戯言を書いた。

とかく若年層としては自分を率先して下へと追い込もうとする政党に票を入れない事。もしくは対抗馬に票を投じる事がせめてもの抵抗か。

砂時計

夕暮れの快速で帰路に着く。
悩みは沢山あるが当座、最大の不満として長い通勤時間はどうにかしたいと思う。会社ついたらびしょ濡れってなんなんだぜ。
仕事は特に大きなストレス負荷もなく流れていく。

良い傾向だと思う。

諸問題には有力な友人の手も借り見通しは明るい。


そんな中、余剰時間の割り振りにあれこれ考えを張り巡らす。

万人に等しく与えられた手札の中で、最適な方法を工夫し見つけていこう。