圧倒的ものわすれと、過眠。

昨日なにをここに何を書いたかを、翌日朝にはすでに忘れているという鳥頭。
書いたことは覚えていましたが、なにを書いたかはすっかりさっぱり忘却。
うーむ、困った困った。
さっき読み返して「あ、こんなこと書いてたか」とようやく思い出す始末。

なお、ブログ以外にも、調べたこととか、
思いついてノートやメモに書いたこともあっという間に忘れてしまいます。
やっぱり脳がなまっているのかな。

身体を動かさないとなまるように、頭や心もなまるのかもしれませんね。

あと、昨日に引き続き、睡眠量は半端じゃありません。
15時間ぐらい寝た気がします。
で、昨日ネットでブログ作りのことを調べまくっていた結果、
脳が情報量を処理しきれなくなったのか、
二日酔いみたいになって半ばうなされていました。

ネットの見すぎ、こわい。

やたら寝てしまうことについては、
長年のうつで疲れ果てた脳が、休息を欲しているのかもしれませんが、
こればっかりは素人考えではわかりません。
ただ、何時間寝ていようが、可能な限り規則正しい生活にして、
日の当たる時間に起き、日の沈んだ時間に寝るという生活にしたほうがよいでしょう。

この記事を書いているのが3時半という時点で、かなりダメな感ありますが。

まあ、おいおい頑張ります。

健常者へのリハビリ

なぜかわかりませんが、うつがおさまってきました。
いいことです。めでたい。
では、うつがなくなった今の生活はどうなのか。

クズです。

ひたすらたくさん寝て、適当にコンビニ飯食べて、ネット見て、デレミリいじって……。

クズです。

上記の生活、うつだったころは「それしかできなかった。そうするしかなかった」ものであります。
苦しいですから、楽なこと、できることしかできなかったわけです。

が、いまはうつがなくなりました。
であれば、即座にバリバリ動けるかというと……そうでもない。
うつ時代の生活習慣は、うつが消えてもそのまま残っておりました。

そうか、怪我した運動選手も、怪我さえ治れば即座に試合復帰とはいかないものな。
怪我を治したうえで、なまった身体を元の水準まで鍛え直さないといけないんだもんな。

どうやら、長年の「うつに適応した暮らし」から、
「健常者としての暮らし」に切り替えていかないといかんようです。

うーむ、うつさえ治れば解決というわけではないのだなあ。

ここからが、次のステージ。新しい頑張りどころか。

この2年間俺はいったいなにをやっていたのか。

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

さて、ブログを見ていただければわかるとおり、
昨年末はひどい鬱状態だったわけだが、
その理由のひとつが「一年を振り返っても何も思い出せない」というものであった。

一年を振り返ればひとつかふたつは有意義な記憶が思い出されるのが普通であろうが、
どれだけ振り返ってもさっぱり思い出せない、思いつかない。
結果、「俺、この一年いったいなにをやっていたのだろう……」と
鬱々とした気分で年を越す羽目となった。

いやしかし、そうは言っても何かあるだろう。

2015年を諦めきれない私は、過去の記録を読み返すことにした。
業務日誌兼闘病記録兼日記帳のようなノートを継続して書いているので、
読み返せば当時の心境がわかる資料は山のようにある。

というわけで、2014年中頃からの記録を読み始めたのだが……。

あかん、当時の自分と今の自分、考えていることがいっしょだ。
考えていることが一緒ということはつまり、成長していないということだ。
同じ課題をずーっと克服できないで2年経ったということか……。
とはいえ、最近は鬱が少し良くなったため、
行動することを増やせるようになり、やや前進しているとは思うのだが。

あと、もういっこ問題かもしれないと思っているのは、
ノートの読み返しが予想以上に時間がかかるということであった。
ノートと手帳の読み返しで1月が終わってしまうかもしれない。
さすがにそれはマヌケすぎる。
まだ未読の記録の中には紙もの以外にテキストデータもあるんだぞ。
それに、このままだと2014年と2015年に何をしていたか、
という問の結論が「闘病、あがいていた」で終わりそうでもある。
そうだったら……つらいなー。

まぁ、工夫してみますよ。

起きて→畳んで→陽を浴びろ

今日も今日とて鬱である。

眠剤の調整をして早寝早起きにしようとしているのだが、

早く起きる

「鬱」「なにもやりたくねぇ……」というクズ思考に負けて布団の中へ。
(寝ぼけて布団の中にいるぶんには鬱が襲ってこないので快適なのだ)

今度こそはと起きる

やることの多さと煩雑さに混乱し、再び鬱とやる気の無さと眠気に負けて布団へ

繰り返し

次第にこれ以上はさすがに寝ることができなくなる。

布団の中にまで鬱がやってくる

布団の中で悶え苦しむ。

というパターンでだいたい一日が終わる。

救いがない。

が、自分で自分を救わねばどうにもならない。

なので、

起きる

布団を畳んで部屋を整える

そのまま外出して朝日を浴びる。歩く。

という風にしてしまったほうがいいのではなかろうか。

朝はいきなり5キロとか歩く必要はない。散歩でいい。
クズ思考、ゴミ習慣につかまらないようにするのが目的だから。

 

ちなみに今日は、夜まで鬱クズ思考習慣につかまっていたが、
眠剤を飲んだことで気持ちが楽になり、
友だちとの用件をひとつ済ませ、洗濯もした。

完全に無為な一日にならなくて済んでよかった。
昨日も書いたけど、やればできるんだよ。なかなかやれないというだけで。
この「なかなかやれない」をやっつけるのが、目標だ。

ほんともう、少しずつでいいから、頑張ろう。
このまま泡のように消えてしまえるならいいけど、そうはいかないからね。
貧困障害者として生きるのも自殺するのもどっちも苦労しかないぞ。
頑張ろう、頑張ろう、頑張ろう。
クズにはなりたくない。
自責しすぎるのは逆効果だが、自分が誇りを持てる自分でありたい。

やれば(たいていのことはそれなりに)できる。

死にたい。

毎度毎度、ブログでは殊勝なことを書いているけれど、
ぜんぜん実行できてないじゃない!

行動。行動がすべてなんだよ。

何を言ったか、何を思ったか、何を書いたかではなくて、
何をしたかがすべてなんだよ。

死にたい。

が、どうせ死ねないし死なないだろうから、
どうやったらよりよく生きられるかを考えよう。

まずは、生活を正すことだろうな。
前にこのブログで「ルーティンができた」と書いたが
けっきょく日々の習慣化には至っていない。
鬱だの眠気だの怠惰だのに負けてしまうのだ。

情けない……。

自分を責めて否定してもなにもいいことがないので、
そちらに考えを向けるのはやめよう。

生活を改善し、自助本をよく読む。
これくらいしか思いつかないな。

なお、「自分がおもしろくない」問題は一朝一夕で解決する問題じゃないと思う。
以前はもっと面白かったと思うんだけどなぁ……どうなっちゃったんだろう俺は。
鬱なうえにつまらないとかもう取り柄がないぞ。

ともかく、できることをやるしかない。
今日の外出やその準備も、嫌で嫌でしょうがなかったが、やればできた。
そう、やればたいていのことはそれなりにできるのだ。
そういう風にできているのだ。

だから、やればできる。
たいていのことは、それなりにできる。

あとは、一歩一歩、徐々に徐々に。

頑張るしかない。

一日一日を。

 

頼む、明日の自分よ。

頑張ってくれ。

昨日の俺は今日の俺に期待して、今日の俺はそれを裏切った。

頼む、明日の俺よ……。

毎日寝てるか鬱っているか。

15時ごろ起床。二度寝三度寝をくりかえしこの時間。
まぁ、20時起床の日も多い中では、マシかもしれない。
で、鬱。
仕事納めの今日もリハビリ施設に行けなかった。
それどころか、今年最後の通院も鬱が強くて行きたくなかったので、
通院日を翌日、翌々日の火曜水曜にずらしてもらおうと電話したら
「今年の診察は今日までです」とのこと。
そりゃそーだ。今日明日が世間一般の仕事納めだものなあ。
しかたないので、頑張って通院。

あいも変わらず鬱なうえ、
ここ一ヶ月くらいは睡眠時間が異常に長くなってしまったため、
鬱の薬を変えてもらい、睡眠薬は自分で調整するということになった。
薬を手で割って半錠にして飲むのだ。

帰宅して銭湯にいこうかと思ったが、鬱に負けて寝る。負けっぱなしだ。
風呂に入らず年を越すのはなんとか避けたいが、どうなるかまだわからない。

8時15分、宅急便からの電話で起きる。
起きたら鬱が軽減されていた。
だからといって、寝てばかりで生きているわけにもいかないが。

宅急便の荷物は、親戚からのお米や手紙など。
ありがたい……ありがたい……。

ほぼ日の糸井さん×増田セバスチャンさん対談を読む。
面白い。が、オープン数日でここに行った糸井さんのフットワークたるや。
やっぱりアンテナ力すげえ。
俺も糸井さんみたいになりたかった。
なれないどころかますます状況は悪くなりつつ、年の瀬。

 

ここで話を〆てしまうと辛気臭いことこの上ないので
明日こそは、頑張りたいです。
先送り、先送りには限界がある。
もっとわくわくしたいんだ。充実したいんだ。命を燃やしたいんだ。
死んだ目をして鬱に脳を乗っ取られて生きるなんて生きる甲斐がない。
そのためには、昨日も書いたけど、怪我や病気のリハビリと同じく、
ただ寝ているだけではダメで、努力とか根性とか「意志」が必要なのかもしれない。

ふやけきって弱り切った意志を鍛えねば……鍛えねば……。ぐああ。

まずは、

「起きろ! 布団たため!」
「今日、一日の区切りで生きよ」

毎日ブログを書いていることも、意志を鍛える一環になっていればいいのだけど。

早寝早起きを目指すも一日寝こむ。

12月26日は寝ついたのが明け方、起きたのが21時ごろという
ひどい有様だったので、早寝早起きを目指して日付が変わる前に寝た。

が、今度は早く起きすぎてしまい、二度寝
そうしたら、今度は寝すぎてしまい、おまけに鬱発動。
布団の中で21時過ぎまで寝たり起きたり、夢みたり鬱で呻いたりを繰り返す。

こういう時どうすればいいか、本当はわかっている。

「起きろ! 布団たため!」

これで事態は好転する。

が、わかっていても、なかなかできないんだなあ。

「なかなかできないんだなあじゃねえよ、やるんだよ。やれよ」と叱られそうだが、
意思薄弱なうえに鬱からの攻撃をうけながらやりとげるのはなかなか大変だ。

いや、わかっている。いいわけをしても損をするのは自分だと。
このままいいわけしつづけて、何も為さぬままでいたら、
あっという間に老いぼれてしまうだろう。
それはいやだ。

現に、2015年は本当に何も為さぬまま、無為に終わった。
ここまで一年を無為に過ごせるものかと驚きを禁じ得ないほど無為であった。

が、無為を嘆いてもしかたない。もう過ぎ去ったことなのだ。
或る人も言っている「今が良ければ過去は良い経験や思い出になる」と。

「今日、一日の区切りで生きよ」
カーネギーのこの言葉を何度も何度もかみしめて。

そして、
「起きろ! 布団たため!」
という、簡単そうで困難なことも、リハビリの一環だと思って。
鬱に限らず、いろんな病気や怪我において、リハビリとはつらいものなのだ。
しかし、「改善の手段」であるリハビリがあるだけ、まだマシではないか。
改善の手段すらなくなすすべないというのにくらべれば、ずっといい。

がんばろう。
まだ終わりたくない。