ジョージアの「秘境」?メスティアはこんなところだった!その②
みなさんガマルジョバ
[「復讐の塔」と言われているけど本当か??]
乳搾り失敗で終わった初日から一夜明け、メスティア滞在二日目は周辺の
散策をするついでにChalaad Glacierチャラード氷河渓谷を見に行くことにしました。
と、その前に...
スヴァネティ地方のシンボル的存在の「塔」に関して少しお伝えしようと思います。
本当にこれらの塔が「復讐の塔」と呼ばれているのか不明なのでカッコを付けます。
ある日本の旅行サイトには塔に関して以下のような記述がありました👇
『9世紀頃スワネティ地方で始まった「血の掟」とは、自分の家族が殺されたり危害を受けた場合相手の一族に復讐できるという、やや血腥いもの。お互いの復讐の連鎖から身を守る場を確保するために、ウシュグリ近辺の村では家族毎に塔が建てられる事になりました。』
うーん....これが本当だとしたら自分にとってはめちゃくちゃ興味深い歴史だけど、
未だモヤモヤは解消されません。
しかし塔があるのに家族で英語がまともに喋れるひとがいません!
様々なジェスチャーでおじいちゃんに尋ねても埒が明かないため、堪り兼ねたのか
本棚から立派なメスティアの写真集を持ってきてくれました。
そこを読むと....👇
おいおいおいっ!
どこにも「血の掟」だの「一族への復讐」なんてことは書かれてないじゃないか!
時代も違うし、「見張り塔、望楼」として使用されていたと書かれています。
また上のスヴァネチ地方での文化や歴史、トレッキングに関する英語ページにも
塔に関しての記述がありました。要約すると「何か村を襲うような脅威が来た際には、塔から狼煙を上げたり、銃声で村全体に緊急を知らせる」という様に書かれています。
他の日本人旅ブログでは塔に関して旅行サイトと同じような説明が見られましたが、
どこから入手した情報なのか、その情報を精査したのかどうか問い質したいほど
疑問が残ります。
[氷河へ!]
さてこの日の目的は氷河渓谷へのトレッキング。
メスティアは既に標高が高い位置にありますが、周辺特にロシア国境間には3000m~5000m級の山々が連ね、夏季には世界中からトレッカーが集まってきます。
長野上高地の吊尾根に似ている山へ伸びる一本道を川ぞいにひたすら歩いていきます。
すると後ろから何台もの大型トラックがやってきます。
砂埃にまみれながら一体何の工事か建設をしているのだろうと思っていると、
ここの壮大な景色に似つかわしくない工事現場が見えてきました....
工事が村の端だけでなくトレッキングで進む同方向まで続いているように見え、
トラックだけでなくTOYOTAや三菱のピックアップトラックもぞろぞろと走っていきます。
ほう.......それならヒッチハイクが出来るかも、と楽チンしてしまおうと
考えた我々は道端に立っているとあっさりトラックに乗せてもらうことができました。
運転手はギリシャ人の監督職に就いているというオジさん。
一体何故ジョージアの山奥でこんな大規模な工事をしているのか尋ねると、
ロシア国境にある山脈から流れ出る川を利用し水力発電所の建設をしているとのこと。
Mestiachala HPP (Hydro Power Plant) 1&2 | Synergy
世界遺産に認定されても、開発と経済、カネの名の下に美しい自然が掘り返され景観が害されてるのを間近に見て、もうメスティアは「秘境」とは呼べないでしょう ...
結局このオジさんには氷河への登山口まで乗せてもらいました。
緑がまぶしい森の中を歩くこと30分、見えてきました谷間へ流れ込んでくるような氷河が!
足を進めドンドン近づいてきます。
ここまでそれほど多くのトレッカーには会いませんでしたが、
解け水が流れ出る氷河の切れ目の前でかなりの人が休憩などしていました。
上の写真はガレ場に見えますが、既に氷河の上にいます。
石を退けると下のように氷河がすぐ顔を出します。
そのため地面よりも足場が不安定なため、斜面は力を入れると表面だが滑り危険なため慎重に登ります。
安定した場所に腰を下ろし、コンロでお湯を沸かそうと、
持ってきた水をコッヘルに入れようとした時、自分はふと思ってしまいました。
氷河の解け水でコーヒー入れればいいじゃないか!!!!
こんな星野道夫のエッセイでしか想像したことがないことを実現できるなど
なんて自分は幸福かと、まさにここに感極まれりです。
早速、流れ出る解け水を周辺で探しコッヘルに注ぎ、ゴーゴーと火に掛けます。
朝食に食べきれなかったジョージアのコロッケとパンで昼食です。
背後には迫り来る氷河、足元にも石の隙間から氷河が光り、空は雲が流れるような速さで流れています。おかげで谷間全体が陰っていたと思ったら、突然陽光で一面が照らされ、遠くに見える山肌を覆う芝生や木々の緑が眩しいほどです。
太陽が山の向こう側に傾きかけて寒くなってきたためそろそろ撤収します。
氷河は遥か昔、降り積もった雪が何千何万年もかけて少しづつ大地の上を動き、
いずれは解け出し川となり、果ては海まで流れ出ます。自分は一体何年間分の
氷河の上を歩いたのか....そんなことを想いながら降りていきます。
途中、ウクライナ人若夫婦と旅情報について立ち話したり徐々に来た岩場と森を抜けていきます。
森の向こうから工事のトラックやガリガリと地面を掘る音が聞こえてくると、
残念な気分になってしまいますが、とにかく村へ戻ります...
家に戻るとここの肝っ玉母ちゃんたちが牛肉煮込みスープなど夕飯を用意して
待っていてくれました。
早速いただきます!
おじいちゃんは外作業から帰ってくるやすぐ「おうおうおうおうお前さんたち戻ったか」という感じでチャチャをお酌してくれます。
お酒と夕飯でお腹を満たした後、外に出てみると「吊尾根」に見える山々は
雲で隠れていました。
日が落ちても子豚たちは元気に足元を駆け回っていました....
ジョージアの「秘境」?メスティアはこんなところだった!その①
ガマルジョバ!(ジョージア語でこんにちは)
因みに友人など近しい関係にある人同士だと、ガマルジョス!
バスを乗り継ぎひたすら東へ東へ....
[国境へ トルコ→ジョージア]
そして着いた国境は旅行者カー、長距離バスや大型物流トラック、乗り合いミニバス、果ては物売りのリヤカーまでもがごった返し、まさに芋を洗う混雑!
ジョージア人と同じラインに並びますが、困ったのがトルコ側のパスポート検査官のおっさん。英語全くダメ、トルコ語オンリーなのに質問はたくさんある様子...ジェスチャーされてもこちらが良く理解できないため、向こうはしぶしぶ通過させざるを得なくなりハンコだけでスルー....
ジョージアサイドでは特に問題なく無事入国完了!
[馴染めなかった街 カジノのバトゥミ]
トルコとの国境の街、ジョージアはバトゥミ。ジョージアでほぼ唯一の輸出入用の港であり、ウクライナのオデッサ間でフェリー運航もされています。
この街、ジョージアで唯一合法的にカジノ等のギャンブルが認められている場所で、
ロシアやトルコからの観光客がそれを目当てに大勢やってきます。
古くからの歴史はありますが、ビーチ沿岸部のみがなんちゃってラスベガス第三世界風
になっており妙な雰囲気に馴染めませんでした。
[メスティアへ!]
バトゥミから次なる経由地はジョージア第二の都市クタイシ。
アンオフィシャルな乗り合いタクシーで2時間半休憩なしでひたすら田舎道を爆走してました。時速150kmだろうが一車線で対向車が来ようが牛が寝ていようが、
ガンガン追い越しして先を急ぎたいのがジョージアの運転手。
その運転の怖さたるや疲れていても眠気なんてものは全く来ませんでした(*_*)
このバスターミナルは、中心地から少し離れた南西に位置する場所(MaCdonald'sの裏)にありジョージアの各地へ乗り合いミニバスを出しているため旅人にとっては要所です。
位置がはっきり分からなくても「クタイシマクドナルドブステルミナル!」とはっきり言えばローカルは分かってくれるはずです。
クタイシで数日過ごした我々は、ここからメスティアに再出発です。
チケット窓口は上の写真のLas Vegas入り口にありました。料金は一人40ラリ(約1,200円)で5,6時間の道のりなので安いと考えるべきでしょう。
ローカルと欧州バックパッカー勢と我々アジアンを乗せて出発です。
動物が悠々と歩き、奥には山脈が現れてくるといかにもコーカサスな風景
に喜びを溢れて仕方がありませんが、村々には旧ソ連時代の廃工場や廃アパート、
不明な廃墟と化した巨大な建物が見えてくると何とも言えない気分にもなります。
目的地のメスティアはジョージアの北西部に位置するスヴァネティと呼ばれる地方の奥にある村です。このスヴァネティに点在する村々にある教会や古い家屋と自然が織りなす文化的景観は1996年に世界遺産に登録されています。
休憩含め6時間かけ田舎と山道を爆走して着いたのは村の中心部。
そして驚いたのは、中心部の道路や建物の整備のレベルの高さです。完璧なまでに
道は石畳が綺麗にされ、ホテルも外装はヨーロピアンスタンダード、Restaurant&Barも軒を連ね秘境感全く無し!笑
ともあれ事前に調べていた日本人ブログに多く登場するホームステイ型宿「ナジの家」
を目指します。「ナジ?ナジ?あっち?」と村人に聞きながら路地に入り込んでいくと
我々を見つけた子供らが「ナジ!ナジ!ナジ!」と叫んできます。
どうやらこのデカイしかも「復讐の塔」付きの家がそうらしい...
ていうか看板も何も付けないんかい!
ここの宿のナジさんはおばあちゃんの名前です。
村の中心部にあるツーリストInfo.隣で雑貨屋を営んでおり、トレッキングの帰りや
朝バス乗る前に立ち寄って挨拶すると毎回もれなくアイスクリームを頂けました!
外では大豚と小豚10数匹が走り回り、子供達も居間をドタドタと駆けながら遊ぶ
大家族!おじいちゃんはいつでも自家製チャチャ(蒸留酒)で大歓迎!
ローカル家族と超ディープなメスティア滞在1日目は夜の乳搾りをしてから
終わりました。というかせっかく満タンだったバケツを最後に牛が蹴とばして溢れて強制的に終了(爆)
それではヅィリ ネビサ!おやすみなさい!
トルコ・カッパドキアで洞窟ハウスに六泊したよ!
メルハバ!
トルコはまだまだ暑いです!
中央や東部、南部の地中海沿岸はなおのこと暑さが続いているようです。
ところで旅先で友達になったトルクメニスタン人は「今あなたの国どれくらい暑いの?」
というのに対し、「うーん50度はあるかなーフフフ」と軽く答えていました。
ほう....50度かね ...汗
ちなみに中央アジアウズベキスタンでは夏に吹き荒れる熱風のことを「チッタ」
というそうです。イスラエルでは「ハムシーン」と言い、説明するより
体験してもらった方が早い!と言いたくなるほどです。
あれはそうオーブンを開けた瞬間に出てくる熱気が風となり砂漠に生けるすべての
ものを乾燥させてしまうような....
それはそうと本題に入ります。
【トルコの夜行バスはスペックが高い!】
イスタンブールでトルコの雰囲気をたっぷり取り込んだ後、目的地に
したのは中央トルコのカッパドキアです。
イスタンブールからカッパドキアへは長距離なので夜行バスでも12時間はかかりました。そして驚いたのがバスのスペックの高さ!
TVスクリーンは飛行機のそれより何倍も鮮明!
(海外映画もドラマもすべてトルコ語だけど!)
チャイ、ジュース、水のサービス有り!
朝にはスプレーで車内の空気をリフレッシュ!
サブ運転手が起床してきたのを計らって空気をリフレッシュ 快適な目覚め!o(^▽^)o
【洞窟部屋はすごく良かった!】
カッパドキアと言っても、その名前の村や街があるわけでなく、
ギョレメやネヴェシェヒルといった幾つかの地方都市で構成されてできた広い
地域のことを指します。その中に奇岩群や崖に洞窟群、渓谷、キリスト教古期の修道院や教会などが散らばっています。
さて、イスタンブール出発から12時間後に着いたのは、カッパドキア中心にある地方都市Nevsehirネヴェシェヒル。
我々はここで隣接するNarナール村というところでホストしてくれる方の家に向かいましたが、そこの家がなんと洞窟を改装した家でした!
中央がホスト宅
絨毯が好きでもうたまりません!
上のようにナール村全体は奇岩の丘の上に建てられたようなもの。
古い家も新しい家も古代の洞窟と合体し、ある洞窟や家畜小屋になり、車庫になり、部屋になったりと使い方は用途に合わせてあるようでした。
古代遺跡と現代の住居ごっちゃになったなんとも不思議な村!
ホスト曰くこういった古代の洞窟は誰でも勝手に使ったり、改修したりすることが可能というわけではなくしっかりとした手続きや申請が必要とのことでした。
オイオイオイ....格好良すぎるだろがっ!!!
洞窟の部屋の中は常に空気がヒンヤリとし、気温が一番高くなる時間帯でも
決して熱くなることはありませんでした。
放射冷却のおかげで夜はちょっと寒いくらいです。
なんだかローマ時代の富豪になった気分(笑)
ここナール村自体は小さなもので村の中心地にはモスク、パン屋、肉屋、理髪店、雑貨屋、服屋がそれぞれ一軒か二軒ほどしかなく、あとは歩道に並べられた椅子におじさん、おじさんそしてまたおじさん....が一日中座っては世間話をしたり、バックギャモンに興じています。
とにかくのんびりした場所だな〜
Kasapとは精肉屋 この干し肉詰めがスパイス強烈で美味いのなんの♥
結局ここの洞窟ハウスには六泊もお世話になってしまいました。
【カッパドキア郊外の穴場スポット ナール湖】
ネヴェシェヒル中心街からバスで南へ40分程行くと地下都市で有名な
Derinkuyuデリンクユという小さな町があります。
さらにそこからほぼ真西へ15kmほど離れた場所にNarl Golナール湖というクレーターのようなすり鉢状になった地形に湖があります。
ここへはミニバス等がないので、タクシーを使うかヒッチハイクがいいでしょう。
着いてみると何やらパンパンパーンと音が対岸から響いています。
何だろうと思っていると、銃声でした。
後になってトルコ人に教えてもらいましたが、田舎では大体みな少なくとも一丁は
銃を家に持っているらしく暇な時、誰かの結婚祝い、サッカー代表が勝利した時など
銃を撃ったりするらしいのです。
とりあえず、流れ弾が飛んでこなくて良かったです汗
それにしてもここは美しい場所!
さしずめ奇石群と違い観光場所ではないためツアーバスも来ないし、ローカルしか訪れず静かなところです(銃乱射が無ければ)。
牛飼いが放牧もしていた
岩にも観光スポットにも飽きてきたら、ちょっと郊外へ足を伸ばし
中央トルコの大自然を満喫するのも良いでしょうo(^▽^)o
【なかなか良かった気球体験!】
トルコカッパドキアと聞いたらイメージしやすいのが、
早朝の気球体験でしょう。
ツアーなどに申し込んだりすると一人100ユーロ前後するのですが、
街でヒッチハイクをしていたらたまたま通りがかったおっさんが
65ユーロで手配してくれるというので申し込んでみました。
現地に住む人も安くても80ユーロはするけど、65なら恐らく最安値だろうということで
した。
あちこちで気球を準備!
飛行時間はどれも大体1時間ちょっと。
徐々に高度を上げていき、朝日を眺めたり奇岩群に接近してみたりなど
しながら出発場所とは全く違う場所に着陸。
周りの乗客を見渡すとロシア人と中国人。中国人だけが乗る中華航空と書かれた気球もあったりしました。
4年前から日本人が来なくなって以降、彼らが主要なお客さんのようです。
この日の夜、我々は夜行バスで黒海沿岸の街トラブゾンへ向かい、
その後グルジアへ向かいました。
Goremeギョレメの遺跡群と街
高スペックの夜行バスを再び
ターバンをそのままアイマスクにして寝ます(-_-)zzz
多くの現地人との出会い、素晴らしい大自然をありがとう。
次回はコーカサス三国の一つ、ジョージアの「秘境」に関して書きたいと思います!
それではデュレデュレー
イスタンブール 6/18 - 6/21 モスク編
メルハバ!
ところでトルコのカッパドキア滞在中に、2年前にトルコ・日本友好125年の記念として公開された邦画「海難 1890」を観ました。
人命救助に携わるものとしてエルトゥールル号の話はトルコの消防署では絶対らしいです。
エルトゥールル号とテヘラン邦人救出劇の話をすると知らなかったため驚く人も
いれば、非常に嬉しがって話をしてくれる人もいました。
さて前回はイスタンブールの街角について、今回はモスク!
モスクいきますよ!飽きるくらい写真も載せます笑
イスタンブールに来たなら訪れないわけにはいかない場所....
中学時代に資料集で見た時から夢見ていた場所....
ジャーミー!(トルコ語)
モスク!(英語)
マスジッド!(アラビア語)
ミスガッド!(ヘブライ語)
清真寺!(中国語)
金角湾対岸から望むイスタンブール
市街地にも郊外にもモスクは至る場所に有り、ミナレット(尖塔)が目立ちます。
因みにかつてはミナレットに人が登り肉声でアザーンを言い礼拝の呼びかけをしていたとのことですが、今日は全てスピーカーです。
しかし現代トルコ社会では流すのはアザーンだけに限りません。
その地域の誰かが亡くなったらそのお知らせは全国レベルで、村などでは納税義務の周知、駐禁車の移動指示、落し物の連絡なども放送するとのことです!
うーむ宗教的な意味だけでなく、市町村の皆様へのお知らせ的な役目もあったとは
知りもしませんでした。モスクのことがさらに好きになりそうです...( ̄^ ̄)ゞ
フェリーでガラタ橋へ進むと左方面の丘の上にデーンと見えてくる巨大なモスクが
それです。
国旗すぐ左がスレイマニエモスク
〜以下、ウィキからの情報です〜
これはオスマン帝国第10代君主スレイマン一世の命により、7年の歳月を掛けて1557年に完成したものです。遠くから見る美しさもさることながら、礼拝堂としてだけでなく
マドラサ(イスラム世界における学院)、医学学校、病院、給食所、宿泊所、商業施設、ハンマーム(大衆浴場)など、多くの付属施設を持ち、複合施設群を形成しています。🔚
モスクに入る際、入り口からイスラム教徒と非イスラム教徒で区別をされ、
一般観光客は無料でスカーフや簡易トラウザ、腰巻を借りることが可能です。
入場料も無料です。
正面より
取り囲む回廊の柱や天井の細密画が美しい
見上げつつも同時に傅かずには居られなくなってくる程の幾何学紋様
メッカの方角(キブラという)に向けてミフラーブと呼ばれる窪みがある
モスクの庭から金角湾、ガラタ地区を見下ろすことができる
黄昏時のスレイマニエモスク
上の写真にもあるように、丘の上にあるため庭からの景色が良く、夕暮れ時には
カップルや家族連れが多く集まったりしていました。
【スルタンアフメト・モスク〜世界で最も美しいモスク】
ボスフォラス海峡対岸からでもその優美なミナレットがはっきりと見え、通常の4本ではなく6本もあるのが特徴的です。モスクの壁は白地なのに対し、屋根は青の色調で統一されている美しさから別名『ブルーモスク』とも呼ばれています。
オスマン帝国が栄華を極めたことが見るだけでガンガン伝わり、
またモスクの巨大さや完璧なまでの対照的なデザインに圧倒されます。
しかし、じっと眺めているとなんかこうガ◯ダムのズ◯ックの頭部に見えてくるのは、
自分だけではないと思いますが。どうでしょうか...
嘘か真かラ◯ュタの城のモデルにもされたとか。
それもどうでしょうか....
はい、とりあえず見てください!
「口やかましいトルコ人だと思わないでね❤︎」が口癖のジャンが
連れてきてくれたSeven Hills Hotelの屋上から
上記のSevel Hills Hotelの屋上レストランからの眺め。
みなさんここは隠れスポットですよ!レストランで食べなくても、ホテル宿泊者でなくても、「屋上に上って景色を見たい」と言うと快く通してくれます。
ここからの景色は圧巻そのもの。スルタンアフメト・モスクとアヤソフィア両方が目の前にバーンと見えるだけでなく、海峡からマルマラ海、対岸のユスキュダルやカラキョイまで360度の大パノラマを拝めます。
訪れた際は是非、Sevel Hills Hotelの屋上へ!
夕暮れ後のブルーモスク
この時のトルコはまだラマダーン期間中でした。
それに関してジャンは巨大なモスクがライトアップされる理由を次のように教えてくれました、
「日没後によってラマザーンは終わるけど、場所によってはモスクからの知らせが聞こえず気づきにくい人もいるわけ。そういう人の為にライトが点いたら飲食を再開してもいいと遠くからでも分かるようにジャーミーをライトアップしてるわけ。」
ふむふむなるほど!これは勉強になりました。
【アヤソフィア】
Seven Hills Hotel屋上より
言わずと知れたトルコに限らず世界を代表する巨大建築物、ビザンティン建築の傑作。
スルタンアフメト・モスクと同様、誰もが一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
元来は正統派キリスト教の大聖堂であり、その歴史は4世紀まで遡ります。
〜以下、ウィキより〜
東ローマ帝国(ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)時代に正統派キリスト教の大聖堂としての建設を起源とし、帝国第一の格式を誇る教会、コンスタンティノープル総主教座の所在地であったが、1204年から1261年まではラテン帝国支配下においてローマ・カトリックの教徒大聖堂とされていた。その後は1453年5月29日から1931年までの長期間にわたりモスクとして改築を繰り返し使用されて現在の特徴的な姿となり、後に世俗化された。1935年2月1日から博物館(トルコ語: Ayasofya Müzesi)として使われている。🔚
そう実はかなり昔から博物館になっているんです!
他のスレイマニエもスルタンアフメト・モスクもしっかり礼拝堂としての
機能を果たしているのに対して、アヤソフィアは博物館。
ということで、入場料が発生します!40TL(約1,200円)!
正直、そんなこととは露知らず他のモスクと同様自由に出入りできると
思い込んでいたのでゲートで料金パネルを発見した時はギョッとしました。
ミナレットの一本が煉瓦造りになっているのも特徴的
茹でトウモロコシをかじりながらどうするか二人で考えた結果、
次回にすることに!笑
東ローマ帝国ユスティニアヌス帝は537年の献堂式の際、古代イスラエル王国のソロモン王が建てた神殿をも凌ぐ美しさや偉大さを兼ね揃えた建築物であると賛し、
「ソロモンよ、我は汝に勝てり!」と叫んだと伝えられています。
Seven Hills Hotel屋上より 二つを同時に見れてニヤニヤが止まらない!
金角湾の出入り口付近よりアヤソフィアを除く
ここでこのモスクの歴史全てを語るには荷が重いですが、実物を自分の目で
確かめ、感じるということが歴史を知るのにどれ程大切かを再認識しました。
時代、宗教や支配者を越えながら修復や増築を繰り返し、
今の私たちに人類の創造的才能を表現する傑作と言えると思います。
どうだったでしょうモスク編。
次回は、奇岩群でお馴染みのカッパドキアについてお伝えしたいと思います。
またより詳しく東ローマ帝国の栄枯盛衰、オスマントルコへどうその時歴史が動いた!
かを知りたい方はイタリア史に精通した塩野七生氏の『コンスタンティノープルの陥落』👇を読んでみてはいかがでしょうか!
https://www.amazon.co.jp/コンスタンティノープルの陥落(新潮文庫)-塩野-七生-ebook/dp/B01MFFPAF6
ではギュレギュレ〜!
あなたはストリートワークアウトを知っていますか? 友達の夢を実現させたい!
あなたはどんな健康法や環境で運動したりトレーニングしていますか?
ジョギング、トレラン、様々なヨガ、登山、サイクリング、筋トレマシン 等々....
身体を動かすと一口に言っても、自分たちの生活の周りにはありとあらゆる機会が溢れ、また各々の趣味嗜好やレベル、目標に合わせることが可能になっていると思います。
そんな今、「ストリートワークアウト」という健康目的とした筋肉トレーニング方法を
ご存知でしょうか?
筋肉トレーニングからさらに発展してパフォーマンス要素をも含み、アメリカやヨーロッパ諸国などではすでに広く知られ、世界大会も実施されるまでに活発化している、
それがストリートワークアウト!
私も初めて聞いた時は「屋外でやる筋トレ器具を使ったものの類なのかな?」と
思いましたが、聞けば公園の鉄棒でもできるというお手軽なものであるのに、
アクロバティックでとても人間業とは思えないテクも数多くあるので驚きました。
私のように「ストリートワークアウト」と聞いて首を傾げる人もいると思いますが、
考えてみると日本のテレビではかつて筋肉番付やSAKUKEといったショー&パフォーマンス番組が流行っていたので、案外身近に感じることができるのではないでしょうか。
さて、そこで本題にもあるように学生時代からの友人が大阪にストリートワークアウト専門のスポーツジムを作ろうとしています。しかも日本で初の!
彼はこれまで働きながらも、ジムでの筋トレから身近な公園や外で身体を動かす、ということに視野を広げ、そして「ストリートワークアウト」に辿り着きました。
現在は大阪で関西ストリートワークアウトという団体の代表をしつつ、専門のジムをつくるためクラウドファンディンによっても全国から支援を募っています👇
関西ストリートワークアウトの皆さん!
年齢層も幅広い!
公園でのワークアウト風景( ̄^ ̄)ゞ
実際の大会で使用する鉄棒スタンド!
今まで温めてきた夢を実現させるために新たな世界に踏み出す、という友人がいることは自分にとっても非常に刺激になります!そして無条件で応援したくなります。
すでに上陸したとは言ってもまだまだ日本では知られておらず、実施するための十分な環境も整っていない中、仲間を探し、募りグループを作る。そして、その世界において今まで誰もやらなかったことを始める。さらにはアメリカへも足を運びストリートワークアウトジムの視察も行う。
これまで様々な苦労があり、大変な努力をしてきただろうと思います。
彼の実現させようとしていることが少しでも広まり、そして支援が集まればと思い
ブログ記事にしました! どうぞよろしくお願いします!
関西ストリートワークアウトのページはこちらです👇