とら目線

創作と向き合う

優木せつ菜

そろそろ書いてもいいかと。

優木せつ菜は去年四月に担当声優が交代した。そこから6th Liveまでは虹ヶ咲をメインに活動していたが、今はシャニマスを中心にしている。その理由を書く。

新任声優発表~交代まで

林鼓子の名前が発表されたのはいつだったか……まあそこは拘らなくてもいいや。確か「優木せつ菜」として第一声が乗ったのは『スクフェス2』のサンプルボイスだったと思う。皆はどう受け取っただろうか。私は「雰囲気が大分違う」と感じた。声色はとにかく、キャラクターの雰囲気が違う。何というか優しい感じ。その後はSD絵に声が付いたアニメ*1とかOVAの告知とかで少しずつ情報公開されて行ったが、動いて喋る優木せつ菜はまだ見られなかった。

OVA公開

六月の……いつだっけ。二十三日だったかな。OVAが公開された。キャラクターが喋って動くと情報量も変わる。ここで優木せつ菜の印象が「優しくて賢い」に変わったのを確信した。なるほど、これが林鼓子の表現する「優木せつ菜」か。

にじたび

優木せつ菜の印象は一旦横に置いて、ここからは林鼓子という声優に対しての印象を書く。一言で滅茶苦茶頭がいい。独自の感性があり、いきなりMCを任されているにいも関わらず、適切にトークを振って場を回すセンスもある*2。なるほど、それは賢くなるわ、せつ菜。

一番求めていたもの

優木せつ菜に賢さを求めていたわけでは無い。どちらかというと猪突猛進的な向こう見ずのキャラクター性に魅力を感じていたので、その部分が見られなくなったのは残念だった。ただそこは「一番求めていたもの」ではなかったりする。要するに「自分の望み通りの優木せつ菜が提供されること」は一番のニーズでは無かった。これ自体は(前任の)楠木ともりが役を務めていた頃から同じで、もし彼女が「明日から優木せつ菜のイメージを変えようと思うんです」と言っても「そっかー」くらいの反応だったと思う。

林鼓子の優木せつ菜に求めていたもの、個人的に持っていた望みは「楠木ともりが演じる優木せつ菜の劣化コピーにならないこと」だ。さっき書いた通り、林鼓子の演じる優木せつ菜は第一声からして印象が違う。「楠木ともりの演じる優木せつ菜」が唯一無二であるように、「林鼓子の演じる優木せつ菜」もまた唯一無二だ。その無二性を捨てるような状況にはならないといいが……と思っていた。

Re:にじたび

話題をにじたびに戻す。この頃は優木せつ菜のボイスが多く提供されたが、やはり「楠木ともりの演じる優木せつ菜」をかなり意識して役作りをしていた。これ自体はおかしな話ではない。前任声優のイメージを吸収しつつ「自分なりの優木せつ菜像」を作っている過程と考えれば当然とも言える。私たちに対する気遣いもあっただろう。いきなり我が物顔で優木せつ菜を演じれば、ついてこれない人も結構いただろうから。

虹ヶ咲の中でどうするか

既に書いた通り、「林鼓子の演じる優木せつ菜」の中に私の最も見たいキャラクター性は見出せなかった。その結果、声優が変わってからも私の中に在る「優木せつ菜」は相変わらず「楠木ともりの演じる優木せつ菜」だった。そうすると少し困ったことが起きる。虹ヶ咲の展開を追っていっても、求めるものは二度と降ってこない。

一応の解決策として二次創作にこもり「求めている優木せつ菜」を造り続けるという手段がある。ただこれは良くないなと思った。あまり明確な理由は言えないが、とにかく良くない気がした。かといって虹ヶ咲の展開を「今が最高!」と言いながら追いかけていくのも何か違う。そこには嘘が混じる。どうすればいいだろうか?

色々考えた上で、とりあえず「林鼓子が自分なりの優木せつ菜を演じられるようになるまでは、虹ヶ咲をメインにする」と決めた。その後は自由。動きながら考えよう。

この条件にしたのは、既存のファンがお膳立てしてあげられる部分とその限界を考えたからだ。酷なことを言うと、「前任声優の演じる優木せつ菜を再現しよう、既存のファンに配慮して演技しよう」と考えているうちは、新しいファンがつかない*3。本人の持つ魅力が十分に発揮されないためだ*4

林鼓子の優木せつ菜が軌道に乗るためには、やはり最初に感じた「優しくて賢い、理知的な部分もある優木せつ菜」を本人が演じきれるようになる必要がある。そうすれば勝手にファンは増えていくはずだ。悲しい話だが、それ以降になってくると私のような人間は邪魔だ。新しい優木せつ菜が作られて行こうとする時に、過去に拘っている人間は障害にしかならない。私の役割はそこまでだろうと思った。

又 性懲りも無く目指しちゃった 

アナタからは 只 遠退く日々

先送りになる安らかな眠り

僅かな光に似た希望が

君の細胞に絡まった日から

一向に離れない 

それだけ

体は日増しに器用になって

心は間に合わなくって泣いてる

大人になって置き忘れたのは

軽やかなスランバー

tacica/HALO

6th Live

来る6th Live、林鼓子からポジティブな発言が見られた。本人は言語化に苦労していたようだが、纏めると「自分なりの優木せつ菜を演じていく」という内容でいいだろう*5

先ほど「林鼓子が自分なりの優木せつ菜を演じられるようになるまでは、虹ヶ咲をメインにする」と書いたが、この発言が出た以上、時間の問題と見ていいだろうから、ここで自分に虹ヶ咲から離れる許可を出すことにした。その後は冒頭に書いた通り、シャニマスに主戦場を移して新しい世界を見に行っている。

林鼓子に一言伝えるとすれば「早えよ」だろう。声優交代してから横浜公演までたったの九か月しか経っていない。凄まじく吸収と実践のサイクルが早い。二、三年はかかってもおかしくないところに九か月で気付く才能には恐れ入る。

私としては有難かった。動いていないと死ぬ体質なので、スムーズに次の場所へ足を踏み出せるほうがずっとやりやすい。常にベストな状態とは言えなくても、自分の力で好きな作品、光となるようなコンテンツを探す自信はある*6

林鼓子

優木せつ菜役を引き継いだのが彼女で良かったと思っている……これは強がりかな。ただ、彼女が優木せつ菜になったのは多くの人にとって"ベストな選択"だったと言える。私にとってはそう言い切れない部分もあるかもしれない。でもこれで良かったんじゃないだろうか。ずっと同じところに留まっているのが常に素晴らしい結果を呼ぶとは限らない。

林鼓子本人については……とても才能のある人だと感じている。既に色々書いてきたけど、彼女に対する評価は高い。というより、評価を高くせざるを得ない要素を多く持っている。それらを維持する為に、又は新しく手にする為に、努力しているのも見ていれば分かる。正直、恐ろしい。努力する天才には勝てんて。優木せつ菜のファンは大変ですよ、彼女の成長速度に追いついていかないといけないんだから。

楠木ともりについてはアーティスト活動も追っているが、二人のうち「天賦の才を持っている人はどちらか」と問われれば、林鼓子の方をあげる。楠木ともりは何というか泥臭い方が似合う。だから彼女の演じる優木せつ菜を好きになったのだろう。林鼓子は全体的にスマートだ。

それだけに、アーティスティックな活動をしていないのは惜しい。林鼓子にも自身の思想や考え方を発信する、表現する、創作する存在になってほしいと思っている。初めて現地で彼女を見たのは『にじたび』東京公演だったのだが、その時に「この人ずっとニコニコしてるけど、頭の中は宇宙だぞ」と感じたのを今も覚えている。勿論腹黒だと言っているのではなく、目に見えない部分で考えながら自身の振る舞いを決めているという意味だ。その考えている部分を発信するようになったらどこまで伸びるか分からない。二十代前半はインプットの時期だし、どうするかは彼女が決めることだが、私はその日が来るのを楽しみにしている*7

それでも、優木せつ菜しかない人たちへ

楠木ともりの演じる優木せつ菜と同じくらい、林鼓子のせつ菜も好き」な人は素直に祝福したい。おめでとうございます。ただ、「実はしっくりきていないけど私にはせつ菜しかいない、代わりなんていないんだ」という人もいるはずだ。先ほど「亡霊死すべき、慈悲はない」と書いた(書いてない)。しかし、私が選ばなかっただけで、二次創作にこもって好きだったせつ菜像を描き続けるのも、虹ヶ咲にしがみついて亡霊と化すのも、あっていいんじゃないかと思う。そういう折り合いのつかなさと向き合う、もしくは向き合えなくて暴れる時間もまた意味のあるものだと考えているし……何より、虹ヶ咲のようなアニメコンテンツにはそう言った人の受け皿であってほしいと思っている。要するに世間的な動きに合わせて自分を変えられない人、曲げられない人、自分を貫きたい人の。今となっては大衆娯楽と化している(深夜)アニメだが、元々は現実と折り合えない人たちのニーズが強いコンテンツだった。需要が拡大して一般化したとしても、様々な環境に置かれた人が受容される場所であってほしい。ラブライブに限らず、二次元作品にはそういった懐の大きさを求めたい。

争い事や急なお別れに哀しくはなれども まだ現実に僕たちは抗えない

人間(ひと)らしく生きる事 人間(ひと)らしく生きぬ事 

その両方あって それこそ生きる事らしい

来た場所へ帰ろうとして

辿り着いたのがこの場所だっただけ

ある天才の吐く一言一句逃さずに捕らえたら 

四六時中妙な痛みに踠えてる

素晴らしく生きる事 見窄(みすぼ)らしく生きる事 

その両方あって それこそ素晴らしい

tacica/デッドエンド

心残りはある

罪悪感がゼロでないとは言えない。優木せつ菜のことだけを考えればベストな選択を取ったと言えるが、虹ヶ咲の現状を加味するとしがみついてでも残るべきだったと思っている。完結編、劇場公開、大事な時期だ。本来ならへこたれている場合ではない。

そうしなかった理由は二つ。まずは私の価値観に関わる部分。三公演に参加した6th Liveだが、根幹となるアルバムとの折り合いが悪かった。とりあえず「十二人でラブソングを歌います!」と聞いた時の印象は「マジでやめて」だった。曲を聴くのは最早拷問と言える*8。何故なら優木せつ菜や中須かすみ、同好会のメンバーは私にとって目標だからだ。矢印をこっちに向けてほしいのではなく、寧ろ背中を向けて私たちの道標になってほしいのである。ラブソングと言うのは「前向きに走るのをやめ、私たちの方を振り向いて、手を差し伸べて待つ(場合によっては駆け寄ってくる)」ものであり、その全てが私の地雷を踏み抜いている。だってそんなの、私の存在が同好会の成長を妨げているということで、只のお荷物になっているじゃないか………冷静になろう。兎にも角にも、同好会に前を向いて走っていてほしいし、また自分でもそうしていたいのである。だとしたら、自分の利益を投げ捨てて優木せつ菜の為に、虹ヶ咲の為に尽くすのは同好会への要求と矛盾するし、私のポリシーにも反する。だから虹ヶ咲に残るのは筋が通っていないと考えた。

もう一つ、単純に私の精神が成熟していない。自身の利益よりも他者の利益を考える、貢献するのはとても難しい作業だ。先ほど「ラブソングはマジでやめて」と書いたように、良かれと思ってやったことが相手にとって苦痛でしかないというのは当たり前に起きる。向き合っている他者のニーズを正確に把握し、実践して伝え、満足させるのは並大抵の所作ではない。私はまだ未熟なためにそれを安定して出来ないし、またそうする余裕も持ち合わせていない。端的に言えば、虹ヶ咲に残ったところで利益を与える存在になるどころか、早晩(虹ヶ咲にとって、若しくはそこにいる人たちにとっての)障害になるだろうと考えた。だとすれば、「ここで何をすればいいか分かる、貢献の仕方が分かる」と思えるような場所に移って何かをする方が余程リスクマネジメントが出来ている*9

償い 繕い 切れない 罪背負い 人は哀しくも健気に生きていて

求め合い 擦れ合い 絡み合い すれ違い

過ぎてしまったことはもう二度と戻らない

MOROHA/新約「償い」

立つ鳥跡を濁さず?

で、後腐れなく虹ヶ咲を発つことが出来ただろうか。私の方は見ていただければ分かる通り「アフター虹ヶ咲」を謳歌している。まあ、一つ居場所を失った程度でへこたれるほどヤワな人生は送って来ていない。問題は周囲から見てどう映ったかだ。

「お前の勝手な行動にイライラした」と言われれば頭を下げるしかない。ただ限界まで綺麗な形で虹ヶ咲を去るよう努力したので、これ以上はどうにも出来なかったと言える。それならば過剰に卑下するのも良くない。自身の未成熟を把握せず、やたら反省しすぎるのも傲慢さの一種だからだ。

私の便宜を図っている場合ではない

今出来るのは、結局虹ヶ咲の成功と発展を祈ることなんだろうと思う。勿論優木せつ菜においても。可能な限りは貢献するし。「嫌いになったわけではない」って残酷だよね。綺麗な言葉に見えて、その実、無関心ということだから。

今後も虹ヶ咲に関心は向けておきたいかな。必ずしもいい方向ばかりとは限らないかもしれないが……ゼロよりマシか。今後も同好会及び優木せつ菜、林鼓子にエールを送りつつ、私は私の方向を向いて歩いていきたいと思っている。

 

細胞からやり直して

 

カラダから手を引け

 

眠れない夜から今日までを耐え抜いて

どこまで ぼくらは行ける?

それしか 方法はない 途方もない

じゃあ仕様がない  仕様もない脳内で

ぼくら ぼくら

tacica/ぼくら

*1:巷では「生首アニメ」と言われている

*2:「にじたび」内であった『レジェンドオブニジガク』のコーナーでは林鼓子がMCを務めた

*3:感度の高い人はバチーンと刺さるかもしれない

*4:要するに劣化コピーの状態。本人の魅力が制限されている上に前任声優の持つキャラクター性も十分に再現できない

*5:ちょっと強引な纏め方なので、やや真意から外れているかもしれない

*6:シャニマス、ガルクラ、終末トレイン。忙しい

*7:情報処理や記憶力、判断力、創造力などの認知機能を司る前頭前野は二十五歳から三十歳くらいまで成熟し続ける。そのため創作活動をするのは(前頭前野の発達が佳境を迎える)二十代後半でも遅くない。だからこそ、十代から自身の考えを発信する楠木ともりを尊敬している

*8:6th Liveに参加すると決めたのは私の判断だから、そこで聴くことに文句はない

*9:そう割り切るのも寂しいものだけど

終末トレイン吾野へ行く! ---天覧山を添えて---

このブログでは一度も話題にしていないが、毎週『終末トレインどこへいく?』を見ている。物語そのものが優れているわけでは無いけど、随所に遊びが散りばめられていて面白い。例えば設定。実際にある通信システムの進化系を想像して西武池袋線を丸ごと亜空間に変えちゃうとか、その中で活躍する(異世界なのに)写実的すぎる電車とか、各駅を進む中で出会う一風変わった住民とか。基本的は人類が滅んだ後の暗い設定なんだけど、ストーリーの魅せ方や会話劇を使って明るい雰囲気も残すところとか。徹底的に現実をやらない(現実の力学が通用しない世界を描く)のは映像作品の得意分野で、最近売れ線になってしまった、ともすれば”世相を映す鏡””になってしまったアニメの本分を思い出させてくれるような内容になってる。こういった作品には常にあってほしいと感じる。

shumatsu-train.com

で、昨日『終末トレインどこへいく?』の聖地巡礼に行ってまいりました。吾野に到着してビックリ、いや到着する前からビックリ、余りにも田舎すぎる。東京から一時間余り、ヤマノススメ聖地でもある飯能からほんの十数分の場所にここまで緑一面の山景色が広がってるとは思わなかった。ほんとにね、東飯能を抜けると一気に世界が変わるんだよね。一駅間も長くなるし、人間よりも自然の方が優位に立つというか、自然に合わせて生活が為されているというか。地図を見ても鉄道が真っ直ぐ走ってなくて明らかに蛇行してるんだよね。飯能周辺は普通に開発地だったので、ここまで街並みが変わるのに驚いた。まあ西武池袋線の中でも所沢を過ぎて少し……入間辺りからちょっと自然が増えてくるんだけど。相模原の辺りでもこんな感じで景色が変わっていったのを思い出した*1

実は午前中予定があって、『ヤマノススメ』の巡礼を済ませるのが精いっぱいかなと思っていたんだけど、実際行くと吾野まで行きたくなってきて。早めに出発できたから日没まで大分時間がある、だったら流れに身を任せるしかないだろうと。そうまでして吾野に行こうとする自分に対して「思ったよりこの作品好きなんだな」と感じたりもしたね。

到着後はとりあえず吾野宿へ。一話冒頭に出てきたとこね。

交流ノートには木野日菜さんと中島怜さんのコメントが。しかも書いたの巡礼日。とんでもない日を引き当てたな。

宿泊客の方々もいるので「これ以上は入れないな…」…と二の足を踏んでいると管理人さんが戻ってきて我々を中に入れてくれました。建物だけでなく蔵まで入っていいと言っていただいたので隅々まで観察*2吾野宿は明治期に建てられたそう。以前の吾野は宿場町だったみたいね(秩父と東京を繋ぐ)。

建物自体も素敵な場所だったのだけど、管理人さんが熱心に説明してくれたのが心に残ったね。吾野宿に対する思い入れを感じたし、アニメの聖地として描かれたのも誇りを持って受け止めている感じで。聖地巡礼って必ずしも歓迎される行為じゃないから、巡礼者は毎回現地での扱いや視線にビクビクしながら行くんだけど、最後に「また来てください」と言っていただいた時にはとても暖かな気持ちになったし。いいところだったので人を誘って泊まりに行きたい*3

この後は若松屋さん(吾野宿の隣)で東郷せんべいを買って、ある程度散策して飯能まで戻った。『ヤマノススメ』の聖地巡礼は既に相当数あるだろうから写真だけ。駅に着いた時、天覧山の山頂に着いた時(正確には展望台の土台になってるコンクリートを見た時)、観音寺の白い象を見た時に「観た事ある……」と声が出た。画面で見ただけなのに既視感があるような。これだけ作品に慣れ親しんできたということだね*4

最後は東飯能から乗って帰路へ*5。まあこの旅は池袋に着かないと終われないでしょ。

というわけで池袋に到着!大変楽しかった。

*1:座間の辺り

*2:宿泊客の方々、お騒がせしました

*3:水島努監督は4回ほどロケハンに来たそう

*4:道中、他の巡礼グループにも二組出会った。根強い人気があるなぁ

*5:最初に東飯能から降りるのが正解だった

『NIJIGAKU Monthly Songs♪』のための二次創作

以前も紹介した友人が面白そうなことをしていた。

nvs-nk.hatenablog.com

 

なるほどね。

 

 

少女思案中……

 

 

 

 

 

 

 

 

その勝負、乗った!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

※五か月分のみ

 人称等は適当

 企画無視・崩壊要素あり

 200文字制限なし

■1月:ウィンタースポーツをするなら1月! ゲレンデで運命の人に出会っちゃうかも…なんて想像していそうなメンバーは?

天王寺璃奈

スキー板を履き終わり立ち上がろうとした時、予感がした。
雪が降りしきる中だというのに、胸の中が暖かい。何か予想もつかないことが起きる気がする。
このままスキー場に出て遊んでいるだけでも、楽しい時間を過ごせるだろう。
けれど、自分の力で新たな繋がりにアクセスしたい。待っているのは性に合わない。
理由なんて無くても、ただ貪欲に、只管に前を向いて進んで行きたいのだ。
「ねぇ愛さん、今日は一人で滑ってもいい?」
頷く愛にアイコンタクトをして、雪を踏みしめる。その乾いた音すら、私を祝福しているように感じた。
私の世界は、私だけのもの。未来はこの手で掴んでみせる――

■2月:2月の寒さは厳しくて、体調を崩しちゃうかも?! そんな時は枕元でこのメンバーのやさしい歌声を聞いていたい…♡

中須かすみ

「せんぱい、お粥出来ましたよー」
高熱を出して学校を休んだ先輩の為に、真心込めて作った手料理。
辛そうな先輩の側に座ってスプーンでお粥を掬い、一口ずつ食べさせる。何とか完食すると、先輩はありがとうと力のない笑顔を浮かべ、再び眠りに就いた。
そんな風に言ってくれるから――大好きなんですよ、せんぱい。
子守歌なんて柄じゃないけど。そんなに大人じゃないけど。
心を込めて歌えば、貴方の癒しになりますか。
静かに昔聞いていた唄を奏で始める。心なしか、先輩の表情が緩んだ気がした。
――せんぱい、これが私の気持ちです。今日は受け取れなくてもいいですから、ゆっくり休んでくださいね。

■3月:春の息吹を感じる3月。 このメンバーはあなたからホワイトデーのプレゼントを待ってるみたい!

桜坂しずく

ホワイトチョコ、普通のチョコ、何だかよく分からないお菓子。
周りの一年生たちがそれぞれに"お返し"を交換している。
かすみさんはチョコクッキーを作って来てくれた。「友チョコ!」なんてぶっきらぼうに渡すものだから笑ってしまう。私は貴方からのプレゼントなら何でも嬉しいのに。
ねぇ、かすみさん。貴方のことが好き。
だから私は友達でいるね。
――桜坂しずくは中須かすみの友達。決して恋心に気付かれてはいけない。
でも、もし貴方が酷い失恋を経験して、落ち込むことがあるのなら……
その時は私、役を降りるよ。けれど、かすみさんが諦めるまでは"あの人"との恋路を応援し続ける。
それが桜坂しずくの果たすべき……友達としての役割だから。

■6月:雨の日が続いてちょっぴり憂鬱な6月。 でも、こんな季節もあのメンバーとなら、しっとり楽しめそう♡

三船栞子

生憎の空模様に、あなたも残念そうな顔をする。
安心してください、こんな時でも楽しむ方法はあるんですよ。
生徒会室の長いソファに座るあなたの隣に腰掛け、身体をぴったりとくっつける。体温が伝わって来て暖かい。
「栞子ちゃん、どうしちゃったの!?」と素っ頓狂な声を上げるあなたの姿を見て、私はクスクスと笑った。
「ジメジメした空気だから、くっついていると暑いですよね。でも、だからこそです。お互いを認識し合うことで、黒い雲、雨の音、どんよりとした空気、その全てが幸福に感じられるんですよ」
あなたは真面目な顔で「なるほど」と頷いてから、私の方に体重を預けてきた。「栞子ちゃんの言う通りだ、くっついていると気持ちいいね」なんて笑っている。
その間、ずっと私の頬が紅潮しているのに気づかないまま。
「私より鈍いなんて、どうかしてます」
至近距離で囁いた言葉も、伝わらないまま消えていってしまう。
もう何も諦めないって決めたんです。この雨が止んで梅雨が明けても、ずっとずっとあなたにアプローチしてみせます。だから、覚悟していてくださいね――

■8月:昼間は暑くて動けない・・・?! そんな8月の夜をこのメンバーと2人で過ごしたい…♡

優木せつ菜

「あ、あづいですぅ~~~」
私ですら敵わない酷暑があるんですか!? あるんです。
今日は海沿いのお台場すら四十度を超える真夏日、殆どの学生は放課後直ぐに帰りました。
それでも!!!私は!!!部活に来たんです!!!!

踊りたいから!!!!!歌いたいから!!!!!!
練習が私を呼んでいます!!!!! 

うおおおおおおおおお!!!!!!!!

動け私の足!!!!!!!!!


・・・・・・

流石に今日は限界なようです。サポートの為に残ってくれた貴方も完全に溶けてしまってます。悪いことをしてしまいましたね。次から本当に暑い日は練習を休みましょう。
戻ってきた私たちを出迎えてくれたのは、冷房をガンガンに効かせた部室。

手元には購買で入手したアイス。最高の空間です!!!
貴方とこの時間を分け合えるのが最高に幸せ……ですが、今日の優木せつ菜は暑さに負けてしまい、世界を救えませんでした。
だからこの時間は"あの子"に譲ってあげましょう。
ソファに置いてあるカバンから取り出した伊達眼鏡を装着。

少しずつ消えゆく衝動的な私。後は任せましたよ……

――今日は本当に暑くて大変ですね。下校時間になるまで、ゆっくりと本を読んで過ごしませんか?

 

はい。

先駆者である彼はとにかく、私まで公式に怪文書を送り付けるのはどうかなと思ったので、文字数制限を外して自由に書くことにした。

あと楽に書けるキャラだけ選抜して。もう書かない可能性が高いけど、今後しれっと七人分増えてるかもしれない。気分次第。

しずくのやつは普通に書くつもりだったんだけど「絶対しずかすの方がいいじゃん」と思ったので。"あなた"がスクールアイドルだっていいじゃない。

 

貴方も二次創作を精製して企画を存分に楽しんで見ては?

Let's try!

 

おしまい

アイドルとの向き合い方、虹ヶ咲との付き合い方

アイドルは現実逃避だ。アニメ系全般も然り。

振り返ってみると、殆どアイドルや特定のコンテンツにハマるのは現実と向き合えていない時だった。立ち向かわなければならない問題から逃げ、安易な救いに手を伸ばす時、アイドルにハマる。

前提として、これは私の場合であって、全ての「アイドルが好きな人」が同じパターンを通っているとは限らない。アイドルの姿に励まされ、現実に立ち向かおうとする人もいるだろうし、それは喜ばしいことだ。

避難所

「アイドルにハマるのは現実逃避したい時」というのは(多かれ少なかれ)全ての人に当てはまるだろう。動機よりも「休息した後にどう動くか」の方が重要かもしれない。現実に戻るかどうか。夢を見続けるかどうか。選択肢は色々ある。

情報エントロピー

私はアイドルに励まされた後、現実に戻れていただろうか。半々な気がする。夢心地で過ごした時もあれば、もう一度頑張ってみようと勇気を出したこともある。好きなものが嫌いになって、強制的に現実を見せられた時もある。

私の経験は一旦置いといて、アイドルや二次元コンテンツと向き合う時に大事かもしれないと思っているものがある。それが情報エントロピーだ。まずこちらの動画を見てほしい。

youtu.be

動画内で説明されている通り、同じ人と飲み会で何度も話すとやがて相手から得られる情報が0に近づいていく。そうすると面白くないから次第に会わなくなる。逆に久しぶりにあった人からは色々と知らない話が聞けるので情報のエントロピーが大きくなる。だから刺激的だし、楽しい。だからこそ何度でも笑える"鉄板ネタ"を持つ芸人は凄い。情報的には一つも新しいものがなくてもリアクションを取るのだから*1

アイドルやアニメ系コンテンツを追う上でも情報エントロピーは意識した方がいいと思う。最初は楽しくて仕方なくても、同じ刺激ばかり入っていたら必ずそれに慣れる*2。そしてもっともっと欲しいと感じてしまう。ドーパミンが大量に出るタイプの趣味は大体同じ性質を抱えている*3。手軽に楽しめるものは慣れやすく、時折しか快楽の手に入らないものは長続きしやすい。最近話題になったもので言うとキャンプなんかがそうだろう。他にも登山とか写真とか、一瞬の巡り合わせが重要な趣味は情報エントロピーが0になりにくい。

情報量が多すぎると混乱する

この話で言うと、手軽に楽しめるアイドルは"日持ち"が良くない。経験から言って一年から一年半くらいで情報エントロピーは30を切る。大体の流れが予測出来るようになるため、同じことの繰り返しでも楽しみは減る。ただしライブは違う。大掛かりなセットを使い、沢山の人の手で完成させるライブは大抵ドーパミンがドバドバ出る*4。だからアイドルは人の心を掴んで離さないし、一度売れると長続きしやすい。

注意も必要だったりする。ライブの情報エントロピーは大きすぎる。基本的に人の処理能力を超えるような情報量が提供される。そうすると脳は思考停止を起こしテンションがおかしくなる。良く言えば自分に素直になれる瞬間だが、悪く言うと自制が効かない状態になってしまう。

私はこの性質を考慮しつつも、ライブに行くのを躊躇わないようにしている。同じ内容で行われるステージは二度とないからだ。演者やセットリストが同じでも時折その日だけの化学反応が生まれるし、演者が変われば全然別物になるし、その様を見るのは楽しい。

去年はイベントに行き過ぎたかも

そうは言っても去年は虹ヶ咲のイベントに行き過ぎた*5。UNIT LIVEから6th Liveにかけて実に十六公演である*6。遠征に伴う移動もあったため情報エントロピーは更に増大している。今年はあまり虹ヶ咲のライブ・イベントに行く気が起きないのだが、脳が処理落ちを起こした結果と見てよさそうだ。

「虹ヶ咲から得られる情報エントロピーが低下した」より「脳の処理能力を超える情報量が入ってきた」と考えた方が自然だ。まだ消化に時間がかかっている。勿論この二つは同時に起こっている。満漢全席を食べるとお腹がいっぱいになる(胃袋の処理能力を超える)と共に食欲がなくなるのと同じで、脳が似たような(それでいて微妙に違う)情報を叩き込まれてお腹いっぱいになったと考えればいい。

満漢全席を食べ切った後に……

この間、虹ヶ咲7th Liveの日程が発表された。まだ去年得た情報の処理が十分でない私にとっては「満漢全席の後に特盛チャーハンが出てきた」ようなものだ。多分伊勢海老とか乗ってるだろう。良質だが食べるには苦労する。

発表されたからには申し込みをしないといけない(当たらない)のだが、今回は若干タイミングが早かった。まだ行く気にはなれない。そのうち回復するはずだが。

キャパシティを超えたらどうすればいいだろう?

"毒素を排出する"しかないのかなと考えている。日々を真剣に生きて虹ヶ咲のことを忘れてしまうくらい充実した生活をする*7。そうすることで頭の中の"詰まり"が解消されて思考が整えられ、虹ヶ咲と再び新鮮な気持ちで向き合えるようになるはずだ。デトックスは脳においても大事なのだろう。

今日からそうすればいいのだが、少なくとも一手遅れた。7th Liveの申し込みは見送る方向でいる。虹ヶ咲に対する情報を今増やすべきではない。

このままだとシャニマスもキャパシティを超える

今年はシャニマスのライブに多く通っている。異次元フェスから数えて五公演、発表済みのものに全て通えば九公演になる*8。全て関東圏だから去年ほどの負担はないが、このまま全ての公演に行くとしたら7th~7.5th辺りでキャパシティを超えるだろう。どのアイドルコンテンツも精力的に活動しているため、虹ヶ咲が特別「活動的すぎる」わけではないし、継続的に通う為のメンテナンスは自分ですべきだとも思う。つまり本気で現実と向き合ったものだけが健全にアニメコンテンツと付き合える。ここで最初の話題に戻ってきた。シャニマスにしろ虹ヶ咲にしろ、現実を見ない為の避難所として使うなら直ぐに飽きてしまう。今まではそうやって消費するだけでも十分だったが、私としても「長いお付き合いがしたい」と考えている以上、しっかり現実を演(や)るのが大事だ。

アニメコンテンツのために頑張れるか

分からない。分からんなぁ……

でも恩はある。せつ菜にもかすみにも。めぐるや果穂にも。だとしたら適切な形で貰ったものを返したいとは思っている。現実逃避として選んだ先が努力する理由、現実と向き合う理由になるなら立派だろう。中村繪里子が「趣味/特技・アイマス」と言っていたが、そんな心境なのかもしれない。冒頭で言い切った通り、現在はアニメコンテンツやアイドルを現実逃避先として見ているが、そうではない新しい見方を出来ると嬉しい。少しずつでも歩みを進められたら、と今は考えている。

初めての音は なんでしたか?

あなたの 初めての音は…

ワタシにとっては これがそう

だから 今 うれしくて

初めての言葉は なんでしたか?

あなたの 初めての言葉

ワタシは言葉って 言えない

だから こうしてうたっています

malo feat.初音ミク/ハジメテノオト

*1:様式美っていい言葉だと思いませんか

*2:心理学で言うと「順化」

*3:ギャンブルとか

*4:デカい音がガンガン鳴るだけでも大きな効果があるはず

*5:にじたびを含むためライブとは称さない

*6:異次元フェス込み

*7:虹ヶ咲から得た情報が毒だと言っているのではない。脳がバグっているのを正常に戻すという意味

*8:リスアニを含む

シャニマス6th横浜公演 ---アイドルとは何か---

「アイドルは何のために存在しているのだろう」

公演日が近づいてきた頃、ふと思った。アイドルって何なのか。歌う人・踊る人・表現する人。どれも間違いではないものの、本質を言い当てている感じはしない。

初めてアイドルを見た頃の私なら即答できたはずだ。質問の意図すら分からなかったかもしれない。知っていて当たり前だから。長く親しんでいるうちにいつの間にかアイドルの存在意義を忘れてしまったのだろう。

悩んでいるうちに当日が来て、公演の幕が開けてしまった。既にアイドルの姿形をした声優たちが自身のキャラクターを表現している。次第に周囲の熱も高まっているというのに、私は呆然としたまま眼前に広がる景色を眺めていた。

得られた答え

MC*1に入る辺りで集中力が高まってきたため、次のパートではゆっくりと曲を聴き込んでみた。そうすると浮かんでくる暖かい感覚。胸の中を包み込むようなシグナル。あ、これだ。私がアイドルを好きな理由、アイドルが存在する理由。

結論から言うと、その感覚は"楽しさ"だった。元気を与えてくれる、励ましてくれるアイドルの楽曲。日常の中にある一瞬の許し。力強く自分を肯定できる空間にいられるから、私はここにいるのだと再認識した。

初めてライブに参加した時からこの感覚は変わっていない。しかし少しずつ変化している部分もある。例えば参戦スタイル。以前は「アイドルと言えばコールでしょ」と掛け声を暗記していたが、今回は殆ど知らないまま参加した。ペンライトも持っていない*2。それで十分だと気付いたからだ。あってもいいし無くてもいい、じゃ無しで行こうと。今回は特に気ままなスタイルで参加した。

変わるからこそ変わらないものが分かる

6thはとにかく"楽しい"を全面に押し出したライブだったし、アイドルの王道を往く内容になっていた。4/5thで挑戦的な試みをして批判もあったのを見ると、一周して出発点に戻ってきたのかなと思う。

ただ、6thの"楽しい"はそれ以前に表現した"楽しい"よりももっと洗練された良質なものに仕上がっていたのではないだろうか。私は6thが初参加なので実際のところを知る由はないが、演者の雰囲気やパフォーマンスの内容からアイドルに対する理解の深さ、解像度の高さ*3が伝わって来たため、「これまでのライブとは一線を画す完成度なのだろう」と想像出来た。それはユニット数を増やしライブの経験を積み、様々な演出に挑戦したからこそ到達できた場所なのかもしれない。

6th Liveはいい意味で肩の力が抜けていた

二日間を総括するとこのような感想になる。肩肘張らず(アイドルを表現する為の)難しい演出も使わず、観客と"楽しい"を共有するライブ。私が「楽しければいいじゃん」と気付き、コールを覚えたり無理に騒いだりせず、静かに聞いていた*4のと同じで、無駄を削ぎ落し可能な限りシンプルに纏めた内容だった。それでも"楽しい"を表現出来ていたし、演者もこれまで以上のパフォーマンスが出せていたはずだ。

まだまだ変わっていく

6thは終わったが七月にもライブがあるし、6.5th開催の発表もされた。今回は"楽しい"を中心に構成されたステージだったが、今後はまたオリジナリティに溢れた演出をやるのかもしれない。私は以前のライブに参加していないので比較できないのが残念だが、そういった内容に触れる時が来たら感想を書き残してみたい。6thを越えて更に演者のパフォーマンスも洗練されているはずなので、色々とチャレンジするシャニマスが見られると嬉しい。

 

余談①

異次元フェスの時に惹きつけられたシーズの二人、特に紫月杏朱彩さんの歌声は分析(?)したいと考えていたので、他の楽曲より更に集中して聴いていた。その結果分かったことが二点。

紫月さんの歌声はアクセントが多く、母音が強い。一音一音がはっきりしてる上に語尾も伸ばす歌い方をしている*5。それでいて平坦に聴こえないのは活舌とかリズム感が良いからなのだろう。あと山根綺さんとの相性。二人の声質がばっちり噛み合っている*6。他のユニットもそんな感じで(相性のいい人たち同士が)選ばれているとしたら、アイドルの声優とは多くの要素が噛み合わないとなれないものなのだなぁと感じさせられる。演者の人たちは実力だけでなく豪運も持ち合わせているのかもしれない。

 

余談②

初日はてっきり忘れていたが、二日目に帰ろうとしたらバーから凄い歓声が聞こえてきたので、せっかくの機会だから最後まで残っていた。

放クラ/ストレイ/アンティーカの曲を中心にかけて盛り上がっていた。事前に音源が用意されていたのかもしれない。最後は「Kアリ最高」コールが起きてバーのスタッフも讃えられていた。コラボドリンクは甘かった。

バーの営業は23時までだが、曲を流すのは22時まで。注意が必要なのはこの時間になるとエレベーターで降りるしかなくなることだ*7。当然少しずつしか乗れないので渋滞が起きる。終電ギリギリまで残る場合は注意しよう。

*1:パート間に入る長めのMC

*2:異次元フェスの時に残ったUOだけ持ち込んだ

*3:加えて「演じるキャラクターを表現出来ている」という自信

*4:「アイドルって"楽しい"ものなんだ!」と再認識したのはライブ中だが、無意識のうちにその事実に気付き、「楽しめれば何でもいいんだ」と考えた結果がこのスタイルなのだと思う

*5:にちかを演じる時だけかもしれないが

*6:山根さんはサラッと歌い上げる感じで力みが無く、聞き取りやすい

*7:階段は閉鎖される。詳しい時間は不明

ニートが幸せになる方法

前回の記事で「サラリーマン・ニート・旅人には共通の性質がある」と書いた。そして「サラリーマンが幸せになる方法」を記した。しかしニート・旅人に関しては触れなかった。旅人は放っておくとして、ニートが幸せになる方法はないと思っていたからだ。

 

ちゃんと考えてみよう

安易に結論を出すのは良くない。ニートにも幸せになる方法があるかもしれない。考察した上で"ない"と感じたならいいが、最初から決めつけるのは思考停止である。今回は「ニートが幸せになる方法」について考えてみよう。

しかし、めんどくさい。

パンドラの箱を開けたような気分だ。そんな難しいこと考えずに可愛いかなぴーのMADでも見てればよくない? それがいいよ、うん。

youtu.be

かなぴー可愛い*1

まあ自分で始めた事なので、ちゃんとやるけどね。

 

本題

まずは前提を確認する。今回書くのは「ニートが幸せになる方法」であり、「ニートから抜け出す方法」「ニートが救われる方法」は書かない。現実的な解を求めるので、厳しい内容になる。甘言を聞きに来た人は注意してもらいたい。また考察を妨げる社会通念は無視する*2形で話を進めるため、拒否反応が起きたらブラウザバックを推奨したい。

また厚生労働省ではニートの年齢層を「15-34歳」と限定しているが、今回は生き方に関わる記述なので年齢を問わない。14歳以下でも35歳以上でも良いと考えてほしい。

 

Chapter1:ニートを自覚する

始めよう。まずは前回「サラリーマンが幸せになる方法」に書いたのと同じように、ニートは自分自身がニートでしかない現実を受け止める必要がある。無数の可能性を持っているのではなく、現在進行形でニートというアイデンティティのみを持っていると認めなければならない。

Chapter2:全ての問題を自分自身で解決する

自らの選択でニートを選んだと確認したら、次は起きている問題を全て自分自身の力で解決すると決める。周囲への依存心を断ち切るという意味でもある。

Chapter3:「受け入れられる」を諦める

誰かに助けてもらおう、受け入れてもらおうとするのは甘えと見做し、その感覚を捨てる。ニートは無就業者であり、殆どの場合、世間に経済的な負担をかけている。強制労働させられたり国籍を剥奪されないだけマシと考える。

Chapter4:自身の興味あるものに向かって邁進する

集中力を全て自身の興味対象に注ぎ込み、日々を過ごす。その際、周囲を気にしないのは前提とする。生ある限り進み続け、死をゴールとする。

 

単純な生き方

以上が「ニートが幸せになる方法」だ。厳しい。就職活動の方が大分楽じゃないだろうか。しかしシンプルではある。選択肢が一つしかないので悩みは少なくなるだろう。修行僧に例えられるのも納得と言える。全ての項目を実行できればだが。

欠けらが形を貰ってから

それを全うし終えるまで

地続きで続く運命とやらも

笑い飛ばせる日々を願う

tacica/象牙の塔

真のニートと社会適応者の違い

先ほど挙げた四項目を全て身に付け現世におけるカルマを断ち切った人(笑)を真のニートと呼ぶことにしよう。真のニートは自立しているので、周囲に殆ど迷惑をかけない。もしかすると収入も一定数あるかもしれない。では社会適応者の中でニートに近い性質を持っている人、例えば自身の興味対象が社会的価値と結びついた結果、日夜学問している研究者*3と何が違うのだろうか。

ここに一人の研究者がいるとする。普段から特定の鉱物*4を大量に採取し、自宅にも保管しているとしよう。α研究の第一人者として名を馳せていた彼だが、ある日αには極めて危険な性質がある*5と判明し、周囲の反応は一変、妻子の住む自宅にマスコミや野次馬が詰めかけ、殺害予告含むバッシングを受けることになった。彼はどうするだろうか。

もし耐え切れずαの採集を辞め、家にある鉱物類も全て処分し世間に陳謝したとすると、彼は「鉱物そのもの」が好きだったとは言えない。「自身に利益を与えてくれる対象としての鉱物」が好きだったのだ。"自身に利益を与えてくれる甘い汁"が"不利益をもたらす災い"となった途端に態度が変わるなら、あくまで「社会適応の助けとなってくれる鉱物」が好きだったに過ぎない。探求心より自己愛の方が勝っていたのだ。

研究者が実は真のニートで、周囲が勝手に研究者だと思い込んでいたとしよう。そうすればバッシングなどどこ吹く風、今日もαの採集に出かけるはずである*6。彼に自己愛はない。真のニートは自己愛を持たないか、持っていても優先度が極めて低い。何故ならニートとは自己愛を周囲に満たして貰えない存在だからである。それにも関わらず*7探求心を満たすために日々を使う。

探求心が他の全ての欲求を上回っているのが真のニートだと言える。

他人の楽園では生きられない為に

炎上したあの日の悪魔が

その怒りを忘れる度

これで大丈夫と言い聞かせてきたのに

ねぇ  どうして?

来る日も僕らは

この痛みを忘れる旅に

さあ 声を荒げるのだろう

tacica/HUMMINGBIRD 蜂鳥

立派なサラリーマンは真のニートになれるか

前回「会社を勤め上げ定年を迎えた高齢者の中に尊敬すべき性質を兼ね備えた人がいる」と書いた。繰り返すが組織心理学でいう「Giver」のような人だ。その人たちから金品と財産を全て没収し、ついでに国家反逆罪の汚名も着せてみたとしよう。彼らは「Giver」としての振る舞いを持ち続けられるだろうか。多分無理だと思う。真のニートはそうであっても自分自身を曲げることは無い。社会性*8を理解した上で放棄する為に、社会的立場*9に拘泥する必要がない。どのような状況になっても一貫して自己の興味対象を理解しようと努力する。故に幸福である。私の考える限り、それだけがニートの持つ可能性であり強み*10だ。「素晴らしい生き方じゃないか!」と思う人は遅かれ早かれニートになるし、「無理~~~!!!」と音を上げる人は一時的にニートになっても直ぐ社会復帰するだろう*11

信念や正義を貫くのはどんな時だって難しい

強い力はその使い手を変えてしまう

人間が力を使うんじゃない 人間は強い力に使われるようになる

その人間がどれくらいまともかは権力を与えてみるまでわからない

貧しい聖人君子が 裕福になっても同じとは限らない

だから魔法少女たちは努力してるんじゃないかと思う 力に『使われる』のではなく『使う側』でいる為に

まともな世界から離れてしまわないように—

大鳥居あすか(魔法少女特殊戦あすか)

権力を持って尚、素晴らしい人でいるのが難しいように、社会的な立場を剥奪されても良き人でいるのは至難の業だ。恨まれ続けた正義のヒーローが地球を守ってくれるとは限らない。宗教を禁じられた高僧が犯罪を起こさないとは限らない。悪意に対する耐性というのは結構重要だ。数少ない勝ち続けられるタイプの人間はいい。負けを知り泥水を啜るタイプにこそ必要な能力でもある。「今の自分がどの程度自己愛に偏っているか点検する」のは、全ての人にとって実りある行為になるだろう。

真のニートと修行僧の違い

二点ある。まず社会的に認められているかどうか。少なくとも我が国では信仰の自由があり、宗教者として求道心を持つことは咎められない。ニートは存在だけは許されているものの、蔑まれ、疎まれ、排除の対象となる。肉体的に厳しいことをするのが修行僧で、精神的にマゾいのがニートだと言える。次に目的。仏教徒は殆どが悟りを目指す*12ニートはそれぞれの探求心に依って行動する為、目的が統一されていない。悟りは素晴らしいものとされており、一種の既得権益になっている。そこに心酔できる人は僧侶になる。ただ仏教(仏陀)の長い歴史に追随するだけでもあり、新規性がないとも言える。その点で"開拓者"なのはニートの方である。大抵、他の人が「価値無し」としたものにフォーカスするのだから。

で、真のニートっているの?

そ~~~れ~~~は~~~

知らん……

今回は「ニートが幸せになる方法」を書いた。「ニートってこんなに凄い」とか「ニートの地位向上を!」とか別の目的は可能な限り差し挟まないようにしている。だから現実的に到達可能な提言をしているかどうかは分からない*13。しかしニートになった瞬間「人生終わり」と思って生きるよりかは希望があった方がいいんじゃないかな。それだけは確かだと感じる。

神よ

変えることの出来るものについて、

それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、

それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、

変えることのできるものと、変えることのできないものとを、

識別する知恵を与えたまえ

ラインホールド・ニーバー/大木栄夫訳

各自の奮戦に期待する。

*1:響け!ユーフォニアム』はここまで目を通してこなかったが、三期から見ている。『リズと青い鳥』は視聴済み。『立華高校マーチングバンドへようこそ』も本棚にある

*2:ニートは早急に社会復帰すべきだ」「周囲がサポートすべきだ」等

*3:自身の興味対象を「研究してもよい」と社会的に許されている

*4:以下α

*5:特殊な環境下で高濃度の放射能を放出するとか。自宅で保管する分には問題ないと仮定

*6:周囲の人が危ないから外に出ない可能性はある

*7:自己愛を得るための不毛な闘争をせず

*8:それに従うことがどれほど人生を楽にしてくれるか、メリットがあるか

*9:つまり自己愛を満たしてくれるもの

*10:言い換えれば到達点

*11:幸か不幸か

*12:他力によって救済を得る場合もある。本願念仏

*13:宝くじよりは分の良い賭けだと思う

保障を求めなければ

友人がブログを更新していた。非可逆的なものに対する恐怖、死、デジタル時代の「あたたかみ」……なるほど。

nvs-nk.hatenablog.com

読んだ後「保障を求めなければ非可逆的なものに圧倒されなくて済むのかもな」と感じた。保障を求めないとは、アフリカのサバンナで生きるという意味ではない。また経済的に裕福で国家に社会保障費を負担してもらう必要がないから求めないわけでもない。精神的に「なくても良い」と感じられる状態である。当然外から見ても分からないので本人の感覚に委ねる外ない。

 

社会的に疎外されている状態がデフォルトの私にとっては身近な話題だ。孤独は死に近づくことだ。脳が孤立を避けようとしていると示す文献は幾つもある。それは死を避けるための機能である。

しかし「死の方に突っ込んでいく」としたら?

保障を求めない態度は必然的に死を内包する。少し先の未来でも生きているか死んでいるか分からない。逆説的に言えば、保障を求めるとは可能性の分岐から死だけを排除する行為だ。自分自身から死を疎外する。そうして私たちは安心を得る。

「死を避けようとしない」とも表現できるかもしれない。常に死が私の隣にあること。人間には生まれた時から死を避けようとする機能がついている。寂しくなれば群れる。腹が減れば満たす。傷つけば治療する。それ以上を求めると歯車が狂い始める。

吹き荒れる風が織りなす雨音は

遥か遠く見えた大地の唄になる

黄金色に輝く瞼の景色と

やがて来る祝福の日々のため

Aimer/Torches

何事も程々がいいのかもしれない。

 

サラリーマン・ニート・旅人

共通点が分かるだろうか。一見すればバラバラに見えるかもしれないが、三者共にある「罠」に陥りやすい。可逆的な状態に安心を抱きやすいという点だ。参照した記事に「音源取り込みの際は安心感を得るためmp3ではなくFLACを選択している」とあるが、これは「後日FLACのままでも使えるしwavにデコードも出来る」という意味だろう*1。この状態では選択肢が増えたように見える。「FLAC/wav/mp3を選べる*2」と考えれば三択。それがデジタル時代の「あたたかみ」だと筆者は解説している。しかしこれが「罠」である。この状況は「FLAC/wav/mp3を選べるという一択」の選択をしているに過ぎない。未来の選択肢は残るとしても、現在を自在に操れるわけではない。

先に挙げた三者は人生をかけてこの状態を体現する。サラリーマンなら「昇進できるかもしれないし、そのままかもしれないし、転勤があるかもしれないし、辞めるかもしれない」。ニートは「何にでもなれるかもしれない」。旅人は「明日も旅を続けるかもしれないし、辞めるかもしれない」。

もうお気づきだろう。これは選択肢を幾つも保持しているように見えて実際そんなことはない。サラリーマンなら「昇進できるかもしれないし、そのままかもしれないし、転勤があるかもしれないし、辞めるかもしれない状態」が延々と続いていく。ニートを辞めない限り「何にでもなれるかもしれない状態」が続く。それこそサラリーマンやニートが持つ固有(一択)の状態だからだ。

 

自営業者は「罠」にかからない

自営業者や職人の方がこの感覚に陥りにくい。ラーメン屋の店主が「明日もラーメン屋を続けているかもしれないしそうでないかもしれない」と呟いているのを見たら、経営状態が悪いか隠居したいかの二択を想定するだろう。殆どの場合、ラーメン屋の店主は「明日もラーメン屋を続けている」と思っている。即ち一択の現在を選んでいる自覚がある。

 

サラリーマンが幸福になる方法

先ほど挙げた三者の中で最も"予後"が悪いのはサラリーマンだ。ニートと旅人は「罠」に気付きやすい、使った分だけ金が減るからだ。「何にでもなれると思っていたのに今はニート以外の何者でもないじゃないか」と現実に直面するチャンスがある。

サラリーマンはそれがない。働いた分だけ金は増えるし社会保障も充実している。だから(まだ自分に)選択肢は沢山あると思っている。現在進行形で"サラリーマン"という固有の状態から逃れられなくなっているのだが。

ただサラリーマンになるのが悪いわけでは無い。実際に会社を勤め上げ、定年を迎えた後で穏やかな生活を送っている人たちに会ったことがある。他者の意見を否定せず時には示唆に富んだ意見を送り、温和な表情で常に協調的な姿勢を崩さない人。組織心理学でいう「giver」を体現したような人。ここまで立派な方は知る限り一人しかいないが、老後(100%でなくても)この状態になれる人には共通点がある。社会的に成功していることだ*3。例を挙げると会社の役員だったり高級住宅街に土地を所持したりしていた。即ち現役時代に社会的地位と財産を築きあげているのだ。

 

サラリーマンの本懐とは

Salarymanは読んで字の如く「給与を得る人」だ。そして退職後に幸福な人は現役時代に確固たる財産を築いている。即ちサラリーマンの本来の意味である「給与を得る」という部分で成功している。彼らは自営業者と同じく自身の責務を知っていた。そして忠実にその責務を遂行したのである。

 

学歴社会の延長線

偏差値で価値が決まる学校と協調性が求められる就職後のシステムは別物に見えるが、実のところ明確に結びついている。先ほどの幸福な人たちは「社会的偏差値60-70」と言える。サラリーマンは給与を稼ぎ、自身の(社会における)偏差値を上げていくことで幸福度を高められるはずだ。その点から言って「勉強するのは選択肢を増やす為」という意見はまるっきり的外れである。沢山勉強すればサラリーマンになる確率が上がる。つまりサラリーマンにしかなれない可能性が高まる。勉学にせよ芸術にせよ「(成功するなら)同分野の偏差値60以上を目指さなければならない」のが真実だ。勉強して選択肢を増やそうとするのは結局「何にでもなれるかもしれない」(一択の)状態を引き起こす可能性があり、危険しかない。非可逆的なものから逃れようとする試みは「自分の選択肢が増えている気がする」という思い込みに着地するのである。

 

未来は可能性だらけ ---死を排除しなければ---

現在を中途半端なものにして安心感を抱こうとするのは一般的なことだが、私は勧めない。代償として膨大な時間を失ってしまうからだ。現在が非可逆的なのに対して未来は可能性に溢れている。そちらに目を向けた方がいい。

噂によると夢は生き物で

愚痴や言い訳で

すぐに弱っちまうらしいんだ

唯一の好物は可能性 良かった

俺やあんたも腐るほど持ってる

MOROHA/三文銭

但し注意点がある。未来に希望を持つ上で死を排除するとポジティブに偏りすぎる。それはそれで現実から目が逸れた状態になってしまう。「上手く行くかもしれないしそうでないかもしれない、その上で明るい未来に期待を膨らませる」くらいが良い。冒頭の文章と繋がるが、何事も程々が良いのかもしれない。夢想的な期待はせず、かといって現実を悲観的に見すぎず、着実に進んで行けば安定したマインドを保てるはずだ。

絶えず川が流れるみたいに

生き永らえたらまだ増しだった

立ち止まりたいけど立ち止まれない日々を

さぁ 生きている

tacica/GLOW

私に褒められても嬉しくないかもしれないが、記事を書いた友人は優秀な人である。協調性の欠片もない私と違って常に他者を肯定的に受け入れようとしているし、ステレオタイプな価値観に従って人を判断しようとしないし、自身を客観視しつつ慎重に歩みを進めることも出来る。未来の自分にほんのりと期待しつつ、頑張っていただきたい。

 

*1:勿論mp3等に変換も可能

*2:一旦他の形式は考えないことにする

*3:詳しく言えば「同世代と比較して社会的に成功しているのが確定的である」