『とある科学の超電磁砲』19巻 食蜂操祈サーガが止まらない(笑)

とある魔術の禁書目録外伝 とある科学の超電磁砲(19) (電撃コミックス)

19巻最新刊が3月に発売。ええ、毎回予約して当日に購入していますよ。毎回心待ちにしている。冬川基さんは、同人誌時代からのファンというのもあるけど、やはりこれは単品でとんでもなく面白いんで、本当にいつも心待ちにしている。『とある魔術の禁書目録外伝 とある科学の超電磁砲』は2007年4月から連載しているから、、、うちの子供が生まれる前からのファンなだ、おれ(笑)。え、17年くらい、、、。

🔳「御坂美琴、一年生」編が、まるっきり食蜂操祈、一年生編になってる!(笑)

食蜂操祈って、巨乳、豊満な駄肉あふれるボディで女の色気満々のはずなのに、中学一年生の、まだ背も伸びていないチビでガリガリの上に、自分が精神系の能力者で人に嫌われているのにビクビクしているまだ、人として幼く未熟な状態で描かれている。「獄門開錠(ジェイルブレイカー)」編(第14巻 - 第16巻)が終了して、17巻の131話から「御坂美琴、一年生」編。御坂美琴の一年生編なんだけど、食蜂操祈のリーダーの資質が示されていくみさきちゃんサーガの過去編になっている(笑)。ついに本編まで侵食をって気分になります。


https://dengekidaioh.jp/blog/railgun/entry-10655.html

原作の鎌池和馬さん、うますぎる。美琴もそうだけど、本編の中2−3の時点で、人の上に立ち、社会性も高く、社会の闇魔でも射程距離に入れた大人としての解決能力に溢れる隙がない人間位成長している二人とは思えない、未熟さ幼さが「エピソード」で示されてて、本当にうまい。本編の対比があるので、二人の未熟さが、極めて目立つ。しっかし、みさきちゃんは、どんな姿でも、かわいいな、おいっ。過去編は、常盤台中学の「学舎」としてのシステムが、凄い機能しているからこそ、この中で揉まれていると、急速に人として成長していくのが良く良く伝わって来る。いやはや、学園都市の常磐台中学って、行った創立何年なんだ?って思う。ウルトラエリート集団。旧制中学のイメージですよね。


永代姫君(マジェスティ)の制度って、よくよく考え抜かれてる。


これも、「能力」が前提の、学園都市だから起きるシステムなんだな、、、、この作品がかなり踏み込んでるSFなんだって、時々気付かされて驚きます。こんな幼い中学生の少女たちが、世界を操る、リードする権力を握る可能性が高い存在であると言うのは、物理法則無視の「能力」によって構成されているからですよね。


🔳食蜂操祈のリーダーの資質が示されていく姿


145話の「銀笛」がほんと、よかった。胸にブッ刺さった。もう最高。

普通に考えて「他人の心を操れる、心をのぞける能力」なんて、不幸への一直線だし、なによりも、そもそも「他者の考えがわかる」だけで、対等の関係が成り立つわけがないじゃないですか。ぱっと思い浮かばないけれども、「他人の心が読める」ことで、不幸のどん底になっていく超能力者とかの物語類型って多いですよね。あ、 佐藤マコトさんの『サトラレ』とかかな。あれも、大前提として、「他人の心が読める」存在が、社会にはじかれて恐怖の対象として孤立していく恐怖が前提として物語が組まれている気がします。そうか、これエスパーものの物語類型としても、「他人の心を操れる、心をのぞける能力」という異能をネガティブに社会から孤立させないってだけで、この学園都市の在り方と、食蜂操祈のキャラクターって、とっても斬新なんだ。。。。

petronius.hatenablog.com

前の記事でこう書いたんだけれども、操祈ちゃんのキャラクターって、エスパー系の物語なので、基本的に人間の社会に生きるのは凄く難しいと思うんだよね。先日、3月のアズキアライアカデミアの配信で竹宮恵子の『地球へ』の解説をしたんだけれども、あれも起源はSFの A.E.ヴァン・ヴォ-クトの『スラン』と言うエスパー迫害ものなんですが、人類社会の中でミュータントとして生まれたエスパーは、超能力を持たない旧人類と対立して、差別、迫害、最終戦争に至る話になっているんだよね。この前提は、相手の心が読めたり、ましてや精神操作ができたら、「人間として対等な関係は築けない」と言う前提があるからなんですよね。


つまり、エスパーものには、「対等な人間関係が築けない」というドラマトゥルギーが前提なんですよね。


それに真っ向から反対のエピソードを積み上げていく操祈ちゃんサーガの説得力に、クラクラしちゃいます。と当時ですら思っていたのに、この19巻の、彼女が対等な友人関係を作り出し、それでいながら常磐代最大派閥という「組織」を作り上げていくところに、さらにさらに驚きのセンスオブワンダーを感じてしまいます。


いやーあの小さな体で、まだエクステリアや能力を使うのにもエネルギーが必要そうで、かなりそんどそう雰囲気なのに、しかも、精神的に未熟だからだいぶ問題の解決解決能力もリスキーな危うさがあるのに、、、、自分を恐れる学生たちに、叱咤激励をして、たった一言で指導者の自覚を思い出させ、奮い立たせ、動かす。あの火事のシーン、見てて鳥肌が立ちました。生意気だ、生意気だって思ってる年上の先輩が、「リーダーの資質だ、、、」と感心してしまうのも、見事。組織の上に立つ人間は、「縦社会の上から愛される人」でないと、ダメなんです。


・・・・・なのに、飼い猫を探して、命をかけちゃうのが、、、、猫の名前が「みーちゃん」なところとか、もうやばすぎる。


そりゃ、周りの人は、こんな人なら、、、って思うよ。誰も見ていないだろうけど、猫相手のシーン、かわいすぎるでしょ(笑)。


🔳本当に媒体が入り組んでいて複雑なのに、関係なしに魅入ってしまう


記事を毎回書くのは大事だなと思う。その時々の、盛り上がった感情を記録していると、後で読み返すと、どの観点で自分の感情動いたかがわかるので、読みがどんど深くなる。コツコツ描きませう。

petronius.hatenablog.com

脇役が本当に輝くんだよね、鎌池さんの話って。

『茉莉花官吏伝』 封建制の中華ファンタジーのガワで描かれる女性の為政者への立身出世物語

茉莉花官吏伝 〜後宮女官、気まぐれ皇帝に見初められ〜(1) (プリンセス・コミックス)

評価:まだ終わっていないので未評価
(僕的主観:★★★★★5つのマスターピース

🔳少女小説に時折現れる大長編大河ロマンサーガ

少女小説には、時折、小野不由美十二国記』や須賀しのぶの『流血女神伝』のような、もうそれって少女小説の枠を遥かに超えて大サーガ、大河ロマンじゃないかとというような傑作が生まれることがよくあります。僕は、石田リンネさんの『茉莉花官吏伝』は、このレベルの傑作だと思っているし、なによりも、好きで好きでたまらない物語で、マンガ版、小説共に、何回も読み直しています。特に、小説はすでに『茉莉花官吏伝 十五 珀玉来たりて相照らす』(2024/3時点)の15巻までの長編なんですが、何度も読み返しています。

🔳「普通」の少女の立身出世物語

どんな物語か?と問えば、中華風ファンタジーの世界で、晧 茉莉花(こう・まつりか)という16歳の少女が、平民生まれで官位のない宮女(後宮の底辺の下働き)から、女官に抜擢され、科挙に合格し官吏になり、出世を遂げて、多分物語は、彼女が宰相になるか、位人身を極めるであろうところまで描かれるビルドゥングスロマンです。

2024年のMe Tooやフェミニズムが吹き荒れ、ポリティカル・コレクトネスが浸透していく2020年代の物語にあたって、過去には「少年(男)が主人公であった物語パターン」に、同じパターンで少女(女)を当てはめていく実験というか、物語の作り方はブームであり、かなり思考実験くさい部分があるので、イデオロギー的臭みがあるものも多いのですが、それはそれで、豊穣な物語世界の多様さを生み出す大きな挑戦なので、それはそれで僕は非常に肯定的。なのですが、やはりね単純に少年を少女に置き換えているだけだと、いわゆる男尊女卑の「男社会のヒエラルキーや権力闘争の構造」に対して「男性的価値観で競争で押しのけて打ち勝っていく」というものを描くと、明らかに「ひねり」が足りないんですよね。いわゆるフェミニズム第一世代みたいなもので、女性が単に男性化しただけ。これはこれで価値はあるものの、多様性という観点では、かなり窮屈な物語になってしまう。だって「普通の女の子」の価値観や「女性であること」を否定してしまうから。でないと、弱肉強食の社会は、サバイバルできないって話にオチがつく。だから、この物語の石田リンネさんのこの晧 茉莉花の設定は、本当に素晴らしいし、見ていて、いやまさに今の時代の最前線の物語だなってうなります。


まぁ、なんか難しいこと言っているけど、茉莉花がとてもいいんだよね。等身大で、無理がない。


茉莉花は、16歳の最初から、目立つことを嫌い、とにかく出世とかしたくありません(笑)。


立身出世の大ビルドゥングスロマンなのにさ。この物語の主軸は、その彼女が内面的に成長していくんですが、とにかく、「普通の女の子」なんですよ、スタート地点も、本質も。ただ単に、国を動かすレベルのテクノクラートとして「適性があった」だけで、野心も自意識もゼロ。なんなら「記憶力」という才能はあるものの、その武器の使い方を知らず、幼少期に失敗をしているので、自信も全くなく。でも決してネガティヴに、それが「トラウマになっていて」、そのトラウマをバネにというようなドラマトゥルギーにもなりません。別に、そこまでたいしてトラウマでもないので。


本当に自由な社会とは、「ただの普通の人」が「適性があった」からで職業を選んで生きていくような世界だと、僕も本当に思う。そこには、男とか女とかよりも、そもそも適正だし。また、男性的な競争社会のマッチョイズムも、ここには全然ないのが、とてもいい。「国を動かしたいから!とか、国を良くしたいから!」とか、そういう「大きな野望や志」を、茉莉花微塵も持っていない(笑)のが、本当に素晴らしい。仕事における「大きな目標」が全くないのが、本当に「ただ適正だけ」という感じがして、素晴らしく良い。


なのに、凄い頑張るんだもん。そりゃ、珀陽も惚れちゃうよ(苦笑)。


少女のビルドゥングスロマンって、とてもとても現代的。


そしてですね、マンガ版の『茉莉花官吏伝~後宮女官、気まぐれ皇帝に見初められ~』の、サブタイトルが、とても面白いといつも思うんですよね。


後宮女官、気まぐれ皇帝に見初められ


この構造は、中華風ファンタジー後宮の物語では、基本構造じゃないですか?。これって、国家の統治が「血統」によってなされているために、皇帝とその妃たちは、ブリーダーにブリーディングされているようなものですよね。男の子を産む生まないの運によって、人生が支配される、基本的人権のなき地獄の世界。このあたりは、よしながふみの傑作『大奥』や『ザ・クラウン』( The Crown)なんか見ていると、ほんとしんどいなと思います。あとは、韓国ドラマの歴史ロマンは、基本的にこの構造を持ちますよね。少しずれますが『宮廷女官チャングムの誓い』とか、中華ドラマなら『コウラン伝 始皇帝の母』とかとか。


でもね、この小説のタイトルって、「茉莉花官吏伝」なんですよね。


わかります?。官吏として、官僚テクノクラートとしての立身出世の物語なんですよね。だから、「皇帝の寵愛」とか、いいかえればビックダディ的な、結局は裏で操っている権力者の男がいるっていうのとは、相反している話なんですよ、ドラマが。このへん自覚的で、最初から茉莉花が「普通の女性なのに立身出世を遂げて官吏として成功して、その物語が後世の官吏を目指す女性のバイブルになっている」という未来の部分から物語は始まります。・・・なのに皇帝珀陽と恋仲になちゃって悩むところとかも、ドラマトゥルギーとしてとても話に緊張感を与えてて、上手いなぁ、と感心しちゃう。なんかね、いや、これ、普通の女の子の自意識持っていたら、普通にぶつかる心理的バリヤーとかガラスの壁とかを、素直にぶつかって超えていくし、変に捻くれて、ならば私は恋などしない!とか、男よりもより強い男となって権力をににぎるぅぅぅぅみたいな話にずれない。素直に、悩んでて。なんというか清々しい。


まぁもちろん、彼女がとんでもなく「仕事ができる」という適性の持ち主であり、物語に主人公にふさわしい適性を持つのは事実です。


そこで起きるイベント、事件が、、、、なんというか、どれも、リアルな政治であり、戦争であり、謀略でありって、「現実を直視せざるを得ない」厳しいものばかりなんですけど、何が素晴らしいかって、


この大イベントの問題の解決能力の高さ!です。


よ、よく、、、、こんなエピソード考えられるなってもののオンパレードで。茉莉花の、、、「自信のない等身大の女の子の自意識」を持ちながらも、「国を揺るがす事件に対する問題解決能力」どころか「問題構想能力まで成長していく」、仕事人としての成長の仕方が、いやはや見事。これって、内政ものとか、戦記サーガとかでも、ここまで鮮やかに問題を解決するテクノクラートって、なかなかなくない?って思います。


しかも、赤奏国での内乱を内戦なくして収拾する方法とか、地方のに飛ばされて殺人事件捜査のミステリー仕立てから戦記ロマン(笑)に入っていく話や、叉羅国という部族主義の「家」ごとの意識しかない国におけるナショナリズムを作り出すことによる内戦回避とか、バシュルク国へのスパイ潜入・・・・どれをとっても、それひとつで素晴らしい小説じゃないか!というレベルの完成度で、うなります。


通常、ライトノベルとかファンタジーの「人を殺したくない」とか「戦争は嫌だ」みたいな話は、ただのお題目で、多分そこまで本気ではなくて、「現実にそのヤバい戦争状態とか殺し合いの状況に放り込まれた」ら、すぐに適応しちゃって戦うしかないとなるんですよ。だって、「解決の方法」がなければ、それ以外は自分とかが殺されるわけですから。


でも、茉莉花の問題の解決能力、構想力は、確かに!それかよ!と思うような射程とがあって凄い。例えば、異世界転生のチートって、自衛隊が、つまり現代の武力が転生したとか、現代の能力を持ち込んでいる「格差」によってなされるものばかりで、ほとんど現実味はありません。それはそれで、楽しく素晴らしい物語ですが、ここで描かれている茉莉花の物語は、全然違うものだと僕は思うんですよねー。戦争は嫌だって、普通の少女である茉莉花は思うんですが、為政者としての彼女の発想は「戦争は現実的解決策」という身もふたもない選択肢を無視しません。それを回避しようとしたら、ではどうやって?というのを、具体的に考えて解決方法を模索していくところに凄みがあります。


これって、中華風ファンタジーの「時代もよくわからない曖昧な設定」の中で、茉莉花の思考の冴って、本当に凄い。僕は、叉羅国編、8巻の「三司の奴は詩をうたう」9巻の「虎穴に入らずんば同盟を得ず」のあたりの話とか、、、、この叉羅国というのは「家」という部族主義の国で、「国家」言い換えればネイションステイツの概念がないんですよね。茉莉花は、もし自分が、この国に生まれたジャスミンという少女だったらという思考実験で、自分のご主人様を殺された人を許せないだろうな、とかどんどんシュミレーションを深めていって、感情移入した上で、


では、どうするか?


と、凄まじく鋭い現実認識をして、その上で、解決方法を「手持ちのもの」だけで考え出していく様は、マジで、これって超優秀なコンサルタント的な発想じゃんって、うなります。師匠である芳子星との会話とかも、物事を解決に導くときに必要な「思考形式」の話とかやりとしてて、なんやこれ、なんでこんな楽しく、面白くこんな難しい話かけるんだっていつも震撼します。


とはまぁ、ペトロニウス大絶賛の、大好きな小説です。


ちなみに、マンガも大好きです。絵が、めちゃくちゃ好き。


ちなみに、『十三歳の誕生日、皇后になりました。』は、茉莉花が宰相補佐として実力を発揮した赤奏国のスピンオフ作品です。これも、マジでこのタイトルかよ!しかも、ヒロインの皇后の名前は、虂 莉杏(ろ・りあん)(笑)って、あなた、少女小説家でしょう!って、言いたくなるナメたネーミングとかなのに、これが、、、、、マジで素晴らしい。石井リンネさん、何者なの???小説がめちゃくちゃ素晴らしすぎます。


十三歳の誕生日、皇后になりました。 コミック 1-4巻セット


www.youtube.com