思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

僕らは結局ハローグッバイ

タイトルはこの曲(ノンブラリ「ながい日記」)を聴いていて思いついたフレーズ。Apple Musicのステーションで流れてきて、そこから好きになった。

 

僕らはずっと、ハローとグッバイを繰り返して生きている。それは喜びと悲しみと、美しさに溢れている。痛みに少しずつ慣れながら、その喜びの裏にいつかやってくる悲しみに怯えながら、それでも僕らは歩き続ける。怖くもある。いつかグッバイを言わなければならないのなら、ハローなんて言いたくないなんて思うこともある。それでも僕らはまた出会い、ハローを交わす。

ハローだけでも、グッバイだけでもなく、ハローグッバイなのが僕らの人生。グッバイがあるからハローが美しくなるし、ハローがあるからグッバイは美しい。人生はなんと寂しいことだろう、でもその寂しさが美しいんだ。

いつかは来るであろうお別れをずっと意識しておくことなんてできない。そんなことをしていたら心がもたないから、知らないふりをして生きている。でも、僕らがなんと思おうと結局のところ別れはやってくる。それは変わりがないこと。そして僕らが実はずっと昔から知っていること。

だからこそ、そのハローグッバイをしっかり噛み締めて味わうことって、すごく美しいことなんだと思う。だってそれが人生なのだから。

誰かと人生のある瞬間だけ交わり、そして離れていく。でも確かにそこにそのハローグッバイは残り香を置いていって、その残り香の重なりが豊かななんとも言えない深みを作り上げる。もう忘れてしまったようなハローグッバイも、その全てが今の僕になっていて、きっとどこかの誰かの中にも僕とのハローグッバイが根付いている。

ああ、忘れてしまうって寂しいね。でも忘れてないんだよ。だって微かにでもちゃんと香っているから。僕が僕である限り、僕が僕の人生を歩んでいる限り、忘れていないんだよ。ちゃんと生きているんだよ。

風走る5月

GWが終わり、明日(もう今日か)からまた授業が再開される。明日の朝までの課題が未だに終わっていなくて、なんでこんなことになっているんだろうと自分を呪う。本当は今日ちゃんとやるつもりだったのに、うだうだしていたらこんな時間だよ。眠い。でももう少し頑張らないと。自分のために。こんなこと書いている場合ではないかもしれないけれど、どうにも体も心も向き合えなくて、だからここにいる。こうやって書くことくらいしか、私は乗り越える術を知らない。外は雨が降っている。雨でなければ、この時間から自習室に行って頑張るなんてこともできたかもしれないけれど、雨では無理。

 

五月病、と言ってしまえば簡単かもしれない。気を張っていた最初の1ヶ月が過ぎ、少し気が緩み、そして連休で地に堕ちる。まあ無理もないよなと思う。休みは必要だけれど扱いが難しいな。休むということ、また動き出すということ。まだ私は休み方が下手なままなのかもしれない。後悔を繰り返して休みが終わる。

明日までの課題があることは幸せなことかもしれない。強制的に動き出すことでまた歩いていける。大学院は別に強制ではないもので、だからある意味サボったところで問題になるわけでもないのだけれど、だからこそちゃんとやり通したい。自分で選んだこの道を自分で進むということ、その自己効力感はきっと幸せなもので。頑張りたいし、今の私は多分頑張れる。働いていた時にやっていた勉強よりもはるかに楽で、恵まれている環境の中で歩めることをしっかり噛み締めていたい。大学からそのまま大学院に進んでいたら、きっとその環境に慣れてしまって、何も思わなくなってしまっていたかもしれない。遠回りをした分、得たものがある。忘れずに進んでいきたいね。

 

よし、気持ちは上を少し向いた。一歩一歩やっていこう。いつかこの一歩が実を結びますように。

タイトルはこの曲から。風に乗って私も走っていけたらいいな。

 

(追記):

最近、追記が本題と関係ないこと(それ単体で書くには少ないようなこと)を書く場になってしまっている。まあいいか。そういうもんだ。私がここのルールだし。

 

この対談記事があまりにも私に刺さったというか、この大好きな二人がこのタイミングでこうやって語り合うなんて!ちょうど家主のライブを大阪で見た翌日に出たもんだから、興奮がしばらく止まらなかった。家主とかくるりがお好きな方、ぜひ読んで。

家主 田中ヤコブ×くるり 岸田繁、音楽に投影する“社会と自分” The Beatlesを継承する意義も語り合う - Real Sound|リアルサウンド

 

他に何か書くことあったっけな。あるような気もするが、それを思い出すよりはまず目の前の課題に取り組むべきで、まあまたどこかで書くのかもしれない。


好きな音楽に出会えました。サビ終わりの「教えてあげない」がとても好き。

京都思い出の地

京都の思い出の場所を振り返ります。前飲食店をやったので、今回は場所。

 

今更振り返るのもな、みたいな気持ちもあるけれど、とはいえそれで書かなかったら全て消えてしまうだけで、それはなんだか寂しいこと。

今は香川の地で暮らしていて、それには満足していて、京都に戻りたいとか恋しいとか思っているわけでもなくて。一旦、距離を置いておいた方がいいなと思っているから、当分帰らないつもりでいる。帰ったところでどうするんだというか、別に帰る場所もないのだけれど。

そんな状況でこんな振り返りを書くのは郷愁を刺激されるだけで良くないような気もするが、まあいいか。

 

大学

6年間いましたからね。思い出の場所なんてまあいくらでもあるというか、書き出すとキリがない。あとはやっぱり最初の頃にいた場所の記憶はもう曖昧で、あまり覚えていない。

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薬学部

全然覚えていない。講義室がどんなだったかも、実験室とかも、建物の構造も、ほぼ覚えていない。本当に私はここにいたのだろうか。

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サークル(ブリッジ)

最初の何年かはここにずっといた。流石に懐かしい。ブリッジももちろんのこと、色々なボドゲをずっとやっていた気がする。とてもボロい建物だった。楽しかったな。

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将棋部

今でもたまに行くのでそこまで懐かしさがあるわけではないけれど、やっぱり自分に染みついた場所だと思う。ずっといた場所。多分青春だった。

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体育館裏の桜

京都の中で一番好きな桜だったかもしれない。誰もいないこの桜の下で、散っていく花びらを眺めるのが好きだった。ここのことを忘れたくなくて、だから今この記事を書いているのかもしれない。

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カウンセリングルーム

大変お世話になりました。私のカウンセリングの原体験はこの時のF先生とのものだった。救われたなぁと思っている。お元気ですか。私は元気です。遠回りしたけれど、同じような道をもう一度歩き始めました。

 

研究室

随分とお世話になりました。が、当時の私の精神状態では全然できないことが多くてだいぶご迷惑をおかけしました。申し訳ねぇなぁって気持ちがたくさんある場所だった。もっとちゃんとここで学べばよかったなって思うけれど、実際あの時の自分ができたかっていうと無理だったのかな。

 

百万遍

どういう括りで語ればいいのかわからないが、交差点も周辺の店も空気感も含めて好きでした。変わっていく部分もたくさんあるけれど、それでも空気はあまり変わらない。

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更新のたびに引っ越したりしていたから、10年で4軒に住んだ。

1軒目

2年住んだ。5階建で5階だった。毎日歩いて登るのは大変だった気もするが、言うほど気にしていなかったかもしれない。広くもなく、ユニットバスだったから多少暮らしにくさはあったけど、まあ悪くはなかった。この頃は物もそんなに持っていなかったし。あと和室なのがポイント高かった。

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2軒目

Gがたくさん出るボロい家だった。家賃の割に広く、和室だったりとか好きなポイントもあったけれど、日当たりなんてものはないし、暗く湿った空間だった。よく2年も住んだと思う。家を出て少しすると、大文字山の大の字が見えて、それはすごく好きだった。あと屋上から星を眺めるのも地味に好きだったな。泣きたい時に屋上に上がったことが何回かあったような、なかったような。

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3軒目

哲学の道近くにあり、とても静かですごく好きだった。落ち着いたなぁ。更新して3年住んだし。できればずっとここにいたかった。

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4軒目

伏見で3年くらい。もう体に馴染んでいたし、最初は気になっていた騒音も全然気にならなくなった。最近すぎてあまり懐かしいとかそういうものでもない。なんだかんだで好きだったかな。

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鴨川

割と好きだった(京都の人なら大抵そうか)けれど、初期はあまり思い入れもなく、だからか写真も全然撮っていない。3年目くらいだったか、鴨川を見てふと「京都も捨てたもんじゃないな」なんて思ったりもして、そこから少し京都との距離が縮まったような気がする。河原に寝転んだり、自転車を走らせたり、酔っ払ってみんなで三条から北上して帰ったり。

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宇治川

宇治川派流も含め、3年間毎日のように見ていたから、なんだかんだで思い入れがある。宇治川派流は特に桜が綺麗でよく眺めていた。宇治川は河川敷をひたすら歩いたりして、時に泣いたり、いろんな感情を流してくれる場所だった。観月橋からよく眺めていたし、その辺りから近鉄の橋を眺めるのもすごく好きだった。

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観月橋交差点

観月橋自体は風情も何もない橋で、それ自体はそんなに綺麗でもないのだけれど、交差点(あるいはその北の坂の上)から眺める景色(京阪宇治線の踏切とその向こうの橋、オーバーパスする道路、遠くに見える近鉄、広がる青空と雲)はなんだか好きなものだった。

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高瀬川

通勤で毎日のように河川敷を通っていた。この川の景色は結構好きだった。だいたい歌いながら自転車を漕いでいた道。3年間の思い出が詰まった道かもしれない。

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寺・神社など

南禅寺・蹴上インクライン

好きだった。なんか落ち着くから、自転車を走らせて哲学の道を南下してよく行っていた。インクラインは特に桜の季節には毎日のように行っていたな。

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哲学の道

桜が綺麗です。本当に。銀閣寺から銀閣寺道の辺りでは花筏ができるので、それが毎年すごく楽しみだった。あと雪の時も綺麗です。この辺りに住めていたのはすごく贅沢なことだったと思う。

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銀閣

近くに住んでいた時、雪が降った朝には行ったりした。綺麗だったな。雪にワクワクできたのは銀閣寺のおかげでもあると思う。

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高雄(神護寺など)

紅葉の時のお気に入り。本当に綺麗です。

 

常寂光寺

紅葉の時のお気に入り。ここも本当に綺麗。侘び寂びというか、落ち着いた美しさがある。

詩仙堂

落ち着く。紅葉が綺麗。畳のところに座って、縁側に座って紅葉を眺める人々を少し遠くから眺めるのがなんだか好きでした。

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醍醐寺

ここも桜が綺麗。伏見に行ってからは何回か訪れたけど、結構好きでした。

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大文字山

登るようになったのは後半になってからだった。だいたい銀閣寺のところから登って、ノートルダムの辺りか日向大神宮に降りるのが私の定番コースだった。登りは普通に急だけど、そんなに時間かからず登れるし景色綺麗だしでいい場所だったな。

下から見る分にも大の字は京都市民のシンボル的なものでもあって、なんだかすごく心残る風景だった。2軒目の家の辺りからはよく見えたし、あとは大学から今出川通を上がっていく時によく眺めていた。

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京都タワー

登ったことはない。でも京都に帰るたび、あるいは京都を出て行くたびにそこにあった。京都、と言うことを強く意識させるのは京都タワーだったのかもしれない。

 

京都リサーチパーク

社外の講習会で2022年によく行っていた。あとは京都経済センターにも。別に思い出ってほどの思い入れはないけれど、忘れるのもなんだか寂しいなって思うから書いておく。写真なんて撮ってないけど。

 

ロームシアター京都

コンサートでよく行っていた。何回だろう、5回くらい?近いのもあって馴染み深い箱だった。

 

磔磔

四条にあるライブハウス。他にもMUSEとか、拾得とかにも行ったけれど、思い入れはここかなぁ。古いからボロいんだけど、だからこそ落ち着く空間だった。一番最初に行ったのは叔母に連れて行ってもらった時だったと思う。

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他にも思い出の場所は細かく言えばたくさんあったけれど、キリがないのでこれくらいにしておきます。

書いているうちに帰りたくなるかなとも思ったけけれど、そんなこともなかったので、今の私はそれなりに幸せなんだと思います。

眠りにつく前に

疲れが来ている。踏ん張りどころという表現は、これからもっと頑張ることを考えると相応しくないかもしれないが、一旦少し踏ん張って頑張るところに来ているような気がする。眠いが、寝る前にもっと色々とやらなければ、と思う。これを書くことも、今きっと自分に必要だと思って書いている。

日々を生きるのに精一杯というか、なんとかこなしていくのに必死。新しい環境に身を置いて、そこへの適応というか、あまり知らない人たちとのコミュニケーションにすごく気を使っているのかもしれない。知らず知らずのうちにその疲れが蓄積しているのかな。それでもなんとかやってはいけているんじゃないかなって思っていて、これはきっと遠回りした分の経験がちゃんと生きているのだろう。

日々を振り返ると、もっとしっかりやりたいのに、できていないことがすごく多い。復習の時間も、予習の時間も、インプットもアウトプットも全てが足りていない。授業の内容だけでなく、自分でする勉強も、研究のための調べ物も、何から何まで足りていない。もっと何かを犠牲にして、時間を割いていかないと、本当にあっという間に時間は過ぎて、それで終わってしまう。

実際にはそんなことはないのだけれど、働いていた時よりも時間の捻出が難しいような、そんな錯覚に陥っている。多分、退職してからの時間の怠惰さに慣れてしまって、体が活動的じゃなくなってしまっているんだ。あとはやっぱり他の趣味、楽しみに流されてしまっている。良くないね。

 

たくさんのことを日々学んでいるけれど、それをもっと定着させないといけないし、それよりももっと学ばないといけない。あまりにも学びが足りていない。本当にすごくすごく痛感しているところ。貪欲さが足りていないし、良くも悪くも前からの生活スタイルのまま暮らしてしまっている。もっと学びに舵を切らないといけない。

あまり焦りすぎるのも、根を詰めすぎるのも良くないってわかってはいるつもり。多分心と体がセーブをかけて、平穏に暮らせるようなバランスが今なのだとも思う。でも、もっと、もっと、もっと。

そうですね、多分焦りすぎてもいる。ただ客観的に見ても、もっとやらなければいけないはずだ。もっと。

 

もう少しやることを明確にしないといけないかも。勉強をもっとしなければいけない、ではなく、この日のこの時間はこれをどれくらいやる、みたいなことをちゃんと形にしていかないといけない。毎日やることを具体的に考えてやらないと、ずるずると行ってしまうような不安がどんどんとやってきて、今みたいな不安定さにつながってしまう。頑張るっていうだけじゃダメなんだよ。

あとは目的意識を見失わないでいること。なんのために今私は学んでいるのか、ちゃんと忘れないように。学費を自分で払っているのだから、本当に貪欲にならないとね。少し醒めた目をする癖を、もう振り払っていきたいなと思う。

 

(追記):

別に書き足すようなことでもないけれど、なんとなく。

「生まれた所や皮膚や目の色で いったいこの僕の何がわかるというのだろう」は、今学んでいるところと少しリンクするものがあって、ただ聴いていただけの頃よりも少しくっきりとしてきたなというか。こうやって少しずつ、音楽は自分の中の色々な物語と結びついて彩りを与えてくれる。


 

雑記

いつも以上にとりとめがないです。夢のようなもの。

 

環境の変化に伴い、体がひどく疲れている。疲れているから免疫が落ちたのか、左目だけがずっとしょぼしょぼするし、とめどなく溢れる涙で左瞼が腫れた。眼科に行って薬をもらって少しは落ち着いたけれど、でもまだしょぼしょぼしている。もうこの状態が一週間続いていて、しんどくてうんざりする。アデノウイルスは一応陰性だったし、花粉症なのかなと思ったが、それにしては右目がなんともないのは不思議で、だから偽陰性の方が可能性が高そうだ。嫌なことだ。

 

最近のことを振り返っても、なんだか心がふわふわしていて、あまり覚えていないことが多い。あれ、今日何してたんだっけ、みたいなことも。疲れているな。色々とやらなきゃいけないことも多い。少しずつ着実にこなしていくしかない。

 

森見登美彦の「シャーロック・ホームズの凱旋」を読んだ。面白くて夢中になり、1日で読み終えてしまった。森見作品は昔から好きでよく読んでいたけれど、その空気もありつつ、ちゃんとミステリとしての面白さもあり、すごく好きな作品だった。「【新釈】走れメロス」のように名作の舞台を京都に作り替えていて、その結果ヴィクトリア朝京都なんてのが登場する。シャーロック・ホームズをただなぞるだけでもなく、森見エッセンスであるところの不毛さとかぐるぐるしてる感じとかが良かったですね。なんだか久しぶりに小説を一からちゃんと読めたような気がする。

 

音楽はちょっと新しい風を取り込みたくない気持ちが強いのか、お馴染みの曲ばかりをずっと聴いている。多分、環境が変わった分、音楽は変わらないものにしておきたいというか。じゃないと自我の同一性が保ちにくいと、もしかしたら新しいものを体が拒否しているのかも。

だから、もう少し前から聴き始めていた音楽について。

関ジャムで紹介されているのを観てから、TOMOOをよく聴いている。


「Super Ball」、確かにすごくいい。かっこいいっすね。 

 

綺麗な歌声がすごく生かされているなと思う曲。なんかいい。

 

あとはLaura day romanceを聴いていることが多く、最近は特にこれ。この気だるさが今の気分になんだか合う。

 

 

あとなんでしょうね。そうだ、この間北山修さんの講演会に行った話。

適当に入ったうどん屋に貼ってあったポスターでその講演会を知り、それで称讃寺に行って聴いてきた。人が多くてびっくりしたな。あとサインもらっちゃった。

 

色々聴いて、すごく勉強になった部分もあれば、まあ著書で読んで知ってたなっていうこともあったりって感じではあったけれど、すごく良かった。

その中で、最後の質疑応答での言葉が印象に残っている。

「音楽や小説などの文化を楽しめない人はどうすればいいか」という質問に対して、

「文化が発生する現場は、まずは二人の間で共有されて共に楽しめるというのが、やがてたまたま第三者にも受け入れられたら、これが文化として広がりを持っていく。文化を楽しめないというのはそれが第三者のために作られたものだから、そこに入り込めないってことで、まず誰かにわかってもらうしかない。カウンセラーはたった一人の人に出会って、たった一人の人のための言葉を紡ぎ出していく。二者言語が始まりで、そこがカウンセラーの仕事なんだ」っていうようなことを回答していた。

 

五島で免許合宿に行っていた時、そこで友達と話す中で私も同じようなことを考えていた。

歌とか小説とか映画とかドラマとか、そういう文化で救われる人たちはたくさんいる。泣ける、とか感動する、とかの体験によって。カウンセラーが救うよりもたくさんの人たちをそれら文化は救うわけで、じゃあカウンセラーの役割ってなんだろうっていうことをその友達と話していた。

そこで私が考えていたのは、そういった文化で救われないくらいに沈み込んだ人たちを、文化で救われるくらいの水準にまで和らげていくことがカウンセラーの役割なんじゃないかってことだった。カウンセラーはいつまでも一人の人のカウンセリングを続けるわけにはいかなくて、だから終わりをちゃんと設定するわけだけど、その終わりはそういう場所なんじゃないかって。自分である程度問題に対処できるようになるーーそれは文化を使うことも含めーーところが終着点だとするのであれば、それは北山修さんのいうところの、二者言語の段階を引き受けることと同じような気がしている。だからここを私はすごく大事にしていきたいなと思った。

 

あの素晴しい愛をもう一度、本当に好き。