smile for not dying

 

 風太くん。風太くんは障がいを持って産まれて今年で12年目です。小学校6年生ですね。

 風太くんは地元の公立小学校に通っています。身体を自由に動かせる人たちと同じようにです。

 彼の生活はすべて車椅子の上でしたが、胸から上のほうは何不自由なく動かせましたので、小学校低学年の頃なんかはよく喋り、活発というのがとても似合う子供でした。

 

 しかし、この頃はといいますと口数も少なく、以前のようなはしゃいで車椅子がガシャガシャとする音も聞こえてきません。纏っているオーラのようなものもなんだか暗く感じられるのです。

 

すぐに怒るようにもなりました。友達はみんな風太くんから離れるようになり、それまでなかった風太くんへの小汚い嫌がらせも、昔からあったみたいに自然と始まりました。

 

風太くんは小学校6年生。以前にはなかったような曇ってて嫌な感情が、細い煙のように心に入って渦を巻いて膨らみ続けていました。

 

ひとりでは外に出られないこと。身体測定の項目がみんなとまるで違うこと。ひとりでトイレができないこと。友達同士が付き合い始めたこと…。

 

今までと何ら変わりないはずなのに、時間は容赦なく進んでいくわけで。他のみんなはずんずんと階段を登ってキラキラしているのに、自分といえばひとりで立つこともできない。そんなみんなが妬ましくて。羨ましくて。またそんなことを思う自分が惨めで。恨めしくて。

 

みんなといればいるほど、余計だとわかっているのにどうしても抱いてしまう感情を風太くんはなんとか殺したい思いました。しかし何度も言いますが、風太くんは小学校6年生。そんな時の処世術なんて知るはずもなく、その結果みんなと距離を取りひとりでいようしたのです。

 

 風太くんはみんなと同じ中学校には進みません。風太くんと同じ体質の子供が集まる中学校へ行くのです。

 

 

 これから風太くんが5年後、10年後、あるいは50年後に今のこの現状なり感情なりを、風太くんは一体どう思うのか。そんなことは当然未来の本人にしか分かり得ないことですが、彼が小学校6年生のころを思い出したなら、それはすごく面白いことだと思います。

 

そのような、過去を振り返り、思うことが出来るような毎日を過ごしたいですね。刺激的な日々だけではなく、面白いほど何も起きない日や飲み下して次の日を潰した日や。鮮明じゃない出来事も全部含めて。

 

忘れることはもちろん当たり前で、すべて覚えてるというのもすごく苦しいはずです。

ただ、忘れたことも忘れてしまうのは少しだけ嫌だなと感じます。今のぼくは。