明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

240508

元交際相手と話す。元より自明であった点を殊更問題視された点、それに伴い今後シャカリキやっていく為に2人で慎ましくも穏やかかつ緩やかに過ごすようなほんの僅かな充電期間さえ許されなかった点、発展的解消という名目ではあるがこちらとしては捨てられたも同然である点等が悲しかったというような話をした。

向こうは関係を解消したことで余裕が生まれたのか、先月よりも好意を表明してもらえる頻度が高くなり、(相手の言葉を借りるのであれば)復縁を目指していこうというようなことも明確に言ってくるようになった。交際関係の解消というのはもっとシビアなものを想定していたので、復縁を射程に捉えた破局というのは理解し難く、全体的に相手にとって都合が良いように思うとも漏らしてしまった。が、これは相手にとって必要なことなのだろう。元気になってもらえたらそれでいいし、相手のこととは無関係にこちらはこちらで京都を出てやっていきたいと思っている。

今日も今日とて頭痛と胃痛で寝倒す。適応障害という大義名分を得てしまったからか、自堕落に過ごしているように思う。仕事もできていないし。本でも読んで過ごしたかったんだがな。

あののラジオに峯田がゲスト出演していて、「最近あのちゃんはいつSEXした?」と尋ねる峯田に「もうしまくりですよ」みたいな返答をしていて、15歳でアイドルやってた頃を知る者としては感慨深くなった。

おわり

240504

シビアな話になり泣く しかし希望はある 寧ろ同じところを目指していると確認することができて安心できた面もある やらなあかんけど不安 しかしやらなあかん それはそうと元気は出ない

おわり

240503

やはり恋人とのことについてはブログに書くべきではなかった こういうことをされたら嫌だな〜と平時なら思うようなことをしてしまった 猛省 言うまでもなく寂しいがどうすればいいかわからない

おわり

240502

現在進行形のパートナーとの関係について仔細に書かないという自己ルールに抵触してしまった。書いて整理されることがあるのと別で、人目につくところで言うことなんか。わからない。

気合い入れて肉焼いて食べたら気分が悪くなった。今日も寝倒して胃痛、頭痛は良くなった。シャキッとやっていきたい。

おわり

no title

4月が終わった。昨日から5月は始まっていたが、4月が終わったという認識を持つに至るのに1日かかってしまった。仕事をしていないからか、日付や曜日の感覚が失われつつある。

しんどい1ヶ月だった。約1年間の交際を経て、結婚しましょうとなった相手の住む街へ出た。すると、自明であった点を殊更問題視され、一緒に生活はできないとして別れを切り出された。恋人には恋人の言い分があるが、あまりにも薄情で、結束で乗り越えられそうなことを大事にされていると思う。一方で、病による仕方のないものや正当な要求というものもあると思う。しかし、それと過剰にも思える強硬な姿勢との境界がよくわからない。

強く求められている自立というものに関しても、よくわからないという思いがある。飯風呂炊いて仕事するということではなく、金銭管理や生活をどう回すかを考えるということらしい。「金銭管理は1ヶ月生活したらざっくり目安がわかるだろうから、それを基準に翌月以降の出納をしっかり考えればいいね」と言ったら、恋人はExcelで家計簿を作成した。恋人を担当する訪問ヘルパーもいるので、家事の分担は支援を受けなくなることが視野に入った段階で考えるものだと思っていた。どうもこれは全て間違いらしい。何が間違っているのかもわかっていないのだから、恋人はさぞ頭を抱えていることだろう。同年代で生活のディテールをある程度知っている従兄妹弟らも、恋人が要求する自立を達成しているようには思えない。 恋人も生活を一緒にやっていく為の準備をしていたのに、こちらがあまり乗ってこないことに悲しんでいたのは、こういった点によるものなのだと想像する。想像し、実際に尋ねてもいるのだが、今ひとつ頭に入ってこない。抑鬱的になっているせいだろうか。

新生活における様々なギャップに多少体調を崩したものの、この程度は根性で乗り切るものと信じて疑わなかった。今ここ、を取り扱わずに、先ばかり見て不安を抱かれているような、そんな感覚がずっとあった。それでも、このような不協和の状況が永劫続くわけがないと、信じていた。

別件の通院で京都に戻った際に、医者からは適応障害だと言われた。その旨を恋人に伝える前後で、別れを切り出されたように記憶している。一緒にいるのが辛いと。仕事を辞め、借金を肩代わりし(返すと言ってはいたが殆どあげたつもりでいた)、一緒に頑張ろうという姿勢を崩さなかったわたしにとって、それは梯子を外されたも同然で、裏切りや覚悟を踏み躙られたような感覚があった。一緒に幸せになることが目的だと言うと、それは自立した者の答えではないとも言われた。それでもあまり怒る気にはなれず、ただ混乱と悲しみがある。適応障害それ自体はよくある話だと思うが、別れ話を切り出されてから加速度的に調子を崩している。ひとまず6月まで離れて生活して様子見ということで合意形成をしたが、恋人は渋々という姿勢を崩さない。

恋人が苦悩する姿を見ていると、「お前はパートナーとしてふさわしくない」と言われているようで、二重に苦しい。ふさわしくないというか、不要?邪魔?そんな感じ。

しかし、そんなことは無いと信じなければならない。これは、恋人にとって想定外の状況において、こちらが様々な余裕を持っていなかったが故に生じた問題であるはずだ。ならば、わたしが余裕を獲得すれば、問題は解決に向かうだろう。

まずは傷ついた自分を認める。恋人の認識はともかく、こちらとしてはあっさり捨てられたも同然だ。傷を癒しつつ、就労の準備として体調をある程度戻す。来週には関東に戻るのだから、そこから始められるようにする。東で仕事しもって1人で暮らせたら、それはもう自立やろ。そうしている間に、そこまでして一緒にならなければならない人であるか、必然的に考えることになろう。それでも一緒にいたいと思える、相補的な無二の人であると信じてはいるが。