鈍感力について考えてみた

 『鈍感力:渡辺淳一』「其の15 会社で生き抜くために」には、会社での逃れられない、上司のパワハラや、同僚の嫌がれせや悪癖について触れている。この本では、繊細で神経質より鈍感なほうが生きやすいのであるといった、いくつかの事例を紹介している。なるほどと思うのだが、どうすれば鈍感力が身につくかには言及していない(女性の場合はお母さんになると鈍感力が飛躍的に高くなるらしい)。

 

 そこで考えてみた。鈍感力とは何か。「お前は気にしすぎ。8割が馬鹿だから、いちいち気にするな」と私は友人Aに常々言われている。正直、この考えは好きではなかった。私は自分に劣等感を持っているため、馬鹿は自分だと思ってしまう。さらに、人を説得する行為が苦手なため、人と話すときは主に聞き役になることが大半だ。ただ聞いているだけなら良いのだが、真に受けて落ち込むことも多い。なので友人は「話半分に聞けよ」といった意味で「馬鹿が8割」と表現したのだろう。

 また、どんな人からも面白いエピソード聞けると考えていた。実際に面白い話が聞けた経験もある。しかし、これは若い頃ならいざしらず、四十のおっさんがやる行為ではない。なぜなら、自分の時間は有限であって、本当に有意義な話を聞けることは少ない。例えると、興味のあるバラエティ番組でも、録画でみると2時間の特番で30分程しか見るところがない。つまり、その多くは必要のない情報なのだろう。この場合は興味がある番組においても4分の1しか有用でない。つまり、だらだら番組をみる行為は無駄で、人に例えると、8割の馬鹿に時間を使うことで「有意義な2割の人と過ごす時間、もしくは機会」を逃すことにもなりかねない。そんなことなのかもしれない。私が無駄に使っている馬鹿との時間が、この2割の人を蔑ろにしていたともいえる。さらに付け加えると、『ヤバい経済学:スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナー』を読んでいると、「人は自分がほしいもののためにとても合理的な判断を下す 295頁」そして、数パーセントの富裕層がインセンティブを与え、大概の人が合理的だと判断を下し、富裕層のために動いているそうだ。友人Aのいう馬鹿とは、この本に出てくる動かされている人たちなのかと思った。そう考えると、「鈍感力」とは「他人から動かされない力」なのかもしれない。


 経験や知識から自分にとっての最良を選ぶことや、その選択に責任と自信を持つことで、8割を「鈍感視」することが、ひいては、自分に大切な2割を選択できるのかと一応まとめてみた。

運命は決まっているのか考えてみた 『あなたの人生の物語 』

ナショナル ジオグラフィック「宇宙~時空超越の旅~」をamazonプライムで観ました。すごくおもしろかったです。特筆することのひとつは

今、現在において、既に未来は存在しているものだ」といったことを言っていました。マサチューセツ工科大学の偉い博士らも顔をだし説得力のあるものでした。youtubeでも観られるようです。20分辺りです。


宇宙 ~時空超越の旅~ 宇宙空間の謎 第1巻

 

漠然と時間は過去から未来へと流れるイメージを持っていたのですが、そうでなく、存在している時空を私は移動しているのだと、なんとなくイメージできました。

 

このイメージを小説にしたのが『あなたの人生の物語 :テッド・チャン』です。映画化され『メッセージ』です。

小説しか読んでいないのですが、(ネタバレです)

宇宙人の文字の形成は、現在、過去、未来が混在して表す、いわゆる曼荼羅的な文字なのですが、これを書くためには未来の目的地を知っていないと書けません。つまり、「今、現在において、既に未来は存在している」ことで成り立つ文字なのです。

 

これを解読していた主人公の女性学者が、知らぬ間に自分も未来を見ることができるようになります。そして、彼女は未来に対しての、対抗手段というか、選択を可能とするのですが、抗うでもなく、自然と受け入れていくといった話です。

なんだか般若心経を思いました。

何もなく時空だけが存在するのかもしれません。

 

 

「言っても無駄」と思う人と話すときは、絶対!敬語を使った方が良い!

目上の人や、これから付き合いが始まる人に敬語を使うのは常識だと思うのですが、「これも敬語を使うべき」はなしです。

 

それは、多少親交のあった同期にです。

彼はちょっとしたモラルに反してます。本当に些細なことなので、誰も注意することを躊躇してました。というか、少し注意にしにくい人柄だったこともあります。それは彼に何か言うと、その倍の難癖を付けてくる人柄。簡単な表現では逆ギレするタイプ。まあ、どこの社会にもいます。まして、些細なことなので、彼は自分がモラルに反しているとは考えないでしょう。言うだけ無駄、そんな空気が周囲にありました。ただ、小さなことでも、たまりにたまり、周囲のストレスはそろそろ限界な感じになりました。

 

そして、とうとう私にお鉢が回ってきました。

 

昔、多少親交があったことと、当時はそんな嫌な人とは思っていなかったので、私は気楽な感じで話かけました。すると

「誰が、いつ、そんなことを言ったんだ」と思ったとおりの逆ギレが始まり、また、今の話には関係のない、私が次にやらなければいけない役員について、「俺が上確認するよう頼まれた(実際は彼に関係はない)」と矛先が違う方向に向いてきました。

やれやれでした。どうりで誰も話したがらないわけです。

それでも、周りで聞いていた人は「上出来」と反応してくれたし、私も、まあ何とかこなせたかなといった感じでした。

 

しかし、納得がいっていない自分がいます。それは嫌な気持ちで一杯だからです。もっと良い話方があったのではと思いました。これは決して、こう話せば彼も納得しやすかたとかではなく、冷たい言い方ですが、どう話そうと、言って分からない人には無駄です(周りもそれを分かっていて、なんで私がといった感じです)。また、一時、改善の兆しなんかもあったりしますが、これも期待してはダメです。この手の人は、いずれ勝手なマイルールを構築し、またモラルに反することをします

 

では、どう対処すれば良いのでしょう。今後も彼の様な嫌な気分にさせる人と話す機会はあるでしょう(もちろん彼とも)。もう嫌な思いをしないためにベストな対応を知りたいと思いました。

ひとつは、こう言ってしまうと元も子もありませんが、我慢です。経験則なんですが4年間すると何らか変化が生じます。ハラスメントが定着したりとか、何かあるんです。それまでは我慢です。

 

しかし、そうも言ってられないので、私の知る限りコミュ力がナンバーワン、かつ大人の対応をするA氏に、あなたならどうしました。と伺ったところ

僕なら敬語で話していたね」と返ってきました。

 

そうなんです!。私は気軽な感じの方が良いと思っていましたが(もちろん相手も同じ口調で話していましたが)、これは良くなかった

気軽な口調は相手との距離を縮めますが、今回のケースでは相手をつけ上がらせることになるのです。簡単にいうと、相手がガキみたいな人の場合、こちらは学校の先生のように振舞わなければいけなかったのです。なめられた教師ではダメなんです。もっと言葉を悪くいうと、頭ないし精神の弱い気の毒な人なんです。こちらがケアしてあげましょう。

 

良い勉強になります。

小田原市市職員が、生活保護「不正受給はクズ」と書いたチーム「SHAT」のジャンパーに思うこと

小田原市市職員が、「不正受給はクズ」と書いたチーム「SHAT」( ちなみに『SHAT』というチーム名は、「S=生活、H=保護、A=悪を撲滅する、T=チーム」の頭文字を取っているらしい)のジャンパーを着用した問題がありました。

 

行政サービスを請け負う人が、こんな事をしてはいけないと、普通に感じます。

背景には、不正自給の事実や、H19年7月に、生活保護の受給資格を失った男が同市役所で、職員2人をカッターナイフで切り付けた事件がきっかけらしいのですが、

そんなことは、行政サービスとは関係がない。

そんなに不正自給に関して主張をしたいのであれば、政治家にでもなって下さい。もしくはNPO

 

「水際で食い止めろ」と上からのお達しがあったり、市民団体からの圧力などもあるのだとは思います。しかしながら、この様な行為は幼稚すぎると思いました。

 

 

迷惑な人の対処方法を考えてみた

法では裁けない迷惑行為。例えば、自動車で法定速度以内だから、と遅いスピードで運転し渋滞を作る人。

これは法定速度以内だと文句もつけ難く、なにより、当の本人は「間違った事をしていない」と考えているのでやっかいだ。

 

このあたりのことはモラルなんだと思う。そして「人を不愉快にする」のでマナー違反でもある。

 

モラルとマナーの違いを調べていると、知恵袋に分かり安いのがあったので引用させてもらいます。

「モラルとは道徳とか倫理です。マナーとは礼儀、礼儀作法のことを言います。たとえば「不倫」はモラルに反しますが、マナー違反とは言いません。食事の食べ方が悪いのはマナーが良くないと言いますがモラルがなっていないとは言いません。」

 

なんとなく区別すると、

多数の人が不愉快と感じるのでマナー違反。これは公共の場には相応しくないです。

特定の人が迷惑するのでモラル違反。人としてどうかと思います。

 

「マナーで育ちが分かる」、や「モラルで人柄が出る」といいます。マナーやモラルが無い人間は他の場所でも同様のことをするので、いずれは何らかのバッシングをされることになるでしょう。ですのでイライラしても自分が損です。

 

ここからが本題ですが、

この迷惑行為は「マナー違反」か「モラルがない」のかを取りあえず考察することから初めてみると良いです。次に、どうした違反なのかを考えます。

多少気も紛れるし、「ああ、育ちが悪いのね」って感じで大人目線に立てます。この大人目線といったことが、迷惑行為をする人との心の距離感を作ってくれます。

 

有酸素運動について考えてみた

夏場は体脂肪率が10%を切る(簡易な体重計での計測)といったことがありました。

冬場の今は15%くらいです。

 

夏場には、登山やロードバイクをしていたからでしょうか。一方、冬場には、ジョギングや晴れた時には自転車で運動しますが長くとも2時間くらいです。

 

ロードバイクはダイエットに良い」、や「ウォーキングとロードバイクはどちらがダイエットに向いている」、などの情報をみますが、有酸素運動といった意味ではどちらも同じ運動量といった見解のようです。

 

しかし、ウォーキングを6時間もやれないと思います。

 

登山やロードバイクでは、6時間とか有酸素運動を続けられます。一方、ジョギングだと1時間も走っていると嫌になります。その上、やり過ぎは膝を痛めます。この差はあるのではないかと思います。

 

しかし、ジョギングが凄い、と思うところがあります。それは、心拍数です。ジョギングは120-130bpmほどで走ります。この心拍数はロードバイクだと、結構飛ばしている時やヒルクライムの心拍数です。

 

冬場は心拍トレーニングに勤しみます。

 

 

女性のダブルスタンダードについて考えてみた

「これだ、女は利に聡(さと)いから信用できねーんだ」とアニメ銀魂184話で銀時が言っていました。だからなに、といったことではないのですが

英語では

「Women can’t be trusted because they do whatever benefits them」と訳していました。

whatever(だからなに)、といったことではないのですが、whateverの使い方は受験英語が英語であった私には分かり難い。

 

話を戻して、女性のダブルスタンダードで取り上げられることのひとつは「ハラスメント」です。

女性の傷付いた気持ちを、男性が「そんな事くらいで…」と言えば、これがハラスメントです。

これは別に男女性別に関係なく、人それぞれ傷つくことやその大きさは違うのに、無神経に己の尺度で「そんな事」と決め付けられたくありません。男性だろうと傷つくときは傷つきます。

 

とはいえ、女性は男性中心として築いてきた社会にいるだけで、そこにいるだけで、無防備に傷つけられることは多いです。

 

しかしながら、完全に男性が不利だと思うことがあります。

 

ひとつは、女児に対しての扱いです。男性だというだけで、例えば、道を聞かれた、公園で一人泣いていたから声かけた、と不用意に近づけば訴えられても文句が言えないでしょう。女性だと男性ほど過敏にはならないです。

さらに、痴漢冤罪です。電車で男性は可能な限り女性から離れたいでしょう。もちろん、痴漢などおかしいことをする輩がいるため冤罪がおこるのですが、それは痴漢といった犯罪行為に憤ることであり、男性に対して憤ることではないです。もちろん悪いのは痴漢をする男性といったことが前提です。

 

話はそれますが、以前、転んだおばあさんに手を貸してあげたことがあります。そのとき、「ありがとう」の前にカバンの中や財布を確かめられたときは、なんとも言えない気持ちでした。

 

つまり、差別や偏見は人には起こり得ることであり、わざわざ女性のダブルスタンダードと女性を誇示しなくとも良いのかと思います。

弱い立場として「女性の」とカテゴリーをくくることで、社会においてや家庭においての男性との差を分かりやすくするかもしれませんが、なんだかそこに「女性は利に聡い」といわれる要因があるように感じます。もちろん、男性社会の中では利に聡くなるはかはなかったのだと思いますが、「女性にしかできないことと、女性であることを武器にできること」を履き違えても仕方がない話です。

 

女性専用車両や、結婚は男性に損とか、そんな記事をみると、男女の溝は深まっているよう感じます。いや、人と人との溝が深まっているのかもしれません。