HiLuckyの双子といっしょに

潰瘍性大腸炎とお付き合いしながら、不妊治療を経て双子(2人とも男の子)を妊娠・出産、今は息子たちと成長していると思うママの過去を振り返るブログです。

苦しくならない。。でもね。

赤ちゃんのうちの1人が、

23Wか24W辺りから

お腹の張りに合わせて苦しくなってしまうという状況が続いていたのですが。。。


30W辺りからその傾向が急に少なくなってきました。

大丈夫そうな感じになってきました。

確か、へその緒が丈夫になってきたら急に大丈夫になることもある、

というような説明をいただいていたような。。。

確かにそうなったなって。。。

赤ちゃんのストレスが減ったと思われるので、嬉しかったです。


そして

更に張り止めの点滴からお薬に変えられたら、

そうしたら一時的に退院できて、

その後に管理入院になるような。。。

説明はいただいていたので、一時的に少しでも

退院できるかも!

自由になれるかも!

って思うと嬉しかったのを覚えています。

わたしが病院じゃないところで過ごして

開放的(?)な気持ちになったら、

それが赤ちゃん達にも伝わるかな?

楽しい気持ちとか伝わるかな?

とかとか、色々考えました。


一方で、赤ちゃんが心配で

本当にお家に帰って大丈夫?

病院から離れて大丈夫?

って凄く心配と不安な気持ちになったのも覚えています。


心配や不安は、

すぐに不要になりました。。。


点滴も減らせず、

赤ちゃん達の成長に伴って

頸管が急に短くなってしまったので、

退院はできませんでした。。。

残念な気持ちがたくさん押し寄せてきました。


なんでわたしだけ

って、このときには思ってしまっていました。

長い入院で、疲れてしまっていたのかも知れません。


一時的にお家に帰ってみたい

そんな気持ちもありましたが、

赤ちゃん達のことを考えると

それで良かったのだと自分に言い聞かせていました。


自分のことよりも、

赤ちゃんのことを心配している自分には、

少しだけ褒めてあげたかったな。

と、今なら思えます。

ちゃんと大切に思っていたんだと。


なんだかこの時のことは、

日記を見ても思い出すのは

葛藤する気持ちでした。

うまくまとめられませんでした。

もともと文章は上手ではないけれど、

今回のは

さらに上手に書けませんでした。

手が、こわばる。

28w1Dの朝に起きたら、

何だか手が動きにくく感じられました。

さらに、感覚も鈍くなっているように感じられました。


初めての感覚で、

原因や名称がわかっていなかったので、とても怖くなりました。


朝、様子を検温とかに来てくださった看護師さんに相談させていただきました。


むくみですね。


とのことでした。

あ!!と、すぐに納得できたのを覚えています。

あー、この感じは、むくみって言うんだ!わかるわかる!!

ってな感じでした。


朝に感じる事が多かったです。

それで、むくみを感じたら、積極的に手を動かしてみると良いというようなアドバイスをいただき、やってみました。


これは、2週間くらいで徐々に改善されていきました。


インスリン注射。

カーテンを開けたり閉めたりして、

少しずつ同室の方とお話をしたりして。。。

それ以前に比べると、

わたしのストレスは減っていたと思います。

笑うことが増えていたと思います。


そんな一方で、

血糖値はじわじわと上がり続け、

26w3Dに

インスリン注射が始まりました。


排卵誘発剤の自己注射と同じような感じの注射器でした。

注射をする場所は、お腹でも太ももでも良いとのことでした。

でも、お腹は赤ちゃん達に届いてしまいそうな気分になってしまった(そんなことはないと言われました)ので、

太ももに打っていました。


これは、量を少しずつ増やしかながら

出産まで続きました。


お腹がだんだん大きくなってきたら、

だんだん太ももには打ちにくくなっていきました。

元々体がカタイので、それもあったかと思います。


産後は、血糖値は元に戻る人が多いと聞きました。

たしかに、

産後2日か3日で検査をすると元に戻ってくれていました。

ほっとしたのを覚えています。。。



カーテン、開けませんか。

大部屋に戻れたものの、

自分以外の人がいるということに安心して、よく眠れるようになったものの、、、

悪阻の時の入院生活で経験させてもらったような

同室の方とお話する雰囲気がなくて、

少し寂しく感じてもいました。

贅沢です。


そんなある日でした。

大部屋に戻ってから2週間か3週間が経った頃でした。


おやつ(糖尿病分割食の分)の後の歯磨きをしていた(ヒマなので。。。)時でした。


新しく同室になられた方が声をかけてくださいました。

はじめてまして、よろしく、という内容の会話の後でした。

カーテン、開けませんか?

というお誘いをしてくださいました。


もう何日も、家族や病院の方々としかお話していなかったので、

わたしは嬉しかったです。


聞けばその方は、

以前の妊娠時に入院された際にはカーテンを開けて同室の方とお話なさったりしていたとか。。。

ん?なんか少し状況が似ているな、と思いました。


誰しもが喜ぶことではないかも知れませんが、

わたしは

嬉しかったです。

なかなか自分からお誘いする勇気もなかったので。。。

待ってました!

と思ってしまいました。






母親学級。

妊娠が判明してから出産までのあいだに、一回だけ母親学級に参加することができました。

24Wか25Wのことでした。


助産師さんが声をかけてくださって、

迷ったけれど参加してみようかなと思いました。

病院の母親学級でした。


参加するまでは、少し怖かったです。

みなさんきっと普通の格好で参加するから、

そこに車椅子で点滴ブラブラして登場するのって勇気が要るのかな、とか考えたら

少し怖かったです。


実際、参加してみると、

登場したらやっぱり皆さんの視線は感じました。

当たり前と言えば、当たり前ですよね。。。

わたしも、見ちゃうと思いますもの。。。


変に気を遣ってもらったら、申し訳ないなーと思っていたけれど、

そういう感じは感じられず、普通な感じに会話をしていただけて嬉しかったです。

入院中の妊婦さん以外の妊婦さんとお話するのは初めてでした。


そこで、以前の職場の方に偶然お会いできました。

悪阻のあまりの具合悪さに、以前の職場にはごく短時間しか挨拶に伺えず。。。

そのため、ご挨拶することができなかった方々がいたのです。

その方にもご挨拶ができず、

心にひっかかっていました。

思いがけずお会いすることができで、

お話もできで嬉しかったです。

久しぶりに現実世界に戻してもらったような気がしました。


母親学級は、というと。。。

それまでの入院生活と全然ちがう空気だったので、

その空気に驚いたり感動したり。。。

その空気がすごく刺激的に思えて、

内容があんまり入ってきませんでした。。。

大事なことなのに。。。


そして、30分ほどで

背中が痛み出してお腹も張り始めてしまい、

お部屋に戻りました。

なんか、お部屋に戻るときは、

ちょっと悲しくなってしまいました。。。


大部屋のうれしいこと。かなしいこと。

23W3Dに、ようやく大部屋にうつることができました。


嬉しかったのは、一人ぼっちのお部屋ではなくなったことでした。

今度のお部屋は悪阻で入院したときのような、

入院費みんなカーテンオープンでみんなで雑談な感じではありませんでした。

でも、誰かが同室にいるのだということで、安心を感じたりしていました。


かなしかったことは、間食でした。

まわりの皆さんは、それぞれでお体を考えながら適宜おやつを食べたりしていたようですが、

わたしはそれができませんでした。

妊娠糖尿病でお食事制限がありました。

おうちなら、置き換えたりして1つ我慢して低カロリーな好きなものを食べたりできたかも知れない(うまくいく保証もないですが。。)と思うと、

羨ましいな、と思いました。


ただ、その時に同室だった方々の食べていたおやつ自体は、

チョコだったりシュークリームだったり、もともとわたしが苦手がおやつだったので

同室の方のおやつを欲してしまうことはなかったので

自由におやつを食べられることを羨ましく思ってしまうだけでした。


大部屋にうつった日は、

よく眠れたのを覚えています。


個室でのこと。

個室でお世話になっていた時期には、色々ありました。


赤ちゃん達の性別が判明しました。

2人とも男の子です。

わたしに育てられるかな、って。

もうかなりの筋力の低下を感じていたので不安になりました。

一方で、どんな風に大きくなっていくのだろうか、

どんな風に生活するのだろうかって。。。

あと何週もお腹にいてくれる前提で、

わくわくしたりもしました。


それから、2人とも体重が500グラムを超えてくれました。

大きくなってきてくれていることに、安心したり嬉しく思ったりしました。


あとは、胎動を感じられるようになってきて、

お腹に赤ちゃんがいるのだという実感がわいてきました。

お腹もまだまだそんなに大きくなかったので、胎動が感じられることは嬉しかったです。


等々ありました。


そして、ついに23W4Dに

大部屋に戻してもらえました。