思ったんだけど、

プラスチック業界とか仕事のこととか。語る場所が欲しくて。

読書と私

最近小説を読み始めた。もともと読書は好きだったが、大学生の頃は哲学書や学術書を中心に読んでいたため社会人になってから急転換したことにとても驚いてる。
こうして書いてみると如何に自分が場の影響を受けやすいかがわかってしまう。大学にいる時はアカデミックで論理的、かつ正しい学びをしたいと思っていたし、そうした本を好んで手にしていたと思う。特に影響を受けたと感じるものもオルテガ「大衆の反逆」やアレント「責任と判断」「人間の条件」など硬派でとっつきにくいものが多かった。今挙げた著書も大学生に人気なものだと思うし自分もそうした流れに乗っていたのだろう。
現在読んでるものはSF、ミステリが多い。これらも社会人が暇つぶしに読む典型的なもののように思う。特にハマっているのがSFもので、その中でも近未来ものが多い。SFは大別して三種類あると思っていて、「タイムトラベル」「宇宙」「近未来」のどれかで分けられる。アンドロイドやAI、クローン等の生身の人と近しい存在との比較によって人間について深めていく作品が非常に面白く、アマゾンでポチポチ押してカートに購入前のものが山積みになっている。私はどこまでも人を知りたいのだろう。将来は経営者の自伝を読み漁っているかもしれない。

この前、友人の勧めで有料の性格診断をやった。
CliftonStrengthsってやつで、100以上の質問に答えて自分のビジネスにおける強味・弱みを教えてくれるものらしい。私の場合は一番安価なものを試したため上位五つの強味だけが表示される結果を得た。中身はこんな感じだった。
1.個別化
2.収集心
3.学習欲
4.内省
5.分析思考
個別化というのは、人をできる限りその人単体として理解しようとする資質を表していて、例えば個別化の強いグループリーダーは部下に仕事を振る際にメンバーそれぞれの性格・得手不得手・好み等の特長を踏まえてスケジュールと仕事を分けるよう心掛ける特徴がある。
収集心はいわゆるオタク気質を表している。収集心が強い人とは知識を集めることを好む性格を持っており、そうしたビジネスマンの場合は担当した顧客企業の株価や業績、競合企業との競争状態、最近のトレンド等を興味を持って調べ続ける特徴を表しているようだ。
学習欲とはいわゆる勉強が得意なタイプを表している。ある目標、例えば資格試験に向けて計画を立てて学習をしていく資質があるという。こうした資質がある人は資格試験が多い金融業界や工場の現場職などが向いているといえる。
内省とは自分の頭の中で考える資質があることを表す。一時期TEDで内向的人間についてのスピーチが話題になったが、それと同様のものだと思われる。人と議論するよりまず、一人でじっくりと考えることが必要なタイプだ。議論が苦手だとか人と話すのが嫌いなのではなく、自分の考えをまとめるのに自分一人で考える時間が欲しいと考えている特性があるということを表している。
最後に分析思考とは、まぁそのまんまの意味だ。ものごとを分析的に考える特質があり、事実を分割して論理的に考えて組み立てることを好むことを表している。
こうしてみると私の読書に対する向き合い方をよく表している。まず私は人を理解したいと強く思っている。登場人物が何を考えどこにこだわりを抱いているのか知りたい。その奥底にある歪みや熱を感じたいと思っている。そのために読むことを通じて情報を収集することを意識しているし、その目標を達成する過程は勉強と試験への取り組みと同じもののように感じられる。本を読む合間や暇な時間はずっと本のことを考えて分析的に内省し続けている。読書という趣味が如何に自分の性格と合っているのかがよく分かった。どうりで小学生の頃から好きだったわけだ。

読書には様々な取り組み方があると思う。たんに現実逃避や夢見るために読むもよし、話題に乗るための道具にしてもよし、時間を潰すただそれだけのために使ってもよい。ただ私の場合はもうちょっと深い形で読書との関わり合いがある、そういう資質を持っているのだと言うことがわかったいい機会だった。これからも読書を通して人と自分の深淵を潜っていきたい。

徳は孤ならず、必ず隣あり。

あけましておめでとうございます。気付いたら今年も一か月が経っていて、時が過ぎるのは早いなと実感しているところ。
なんか投稿しようと思って2時間くらい考えてたんだけど、あんまりイイ案が思いつかなかったから適当に語ってお茶を濁したい。


さて、表題は論語より、私の好きな言葉なので解釈を晒していきたい。
事前に言っとくと今から書くことはしっかり裏を取ってないから間違ってることがたくさんあると思う。鵜呑みにしないように。

ではさっそく。
「徳は孤ならず、必ず隣あり」だけでは意味がはっきりしないから、それぞれの言葉の意味を明らかにする。
徳:徳のある人
孤:孤立
隣:協力者・支持者

でも、徳のある人ってなんじゃってなるから論語の世界観での徳についてまた明らかにしたい。
この徳は5つに分類できるらしくて、それらの意味がこんな感じらしい。

仁:人を思いやる気持ち
義:なすべきことをなそうとする気持ち
礼:人を思いやる態度や行動
智:道理・知識をよく知っていること
信:誠実で信頼できる姿勢・言動

なるほどって感じ。こんな人なら確かに必ず協力者や支持者も集まるわなって思わせる。
で、私はこの隣ってのがどんな奴なんだろうって思った。
たぶんこの隣ってのは、ファンとか追従者ではないと思う。どちらかというと同志であり良き理解者であることを意味するんだろう。
同じようにモノを知っていて、同じ正義があり、ちゃんと人を思いやり礼儀正しく接せる信頼がおける者だから、その人の下につくんじゃなくて隣に並べるんだろうなーって。
てことは、隣=徳ってことだと思ったわけ。徳は孤ならず、必ず隣に徳あり、みたいな。つまり徳のある人は徳のあるグループにいるんだろうと。
逆に言えば、徳のない人は同じ徳のない人とつるむか孤立するかの二択ってことになる。

じゃあね、自分の周りの人は、たぶん自分の鏡なんだろうと。自分が徳のある人間かどうかは、自分の周り、親友とかでわかるんだろうとも思った。類は友を呼ぶってことだよね。
だからこの言葉は座右の銘になり得るものだと思う。お前は徳のある人間か?お前の周りを見てみろ。尊敬できる素晴らしい人間が周りにいるか?って。


私の周りには、尊敬できる友達が結構いる。それで自分が徳のある人間なんだとは流石に思えないけれども、でもこの人たちが自分と仲良くしたいと思ってくれていることを大切にして、自分もそれに応えられるよう徳を高めていきたいなと。そう思っている今の私の気持ちを心に刻ませてくれる、素敵な言葉だと思ってる。
座右の銘っていうのは、こういうことを言うんだろうなーって思う、今日この頃。

入社一年目、自分の業界選びの是非

なんとなく勢いでブログを始めたわけだけど、いざ投稿してみようと思うとあまり内容が思いつかない。けれども習慣づけないと続かなそうだなぁって思っているので近状でも書いていこうと思う。

私は元々私立文系の学生だが、就活をするにあたって化学メーカーに興味を持って、幸運にも化学・プラスチック業界の企業に就職することができた。そこから8ヶ月が経ち、だいぶ自分の心境も状況も客観視でき始めてきたので、今の自分を書き残していきたいと思う。


業界選びの基準

就職活動にあたって、業界選びの軸を決めようと考えていた時に、頭に過ったのが両親が言っていた、
「仕事は大変で辛いもの」
であった。特に金融業の父が言う、
「ルールは厳しく仕事は数字をいじっているだけ、僕には社会に貢献している実感が感じられない」
との言葉はずっと頭に残っていた。そんなわけで、就活早々に就職にキラキラを求めていなかった。じゃあ自分は何があれば、そんな辛い社会人生活を幸福に生きていけるのか、一つこれだと思えるものがあれば、人生は苦くとも甘くなって悪くない感じになるんじゃないかなと思っていた。
そんなわけで、今まで二十数年生きてきて自分が興味を持ったことはなんだったか自己分析をすることになった。よく就活では自分の強み弱みや長所短所を自己分析するものみたいで、友人と話していてもそこに焦点を当てて皆考えているように感じていたが、私は我が儘だったので自分がしたいこととしたくないことを中心に考えていた(就活が思うようにいかなかったのはこれが一つの原因だと思う)。

化学メーカーに行きたい

私は高校3年まで理系でそれも化学が面白かったから理系志望だった。でも物理が嫌いで、なんなら勉強も嫌いだったから受験に失敗。そんな中よくよく考えたら得意科目が現代文だったことを思い出し、文転して数学を使って私立文系志望として再スタートした経緯がある。
なので大学三年生まで自分が化学が好きだったことは忘れていたのだが、就活を初めて企業説明会に行くようになって化学メーカーの話を聞いていた際にその内容に非常にワクワクして、「化学メーカー行きたい!」って思うようになった。そこから自分の中で化学メーカー勤務の将来の自分のロールプレイング(ただの妄想)が始まって、仕事に誇りや楽しみを持ってできるのかどうか考えるようになった。その結果でた結論が、自分の性分に合ってるということだった。
仕事のどこでやりがいを感じられるかは人によるところだ。私はざっくり三つに大別できるんじゃないかと思っている。人・モノ・数字だ。

人は、単純に言えばお客様の笑顔だと思う。特に私が感じたのはホテルマンとコンビニ店員をやっていた時だ。こうした接客のお仕事はカスタマーという水物を相手に様々なサービスを提供することが求められるが、仕事が多様化したり対応力が大きく求められたりする割には、見返りがあまり高くなかったりする。しかしそうした仕事を誇りを持ってやっている人もいて、そうした人達がほぼ必ず言うのが「お客様の笑顔に嬉しくなる」といったものであった。一対一で誠意を込めて対応して、その結果最後に「ありがとう」と言われる。そのことにやりがいを感じているのだそうだ。人の喜びは私の喜び、人の成長は私の喜び、これは高尚な性分だと思っている。残念ながら私はそこに人生を投じるという決断ができなかった。もちろん感謝されれば嬉しいし笑顔に心が満たされることもある。しかしそれでは足りないくらいマイナス面を感じてしまったのだ。

次がモノ。単純に言えばモノづくりだ。メーカーの技術者や製造者、大きく括れば小説家も含まれると思う。自分が携わった製品それ自体に愛着が湧き、努力が正に目の前に現れている。その疑いようもなく消えることもない存在に喜びを感じるということだ。私が選んだのはこれだ。
私は面接で良く言っていたのだが、自分が今携わっている仕事のおかげで、今使っているペンや携帯、乗っている車や道路ができていて、自分たちの生活を支えている。そういった身近なところに実感を感じられて素敵だと思っている。確かにデパートの販売は一人一人に喜びを提供しているが一歩店を出ればそれは得られず、投資によって企業を支えれば社会に大きな貢献をしているが、そこから自分の生活にはあまりにも間接的過ぎる。もっと欲張りにそこら中にあるモノから、「あ、あの電線もうちの会社が支えているのかな」と思いたいのだ。だから化学業界は非常に魅力的だった。その商材は社会全体へと送られていき、家にいても外を歩いても自分の労働の結晶がある気がするからだ。

最後に数字。数字は裏切らないし、確実である。わかりやすいのが不動産営業や証券会社の投資部門等だろうか。自分が努力した結果がそのまま数値に出て、そこに喜びを感じる。また、給料が高ければその報酬に満足する。人よりも、モノよりも確かに自分の実力を評価してくれるその力強さは非常に魅力的で、私も納得できるところだ。しかし私はそれに対する激務も数値以外を捨てかねない働き方も魅力を感じられなかった。そして適正も、正直なかったと思ってる。

インプットを楽しめるか

さて、実際に就職して8ヶ月が経った。実際にその選択が正しかったのかどうかが暫定的だができる時期だと思う。
結論から言えば当たりだった。何故かというと、学ぶことが楽しいからだ。
私がいる場所は化学・プラスチック業界の辺境なのだが、商材・業界と、今まで知らなかったことばかりでネットで検索をかけては「へー」と思いインプットを楽しんでいる。会社にも恵まれて、デカすぎず小さすぎずでいくらでもやり様があるので妄想が膨らんで楽しい。仕事は大変だが、夢を見させてもらっている分、面白いかなと思う。自分の知りたいことを知りたいしやりたいことをやりたいという判断で選んだこの業界で、少なくとも知りたいことを知れているのが非常に満足である。

アウトプットができるか

ただ問題はアウトプット、やりたいことをやれていけるかだ。自分の労働力を、ただの歯車や駒、仲介役で終わらせずに、ちゃんと結晶として世に出せるか。そういったところが一年目の今にはまだ判断つかないところだ。これから自分はどうやって自分を出していくか、そういったことを最近は考え始めるようになったというのが今思うところ。正直な話、自分のいる会社の業界・立ち位置・商材、自分のいる部署・担当を考えれば、努力が必要だと思っている。まぁ、努力すればできると思っている時点で、夢見てるって話ですよね。

ブログをはじめようと思ったんだけど

今年社会人になって半年以上が過ぎた。
仕事や社会人生活にも少しずつ慣れてきて、色々なことを思い考えるようになった。
だから以下の三つの理由でブログでも始めようかと思う。


- 触発された

ある方のブログ記事を読んで、その考えにとても共感した。
自分が仕事をしている中でふと思ったこと、じっくりと積み上げてきた考え、
そうしたものを同じように形にしていきたいなと思った。

- 思考を残したい

学生時代のレポートを読むと、その頃どんなことを考えていたのか思い出される。
初心に帰れたり、やる気をもらったりできるから、自分の書き物を残すことには意義があると思っている。
学生時代からtwitterで長々と自分の考えを書いていたが、
やはりゆっくりと腰を据えてモノを書くならブログの方がいいかと思った。
twitterだとどうでもいいtweetで流れちゃうから後で見れないしね。

- 整理ができる

ただ残すだけじゃなくて、書いてる間に考えが整理されることもあると思ってる。
logとして過去のモノにするだけじゃなく、自分の思考を未来へと進める。
そういった両方向を見てるモノだからこそ価値があると思い、始めたいと思った。




あんまり力を入れずに、気軽にやっていきたい。