ほたるBBの 絵と 本と 雑感日記

60代後半に再開したお絵描きと、読書の備忘録。考えさせられたことなども綴ります。

読書感想『学力の経済学』(中室牧子)

[内容]

主にアメリカの実験データを基に、教育を“経済”の視点で考察したもので、多く

の専門家の意見も紹介されている。(教育書としては異例の30万部を突破)

[感想]

著者は教育経済学者。慶応義塾大学教授。

 

教育経済学とは「教育を経済学の理論や手法を用いて分析することを目的として

いる応用経済学の一分野」とある。分析の元になるのは大規模なデータだ。

 

著者によると、日本では根拠の無い教育論が蔓延しており、行政の施策も非論理的

で「他人の成功体験を真似してもうまくいく保障は無い」と手厳しい。

 

教育経済学の目で見ると、教育はズバリ“未来のための投資”だそうだ。

「今ちゃんと勉強しておくのが、あなたの将来のため。」は経済学的にも正しく、

将来の年収を高めることに繋がるという。

 

国の“学歴による賃金格差”の統計を見れば確かにその通りで、もっと言えば大企業

や官庁では学閥が幅を利かせており、出身大学も影響してくる。

ただ、世の中には起業や実力主義の世界での成功者も大勢おり、更に高学歴ワーキ

ングプアが社会問題化しているのを見ると、一概には言えないと思う。

 

本書では、データに基づいた結果やその対策が詳しく述べられている。例えば

 

・頭の良さではなく努力を褒められると、挫折しにくい子に育つ傾向がある。

・ご褒美はあげても良い。但し点数や遠い先の目標に対してではなく、勉強の仕方

 を具体的に提示した上で“努力”に対して与える。(「この宿題を終えたら」等)

・「勉強しなさい」と言うのは逆効果。しかし父親が息子の、また母親が娘の勉強

 を見てあげるのは効果が高いという結果が出ている。

・人的資本の投資で最も収益率が高いのは、幼児教育である。但しこれは勉強に対

 してだけではなく、躾などの人格形成や体力・健康などへの支出も含む。 等々

 

以下に特に大事なことと、印象に残ったことを3点抜粋。

 

◎『非認知能力』は、学歴・年収・雇用などの面で、子供の人生の成功に長期にわ

 たる因果効果を持つ重要なものである。また子供の多くは、その方法を学校教育

 を通じて学んでいく。

※非認知能力 =「自制心」「やり抜く力」「協調性」といった、知能検査や学力

         検査では測定出ない、人の心や社会性に関係する力のこと。

 

◎平等主義的な教育は「人間は生まれながらに持つ能力には差が無い」という考

 え方が基礎になっている。そのため、成功しないのは本人の努力不足だとして、

 不利な環境に置かれている他人を思いやれない人間を多く育ててしまっている。

 

◎「教員は教育の要」「能力の高い教員は、子供の遺伝や家庭の資源の不利すらも

 帳消しにしてしまう程の影響力を持つ」

 

加えて、教師と現行の制度の問題点を挙げ、教員の質を高める方法を幾つか提案。

また、日本では国のデータが研究者に公表されず、教育業界も閉鎖的なために、教

育経済学の研究になかなか協力を得られないそうで、著者はこの点についても強く

理解を求めている。

 

最後に、読み終えて感じたことを一つ。

統計というのは、誰が、どのような方法で、何(誰)をサンプルにしているかによって

結果がガラリと変わる事がある。データも個人の成功談と同じように、あくまでも参

考にとどめ、親は目の前の子ども自身を見ながら、手探りでも自分の頭で考えること

を忘れてはいけないと思う。

子供達の砂遊びが減っている

我が子が小さい時は、どこに引っ越しても庭に遊び用の砂場を作り、一緒に子供

用の鉄棒も置いていた。砂場は周りを木材で囲んだ2m四方程の小さなもので、

砂は建築や造園の会社などに注文して、軽トラックで運んでもらった。

 

まだ5才の長男と次男が砂遊びに熱中して、ご飯の時間になっても「あと、もう

ちょっと~。」と中々家に入ってこない時は、叱るよりもむしろ嬉しかったし、

2人一緒に風邪で寝込んでしまった時は、砂場がとても寂しそうに見えたものだ。

 

その内、近所の子も時々庭の砂場で遊ぶようになり、三男の時は近くに公園が無

かったこともあり、本人が保育園に行ってる間にもよく近所の若いお母さん方が、

2~3人でよちよち歩きの子を連れて遊ばせに来ていた。

 

公園の“三種の神器”と言えば、滑り台・ブランコ・砂場だが、最近は砂遊びを

する子が減っているという。

理由は2つあり、1993年の“都市公園法”の改正により砂場の設置義務が廃止さ

れて砂場自体が減ったことと、砂場は不衛生だといって敬遠する親が増えている

ことだ。

 

お母さん達が心配しているのは、犬猫鳥の糞による大腸菌寄生虫。あと、ゴミ

や雑草による汚れ、破傷風など様々な有害菌も怖いという。

 

我が家の場合、庭の砂場に犬猫が糞をしたことは無く、皆がよく遊んでくれたの

で砂の通気性も良く、臭いやカビとも無縁だった。

もし公園の砂場の汚れが気になる場合は、砂場にカバーや柵を設けるという方法

があり、実際それを実施している市もあるので、必要な場合は陳情してみるのも

有りだと思う。

 

“旅行者下痢”という言葉がある。これは海外旅行の際に、衛生設備の不完全や食

事と水の違いから起きるもので、特に日本人に多いと言われる。実はこれは子供

達とも無関係ではないらしい。

 

微生物の多くは健康に欠かせないもので、“清潔すぎる環境”や“ばい菌の完全遮断”

は子供を免疫力の弱い子にしてしまい、特に乳幼児期の過度な除菌や消毒は、生涯

の健康に悪影響を及ぼすと言われている。

 

つまり子供時代は免疫力を鍛える期間であり、公園で遊んだり自然と触れ合うこ

とで様々な病原菌への免疫力がついて、病気に負けない身体になるということだ。

 

その点砂遊びは「年齢を問わず主体的に遊べる」「手や身体の感覚を刺激して想像

力・創造性を養う」…等、他にも良い面が沢山あり、幼少時の子供の発達を促すと

して専門家からも奨励されている。

 

ともあれ清潔は大事なので遊ぶ前に砂の状態を確かめ、万が一糞があったらスコ

ップで周りの砂ごとすくい投げ、砂遊びの後には必ず石鹼で手洗いをすること。

こういったことをきちんと実行しながらも、衛生面に過剰反応することの無いよ

う気を付けたい。

読書感想『誰がために医師はいる』(松本俊彦)

[内容]

精神医療の現状及び薬物依存症の真の姿と治療について、著者が精神科医になる

迄の気付きや葛藤を交えて解説。副題『クスリとヒトの現代論』

[感想]

著者は日本の薬物政策には批判的な考えで、「本来薬物依存症の人達は治療や支援

を受けるべきなのに、刑務所に収容されている。」

「断言する。最も人を粗暴にする薬物はアルコールだ。様々な暴力犯罪、児童虐

待‐(略)‐その数は覚醒剤とは比較にならない。」と言う。

 

昔「人間やめますか、覚醒剤やめますか」というキャッチフレーズで、大々的な覚

醒剤乱用防止キャンペーンが繰り広げられた事があったが、著者はこれがために、

依存症に対する偏見が広まったと見ている。

 

また、脳が委縮したり内臓がボロボロになっているのはアルコール依存症患者の方

であり、ゾンビのような薬物乱用者など存在しない…とも。

 

薬物による健康被害は規制を強化するほど重篤化し、社会的な弊害も深刻化するそ

うで、暴力団の資金源になっていると指摘する人には、かつて米国では禁酒法によ

って裏社会が密造酒で巨利を得たことを挙げ、規制だけでは何も解決しないと反論。

 

薬物に沈溺してしまう人は、成育歴由来のトラウマなどの影響が大きく、必ず心の

痛みを抱えているという。また、一度やめた経験のある人は、自分はいつでもやめ

られると思いながら「もう少しだけ…。」とズルズル続けてしまうことが多いそうだ。

自助グループやハビリ施設と関った時の話からは、支援者の頑張りと依存症から脱

却することの大変さがヒシヒシと伝わって来た。

 

少年鑑別所と少年院の嘱託医をしていた頃の話には、胸が痛んだ。

例え少年でも、罪を犯したら償わなければならない。しかし彼らがここに至る迄の、

親を含む周りの大人達の対応が酷過ぎる。

「困った人は困ってる人かも知れない」「暴力は自然発生するものではなく、他者か

ら学ぶものである。」…この言葉には、現場を知る著者ならではの重さがあった。

 

自殺に関しても幾つかのケースが挙げられている。本人が本気で自殺を決意した場

合は、治療や支援で救う事はもう難しくなるが、それでも自殺する時に人は最後ま

で迷うものだそうで、何ともせつない話だ。

 

精神科で処方される薬の問題点、薬を処方する病院側の問題点については、特に

ベンゾという薬の依存症を作り出してる事態を憂いており、「精神科医は白衣を着

た売人」「ドラッグストア医師」という言葉もあるそうで、これにも驚いた。

 

日本の精神科医療が薬物偏重となるのは、薬が最も低コストで時間がかからないか

らで、善意にあふれた医師も大勢いるのだが、彼らは皆とても疲れていて、しかも

同業者の間で孤立してることが多いという。

 

患者の中には病院をハシゴし、担当医の知らない所で貯め込んだ処方薬を飲んでい

る人もいるそうで、そんな事をされたら医者も家族もお手上げだろう。

 

著者のエピソード、例えばイタリア車やレゲエへの愛、コーヒー中毒だった話など

が随所に挿入されていて面白い。特に、テレビの討論番組に呼ばれながら司会者か

ら無視された時に、最後に一矢報いて「ざまあみろ」とほくそ笑んだという話には、

メンタルの強さに感動すら覚えた(笑)。

“決めつけ”を反省した夢

以前霊能力のあるBさんに、私が体外離脱した時に見た女性と男の子を描こうか

と思っている…と話したところ「そういう特別な思い入れのある絵は残さない方

がいいですよ。」と、止められた。

 

実はもう一つ、以前見た“夢”の絵も描きたいと思っていたのだが、これにもあ

る種の思い入れがあったので描くのはやめ、このブログに書くことにした。

 

3カ月前に“リアルさが際立って少しゾッとした夢”のことを書いたが、今回夢に

出てきたのはその時にも少し触れた、暗闇の断崖絶壁と足元に広がる深くて暗い

海だった。

 

崖の縁には人がやっと通れるくらいの細道と、見上げるほどの岩壁が続いており、

私はそこを通らなければいけないのだが、恐ろしくて尻込みしていたら、薄ぼん

やりと7~8人の男達が岩壁を背にして立っているのが見えてきた。

 

しかし最初は地面に立っているように見えたが、彼らは50cmくらい浮いていて、

よく見るとこの世の者ではなく全員死装束姿だった。

髪は丁髷(ちょんまげ)をおろした“ざんばら”で、目は閉じている。

 

私は恐ろしさに立ちすくみ、その光景を上から眺めている場面に切り替わったと

ころで目が覚めた。私は布団に横になったまますぐに、夢の中で恐怖と同時に感

じた彼らの“魂の本質”について思いを巡らせた。

 

彼らは戦に敗れた落ち武者で、元は身分の高い人達だった。

それ迄私は武人を「只の人殺しとは違うが、しかし…。」と、どこか批判的な目で

見ていた。しかし、本物の武士というのは(少なくとも夢の中の彼らは)、テロリ

ストと言われる一部の人々や独裁者などとは全く違った。

 

中でも武将は仁愛と正義の心を持ち、常人とはかけ離れた器の持ち主のようだった。

こんな具合で、初めはただ恐ろしいだけだったが、畏敬の念が湧いてきた。

「落ち武者は薄の穂にも怖ず」という言葉があるが、皆が皆そうだったわけではな

いようだ。尤も夢に出て来た彼らは、稀な部類なのかも知れないが…。

“たかが夢、されど夢”  たまにこうして思いもよらない形で気付かされることが

あるので、夢は侮れないと思っている。

玉ねぎ(色鉛筆・パステル画)

 

(我が家の邪道カレー)

定番の野菜以外にも、根菜、キノコ類、葉物他、何でも

入れちゃいます。あと、バナナ、リンゴ、豆腐なども。

 

30分程煮込んで冷ました後、8割ペーストにしてから

カレールーとスパイスを入れて煮、トロっとしたら完成。

(個々の野菜の味と香りは殆ど消えます)

 

冷めたら何食分かに小分けして冷凍し、

じゃが芋と肉だけは食べる直前に調理して加えます。

昔は色々なカレーに挑戦したけど、今はこれ一択です (^^)。

読書感想『光の魂たち動物編』(森井啓二)

[内容]

地球上の動植物が置かれている状況の解説と、全ての生き物が共存共栄する

世界を実現し、人として魂を成長させるためには何をすべきかを教示。

副題『人の霊性進化を助ける動物たち』

[感想]

著者は獣医で、クリヤヨギ(ヨガ)。

 

本書は、感動的なエピソード、興味深い話、知っておくべきこと等、考えさせ

られることの多い良書で、出来れば直接手に取って読んでほしいと思う。

 

ただ、読むには“覚悟”が必要かもしれない。動物の可哀そうな話についてはある

程度知っているつもりの私でも、人間の身勝手さに胸が張り裂けそうな気持ちに

なった話が幾つかあったので…。(この感想文にその内容は書いていません。)

 

本書は次の5つに分けられ、其々動植物の様々なエピソードが紹介されている。

 

・繋がりあう命      … 「『ゾウに囁く人』の死と弔問客たち」 他

・沈黙を守る命たち    … 「ライオン狩りのための繁殖」 他

・命をいただくということ … 「豚さん編」 他

・自然界に心を寄せる   … 「薬草と話す動物たち」 他

・拡がる光、霊性進化への道 …「命をかけてゴリラを守る人たち」 他

 

著者のブログ『ひかたま(光の魂たち)』を読むと、幾つかの不思議な体験をして

いる人のようで、仏教の視点からの話も多い。

以下に、本書から示唆に富む言葉を3つ抜粋。

 

現実を知ったら、今起きてることに対して漠然としたことや理想ばかりを考える

 のではなく、まずは今の自分ができることを確実に行うことが最も大切です。」

 

すべてのものに対する愛、思いやり、奉仕、寛容などの霊的美徳は、輪廻を超え

 て持ち越せる魂の財産となります。

 

人が霊性を高め、普遍意識に到達したいのであれば、その前提として『全ての

 生物に敬意を払い、慈しむ心を育み、大切にすること』は絶対条件なのです。

 

ちなみに獣医は皆、著者のようにどんな命も差別しないかというと、そんなことは

無く、実際私も「当院はノラ猫の診療はしません。」と断られたことがあるので、本

書はそういう意味でも驚きの連続だった。