角部屋日記

あったりなかったりすること

6月はじめの日記

2024/06/01

Tinderでマッチした人とはじめまして。何を食う?で東中野をぷらぷら。東中野で飯を食うとしたらでの僕の候補はインド・中国・イタリア・韓国である。どれも店先を覗いてみて韓国料理。明大中野の男子高校生たちが大群になって帰路についている。集団の男性たちは結構な威圧感というか、恐怖みを感じる。年齢ではなく、集団であること、男性であることはこわこわである。

当初の目的であったカフェは冷蔵庫の故障で臨時休業していた。幸いにしてケーキ販売だけはしていたので、ケーキを買って、自宅で茶をしばく。茶器はあるが茶の正当な淹れ方を知らなかったので、モロッコで買った茶は色の付いたほんのり茶の風味のする白湯であった。

普段は読書をしないと言いつつ、僕の本棚の本をよく読んでいた。お気に入りは『しっかり学ぶ初級ラテン語』だったみたい。合唱団に所属していてラテン語の歌をうたうことがあるが、雰囲気で歌っていたのでラテン語を学んでみたくなったと言っていた。やっぱり僕の本棚は素晴らしい。

昼に米と肉を食った僕はねむねむだったらしく、はじめましてのマチアプの人そっちのけで、椅子をふたつ並べて寝そべった。15分くらい経ったかなと起き上がると、マチアプの人は本を読んでいた。そっと窓を見ると、15分どころじゃない陽の差し方をしていて、すかさずiPhoneを見ると2時間弱寝ていたことに気づく。あんな体勢でしかもさっきはじめましてした人を自宅に招いて置きながらしっかりとした昼寝をしていた。驚いた。

てか、初対面のやつが自分そっちのけで2時間も爆睡していたら僕だったらどうしていただろうか。

帰り際、LINEを聞かれたので教えた。帰宅しただろう頃にベランダ菜園のトマトの画像が送られてきていた。そういえばそんな話をしたなである。しかし未だ未読にしている。LINEはいま返す気力がないのは僕の理由だけれども、そんなの知らんこっちゃない人からしたら申し訳ねえことをしているんだろうなである。でも僕だからしゃあないごめんよ。

 

2024/06/02

イラストレーター兼漫画家をしている友人とお久しぶりをする。今度のイラスト仕事の資料として僕の部屋をみにきた。会うのは4,5回目だが、お互いいい距離感でやっていると思う。家具の配置を変えたり、小道具的にちゃぶ台や楽器を出してみたり。友人も僕も他人の部屋をあまり知らないので、よくわからんけどを枕詞にしつつ、他人の部屋を想像したりした。

直近の著書をお礼にいただき、お互いにありがとうをする。

会っていない時間の分だけお互いに敬語になってしまうが、会っている時間に徐々に敬語から解放されていっていた。

明日から労働再開なのに夜になってやっとこさ、初日に提出する紙が入っている封筒を開けた。そういうのまじで無理すぎる。せめてネットでやらせてくれよである。複数あるそれらのうち、1つは事前に郵送すべきものだったらしく、今更しょうがないよねと思いつつ、その日のうちにポストへ投函。投函してしまえばこっちのもん。締切過ぎてようが、手元からは既に離れているので罪悪感もない。

結局すべての書類の準備が終わった時には日付をとうに過ぎていた。リュックに必要そうなものもたぶん必要ないけれどあったほうがよさげかななものも詰め込んで就寝。27時。

 

2024/06/03

7時起床。シャワー浴びて軽く飯食って、電車。通勤電車的なやつに乗るのは2020年春以来かもしれない。当時もいうて15分とかがマックス乗車時間だったため、30分程度山手線でぎゅうぎゅうにされてもう無理であった。会社も最寄り駅から徒歩10分。過去は最寄り駅から数分であったため、なんか新鮮。別にいい新鮮ではないけれど。

平穏に初日が過ぎていった。ハイライトで言えば、ランチタイム。配属先の人らに連れて行かれた綺麗な中華屋には先客がひとり。???になっていると、新卒時代に同じ部署にいたニイヤン的パイセンがいた。マジカヨで話を聞いたら、僕が1社目をやめたあとすぐにやめて、その後、今の職場に入ったらしくて、辿った道も近しかった。当時、仕事で関係するわけでもなかったのでべったりな訳ではなかったが、僕の描いた絵を送った時にとても素敵な言葉をくれた人だったりしたので、初日がマジクソハッピーになったのはそのパイセンのおかげであるのは間違いない。

一部抜粋

なんとなく性的なものを連想させる、というのが僕の印象なんだけど、

かっこいいなあって、たぶん僕は人生で初めて、他人のことをそう思った。

彼は全然生きてるんだけど、目の前にいても生きてないような感じもして、それがなぜか性的だなあと思って、それをかっこいいって思ったんだよなあ。不思議。

なので、彼が描いた絵が欲しくなったんだと思う。

労働の場で、たくさんコミュニケーションしていた訳でもなかったけれど、この言葉を含む彼からのメッセージは僕の生きる理由のひとつになっている。

てか、そんなふうに思ってくれている人と前より近い場所で労働するとなると、素敵パーソンになっていかなな気持ちになってしまう。ちょろい僕である。

あと追加で言われてやっぱニイヤン!なったのが、僕の配属先の人への僕の紹介として「〜〜当時のエピソード〜〜って感じでいい感じの思想の強さがあります。」言ってくれてて最高だった。褒め言葉としての"思想強い"はとても嬉しい。

新しい会社は7時間勤務なので心身ともに少し楽である。帰路にくまざわ書店に寄る。高校時代は電車通学で身近な書店は乗り換え駅に隣接したくまざわ書店だった。既に廃刊しているが、『VOGUE HOMMES JAPAN』を買っていた当時を思いだした。労働初日のご褒美(別に褒美じゃなくても書籍は買っているがまあそういう理由付けがあってもよい)に『私の身体を生きる』を購入。

 

2024/06/04

さっそく在宅勤務。長年労働のいっちゃん悪である、先延ばしタスクが現状ないので、とても気持ちが軽やかである。

昼はトマト・豚肉・茗荷の芽・ルッコラの炒めものとレンチンご飯。

177日間の労働しない生活はなんだったんろうってなるくらいに労働に身体が順応している。悪いことではないが、ちゃんとバランスしなくちゃいけない。労働は生活するための金を稼ぎつつ、社会をちょっとでもいい方向にできたらいいなが基本スタンスであるため、労働に生活も自分自身も乗っ取らせてはいけないことを改めて自分に言い聞かせる。

てか、新卒の会社のグループ会社に入ったせいか、新卒時代の同期やパイセンからちょろちょろと連絡が入り、飲み会の予定が増えていく。おおっぴらにしていないので???であるが、なんかどこかで風が吹いているのだろう。

ちゃんと17時過ぎに終業。ヘルシーである。新卒時代パイセンたちとの飲み会の開始時刻も18時らしくてやっぱりヘルシーである。

 

まじがちただの4日間の日記である。

 

今日の僕的

ROTH BARTO BARON、コンサートフル尺でYoutubeでアップしていて太っ腹である。

youtube.com

日記:最近のあったりなかったりすること(202405)

先日の日記で「おもしろ」がねえなあ僕はをぬんめりと書いていた。その後、日記を新規開拓していたら、言語性も知性?もなんかあれあれれになってしまい、ちょっち頑張りたいなになった。誰かを落ち込ませるためには書かれていないはずのそれらなので僕も別に落ちみはしない。あれな応援として勝手に解釈する。そういう方が断然ヘルシーである(と信じているので)。

 

クィアギャルとお久しぶりです(2年とか?)して、高麗博物館で輿石正監督作品『岸辺の杭』を観た。ハンセン病在日朝鮮人という2重のマイノリティを生きた崔南龍さんの人生の軌跡である。僕とクィアギャルが圧倒的に会場の平均年齢を下げていた。会場からのコメントで、福岡や神戸、静岡などからマジで上映会のみの予定で来ているという人々が結構おることが判明し、熱気がもっともっとしていた。ハンセン病患者が遺した文芸作品は数多い。隔離された世界から“外”の世界に向けて、無視させない・忘却させない想いと共に発信されたそれらは、多くの隔離された者たちの名前を歴史に残した。その一方で名前のない存在かのように忘却されていく個人も多くいるはずである。2023年5月1日時点で全国の療養所に入居する人々は812人(うち31人が在日朝鮮韓国人)で、平均年齢は87歳である。忘却に抗する1人には誰でもなり始めることができる(はずである)。

新大久保から東中野まで2人でお散歩。スーパーで食材を買い込んで、サクッと夕飯つくってやんややんやたくさんお話しした。クギャの卒論について感謝を述べる程で自分の話とオートエスノグラフィー的可能性をあれやこれや。僕は何かについて話す時、目の前にいる他者にはそれを可能にしてくれる諸々があるかどうかを結構丁寧にやってしまうきらいがある。

 

翌日。高円寺へ。エリックサウスでカレーをパクパクして、蟹ブックス。小沼理さんの新著『⭐︎』とその他数冊を購入。半数以上が柏書房の天野潤平さんの編集である。まじ編集者買いをしている。南口ローターリーのサークルベンチで読書。帰宅。

 

労働再開前最後のウィークデイ。

月曜日:うだつが上がらずに夕方から行動開始。シャワーを浴びて、総武線。閉店寸前の新宿眼科画廊に滑り込み、先日購入していた木村翔太さんの作品を受け取り。くっそ可愛い『健康丸』である。紀伊国屋書店で「ユリイカ:散歩」「現代思想:〈友情〉の現在」をゲット。ヴェローチェで読み込み。タックスノットに行ったら、会ってみたいなと思っていたアーティストとまさかの遭遇。展示楽しみですを伝えて、エジンバラへ向かうも、まさかの臨時休業。帰路。北新宿公園で路上読書。コンビニが近く、トイレ・喫煙所・街頭がある最高スポットである。蚊が発生し始めるまではパブリック読書の最適スペースである。

火曜日:記憶がない。寝たり、紅しょうがのラジオをYoutubeでひたすら見ていたんだと思う。

水曜日:朝イチで新卒時代のマヴと三鷹ドトールでモーニング。今年で博士課程が終わるかもでお互いの最近のあれやこれや。帰宅して料理をして酒を飲んで、本を読んだ。

木曜日;体力的なあれか普段は6時間も寝ていることができないのに、労働直前のイヤイヤ期なのかなんなのかでびっくりするほどたくさん寝た。12時〜6時半、朝食、8時〜13時、昼食15時〜18時みたいな感じで寝た。肌荒れが気持ちよくなった気がした。いいこともあればわるいこともあって、ずっと悪夢だった。夢の中の僕は精神的限界を迎えて、誰かの左手首を切断していた。この時点で史上最悪の悪夢である。全ての夢がその延長線上にあり、犯罪を犯してしまった罪悪感と恐怖を抱きながら日常生活を送っており、マジで嫌だった。Youtubeで最近見ている同年代の漫画編集者にインタビューを受けたり、犯罪を告白できないまま、新しい仕事が始まりそうだったりで本当に嫌だった。内定が決まってからというもの夢をそんな見ていなかったし、悪夢なんてもってのほかだったので何がトリガーだ??である。本当に嫌だった。嫌だったのにたくさん寝てしまった。

金曜日:昨日の反動で朝5時就寝、7時半起床。ハロワで再就職関連の手続きをし、一瞬実家に帰る。すぐ東京に戻り、友人主催のハンセン病の詩の朗読ワークショップに参加。知らん人ばっかの空間は相変わらず苦手だったが、結果的にめちゃ良い時間だった。今日こそはでエジンバラ。ハラヘリだったので、ダージとバーグ。現代思想の書き手の人がいて思わず感想を伝えたくなったが、いやいやプライベートだで言葉を飲み込む。

 

全ての申請主義はまともになれ。

明日のTinderでの茶の予定、流れたりしないかな〜と願ったがしっかりと相手からリマインドが来る。

LINEをはじめとしたメッセの返信がめちゃたまっている。ためたのは僕だが無理ぽだ。

 

労働再開してもダメパ(Person)にならんように気をつけなきゃだ。ぬん。

 

今日の僕的:のっぺら『そういえば深海魚』

https://youtu.be/P_Beh4x1TJ8?si=azftRiSGszeoMmv

否定形によるセルフアイデンティファイ

(なんか、読み返したら出力にして30%くらいじゃね?である。熟慮を経て、書き直されるべきテキストである。)

 

とても当たり前のことだけれども、語られたこと以上に、語られなかったことという可能性は無限にある。そしてその語られなかったことについて、読み手である私たちは知り得ることが不可能であり、その語られさは私たちによってもたらされたものかもしれないと思考し続ける必要がある。

語り手が感じるかもしれない語りの不可能性は語り手以外のすべての他者によるものである。

それは、声ある主体を、より大きな主体が黙らせ、不可視化してきた過去に通じるものかもしれない。

 

たとえば、「私はゲイである」、「私はADHDである」で完結する"社会的マイノリティ"としての主語による語りがあるとする。語ることが可能になること自体は満開の拍手であり、そうであることを表明し書くこと自体、いや、そうであることを何らかの手段でリプレゼントすること自体が応援と賞賛になりうる現代である。それは、"そうであった"を実践してきた先人たちのそれと現代を"そうである"を生きる人々の功績に他ならない。

それは、"〇〇である"という、(被差別者としての言論/身体的危険性を未だに完全には払拭されていない)表出可能性である。"◯◯である"という社会的マイノリティ性の発露は、その裏に、それ以外は基本的に特権的マジョリティである、ないしは、表出不可能と自身が定める何かがある可能性を内包する。例えば、「私はシスゲイ男性」であるという語りは「私は健康である」あるいは「私は健康ではない:私は病者である、障害者である」といったような(あくまでここは、"健康/健常"を例示とする)可能性を内包する。重ねてになるが、これはあくまで想定可能性の高い、"病/障害"を例にとったものであり、そこには、"非/正規雇用"、"日本国籍/海外ルーツ"といった様々なダブル/マルチプルな社会的マイノリティ性の可能性を意図する/しない可能性が温存される可能性は多いにある。

そういったことに殊更に敏感な書き手は、自身を説明する時にある種のエクシーズとして、複数の"私は◯◯である"という書き方をするであろう。それは、大抵の場合、"私は◯◯である"という語りから翻って、""私は◯◯でない"と解釈可能にある。もちろんここで付言すべきは、それらへの配慮がある時点で圧倒的に信頼可能な語り手であり、語られない"◯◯ではない"についても著者の思考の範疇であることを期待できることである。

だとした時に、それでもたちあがってしまう主体として、"ではない"と"である"を語りとして選択不可能な主体という問題が立ち上がる。たとえば「ゲイであり、健康である」という語りに対し、「ゲイである」という語りはその主体の健康性は不明に留まる。その不明性を内包するかもしれない主体の語りによってそれが伺える可能性もあるし、仮にその不明性に"健康ではなさ"が本来的に内容される場合に意図的に、その"健康ではなさ"が不可視として帰結するかもしれない。

"◯◯である"という語りが、可視化と共感をうむ一方で、:"◯◯である"と語らない主体、あるいは"◯◯でない(という一般的に想定される健康な主体像)"から離れる要素を持ちうる主体への思考は容易に発生しうる。

 

ここで、決して"◯◯である"として語りうる主体への批判ではないことを名言したい。もちろんそういった言論が覆い隠す、マルチプルな主体というのはあるが、それ以前の、読みて・語り手への批判である。

 

これは、統計に基づかない個人的な感覚なので主張の強度はないが、社会的マイノリティとされる語り手の、そのマイノリティ集団の中でのマジョリティ性/特権性を無視した賞賛は常に批判的態度を持つ必要があると考える。既にマイノリティの側にいる時点でその声明は心身を削ったものであることに代わりはないが、それをマジョリティ全体の総意として捉えるか、マイノリティの中の個人史/ナラティヴとして個人から集団の幅での汎用的主張として捉えるかを読み手は責任を問われていることを自覚するべきだと私は思っている。それは抵抗言説としての"戦略"として、どう向き合うことが可能かというこでもある。

 

クィアの語り手として、ある種の制度的強者(健康で、首都圏に在住し、問題なく正規雇用につき、単一性愛者で、日本国籍を有し、等々)であることは、著者の表明なしにはテキストを"読み込む"ことでしか実感し辛い。もちろん、そういった書き手が悪なのでは決してない。どんなクィアとしても語られることが圧倒的に不足しているし、それは社会における不可視化が証明している。だからとして、それらを克服されるために、"当事者"の語りなくしては圧倒的に不均衡であり、社会が、"クィア"ではない存在たちがもっとできることは無限にある、である。

 

"◯◯である"という語りがあった時に、語られる"〇〇である"と同時に語られた"◯◯ではない"あるいは語られない/語ることに社会からのスティグマという形での"◯◯ではないない"があるということをただ言いたかった。

 

わたしは、クィアであり、日本国籍を有し、正規雇用であり、東京に一人暮らしが可能である。だがしかしそれと同時に、シス男性でありながら規範的男性像は徹底的に拒絶するし、精神/身体の健康性はその両方を害している主体である。

あらゆる"社会的マイノリティ"による語りには、その不/可能性が主体の中で未だに秘/隠するものとしてある可能性があるし、表出するそれらは主体自体を全として語っていない可能性が十分にある可能性があることを"小さい声"ながらここに書き残したかった。

 

ーーー

 

例えば、"ゲイではない"という語りには、"ゲイではない、しかしクィアである"という語りや、"ゲイではない、しかし、バイセクシュアル/パンセクシュアルである"という語り、"ゲイではない、そしてシス男性アイデンティファイが不可能であるがクィアである、という語り、"ゲイではないが、セクシュアルアイデンティは経験/未来として◯暫定的/変容可能性として・・・"という語りや、"ゲイではないが、・・・・・・"という多様な可能性がある。否定形としてだから、あるいはメジャーなラベリングとしては"現時点では"当てはまらないが、という語りの可能性は多いにある。社会的マイノリティとして、"市民権を得た"ラベルに安寧やアイデンティファイ可能性をおぼえる個人がいると同時に、それらによって、更に未だ名付けられない"漂流した"主体も存在し続ける。

 

ーーー

 

なんかもうちょいいい感じに、それこそ"共感"をうむテキストであれればと思いつつの、覚書きとしてここに留める。(こういうエクスキューズはマジョリティに向けばぬぬぬであるが、いやいやそうでしか表せねえあれやこれやがあるねんな!の両義でもある。)

一生なれねえパ(Personだよ)は「おもしろ」と「あ〜そぼ」

ずるいエクスキューズをしてしまうとこのテキスト書いている僕は酔っぱである。酒を飲んでも対してシラフと変わらないがそれでもちょっと饒手(饒舌のタイピング版)なので、多分読み返すことはないけれど、万が一にも未来の僕が読み返したら、真面目に削除を悩むかもしれない。よくねえのは知っている。

 

自他("他"はおそらくだけど)ともに僕は自尊心高め〜でやっている。とか思っていたら、てか、たぶん僕以上に僕を愛している人間いない?ってなって、それって幸福なのか不幸なのかである。物理的に僕は僕をチェリッシュできねえ。なんなん。

新卒の時に社用PCのデスクトップをギュスターヴ・クールべの自画像に設定していて、会議でスクリーン投影した時に、バン!クールベ!になった時に、「(だいきの)自画像?」と言われた。クールベの自画像の顔ならなってもいいかもしれない。てか、そんなん聞かれる程には多分僕は僕の顔?存在?を自己愛していると思われているのかで面白かった。

 

てか、昨日、フレンズ(気持ち的にはマヴだがそう呼びかけて差し支えないかはかりかねている節はある)のスペースでおすすめNIKKER(日記を書く人)情報をゲットして、さっそくあさる。音声情報だったので、全部が全部探せたわけではなかったが、何人かを発見。てか、まじみんなすげえファニーユーモアウィットなテキストじゃんで、僕はそういうテキスト書いてこなかったしこれからも書けねえだろうなになった。多義的だが"おもしろい"から疎遠な主体をやっている。

スペース聞いてたら、フレンズがもう一人のスピーカーの方に、リスナー(僕)のおうちに集合しましょ〜提案していてラヴだった。最高。

いっちゃんおおおなった人のnoteを見に行って、その人本人ではなくて寄稿記事だったんだけれども、めちゃすごを見つけてしまった。

知らん人のテキストを読んだだけで、著者の平穏を祈ってしまうのはおこがましいというか、なんかちゃうくないかだけれども、それでもすげえ。まじで。精神の安寧と自分にとっての最高の遊びに巡り会えるってのはほんとうに大事。

この記事を読んだ時に、Twitterの相互フォローの人を思い浮かべた。その人にDMでこのテキストを送ってみたい気持ちになったが、相互であるが過去のやりとりは0なので、躊躇した。したが、結果として、絶対読んでるを確認できたので、DMこそできなかったけれど、これぞTwitterって感じだった。

 

こないだ、フレンズ(この方も気持ち的にマヴです)と一緒に寝て、起きたら「う〜」って割りと唸ってたと言われた。(勝手に)寝ない同盟だったけれど、僕は爆睡をかまして、フレンズは寝ずに?『ショートソング』枡野浩一を読んでいたらしかった。貸すねだったが起きたら読了あらまである。てか、僕は何に「う〜」していたんだろう。「う〜」言うていたなら、伝えられていないその他ひきこもごもも発声していたのでは?な疑念がよぎるが、まあ聞かれていたとしたら僕のことだけど、僕の関知しないフレンズだけのものなので、しゃーなしぽんぽんである。僕のことなのに、僕は知らぬ存ぜぬ他者のみ知っているって、うぉんうぉんうぉんである。まあ、たのしげ。

 

てか、僕の身体にはちんちんがついている。フレンズがお泊りした場合、だいたいというかほぼで朝勃ちしている。まあそういうもんである。そもそも他者がいる空間で眠ることが無理だった身体だったのに、眠れるようになり、挙げ句には他者より遅く起きることさえできるようになってしまった。随分他者にでろでろ(警戒心が薄い)である。だからわりと朝勃ちを目撃されている(はずである)。見たくないのに目撃してしまったらごめんだけれども、僕は目撃されてもだからなんなんなメンタルにいつの間にかなってしまった。てか、トランクスにトランクスと同じくらいのショートパンツを履いている時、居酒屋で立て膝してたりするとハミチンをフレンズに注意される。大学入学以前の他者に身体を見られるかもしれないことへの徹底的な忌避感はどうやっていつのまにどこにいってしまったんだろうである。ひとつたしかなことは圧倒的な他者への信頼というか甘えが芽生えたことである。フレンズサンキューラヴユーである。

 

てか、『ショートソング』枡野浩一、再読するとクソな部分はちゃんとクソなんだけれども、初読だった中学時代に結構な影響を受けていた気がする。男性から男性に向けられる欲望を抵抗なく読んでいたし、退廃さや達観さみたいな部分に未だにちょっとゾクゾクしている。吉祥寺の聖地巡礼的なことはしなかった。てか、多分吉祥寺が生活圏内になった時にはそれの時代とはまた違う視界だっただろうなである。枡野浩一著『淋しいのはお前だけじゃな』、『ショートソング』収録の短歌は空で言える。マジ。

 

昨日久しぶりをしたマヴ、毎回年齢がわからなくて確認している。別に確認する必要はないのだけれどもなんか毎回お互い何歳?をしている。てか、名字に興味がなさすぎてまじで昨日は目の前のマヴの名字が思い出せなかった。

 

ひょんなことから過去の自分のツイートを検索したら、まじで数年の期間、会ってみたいなと思い続けていた相互フォローの人がTwitterのアカウントを消していたことが判明した。まじかであった。2リットルの茶割のせいかふつうに涙がでてくる。まじかゲオスミン。インターネッツは最高だけれども、まじかインターネッツであり、インターネッツの限界の一端でもあり、まじむずいじゃんである。僕はその人の名前も顔も知らん(つまりフィジカルワールドで検知できない)のけれど、僕は顔出し・本名でやっているのでいつかどこかのフィジカルワールドですれ違う時があったらどついてほしい。ネームカードを首からぶら下げて歩こうかしら、もしいつかあなたとフィジカルはじめましてができるのならやぶさかではない。

Twitterに限らずだけど相互くらいの距離感の人々、できればみんなとなんかしらでコミュってみたい願望がある。

 

口癖:「てか、」「知らんけどさあ、」「マジぽ?」「ぬんぬんじゃん」その他もろもろ。テキストコミュニケーションでやりがち「〇〇すけたろう」

 

Apple musicから「ガッチャマンの歌」が流れてくるが、これは『かもめ食堂』で片桐はいり演じるミドリさんが思い出せないところが起源である。ミドリさんのトンミーヒルトネンへの疑念の表情とカモメのラクガキ。昔じゃない昔アニメで言えば、Netflixの『DEVILMAN crybaby』は激スキである。

 

そういや今日は洗濯をした。乾燥機に入れちゃダメそうなやつは午前に洗濯機を回し、干した。てか、ジーンズを乾燥機にかけちゃいけないって知らなかった。乾燥機になんでもブッコミしてた時にはジーンズもダメにしたし、マミーからパクった?ETROのシャツたちもダメにした。ほんとばかちんたろうのすけである。干した洗濯たちは最高の乾き具合でよ!陽気じゃん!である。乾燥機ぶっこみよいよなやつは夜に洗濯機を回してコインランドリーの乾燥機。コインランドリー行ったら、こないだ初めましてした理髪師さんが居て、ぼさぼさヘアーじゃ申し訳ねえなで知らん顔して速攻に退散した。退散後の北新宿公園は大人が15人で飲み会していて最高だった。トイレと灰皿とコンビニが圏内な公園は最高である。外気だし。

 

5月も終わりそうなので、5月に会った人々を思い出す。GWはなんか毎日くらいにちゃう人とキスとかセクシュアルフィジカルコンタクトをしていた。そういう時もある。てか、そういうことしている時、まじ夢かな?くらいに全然関係ないことが頭に浮かんでくるので大体集中していない。シラフなのにまじで、あれよあれよと考え事が浮かんでくるので、「ああこれメモしてえ〜」ってなりながら相手の体温を感じている。てか、そういう時にみんなは何を考えてそういうことしてるんである。全然キャッキャしながら会話していたい派である僕は。思想強い同士で思想的にそれどうなんをカンバセーションしながらやるのはふつうにめっちゃエロい。この段落の冒頭で書こうと思っていたのは他者から言われるあれやこれ:ぴかぴか生命体、魔法使い、王様、シャーマンらへんが今月他者から言われた僕のイメージである。まじそんなんであるなら僕はなんにでもなれるじゃんなので他者からのあれで自己を更に肯定している?いえいである。

てか、僕は運動オンチでそれはくそどうでもいいんだけれども、セックスって大体の場合で2者間じゃん?しかも参照可能な過去の経験は人それぞれで。そうなった時に、僕のセックスって大丈夫?になったりするんだろうか?たのしけりゃなんでもいいじゃん(蛇足だが、僕は広義のセックスに神聖性とか愛とかを別に感じないタイプですね。セックスしたからなんなのであるし、性欲があってもなくても別にいいじゃんでもあるし、まじJustいぇいとか、へ〜である。)と思っているが、世の中の人は他者に自分のセックスについてのフィードバックを求めたりしていたりするのだろうか?

 

ふいにGoogleカレンダーを開き、原稿のチェック・保険の手続き・入社の手続き・家賃の振込・クレカの更新をさぼっていることを認知してダルである。監視して欲しい。全然僕を監視してくれるためのバイト代を出しますであう。ちゃんと入社できるのだろうか。てか保険のやつとかは馬鹿にならない金額なのでほんとまじでちゃんと週末中には対応してくれ僕。この僕は現時点僕と次元がちゃうので他者的僕へのよろしくである。

 

エリックサウスのウールガイはめちゃくちゃうまい。どれを食ってももちろんうまいのがエリックサウスだが、最終的な満足度のゴールを切るのはいつもウールガイ。

 

文学フリマ東京38で買ったあれやこれやをぼちぼち読み進めている。選書センス?は相変わらず抜群な僕である。どれもこれもマジでありがとうになっている。とはいえ、他者は他者なので僕もテキストしなくてはなので、ぼちぼち書き始めている今日この頃。これもできれば誰か進捗を監視して欲しい。あと最近、オンライン上の日記やテキスト、論文とかを結構読んでいる。無料なのまじすか、いいんすかであるが、ひとりいえいパーティーを夜な夜なしている。なんか「今週読んだあれやこれや」的にまとめれば、誰かの役にたっちゃうかも?だし、なにより未来の自分からありがとうされそうだが、そんな豆に几帳面ではなないのが僕である。ダメかもしれない。大丈夫だけれども〜

 

ユーモアを要求されたことがないし、僕のおもしろいはきっと誰のおもしろいではないと思いながら生きてきてしまったので結局おもしろいテキストにはならねえなである。目指したところでとーすぎるそれらなのでしゃーないじゃんね〜な自分甘々を結局これからもやっていきである。

 

最近の趣味:路上読書:ベンチがクソな形している都内、路上で酒飲みながら読書してやるである。気候もよいのでセルフで最高している。

 

ていうか、マジでLINEを永遠未読している。まじでエゴったやつは本当に応答しなくちゃなんだが、そもそもLINEが開けねえ。よくない。

 

(いつになるか分からない)次回テーマ予告(といいつつ多分絶対次回じゃない):①否定形のセルフアイデンティファイ!と②僕的『〈友情〉の現在』

 

久しぶりに今日の僕的

奇妙礼太郎「エロい関係」

youtu.be

 

 

+++蛇足+++

こことは別にメルマガ意欲が高まっていた時に書いた下書き(なんかタイミングと気力を見失ったのでポイである)

♥♥♥メルマガ♥♥♥

 

毎週日曜日とかに更新できたらいいなとか思っているけれどたぶんむずそ〜できたら偉いね!

 

★日記:0513〜0518★

2024/05/13 (月)

 雨。傘を持たずに濡れるために外に出ちゃうくらい元気な時の雨は好きだけれども、最近は雨だと心身がどんよりするから苦手かもしれない。

 とっくに締切をすぎている原稿をやっとこさ仕上げた。提出する前にひとりだけマヴに原稿を読んでもらってコメントをもらった。そのマヴとの出会いは今でも鮮明に憶えている。共通の友人と飯を食っている時に、突然に引き合わされて、そのままやんややんやしてお泊まり会になったくらいやんややんやだった。はじめまして数時間で「繊細さと我の強さが同居した空気感があってものすごく寛大で優しい凶暴な野生動物」と言ってきた。言い得て妙だしめっちゃ僕のこと観察してくれてるじゃんで飛び上がる程安心感を憶えた稀有な存在。そんでもらったコメントも、めちゃ丁寧にテキストを読んでくれているのがわかるし、何より僕の文体や言語がちゃんと通じているっていうのですげえありがてえ存在ってことを再認識。

 今回の執筆?でもっとテキストしななになったのでポータブルキーボードを購入。Macbook壊れて久しいので、ポータブルキーボードのおかげで、iPadiPhoneでもどこでも爆速タイピングが可能になったのでとりあえず書くぞである。

 無職5ヶ月目で金がないのにカードの請求はちゃんとくる。よくねえけれど片っ端から分割払いに切り替えていく。来月から再びの労働者なのでまあよいか、来月からの僕よ頑張ってくれである。30年弱生きていても金にさほど関心がないのでちゃんと生きていけるかはちょい不安である。

 

2024/05/14 (火)

 東武東上線に揺られて、はじめての原爆の図 丸木美術館(https://marukigallery.jp/)へ。実家に買えるより時間かかるんだで、最寄りのつきのわ駅はおおお!な感じの殺風景。土と草の香りといつもより輪郭のはっきりする山々。よい。るんるんずんずんしながら30分程徒歩る。全14点の原爆の図シリーズ、松下真理子「人間動物」、丸木俊/位里による共同制作シリーズと結構ボリュームがある。松下真理子さんの作品をはじめて観たのは2022年のKEN NAKAHASHI。最初に観た時から、まじで人間とはなにか?をやっている感じで惹かれ続けている。

 あと、特に衝撃的な体験だったのが『アウシュビッツの図』丸木俊/位里, 1977。いちばんに視界を奪われたのが灰青色の皮膚だった。肌と血の色が変えられるならなりたいと思っていた色で描かれた人々が虐殺されている図の衝撃がデカくて、涙出ちゃって自分でも驚いた。アウシュビッツという虐殺の歴史自体はもちろんそうなんだけれども、灰青色の肌というものに強く惹かれる自分にハッとなり、しかもそれが虐殺される姿であって、なんか自分自身が10年くらいぼんやり考えている非/人間の姿がそこにあって、なんて言えば適当かがわからんのだけれども、忘れられない瞬間。涙が出たからよいとかではないとは思うんけれど、身体の反応として自分の中で未知の部分に繋がる?みたいなのサインとして涙が出てくるってのはあると思っていて、そこからどう思考していこうか的な。9.11グラウンドゼロの施設とか、松下真理子さんの作品とかも僕にとってそうだった。

 観終わった後は近くの鞍掛橋へ。飛び石で手を水につけたりよさげな石をいくつか拾った。

 

2024/05/15 (水)

 昨日、突然に京都に行こうとしていたけれどホテルとるのが怠くて結局いつも通り新宿にいる。珈琲貴族エジンバラでちょい遅めのモーニング。いつもの雑炊はちょい塩味が薄いかなだったが、もしかしたら僕の体調のせいかもなので、雑炊自体はいつも通りかもなな確かめようのないあれに陥る。

インターネッツフレンズの発信でいうと、メルマガ>はてなブログ>IGストーリー>Twitterの順でちゃんとみているなで、最近届くようになった素敵フレンドのメルマガが良くて、僕もメルマガはじめようかな〜になって、いまこのテキストを書いている。いえい。

 新宿眼科画廊で木村翔太「SPARK」をみた。昨日たまたまTwitterでみてふらっとだったけれど、展示最終日だったぽいのでナイスタイミング。テラコッタにアクリル彩色された作品に一目惚れで購入。初個展で素敵を購入できいえいである。シリーズがたくさんあるなかで僕の買った「けんこうまる」は唯一の垂れ目クリーチャーらしい。永遠にかわいい。

 新宿伊勢丹の屋上庭園で喫煙ブレーク。最近は柘榴の花をそこかしこで見かける。結実するのかは知らんけれど、意外と柘榴の木ってそこいらにあるんだなの発見。良い発見。

 先日、紀伊國屋に行った時にぬいぐるみフェアがやっていて気になっていたぬいぐるみが忘れられず再訪。買うか迷って3日以上忘れられなかったので買って良いだろうとして購入。淡い赤色のライオンのぬいぐるみ。自分でぬいぐるみを買うのは初めて。気候も相まってもってる手が温くなる。小さい頃に唯一持っていた青いテディベアが忘れられなくて覗いたぬいぐるみフェア。想定外のこんにちはにサンキューだ。ついでに新宿御苑を散歩。

 武蔵野館で『Coffee and Cigarettes』をみた。なんか昔に匿名で僕の印象教えてアンケートをした時に、「自分には届かない(叶わない?)感性を持った人。だからこそ魅力的に、遠く、感じる時もある。感応力。映画で言うと、Smoke(1995年)やCoffee and Cigarettes(2003年)、Trainspotting(1996-2017年)が似合う人。」とコメントをもらったことがあって、やっとみれるぞであった。

 今日はナクバの日。新宿駅南口の全国連帯アクションに参加。

 

2024/05/16(木)

朝6時過ぎに就寝。午前11時頃に起床。お笑い芸人・紅しょうがのYoutubeを観た。そしてぬいぐるみが永遠に可愛い。名付けなんてようしたことないなと思いつつ、名前をLoki(ロキ)にした。由来は北欧神話のロキ神。トリックスターで善でも悪でもあり、クィアで変身可能な理想的神。最高。

高円寺エリックサウスでビリヤニ食うかなでシャワー浴びて家を出るも、腹一杯になると苦しいよなと提供に時間のかかるビリヤニでL.O.直前に店に入るのも躊躇われたので近所のドトール。本当にそういうところがある。

 

2024/05/17(金)

セフレになりそうだったけれど結果的にサンフレ(お散歩フレンド)になった人から教えてもらった近所の床屋へ。3年くらい同じ美容師さんに切ってもらっていて不満はないのだけれど気分転換の浮気。そういやサンフレとはじめましてした時に「悪魔みたいだ」って言われたのを思い出した。初対面でそんなこと言ってくるなんて愉快じゃんである。ちなみに僕は天使と悪魔なら断然悪魔派なので、褒め言葉。

 

2024/05/18(土)

挨拶だけしたことのある本屋さんにお誘いいただいてランチ+Loneliness Booksへ。

 

★考えごと〜

 TwitterとかIG、マチアプ的側面が僕的には結構あるんけれど、フレンドになりたいかもなな人に話かけてもいいのか問題がある。

 名前を呼ぶこと。

 

★マチアプのあれこれ

今週マチアプでみかけたいいフレーズ「選挙にちゃんと行く人がすきです」(Tinder)◀マジぞれ

※その他マチアプではこれといってよいフレーズなし。

 

★最近のおすす

ー「人間動物」松下真理子展示、原爆の図丸木美術館、7月7日まで(https://marukigallery.jp/7600/)

ー『人間狩り』グレゴワール・シャマユー

ー『荷を引く獣たち』スナウラ・テイラー

 

★遊びのお誘い

1, 6月中にオンラインで現代思想「〈友情〉の現在」の緩い読書会?をやる予定です〜気になる〜って方いたら連絡してち!

2, 店で蕎麦を食ったことがない!ついでに紅生姜天もめちゃ食ってみたい!

3, 往復書簡or交換日記しよ〜

4, 行きたい:ハンセン病資料館、ウトロ平和記念館、中村キース・ヘリング美術館

 

★気になる映画・展示・イベント・新刊書籍など

1, ユリイカ 折坂悠太

2, ユリイカ わたしたちの散歩

3, 現代思想 〈友情〉の現在

 

 

 

 

2024/05/19 文学フリマ東京38

午前4時くらいに寝落ち、8時起床。
手続きや調整がてんで駄目な僕の代わりに友人がやってくれた部屋の中でいっちゃんでっかいブツをジモティーで知らん人に引き継げて、部屋に一気に開放感。

そそくさと文学フリマへ。

11時過ぎに会場に付き、開場までの待機列で『あらゆることは今起こる』柴崎友香医学書院を読み進める。ADHD当事者のテキストや発達障害に関する本はいくつも読んできてが、至上いちばんくらいにすんなり入ってくるし、わかる〜がやゔぁい。

12時きっかりに開場し、目当てを一通り巡る。目当て完了した後はひたすら第1会場内をぐるぐるした。結果3時間弱、ぐるぐるして、予算ギリギリまで気になる書籍・ZINEを購入。

 

★購入したやつ〜

クィアパレスチナ関連のが多め
(文フリの場に行けない理由がある人の方が行ける人よりも圧倒的だと思うし、リンク付けているので、店舗/オンライン購入の参考になれば!)

 

パレスチナのことを話し続けるZINE』
パレスチナのためのブッククラブ(U-04)
https://c.bunfree.net/c/tokyo38/h1/U/4
ーーー
『デモ行こう』
路上の抵抗誌編集部(P-27)
https://c.bunfree.net/c/tokyo38/36482
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『カルチャー防衛最前線 vol.1 特集 ガザを知ったら文学やるしかなくなった』
りべるーつ(I-23)
https://c.bunfree.net/c/tokyo38/37452

ーーー
『仕事文脈 vol.24 特集 「反戦」と仕事』
タバブックス(Z-47)
https://c.bunfree.net/c/tokyo38/35683

ーーー
『夜明け前がいちばん暗い』
『パンだけではなく、薔薇を』
赤旗インスタグラム漫画制作チーム(I-26)
https://c.bunfree.net/c/tokyo38/36464

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ADHDじん 第二号』
『みんなでつくる情報保障 UDトークを使う編』(無料頒布)
ADHDじん(R-09)
https://c.bunfree.net/c/tokyo38/36158

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『歌集 おくたばり』
『どこにいても死にそう』(無料頒布)
『いつでもまっすぐ歩けない』(無料頒布)
そぞろ書房(点滅社&小窓舎)(し-19)
https://c.bunfree.net/c/tokyo38/35959

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『サイボーグ魔女宣言』
まどかしとね(J-02)
https://c.bunfree.net/c/tokyo38/35143

ーーー
『あなたの言葉を聞き、わたしの言葉を書くために』
クィアフェムによる恋愛ZINE』
SPBS(H-29)
https://c.bunfree.net/c/tokyo38/37352

ーーー
クィアネスとメンタルヘルスのアイデンティ・ゲーム』
呉樹直己(U-13)
https://c.bunfree.net/c/tokyo38/36428

ーーー
『あなたとケーキをシェアするためのいくつかの方法』
本屋メガホン(W-41)
https://c.bunfree.net/c/tokyo38/36520
ーーー
MiNoRi+ ミノリト vol.1』
ミノリト編集部(L-20)
https://c.bunfree.net/c/tokyo38/34455

ーーー
『任意の五』
『イサド住み』
『イレギュラーウィンター』
ザネリ(B-03)
https://c.bunfree.net/c/tokyo38/35612

ーーー
『おてあげ 第3号』
困ってる人文編集者の会(Y-01)
https://c.bunfree.net/c/tokyo38/34428

ーーー
『蛍光灯 0 隔たり』
川(L-33)
https://c.bunfree.net/c/tokyo38/35285
ーーー
『GO TO LITERATURE』
LIT A LOT(E-38)
https://c.bunfree.net/c/tokyo38/34444

終了後に友人と合流して、何買った〜と報告しつつ流通センターをあとにする。前回は浜松町で降りたら入れる店がなかったので、恵比寿ならなんかあるやろで、定食屋さん。鯖の大葉味噌焼きうまかった。

もうちょい話してたかったけど、お互い寝不足だったから、次回までに買ったやつを読んで感想大会しようねで解散。積読回避の作戦としてなかなかよいなである。

 

2024/05/18

午前8時就寝、午前11時起床。シャワー、烏龍ハイ、新宿へ。
紀伊國屋書店で書籍購入3点『あらゆることは今起きる』柴崎友香『かわいいピンクの竜になる』川野芽生、『人形歌集』川野芽生、人形・中川多理。
喫煙所で煙草を吸っているだけで汗をかく。

 

ちゃんと話すのは初めましてですねで、刀削麺パクチー大盛り300円にしたがあんま匂いが強くない割にえぐみが強かったので、望んでいたパクチーではなかったな残念無念。Suicaで支払おうとしたら残金不足で現金支払い。店員さんが言葉を漏らすくらいにShitな感じのリアクションだったのでごめんち。

WHITEHOUSE《とても静かだけど、あなたの声は聞こえる/It's very quiet, but I can hear you》を一瞬みた。黒田零『燃やされた言葉の残像』という映像は強く印象に残る作品だった一方で、添えられたキャプションの真摯さの強さに圧倒される。いま書き起こされるべきテキストであり、作品設計から完成までの軌道修正の軌跡がそこにあり、映像作品として提示されたそれとキャプション、相互補完的なものとして受領するには時間が足りず、どうしてもテキストに引っ張られてしまい、考え込む。

Loneliness booksで店主の潟見さんにちゃっすしつつ購入した4点。Illustrator's Dialy〜絵を描くこと、抵抗すること〜』中村一、『百鬼走行ーーー女性怪物行進』QUEER ME』D/ディー、『台湾ホモナショナリズムーー「誇らしい」同性婚と「よいクィア」をめぐる22人の語り』松田英亮(大学時代のクラスメイトの著作、友人貸出ように2冊目)。

 

北新宿公園に移動して茶しばき(いうて僕はアルコール、茶ハイだからギリ茶しばき成立)。公園というパブリックな空間で少しずつお互いを溢し掬うコミュニケーション。

自分語りをしつつ、自分のシス男性への抵抗感があれよあれよと出てくる。連帯を要請する運動の場で、可能な状態であることを前提に(非/ヘテロ問わず)シス男性もっと出てきてくれよという思いは可能か、その根源は何か等々をつらつら。例えば労働に追われているとして、運動を優先することを職場で実践することは職場でより権力的不利にいる人々より率先して可能な実践のひとつでは?とかも思ってしまう。それをやってきた僕だからの強者理論だとしてもまじでシス男性にどう期待していいのかわりとキッツイでみたいなものがみぞみぞしている。

 

バイバイして帰宅途中、折坂悠太ライヴのチケ代をコンビニで支払う。相変わらず茶ハイを飲みながら思う、無職だけれども平日は酒は2リットルまで、土日祝は3リットルまでみたいな自意識なんなんだろう。

 

明日は絶対に文フリにいく理由が2つあるので絶対行くぞである。その前のタスク完了も割と重要。

連日の睡眠不足で瞼の調子がすこぶる悪い。

 

 

2024/05/18

突然京都(15~17日)をやっぱなしにした数日前。

京都でしたかったこと

・出町座
・京セラ美術館
・タナカコーヒ
・ウトロ平和記念館
・鴨葱書店
・OIL bar
・鴨川
阿闍梨餅本舗

そういや京都いくたび会ってた友人たちほぼ京都離れちゃったから会える人もそんなおらんなだ。

7月後半は踊ってばかりの国のライヴで大阪行くから、民博追加で大阪・京都。それまでにインターネッツフレンズつくってフィジカルミートキメられるかな〜

 

昨夜眠れずにいて気になるキーワードを打ち込んで論文を焦って読んでを繰り返していた。論文、無料だし、さくっと読めるし、知らんことがたくさんそこにはあるので、めちゃくちゃたのしかった。学生に戻りたいかもとなったけれど、論文読んでるだけじゃ学生はできんので、まあ市井の論文読みだなである。

8時間くらい続けて寝たのが朝8時。10時に起きてヘアカット。近所のはじめてのバーバー。特に話す以前に雰囲気認定された。身なりにこだわりがない(どんなにダサくても、何してても、僕はかわいいしエロいしかっこいいみたいな自尊心が根底にある)ので、基本おまかせしたいですを伝える。そもそものいまのヘアスタイルはホストの間で流行っているスタイルですとマジか?な宣告からはじまり、雰囲気認定されたうえで、元メンズノンノモデルの人の画像を見せられ、こういう湿っぽい感じがいいかな思います言われて、確かに好きな雰囲気だったのでそれでおねしゃす。1席バーバーで終始、言語のやりとりをした。

 

明日はドキドキはじめましてをぶちかます予定。フレンズになれたらいいな〜である。