とっておきのやつ

ピタッときてスッときた言葉を喋るように書く。

現実レシピ

これさ。

 

どこ - とっておきのやつ

 

一晩経って気づいてしまったんだが。

 

 

夢の中で生きてる(つもりになってる)のは、

 

今思い描いてることを現実にしていく覚悟がないんだな。

 

って。


やればいいじゃん

現実作っていけばいいじゃん

って。

 

でも不安なんでしょ?

めんどくさいんでしょ?

 

 

そう、つまるところ

 

 

か  く  ご   ☆  

 

 

だよっ☆

 

 

笑ったよね。

 

 

んま、どっちでもいいけどさ。

 

今満たされない気持ちがあるんだから、

 

現実作ってこ〜

 

って思ったよね。

 

 

現実の作り方は多分もう知ってるし。

 

レシピは既に私の中or周りにあるらしいよ〜

 

まぁ、せいぜい頑張ってね、私。

 

 

どうせすぐ夢の中に逃げ込むだろうけど、大丈夫大丈夫、それが理想なら逃げ込めばいいし、嫌なら勝手に進んでくからさ。

 

どーせ何したって私は幸せになるし周りの人を幸せにするんだからさ。

 

てきとーに暇つぶしすりゃいいのさっ

 

そして私を満足させてくれい!

 

どこ

なんだか、生きていない感じがする。

最近のわたし。

 

夢を見て、その中でフラフラしてる感じ。

現実では生きていない。

 

好きなこと楽しいことやりたいことは、ぜんぶ夢の中。

 

現実で生きられない原因の1つは、

生活が自由すぎること、かな。

 

最近の生活は、

寝たい時間に寝て

起きたい時間に起きる。

お腹が空いたら食べるし

空かなかったら食べない。

聴きたい音楽は何時間でも聴いて

考えたいことは気が済むまで考える。

基本的に時計は見ない。

 

そうしたら一日が終わってて、

眠くなってきたら寝る。

 

そんな生活。

良くも悪くも、私の気分の波に合わせた生活をしている。

そしてこれは、わたしに1番都合が良い生活。

 

 

でも、現実からどんどん離れていってる気がするんだ。

 

 

夢を、理想を描いていると、ふと思う。

何してんだろう、、、

って。

 

現実の中で夢見ながら生きるつもりが、

現実を捨てて夢の中で生きている。

 

それが、なんとも言えない悲しい辛い寂しい気分。

 

いつか、耐えられなくなる気がする。

本当に現実からいなくなってしまいたい時が来る気がする。

 

現実からいなくなったら、夢も見られなくなるんだけど。

それでも現実”じゃない方”を追って、遠くに遠くに行ってしまいそう。

 

だって既に、

誰にも言えない

どこにも行けない

自分でも優しく扱えない

このなんとも言えない異物のような感情が、

 

行き場がないから出てこれなくて

居場所がないから出てきたくなくて

私の小さな体の中ではちきれそうだから。

 

こんなとこに書いても

こんなん何にもならないんだよ。

 

でもまだ私は

これまでの人生、それなりに楽しく生きてた時間の方が長いから

 

明日もきっと、それなりに現実を楽しむんだろう。

夢は夢で、置いておいて。

 

湧き出てくる素直な感情に蓋をして。

 

 

 

悔しいな。

やるせない。

 

 

こんな文章二度と読みたくない。

 

 

 

でも、よく書いたよ、私。

 

大人な時代到来

前回の続き。(ってことにする)

 

前回↓

『悲しかったんだもん。シクシク(TT)』

http://ima510.hatenadiary.jp/entry/2019/01/13/022605

 

今日の同窓会で感じたことがたくさんあったから、忘れないうちにメモしておこうと思って。

 

まず久々に会った同級生みんなから受けた印象は、

 

ちゃんと大学生してる、、、

 

だったな。

 

サークルも、テストも、バイトも、恋愛も、飲み会のコールも、、

うわぁ大学生だ、って感じ。

私が高校時代にイメージしてた大学生はこんな感じだったな〜、って感じ。

今の私は想像してた大学生ではないなぁ。せめて学校は通ってると思ってた。笑(休学中)

 

みんなすごいなぁ。

楽しくそれなりに生きられることが才能だと気づいてしまった今日この頃。

1年前は私も当たり前に出来てたんだけどなぁ。

 

そしてみんなから受けた印象その2。

 

なんか頑張ってんな〜

 

だった。

 

正直に言おう。ちょっと小バカにしている。笑

 

これは特に、キラキラ系大学生から受けた印象。

何にそんな必死なのかよく分からないけど、目をギラギラさせて、すごい頑張って大きな声出して、ゲラゲラ笑って、盛り上がっていた。(ように見えた)

 

大学という同じ土俵で、似たような大学生の中でキラキラ生きていくには、かなり必死にならなきゃいけないのかもしれない。

 

無理せんでええのに。君そんなキャラちゃうやん。

と、思わずエセ関西弁でフォローしてあげたくなった。しなかったけど。

 

でも必死になってる人っていいよね、すごくエネルギッシュで。今この瞬間を生きてる!って感じ。

あ、これはバカにしてないよ。純粋な気持ち。

 

 

みんなから受けた印象その3。

 

色んな意味で変わってないなあ

 

だな。

 

ほんとにこれは、安心したけど残念でもあった。残念だったけど安心もした。

 

高校時代のノリとか関係性って、いつまで変わらないんだろうね。

 

私は、誰かをシラけさせる笑いや、誰かをバカにしてとる笑い、誰かをいじりまくる笑いが好きではない。

これを大阪出身の友達に言ったら、

「大阪では生きていかれへんな笑」

って言われた。いいもん。

 

高校の同級生のノリでは、このタイプの笑いがよく起こった。

でも全然面白くないから笑えない。

高校時代の私は、それでも失笑はできた。空気を読む体質ができてたから。

 

それが、今日は本当に笑えなかった。

これどういうことかっていうと、

面白くないことには一切笑えない体質になった、とも言えるんだけど、

 

たぶんね、

もっと広域で捉えると、「許せなくなった」んだと思うの。許せる範囲が狭くなったというか。こだわりが強くなったというか。

 

高校時代は気にならなかった(気にしようとしなかった)、他人の発言や行動から感じられる”ちょっとのイヤな感じ”が、今は気になる(気にする)ようになった。

 

高校時代に、別に直接自分に嫌なこと言われた訳でもないのに他人の発言に対してプンスカ腹を立てる子がいた。

まじですごいと思った。私はそもそもそこまで他人に興味がないし、ましてや怒りとかいう強い感情なんて持たなかったから。

まぁでもその子のことも、なんか無駄なとこでエネルギー使ってて大変そうだなと。

 

それが今は、自分に当てはまる。別に、直接私に危害を加えられた訳じゃなくても、”ちょっとのイヤな感じ”が敏感に気になってしまうようになった。

 

そのせいか、他人にイラつくことや腹が立つことが増えた。

何でそういう言い方になるかな?

お前は人をバカにすることしかできないのか?

人をいじるならまずお前が面白いこと言えよ。

って、ニコニコへらへらしてる裏で思ってる私はなかなか人間らしくなったと思う。ほんとに。

 

これが成長なのか退化なのかは分からないが、とりあえず変化ではある。

でも、喜怒哀楽の「怒」が極端に欠けていた私にとっては、素晴らしい成長なのかもしれない。てかそう思いたい。そう思おう。よし。(必死)

 

私にも、湧き出る本音を隠しながら表面で建前を並べる、そんな大人な時代が来たのかもしれない。

んま、成人ですし?おめでとう私。

 

すごい楽しい。いい感じに人間やってる感。

 

悲しかったんだもん。シクシク(TT)

すごく悲しいことがあった。

こうなったらもう、とことん悲観的になって書いてやろう。

 

今日は高校の同窓会に行った。

久々に会う同級生は、色んな意味で変わっていなかった。安心もしたし、残念でもあった。

そして、今年一年休学をしている私へのみんなからの問いは、主に以下の2パターンだった。

 

①純粋な興味で聞かれる「何してるの?」

②異質なものを見るように聞かれる「何してるの?」

 

当たり前だ(と思う)が、①のタイプの人の方が話しやすかった。私は、休学期間でやってきたこと、そこで感じたこと、その上で今やりたいことなど、たくさん話した。その人は興味を持ってたくさん聞いてくれた。

②のタイプの人は、なんだか自分が悪いことをしたかのような、一生懸命弁解をしなきゃいけないかのような気分になった。(勝手にね)

あ、前提として、コミュニケーションは結局受け取り方次第だなぁと理解した上で「でもだってこの瞬間、私悲しかったんだもん。シクシク(TT)」というスタンスで、そのままの悲観的な受け取り方をして書いてます。

 

誠に残念ながら、今日は②のタイプが大半だった。

 

その人たちの、

全然思ってない「へーすごいね」も、

興味を示さない「なんで?」も、

聞くというよりぶつける「なにそれ」も、

本当にいらなかった。

 

うざかったというより、怖かった。悲しかった。嫌な感じがした。そういう意味で、本当に同じ空気を吸いたくなかった。

 

だからかな、今日はとても疲れた。

 

もちろん楽しいこともあった。久々に話せた子もいたし、友達が強い女になってたことも知れたし、一緒にいて心地いい子と時間を過ごすこともできた。

だから行ってよかったとは思ってる。

、、まぁ、その程度ではあるが。

 

そんなことより大好きな人におめでたいことがあったので、私はご機嫌なのだ。

(ご機嫌とか言ってるけど文面からして機嫌悪いやん。と分かってくれたそこのあなたは今村検定1級です)

 

なんかやかましいな、私。まぁいいか。

 

ご機嫌だったの、今さっきまでは。

実は本当に悲しいのはここからで。(まじかよ)

 

母親に、この一連の流れを話した。

「今まであまり休学を否定的なフィルターで捉えられることがなかったけど、今日はすごくそれを感じたな。世間的には普通にそう見られることがあるって忘れてたよ。」

って。

 

そしたら

「覚えとかなきゃいけないのは、就活の時、面接官は大抵そういうフィルターで見てくるということ。異質な人は会社に都合が悪いからね。だからそれを跳ね返せるくらい、目に見える結果を卒業までに出さなきゃね。」

って。

 

「そうだね。」

って、言ったけどさ。反論するのもめんどくさいし。何より悲しくて何も言いたくなかったし。

 

(ここからかなり悲観モード↓)

 

え、どうして?

面接官に説明できるような休学じゃないといけないの?

なんで誰かのために説明して評価されるような時間なんか過ごさなきゃいけないの?

てかそんなことのために出す「目に見える結果」なんて、私の人生にいる?それ誰のためのものですか?

 

はぁ悲しい。

きっと幼稚なんだろうな、この考えは。

もしこの先、すごく好きな人や会社ができて、どうしても自分が力になりたくて、そのために分かりやすくアプローチしたくて。

そんなシチュエーションが来た時に、勝手に考え出すと思うんだ、必死になって。それで良いしそれが良いんだ。

 

あ、そっか。

じゃあ今私が大好きな人に振り向いて欲しくて一生懸命いい女になろうとしてるこの努力は、もしかすると将来すごく役立つことなのかもしれないな、よかった。

 

結論がコレはちょっと違う気がするが笑

でもいいんだ、なんかいい感じで終われそうだし。

 

おしまい。

 

 

 

と思いきや、続き。↓

『大人な時代到来』

http://ima510.hatenadiary.jp/entry/2019/01/13/040350

 

 

憧れベタ

お久しぶりです。生きてます。

ちなみに先日成人式でした。おめでたい!

 

最近、大好きな人のライブに行きました。

”アカペラ”のライブ。アマチュアのね。

アカペラは、飽きやすい私が珍しく4年くらいハマり続けてる趣味。聴く専門なので「聴き専」という。

 

もーすんっごく楽しみにしてて。

きっと熱しやすい私のことだから、

ライブ後しばらく余韻に浸るんだろな〜ムフフフ

とか、

ご機嫌になって全ての世界キラキラ見えちゃうんだろうな〜クククク

とか思いながらワクワクドキドキニヤニヤしてた。

 

そしたら、そしたらね。

ライブを目の当たりにした私、

 

生きる希望がなくなっちゃった!笑

(お茶目に言うセリフじゃない)

 

いやいや、死にたいとかいう意味じゃなくてね、全然それなりに生きていく意欲はあるんだけど、

 

例えるならこう、、マラソンでずっと自分の目の前を走ってたランナーが急に立ち止まって「俺、走るの飽きたからバスケしてくる」って走り去ってった時の「あっ...取り残された...」みたいな感じ。

 

、、、さぁみなさんご一緒に!

 

せーのっ

 

例えが分かりづらい!!

 

そんなシチュエーションないよ!泣

あ〜わかるわかる、あるよね〜。ってならないよ!泣

 

大丈夫、大丈夫だよ、分かってるの自分でも。

でもこの私にしか理解できない(私だけはしっくりくる)例え話が愛おしいの。そう、自己満ってやつ☆

あ、怒らないで!ごめんなさい!!

もし、その例えめっちゃ分かる!!って人いたらハイタッチしよう!

 

んーどうゆうのが伝わるのかな、

ずっと基準にしてた人が簡単に居なくなったことでその先の道への希望がなくなった感じ?

しかもマラソンやめてバスケだよ?もうどこまで行くん!?「あっはい。」としか言えなくて、道が閉ざされたことを見せつけられた気分。

...伝わらない例え話引きずるのやめますねハイ。

 

んーと、そうそう、大好きな人のライブに行ったら希望がなくなったって話ね。

突然の切り替え、お許しください。。

そのライブでは8バンド(グループ)出演してて、どこもすごく良かった。アカペラっていう同じ形でもほんとに色んな個性が出てて。一般の大学生や社会人だけど、ステージ上の彼らはすごくキラキラしてて。

そう、まさに、憧れた。

ちなみに私の中では「憧れ」と「羨ましい」は、近いものがあるんだけども。

 

歌声綺麗だなあ。

魅せ方上手いなあ。

ほんとに楽しそうだなあ。

自分たちの音楽大事にしてるんだなあ。

こうやって歌を楽しむ仲間っていいなあ、私も、

 

、、、、、

 

私も、、、?

 

私も、なんだ、、?

 

私も、こうやってステージで歌いたい?歌を楽しむ仲間が欲しい?アカペラサークルで学生の青春を楽しみたい?

 

なんか、、ちがう、、

 

だって私は、今憧れてるこの人たちにはなれない。このステージには立てない。あの世界には行けない。

 

そもそも、もし今自分がこのステージに立てるくらいのスキルやその他諸々が整ってたとしても、

そのイメージが出来なさすぎる、考えるとむずむずして気持ち悪い。なんかちがう、そうじゃないって、拒絶したくなる。

夢が壊れる感じかな。

夢ってほら、儚いじゃない。ふわふわキラキラしてて、見えてるのは一部分で、すぐ消えそうで、だから掴みたくて追いかけちゃって。

それに比べて現実は、視界も音も匂いもしっかりしてて、見たくなくても見せつけられる。絶対的に「存在する」腹立たしさ。

そんな夢と現実のコラボなんて許したくない!!

 

憧れの人たちがステージで歌って輝いてて、私は客席でそれを見て憧れてる。

その状態はもどかしいのに、その状態じゃないと気持ち悪い。

という矛盾。

 

この時、

「じゃあ、私はどこに立てばいいの、、?」

って思って、彼らを見ながら悲しくなっちゃったんだよね。

この、

”どこ立てばいいか見当もつかない感”

が、私の生きる希望を失わせた。笑

 

このお客さんたち、明日から何を希望に生きてくの?大好きなものから得たエネルギーをみんなどこに向かって使ってるの?

アカペラやってる子は私も頑張ろうってなるのかな。仕事してる人は、良い歌聴いたからまた1週間頑張るぞってなるのかな。

 

えっ

「エネルギー満たされたから自分のフィールドで頑張ろう」

って、器用すぎない?

そうやって、自分のフィールドで努力して成長して憧れに近づいていくのかな。

なんて上手な生き方なの、、、

 

私は「誰か」に憧れると「自分」が崩れるらしい。

ないものねだりなのか、あるものねだりなのかも分からないくらい、「自分」を無視して置いてけぼりにして「誰か」に憧れる。

 

「あの憧れの人みたいになれるよう自分も頑張ろう」

じゃなくて、

「あの憧れの人大好きだから仲良くなりたい」

だけが残る。

 

つまりこれは、

憧れ下手なのかもしれないね。憧れベタ。

 

憧れる力は異常なほど強いくせにね。

憧れ上手になれる日は来るんだろうか。

 

少し話戻るけど、

「私はどこに立てばいいの、、?」

「みんな明日から何を希望に生きてくの、、?」

って、

今思うとこれは悲劇のヒロインみたいだね。

まぁ実際悲劇のヒロインらしく涙流して悩んだんだけどさ。

今冷静に書いてたらだいぶ俯瞰できたみたい。

 

もうちょっと前向きな嘆きをすると、

私は一体どこに立てば、私自身を満足させられるんだろ?

一体どうすれば、大好きなものを自分に1番都合良い形で私のものにできるんだろ?

こんな感じかな。

 

あ、今、初めて少しの希望を見出せた気がする。

 

ふぅ、ちょっと疲れたな。

 

てかさっきの「前向きな嘆き」って、良い表現だなほんとに。(自分で言う)

誰か助けてみたいな弱々しい嘆きじゃなくて、前向きで強気で自分の両足で立ったような嘆き。あぁ実に良い。

 

私の中で「憧れ」「尊敬」「羨ましい」みたいなものは、今までもこれからもキーワードになってくるに違いないから、上手いことお付き合いしていきたいな。

 

こうやって言葉にしたり、しなかったりね。

 

 

あたし はたち

1998年5月10日。母の日。

今村ちひろ、オギャーッと生まれました。

「ちひろ」という名前は、画家の いわさきちひろ さんから来ています。

いわさきちひろさんの絵は、こんな感じ。

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柔らかくて、輪郭がはっきりしてなくて、ぼや〜とにじんでる感じ。

私の両親は、この絵が大好きで、「この絵みたいに”人を癒し和ませる子”に育って欲しい」という想いから、「ちひろ」と名付けてくれました。確か。

 

それから20年、、、

 

2018年5月10日。

今村ちひろ、二十歳の誕生日を迎えました。

お祝いしてくれた方、ありがとうございます!

生まれてから、両親の宝物として大切に大切に育ててもらって、今の私に至ります。

 

母から、こんな言葉を伝えてもらいました。

「幸せになってね、と言う必要はないね。ちいちゃんが行くところには幸せがついてくる。逆に、幸せがちいちゃんを探してるみたい。だから、その幸せを誰かに届けるために生まれて

きたんじゃないかと思うよ。」

なーんか、スッと入ってきて、言葉にならない感情が涙として溢れてきた。

そうなんだろうなぁ、と思う。

「幸せなんて探しに行かなくてもあなたは既に持ってるよ」と誰かに言われたことがあるけど、その時はよく分からなかった。

でも、私の行く先々には幸せがある、なら分かる。

これって、幸せどこだー!って探し求めた時も、そうじゃない時も同じで、結局その先には幸せちゃんが待ってて私を見つけてくれるんじゃないかな。

(やばい。メルヘンになってきたぞ)

 

幸せを届ける人。

私は、どんな人に、どんなふうに、何をしたら、届けられるかな。

 

『関わる人の心をじんわりあっためる人になる』

というのが、今までも、今現在も、これからも、私が心に決めていることであり、できちゃうこと。

そして相変わらず「好き」のパワーはすごく強くて、そのパワーを発揮して誰かのためになることをできたら、最高だなと思う。

 

今の私は、足りなくて、薄っぺらくて、浅い。

色んな経験して、深みのある人になりたい。

そしたら、もっとできること、楽しいこと、悲しいこと、分かること分からないこと、幸せ、辛さ、色々増えてくと思う。

二十歳の一年は、そこにかけちゃおっと。

 

その先は、、、

 

うん、分からん!

 

今、ときめくものに人生かけて生きてく。

(なんか素敵に聞こえる〜)

分からなくなったり、まじ無理〜飽きた〜ってなったら、とりあえず誰かのためになることする。あと、笑う。

 

二十歳になったことを利用して色々と書いてみましたとさ!

 

明日から、本気で生きる10日間。

 

明日から10日間、ベトナムを旅します🇻🇳とかいっても面白くないから、、、

 

明日から10日間、本気で生きてきます!!

 

私の尊敬する人たちが始めた、旅革命研修という「旅で自分自身に革命を起こそう!唯一無二の成長をしよう!最高の仲間を手に入れよう!」みたいな感じの旅に行ってきます。

 

あ、これね↓

http://www.birastart.co.jp/triprevo.html

 

 

 

ちょっとここで、一年前の夏を振り返ってみましょう。

 

 

〜♫

 

高3の夏。

受験生の私は勝負の夏だった。

 

私の高校には、高3を1年休学して世界一周してきた吉野裕斗も通っていた。

私は吉野先輩の事をすごく尊敬してて、とにかく大好きだったので、

「先輩!今日お昼一緒に食べていいですか?」

「先輩!!お話聞かせてください!」

「先輩!!!めちゃ面白いこと気づいたので聞いてください!」

みたいな感じで、相当しつこく、先輩!先輩!って話しかけに行ってた。(ごめんなさい)

 

でも吉野先輩はだいたい、いいよ〜!って言って私の相手をしてくれた。笑

 

 

あ、ちなみに、吉野先輩は、私の人生のキーパーソンであるケイジさんに出会わせてくれた人でもある。

 

きっかけは、吉野先輩の師匠であるケイジさんが講演する、あるイベントに誘ってもらったこと。

 

私はそこでケイジさんの考え方や生き方を目の当たりにして、完全に惚れてしまったわけです。

なんだこの人は、、!!という衝撃と感動に襲われて、その後直感的に、

 

この人についていきたい。

 

と、強く思ったのを覚えてる。

 

 

あーー話が逸れた。

 

 

えーっと、とりあえず、高校では吉野先輩にしつこく話しかけてたんです。(ごめん急に戻ったけど頑張ってついてきて)

 

そんなある日。

 

「めっちゃおもろいこと思いついたから今ケイジさんと練ってるけど、これはヤバイよ!笑」

 

と、吉野先輩が楽しそうに言ってきた。

 

内容は、

『高校生世界一周バックパッカー×ベトナム起業家アテンドの超豪華スタディーツアー』

 

そう。

これが最初の旅革命研修。

 

吉「俺とケイジさんが引率で、1週間ベトナムを旅しながら10人くらいの仲間とワークしたり現地の人と交流したりするの、これは激アツ!!」

 

私「!?!?え、行きたい!!これは行きたい!でも受験が、、。親に話してみます!」

 

私が魅力を感じたのは、ベトナムとか現地の人との交流とか、そういうとこじゃない。

 

ケイジさんと吉野裕斗と1週間も一緒に過ごせる!!!

 

ただそれだけだった。

まじでそれだけだった。

 

でも結局、親に反対されて諦めた。

 

私にはそこまでの覚悟はなかった。

 

 

そして第1回旅革命研修が始まり、facebookでは同い年くらいの若者がフリーハグしたり語り合ったりしてる写真がアップされた。

 

それを見て、何とも言えない気分になった。

 

悔しい。行きたかった。チャンスを逃した。みんながどんどん成長してく。私はここで何をしてるんだ。

 

と、思いながらも、

 

ギター持ってく人とか、いきなりベトナム人と会話できてる人とか、空港での旅人のお出迎え任されちゃってる人とか、そういうのを見ると、

 

なにこれ、すごい人ばっかじゃん

行かなくてよかった、、

 

と、思っていた。

まぁそれは、自分が惨めな思をいしたくないから。自分はいきなりそんなことはできないと分かってたから。

プライドですね。

 

とは言いながらも。笑

やっぱり行きたかったんです、ずーーっと。

でも私は受験を選んだから、受験終わるまでは行かないと決めてた。

 

 

(何でこんなタラタラとこの話したかって?
1年前から行きたかったんだぞアピールです😜)

 

 

それから1年経った今、私はついに旅革命研修に行きます。

8月、2月、3月と、何回か行われてきて、私が今回行くのは第6期です。

 

引率は、ケイジさんと宗一郎さん。宗一郎さんも私がめちゃくちゃ尊敬してる人。

 

 最初は、尊敬する人について行きたいだけだったけど、

今は、自分を変えたいと思ってる。

変えてやる、と思ってる。

 

なぜなら、今は自分の人生を最高に楽しんで生きてないと思ってるから。

 

だから、私はこの旅革命に、ある意味、人生をかけてる。

言い過ぎかな、、

 

こんなんでいいのかなとか悩んだり、今の自分が嫌だったり、不安だったり焦りだったり。

 

今の気分は、楽しみだけじゃない。

 

怖いもん、だって。

 

でも、今のこの状態は、旅革命行く前にはベストだと思う。最高の状態。

 

 

 

そんな私に、今までの旅革命参加者である仲間たちが、素敵なメッセージをくれた。

 

革命を起こしたちひろを楽しみにしてるよ!

楽しんで苦しんで必ず何か掴んでおいで!

ちひろに旅革命はピッタリだから!

最高の報告待ってるよ!

 

こんな風に、なんだか旅革命って、同じ期に行ってなくても、繋がってるなぁ、、と、感じた。

 

嬉しい応援メッセージくれたのは旅革命参加者だけじゃない。

私は色んな人に自分のこと話しちゃうから、

高校の友達、大学の友達、色んなとこで知り合った人たちが、LINEで嬉しい言葉を言ってくれた。

 

こんなん、幸せすぎませんか、、、。

てかすごくないですか?笑

 

(ごめんなんか、今回のブログ全体的に自慢だわ。プライドが丸見えって感じ。でもまぁよし!DMY!!)

 

やっぱ思うのは、まじで、私はいい人に巡り合いすぎてる。

 

大好きな人たちがいっぱいいる。

 

これから最高の仲間になる、第6期のメンバーのことも、大好きになる自信がある。

 

 

よし。

今日はよく寝て、明日早起きして、

 いってきます!!!!