戦争反対を貫き通せるか

『戦争プロパガンダ10の法則』(A.ポンソンビー)
(1) 我々は戦争をしたくない。
(2) しかし、敵側が一方的に戦争を望んだ。
(3) 敵の指導者は悪魔のような人間だ。
(4) 我々は領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う。
(5) 我々も誤って犠牲を出すことがある。だが、敵はわざと残虐行為におよんでいる。
(6) 我々の大義は神聖なものである。
(7) 敵は卑劣な戦略や兵器を用いている。
(8) 芸術家や知識人もこの戦いを支持している。
(9) 我々の受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大。
(10) この戦いに疑問を投げかける者は裏切り者かスパイである。

能楽師 安田登さんがゲストの『ラジオ版 学問ノススメ [2010/3/7放送]』のお話。
http://www.jfn.co.jp/susume/#10

 狂言まではなんとか理解できるんだけど、能は無理ってことで、iTuneに入ったままお蔵入り。たまたま、連休中の整理がてら聞いてみる。そして、さっさと聞いておけばよかったと後悔しました。

 上記のリンクにもありますが、安田さんは漢和辞典の編纂にも加わったことがある方で、大学では哲学を専攻なさったそうです。主に『論語』と能のワキ方についてお話してくださいました。

 罪ほろぼしにここで紹介。

四十にして惑わず

 『論語』といえば、孔子の言葉を弟子が書き記した書物。新約聖書のように弟子ありき。「己の欲せざる所は人に施す勿れ」など道徳のど真ん中の言葉を多く残しています。

で、他の有名な一節に以下のがあります。

子曰(しのたまわく)
吾十有五而志于学(われ十有五にして学に志す)
三十而立(三十にして立つ)
四十而不惑(四十にして惑わず)
五十而知天命(五十にして天命を知る)
六十而耳順(六十にして耳順う)
七十而従心所欲、不踰矩(七十にして心の欲する所に従って、矩[のり]を踰[こ]えず)

論語』第二篇「為政」より

「惑」の文字は孔子の時代になかった

 番組内容によると、「惑」の文字は孔子の時代になかった。孔子は「惑」と発音が似ていた「或」の意で発していたのではないかというのです。

 「或」は、「戈、一、口」から成り、「矛(戈)」で「線(一)」をかいて「境界をつくる(口)」、つまり、区切る(限界を設ける)という意味なのだそうだ。

 然して「不或」は、限界を自分で決めないで積極的に出る姿勢を表しているのではないかと、安田さんは推察している。

 一般には不惑は泰然自若としている様をいうのだが、むしろ、アグレッシブな言葉。もうすぐ「而立」の年の私も、40歳の方以上に「不或」であるべきかもしれません。

心の字もなかった

 上記、為政の一節にももろ「心」が使われていますが、これも孔子の時代になかったらしい。そりゃ「惑」もないわな。


伝聞は難しい。まして私のこの文章も・・・。
ですから、ぜひご自分で聞いてみてください。
この番組は約1時間あります。でもきっと損はないはず。

今週のお題

結論:本当の田舎には住んだことがないから田舎は無理だと思う。

その昔、潮岬や那智勝浦に観光に行ったとき、
夜、町の中心でも人が少なく、
店も開いていないことに不安を感じたことを漠然と思ったなぁ。