日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

知っていればよかったのにと思うこと(上)

先日、勤務先の病院の図書館(写真下⬇︎)の特別展示コーナーで、一つの出版物が目に留まりました。

その題名は、「THINGS I WISH I KNEW (知っていればよかったのにと思うこと) 」(写真下⬇︎)。

 

英国医師会 (British Medical Assiciation, 通称 'BMA') が編纂した、無料配布冊子。現在ベテランの英国医師たちに、彼ら・彼女らがかつて研修医だった頃を振り返ってもらい「あの頃、これを知っていればよかったのにな。。。」と、今、思えることを、現研修医たちに向けて「とっておきのアドバイス」として一冊にまとめた本。

医師に限らず、医療にたずさわる全ての者たちに通じる、珠玉の助言集。

 

ふと手にとって、一ページずつめくって読み進めるうちに、私自身、自分が日・英国両国で薬剤師として働き始めた頃の記憶が次々と蘇り、ぐっと心に刺さった本でした。

 

という訳で、今回と次回のエントリでは、この本の内容の一部と、私自身の経験からの、今だから言語化できる「知っていればよかったのになと思うこと」も織り交ぜ、紹介してみたいと思います。

特に今年4月から新卒で働き始めて5月病になりかけているとか、転職してこんなはずじゃなかったとか思っている方々へのメッセージになればと。

日本と英国で約 30 年間薬局業界にいる「オバさん薬剤師」からの一方的なお説教と受け止めてもらって、一向に構いませ〜ん(笑)

 

1)キャリア形成は行き先不明の持久マラソン

(意訳)キャリアはずっと続く。でも、一生同じ場所で同じ仕事をしているなんて、ほぼあり得ない。その時々で、柔軟に変化に対応していこう

まさにその通りです!!! 私自身、日本の薬科大学を卒業した時、自分の薬剤師としての道のりが、まさかこんなものになるとは、想像だにしていませんでした。

日本での最初の就職先を選んだ理由は、単に「自宅から一番近い病院で、たまたま求人があったから」。

大学院へ行こうとしていたのだけど、その入試に失敗し、その結果を知った学部4年生の秋には、もうどこも良い就職先は残っていませんでした。

よって 20 代はその「拾ってくれた」、ごく普通の中小規模の病院に5年半勤務。

でも、その当時の日本の混沌とした薬剤師業務の方向性に、不安と限界を感じ、20 代の最後で英国ロンドン大学の薬科大学院へ留学。

一年間の修士コースで、卒業後は即、日本へ帰国するつもりでした。でも、予定通りに卒業できませんでした。資金が底をついたため、一旦日本へ帰って、ドラッグストアで一年間働きました。その頃の日本の風潮では、病院薬剤師が調剤薬局やドラッグストアに転職することは「脱落者」という見方がありましたが、私自身、異なる業種に飛び込み、薬局をビジネスと捉えて働いたこの経験は、従来の薬剤師の概念を覆される日々で、本当に楽しかったです。収入も生活レベルも格段に良くなり、以後、自分が心からやりたいことを追求することに、恐怖がなくなりました。

その実入のよかったドラッグストアでの稼ぎで英国に戻り、ロンドン大学薬学校をなんとか卒業。大学院2年目は時間が有り余っていたので、暗中模索で英国での就職活動をしました。英語をろくに話せない状態で、ロンドンの国営病院でのファーマシーテクニシャンの仕事を勝ち取った時、小さな一歩ながらも、それまでの人生で初めて自分を誇りに思えました。

私が英国で最初に就職活動をした時の話は、こちらのシリーズ(⬇︎)をどうぞ。周りの多くの方々の善意に支えられた奇跡の物語です。

その結果、30 代の全てをファーマシーテクニシャンとして働き、英国で薬剤師になるための準備に費やしました。

40 代になってすぐ、英国の薬剤師免許を取得しました。でも、英国内の不景気と薬剤師過剰時代が重なり、事実上2年間、正規の仕事に就くことができませんでした。

英国の「新卒薬剤師」として、やっと就職できた南ロンドンの大学病院では、同僚が次々に転職をしていく中、一人だけ居残りました(ジュニア薬剤師から中堅薬剤師への移行時、一度だけ、ロンドン市内の超有名大型大学病院への転職を試みましたが、実力不足で不合格でした)。

昨年、50 代にして、新卒薬剤師の時からずっと働き続けてきた大学病院での内部昇格として、最高位の「プリンシパル薬剤師」になりました。現在は、相変わらず現場の第一線の臨床薬剤師として働きつつ、病院経営陣を交えた薬局サービスの改善プロジェクトや、医師たちとのコラボ研究、若手薬剤師たちの教育・訓練に関わっていますが、これからの行き先は、全く予想不可だと感じています。

英国の病院薬剤師は、非常に厳密な階級制となっています。私が「プリンシパル薬剤師」という最高位に達した道のりにご興味のある方は、過去のこちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ

 

これだけからもお分かりの通り、私、これまで、学業でもキャリアの道のりでも、相当な数の失敗をしています。それでも、毎日走り続け、さらに高みを目指しています。

という訳で、薬剤師のキャリアは、ずばり、

「途中失敗しても、大抵の場合は挽回できる、持久戦マラソン」

ですよ(笑)。

 

2)何事も準備

私自身、これまでの経験上、薬剤師として有能に働く・患者さんへ完璧な薬剤治療を提供する秘訣って「準備」しかないと思っています。

かなり前のことになりますが、NHK の「ザ・プロフェッショナル」で、順天堂大学小児科外科教室の山高篤行教授先生の回を観て、一人、夜な夜なコツコツと地道に勉強・準備して、不可能であると思えた人類未到の手術を可能にしていく姿や、その経験から裏打ちされた「手術は、手術する前に、終わってしまっている(=周到な準備を重ねれば、その成功は、事前に予測できている)」という名言を聞き、「まさしく、これ!!」と頭を金槌で打たれたような衝撃を受けた。

このドキュメンタリーを観て以来、私は、どんなことがあっても、翌日に担当予定の患者さんの薬剤治療の分析を、これでもか、これでもか、と毎晩ひたすら行っている。翌日の回診のために、一晩中準備していると言っても過言ではない日もある。

もちろん実際の医療現場では、急患が入ったりして、予想外のことも多々起きる。でも、すでに自ら準備している患者さんの数が多ければ多いほど、急な状況の変化にも冷静に対応できる。

多分、私が、現在の仕事で、他の同僚より「突き抜けている」と言われることが多いのは、毎日、就業時間が終わると同時に、翌日の回診の準備を自主的に始めているから。そして毎日の回診中、チーム医療のメンバーの間で、どんなディスカッションとなり、薬剤師の私へはどんな質問が来るのかがほぼ予想でき、その答えを事前に万端に用意しているため。

私のような凡人薬剤師が職業的に向上するのに、これ以外の方法が思いつきません。

 

3)小さなことを見逃さない・怠らない

別の言い方で、神は細部に宿るとも言われていますよね。

薬剤師という間違いが許されない仕事であるからこそ、処方箋に緑色のペン(注釈*⬇︎)で何かを書き込む時、いつでも「この処方箋・患者さんでしくじって、薬剤師生命を絶たれるかもな。。。(絶たれたくないので頑張る!)」という思いで、細心の注意を払いチェックしている。時間とプレッシャーとの戦いの中で。

(*注釈)英国の薬剤師は、日本のようなハンコを持たない代わりに、緑色のペンで各自、自分のサインをすることにより、業務上の責任の所在を明らかにしています。その詳細については、私のこのブログの初エントリ(⬇︎)をご覧下さい。

この心構え、英国の職場では、絶大な効果を発揮している。周りの人が皆いい加減(苦笑)なので、普通のことをきちんとやるだけで「スーパージャパニーズファーマシスト(凄い日本人薬剤師)」、挙げ句の果てには「偏執狂」呼ばわりされるようになりました。。。。

 

あと、小さな仕事を軽視しないということも挙げられますね。

英国の薬局内では、仕事が階級・分担化されていて、調剤や医薬品の供給は普段、テクニシャンやアシスタントが行っている。でも、これらの仕事も自分一人で全部できるようになると、組織全体が見渡せる人として、職場内でものすごく重宝されるようになる。失業の恐れがなくなります。

英国で初の「コンサルタント薬剤師」になった先生(注釈*&リンク下⬇︎)が笑いながら話していたことだったのだけど;

「新卒薬剤師としての第1日目に、その病院のテクニシャン長からほうきと雑巾を持たされ、調剤室を掃除しろと言われた。屈辱的だと思ったけど、でもそれでめげずに、調剤室の棚を一つ一つ拭きながら、A から Z までの棚の全ての薬を一つ一つ覚えていったのよね」と。

英国でも日本でも、こういう「叩き上げ」のカルチャーって、現代ではなくなりつつあるけれど、ある程度は必要なんじゃないかな。。。と思っています。

結局のところ、英国の実務薬剤師の中でも、本当に尊敬されている人たちって、こんな風に「下積み」をした人が多い。ちなみに私は、英国でファーマシーテクニシャンとして雇われた時の初仕事は、自分より下のポジションのアシスタントたちから教えてもらっての、医薬品倉庫にての物流管理でした。

(*注釈)英国で「コンサルタント薬剤師」とは、国内レベルでトップと認定された薬剤師への称号。2005年の設立以来、今なお 170 名ほどしか輩出されていません。そんな名誉ある職に英国内で初めて任命されたのが、私のロンドン大学薬学校大学院時代の講師の一人であった Nina Barnett 先生 (リンク下⬇︎) 。昨年、まだ58歳という若さで亡くなり、英国中の薬剤師がその死に衝撃を受け、喪に付しました。

 

4)いいなと思った人の真似をする

(意訳)是非一緒に働きたいと思われるような人になりなさい。周りの同僚たちのいいとこ取りをしなさい

私は幸運なことに、これまでの薬剤師人生で、多くの素晴らしい人たちからインスピレーションや教えを受け、一緒に働ける機会に恵まれてきました。

ほんの数例ですが;

日本で最初に働いた病院では、心温かく行動力のある上司の薬局長から多大な影響を受けました。米国とシンガポールの病院で働いた経験もある方だったため「薬剤師の市場は日本だけではない」ということを、実例で私に示して下さった先達者でもありました。

この元上司については、過去のこちらのエントリ(⬇︎)でも紹介しています。

英国に来たばかりの頃は、右も左も分からなかったため、実習病院の指導薬剤師の先生(リンク下⬇︎)に、四六時中付きまとい、教えを乞いました。彼の臨床薬剤師としての佇まいや、医療現場での卓越した教育・訓練は、今、確実に私に受け継がれています。

英国随一の「聖トーマス病院」の薬学教育部長であったこの先生については、過去にこちらのエントリ(⬇︎)で紹介しました。

英国で薬剤師になりたてだった頃、担当の病棟でとあるスペイン人の看護師さんと働いたことがありました。彼女は患者さんの申し送り表に、自分の「やるべき事リスト」を全て事細かに書き込み、カラフルに色分けしていました。聞けば、その「色分け」はスペインの病院では、標準的に行われているとのこと。私はそこからアイディアを得て、自分の業務にも、例えば「薬のオーダー(ピンク)」「ドクターへ推奨すること(青)」「退院する患者さんへの服薬指導のポイント(緑)」「午後に検査結果をチェックすべき人(黄)」といったように、全て色分けをするようになりました。日本製のフリクション蛍光ペンで色分けし、一つ一つ片付けるごとにそれを消していき、仕事をゲーム感覚で楽しむようになったのです。

去年の秋から数ヶ月間、「史上最高」とも言える医師(リンク下⬇︎)と一心同体で働きました。彼のやることなすこと全てを観察し真似することにより、薬剤師としても人間としてもこれまでにないほど成長させてもらえました。

私が「今後、世界一の医師になる」と確信しているこの先生については、こちらのシリーズ(⬇︎)をどうぞ

私の現在の上司は、英国保健省で長年働いてきた方です。彼女が精通する幅広い医療政策の見解から、 毎日、新しい観点と思いがけないアイディアを得ています。

私の仕事のやり方は、決して独創的なものではありません。これまで出会った多くの素晴らしい方々が持っていた特性を少しずつ取り入れミックスし、その結果、自分の血となり肉となったものです。そして常に、新しい人たちとの出会いと、そこで得たもので、アップデートされています。

 

この「知っていればよかったのにと思うこと」の続編は、次回へ続きます。

 

では、また。