7月10日 土曜日 10:55

海。燻んだ茶色の木の柵。見知らぬログハウスの中らしい。気付いたらここにいた。

予定もない土曜日に、朝早く目覚めてしばらく横になっていたはずだ。夢にしてはリアルだが、現実にしてはリアルじゃない。これだけ海が近いのに、波の音がない。ログハウスを見回しても何もない。

誰もいない。

ここは、どこだ?

場所を調べる必要がある。スマートフォンはポケットにあり、電波が届いていたが、地図アプリだけは機能しなかった。

戸を開けて外に出ると、狭い砂浜と、それを乗り越えるように作られた木造の桟橋があった。橋の向こう側に人がいる。天然パーマの若い男。スマートフォンを操作している。

「すみません、ここはどこですか?」

近づいて尋ねる。男は怪訝な顔をして言う。

「お前も飛ばされてきたんだろ?」

飛ばされてきた、という表現はしっくりこなかったが、どうやら自分と同じ状況らしい。分からない、という顔をしていると男は話し始めた。


男は、自分より少し前にここに来て散策していた。ここは、小さな島だ。この島には、先住民がいる。島の名前は『楽園』と言う。島がアルファベットの『U』のような形をしている。北部の端と端を渡る船はあるが、この島から出るための船は存在しない。俺たちは、外部への経路がない島に、どういうわけか飛ばされてきた。

「明後日は仕事だから、帰れないと困る」

そう言うと、自力で出られないんだから考えても無駄だろと一蹴された。男はもう、この島で生活するつもりにしているようだった。

急に飛ばされてきて家もないのに、と考えたが、結論から言うと寝床はあった。先住民の家の庭らしき場所に、不自然に布団が置いてあったのだ。尋ねると、自分たちのように飛ばされてきた人のために、常に置いてあるらしい。野晒しの布団が置かれている光景は異様だった。雨が降ったらどうするのかと尋ねると、先住民は答えた。まるでそれが常識であるかのように。

「この島は、雨が降らない」

布団に入る。寝心地は悪くない。星空を見ながら眠るのは初めての経験だった。屋外だというのに全く不快感はなく、7月だというのに涼しい風に吹かれ眠った。

 

次の日から『楽園』の島での生活が始まった。この島は異常に物価が安い。1日の食費は50円もあれば十分だった。家賃も必要ない。外に出ることはできないのに、ATMでお金をおろすことはできた。200万円くらいの貯金があったので、働かなくても50年くらいは生活できそうだと思った。

先住民の言う通り、自分がこの島にいる間に雨が降ることは一度もなかった。雨が降らないのに、緑は豊かだった。


ちょうど1ヶ月が経った日、突然、外への連絡船が来た。船というより、港自体が新しくできていた。1ヶ月間、島を歩き回って一度も見つからなかったその港は、初めからそこにあったかのように存在していた。

自分は天然パーマの男とずっと一緒に行動していた。その日も2人で昼ご飯を食べていた。男は帰るつもりがないようだった。ここは楽園だから。生活に困らないし、雨も降らない。真夏でも暑くない。連絡船に向かおうとする自分を説得するようにそう言っていた。

自分は、それでも帰るべきだと言った。この島が良い場所でも、家族は心配するでしょう。ハンバーガーを食べ終えると、結局男は渋々といった表情で港に来た。港は例えるならヴェネツィアのような場所だった。なかなか素晴らしい景観だったが、初めてこの島から出られるかもしれないという状況で、呑気に観光する気分ではなかった。少し急いで歩いていると、涼しいこの島で初めて、熱い風が吹いた。

焼けるような、高温の突風だった。

地鳴りがした。地震でないのは明らかだった。同時に聞こえる爆音。ガラスが割れて飛び散る音。『楽園』の島で、一度も聞こえなかった音。振り返ると手足の長い男がいた。瞬時に理解する。なぜかこの男は、自分たちを狙っている。この男は、人間ではない。首から上が爛れていた。そして爆発を起こしたのはこの大男で間違いない。爆炎の中心から歩いてきている。逃げなければ。捕まってはいけない。

レストランの窓から飛び込む。割れたガラスが手に刺さる。その痛みを気にする余裕はない。食事が残されたままの机を蹴散らすように飛び越えて通り抜ける。後ろから銃声が聞こえる。撃たれた?分からない。とにかく、当たらないように。角を曲がって射線を切る。振り返らない。お金を払っている余裕はない。勢いのまま、船に飛び込む。

そこで初めて振り返ると、大男も天然パーマの男もいなくなっていた。焦げた床と煙の臭いだけ残して、港は嘘のように静かになっていた。それ以降の記憶はない。おそらく、気を失い、目を閉じた。

 

 

8月10日 火曜日 16:40

目を覚ます。視界がぼやけていたが、白い天井と点滴が見えた。入院していたらしい。側には誰もいなかったがテレビがついていた。身体が痛くて起き上がれない。目線だけテレビに向けた。他のものはよく見えないのに、その画面だけが鮮明に見えた。

 

放火事件、被疑者死亡。

天然パーマの男が映っていた。