【車中泊旅行】一から復興を遂げつつある街へ~宮城県牡鹿郡女川町~
こんにちは。KALです。
車中泊4日目。10月9日は女川町です。
この町もここ数年毎年訪れる場所です。
行くと必ず立ち寄る平初鮮魚店は、今年
も残念ながら秋刀魚は上がっておらず、
のどくろの開きを買いました。
(揚げて食べたら最高に美味でした。)
この町は町全体がほとんど津波によって
壊滅状態になりました。
港の近くにあった旧交番がその被災の
記憶を忘れないために残されています。
上の写真の手前が交番の土台です。
この遺構の記録によると、震災からわずか
1ヶ月後、町の産業界が中心となり、町民・
各団体が包括し、100年先の子どもたちが
誇れる町づくりを目指して、「女川町復興
連絡協議会」が発足し、それまで町の中心と
して活躍してきた世代が、将来を担う若い
世代に町の将来を託し、盾となって全面的に
支えることを表明したことで、世代や業界の
垣根を越え一丸となって復興に向け、大きな
力を発揮したとのことです。
つまり、「還暦以上は口を出さず」です。
どこかに聞かせたいですね。
そして、10年を経て、まだまだ途上では
ありますが、女川町は着実に年を追うごとに
新しい町として復興しています。
女川駅(上)、そして振り返ると、海が見え
る公園、シーパルピア女川(下)。海鮮の
お店や、飲食店、雑貨屋さんなど、様々な
種類のお店が並んでいます。
今年4月3日には、道の駅に登録されました。
日々変わっていく女川町、来年以降も訪れる
のが楽しみな町の一つです。
3泊4日の車中泊旅行も、この女川で終了
です。
さて、次はどこに行きましょうか。
お楽しみに。
では。
【車中泊旅行】東日本大震災遺構・伝承館を訪れる~宮城県気仙沼市~
こんにちは。KALです。
10月8日、旅行3日目です。
陸前高田市からは車で30分程度。
伝承館には9時に到着したのですが、伝承館
の開館時間が9時30分だったので、見学の
前に近くの岩井崎園地というペットも一緒に
散歩できる海に面した公園に行きました。
ここ岩井崎の岩礁では、今から約2億5千年
前頃(古生代ぺルム紀)に海中の浅瀬に生活
していた集住の化石をみることができます。
当時の環境、生物の進化を知ることができる
場所として、県の天然記念物にも指定されて
います。また、石灰岩地帯が長い年月をかけ
て海水により浸食され、岬の先端には、海食
洞の岩孔が開いている場所です。波が打ち寄
せることで、波と空気の圧力で穴から潮を吹
き上げ、干潮で波が荒いときには、高さ10m
ほどにも至ります。(以上公園内看板より)
また、岩井崎の先端部に立つ龍の形をした松
が被害を受けたものの、一部が奇跡的に残っ
たことで姿を現したものです。高さ約2.5m、
幹回り約1.7mで、大きく曲がった幹と折れた
枝が、まるで龍が昇る姿に見えることから、
「龍の松」と名付けられました。
(以上、公園の看板より)
こうして、しばらく岩井崎を散策した後、
車で5分ほど移動して、本日の目的地である
東日本大震災遺構・伝承館に向かいました。
平日ということもあって、来館者は6名ほど
の1グループとわたしのような個人4名が一
緒に案内経路にしたがって、施設内を巡回し
ました。
この施設は、旧気仙沼向洋高校の被災した
建物を一部改築したもので、津波によって
被害にあった教室はできるだけ当時の震災直
後の様子を残したままにしてある。
なお、旧気仙沼向洋高校は、この施設から
車で5分内陸に新たに新設されている。
伝承館の入り口は、再興されており、入ると
受付と、全体の巡回経路に関する説明や、
ビデオとスタッフによる震災直後の様子を
観覧することができる。
その後、各自が自由に順路に沿って2階から
4階、そして屋上へと校舎を巡ることになる。
次に写真は4階の教室である。鍵付きのレタ
ーケースの下から7段目までが錆が目立って
いることが見て取れる。
つまり、津波は4階のこの高さ(25cmほど)
まで襲ってきたことがわかっている。
旧気仙沼向洋高校では、幸い早い段階で学外
や屋上に避難し、被災者は1人も出ずに済ん
だ。だからこそ、このように、伝承館として
多くの人たちに大震災の恐ろしさと、当時の
状況をそのまま伝えることが出来るのだと思う。
夜は温泉付きの道の駅で車中泊。
実は昨年も楽しみにして訪れたのだが、温泉が
改築中で利用出来なかった。したがって今年は
リベンジだ。
お陰様で、ゆっくり温泉につかることが出来
た。大満足。
9日は、女川を訪れます。お楽しみに。
では。
【車中泊旅行】東日本大震災被災地を訪れる~岩手県陸前高田市~
こんにちは。KALです。
10月7日、福島県の道の駅「ならは」を
6時半に出発、三陸道を通って10時過ぎ
この道の駅は、津波により、建物が壊滅、
2019年にようやく、復興しました。
私たちは、この年から、毎年訪れていおり、
今年3回目になります。
旧道の駅は、補強工事により、当時の原型
をその場に残しております。
復興した新しい道の駅は、この旧道の駅と
奇跡の一本松の間に建設されました。
広島平和資料館記念館を模したような造りに
なっており、建物の中央から右側が道の駅、
います。
伝承館は無料で入場でき、4つのゾーン
①歴史をひもとく、②事実を知る
③教訓を学ぶ、④復興を共に進めると
にわけられ、それぞれ多くの資料、被災
した物、現場をとらえた写真、被災者の声
記録を通して、大震災の事実を見つめます。
シアターでは、当時の津波が市街地に迫り
来る様子が生々しい映像で流されます。
胸が締め付けられる思いがします。
また教訓を学ぶゾーンでは、当時の現場と
東京の本部とのやり取りの録音が流され、
現場の切羽詰まった様子と、本部の法律に
基く対応指示のギャップを感じ、臨機応変
な対応の難しさを痛感させられます。
たとえば、当時の救命ルールでは、順番と
して人命第一に考えそれにあたり、その後
瓦礫などの撤去、道路など整備だったよう
ですが、現場では道路に瓦礫や流れ着いた
家々、車、船などが押し寄せ、人命救助に
行くに行けない状況だったようです。
現場第一主義の大切さを痛感しました。
次に私が向かったのは、施設の中央から
海にむかって通じる道を歩き階段を上った
ところにある、平和祈念の献花台です。
今は静寂を保っている海に向かい、私は
しばらく手を合わせ、被災者の方々の
ご冥福をお祈りすると同時に、また来年も
この地に訪れることを胸に近いました。
この日は、この道の駅で車中泊。
車は少なく、洗面所の近くに止められたので
雨が降ってきたのですが、大丈夫でした。
また、洗面所も新しく清潔感があり、安心。
明朝は雨が止んでいたので海から上る日の出
をみるため、再度献花台へ。
明日の希望の光。雲が多かったのは残念でし
たが、雨上がりだったので、振り返ると、虹
が二重に見え、また広場を流れる川にも映り、
この珍しい風景に感激しました。
ただ、この被災地はまだまだ復興途中です。
10年経ってもなかなか進みません。
一年ごとの変遷を楽しみに、応援を続けて
いきたいと思っております。
次回は宮城県に入ります。
では。