毎日、どこかで何かしら事件が起き、報道される。テレビの事件ものドラマでもいいけれど、犯人をめぐって捜査、あるいは推理のあげくもっとも利益を得るものが怪しいとなる。(異常心理や怨恨、強盗などをのぞいて)
それに倣って、このほど国会で通った「離婚後『共同親権』」法を考えてみる。いったい誰が利益を得るのだろうか。たしかお題目は「子の利益のため」とはいっていたものの、はたしてそうなのか。もとより法案提出するだけの現実の必要性(立法事実)は乏しいと指摘されてきただけに、慎重に考える必要がある。
テレビや新聞、ネットではこれまでメリット、デメリットとして並べられていた。
でもここで頭をすっきりさせて考えてみる。結婚して子どもができて、それぞれが親になるとする。実際の養育割合は各家庭でさまざまで、軽重はあるものの父母それぞれ子に対する責任は一生変わりない。離婚して親権があってもなくても。
離婚したとしても養育にあたるのは、母親がほとんどという現実。子にとっての母性の大切さは言うまでもない。働いたとしても経済格差による困窮というのも多くの現実だ。そして別居親(多くは父親)からの養育費は子の成長にとって欠かせないし、責任の一端である。しかし未払い、小額といった問題も少なくない。
法案が通って別居親から、これで面会が思うようにやれる(ひどいのは「連れ去りの黒歴史がこれで終わる」というのもあった)などの声が多い。実際、子の進学、医療など様々な局面でのくちばしが入り、そして同意が得られず裁判が頻発することが憂慮される。そこには養育親、医療、家裁などの負担は微塵も考えられない! 子育ての苦労は省みられない。当然、子の心の平穏はおびやかされる。
この問題は離婚家庭だけでなく、これから結婚を目の前にしている人々にも、大きく家庭のあり方に影響していくことになりはしないか。参議院付帯決議でも指摘されているところだ。推進勢力をよくみるなら、朝ドラの「虎に翼」に描かれた、とてつもない家父長制であった旧民法の世界に逆戻りしかねない。共同して親の責任を果たすのは当然のことだけど、共同が困難なのも現実。男女の現実をみるなら、すぐれてジェンダーの問題でもある。
裁判所によって合意なき共同親権を強制されるなら、まさに法が愛情を裁くことになりかねない。