けいの日記

けいによる、けいのための、ただの日記です。

時々うとうと眠ってしまったり

自粛期間なるものによって実質的に学校へ行く権利を失っていた間、今までになかったくらい気が滅入ってしまった。長い時間横たわってずうっとぐったりしたまま、天井ばかりを見ていた冬だった。

2年前の冬は授業と授業の空き時間に図書館の端の席に座って東京人を読んだり、時々うとうと眠ってしまったり、日差しの下を歩いてみたり。今思えば随分伸び伸びと暮らしていた。そして今になって、そんなふとした時間が自分の心の健康に一番大切なものだったのだと気づいた。

自分の機嫌と元気を保つのは簡単なようで簡単ではないのだなあ。今年は取り戻すがテーマになるかもしれない。元気と時間と健康なからだ、あと単位も。全部全部取り戻す。

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涙をのんでガトーショコラを頼む

 

カフェへゆく。お目当てのプリンが本日分終了だった。再来を誓いながら涙をのんでガトーショコラを頼む。

プリンのショック冷めぬままドリンクを慌てて決めたら、気が狂ってショコララテみたいなのを頼んでしまう。後悔しながら待つ。飲み物とおやつ、ダブルでショコラをやってのけるなんて…わたしはおしゃれな店に来るとすぐに狂ってしまう。

 

しばらくするとぎゅっと整ったかわいらしいガトーショコラがやってきた。

フォークを入れてみると、外はさっくりしていて、中のスポンジはふんわり。けっしてスポンジの密度は高いわけでは無いのだけれど、味の密度はみっちり高くカカオの香りがとてもおいしい!おいしい!すごい!良いガトーショコラって、こういう感じなんだ。血糖値とテンションがギュンと上がる。

 

飲み物は名前から味を想像できず、チョコレートドリンク的なものと思ってググッと吸い込んだ。む!香ばしい…!!うまいコーヒー豆を買える店の挽きたての粉ような香りと、後からミルクの優しさがやってくる。幸せだ!

ラテの上には粉糖とココアパウダーのかかった氷が浮いていて、眺めるだけでうれしい。甘すぎることなく、豆の気配も感じられるのが美味しい。

 

目的のプリンにはありつけなかったけれど、おいしうれしいおやつタイムになった。f:id:Kei_Kokura121:20210323002320j:image

 

 

「Google it!」と言っている

自分も普段そうしているが、店にくるお客さんはほとんど皆必ず消毒液のポンプの前で足を止める。そして老若男女様々な人がレジの前のマスクを見つけると少し考えるそぶりを見せる。

 

今までこんなに沢山の、そして様々な属性のお客さんを引き付けるような商品は存在しなかったように感じる。店の中で皆が同じ行為を自らする文化も無かったはずだ。その様子を眺めていると、世界はすっかり変わったのだなとすごく不思議な気持ちになる。

 

そしてこの景色を見るたびに、ずっと昔に教わった「大きな物語」という言葉が頭をよぎる。現在のコロナの世では、ある種の「大きな物語」的なものが生まれているのではないか。

それぞれがそれぞれのために生きていたのが当たり前だった少し前の世界。皮肉なことにウイルスによってその世界がひとつになろうとしているのだろうか?

 

大きな物語」が何なのかさっぱり忘れたままつらつらと書いてみたが、忘れたものは分からない。昔の先生が頭のなかで「Google it!」と言っている。いくつか本でも読んでみよう。

そこに花はなかった

今日は家ではできない野暮用があり学校へ。

あらゆることがリモートでは済まなかった頃の世界を思い出す。家の中で大体のことが完結するのは、この世界になって良かったことかもしれない(同時に悪いことであるとも言える)。

 

歩いている途中、柵の向こうからキンモクセイの匂いがした。背伸びして覗いて見たけれど、そこには枯れ始めている生け垣しかなかった。匂いがしても姿が見えないのは何故なのだろう。

学校で難なく用を済ませてロビーへ移動。持ってきたおやつを食べた。ごりごりしたチョココーンフレークを、ものすごくごりごり言わせて頬張った。

帰り道、電車の中でまたキンモクセイの匂いがした。見渡してみたけれど、やはりそこに花はなかった。

 

 

光化学スモッグが出ている

この頃だんだん気持ちまで巻き肩になって、どんどん背中が丸まっていく。朝も夜も無くなって、暗い部屋と手のひらの宇宙だけがずっとそこにある。

 

よくない。とてもよくないと思う。

 

ほんとうは毎日ちゃきちゃきしたいし、毎朝しゃっきりと目覚めたいけれど頭の中にはずっと光化学スモッグが出ている。

明日こそ朝日を浴びながら下ろし立ての靴を履いて河原を散歩したい。冴えた頭をしっかり首で支えて、新しい空気を脳に送り込んであげたい。

「無い」に絶望する

永遠など無いことに絶望してしまう。

それとともに、現在の良さを認め、思うまま発することにおびえ驚きひるんでしまう。

あらゆることに終わりが有るなんて、触れず認めず見なければいいと思ってしまう。

 

 

でもそんなことばかりではないのだ。

本当は、変わりゆくからこそ、その事実を認めて発するべきなのかもしれない。

それを思い知らされるのにもまたおびえてしまう。

 

すっころんだ

大人なのにすっころんでしまった。

いや、大人だからこそすっころんだのかもしれない。

 

この夏は長い旅をしたわけだが、今回転んでみて、そのときと同じくらいには思うことがあった。

自分と仕事と恋と人生といろいろ。毎日生きてるのって当たり前じゃなかったなぁと思い出した。

自分のぼんやりが招く怖いことや、自分の抱えているものの重さ、頭のなかをぐるぐる回った。