Kirico’s diary

女子は数年で寿退社が普通だった昭和の最後のあたりからずっと会社員をやってきた私が考えていること

女の子だから?

私には弟と二人きょうだいです。

父は、出張にいくと私と弟に全く同じお土産を買ってきて男女平等だからと言うような人でした。古い時代に生まれ育った人間が本心からそんなことを思っていたわけではなく、結局は、弟と私とでは全く違う対応していました。

歳の離れた母は自分のことにしか興味がない、自らもまるで子供のような幼い心を持った人でした。だから、父が法律。

私は長子ということがあり、何か新しいことを始めたいというタイミングが弟より先に訪れるわけです。そしてそれは両親にとっては新いことです。そもそも面倒なことが嫌いな両親は、女の子だからということで必ずダメ出しをします。なので私がやってみたいと言ったことはほとんど両親によって却下されてしまい、できませんでした。でも、弟が私と同じ希望を言うと、なぜか通っていました。両親にとっては、私にはダメ出しをしたものの、私の周囲の友人たちが私がやろうとしたことをやっているのをみて安心なのだと学ぶようで、弟がやりたいと言う頃にはOKを出すのです。両親の中では、私が女の子だから大事にしているんだというのが言い訳になっていたようです。でも、結果的に差別です。

そうやって育ったので、私の中にはなんとなく遠慮のようなものが自然に生まれ、すっかり臆病になってしまいました。そして、両親が暗黙のうちに押し付ける男女の差別を受け入れざるを得ないような状況でした。

中学生だったと思いますが、ある日の放課後、私は友人からLPレコードを借りて来ました。昭和の時代、それをカセットテープにダビングして聞くと言うことを友達どうしてよくしていました。ステレオは弟の部屋に置いてあるので、いつもどおり弟の部屋でダビングをしようとすると、なぜか配線が全て外してあり、その前で弟が昼寝をしていました。

ステレオは男の子が触るもの、と思っていたので私が配線に触ったことはなく、なのでどうしていいのかわからず、友達にはすぐに返すと言ってしまったので弟を起こして配線を元に戻してくれと頼みました。が、弟は「うるせえ」と言ったまま起きようとせず、夜になって起きても配線を戻す気配はなく。これがもとでその後大喧嘩になりました。

時は流れ、大学を卒業し就職した後、私は機械の設置などをする機会が多い仕事につきました。そこではわからないなどと言ってはいられません。映像機器、録音録画機器など、市販のものはなんでも取扱説明書さえ読めば接続できるようになっていました。むしろ得意に。

でも、その会社にいた男性社員でも、全員が思い通りに機器を扱えるわけではありませんでした。男性だからできるはず、と思われていてむしろかわいそうでした。

 

男女の差、なんて、そんなもの。

能力なんて、人によります。性格だってそう。

 

いつまでも差別意識の塊みたいな人が中枢にいる日本。

情けなくなりますね。

 

 

 

 

ともだち

「遅くなってすみません」と言いながら私の前の席にストンと腰を下ろした彼女。

金曜日のイタリアンレストランは彼女のチョイス。

久しぶりにご飯食べましょうよ、というお誘い。

「最近どう?」

「相変わらず忙しくて。私、お会いしない間に思いがけない仕事を経験しまして」

「私もなんでこんな仕事やるのかって思っても、後で役に立つこともあったよ」

「そうですよね!」

 

習い事で知り合った彼女、私より20歳以上も年下なのに、なぜか気が合う。

娘くらいの年齢かぁ、髪や肌がまだつやつやだし。

若いなぁ、いいなぁ、と思いながら、でもあまり年齢差を感じないのは、

彼女が大人びているのか、私が幼いのか。

 

同じことを学ぼうと思ったら、年齢は関係なくて、

ただそこには成長しようという気持ちだけがある。

だから習い事が好き。

そこで出会う、向上心のある人が好き。

 

そんなに気を遣わなくていいのに。

彼女のことを応援したい、と心から思う。

 

 

かくれんぼ

近所に買い物に行こうとエレベーターの下ボタンを押そうとした瞬間、

上の階から子供の大きな泣き声がするのに気づいた。

きっと、時々エレベーターで出会う、去年幼稚園に入った男の子だな。

多分、まだ乳児の弟じゃなくてお兄ちゃんの方。

同じエレベーターに乗るのがなんとなく気まずく、ボタンを押すのをやめる。

 

マンションの入り口を出ると、少し前を、まだ泣きながら、ふてくされながら

ゆっくりと歩いている男の子がいる。

その少し前を、まだ乳児の弟を抱いたお父さんと、お母さんが歩いている。

 

お父さん、お母さんたちが角を曲がった後、しばらくして角を曲がる男の子。

泣き声がピタリと止む。

 

角を曲がらずまっすぐ道を進んだ私が後ろを振り返ると、

ちょうど別のマンションの入り口に隠れていたお父さんお母さんが笑いながら

出てくるところ。

 

男の子はもうすっかり泣き止んで、少しほっとしながら、

でもまだ少しふてくされながら、

だんだんとお父さんお母さんに近づいて歩いていく。

 

お父さんに抱かれながら、首を傾けて心配そうに兄の様子を覗き込んでいる弟。

ようやく追いついてお母さんと手を繋いだ男の子。

 

君は今日のことをいつまで覚えているのだろうか。

こんなに幸せな日の、一瞬の、紛れもない愛情を。

 

 

AIで甦えった人

昨年NHKスペシャルで見て、紅白歌合戦でも見たAI版美空ひばり

六本木森美術館で、至近距離で見てきました。

生きている頃の彼女を見たことがある人にとっては、

AI技術でここまで近づけたかと思いながらも、

生きている人間にはまだまだ、と思うでしょう。

でも、本人を知らない人に、こういう人なんだよと言えば、

それが美空ひばりだと思うのでしょうか。

少なくとも、冒瀆、というレベルではないかと思います。

 

 

科学者の警鐘した未来が本当にやってきた

20年くらい前、環境問題なんてまだ一般的ではなくて、何かについて騒ぎ立てたい一部の人たちが騒いでいるだけだろうという扱いだったように思います。

でも、当時から科学者たちは地球温暖化が進めば何が起きるのかを予測していましたし、20年経ってやっぱりその通りになってきました。

こんなに凄い台風と・・・と書いていたら地震も来た!うわー

普段は文明を謳歌し我が物顔で生きている私たちも、天変地異の前には無力。

 

みなさん、ご無事で。

 

 

久しぶりに書きます(2)

最後の投稿からかれこれ1年。

別の何かに夢中になると、というか、それをやらねばならなかったんですが、

どうしてもブログを書いている時間がなくなるわけで。

という言い訳はさておき。

また書き始めます。

 

なんだか、このまま語りたいことも語れないまま死んでいくのもなぁ、と思いまして。

私はひとりでただ働いてきただけ。

ってことは、私の考えていることは私の肉体が滅びるとともに消えてしまうんだな、

なんて考えたわけです。

 

 

 

ノーナレ

NHKで放送しているナレーションなしのドキュメンタリー「ノーナレ」。

今日の放送は、「裸に泣く」。

浅草ロック座、今は女性のお客さんがたくさんいるそうです。

そして、泣く。

 

選んで生まれたわけではないけれど、女性という入れ物の中に

閉じ込められている自分。

否が応でも、ただ生きているだけでなんども味わう感覚。

 

「我は女なりけるものを」

 

だから涙が出るんでしょうね・・・。