Math Cakes

気が向いたら何か書きます

特異点

僕の背中のゼンマイは、あと何回まわるのだろう
願われようと、願われなくとも、僕はまわる、すすむ

僕の名前は「停滞」
自分でつけたんだ
誰もくれなかったから

誤解しないでほしいけど、
立ち止まることは必ずしも「停滞」ではない
何も考えずに進むことが「停滞」なんだ

踊り方はとうの昔に、歩き方は遥か昔に、
手の握り方は太古の昔に、


生きる理由は宇宙が始まった時に覚えたよ

だけどそれらは、身体だけが覚えていて
頭では何も覚えてないんだ
誰に教えられたかも


なんとなく、なんとなく思った
あの空が錆びて、月が萎んで、
色という色が乾いた音を立てて粉々になったとき

僕は立ち止まれるって


そうしたら、何かが始まるかもしれないし、
何もかもが終わるかもしれない

そのどちらも、僕の望みだ
「停滞」にとって、終わりも始まりも同じものだから



時間の流れに逆らい泳ぐことを浅ましくも拒み、
流れに身を任せた僕のために、どうか願っておくれ

でも何を願ったかはいちいち知らせなくてもいいよ
君には何も願わない

終わりも始まりも全てを願ってきた僕に、「願わない」を教えてくれた

ありがとう

詩とも雑感ともつかないなにか

 朝日と月が同時に見える時間帯に、部屋着とサンダルで外を出た。つい最近まで夏だったのが嘘のように冷たい風が僕を歓迎した。一吹きだけで1億テラバイトのよくわからない情報が、鼻孔を通り、脳の奥深くの神経に小さな雷を落とし、脊髄を麻痺させた。

 しゃがみこんだ。へたりこんだ。しりもちをついた。地面がぬかるんでなくてよかった。全ての思考が止まった。唾液の分泌も、髪の毛の成長も、細胞分裂も、胃液の分泌も、腸の蠕動も、爪の成長も、尿の生産も、昨夜摂取したアルコールの分解も、そして血液の流れも。


 止まった。

 いや、止まるべきだったんだ!


 ドラキュラは朝日を見ると砂になるらしい。
いや、僕は砂でさえあまっちょろいと思った。存在の痕跡がまだ残ってるよ。

 結局何も止まらなかった。ただ、あっけにとられてぼおっとしてただけだった。ムカつく。ムカつく。世界と時間は止まらなかった。僕の心臓に貼り付けられた時計も止まらなかった。ふざけるな。ふざけるな。手が勝手に握りこぶしを作ろうとする。

 その時だ。幸運にも植物のトゲが人差し指に刺さった。そのトゲは手で抜き取れるほどの大きさだった。そうしたら、幸運が重なって、指から血が出たんだ。

 僕は迷った。この血がまだしつこく身体の中を流れていることを嘆くべきか、喜ぶべきか。
 僕は冷静だ。二つの感情のうちどれを選んでその感情を抱くかを決められるほどに。
 僕は狂気だ。相反する二つの感情を無感情に選びとれてしまうくらいに。

 迷って、迷って迷った挙げ句。僕は一回空を見てみることにした。月はもう見えなくなった。太陽は見たくない。
 

 どこを見ればいい?また迷ってしまった。視線をさまよわせ、西へ東へ、北へ南へ、小刻みに、ダイナミックに、僕の黒目を動かしてみた。山の稜線、雲の輪郭、飛行機、ショッピングモールのバルーン。とにかく、僕にとって見る価値のあるものを探した。でも僕は飽きっぽい性格で、すべてに価値を見いだせなかった。

 ついに僕は倦み疲れた。さっきまで忙しなく動いていた瞳孔も、ついに真ん中で止まった。的から外れたダーツの矢みたいに、てきとうな空の一点で僕は満足した。ついにはその一点から、視界が散逸した。

 一瞬とも永遠とも言える時間が過ぎ、僕はわれにかえった。あの瞳孔を忙しなく動かしてた時間と、今の間に僕は何をしていたのだろう。実感という記憶、記憶という実感、そのような見地からは僕は直前の行動を覚えてないのだ。ただ、覚えている記憶の文脈から、「自分はぼうっとしていたのだ」という温度のない推測がむなしくこだまするのみだった。

 もったいない。もったいない。あの時間の間に、地球をまるごと、いや、太陽系を、いやいや、銀河系を、いやいやいやいや、全宇宙を詰め込むことができたのに!

 思い出したように、人差し指を見た。まだ血が流れている。吸い込まれるような、黒がふんだんに混じった赤色。吸い込まれたらどんな地獄にいくのかな。

 気づいた。この血の色は何もかもが、このぼけた青色の空と、対極であることに。そして紙一重であることに。

 かざそう。この人差し指を。僕の血が、一滴の血が、もしかしたらこの空を、一瞬で染め上げるかもしれない。それくらい。この空は脆弱で、存在感が希薄だと思えた。

 手を上げた。

 瞬間。




 冷たい風が再び吹いた。

 今度こそ、全部把握してやる。全ての情報を。

 両手を大きく広げ、口を目一杯開けて、目をくわっと見開いて、鼻の穴を大きくして、全ての皮膚を総動員して、冷たく乾いた秋の風を全て吸い込もうとした。


 あれ???おかしい。1億テラバイトの情報が、僕の体のどこにも侵入してきていない。広げていた手を力なく下ろした。目を閉じた。拍子抜けして、きっと疲れたんだ。立ったままだと、何分寝られるかな。しばらく、考えてるのか考えてないのか、何もかもが曖昧な時間、目をつむっていた。

 目を開けると、僕は空(そら)になっていた。

自己紹介

こんにちは。はじめまして。私の名前はL.H.といいます。初めてブログを書くにあたり、自己紹介したいと思います。長文書くの苦手ですが、なんとかブログっぽいの書きます。

 

でも難しいなー。どこまで書こうか悩む。

 

じゃあぼやかすとこはぼやかしながら話します。

 

私は元エホバの証人です。今21歳なのですが、中1の2月から集会(エホバの証人が週2回開いている勉強会)に通い始め、高1の10月に正式に入信し、大学二年生の9月に断絶願を提出し、やめました。

 

ここでは、エホバの証人(以下JW)と関わり始めてからやめるまでの自分の行動や周りの状況の変化や、なぜやめようと思ったのかといった自分の心の変化について書いていこうと思います。

 

先に、JWと関わり始めたのは中1の時だと書きましたね。あれは嘘です。厳密には幼稚園の頃にJWの子供向け出版物を、その時既に現役だった異母兄と一緒に読んでました。小学校中学年になったら飽きてやめちゃいましたが。

 

その頃読んでた本は、「私の聖書物語」という聖書の概要書と、「偉大な教え手から学ぶ」という、キリストの教えたことに焦点を当てた解説書でした。全部子供向けに書かれたものです。挿し絵もカラフルで、好きな人は好きでしょう。でも私は嫌いでした。

 

それらの本には共通して書かれていたことがあります。JWの教えの中でも重要な教えですからね。

 

それは、神の王国が既存の人間政府を滅ぼし、世界政府としてそれらに取って代わるというものです。

 

この教えが書かれているページには、白馬に乗った天使の軍勢が文明を破壊するために地上に降りているという挿し絵が書かれています。当時の私にはすごくショッキングな絵でした。今でも強く記憶に残ってます。

 

でも幼かった私はそういうショッキングなことも心の中にしまい込み、それなりに楽しい小学校生活を送りました。

 

6年生の1月、父親が死にました。脳卒中です。享年69歳でした。父親は再婚していて、私はそのときの子供でした。再婚後に生まれたのは私の他に兄と弟が一人ずつです。

 

母親もたいそう悲しみました。その時既に母親はガンと闘病中で、ストレスも大きかっただろうと思います。

 

私が中1になるとすぐ、母親は私と弟を連れて自分の故郷フィリピンに帰りました(兄は事情があって日本に残りましたが、ちゃんと世話は受けられるような状況だったということは明言します)。いきなり慣れない異国に住むことになった私ですが、そこでの生活はけっこう楽しかったです。母親は自分の生まれ育った地で闘病に励みました。

 

でも翌年1月、母親も死にました。ガンは本当に恐ろしい病気です。

 

私と弟はフィリピンで親がいないまま残されました。事情はよくわからないのですがこのままだと日本に帰れなくなるところだったそうです。その危機から私たち兄弟を救ってくれたのが、現役JWの異母兄です。単身フィリピンに行き、私たちを連れ戻してくれました。4月になるまでは彼と同居していました。そのときにその兄の薦めでJWの集会に通い始めました。嫌でもなかったし、連れ戻してもらった恩もあるので断ることは最初から選択肢になかったです。JWの死者の復活の教えにも魅力を感じました。両親が亡くなったばかりだから当然のことだったでしょう。

 

中2の4月になったら私と弟は異母兄のもとを離れ、実兄が世話になっていた場所に移りました。学校も変わりました。JWは国歌を歌わなかったり、特定の行事に参加しないことで有名ですが、私もそれに倣い、国歌を歌わないようにしたり、特定の行事に参加しないことを自分で先生に伝えたりしました。入信する前から高校卒業までずっとそのスタンスを保ちました。

 

さて、JWは世界的な組織であり、世界中に集会所である王国会館が遍在しています。誰でも最寄りの場所で聖書の勉強ができるようになっています。私の住んでいる県だけでも、市町村の総数ぐらいの数の王国会館があります。高2までは異母兄の通っていたところに(以下その期間を第一期と呼ぶ)、高3の間は自分の住んでいる近所の王国会館に(その期間を第二期と呼ぶ)、大学に入ってからやめるまでの間(第三期と呼ぶ)は下宿先の近所の王国会館に通ってました。ここから先はそれぞれの期間での心模様を話しましょう。

 

第一期は一番長い期間です。けっこう真面目にJWをやってましたし、学校生活も楽しかったです。でも入信するまでの数ヶ月間はけっこう悩みました。というのも入信はJWにとって重要なイニシエーションであり、よく考えるよう言われていたからです。しかしその時も住居は離れているといえ、異母兄には生活上でお世話になっていたし、神が既存の人間社会を滅ぼすといった教えも本気で信じてたので、怖くて入信しました。でもそのときは自分の心を騙して、自分は神を愛しているから献身したのだと思い込もうとしていました。

 

入信してからは入信する前ほどではないですが聖書やJWの出版物を読んだり集会にも休まず通ったりしていました。勤勉さにおいては他の熱心なJWの足元にも及びませんでしたが。

 

そんな感じで、自分の中の「これでいいのかなあ」といった思いを胸の奥にしまい込み、とにかく今が楽しけりゃいいと思い込みながら第一期を駆け抜けました。私の倫理観や世界観はおそらくこの時期に形作られました。

 

高3になり、異母兄からそろそろ近所の王国会館に移ってはどうかと言われ、はいはい仰せの通りに、という感じでそこに移り、第二期が始まりました。その頃はけっこう病んでました。だんだん自分を騙せなくなっていたのだと思います。具体的にどういうことで悩んでいたのかはまだ言語化できるぐらいには思い出せてません。でも進路のことでは確実に悩んでました。3年生の始めから大学に進学しようと決めてましたが、JWにとって大学進学は顰蹙をかうような進路選択だったため、いろんな人からやんわりな形であれ反対されました。異母兄は、最初は渋い顔をしていましたが、意外とすぐ協力的になってくれて、模試やセンター試験のときに宿を提供してくれました。そのことには今でも感謝してます。私が悩んだのはどこの大学に行こうかということでした。国立大の出願締め切り寸前まで悩んで結局地元の国立大に進学しました。

 

入学後はまた別の集会所に通うようになり、第三期が始まりました。その時はほぼ惰性でJWの活動をしていたと思います。そのとき通っていた集会所の人たちは基本的にあまり干渉してこない人たちばかりで全体的にゆるい雰囲気の集団でした。若い人もかなりいて趣味の合う人もいたので、最初のうちは楽しけりゃいいやと思ってましたが、だんだんと自分の中のJW組織に対するネガティブな感情を親しい仲間にぶつけるようになりました。私のそうした言動は集会所の責任者である長老が目ざとく観察していたらしく大学二年生の6月に呼び出しを食らいました。内容は端的に言えば「このままJWを続けるか否か」というものです。自分の胸の内をだいたい明かして話は済みました。

 

やめるきっかけは突然でした。それまでは表面上だけでもJWを続けていればいいかと思ってましたが、その出来事で一気にその気が失せました。

 

それはJWで禁止されていたポルノを意図的にみてしまったことです。はい、それだけです。この出来事で「もういいや」という感じになり、半ば衝動的に断絶願を書き(ポルノ云々は最後まで伏せました)、長老たちと最後の会合を済ませ、私のJW生活は幕を閉じました。断絶という形でやめる人は、考えに考えて、自分なりにJWの教理を否定し、それを長老たちに伝えてからやめていくそうです。その点私のケースは異常だと会合のとき長老に言われました。私はJWの教えを完全には否定せずにやめたのです。

 

そんなやめ方をしたら後々やめる決断をした自分をぶん殴りたくなるぐらい後悔するぞ、とも言われました。おそらくその通りです。やめてから1年経とうとしている今も私の心は晴れやかではありません。今の社会は近いうちに滅びるという教えをきれいさっぱり否定できないでいるせいで自分がどうやって死ぬのかということばかり考えてしまいます。先に書いた挿し絵が今になって自分に迫ってくるのです。でもしゃあないから今生きてます。

 

こんな暗い感じで自己紹介とします。雑な文章なので要望があれば補足もこれから書いていきます。ひとまずはこんな感じで私の生い立ちを知っていただければと思います。では。