インターネットはあてにならない??

職業柄、名前と所属している大学名で web 検索すると、過去の研究会での講演内容とか、学生が書き込んだであろう twitter とか、色々とヒットする。

最近、インターネット上の講義情報交換サイトに自分の講義の情報が書き込まれているのを見つけた、、、のだが、教科書の「要・不要」や成績の付け方など、色々間違っていた。

多分直接私の講義を聴いて、シラバスも見たことがある学生が書き込んでると思うんだけど、、、それでも間違っている。

こんな調子だから、きっと芸能人のゴシップとか、マスメディアが報道する(あるいは、報道しない)情報とか、きっと報道される側からするとたくさん間違いがあるのだろう。

真偽はやはり、一次資料を確認し、その上で自分の頭で考えていないと、フェイクニュースに飲み込まれるだろう、、、

加計学園は一次資料と総理の答弁をみれば、大学の許認可をたてにして、好き勝手にやって来た文科省に対して、官邸がその文科省の利権と官僚主導の文教行政を正常(政治主導)に戻そうとしただけの話だとりかいできる。国の根幹を支える教育行政を、選挙で選ばれていない官僚によって決められるなんて、その方がよっぽど歪んでる事は明白。

森友学園とかもね、、、色々書きたいけど今日はこのへんで。

応用数学

日本においてながらく続いてきた、純粋数学応用数学よりもまさっているという風潮、あるいは、応用数学純粋数学よりも一段下にみられるという状況について;


応用数学」 とは、数学を他の分野(化学、物理学、生物学、人文科学、社会科学)における問題に応用する分野全般を指す。

もちろん、「数学」を「応用する」のだから、「応用するに十分な数学の力」がないと立ち行かないし、応用先である「(数学以外の)他分野の知識」も持っていないとうまくいかない。

応用数学純粋数学の根となり芽となる部分」とは、伊藤清先生の言葉だっただろうか。

あるいは、何かのコラムで目にした

「すくなくとも、゛役に立つ数学は美しくない゛という言葉はうつくしくない」

という文章は印象的だった。

体罰

バレーボールをぶつける動画が「体罰か??」と話題になっている。こういうことがあると、自分に関係なくても胸がざわついてしまう(もちろんネガティブな意味で)。

あの少年はあんな練習で本当に上手くなるのだろうか、、、

心技体とは、体を鍛え、技を磨き、最後に心を整えるという意味だと誰かが書いていた。

体を鍛えて基礎体力を身に付け、技(技術)を身に付けた競技者が、最後に闘争心とか、諦めない心を身につけるためにやる練習ならよいのだろうが、そうでないとただの弱いものいじめにしか見えない。

昔、松岡修造さんと錦織圭さんのドキュメンタリーをみたことがある。松岡修造さんは怒鳴ったり、怒ったり(多分演技)していたが、テニスボールをぶつけたり、怪我をさせるようなことはさせていなかったと、今更ながら思い出して感心している。あれは、最後に闘うための心を身につけるための試練だったのだと。

最近、ライオンのグータッチというテレビ番組も好きで、時間が合えば見ている。やっぱり指導者も、技術指導のやり方はもちろん、モチベータとして心理学とか、あらゆることを勉強しないといけないと思うし、勉強しない指導者は淘汰されるだろうと思う。

数学者もごく一部の、研究だけやっていれば許されるスーパーな人は別として、教育のやり方を常に考えないとやっていけないだろう。冒頭のバレーボールの件は、また新たな反面教師として心に刻むことにしよう。

あっ 数学では、ボールをぶつけたり、吐くまで走ったりしないから安心してください。

むしろ、ちゃんと御飯を食べて、しっかり睡眠をとって、心も体も平穏な状態でないと、とても数学なんかできません。糖分も必要だから、ゼミ中のおやつも飲み物もO.K.です。

健康のために多少の運動は必要だろうから、各自気が向いたら散歩するとか、雨の日は部屋でちょこっと腕立て伏せするとか、そんなので十分です。

テレビCM

ブリヂストンecopiaのTVcm、やっぱり物理や数学系のブログで話題になってますね。

私が始めてみたときには、

ナビエ・ストークス方程式波動方程式黄金比と螺旋、ケプラーの法則

までしかわかりませんでした。

すこししらべたら、物理系のブログで説明されていました。最後のタイヤのシーンで出てくる方程式は、転がり摩擦と空気抵抗に関するものだそう。

YouTubeでも公式でみられるので、ぜひ


ブリヂストン ECOPIA ologic BMWi3編 CM」

で検索してください。

それにしても良くできてます。

ブログタイトル変更

ブログのタイトルを変更しました。1限目は、眠いし、2限目はお腹が空く。数学をやるには、午前中たっぷり寝て、お昼を食べてから、ゆったりやるくらいがちょうどいい。そんな気持ちでこのタイトルにしました。

 

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数学の勉強について - 徒然なるままに -


其の一

前の記事で、数学をやるには、論理も計算も暗記も必要だと書いた。
http://life-with-mathematics.hatenablog.com/entry/2017/05/02/202716

中学生や高校生が、自分が数学を理解できないのは計算ばかりやらされるからだとか、公式の暗記など意味がないとか、そういう間違った数学への感情をもってしまわないようにしてほしい。

数学をやる動機は、数学の美しさや、分かったときの喜びといった、感情にうったえかけるものに違いはないだろう。しかし、その美しさとかわかったとかいうことを味わうには、論理とか、計算とか、場合によってはとりあえず暗記して次に進むとか、そういうことが必要だと思う。

其の二

中学や高校で数学を教える立場の人が、数学を好きでないと、数学の楽しさを伝えることはできないだろう。ましてや、数学が嫌いな人から数学を教わることは不幸以外の何物でもない。

其の三

分からないことを分かるために勉強するのだが、何かが分かると、その過程で他の分からないことがでてくる。それを分かろうとすると、またその周辺に分からないことが現れる。勉強とは、分からないことが分かると同時に、分からないことが増えることでもある。だから、分からないからといって途中で諦めたり、やめてしまわないようにするのが大事である。前の記事
http://life-with-mathematics.hatenablog.com/entry/2017/04/28/134009
で書いた通り、分からないことは
自分の中の数学的自然を豊かにする種であると思って、じっくりあたためておくのがよいだろう。

其の四

具体的な勉強の方法であるが「教科書作成勉強法」とでもいうものがよいと思う。やりかたは、ノートを一冊買ってきて、自分だけの教科書をつくる。初めは、とりあえず教科書を写すことからはじめて、少しずつ自分なりの説明を加えたり、記述の順序を入れ換えたりして、自分がわかるための教科書をつくるのである。以下の記事も参考にしてほしい。

http://life-with-mathematics.hatenablog.com/entry/2017/04/18/162340

http://life-with-mathematics.hatenablog.com/entry/2017/03/30/125551

http://life-with-mathematics.hatenablog.com/entry/2017/04/19/185757

ときには、そうして作った「自分だけの教科書」をもとに、他の誰か(友達とか先生とか)に内容を説明したりして、本当に自分の考えたことが正しいか、自分はどこまでわかっているかを確認するようにすると、尚更良い。

注意することは、きれいに書こうとか、美しく仕上げようとか、そんなふうに思わないことである。理解の仕方は人それぞれであるから、自分が見て一番分かりやすく、あるいは、後で見たときにどのように自分が理解したかを思い出すことができるように書くことである。整理するのは自分の頭の中であって、ノートではない。最低限、あとから見たときに自分で読める程度に整理しておく必要はあるが、その程度で十分である。もちろん自分専用の教科書だから、同じことをわかったと思えるまで何回も書いてもよいし、同じ問題を何度もといて、何度やり直しをしてもよいし、問題を解くたびにつかった公式や定理が繰り返し書いてあってもよい。

 

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