夫婦、身長差25せんち。

今日も明日も横浜で頑張っています

生活の軸も仕事の軸も変わったけれど、それはそれで。

 

少し前から、勤めている会社の評価制度が変わった。

 

今までは、何をどう評価されているのかわからん!というか、いつが評価時期なのかすら下々の社員にはわからなかった。でも、新しい評価制度では、上期・下期に分けて目標をたて、自己評価をした上で管理職と評価面談を行う…というのがルールになった。

課員が沢山いるような部署の管理職は、ひとりひとり面談をして評価シートを仕上げて提出しなければならず大変そうだけれど、末端の社員にとってはこのような機会がなければ、管理職と一対一で膝を付き合わせて話すこともないと思うので、わが社の評価制度としては改善されたのではないかと感じている。

 

その評価面談のなかで、長期(一年もしくはそれ以上)・中期(今期~今年度)・短期(デイリー~月間)でどのようなモチベーションで働いているか、というのが議題にあがったのですが、なんだか全然先のことが思い付かなくて答えられなかった。以前は、自分なりに目標設定をしていたこともありポンポン答えられたのですが、今はまるで思い付かない。

今思い付くことと言えば、

長期目標:育児と仕事の両立。

中期目標(今期):子供と自分の体調管理に気を付け、欠勤がないようにする。子供のインフルエンザ予防接種(2回)をきちんとスケジュール管理して予約・接種を実施する。

短期(デイリー):定時で業務が終わるよう、順序だてて行動する。子供のお迎えに遅れないよう、早めのリスクマネジメント。

 

というような感じ。これではまるで評価面談に提出出来ないのはわかっているけれど、今の正直な目標だし、なんなら来期もその次もこんな感じで、ある程度子供が大きくなるまでは、そう変わらない気がしている。けれども同じ目標はダメだし(明確に同じ目標禁止ルールがあるわけではないが)そもそも子供のことばっかりで仕事の目標じゃないよな…と思うけれど、きっと私の中の仕事の軸みたいなものが、子供が生まれて生活の軸が変わったことで、いつの間にか一緒に変わってしまったんだろうな、と思う。

 

以前みたいに「こういう仕事がしたい!」とか「昇進したい!」みたいな意欲が今はなくて(もちろん給料をあげてほしい、とかは無限にあるけれど)ただひたすらに「在宅できる業務がいい」とか「定時で帰りたい」とか「自分の裁量でコントロールできる業務がいい」みたいなものばっかりになった。

 

ちょっと悲しい気もするけれど、誰に強制されたわけでもなく、今の自分がそういうフェーズなんだろうな…と思って納得するようにはしているけれど、やっぱり第一線で働く後輩たちを見ると、ちょっともどかしい気がしていて「私まだやれるのに!」みたいな気持ちが沸々する。

そうするとつい「その業務、私がやっていた頃はね…」なんて、うざったいお局みたいなことを後輩に向かって口走りそうになるから、要注意。

 

私は私で、今できる範囲のことを一生懸命やって、大切にしたいものを守りながら、頑張るしかないんだよなぁ…と思う日々。もどかしいこともあるけれど、しょうがない!で割り切るしかない。(割り切れなくて、ここに書いている感も否めない)

 

それでも自分で自分を褒めて、明日からも頑張ろうと思う。働きながら子育ていている人、みんな一緒に頑張ろう!(気分はワーママ日本代表)

 

よし、今日も定時で上がれた!よく頑張ったよね!


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※仕事中のランチに命かけてます

妊娠~出産、書き終わりました

 

特に誰も待っていないし、途中でやめても問題なかったのだけれど、2年もだらだらと引きずっていた妊娠~出産の記録について、やっと書き終えることが出来ました。

終わってみて思うのは、出産はまたしてもいいけれど、妊娠は嫌!というのが一番のきもち。それくらい悪阻が本当に本当に辛かった、人生で一番辛い半年だったと間違いなく言えると思う。

悪阻で入院するひともいるなか、私は基本的には会社を休むこともなく(早退したり、出社したもののろくに働けない日もあったけれど)乗り越えたので、端からみたら特別に悪阻が重い人ではなかったはずだけれど、私個人としては悪阻のきもち悪さ(長期&先が見えない恐怖)だけはもう二度と味わいたくない!と産後2年経つ今でも思い続けるくらいに辛かった。

お客様との打ち合わせの最中にリバースして、自分のスーツに思いっきりかかってしまった時はもう辛くて苦しくて悲しくて涙が止まらなくて消えてしまいたいと本当に思ったし、その時スーツを洗ったトイレに行くと、いまだにあの時のことを思い出して苦しい気持ちになる。

そんなこともあって、夫には「もう二人目は考えたくない」という話を今のところはしてあって、夫は納得こそしていなさそうだけれど仕方ないか、という感じになっている。(夫は絶対に兄弟をつくってあげたい派のひと、じゃあお前が産め!と言ってもしょうがないことを言いたくなるくらい悪阻が怖い)

 

この体験記?は、私が辛かったことを誰かにわかってほしい!という思いで書いたものではないけれど、あの辛かった時期に「悪阻 辛い」で検索をして見つけた体験談を読み漁り、それにたしかに私は励まされていた。そして私も出産が終わったら書こう…と(リバースしながら)思っていたので、やっと実現できて嬉しいです。

 


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※BBQで焼きとうもろこしをかじる我が子

【陣痛3日目】そしてご対面

出産の記録、やっと終わります。

 

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木曜日の夜中に入院したものの、全く生まれる気配がなく、永遠と「4センチですね」と言われ続けた子宮口。土曜日の朝になり、やっと「7センチ」になったらしく、大部屋➡️陣痛室へ移動することに。

移動の直前で助産師さんから大きなピンクのビニール袋を渡されて「ここに持っていきたいもの入れて」と言われたけれど、もう荷物なんか選別していられないよ!状態だったので「特にありません」と答えたら、なんか結構ムッとされた記憶があるけれど、もうここら辺はとにかく次の陣痛までの間の時間にしか動くことが出来ないにもかかわらず、丸1日以上ろくに寝ていないこともあり、陣痛の間の時間に寝てしまい、自分の意思でなにかをする時間と余裕が一切なかったので仕方なかったと思う。

 

陣痛室に入ると、それまで入院用の病室で比較的放置されていたのからうって変わって、室内に助産師さんが常駐&入れ替わり立ち代わり複数の助産師さんが入ってくる環境になった。病院側のオペレーションなんだろうけれど、新しく部屋に入ってくる人は何かしらの挨拶を患者にしに来ることになっているようで、挨拶をされるとなぜか私は営業マン精神(しかもその当時私は病院担当だった)で、いちいちちゃんと返事をしたり、なんなら軽く質問を投げ掛けたりして「あれ?まだまだ余裕だね」と言われたけれど、決して余裕ではなかったと思う。

とは言え、妊娠中に無数に読み漁った出産レポにあったように「痛くて叫び散らかした」とか「助産師や家族に暴言をはいた」というような状況にはなっていなかったから、そういう面ではたしかに「余裕」だったのかもしれない。(いやでもすんごい大変だったし、めちゃくちゃ痛かった!呼吸法とか全然無理だった!)

 

陣痛室に移動して3時間くらいたったころ、知らない先生が入ってきて内診(例のごとく自己紹介つき)して、その最中に先生から「んーまあ行けるっちゃいけるかな?ためしにいきんでみて」といわれてすごく戸惑ってしまって「いきむってどうやるんですか?」って真顔で先生に聞いてしまった。そういえば出産レポによくあった「いきみたいけど我慢しなくちゃいけない、いきみ逃しが大変だった」という状況に私は陣痛が始まって1日半の間一度もなっていなかった。(とにかく、うーん!って大きいウンチするみたいに踏ん張ってみて、と先生に言われてその通りにしたけれどたぶん違った)

 

それから1時間後くらいにやっと分娩室へ移動することになったけれど、分娩担当の助産師さんが「初産婦さんですよね!私も初めてなので一緒に頑張りましょう」とか言われて、すごい不安になりながらの分娩スタート。

ちなみにその助産師さんは分娩の最中、度々先輩から「違うよ!それじゃあ赤ちゃん床に落ちちゃうじゃん!」とか「ライン取れてないよ、出血してるの気付いてないの?」みたいな、素人の私が聞いても「え?大丈夫なのこのひと…?」という気持ちになるような注意をされていたこともあって「このひとには頼れない、自分で頑張らないと…!」と、割と冷静でいられたのかもしれない(ポジティブ解釈)

途中、尿道カテーテル?をいれる作業で、新人さんが3回失敗して、そのたびにすごい痛くて「もうイヤ…」と思っていたら、超ベテラン助産師さんが「私やるから見てなさい!」って一発でいれてくれて、ああ助かった…と思っていたらまさかの引っこ抜かれて「ほら!今やった通りよ!もう一回やってみて!」と再度チャレンジしようとしたときに、たまらず「痛いのでもう練習やめてください!!!!」って懇願したのが、分娩室でのピークだったと思う。

そのあとはもう、痛みと疲れでいきむタイミングが全然わからなくなっていて、もちろん新人さんは全然誘導してくれなくて(ちゃんと誘導して!タイミング逃してるよ!ほら!今くる!きてる!声がけして!ああもう波すぎてる!みたいにめっちゃ怒られていた。いやだった。)

お陰で多分20回くらい無意味にいきんでる感があったけれど、いついきめばいいのか絶賛叱られていて聞けない…という時間が続いた。そのうちになんだか疲れてきちゃって力入らないや~と思っていたら「もうママも赤ちゃんも疲れちゃってるから、促進剤入れてもいい?この書類にサインしてくれる?」と言われ、分娩真っ最中にヨボヨボな字で署名をし(これ、分娩中じゃないとだめだった?)さあ、やっと生まれる…と思ったら「あー!だめだめストップ!日付もちゃんと書いて!」とまた書類を戻されたけれど、3日間も病院にいるせいで日付がわからないのに陣痛が痛くて質問出来ず、書類とペンを握りしめて痛みに耐えたのはハイライト。

促進剤いれて15分後くらいに、やっと生まれました。ハローウェルカム、赤ちゃん!

 

そんなこんなで一応無事に生まれたベビーは、今は2歳になって絶賛イヤイヤ期です。

 


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※ニンバスに乗る我が子

(魔法の箒や杖にもいちいち細かく設定がしっかりしているところがハリーポッターシリーズの大好きなとこら)

 

 

 

【陣痛2日目】うわさのNSTを装着、ドンドコシクシク

出産の記録、引き続き

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丸一日、陣痛なんだか何なんだかよく分からない痛みがあるもののまだ動けるし、コロナ禍で面会は一切出来ない病院での出産予定のため、ぎりぎりまで病院ではなく自宅で過ごしたいと考えていたこともあり、まだ病院へはいかずに粘っていた。しかし深夜頃、ついに10分間隔かな?と思えるくらいになってきたので病院へ。(あとから考えれば、このタイミングは全くぎりぎりではなかった)

 

我が家は繁華街ど真ん中ということもあり、陣痛タクシーの登録はしていなかったので、流しのタクシーで病院へ向かった。

ふぅふぅ言ってるお腹の大きな妊婦をつれた顔面蒼白な夫が「○○病院へ!」なんて言って乗り込んでくるもんだから、タクシーのドライバーさんも、面食らった顔をしながらも「大丈夫ですか?陣痛ですか?頑張ってください。ゆっくりでいいですよ」と声をかけてくれた。(ちゃんとお礼を言ったのか全く記憶がない、申し訳ない)

 

病院へつくと、真夜中ということもあり静かな院内に「ふにゃあ、ふにゃあ」と新生児が泣く声が響いていて、わあ私もこのあと赤ちゃんを生むのか‥とやっと実感が湧いてきた。

そうこうしている間に、ことあるごとに誰かの出産記録を読み漁っては登場していたNSTとやらが、ついに私のお腹にも装着され、装着してすぐは「わあ!赤ちゃんの心音だあ~」なんて感動していたのだけれど、装置してしばらく経つとその感動も薄れ、陣痛が来るたびにNSTのベルトが邪魔で体勢がうまく変えられないし、ドンドコドンドコずっとうるさい…!と苛立ち、勝手に音量を下げようとして助産師さんに怒られた。

結局、子宮口はこの時点でまだ4センチのままだけれど、念の為このまま入院しちゃいましょうか!ということになり、そのまま入院が決まったのが、陣痛2日目金曜日の明け方のこと。

 

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※あのときNSTをドンドコ言わせていた子は、こんなに大きくなりました。


ここから、子宮口4センチの状態が丸一日目続いた。痛いし長いしお産は進まないし、なぜか担当の助産師さんは新人さんで「初めてなんです!頑張ります!」とか明るく挨拶してきて、他の人の出産記録に出てきていたような、頼れる助産師像とは程遠いし…で、もともと情緒不安定気味だったこともあり心が折れかけてしまい、シクシク泣きながら陣痛に耐えることに…。


続きは、また。

(そろそろ産まれます!)

【陣痛1日目】あとから考えれば前駆陣痛だったけれど

またも長期にわたり更新が滞ってしまったお陰で、いよいよ数年かけて仕上げる超大作のような風体になってしまった、この妊娠~出産の記録。もちろん、とっくに子供(娘)は産まれ、おかげさまですくすくと育っており、これを書いている横で「ママなにやってるのー?」と、騒いでいる始末。あなたが産まれたときのことを書いているのよ、と言ってもさすがに伝わるわけもなく「やりたい!かーしーてー!」と永遠とせがんでいるのが現在の状況。(娘は自分の欲望を叶えることについて、大変粘り強い性格の持ち主)

話は戻って、陣痛か?と思い始めた日のことを。

2020年7月初旬のある木曜日の夜、生理痛の重い日のような、ズーンとした痛みで目が覚めた。この2日前の検診で「(子宮口)もう4センチだから、いつ産まれてもおかしくないね」と言われていたこともあり、すぐに「きた!陣痛だ…!」と確信。
早速、事前にダウンロードしていた陣痛アプリで間隔を測ろうとするも、全く規則的ではない状態だが、それでも無理やり測ろうとしているうちに、痛いんだか痛くないんだかわからなくなってきてしまった。
あとから考えれば、本陣痛はそんなもんじゃねえぞ!と思うものの、その時は「おー!キタキタ!」と気持ちが昂っていて、陣痛だと思い込んでいた。
なんとなく痛い感じが続くので、夫に「陣痛きたかも」と伝える傍らで、この台詞ってすごいドラマみたい…!何て考えていたんだから、どう考えても陣痛ではなかったのだけれど、陣痛かもと伝えられた夫は、それはそれは狼狽えていて、そんな夫を見ながらこれもまたドラマみたいだな~と余裕をかましていた。その後も痛くなったり、痛みがどこかへ行ったりを不規則に繰り返した。夫には「痛いけど、とりあえずまだっぽいから」と伝え、普通に出勤してもらったのだが、狼狽え過ぎて午後半休を取って帰ってきてしまった。

結果から書くと、これは前駆陣痛だったそうで、前駆~そのまま本陣痛へ繋がってしまったため、便宜上この日を「陣痛1日目」としている。(ちなみに私は陣痛3日目に、普通分娩で出産した)

続きは、また。

【妊娠後期の話】COVID-19の襲撃とお腹の張り

しばらく滞っていた、妊娠記録。
このブログを書いている今現在私はもうすでに出産をとうに終え、子供は一歳になりましたが、記録のためにも妊娠後期の話をアップしたいと思います。

妊娠後期にさし掛かった頃から、日々のニュースで「新型コロナウィルス」という単語を連日見かけるようになりました。マスクはあっという間に売り切れ、海外旅行ができなくなり、横浜港のクルーズ船の人たちが下船できずに二週間ほど船上で隔離された。予定していた母親教室は無期限中止となり、立ち会い出産も出来なくなった。都市のロックダウンがささやかれ、スーパーに食材がなくなった。

「持病のあるハイリスクの人」及び「妊娠中の人」への出社自粛の協力要請があったことを受け、私は無期限で在宅勤務となりました。

その後、世の中の情勢はどんどん変わり(悪化)、初めての緊急事態宣言が発令され、会社自体が休業となったので私は在宅勤務→自宅待機となり、日中はテレビでワイドショーを観て、時々散歩に行くだけの生活をするようになったのが、妊娠後期の頃。

そして、ある日の散歩の途中に、お腹がひどく張り動けなくなったことを皮切りに、ひとりで散歩に行くことが不安になったので、平日夫のいない時間はひたすら家で過ごすようになりました(引っ越していてよかった)

少し話は逸れますが、妊娠中の「お腹が張る」という表現はなにか違うものに変えた方が良いのではないか、と私は自身が妊娠中常々思っていました。
私は自分本意なやつなので、自分が妊婦になるまでは「お腹が張る」という状態がどんなものなのか、全く分かっていないどころか、妊婦さんが「お腹が張って大変…」と言っているのを聞いても(厳密に言えば、SNSの投稿で見ただけで直接言われたことはたぶん無い)、そっかあ~大変だね~くらいにしか思っていなかった。だって、妊娠していない人でも「お腹が張る」という状況は、満腹のときや便秘のときなどに起こりうる現象なので、妊婦さんのそれも、だいたい近いものなのだろうと安易に想像していたからです。
ただ、実際に妊婦になり体感して思うことは、妊婦のお腹の張りはそれ以外の人のものは全く違うものだということでした。たしかにお腹自体は張っているので、お腹が張るという表現に誤りはないと思う。けれど、具体的なお腹の張りの症状としてはまずお腹がガチガチに固くなり、とても痛い(場合によっては歩けないほど)、母体はもちろん胎児にも何かしらの負荷がかかっていて苦しい状況であり、状況によってはすぐに医師の診察が必要な場合もあるのが「お腹の張り」なのに、私が無知すぎただけかもしれないけれど、おおよそ満腹のときのお腹が苦しいな~!というのに近しいものだと考えてしまいかねない「お腹が張る」という表現。なんとかならんもんかな…?

まあ表現はともあれ、この「お腹の張り」というのが妊娠後期の、特に夕方以降に頻発したのはとても辛かった。あとはなにより足のむくみ。スニーカーなどはすべてはけなくなり、もう足首の場所なんて分からないし、パンパンすぎて歩くなんてもってのほかで動かすのも痛い…というほどで、毎晩マッサージをしてくれた夫に感謝。

念願のマタニティフォトはもちろんとれるわけもなく、かといって諦めることも出来ずに自宅で撮影してオシマイ。同じ市内にある実家にすら帰ることなく、ベビーグッズのほとんどをインターネットで揃えて出産準備は一応完了。

そして会社については、産休前最後に一度だけ出社し、挨拶と荷物の整理をしました。そのときに上司(オジサン)に「体調はどうだ?」と聞かれたので「後期づわりはありますが、まあ元気です!」と答えたところ「は?後期づわり?なんだそれ?そんなもんないだろ」と一蹴にされたのは、残念な思い出…。

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自宅で撮ったマタニティフォト

出産のときの話はまた。

一年ぶりの更新となりましたので、まずは近況から。

最後に記事をアップしたのはこちら

https://blog.hatena.ne.jp/Lisax/lisax.hatenablog.com/edit?entry=26006613625387220

妊娠中期のつわりについて思いの丈を書いたのち、姿を眩ましていました。

あの投稿から約一年が経ち、更新を滞っている間に子供は無事に産まれ(女の子です)、なんともう一歳になりました。妊娠中期で頓挫していたこのブログですが、妊娠後期及び出産~子育てについて、追って書かせて頂きたいなと思いつつ、まずは近況を。

2020年当時、来年くらいには落ち着いているんだろうな、と楽観視していたコロナウィルスですが、未だに感染拡大中。そして我が子は、妊娠していた頃は「オリンピックベビーだね」だなんて言われていたのに、結果的にはコロナ禍に産まれたことから不本意ながら「コロナベビー」と称される始末。しかし、このコロナが予想以上の長引きを見せていることから、2020年産まれだけにとどまらず2021年産まれも引き続きコロナベビーとなってしまい、なんとなく「コロナベビー」という呼び名は2020年の限定感を失った為か、有耶無耶にその存在かなくなった気配を感じており、少し安心しています。
ただ、2020年に産まれてから一度もコロナの無い世界で生活したことが無いため、保育園の先生を始め、家族以外のノーマスク姿を見たことは無いまま一歳を迎えてしまいました。記憶には残らないのかもしれないけれど、何かしらの感受性の発育に影響がありそうな気がしているのと、家以外での写真がすべてマスク装着状態のものしかないので、記録や思い出という点で大きく不満。

もちろん旅行にも行ったことはなく、夫の実家(新潟県)にも一度も帰省していません。育休中にベビーを連れて沖縄に行くのを楽しみにしていたので無念でなりませんが、こればかりは仕方なし。
まだまだろくに出掛けられない日々が続きますが、我が家は自宅が横浜・みなとみらいエリア付近なので、お散歩には困らないのが唯一の救いとなり、週末は主に散歩をしています。

そして、特に素敵なイベントを迎えることのないまま、春から私自身は仕事に復職。復職してからは、仕事→保育園迎え→夕飯→風呂→寝かしつけのルーティンをいかにスムーズにこなすかに注力し、子供が風邪をひかないように祈りを捧げながら眠りにつく日々。(朝の保育園への送りは夫が担当、感謝)
子供が出来てからは、育児などの方面には知見は広がったと思う反面、社会性やトレンドという点では知見が狭まったな、と感じています。会社で新しいプラン案を考えるときも、頭のなかは「子育て世代をターゲット」にしたプランばかり…。今何が流行っているのかインスタ等で必死のリサーチをしていますが、なかなか自分で体験していないため、本当の「今っぽさ」がわからない。ちゃんと今っぽくないないくせに、なんとなく流行っているから…というのって本当に格好悪いしなあ…。そして、子育てという目に見えてわかる成果のないタスクをこなす日々の中で、着実な衰えを見せる記憶力に戸惑っています。(あれ?先週末ってなにしたんだっけ…?)

きっとそこらへんに転がっているような、普通の家族の普通の毎日を過ごしてはいますが、私個人(と私の家族)の記録として、また改めてこのブログを再開させていきたいな!と思っています。

だって書き残しておかなければ、すべて忘れてしまうもの…!


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アティパスという、靴下と靴が一体化しているような子供の靴(ファーストシューズ)とても便利!