Simple life*

見たこと聞こえたこと感じたこと思うまま

褒め方・叱り方のポイント

さて、前回の記事の続きです。

日常的に訪れる褒める場面と叱る場面。

家庭によってさまざまだと思いますが、今回学んだ各ポイントを記します。

 

《 ↓こちらの続きです。まだの方は先に読んでくださいね 》

bobu.hatenablog.com

 

”叱る”のポイント

「教え諭す」という言葉からも想像がつく通り、感情は入れるべきではありません。

怖い顔をして、大きな声で怒鳴り散らし、恐怖を煽って叱るのは、

”大人”という権力を振りかざしているだけの惨めな姿。

大人は子どもに対して優位な立場に立つのではなく、ひとりの人として尊重すること。

 

その前提を持った上で具体的には
ーーーーーー

  1. 短時間
  2. 過去は持ち出さない
  3. 間違った行為だけを指摘
  4. 理由を話す
  5. 繰り返し言い続ける

ーーーーーー
を意識すること。


①短時間
伝えなければいけない最低限のことを伝える。それだけでいい。
それが5分なら5分、1分で伝えられるなら1分で。
1時間タラタラと叱っていても結局何も頭に入っちゃいないのが事実。


②過去は持ち出さない
「また○○して!」「この前も言ったでしょ!」
言いますよね。わたし言ってますよ、はい。
でもこの過去を持ち出した時点で、相手に対してそのレッテルを張っているのと同じだということ。
それはつまり親にとって望ましくない姿を無意識に子どもに意識させる、ということ。
いつも片付けのできないわたし、いつもごはんをこぼしてしまう僕、と否定につながるのです。
そう、自己肯定感です。


③間違った行為だけを指摘
叱るべき行為をした時に、その行為の指摘と共に人格否定のような言葉を交えていませんか。
「だからだめなのよ」「馬鹿なの?!」
どれだけ優秀な人でも間違いはあります。
丸ごと受け止めて、人格ではなく、行った行為に対してのみ否定しましょう。

 

④理由を話す
理由なくては、理解や納得はできません。
大人も子どもも同じ。
子どもは親の指示に従って生きるしかできなくなるし、いつしか考えることをやめてしまいます。


⑤繰り返し言い続ける
親のねばりどころです。
わたしは苦手です。本当に。
同じことを何度も何度も言わなきゃいけないのは苦痛でしかありません。
でもやるしかないみたい、こればかりは。
修行だと思って取り組んでいます。

 

さて、叱ることばかりじゃ疲れるし、楽しくないし。
褒めることも重要。
わたしはアドラー心理学もかなり参考にしてるので、「褒める」ということに対してはあまり積極的ではないけれど、長女の自己肯定感の低さはこれに起因するんでは?と思う部分があるので、こちらにも触れる。

 

 

”褒める”のポイント

「プロセス褒め」これだけ。
褒める際ついつい結果や能力を褒めてしまいがち。

「いい点とれたね」「かっこよく描けたね」

結果や能力ばかり褒めていると、結果が出せない時に落ち込む、

能力が及ばないことはやめてしまう、そんなことを引き寄せる。

これは継続力にもつながる。

「勉強たくさんしてたよね」「一生懸命集中して描いてたね」

プロセスを褒めると、結果がどうであろうと関係ない。

努力することや続けること、に美学を持てるようになる。

わたしはこれを振り返るとできていない方が多いなあって。

だから長女はできる自分を見せたがるのだろうか、と反省しました。

 

「プロセス褒め」は、キーワードとしてあげた

「自己肯定感」「やり抜く力」「自己決定」

これらすべてに繋がるものだと思います。

 

とにかくしばらくは、「プロセス褒め」を意識して過ごそう。

子どもとのコミュニケーションで意識したいこと

先日、子育て系の講座を受けまして、下記のようなことを知りました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

《今の中学生以降の1/3が直面すること》
  ・107歳くらいまで生きるのが当たり前
   →健康寿命も伸びて80〜90歳まで現役
  ・マニュアル化しやすい仕事はなくなり、今はない仕事に就く
  ・グローバル化が進み、世界が同時進行で動く

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

わたしの子どもは3歳と5歳。

この子たちが大人になってから生きる世界なんて、想像できるはずもない。

もはや親(大人)は教える立場ではなく、共に学び続ける戦友でないとなんだかおかしなことになりそうだな。

とすると、わたしが子どもたちにできることと言えば、、、人間力を鍛えること。

 

実際、今の日本は世界トップレベルの健康・経済力・学力を持ってる。

一方で、自己肯定感、幸福度、読解力は最低基準。

外面は立派かもしれないけど、中身はへちょへちょ。

今の子どもたちがその現状をそのまま引き継いだとしたら、、、と考えると恐ろしい。

でも、そんな大人たちの中で育っていく子どもたちに「立派になれよ」

というのは酷すぎるし、その言葉に説得力もなにもない。

言ってる人たちがそうではないのだから。

そもそもそういう大人は、子どもに対して

どのようなコミュニケーションをとればよいのか?

どのようなアプローチをとればよいのか?

すら分からないんじゃなかろうか。

偉そうに書いてるけど、わたしもわからない。

試行錯誤のトライアンドエラーで反省ばかりの日々。

でも、講座で少しヒントを得たので、書き記す。

 

子育てにおけるキーワード。

自己肯定感」「やり抜く力」「自己決定

 

①「自己肯定感」

うちの長女は自己肯定感が低そうな感じ。

間違いを指摘するとムスッとする。

できることは見て見て星人だけど、できないことはそっぽを向く。

自信のないことはやりたがらない。

この自己肯定感の育みにおいて重要なのは「完全需要」。

丸ごと受け止める、ということ。

ある事柄について、できたら褒める、

できなかったら残念がる・アドバイスをする

、、、これがバツ

いや、ついついやっちゃうんだけどね。

子どもからしたら、できる自分を見せると喜んでもらえるけど、

できない自分はダメなんだって心理になる。ふむ、わかる。

とにかく「否定しない」ということ。

 

②「やり抜く力」

これはつまり継続力のこと。

うちの長女はモードに入ると、のめり込んですごい集中力を発揮する。

邪魔しようもんなら本気で怒ってくるし、だいすきなご飯でさえ後回しにすることもある。

けど、その状態こそがすごく大事で、夢中になってる状態を邪魔しない、ということ。

「ごはんできてるから」とか「お風呂入らないと」とか

ついつい親の都合で遮ってしまいがちだけど、

夢中を止めさせることを続けていると、本来100%のパワーで取り組んでいた姿勢が、

常に30〜40%のパワーで何事も取り組むようになってしまう。

(常にそれくらいだと、ストップがかけやすいから)

本来のパワーを発揮できないなんて、もったいなすぎる!

、、、とはいえ!

子どもが集中していることをずっとさせられる環境が常にあるわけでもないし、

やめさせないといけない場面ももちろんある。

そんな時に使うのが、、、

 

③「自己決定」

大人でもそうだけど、勝手に決められたルールを守るよりも、

自分も意見を出して決まったルールの方が守る気になろうとするとおもう。

子どもも同じで、自分が決めたことは実行に移しやすい。

上記の例に当てはまると、

集中している行為をいつやめるのか?を子ども自らが決める、ということ。

例えば、あと5分、とか、あと1つ完成したら、とか。

それが100%のパワーをだんだん落としていく、という練習につながる。

それが自己コントロールするということ。

それができると100%の集中力を失わずに、

さまざまな場面で臨機応変な対応が可能になる。

 

もちろん実際問題そんな簡単なものじゃないとおもう。

自分で決めたことでも守らないこともあるだろう。そんな時は叱るのか?

いや、どうしたらできるのか?を一緒に考える、ということやるだけ。

叱るのではなく教え諭す

 

 

ということで、次に”褒める”と”叱る”のポイントをまとめる。

、、、のだけど、かなり長くなってきたので、次の記事にまとめます。

わたしたちに必須の戦士はこいつだ!

今回は酵素についてです。

酵素って何か知ってますか?

どんなイメージですか?

 

 

酵素は消化に必須の戦士です。

 

bobu.hatenablog.com

 消化のことがよくわからない人はこの記事見てくださいね

 

 

 

前々回で砂糖を取り上げたので、今回も引き続きます。

砂糖=糖分でした。

消化はつながった糖分たちをちょん切る作業でした。

酵素は、、、?

ちょん切る作業を実際にするものです。

いわゆる工事のおっちゃん的な?w

 

 

例えば、ごはんを食べます。

口の中に入ると歯で噛みますよね。

物理的に小さくする作業です。

さらに口の中にはアミラーゼという酵素が待ち構えています。

歯によって噛み砕かれたご飯をさらにちょん切って小さくしていきます。

 

ごはんをずっと噛んでいると甘くなる、という話があります。

それはこのアミラーゼという酵素の働きの結果なのです。

ご飯=でんぷんをアミラーゼがちょん切ることにより

でんぷんよりも甘みの強いブドウ糖に変わっていくというわけです。

 

 

よく噛むと消化がよくなるというのは、

物理的に小さくして消化しやすくするだけでなく、

口の中で消化を進めることができるからなんですねえ

 

 

 

次は私たちにとってとっても大切なこの酵素について

さらに詳しくご紹介していきます!

 

消化をとても簡単に説明してみた

前回は砂糖とは何か!について触れました。

それがわかると、今回の”消化”は簡単です!

まだ見てない人は先にこちら 

bobu.hatenablog.com

見てくださいね!

 

 

では、”消化”をすごく簡単に言いますよ!

 

糖分が串にささった団子を思い描いてください。

その串を切って、体に取り込むことです!

オワリ!

 

、、、、、、!

 

もう少し説明しますね笑

 

 

 

 

例えば、でんぷんは串にたくさんのブドウ糖がささった状態です。

ものを取り込む腸には小さな穴が開いていて、そこを通って栄養を取り込みますが、

でんぷんのようにたくさんつながっているとその穴を通ることができません。

そこで、串を切って、どんどん小さくしていきます。

半分、1/4、1/8、1/16、、、

ブドウ糖単体となれば準備は完了です。

腸の小さな穴を通って、体に取り込まれていきます。

 

自動販売機で飲み物を買うときに、小銭を重ねた状態では入れられませんよね

自動販売機の穴はコイン1枚分の大きさしか開いていないので、

1枚ずつ入れていきます。

それと同じです。

 

この串を切る作業を分解、腸の穴を通って体に取り込むことを消化と言います。

 

 

次は、この消化に必須の戦士、”酵素”について触れたいと思います。

 

 

砂糖はあいつの仲間だった!

甘いもの好きですかっ

わたしはだいすきです

学生の頃に3食ケーキで3日間こなしたこともあります(余裕でした)

今じゃ考えられません

砂糖というものをよく知るようになってから、摂る量が減りました。

知ることって大切です

ということで、ちょっと触れます

 

まず、砂糖って何という栄養素か知ってますか。

あ、その前に三大栄養素言えますか。

 

・・・・・・・・・。

 

 

 

だいじょうぶでーす。笑

知らなくても生きていけます。

今から覚えればよいです。

三代栄養素は

・炭水化物

たんぱく質

・脂質

です。

 

聞いたことありますよね。

 

どれも生命維持に必須な栄養素なんですが、

砂糖はどれに含まれると思いますか?はたまた含まれない?!

 

 

これ以外と知らない人が多いのです。

 

 

正解は、「炭水化物」です。

炭水化物といえば、ご飯とかパンとか主食系のイメージですかね!

 

でもほら、ごはんをずっと噛んでるとだんだん甘くなるっていういでしょ?

あれ、ごはんが唾液で分解されてブドウ糖っていう糖分になるからなんです。

・・・糖分?!といえば、お気付きですか。

そう、砂糖も同じ糖分なのです。

 

糖分は、ブドウ糖・果糖・乳糖の3種類から構成されています。

 

3色だんごを想像してみましょう。

串にブドウ糖というだんごがひとつささっていたら、それはブドウ糖です。

果糖、乳糖も同じで、串にひとつだけささった状態(=最小)です。

ひとつだけなので、「単糖」と言います。

 

次に、ブドウ糖がささった串の上から果糖をさします。

それはショ糖という名前に変わります。

これがいわゆる砂糖のことです。

ショ糖(砂糖)はふたつのだんごがささっているので、二糖類と言います。

 

ちなみに、理科の実験とかで聞き覚えあるかもしれません「でんぷん」

これはブドウ糖が串にたくさーんささった状態になります。

 

 

このように糖分というのは、ブドウ糖・果糖・乳糖の組み合わせと

数によって名前や性質が異なるわけです。

その中には甘いものも甘くないものもあります。

 

ということで、次回はこれを踏まえて、これらの糖が

どう消化されるのか!について話します。

 

身近な知らない世界を知るのは楽しいですよっ

では。

 

 

細菌とウイルスってどう違うの?

インフルが流行っています。
わたしもついこの前体調を崩し、寝込んでいました。
でもインフルでなかったのです!よかった!
家族にもウイルスを撒き散らしましたが、幸い発症者は出ず、、、

今自然にウイルスと書きましたが、
インフルエンザはウイルスさんが元となっています。
だから「菌を撒き散らす」という表現だとちょっと違うんですねー

ではでは、その菌やらウイルスやらはどう違うんじゃい!ということですが、、、
ご存知の通り、細菌もウイルスも病原体のひとつです。
病原体というのは、私たちの病気を引き起こす生物です。
、、、というのは一緒なんですが、その姿形や特徴に違いがあります。
同じ人間だけど、日本人とアメリカ人では体格や嗜好に違いがあるのと同じです。


【大きさの違い】
細菌は1mmの1/1000=1μm(マイクロメートル)
ウイルスは1μmの1/1000=1nm(ナノメートル

もうここまでいくとよくわからん!笑
例えば、、、
東京から1km(ウイルス)だとせいぜい隣の駅くらいですが、1000km(細菌)だと九州まで行けてしまいます。
この大きさの違い分かってもらえるでしょうか?
細菌は顕微鏡で覗けば見れますが、ウイルスは小さすぎて見えないくらいです。
ちなみに、スギ花粉は30μmで、これよりも大きいですね。
だから花粉予防のマスクとウイルス・菌予防のマスクは同じであってはいけないんですねえ


【作りの違い】
細菌は細胞壁を持っていますが、ウイルスは細胞壁を持っていません。
この細胞壁というのは、家のようなもの。
細菌はかたつむり、ウイルスはなめくじのイメージです。
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家があると、食事やら洗濯やら睡眠やらできますが、
家がないと生活という生活ができません。
家のある細菌は自分で生きていくことができますが、
家のないウイルスは他のものの力を借りなければ生きていけないのです。


【増え方の違い】
◇細菌
細胞にくっつく
→栄養を吸い取って、細胞分裂する

ひとりがふたりに、ふたりがよにんに、、、って感じです。
ドラゴンボールで出てきそうです笑

◇ウイルス
細胞の中に入る
→その細胞のたんぱく質を利用して子どもを産む
→その細胞が使えなくなったら、別の細胞に引っ越す

上記の通りウイルスさんは家を持たないので、誰かの家に侵入してそこで家族を増やし、
その家がダメになったら新しい家に引越しする、というなんとも悪人、、、

、、、なんですが、ウイルスさんはひとりで生きていけないので、
どちらかといえば、自分で分身を作れる菌の方が怖い気がします、、、。



と、こんな違いがあります。
見えない世界にも、いろいろあるんですねー

インフルエンザをはじめとする風邪の約9割がウイルスが元となっています。
よくお医者さんで聞く「抗生剤出しときますねー」という言葉。
抗生剤は細胞壁を破壊するものなので、細胞壁(=家)のないウイルスには意味がありません。
お医者さんも何かしらの意図があって言ってると思いますが、その目的が何なのか、、、
(もちろん体のことを思って言ってくれている人もいるでしょうが、お医者さんも稼がないといけないので、、、ね)

そもそも薬はその場しのぎでしかありません。
1番大切なのは、自分の体の戦士たち(免疫力)を高めることです。
テストが!会議が!で、どうしても!な時に頼るのは良いかもしれませんが、
日常的にお世話になるものではありません。
いかにして、戦士たちに武器を与えるか、、、
それは睡眠であり、食事であり、休養であり、、、生活そのものです。

人間の体は素晴らしい機能を持っているので、
それをしっかり生かせば怖いものはありません!
みんなが自然に生きれますように、、、*

小さな人から学んだこと

新しい命が”人”として我が家にやってきました。
妊婦時代に重い体を必死に持ち上げて家の中を大掃除して、
小さい服やら何やらを洗濯して整理して・・・
予定日の6月16日までに!と準備をすすめていた。
大方完成したのは、6月頭。
準備万端だよー、と一息ついたのもつかの間、
8日にはわたしのお腹から”人”が出てきました。

やっと見ることができた。
エコーで見ていた宇宙人のような顔・・・ではなくきれいな人の顔。
お腹を挟んで触っていた小さな手と足。
決して聞くことのできなかった声。
本当に愛おしくて、「母になった」という実感よりか、
「大切なものが増えた」という感動が胸にこみ上げた。

5日間の入院を経て、家に帰る。久しぶり。
そこには、これまで開けられることのなかった小さな服たちのクローゼット、
一度も使われることのなかった布おむつたち、
誰も寝たことのない小さなベッドたちが何も言わず、ただただそこにいた。
それだけでなんとも言えない安心感を得た。
わたしは腕の中にいるちいさな人をそのベッドに寝かせる。
その瞬間、不思議な感覚に襲われた。
家族が1人増えたよ。という事実。
だけど、本当はこの家に引っ越した時から3人暮らしだった。
ずっとずーっと、この人はわたしのお腹の中にいた。
話すことはないけれど、お腹の中でわたしたちと同じ時を過ごし、
彼女なりのペースで成長してくれていた。
ベッドや服の準備も本当は2人でやってたんだよね。
小さなベッドに眠る、小さな人を見ながら不思議な感動に浸っていた。

わたしは出産をしたら、『家族のために生きる』ということを決めていた。
だけど、自分にできるだろうか、と少し不安もあった。
今まで自分1人で好きなように生きて来たし
誰かのために生きるなんてことが想像できなかったから・・・
今、この小さな人を見ていると、その不安は無駄だったと思う。
もし『家族のために生きる』ということを決めていなかったとしても
わたしはその選択をしていただろうと思うから。
”『家族のために生きる』ということを決めたから家族のために生きるんだ”
ではなく、
”家族のために生きたいから家族のために生きるんだ”
なんだ。
この人を守りたい、何かあったら助けたい、わたしにできることはやってあげたい
そんな気持ちがいくつもいくつも浮かび上がってくる。
まさに「大切なものが増えた」ということ。

大切なものが増えたということは、失う恐怖も増えたということ。
喜びと悲しみは背中合わせ。
必ず同時にやってくる。
その悲しさを背負ってでもこの喜びは手に入れてよかったと思える。
というか、それが”生きる”ってことだとおもう。
幸せな人生には、不幸が付きもの。
それはみんな一緒で、その人自身がどこに視点を当てて見るか、
どこに比重を置くかで、人生の捉え方が変わるんだろう。

とにもかくにも、わたしはこの小さな人にたくさんのことを学びました。
きっとこれからもたくさんのことを学ばせられるんだろう。
うれしいことも悲しいことも辛いことも笑えることも
いろんな時を共にして、お互いに成長していくこと
それが今の何よりのたのしみです。