最近良く思うことは、プロデューサーって、本当に必要なんだ、ということです。
何言ってるんだ、という感じかもしれませんけど、ディレクターとは違う立場でプロジェクトを統括する人がきちんといてくれることが、プロジェクトの最終的な完成度に大きな影響を与えるんだということを実感しています。

私たちの業界で言うと、ディレクターではないプロデューサーをやっている人の数が実質的には圧倒的に少ない。そして、多くの場合、優秀なプロデューサーの役割を果たしている人は、あまり尊敬されていない感じがします。やっぱり、ディレクターに注目が集まってしまって、みんなそっちをやりたいと思うのかもしれません。それはあるところでどこの業界でも起こっていることなんでしょうけど、私たちの業界ではその傾向が他と比べてもとっても強くて、プロデューサーになることまで視野に入れてはじめから仕事をしている人ってあんまりいないんじゃないでしょうか。尊敬されない役割は、やっぱりあんまりやりたくないですよね。

結果として、プロジェクトの成果物をプレゼンテーションするノウハウが全く蓄積されないで、個人の中で失われていってしまっているように思います。単にいままで出てきたような形ではなくて、プロジェクトに投資している人たちが満足するようなプレゼンテーションの仕方が、まだよくわかっていない。

テレビとか、ゲームとか、そういう本当の「商品」を作っている所を見ていると、最後の宣伝にかけるコストまできちんと計算してプロジェクトが動いていて、そこはすごいなあと思います。別にそういう商品だけじゃなくても、最近のはやぶさとかはそのあたりのプレゼンがすごくうまく行った例だと思うので、そういうところからなにか学べることはないかと思うのです。

などということを新年から考えていると、妄想が膨らんだりして、割と楽しい気分になったりします。下っ端としては実に見事な現実逃避です。ということで、文脈とは全く関係ないのですが、本年もよろしくお願い致します

引越しをしました。

いろんな理由があるのですけど、自分の中ではそこにいることが耐えられなくなりつつあったというのが大きいのです。なんというか、日々の生活の中にあるほとんど忘れてしまった悲しさが、部屋の中に降り積もっていく感じに恐れを感じたのだと思います。

そして、引っ越した今、地図を見ています。
通勤のための道を選んでいるのですが、今まで住んでいた家に向かう道を目が自然とたどっていくのです。それと一緒に、生活の中にあった何でもない場面が、思い浮かばれます。例えば、車でそれほど大きくもない道をコンビニエンスストアの明かりを見ながら通りすぎるところとか。懐かしさを超えた痛いような感じがします。喪失感が自分の周りを取り囲むのです。

私は引っ越すことが多くて、もう何度も引越しをしています。
昔は新しい部屋がとても嬉しいことが多くて、それからの生活のことを考えることが多かったのです。それが、最近では、だんだんそうした痛みに変わってきました。

私はまだそれほど年をとっていないし、自分が歩いているところを振り返るにはまだ早いのですが。
うだるようだった往く夏を思い出しているだけなのかもしれません

プロジェクトを進めるときには、
個性とか自分にこだわることってほとんど意味ないどころか、
害になることも多いということは、わかります。

結局のところ、人の能力には限界もあって、
もっと言えば、こだわりの中にはその人のエゴが入ってしまうから、
できたものが歪になってしまうのです。

でも、誰の思いも込められていないモノが、本当に人を動かせるんでしょうか。
人を動かすことのないモノが、価値を生み出せるんでしょうか。
空っぽのものに動かされた人は、例えば10年経ったとき、幸せなんでしょうか。

こう書くと、どうも愚痴のように見えてしまうけれど、
どちらかと言えば客観的な議論として、
どうしたら良いものが生み出せるかということを考えています。

年齢を重ねると、生きているのが辛くなることが多くなります。
昔は、そういうことはよくわからなかったのです。
自分自身のこととか、周りの人の事とか、何もわかっていないのだなあと思います。
とりあえず、雨になると不必要にこころが痛み出すのは、何とかしたいですね。
よく湿気が高いと、古傷が痛むといいますが、体も心も同じことなんでしょうか。

江の島にお参りに行ったら、風邪を引きました。御籤は凶でした。
こう書くといかにもお参りに行った結果、なにかが起こったかのようにおもえます。
実際にはなんにもそういう因果関係を保証するものはないので、まっとうに言えばこれは全部偶然なわけです。
そうなんですけど、なぜか鎌倉あたりの神社に行くと体調が悪くなります。今のところ8割くらい。尋ねた数は両手ほどですから、もちろん偶然ということもあります。たいていこういう季節の変わり目とかだったりしますし、神社は人も多いし。
それにしても、なんだかなぁ、という感じです・・・。
話のオチもない感じです。

科学・技術

なんとか月イチペース。

最近「科学」と「技術」について考えることがありました。
一般的には並べられて使うことも多いですし、意味としてもかなり近くなっているのかもしれませんけれど、本質的なマインドは結構ちがうとおもうのです。

たぶん、科学・サイエンスって、最終的には「面白ければ何でも良い」のです。ただ、それまでに知られていたこと、あるいはそこからロジックで必ず導かれるものについては「面白くない」と判断されます。
でも、技術はそうじゃなくて、「それが実生活の場面でどのように役立つか」までがきちんと視野にはいっていないといけないみたいです。そのかわり、その原理は必ずしも新しくなくてもいいみたいですね。
もちろん、両方が揃っているのが良い研究なんでしょうけれど。

当たり前かもしれませんが、同じ研究でも人によって引っかかるところ、見るポイントがかなり違うというのは、改めて考えさせられるところがあります。どこまで明確にこういったことが教育に含まれているのかはよくわかりませんが、その人の出身分野でかなり基本的なマインドが異なるのを何回か目の前にしていると、どこかでそういう教育を知らず知らずのうちに受けているのだと思います。

そういう無意識の態度の差・文化の差が摩擦を起こしているのを感じます。その摩擦がきちんとエネルギーとして働けば良いのですが、なかなかうまく噛みあうのは難しいみたいです。宗教や国家の差なら、みんなはじめから気を付けるのでしょうけれど、アカデミックな世界の中でもそういうことがあることは、なかなか気づくことが出きないのです。自分の世界を自分の周りに展開するということは、そういうことかもしれません。

記号記号

で、やっぱり数学の勉強は辛いけど、ちょっと楽しい。
何が辛いと言って、記号や知らない名前の公式群を全部調べないと、式変形の意味がわからない。
高校で習うことが以下に少ないかを思い知ります。
解析とか得意だったはずだけど、大学教養範囲でもなかなか歯が立たないなぁ。
でも、正しいものと正しくないものがはっきりしている世界なので、安心できる。
世の中そういうのははっきりしてないものですから。
心理学もな。