「命懸けで宝石を分け合う問題」について

前置き

下記のつぶやきで紹介されていた問題に関するお話。

(埋め込み画像が表示されないっぽいので、問題設定については後述。)元々の問題設定では宝石の数は100個だったのだが、
という意見を目にしたので、色々と考えてみた。

問題設定

問題設定は以下の通り(説明の都合上、内容を保ったまま表現や表記を変えた部分があるので注意)。

  • 全部でN人の人たちが、C個の宝石の分配方法を相談する。
  • N番の人、N-1番の人、…、1番の人、の順に、その時点で生存している各人に宝石を何個渡すかを提案して、多数決で賛否を問う。
  • 多数決で過半数の賛成が得られれば提案通りに宝石を分配し終了、そうでなければ提案者は死亡して次の番の人の提案に移る(賛成と反対が同数のときは死亡することに注意)。
  • 各人は、できるだけ多くの宝石の獲得を目指す。ただし、
    • 自分が死亡するよりは、宝石が貰えない(0個獲得)としても生存することを望む。
    • 結果的に自分の取り分が変わらないならば、最終的に生存者数がより少なくなることを望む。
  • 以上の条件の下で、各人は自身にとって最善の結果を目指して合理的な判断を行う*1。その際、他の人も全員が合理的な判断を行うという前提で判断する。

大元の問題では「C = 100、N = 5のときに、5番の人は宝石を何個獲得できるか」だけが問われているが、NやCの値を色々と変えたらどうなるかを考えてみるのが今回の話である。

定義などの準備

まず、いくつか定義を導入しておく。

【定義】

  • N番の生存提案とは、1番からN番の人たちへの宝石の分配の方法のうち、それを提案すればN番の人が多数決で過半数の賛成を得られるものを指す。
  • N番の生存提案が存在する場合、N番の最適生存提案とは、N番の生存提案のうちN番の人の宝石獲得数が最も多くなるものを指す。


一般に、N番の生存提案が存在する場合、最適生存提案は複数存在することもある(後述)。これを踏まえて、各人の判断基準についてさらに詳しい仮定と定義を導入する。

【仮定と定義】

  • 各人は楽観的であるかまたは悲観的であるものとする。N番の人が楽観的であるとき、M番の人(MはN以上)の提案におけるN番の想定利得を以下のように定義する:
    • N番からM番までの少なくとも一人が生存提案を持つとき:その中で番号が最大の人をL番の人とする。このとき、M番の人の提案におけるN番の想定利得を、L番の最適生存提案(複数存在するかもしれない)におけるN番の人の宝石獲得数の最大値と定義する。
    • N番からM番までの人が誰も生存提案を持たないとき、M番の人の提案におけるN番の想定利得を「死亡」と定義する。
  • N番の人が悲観的であるとき、M番の人(MはN以上)の提案におけるN番の想定利得を以下のように定義する:
    • N番からM番までの少なくとも一人が生存提案を持つとき:その中で番号が最大の人をL番の人とする。このとき、M番の人の提案におけるN番の想定利得を、L番の最適生存提案(複数存在するかもしれない)におけるN番の人の宝石獲得数の最小値と定義する。
    • N番からM番までの人が誰も生存提案を持たないとき、M番の人の提案におけるN番の想定利得を「死亡」と定義する。


上記の想定利得は、一般には他の人たちがそれぞれ楽観的であるか悲観的であるかによって変わり得ることを注意しておく。これらの定義の下、他の人の提案に対する各人の合理的な判断とは何であるかを以下のように明確にしておく。

【定義】 MをN以上の数とするとき、M番の生存提案に対するN番の人の賛否を以下のように定める。

  • M = Nのとき、N番の人は常に「賛成」するものとする。
  • NがMより小さいとき、その提案におけるN番の人の宝石獲得数が、M-1番の人の提案におけるN番の想定利得よりも真に望ましいならば「賛成」、そうでなければ「反対」するものとする。

考察

用語の準備が終わったので、各人の合理的な判断や想定利得について考察していく。なお、以下ではC = 0の場合(つまり、分配すべき宝石が存在しないにもかかわらず、死の危険を冒してまで「宝石の分配方法」を相談するという猟奇的な状況)も考察の対象に含めるものとする。
まず、次の事実は単純明快であるが、以下の議論においてかなり役に立つ。

補題1】 MがNより大きいとき、M番のある生存提案について、

  • (1)M-1番の人の提案におけるN番の想定利得が「死亡」ならば、N番の人は常に賛成する。
  • (2)そうでないとき、
    • (2−1)この提案におけるN番の人の宝石獲得数が0個ならば、N番の人は常に反対する。
    • (2−2)M-1番の人の提案におけるN番の想定利得がC個ならば、N番の人は常に反対する。

【証明】(1)については、「死亡するよりは宝石獲得数が0個でも生存を優先する」という前提による。
(2−1)と(2−2)については、N番の人はこの後の提案において自身が死なないことをわかっているので、「自分の取り分が同じならば、生存者数がより少なくなることを優先する」という前提による。(証明終)


これを用いると、人数が少ない場合についての解析は難しくない。なお、以下では「1番からN番の人にそれぞれa[1]個、…、a[N]個の宝石を配る」という提案を(a[1],…,a[N])で表すことがある。

【命題1】

  • (1)N = 1のとき、1番の最適生存提案は(C)、つまり宝石を自身が総取りすることである。
  • (2)N = 2のとき、2番の生存提案は存在しない。
  • (3)N = 3のとき、3番の最適生存提案は(0,0,C)、つまり宝石を自身が総取りすることである。
  • (4)N = 4のとき、Cが1以下であれば4番の生存提案は存在しない。一方、Cが2以上であれば、4番の最適生存提案は(1,1,0,C-2)である。

【証明】(1)は明らか。
(2)については、補題1の(2−2)により2番の提案に対して1番の人は常に反対するので2番の人は過半数の賛成を取れない。
(3)については、上の議論より2番の人の提案における1番と2番の人の想定利得は(2個、死亡)なので、補題1の(2−1)と(2−2)により3番の提案に対して1番と2番の人の応答は常に(反対、賛成)である。よって3番は自分が賛成することで常に過半数の賛成を得られるので、自身に宝石をすべて割り当てるのが最善の選択である。
(4)については、上の議論より3番の人の提案における各人の想定利得は(0,0,C)であるので、4番の人の提案において、補題1の(2−2)より3番の人は常に反対する。よって、4番の人自身は賛成するとして、過半数を取るには1番と2番にともに賛成させる必要がある。補題1の(2−1)により、そのためには1番と2番の人の両方に少なくとも1個の宝石を配る必要がある。また逆にそうすれば実際に過半数の賛成を得ることができる。よって、4番の人の最適生存提案は(1,1,0,C-2)となるが、Cが1以下であればこの提案は不可能なので、その場合には生存提案は存在しない。(証明終)


また、人数を多くしていったときに、次の性質が成り立つ。

【命題2】 Cの値を固定してNの値を増やしていくとき、N番の人が生存提案を持つようなNの値も生存提案を持たないようなNの値も無限に存在する。より詳しくは、

  • (1)N番の人が生存提案を持つならば、N+1番から2N+1番までの少なくとも一人は生存提案を持つ。
  • (2)Nを2Cより大きな数とし、N番の人が生存提案を持つとすると、N+1番から2N-2C番までの人は誰も生存提案を持たない。

【証明】(1)については、もしN+1番から2N番までの人が誰も生存提案を持たないとすると、補題1の(1)より2N+1番の人の提案に対してN+1番から2N番までのN人は全員常に賛成するので、2N+1番の人自身が賛成することで過半数(少なくともN+1人)の賛成が得られる。
(2)については、それらの人のいずれか(M番の人とする)について、N+1番からM-1番までの人が生存提案を持たないと仮定すると、M-1番の人の提案における1番からN番までの人の想定利得は少なくとも「死亡」ではない。ここで宝石はC個しかないので、補題1の(2−1)により、これらの人のうちM番の人の提案に賛成するのは高々C人であり、常に少なくともN-C人は反対する。すると、賛成票は多くてC + (M - N)票、反対票は少なくともN - C票であり、Mは2N-2C以下なのでC + (M - N)はN - C以下である。よってM番の人は過半数の賛成を獲得することはできない。(証明終)

C = 0の場合:

命題2により、たとえ宝石が一つもない状況であっても自力で生存可能な人が無限にいることがわかるが、これは個人的には少々驚きであった。以下、この状況(C = 0の場合)について各人の最適生存提案と想定利得を決定する。と言っても、可能な提案は「全員に宝石を0個配る」しか無いので、問題は各人が生存できるかどうかだけである。

【結果:C = 0の場合】
生存提案を持つ人の番号を順にa_1, a_2, \cdotsとすると、a_k = 2^k-1が成り立つ。
【証明】k = 1およびk = 2については命題1より正しい。以下、a_k番の人が生存提案を持つとすると、命題2の(2)よりa_k+1, \cdots, 2a_k番の人は生存提案を持たず、これと命題2の(1)を合わせると2a_k + 1番の人は生存提案を持つ。よってa_{k+1} = 2a_k + 1であり、a_k = 2^k - 1だとするとa_{k+1} = 2(2^k - 1) + 1 = 2^{k+1} - 1となり、再帰的に主張が示される。(証明終)

C = 1の場合:

C = 0の場合の結果には、各人が楽観的であるか悲観的であるかは関係しなかった。一方、C = 1の場合には楽観的であるか悲観的であるかが影響してくる。以下では、話をややこしくし過ぎないために、「全員が楽観的」あるいは「全員が悲観的」のいずれかの場合だけ考えることにする。

【結果:C = 1の場合】
数列a_kb_kを、a_1 = 1, a_2 = 3, a_k = 2a_{k-1} - 1k \geq 3)およびb_0 = 0, b_1 = 2, b_2 = 5, b_k = 2b_{k-1} - 1k \geq 3)で定める。このとき、

  • (1)全員が悲観的な場合、N番の人が生存提案を持つことはNが数列a_kに現れることと同値である。また、N = a_kk \geq 3)のとき、N番の人の最適生存提案は「1番からb_{k-2}番までの誰か一人に宝石を1個、それ以外の全員に宝石を0個配る」ことである。
  • (2)全員が楽観的な場合、N番の人が生存提案を持つことはNが数列a_kに現れることと同値である。また、N = a_kk \geq 3)のとき、N番の人の最適生存提案は、
    • kが奇数であれば「b_0 + 1番〜b_1番、b_2 + 1番〜b_3番、…、b_{k-3} + 1番〜b_{k-2}番、の誰か一人に宝石を1個、それ以外の全員に宝石を0個配る」ことであり、
    • kが偶数であれば「b_1 + 1番〜b_2番、b_3 + 1番〜b_4番、…、b_{k-3} + 1番〜b_{k-2}番、の誰か一人に宝石を1個、それ以外の全員に宝石を0個配る」ことである。

【証明】Nが4までの場合については命題1より(1)が成り立つ。また、4番の人の提案における1番から4番の人の想定利得は(0個,0個,1個,死亡)である。
N = 5のとき、上の議論と補題1により、5番の人の提案において3番の人は常に反対、4番の人と5番の人は常に賛成する。このことから、生存提案は「1番か2番の人に宝石を1個配る」ことである。よって、a_3 = 5であることに注意すると、N \leq a_3については主張がすべて成り立つことが確かめられた。
以下、k \geq 3とし、N \leq a_kについては主張がすべて成り立つと仮定する。このとき命題2の(2)より、a_k+1番から2a_k - 2 = a_{k+1} - 1番までの人は誰も生存提案を持たない。次にa_{k+1} = 2a_k - 1番の人の提案について、上の議論と補題1よりa_k+1番から2a_k - 2番までの計a_k - 2人と自分自身は常に賛成するので、過半数であるa_k票の賛成を得るには残りのa_k人のうち誰か一人の賛成を得ることが必要かつ充分である。補題1より、このためにはa_k番の人の提案における想定利得が0個である人の誰か一人に宝石を1個配ることが必要かつ充分である。
ここで、全員が悲観的な場合、仮定により1番からa_k番の全員について件の想定利得は0個であるので、これらの誰かに宝石を1個配ればよい。k \geq 3なので定義よりa_k = b_{k-1} = b_{(k+1)-2}であるから、この場合にも主張が成り立つ。一方、全員が楽観的な場合、

  • k+1が奇数、すなわちkが偶数のとき、仮定により件の想定利得が0個であるのはb_0 + 1番〜b_1番、b_2 + 1番〜b_3番、…、b_{k-4} + 1番〜b_{k-3}番、b_{k-2} + 1番〜b_{k-1}番の人である(b_{k-1} = a_kに注意)。よってこれらの誰かに宝石を1個配ればよい。k-1 = (k+1)-2であるから、この場合にも主張が成り立つ。
  • k+1が偶数、すなわちkが奇数のとき、仮定により件の想定利得が0個であるのはb_1 + 1番〜b_2番、b_3 + 1番〜b_4番、…、b_{k-2} + 1番〜b_{k-1}番の人である(b_{k-1} = a_kに注意)。よってこれらの誰かに宝石を1個配ればよい。k-1 = (k+1)-2であるから、この場合にも主張が成り立つ。

以上より再帰的に、すべてのNについて主張が成り立つことが示される。(証明終)


C = 1の場合には、全員が悲観的な状況と全員が楽観的な状況とで自力で生存できる人の集合は変わらないものの、前者の状況では宝石を貰える可能性があった人が後者の状況では宝石を貰えなくなる場合が存在するのがちょっと面白い点であろうか。

N = 5の場合

命題1によりNが4までの場合には結果がすべて決定できているが、大元の問題がN = 5(かつC = 100)の場合を考えているので、N = 5の場合にどうなるかも考えてみる。Cが1以下の場合には上記のように決定できているので、ここからはCが2以上の場合を考える。このとき命題1により、4番の人の提案における各人の想定利得は(a[1],a[2],a[3],a[4]) := (1,1,0,C-2)である。
5番の人の提案において、自分自身は賛成するので、過半数を得るためにはあと二人から賛成を得られればよい。ここで、L番の人(L = 1,…,4)から賛成を得るためには、最低限a[L] + 1個の宝石を配れば充分である。よって、a[1]からa[4]のうち小さい方から二つの値をa[L']およびa[L'']とすると、5番の人の最適生存提案は、L'番とL''番の人に宝石をそれぞれa[L'] + 1個およびa[L''] + 1個配り、残るC - a[L'] - a[L''] - 2個の宝石を自分自身へ配ることである。具体的には、

  • C = 2のとき、L' = 3およびL'' = 4となるので、5番の人の最適生存提案は(0,0,1,1,0)である。
  • C = 3のとき、L' = 3であり、L''は1,2,4のいずれかとなるので、5番の人の最適生存提案は(2,0,1,0,0)、(0,2,1,0,0)および(0,0,1,2,0)である。
  • Cが4以上のとき、L' = 3であり、L''は1か2のいずれかとなるので、5番の人の最適生存提案は(2,0,1,0,C-3)および(0,2,1,0,C-3)である。

Cが3以上のとき、命題1よりN = 4までの場合には最適生存提案が(存在するかどうかも含めて)ただ一通りに決定されるが、N = 5の場合には上記の通り複数の最適生存提案が存在する。そのため、6番の人の最適生存提案を考えるためには、他の人がそれら複数の可能性のどれを想定するか、つまり本稿の言葉では「楽観的」であるか「悲観的」であるか、を定める必要がある。逆に言うと、大元の問題で設定されたN = 5という値は、そうした複数の可能性を考慮せずに済ませられる範囲で最大の人数だったのである。

発展

前述のような複数の最適生存提案のうちどれを想定するかという点について、確率的な選択を考慮したり、参加者間の相談や交渉を可能としたり、ゲーム理論でいうところの繰り返しゲームの状況における最適な戦略*2を考察したり、といった発展形も考えられるかもしれないが、それらはここでは触れないものとする*3

*1:「最終的に生存者数がより少なくなることを望む」のが合理的な判断なのかという点は措いておく

*2:この場合、参加者が「死亡」するという設定を変える必要がありそうである

*3:あと、没ネタとして、従来のように死ぬくらいなら0個の宝石獲得を優先する「凡夫」という参加者と、0個の宝石獲得で終わるくらいなら死を選ぶ「狂気の沙汰ほど面白い」参加者の二通りを考えるというアイデアもある。ざわ・・・ざわ・・・したい興味のある方は考えてみてはどうだろうか

「無限ならばデデキント無限」から有限集合に対する可算選択公理を導く

前置き

というつぶやきを目撃したので少し考えてみたところ、以下の事実が成り立つのではないかという考えに至った。

(上記のつぶやきを引用する際にURLが短縮されてしまったので補足しておくと、「あのサイト」というのは http://alg-d.com/math/ac/choice.html のこと。)で、そのときは空腹のため証明を140字に圧縮する気力がなかったので、改めてここに証明を書くことにした。

示すべきことと証明

以下では、ZF公理系において「いかなる無限集合も可算無限部分集合を含む」(命題A)から「有限集合に対する可算選択公理」(命題B)を導く。命題Bは「非負整数kの各々に対して空でない有限集合X_kが与えられているとき、非負整数全体の集合\omegaを定義域とする写像fで、どのk \in \omegaについてもf(k) \in X_kが成り立つもの(集合族(X_k)_{k \in \omega}の選択関数と呼ばれる)が常に存在する」ことを意味する。
なお、(この記事に興味を持つ方には釈迦に説法である可能性も高そうだが念のため、)可算無限集合とは\omegaとの間に全単射が存在するような集合のことである。ある集合について、それが可算無限部分集合を含むことはその集合がDedekind(デデキント)無限であることと同値である(Dedekind無限集合とは、自身のある真部分集合との間に全単射が存在する集合のことである)。すると命題Aは「あらゆる無限集合はDedekind無限である」ことを意味している。命題Aも命題Bも、選択公理を追加したZFC公理系では証明可能だが、選択公理を省いたZF公理系では証明不能であることが知られている。

命題Aから命題Bを導く証明に移る。(X_k)_{k \in \omega}を前述のような非空有限集合の可算族とする。ここで、各k \in \omegaについて集合Y_kY_k = \prod_{i=1}^{k} X_iで定義する。Y_kは定義により有限個の非空有限集合の直積なので、(ZF公理系においても問題なく)非空有限集合である。これらのY_kたちすべての非交和(Yとおく)は無限集合なので、命題Aよりその可算無限部分集合Zが存在する。可算無限集合の定義より、その要素を(z_n)_{n \in \omega}と番号付けすることができる。
ここで、各k \in \omegaについて、Y_i0 \leq i \leq k-1)たちの和集合は有限集合であり、一方でZは(可算)無限集合なので、Zの要素でY_0,\dots,Y_{k-1}のどれにも属さないものが存在する。それらの要素z_nの添字の最小値をn_kと定める(集合Zとその要素の番号付けが与えられれば、n_kたちはすべてのkについて一意に定まることを注意しておく)。YY_iたちの非交和なので、z_{n_k} \in Y_{m_k}となる添字m_kも一意に定まり、またz_{n_k} = (x_{k,0},\dots,x_{k,m_k})(ただし0 \leq j \leq m_kについてx_{k,j} \in X_j)という表示も一意に定まる。ここでn_kの定義よりm_k \geq kであるので、X_kの要素x_{k,k}も上記により一意に定まる。こうして選択関数f(k) = x_{k,k}が得られる。 【証明終わり】

余談

上記の証明を考えた後で気が付いたのだが、この証明の方針は上述したあのサイトで紹介されている可算選択公理の同値命題の一つ(リンク先の命題9)の証明と雰囲気が似ている気がする。

なお、上で述べた事実から、「可算無限個の非空有限集合の非交和はDedekind無限である」ことはZF公理系で証明不能であることがわかる(もしこれが証明できれば、命題Aを用いずとも上記の証明の集合YがDedekind無限であることがわかり、以降の証明が同様に成り立って、命題BがZF公理系で証明できてしまうため)。
特に、いわゆる可算和定理の有限集合版ともいえる「可算無限個の非空有限集合の非交和は可算無限集合である」という命題も、ZFC公理系では成り立つもののZF公理系では証明不能であることがわかる(件の非交和は少なくとも無限集合ではあることに注意されたい)。

日常と三角関数

先日、某所で「みんなに高等教育を受けさせるのなんて不毛だよね。例えば数学の三角関数なんて学校出たら使う機会ないじゃん」(←大意)みたいな主張を目にしたので、最近日常生活で出会った三角関数(三角比)が役立つ場面を書きます*1


色々あって、妻が妻の友人のためにお皿とコップを入れて使う巾着袋を手作りすることになりました。お皿は立てた状態で袋に入れ、コップは左右真ん中ぐらいの位置に置くと据わりが良いと考えると、上から見た両者の位置関係は下の図のようになると考えられます*2

お皿の幅を 2a、コップの直径を 2b とおいて(2倍で表記しているのは後で長さの半分を考える都合上)、寸法を書き入れた図はこちら。


さて、この袋を作るには布の幅をどのくらい取ればよいか?と妻から尋ねられました。仮にギリギリの大きさにすると布は下図の青線のような具合*3になると考えられるので、この青線の長さを計算して、念のため少し余裕を持たせた幅にすればよいでしょう。

左右対称なのでひとまず左半分だけに着目して、下図のように補助線を引きます。

詳細は読者の演習問題とする割愛しますが、∠AOB(=∠AOD)=α とすると∠COD = π - 2αとなるので弧CDの長さは (π - 2α)b、また線分 AB と AD の長さは AB = AD = a なので、左半分の青線の長さは 2a + (π - 2α)b 、よって全体では 4a + (2π - 4α)b となります。
あとはαを計算すればよいわけですが、ABO が直角三角形なので三角比を用いて、はい皆さんご一緒に、三角比を用いて、 tan α = AB/OB = a/b という関係式が得られます。これより α = arctan(a/b) となり、件の青線の長さ L は全部で L = 4a + (2π - 4 arctan(a/b)) × b となります。
実際の例ではお皿が20cm幅、コップが直径5cmという想定でしたので、a = 10、b = 2.5となり、L = 40 + ( 2π - 4 arctan(4) ) × 2.5 (cm) となります。電卓によると2π - 4 arctan(4) はおよそ 0.98 とのことですので、この場合 L はおよそ 40 + 0.98 × 2.5 = 42.45 (cm) 、と計算できます*4


めでたしめでたし。

*1:元の発言主は高等教育を批判したいだけで三角関数が本当に役に立つか立たないかなど興味がないであろうことは容易に想像できるけれども知ったことではない

*2:お皿の厚みは無視して直線と考え、コップの断面は円形と考えて

*3:/(^o^)\ナンテコッタイの顔文字に似ている(似ていない)

*4:どうせ概算値なので有効数字は気にしない方針で

数学博物館 in ギーセン(ドイツ)に行ってきた

しばらく前の話ですが、出張でドイツのギーセン(Gießen)市を訪れた際、現地にある数学博物館(名称:mathematikum)に行ってきました。面白かったので少々感想などを書きます。


mathematikumはギーセンの中心駅から歩いてすぐの所にありまして、わりと探しやすい立地だったと思います。ギーセン市自体は、フランクフルト中央駅から電車で1時間前後で到着できました(記憶がやや曖昧なのでご注意ください)。建物の外観は下の写真2枚のような感じです。


この博物館は、数学のトピックを中心に、数学と関連の深い他の科学分野からのトピックも交えた展示物からなり、それらは全部で150件ほどに上るようです。題材は、比較的簡単な原理に基づくものから高度な背景を持つものまで様々です。
展示物の多くが模型や装置などを実際に触ったり動かしたりできる体験型であり、中には数字や図形をネタに使ったユーモラスなコーナーもあったりするなど、展示物の基になる理論や数学的事実を知らなくても充分に楽しめる構成になっています。そのこともあってか、私が見学している最中にも、近所から遊びに来たっぽい子供たちや、どこかの学校の生徒っぽい団体客がやってきたりと、想像よりも子供客が多い印象を受けました。


建物に辿り着くと、玄関前の歩道に設置されている下の写真のような装置に出迎えられます。これは、2個重ねられたゴム製の球に縦にワイヤーが通されていて、球を持ち上げて放すと落下した球が地面で跳ね返るというものです。球の大きさは、上の球よりも下の球の方が大きくなっています。さて、これらの球2個を重ねた状態のまま持ち上げて手を放すと、一体どのような弾み方をするでしょうか?


玄関を入ってすぐの所には、下の写真のような縦に連なった歯車が飾ってありました。この歯車は、下側の歯車が10回転するとすぐ上の歯車が1回転するように設計されているとのことで、一番下の歯車は頑張って回っていましたが、下から2番目の歯車はそれと比べてかなりゆっくりな回り方でした。

この歯車の全体図は下の写真の通りです。指数関数の威力に思いを馳せてしまう壮観な眺めですね。この装置、一番上の歯車の動きが目視で確認される日ははたして来るでしょうか?

(ちなみに、多くの展示物にはドイツ語だけでなく英語でも説明文が添えられていまして、ドイツ語を読めない私は大いに助かりました。)


個人的に特に興味深かった展示物の一つが、下の写真にある、放物線を使った掛け算計算器です。使い方は、右側(プラス方向)の位置aにある放物線上の点と、左側(マイナス方向)の位置bにある放物線上の点を結ぶと、中心軸上にa×bの計算結果が現れる、という具合です。原理自体は言われてみればなるほどというものでそこまで高度というわけではないのですが、こんな風に掛け算の計算ができるというのは知らなかったので勉強になりました。

もう一つは下の写真にある展示物で、これはある有名な数学的予想(未解決問題)を「体感」できる装置です。さて、その数学的予想とは一体何でしょうか?(写真が見辛いかもしれませんが、各々のピースに数字が書かれていて、それらが「ある性質」に応じて色分けしてあり、レバーを回すとレールに沿ってピースが動く、という具合です。)


他の展示物の例として、下の写真にあるのは最近話題の錯視に関するオブジェです。これは正しい位置に立ってオブジェを眺めると有名な不可能図形に見えるというものですが、正解の位置を見つけるのが意外と難しくてかなり熱中できました。私は一人で来ていたのですが、もし複数人で来ていたとしても、各自の背丈によって正解の位置が変わるので、全員がそれぞれに楽しめただろうと思います。

また、下の写真はタイル張りの理論に関する展示物…ではなく、単に窓から見えた民家の屋根です(笑)。


変わり種の展示物としては、下の2枚の写真にある"the ultimate machine"と題された電動装置が挙げられます。その筋の人なら「ああ、アレね」と感付かれるかもしれません。私もネタを知ってはいたのですが、実際に動くところを見るとインパクトというかシュールさがまた一段と際立っていました。(ネタバレは野暮なので解説はしません。)


ちなみに、職場の関係で気になる暗号関連の展示物としては、この手の展示でよく使われる視覚的秘密分散法の他、いわゆる誕生日のパラドックスを体感できるルーレット(下の写真2枚)が設置してありました。ある横一列に同じマークが二つ以上現われるのを「当たり」とすると、およそ半々の確率で当たりが出る計算とのことです。


最後に、全館回り終えて玄関に戻ってくると、下の写真のようなものが置いてあるのを見つけました。これは、両脇の箇所からコインを投入すると綺麗な軌道を描きながら転がっていき、最後には中心の穴に落ちていくという仕組みです。で、穴に落ちたコインはこの博物館への寄付金になるという、物理法則の美しさを活かした華麗な寄付の募り方です(笑)。私も何枚か試しましたが、確かに転がり方が綺麗なので何度も試したくなるのですよね。本当によくできているなぁと感心しきりでした。


というわけで、3階建ての博物館全体を回りきるのにおよそ2時間ほどかかりました。ここで紹介したものは展示物全体のほんの一部で、他にも面白いものが色々と置いてありましたし、展示物以外に建物の内装なども凝っていて、本当に楽しい施設でした。もし近くに行かれる用事がありましたら、こちらの博物館へも少し足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

メモ:選択公理抜きで線型写像をどれだけ自在に選べるか

以下の会話(抜粋)に関連してメモ。

(注:$x = 0$かつ$y \neq 0$だと成立しないため、そうでないという仮定を各自で幻視してください。)
冒頭に挙げられた命題(これを(*)で表す)から、最後に挙げられた命題、より正確には

線型空間$V$の一次独立な元$v_1$,$v_2$、同じ体上の線型空間$W$の元$w_1$,$w_2$について、$f(v_1) = w_1$,$f(v_2) = w_2$を満たす線型写像$f : V \to W$が存在する
(これを(**)で表す)

選択公理抜き(ZF公理系)で導けることを示す。このことと上で引用した内容から、冒頭の命題(*)はZF公理系では証明できないことがわかる(選択公理を使える場合には、$v$を含む$V$の基底が取れることから件の性質が証明できる)。


まず、命題(*)を

線型空間$V$の元$v \neq 0$、同じ体上の線型空間$W$の元$w$について、$f(v) = w$を満たす線型写像$f : V \to W$が存在する
(これを(***)で表す)

という形に拡張できることを確かめておく。
実際、(*)を用いて直和$V \oplus W$上で$v$$w$に写す線型写像が得られるので、あとはその定義域を$V$に制限した上で、行き先側で射影$V \oplus W \to W$と合成すればよい。


さて本題に戻ると、まず、(***)を用いて$g(v_1) = w_1$を満たす線型写像$g : V \to W$が得られる。
次に、$v_1$で生成される部分空間で$V$を割った商空間を$V'$と書き、射影$V \to V'$$\pi$と書くと、再び(***)を用いて、$\pi(v_2)$$w_2 - g(v_2)$へ写す線型写像$V' \to W$が得られる($v_1$$v_2$が一次独立であることから$\pi(v_2) \neq 0$であることに注意)。これと$\pi$を合成したものを$h : V \to W$と書くと、$h(v_2) = w_2 - g(v_2)$であり、一方$\pi(v_1) = 0$なので$h(v_1) = 0$である。
これらから、$f = g + h$$f(v_1) = g(v_1) + h(v_1) = w_1 + 0 = w_1$および$f(v_2) = g(v_2) + h(v_2) = g(v_2) + (w_2 - g(v_2)) = w_2$を満たす。これが(**)で求められている線型写像である。(証明終)

科研費が校費(運営費交付金)の代わりにはならないと思う理由二つ

今更、ではありますが、考えの整理も兼ねて。


第一に、学生用の研究室運営(パソコン・書籍含む備品類、学会旅費、などなど)に使うことが難しいということです。
科研費は研究のための資金であって教育のための資金ではありませんし、そもそも申請した研究計画以外の用途に使用すること(目的外使用)は禁止されています。学生皆が皆、科研費の研究課題に合致した研究を志向するでしょうか?科研費を学生の教育指導に活用できる機会が皆無とは言わないまでも、そのような機会が制限されるのは明白でありましょう。


第二に、学問分野や社会情勢の変化に即応し辛いということです。
科研費の応募の機会は基本的に年1回ですし、上述の目的外使用の禁止という規則もあります。応募締切の直後に、その分野や社会である出来事(大災害かもしれないし、新理論の提唱かもしれない)が起こり、その中から新たな重要研究課題を見出した人がいたとしましょう。その人は、手持ちの研究を中断して新しい研究を優先させるわけにもいきませんし(目的外使用の禁止)、次回の応募まで1年(応募から採択・予算配分までの期間を考えるとそれ以上)待たなければならないでしょう。世界中の競争相手に先を越されないことを祈りながら。


昨今の(ここでは、日本の大学の)研究者に対する社会の期待は、優秀な学生の育成と、産業に役立つ研究とに大きな力点が置かれています。であれば、投入される予算も、学生のために使用でき、また、産業界の速度に対応して研究課題の優先順位を柔軟に切り換えられる、校費(運営費交付金)のような制約の少ない形式に重点を置く方が、上述した社会からの期待により応えやすくなるのではないでしょうか。
予算の厳しい社会情勢だからこそ、効果的な予算活用を支える制度が望まれます。

分数の割り算とお釣りの計算

「分数の割り算は、分子分母をひっくり返して掛け算する」というアレの話ですが、例えば$\frac{923}{1000}$(1000分の923)で割るときに分子分母をひっくり返す、というのは($\frac{a}{b}$は「a割るb」のこと、を踏まえて)

÷ ( 923 ÷ 1000 ) と 1000 ÷ 923 が同じ (*)

ということです。


ところで、出前に来た店員さんなどが電卓でお釣りの計算をする際によく使われるテクニック(先日も目にしました)に、例えば923円の商品の代金を1000円で支払われた際(1000 - 923 = 77円のお釣り)に

  1. 予め923を入力しておく
  2. 支払いのお金1000円を渡された際に「引く1000」を入力して計算する(この時点で-77が表示される)
  3. 頭の「-」を無視する

として計算する、というものがあります。最後の「頭の「-」を無視する」というのは-1倍するのと同じなので、この計算テクニックはつまり

- ( 923 - 1000 ) と 1000 - 923 が同じ  (**)

ということです。


(**)の「-」を「÷」に置き換えると(*)が得られます。これは単なる偶然ではなく、実は両者は同じ仕組みに基づいています。